第一章 8
ホワイト・ベルは、紅茶を飲んだ。
まだ熱く、液体を唇に付けただけだ。ベルの目の前には、ラムネがいる。ラムネの前には、紅茶が入ったカップがある。ベルの部屋で、夕食の時と同じ椅子に座っている。
「昨日、灰猫と会ったみたいだね」ラムネが言った。
「うん」ベルは頷いた。
「彼女を逃がした甲斐があった?」
逃がしたとは、軍からのことだろうか。
「まぁ、楽しそうだったけど」ベルは答える。ラムネは、目を細めてジッとベルを見つめる。
「なにかおかしい?」ベルはきいた。
「いや」
「そういえば、灰猫のコピィがいるらしい。第四位の量産化に成功したみたいだ。彼女もそれを知らなかった」
「そうみたい」ラムネは平然と答えた。
「知ってたの?」
「噂程度には」
「他にも、同じような技術を保有している組織があるのかな?」
「あるとしても、第四位のコピィほどの危険度はない」
「まぁ、そうかな」
「それに、実戦で利用出来るようなクオリティではない。保有している側にも、多大なリスクが伴う」
「ふーん。そうなの?」
ラムネは頷いた。どうやら、詳しく知っているようだ。どうやってそんな情報を仕入れているのだろう。
「最近話題になっている、ハイジという人を知ってる?」ベルは話題を変えた。
「程度による」
「その人が誘拐された現場を、簡単に見てきたんだ」
ラムネは、優雅に紅茶を飲んで、カップをテーブルに置いた。ゆっくりと滑らかな動きだ。洗練されている。
「どうやって?」ラムネが質問した。
「タンブリンマンから捜査協力を頼まれて……、いや、そこまで正式なものでもない。ちょっとした疑問があったみたいだから、僕にきいたんだ。一応、実演を交えて回答したんだけど、どうやらそこが、ハイジの眠っていたところらしい」
「それで?」
「それにイエローサブマリンが関わっていたらしいんだ。それをなぜか、ネオンが知っていた。イエローサブマリンが関わっているかどうか、どうやって知ったんだろう?」
ラムネは、ゆっくりと瞼と閉じた。ベルは、ラムネのまつ毛をジッと観察した。相手が目を瞑らない限り、まつ毛をちゃんと見ることなんてない。いつ見ても、綺麗な形だ。全てのパーツが完成されている。エンプティよりも綺麗な人がいるはずがない、とラムネがいなければ断言していただろう。
ラムネと目が合った。どうして、ラムネの顔を見てしまうのだろう。それがわからないベルだった。
「イエローサブマリンは、本当に関わっているの?」ラムネが言った。
「さぁ、どうなんだろう?ネオンは、そう思ってるみたいだけど」
「名乗らない人物を誰なのかを当てるのは、普通の人には無理だ。君みたいに目があれば別だけど」
「うん」
「あまり気にしない方がいい。意味があるとも思えない」
「それはそうだね」
「何十年も化石の発掘している男が、土を掘っている最中に大喜びした」ラムネは淡々と話した「それを見た周り人は、どう思う?」
「なんの話?」
「なんでもない。意味もないし、価値もない」ラムネは紅茶を飲んだ。ベルも、カップを口に付けた。火傷しない温度まで下がっていたので、一口飲んだ。ラムネが淹れてくれた紅茶は、同じ茶葉のはずなのに、明らかに美味しい。
このように、この世に不思議は幾らでもある。でも、全てを知りたいとは思わない。ネオンの悩みも、自分とは無関係だ。ベルはカップを置くと、そう思えた。
「最近、君の睡眠時間が減っている」ラムネが言った。ベルはラムネを見ると、こっちをジッと見ていた。
「そうかな?確かに、仕事で忙しいけど。疲れてるわけじゃないし」
「睡眠を減らすより、仕事を減らす方が一般的だ」
「そうだろうね」
「ムーンウォーク計画は、順調に進んでいるように観察される。ドイツに決まりそうだから、君の望みは叶うだろう」
「うん。でも、ベイビィ・ブルーは十五年のブランクがあるし。エッグマンでその実力を多少は証明出来たけど、疑う人もいるだろう」
「ベイビィ・ブルーに勝てる人がいないのに、その実力を疑う人がいる」ラムネは皮肉っぽく笑った。
「それに、実力だけじゃなく、普段の態度とか性格も審査基準に含まれるらしい。大金が掛かっているから、失敗が出来ない。世間の反感を買うような人物を選ぶわけにはいかないみたい」
「君の苦手分野だ」
「そう。ホントに疲れる」ベルは溜息の途中で無理やり笑顔をつくった。まだ平気だよ、というサインだが、伝わるかは不明。
「悪い兆候が出ているのに気づいている?」
ベルはよくわからなかったので、眉を顰めて黙った。
「仕事量を減らした方がいい」
「うん。とても素敵なアドバイスだと思う。僕もそう願ってる」
「君がなにを考え、月に拘るのかは知らないけど、それは生きている時間より些末な問題だ」ベルはラムネが言った言葉を理解するのに時間が掛かった。否。時間が経ってもよくわからなかった。生きている時間が長くても、無意味な時間を過ごしていれば、価値が低いのではないだろうか。
「ラムネは、ハイジという人が、なんで蘇生を願ったんだと思う?」ベルは話を変えた。ラムネがどう思うか、興味があったからだ。
「会いたい人がいた」ラムネは答える。
「会いたい人?死ぬ前に、会ってたんじゃないの?」
「その後の様子を見たかった。だから、十年も時間を空けた」
「ああ。なるほど。でも、死んでも興味がある人がいるなら、死ななければ良かったのに」
「死ぬことにも興味があった。今の状況は、どちらも叶えている」
「んー。難しい人格だね」
「さぁ。実際のところは知らない。こう考えると大きな矛盾がないというだけ」
「他にはなにかあるかな?」
「今、思いついたのは、これくらい。それ以上考える必要がある?それよりも、君の生活を改めた方がいい」
「随分と、心配してくれるね」
ラムネは、睨むようにベルを見た。
「また、失敗を繰り返すつもり?」ラムネは紅茶を飲んだ後に言った。
どの失敗のことを言っているのだろう、とベルは考えた。失敗ばかりだ。繰り返さない為にも、今は頑張るしかない。方向転換もスムーズに出来た。
後は、パフォーマンスだけだ。それだけなのに、溜息が出るのは、どうしようもなく、自分に向いていないからだろう。ラムネの言う通り、ほどほどにしないといけない。
どこかの誰かのように、死んでやり直すわけにもいかないからだ。