第一章 2
とても美味しい夕食だった。
夕食は、ベルさんの部屋で食べる。ベルさんの部屋は、その大きさに比べて物が圧倒的に少ない。私とラムネさんの部屋を背中に見た時、左側の壁の左端に大きなドアがある。そこが、外への出入り口だ。右側の壁には、ドアが一つもない。それは、私の部屋と同じだ。正面の壁には、ドアが三枚ある。左側がキッチン、真ん中が浴室、右がトイレだ。
そして、部屋の中央より、私の部屋のドアに近い所に、デスクがある。そこに、端末が置いてあり、ベルさんは大抵、そこにいる。外へのドアが見えるように座っている。
キッチンに近い所に、食事用のテーブルがある。大きなテーブルで八人がゆったりと座れるほどの大きさだ。そこに、椅子が四脚並んでいる。キッチン側にラムネさんが座っている。その対面にベルさん。私はベルさんの左側に座っている。これが、定位置だ。私の前には、誰も座っていないし、誰かが座った所を見たことがない。そもそも、ここにお客さんが来ることはない。
場所が特定されていないことが、メリットになるからだ。全く不要の椅子があるのは、高級だから捨てられないのか、捨てるのが面倒なのか、どちらかだろう。そして、ベルさんの部屋にあるのは、殆どこれだけだ。後は、フットレストに、マットだけだ。マットの上には、薄手の毛布がある。
そして、トイレの右側に、約二メートル四方の大きな箱がある。これは、金庫兼シェルタでベルさんがブラックボックスと名付けている。中に人が入れるタイプだ。この中に、色々と収納しているのだろう。金庫の名前を知ったのは、ベルさんがイオと話していたのを聞いたからだ。あの中に、なにが入っているのかは秘密らしい。
ただ、私たちがいる部屋自体が、簡易のシェルタのようなものだろう。コンクリートの壁を叩いた時の手応えで、なんとなくわかる。
夕食の時は、誰も話さない。とても美味しい料理だから、行儀良くしているのだろう。それに、ラムネさんの食事作法は、普通じゃない。悪いわけではなく、とびっきりのお嬢様なのだ。そして、顔もスタイルも人形のように綺麗だ。どこにも不自然な所がない。整形をする必要がない。それどころか、完璧で理想的だ。ただ、いつも帽子を被っている。そして、ミリタリィというか男性的な服装だ。恰好だけが不自然だ。白いワンピースは、ラムネさんの為に存在すると言っても過言ではないのに、いつも同じ格好なのだ。
本当は、ラムネさんはエンプティなので、服が汚れないから、いつも同じ格好なのではないだろうか、と疑いたくなるほどだ。これが、人間なんて信じられない。
ベルさんは、可愛い顔だ。少し幼く見えるが、歳は二十五歳位だろう。ラムネさんは、それ以下だと思う。尋ねても答えてくれないだろう。
ベルさんは、三人の中では、一番、体の凹凸がある。肩がこるのではないだろうか?いつもラフな格好をしていて、動きやすいかどうかで服を選んでいるようだ。今日は、Tシャツに半ズボンだった。Tシャツ越しに、下着が透けて見えるが、気にしていないようだ。
この人が、世界ランク第七位のホワイト・ベルなのだ。エンプティパイロットとして、第一線で活躍している。ただ、つい一ヵ月前に、突然、引退を発表した。
そして、現在は、世界ランク第一位ベイビィ・ブルーとして、毎日、世界中を飛び回っている。
ベイビィ・ブルーは、十五年前に引退していた。何十年も、第一線で活躍し続けて、消えるように姿を見せなくなった。
そして、なぜかベルさんが、ベイビィ・ブルーのエンプティを所有しており、現在は、その名を使っている。いつ、どこで、ベイビィ・ブルーと知り合ったのかは不明だ。きいても誤魔化された。ただ、ベルさんが活動を始めたのは、十二年前からなので、接点はないはずである。
ただ、わかっている事実だけを見れば、ベルさんは、ベイビィ・ブルーのエンプティを所有しており、現在は、その名で活躍している。世間は、パイロットがすり替わっていることに、気づいていないようだ。それどころか、レジェンドが戻ってきたことに、舞い上がっている。また、消えてしまわないように、煽てているのだろうか?
