知ってしまったから
連日、私はルベルト様が事務所の人たちとランチに出かける姿を見かけていた。
そして必ず、彼の隣にはアラベラ・マルソーさんがいた。
他に数名、男性と女性の同僚がいるのに彼女の定位置はルベルト様の隣。
ランチを食べるカフェや食堂への行き帰りも、今こうやって食事しているテーブルの席も(べ、べつに気になってこっそり覗いてるわけじゃないんだからね!)彼女はルベルト様の隣で妖艶な笑みを浮かべている。
ルベルト様も彼女にとても良い笑顔を……私には見せないような余所行きの笑顔を向けていた。
こうやってみれば、美男美女でやっぱりお似合いの二人ね。
前世ではあの真面目一辺倒だったルベルト様に“真に愛する人”といわしめたほどの女性だもの。
当然といえば当然か……。
私はといえばこうやってコソコソとルベルト様たちから離れた席でその様子を眺めているの。
自分でも何をやっているんだろうとは思うわよ。
思うけど、自分なりにこの目で確かめて決着をつけたいとも思うじゃない?
やはり前世と同じ結果になったと自分自身に理解させるためにこんなことをしているというか、来るべき時が来たと、納得するためというか。
じゃあそれで、 納得できたのかというと……
なんか、違うと感じてしまった。
確かに二人はとても仲睦まじそうに見えるし、本当にお似合いで、特別な関係のように見える。
だけど、私は知ってしまったから。
ルベルト様の心からの笑顔を。
前世での当たり障りのないあっさりとしたお付き合いでは知り得なかった、彼の裏表のない本当の笑顔を今世の私は知った。
だってずっと、ずっとルベルト様はそんな笑顔で私を見てくれていたのだもの。
今、ルベルト様がアラベラさんに向けているのは明らかに取り繕った作りものの笑顔。
他人に向ける、表面的な笑顔だわ。
そして彼女を見る眼差しの違いでもわかってしまう。
あの雨の日に、彼が私に向けた眼差しとは似ても似つかない、冷たい瞳でアラベラさんを見ている。
それに気付いてしまうと自ずとわかってしまうの。
ルベルト様が彼女に対して特別な感情を抱いていないことが。
だから私は……まだどうしても諦められない。
前世と同じ状況になっても、私に会う時間が減るのに伴ってアラベラさんと過ごす時間が増えていたとしても、私はルベルト様を諦めることができないの。
前世の記憶が蘇ったときは、さっさと彼とは決別して新しい人生を生きるのだと割り切ったはずなのに。
これではまるで前世と同じだわ。
それでも、どうしても、彼を諦めたくないという気持ちが勝ってくる。
我ながら優柔不断だわ。でもそれもこれもみんなルベルト様のせいよ。
私のことはお構いなくと告げたのにぐいぐい押しかけて来て私に構い倒すからこんなことになったのよ。
……私を、抱きしめるからこんなことになるのよ。
おのれルベルト・オーヴェン。
今度私に会いにきたときに思いっきり鼻をつまんで仕返しをしてやるんだから。
そんなフツフツと湧き上がる怒りのオーラを遠くから飛ばしながら、私はひとりランチを続けた。
ルベルト様たちは食事を終えたらしく、ウェイターにチェックを告げて席を立つ。
店の中を歩いて行くルベルト様たちを、私は遠巻きに眺めた。
ま、アラベラさんたら笑いながらルベルト様の腕に触れたわ!
と思ったら反対を歩く男性にもさりけなくボディタッチですって?
ナチュラルに男性とスキンシップを交わすなんて、さ、さすがは未亡人といったところなのかしらっ?
はたから見ていると品がなくてはしたないと思ってしまうけど、男性はやっぱり綺麗な女性に触れられるのは嬉しいものなのかしら!?
まぁぁ~ハレンチですこと!
