アイリルと小父様
「……どうして父上がこちらに?」
例のごとく仕事の合間に私の勤める魔法店に来たルベルト様が眉根を寄せてそう言った。
「私が魔法を扱う店に来てはいかんのか」
重く静かな声でそう答えたのはルベルト様のお父上にしてオーヴェン伯爵家の現当主であられるドトルト・オーヴェン伯爵様よ。
「いけないということはありませんが、父上は魔法の類には一切興味がないでしょう?」
ルベルト様が訝しげにそう言うのを私は黙って見ていた。
まぁいつも厳格で生真面目で、一日の予定を分刻みに立ててそのとおりに行動する父親がいきなり街中の小さな魔法店にいるのだからルベルト様が驚くのは無理もないわね。
魔法店の店主ご夫妻はお客様なら何でもいいと、さして気にする様子もない。
でも相手が貴族で私の婚約者の父親だと知るや否や対応は任せると言って他のお客の接客にまわったけれど。
「一切興味がないわけではない」
小父様がそう答えたのを受け、私はルベルト様に事の次第を説明した。
「外に出たときに、ビルの付近にいる小父様をお見かけして私がお誘いしたの。お時間がよろしければ魔法店を覗いて行かれますか?って」
私の言葉にルベルト様は反応する。
「ビルの周りにいた?……父上、リルの様子に見に来られたんですか?」
「……たまたまだ。たまたま通りかかっただけだ」
「たまたまねぇ……」
前世のルベルト様は父親であるオーヴェン伯爵に対して畏敬の念を拗らせている感じがあったけれど、今世ではルベルト様の性格が違うおかげか良好な親子関係を築けているみたい。
こうやって砕けた話し方ができるくらいには、ね。
かくいう私も前世ではあんなに怖いと感じていたルベルト様の お父様に対して今は苦手意識すら抱いていないの。
前世は“伯爵様”とお呼びしていたのだけれど、今世は親しみを込めて“小父様”と呼ばせていただいている。
小父様は確かにとても厳しい方だけれど、それはご自身に対しても厳しく律しておられる。
厳格なのはそれだけ誠実で責任感が強いから。
息子たちにもそうであって欲しいと願う気持ちから厳しく、少々生真面目過ぎるくらいに躾や指導をされたのだと思う。
その弊害で前世のルベルト様は父親に甘えたことがなく、常に緊張感をもって接していたけれど。
それがわかれば不思議と怖いとは感じなくなったわ。
それどころか逆に不器用な方だなぁと可愛く思ってしまう。
「小父様、飴と鞭は使いようですわよ?」と言いたくなるくらい。
だから私も今世ではルベルト様のお父様とは上手くお付き合いができていると思う。
だけどいくら良い関係が築けていたとしても、いずれルベルト様と婚約解消となれば縁遠い人となってしまうのだけれど。
でもそれを今からとやかく言ってもはじまらない。
今はまだ、“息子の婚約者”として仲良くさせていただいてもいいわよね。
「小父様、こちらをご覧ください。これは“空気に文字が書ける万年筆”ですの。魔術により精製された特殊なインクでして、紙もペンも無いところでもサッとメモが残せますわ。“空中に書かれた文字を消す消しゴム”とセットでお買い得になっておりますわよ」
ついでにお店の売り上げに貢献してもらってもいいわよね。
「ほほぅ」
ふふ。好感触。
「あ、小父様。こちらは“グラスに注いだお酒が実際の量より少なく見える”魔術の術式ですわ。主の酒量にうるさい家令の目を誤魔化せる優れものですわね」
「ほほぅ。さっきの万年筆と併せて買おう」
「まぁ、お買い上げありがとうございます♡」
「父上がいいカモにされている……」
「小父様、この後お時間があるならご一緒にお茶にしません?近くに素敵なカフェができたんです」
「よし、行こう」
「嬉しい♡」
「リル、そのカフェには俺が誘おうと思って来たのに」
「もぅ仕方ないわねぇ。ルベルト様もついて来たらいいじゃない」
「雑な扱いヤメテ」
「ふふふ」
私とルベルト様のやり取りを、小父様は黙って聞いていらした。
眼光鋭く眉間にシワが刻まれているのが標準装備の小父様だけれど、いつもよりほんの少し口角が上がっているのを私は見逃さなかったわ。
その日は私とルベルト様、そして小父様という珍しい顔合わせのランチとなった。
多分……これが最初で最後の機会となるでしょうけれど、長生きすると決めた私の人生の中で切なくも楽しい思い出となるのは間違いないと、そう思ったの。