ベイビィ・ブルーの特徴としては、その名前の使われ方だ。例えば、ホワイト・ベルやネイビィ・ネオンは、その人物を指す名前だ。つまり、生身の私やベルさんを指す。ただ、ベイビィ・ブルーだけが、とあるエンプティドールのことを指す名前だ。
つまり、そのエンプティにダイヴ出来れば、誰だってベイビィ・ブルーとなる。そのエンプティの名前がベイビィ・ブルーなのだ。それは、ベイビィ・ブルーが活躍していた時代の影響もあるらしい。その当時は、高性能なエンプティがごく少数だった。だから、エンプティ毎の性能の違いが如実に現れただろう。その為、ベイビィ・ブルーのあのエンプティを、わざわざ移動させて、それにダイヴしていたという。これは、エンプティの本来の使い方とは、かけ離れている。
世界中にステーションを建設して、そこにエンプティを常備させる。そうすることで、いつでも、誰でも、世界中に簡単に移動することが出来る。自分の分身が、常に世界中にいるみたいなものだ。そこにダイヴするだけという手軽さが、エンプティの売りなのに。ダイヴさえしてしまえば、あとは、自分の体を動かせば、エンプティが勝手に動く。専用端末が脳波か電気信号をキャッチしているらしい。
「忙しそうですね」夕食の後、コーヒーを飲みながら、私は言った。ラムネさんは、自分の部屋に戻って行った。だから、今は私がラムネさんのいた、ベルさんの正面に座っている。
「まぁね」ベルさんは溜息をついた。「つまらないけど」ベルさんは呟いた。視線は、テーブルの上に向けられている。世界一位なのに、なにが足りないのだろう?
「ホワイト・ベルとしては、活動しないんですか?」私はきいた。
「引退したしね」
「世界ランクは、どうなるんですか?八位から下の人は、一つずつランクが上がるんですか?」
「うん。そうなるだろうね。僕は、まだ、第七位になってるけど、ホントに引退したと、そろそろ気づくんじゃないかな?」
「でも、ベイビィ・ブルーは、ずっと一位でしたよね?」ベイビィ・ブルーは、十五年前に消えてからも、ずっと世界ランク第一位だった。
「それは、引退宣言をしたわけじゃないし、表舞台に現れていないだけだと、思ったんじゃないかな?直ぐに戻ってくるって。それに、第二位以下が異論を唱えなかったし」
「もう、伝説ですからね」
「そうなの?」ベルさんは、こっちを見た。
「はい。エンプティパイロットと言えば、ベイビィ・ブルーでしたから。私が物心つく前の人でしたけど、それでも、憧れました」
「ふーん。そんな人も多いみたいだ。子どもが会いたいと言ってくるんだ」ベルさんは、つまらなそうな顔をした。
「会えばいいじゃないですか?」
「なんで?」ベルさんは目を開いて、キョトンとした表情をした。ホントにその理由がわからない、という顔だ。
「会って動画でも一緒に撮ってあげれば、好感度が上がるんじゃないですか?」
「人気になりたいわけじゃないし」
「でも、ベイビィ・ブルーとして、そう振る舞ってもいいんじゃないですか?ホワイト・ベルじゃないんですから」少しだけ棘があるかな、と自覚した。
私の憧れのベイビィ・ブルーに、ベルさんがすり替わっているのが、まだ、許せていないからだ。
「周りがどう思っても、僕には無関係だし」ベルさんは、コーヒーを飲んだ。
だったら、ベイビィ・ブルーの名前を語るな、と言いかけて飲み込んだ。ゆっくりと鼻から息を吐いて、深呼吸した。コーヒーを一口飲む。いい香りだ。
でも、他人の名前を使っているのだから、もう少し大事にしてもいいではないか?