そんな風にプリプリと怒りながらプリプリでスパイシーなブルストをフォークに突き刺してパクっと食べた私の隣の席から笑い声が聞こえる。
笑い声の方に視線を向けると、そこには若い男性客が座っていた。
私と目が合うと、男性客は徐に席を立って私のテーブルの向かいの席に座り直した。
見ず知らずの人がなぜそんなことをするのか理解できない私はそれをポカンと見つめる。
すると男性客が笑みを浮かべたまま私に言った。
「突然失礼。いや、ずっとお嬢さんの隣の席に居たんだけど、キミの表情がコロコロと変わるのが可愛くて思わず見入ってしまっていたんだ」
「え、やだ私……諸々が顔に出ていましたか?」
変な顔をしていたのでは!?とその心配が先に勝って、見ず知らずの男性だというのに思わず言葉を交わしてしまった。
男性客は焦る私を見てさらに笑みを深める。
「それはもう。とても愛らしかったよ」
「愛らしい?」
妖艶な未亡人に嫉妬する身としては愛らしいと言われるより美しいと言われたいわ!……なんて、そんなこと考えている場合じゃないわね。
食事も終えたし、そろそろ戻らないとランチ休憩が終わってしまうわ。
私は男性客に挨拶をして席を立つ。
「せっかくのランチにお目汚しをして申し訳ございません、すぐに忘れくださいまし。では私はこれにて失礼いたしますわ」
私がそう言うと男性客も立ち上がり私の行く手を遮った。
「いや、楽しいランチを過ごさせてもらったお礼にここはご馳走させてくださいよ」
「いいえ。見ず知らずの方にご馳走していただくわけにはまいりませんわ」
「こうして縁あって席が隣り合わせになり、会話をしたんです。僕はもう、あなたにとって見ず知らずの人間ではなくなったわけですよ」
「いいえ、見ず知らずで赤の他人ですわ。だって私はあなたの名前も存じませんもの」
「嬉しいな。僕の名前を知りたいと思ってくれたんだ」
この人、しつこいわね。
名前なんて知りたくもないわよ。
ハッ!もしかしてこれがナンパというやつなの?
すごいわ。女学院で噂には聞いていたけれどそれが我が身に起こるなんて!
職業婦人にもなると、じつに色々な経験ができるわけね!
でも正直めんどくさいわ。
この人、早く諦めてくれないかしら。
さてどうしましょうと思いあぐねている私に男性客はこう言った。
「僕もあなたのことを深く知りたいな。どうです?なんならこれから……「失礼、私の婚約者が何か?」
男性客の言葉を遮るように聞こえたその声に、私は驚いた。
「「え?」」
いやだ、男性客と声が重なったわ。
よく知ったその声の主の方へ視線を向けると、やはりそこにはルベルト様がいた。
私と男性客の間に割り込むように。
私をその背に隠すようにしてルベルト様は立っている。
いかにも貴公子然とした佇まいで男性客を圧倒していた。というより男性客の方が勝手にルベルト様に圧倒されているみたい。
でもなぜ彼がここにいるのかしら?.
アラベラさんたちと帰ったのではないの?
私が思わず周囲を見渡すと、もう彼女たちの姿は見えなかった。
先に事務所に帰ったのかしら?
「ルベルト様、どうしてここに戻ってきたの?」
不思議に思った私が彼に尋ねると、ルベルト様は眉根を寄せて答えた。
「食事中にリルが同じ店にいると気付いたんだ。だけど他の連中もいたし、仕事の話もしていたからどうしようもなかった。だからチェックを済ませて同僚たちと別れて戻ってきたんだよ」
「なぜわざわざ?」
「リルがひとりで居るとわかったらそりゃ戻るさ。実際に戻って正解だったよ。まぁ俺とリルが今こうして話している間に、あのナンパ野郎はそそくさと消えたけど」
「え?」
ルベルト様の言葉を聞き、男性客がいた方へと視線を戻すとそこにはもう誰もいなかった。
「俺が婚約者だと言ったから慌てて逃げたんだろう」
「まぁ……」
呆れた。口も行動も全てが軽いナンパ男だったわね。
私は開いた口が塞がらないとため息をつく。
するとルベルト様は心配そうな表情を浮かべて私に言った。
「リル。一緒にランチが食べられなくなって本当に申し訳ないと思ってる。それにリルに会える時間も格段に減っていることもわかっている。だけどほんの少しの間なんだ。短い時間で必ずケリをつけるから、大人しく、 いてほしい」
「大人しくも何も、ただカフェでランチをしていただけよ」
「ひとりでだなんてダメだよ。害意のある物理攻撃や精神汚染は防げるけど、セクハラ系は守護精霊には判断が難しいんだ。手を握られたとか、肩を抱かれたとかくらいじゃ防御は働かない。俺がそれを腸が煮えくり返るほど許せなくても、だ」
「なに?なんのこと?なにを言っているの?」
ルベルト様の言葉の意味がわからなくて思わず首を傾げると、彼はため息をついた。
「とにかく、無茶はしないでくれ。頼むよリル」
「よくわからないけど……わかったわ」
「……ホントかなぁ……ホントにわかってる?」
「なによ!もう!」
「フガッ」
不安げにジト目で私を見るルベルト様の鼻をつまんでやった。
早くも仕返しができてラッキーだったわ。