第一章 7
「なにをしたらこうなるの?」灰猫さんが、ベルさんと私に言った。
あの後直ぐに、灰猫さんは腕を解いて避けてくれた。そして「ごめんね」と謝った。その必要はないだろう。ベルさんが、軽やかに駆けつけて、具体的には、十メートルほどのジャンプを繰り返しながら、直ぐ隣に着地した。三人が揃って、灰猫さんが言った。
私は、服の汚れを払った。ただ、見た目は汚れてはいない。傷もついていなかった。
「僕は殆どなにもしてないよ」ベルさんが言った。「十分しか見てないし」
二人の視線が向けられたので、なにかを喋らなければならないのだろう。負けたのに、なにを話すのだろう?
ベルさんのお陰です、というのだろうか?それは、ベルさんの顔に泥を塗ることにならないだろうか?
「私は、なにも……」言葉が思いつかなかったので濁した。二人の顔をちゃんと見られない。
「電線で一回転したのは、練習してたの?」灰猫さんが言った。
「僕も初めて見た」ベルさんが答える。「面白かった?」
「うん。私に一発当てるなんて、普通じゃない。エッグマンから一ヵ月しか経ってないとは思えない」
「あの時は、殆ど初心者見たいなものだった。それでも、あれだけ活躍したんだから、才能があるんだろう」
「私が元いたところにその訓練方法を教えると、お金を出してくれるだろうね。具体手には、どんな方法でやったの?」
「この電柱を跳びまわるのと、バットキャッチと、鬼ごっこくらいかな」
「バットキャッチか。まぁ、それくらい出来るだろうね。でも、それを十分間だけ?」
「いや、僕が見ている時間がそれだけで、それ以上に、自主練をしているね。だから、ネオンの実力だよ」
「うん。ベルがおすすめする理由がわかった」
「もう、いいです」私は言った。「結局、負けましたから」
二人は、お互いの顔を見た。
「ね。面白いでしょ」ベルさんが言った。灰猫さんは笑った。
「まだまだ、成長するだろうね。私がいたとこでさえ、私から、一分も逃げきれると思ってるやつはいなかった。それに、油断はしてなかったのにな」灰猫さんは地面を見た。「えっと、なんだっけ。イエローサブマリンについてだよね。ネオンが知りたい情報かどうか知らないけど、言えることもある」
「えっ?いいんですか?」私はいった。
「見事な一撃だったからね」
私はベルさんを見た。
「僕は、蹴りを貰ってないし」ベルさんは言った。つまり、自分からは、話すことはないらしい。
「生き残りがどうしてるか、だったっけ?」灰猫さんは言った。
「はい」
「初めに、言っておくと、私は詳しく知っているわけじゃない。あの戦争も、私が生まれる前の出来事だし。ただ、私がいた軍も、関わってはいたから、噂話はきいたことがある。仕事上知ったことは言えないけど、食事中の会話内容なら、別にいいか。……。まず、生き残りがいるのかどうか、確かなことは知らない。恐らくいるだろう、と推測されている。ただ、その推測も根拠があるわけではなく、経験上の勘のようなものらしい。網で魚を捕るのと同じと言っていた。どれだけ緻密な作戦を練っても、どこかには生き残りがいる。網を潜り抜けるやつとか、網の外にたまたまいたやつとか。そういうやつが、いるだろうとは言われていた。ただ、その生き残りも、表立ってなにかをしたことはない。彼らの聖地も落ち着いているし、名乗るやつもいない。それでも、エンプティパイロットとしての能力を活かした仕事をしている確率は高いらしい」
「彼らはパイロットとして優秀だったんですか?」私はきいた。
「だから、彼らを制圧する為に、世界中から選りすぐりのパイロットを集めたんだ。世界ランカのトップ3が招集されたし。敵は皆、優秀だったみたい。敵の中に、二人だけ突出したやつがいたらしい。その二人の噂は絶えない。現地にダイヴしたパイロットは、口を揃えて化物だ、と言ってた」
「へぇ」少しだけきいたことがあった。
「それである時、私より?ときいたことがある」灰猫さんは、少し微笑んだ。「すると、もちろん、と返された。私でも一分も、もたないらしい」
「それは、正常な判断ではないんだと思います」
「私も、話半分にきいてるよ。ただ、そんなやつが、裏の世界にいるんだとしたら……。ベルなら、嬉しいんじゃない?」
「さぁ。あまり期待してないかな」ベルさんは直ぐに答えた。
「それで、その優秀な二人は、どうなったんですか?」私はきいた。
「一人はわからない。聖地に残ったのは、エンプティドールの残骸と、専用端末をセットした死体と、それ以外の死体だったらしいから。誰が誰なのかは、不明だよ。もう一人は、死んだと噂されている。エース・アプリコット。知らない?」
「もちろん、名前はきいたことがあります。それじゃ、死んでいない可能性もありますよね?」
「そうかもね」
「その二人じゃなくても、イエローサブマリンの残党のパイロットたちに仕事を依頼したい時は、どうコンタクトをとればいいんですか?」
「たぶん、優秀なパイロットに依頼すれば、その人がたまたま、イエローサブマリンの残党だった、というだけだろうね。素性を明かすような情報を残しているとは思えない」
「やっぱりそうですか」少し残念だ。でも、身元がわかっているなら、野放しになっていないだろう。
「ベルは、あの二人の噂を知っている?」灰猫さんはきいた。
「うん。知ってるよ。とても……よく知ってる」そう答えたベルさんの表情は、どこか悲しそうだった。