「ハイジさんについてどう思いますか?」私は話題を変えた。
「どうも思わない」ベルさんは、私をジッと見て言った。口が僅かに開いて、そして、閉じた。なにかを言いかけたようだ。
「なんですか?」私はきいた。
「なんでもない」
「知ってますよね?」私はきいた。ハイジのことを、ベルさんとはまだ一度も話していない。
「目を覚ました、というのは。それ以外は知らない。興味もない」ベルさんは、素っ気なく答えた。
「十年間死んでいて蘇生する、というのは、なにか意味があるんでしょうか?」
「意味?」ベルさんは、首を傾げた。
「それをする理由です。遺書によって蘇生されたわけですけど、それなら、死ななければいいじゃないですか?」
「そうだね。………」ベルさんの瞳が上を向いた。三秒の沈黙。「その通りだと思う」
「でも、ハイジさんはそれを行ったわけですよね。なにか、メリットはあるんでしょうか?」
「さぁ。なにも思いつかない。例えば、なにかの作業をやっていて、それに疲れたなら、ゆっくり休めばいい。一週間くらい、なにもせず横になったまま眠るか、ゲームでもするか、そんな休息をとればいい。大抵の疲労はそれで癒えるだろう。マッサージを受けてもいいし。エンプティにダイヴしても、ヴァーチャルに行っても、死ぬよりは、元気になる」
死ぬよりは、元気になる。
なんか、いい響きだなと思った。ジョークだろう。
「死んだら疲れたとか、そんなことを感じないんじゃないですか?」私はきいた。それを生きている人にきいても、意味がないのは自覚している。
「ないだろうね。でも、生きるつもりなら、死なない方がいい。蘇生した時に、脳が正常に動く保証はないし、筋肉も衰えているだろう。死ぬ以前の方が、肉体的には、健康だったはずだよ。それに、ハイジという人が、どんな状況で保管されていたのかは知らないけど、もし冷凍保存されていたなら、初期投資やエネルギィや電気代がバカにならない。仕事をせずに豪華な食事を食べ続ける方が、金銭的にもお得だ」
「やっぱり、冷凍保存なんでしょうか?」それは、私も考えていたことだ。
「さぁ。わからない。でも、十年経っても肉が腐らずに、更に活動できる状態に保存するなら、それが一番いいと思う。体を新しい細胞に取り換える方法もあるけど。同じ人間になるのかな?……どんな状況だったのかは、わからないの?」ベルさんは首を傾げた。
「はい。まだ、わかりません」
「イオ。記事を選んで」ベルさんが言った。
AIのイオが、ハイジに関する記事を、テーブルの上にホログラムで表示させた。私たちの会話の内容を聴いていたのだ。表示された記事は、どれも読んだことがあるものだった。ただ、綺麗にまとめられている。
「死因はわかってるの?」ベルさんは、記事を見ながら言った。
「はい。ゴッドドリームの過剰摂取が原因です」私は答えた。
「もし、冷凍保存をするのだとしたら、なるべく早く誰かに見つけて貰わないと困るね。そもそも、冷凍保存自体が、死んでいるみたいな状態だから、死んでから冷やす必要がない。蘇生した時に、障害が残るリスクを高めるだけだ。蘇生出来ない可能性だってある」
「遺書の内容は、わかっていませんが、それでも、ちゃんと準備はしていたんだと思います。生き返るんですから、その時に、困らないようにするのが普通です」
「普通は、死んでも生き返ろうとは思わない。ただ、死にたいと思うだけだよ」ベルさんは、直ぐに答えた。
「ちょっと、調べたんですけど」私は、間をおいた。「ハイジさんは、相当な資産家だったようです。親の遺産を引き継いだようで、ハイジさん自身は、仕事をしていません。ただ、個人研究を行っていたそうです。理系でしたけど、医学とか生物学の分野ではありませんでした。詳しくは知りませんが、エンジニアやソフト関係らしいです」
「引き継いだって、親は死んだの?二十二歳だったんだよね?」
「はい。両親は、ハイジさんが、二十一歳の時に亡くなっていました。死因は、病死らしいです」
「病死……」ベルさんは、繰り返して黙った。
そう。十一年前に、病死という死因は、不自然だ。一体、どんな病気なら直せないのだろう?奇病だったとしても、悪い部分を全て取り除き、新しい細胞を取り入れれば、生き長らえるはずだ。
「現時点でわかっているのは、この位です。ここからは、私の推測ですけど、ハイジさんは、ハコブネについて、なにか知っています。なので、ハコブネと同じ方法で死亡しました。ただ、この世に少しだけ未練が残っていたんです。でも、引き返すことも出来ない強い力が働いていました。それで、自殺をして、そして、蘇生する準備も行っていたんです。もしかしたら、周りの人間にも知らせていたかもしれません。いえ、周りが知っていたのは、確かだと思います。そして、死ぬと同時に、もしかしたら、死ぬ少し前に冷凍保存をされたのだと思います。予め、カプセルの中で横になっていたのかもしれません。そして、残していた遺書通り、十年後、蘇生されました」
