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アイリルとジネット先生

『はじめまして。アイリルさん、私の名前はジネットです。今日からあなたの先生になりました、よろしくね』


『ジネットせんせい……』


当時五歳だった私は、はじめましてのご挨拶よりも先にその呼び方を口にしていた。


なぜか目の前に現れたこの人を見た瞬間に懐かしさがこみあげて、

それが不思議で不思議でたまらなかった。


そのときはまだ幼くて自分が抱いた感情に名をつけることなどできなかったから。


そんな私を見てジネット先生も私の名を呼んだ。


『アイリルさん……アイリル……』


そして徐に、私を優しく抱きしめた。


私の耳元で、聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で、


『今度はもう、絶対にあなたから目を離さないわ……』


とそう言って。









「本当にお久しぶりねアイリル。元気そうで何よりだわ」


私が手紙を書いた数日後に、ジネット先生が我が家を訪れた。


五歳から女学院に入学する十五歳までの十年間、一日のほとんどの時間を共に過ごした私の部屋で、当時と変わらず寛いだ様子でお茶を飲みながらジネット先生がそう言うと、私もすぐにあの頃に戻ったような感覚になり笑顔で答えた。


「先生こそお元気そうで安心したわ。お義母さまのご看病でお疲れではないかと心配していたのよ?」


「その際は義母(はは)にお見舞いの品をありがとう。義母(はは)がとても喜んでいたわ。とくにムギリョウ追悼写真集には感涙していたのよ」


「喜んでもらえて良かった。お義母のお体はどう?もう大丈夫なの?」


「ええ、もうすっかり。だからこうやってあなたに会いに来れたの。でも一時は本当に危なかったのよ。数万人に一人罹るという奇病で治療方も特効薬もなくて、医師に最悪の事態も覚悟しておいてくれと言われてしまうほどだったの」


「それがよくご快癒されたわね。本当に奇跡だわ……!」


私がそう言うと、ジネット先生はくすりと笑い、そして肩を竦めながら言った。


「あの義父(ちち)が、義母(はは)命のあの人が、医師が匙を投げたからといって諦めるわけがないわよね。何か救える手立てがあるはずだと、古今東西の文献や資料を探して、とうとう見つけたのよ。そしてそれが史上最難関、攻略不可と呼ばれたダンジョンの最下層にあると知り……」


「まさか、」


「そのまさかよ。義父(ちち)とジルベールの親子でタッグを組んで、有り得ないことにたったの数ヶ月で攻略して、特効薬の材料となる“眠れる紫竜(パープルドラゴン)の逆鱗”を持ち帰ったのよ」


「すごい!」


あ、ちなみにジルベールというのはジネット先生の旦那様のお名前よ。

この国の筆頭魔術師ジルベール・アズマ特級魔術師様。

それが私の恩師であるジネット・ロワニー先生の愛する旦那様なの。

ジネット先生ご夫妻は夫婦別姓の珍しいご夫婦。

ロワニー家の最後の一人となられたらしいジネット先生が、ご自分のお子さんにロワニーの姓を託すまでそう名乗ることを希望されたそう。

今の時代、まだまだ夫婦別姓は珍しいけれど、ジルベール様も義両親もその意思を汲んで認めてくださっているんだって。

本当に有り難いと、結婚するときにジネット先生がそう言っていたのを覚えているわ。


「それでお薬を作れて、お義母様はお元気になられたのね。本当に良かった……」


私が涙ぐんでそう言うとジネット先生は穏やかな笑みを浮かべてゆっくりと頷いた。


「ええ。もう親も親戚もいない私にとっては第二の母と言っても過言ではないくらいに大切な人だがら、助かってくれて本当に嬉しい」


「わかるわ」


私にとっては、ジネット先生がそれに近い存在だから。


私の実母(はは)はとても体の弱い人で、それに加え後継である姉の教育に手一杯だった。

だから私が五歳のときにジネット先生が我が家に来るまでは、乳母やメイドたちがほとんど私の面倒を見てくれていたの。


だから私にとってはジネット先生こそが私の第二のお母様であると思う。


優しい乳母と、バーキンス家の令嬢に躾まではできないメイドたち。

もし前世同様に十歳までその環境にいたのなら、今世の私の性格がここまで別人のようにはならかったのだと、記憶を取り戻した今ではよくわかる。


明るく優しく、そしてときに厳しく私を教育してくれたジネット先生には感謝してもし切れないわ。


ジネット先生が私をじっと見つめる。

その視線に気づき、私が見つめ返すとジネット先生はこう言った。


義母(はは)の病状が落ち着いていてもいなくても、一度あなたの様子は見に来ようと思っていたの。()の記憶が戻ったと聞きとても気になっていたし、時期的にそろそろだと思っていたから……でもそんなときにちょうどあなたから手紙が届いて、すぐに飛んで来たのよ」


そのジネット先生の言葉の中に引っかかりを覚える箇所があり、私はそれを口にして尋ねた。


「……時期的に、そろそろ?」


「あなたとルベルト様の婚約について大きな動きがある時期よ」


「え?先生、それはどういう意味なの……?」


「それに答える前にアイリル、私の方からあなたに確認しておきたいの。あなたは彼を、ルベルト様を信じることができる?」


ジネット先生の、まっすぐで真剣な眼差しが向けられる。


信じることができるかとは……どういう意味なのかしら。


先日送った私の手紙を読んだからこその質問なのだろうけど、先生は一体私の何を確認しようとしているのかしら……。


そんな私の疑問が伝わったのか、先生は慎重に言葉を選ぶように言った。


「今は奇しくも()とよく似た状況になっているでしょう?ルベルト様はあなたよりもアラベラ・マルソーの傍にいることが格段に増えた。そんな状況でもルベルト様を諦めないと言ったあなたが、彼をどこまで信じることができるかを知りたいの」


「それを知ってどうするの?」


「あなたに真実を伝えるかどうかを決める判断材料にするわ」


「真実……?」


「本当はねアイリル。あなたが()の記憶を取り戻して、ルベルト様との婚約解消を見越して動き出すという手紙を読んだときは、過去に起きたすべてを語るつもりはなかったの。どうせルベルト様とは決別するのだから、()()()()知らなくていいと思って」


「そこまで、とはなに?」


ジネット先生が何を言っているのか、何を言いたいのかが私にはわからない。

だけど、今の私の正直な気持ちを先生に話すべきだとそれだけはわかるから、

私は先生から目を逸らさずに居住まいを正した。


「……お手紙に書いたとおりです。どんな結果になろうとも、ギリギリまでルベルト様を諦めたくない。だって、今の彼は少なからずも私と同じ気持ちでいてくれているみたいだから。それなのに怖いからと蓋をして逃げ出すようなことはしたくない。それが彼を信じることになるのかどうかはわからないけれど、私は彼の出す答えを待ちたい。そう思っているの」


私の思いの丈を一気に伝えると、ジネット先生は硬い表情のままで告げた。


「……わかったわ。今から私があなたに()()に起きた真実を話すのは、あくまでも真実だけを語るためよ。本当はルベルト様自身の口から話すべきなんだろうけど、彼の主観だけだとあなたもルベルト様も辛い思いをして不幸になるだけだから」


「い、一体何が起きたの?過去ってなに?それはいつのこと?前世?今世?」


「……そもそもあなたに“前世”というものは存在しないわ。あなたが生まれ変わりだと思っている()のあなたも、紛れもないアイリル、あなた自身なの。生まれ変わって二度目の人生を生きているのではない、あなたは過去に戻って同じ生をやり直しているのよ」


「…………え?」



もう、何がなんだか、わけがわからなかった。




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