「願望でしょ?」ベルさんは私の目を見ずに、直ぐに答えた。コーヒーを飲んで、カップに視線を落としている。
確かにその通りだ。これは、私の願望だ。
「どこか、矛盾がありますか?」私はきいた。
「いや。ただ、現時点でなにもわかっていない。予想も推測も意味がない。そういうのは、もう少し情報が集まってからするものだよ」ベルさんは、こっちを見た。
「それはそうですけど……」返す言葉もない。
「なんで、十年も死んだままだったの?未練があるなら、一ヵ月とか一週間で生き返ればいい」
「そうですね。でも、直ぐに生き返ったなら、今以上に話題になったはずです。今後の生活にも支障をきたすと考えたんじゃないですか?」
「今も、十分に話題になっている。関心がない僕が知ってるんだから」
「そこまでは考えていなかったとか。もしくは、ハコブネの関係者というか、親玉みたいな人が十年もすれば、この世にいないと思ったんじゃないですか?」私は思いついたことを言った。
「ハコブネは、宗教団体かなにかなの?サイトの名前でしょ?」
「そうですけど、十二万人も一斉に自殺したんですから、宗教的な意味合いがあるんじゃないですか?」
「死んだ人は、文字通り、死ぬほど信仰していたの?」
「全員がそうだったわけじゃないと思います。少なくとも例外はあります」私は、とある光景を思い出した。
広い部屋。
静かな部屋。
高い天井。
ファンが回る。
人形。
明るい部屋。
幸せな部屋。
幸せだった部屋。
幸せだと思えた部屋。
コーヒーを飲んだ。黒い液体に反射した私の瞳は、鋭く冷たかった。
静かに深呼吸。
「でも、騙された人もいるはずです。だから、相当な知性が関わっていたことは確かです」私は言った。
「それはそうかもね」ベルさんは同意した。
「ベルさんは、ハコブネについてなにか知りませんか?」ベルさんの顔をジッと見た。
「当時、話題になったからね。箝口令が出されるまでは、それなりに調べもした。ただ、それほど、詳しいわけじゃない。僕の立場でしか知りえない情報なんて回ってこなかった。知り合いに直接の被害があった訳じゃないし。ネットで調べた程度の情報しか知らないよ」
「真相は知りませんか?」
「知ってたら……有名人になってしまうね」ベルさんはジョークを言った。目を少し細めて頬を緩めている。
「自分の中で、どうやって処理したんですか?不思議じゃないですか?十二万人も被害が出たんですから」
ベルさんは真面目な顔になり、こっちを見た。目と目が合う。
なにか多くの情報が行き来している気がするが、私には受信する能力が備わっていない。
「不思議な点は、同時に自殺したことだ」ベルさんは、ゆっくりと発音した。「同時である理由がわからない。例えば、過去にも宗教団体が集団自殺を行った例があった。一緒に死ぬことで、世間に自分たちの結束とか、意思のようなものを訴えようとしたんだろう。実際に、なにかしらの声明があったのかもしれない。大勢の人の死は、多くの人が興味を持つだろう。どうして、そんなことをしたのかなって。でも、ハコブネには、その言葉がない。社会に反発しているわけでも、追いつめられているわけでもない。自殺した人たちは、生活に困っている人ではなく、どちらかというと、十分な教養もあり、裕福な人たちが多かった。職業もバラバラで、無理やり共通点を見つけ出すとすれば、若い世代が多いくらいだろう。十代から三十代が八割以上だった。そんな人たちが一斉に自殺したわけだけど、意見があるわけじゃないんだったら、一斉である必要がない。僕はなにかしらの声明があるのだろう、と探したけど、それらしいものは見つからなかった。それどころか、十二万人が口を揃えて黙った。要求がなにもなかった。宗教絡みで、一斉自殺するなら、それらしい声明があるはずだ。例えば、素晴らしい教えが存在して、それを公開することで、今まで以上に信者を集めるとか。世界を救済する為に、十二万人は英雄になるとか、全世界の人たちは支配者に騙されているとか、そんなことがあってもいいと思った」ベルさんは、そこで黙った。そして、大きく息を吐いた。「いや。そんな理由を見つけて安心したかったんだと思う。どこかから大きな力が働いていた。バカな信者が、それを信じて自殺した。自分はそうじゃない。自分は騙されない。どんな教えがあったのか、その教えの矛盾点を見つけて、安心したかった。騙された人たちをバカにしたかった。同じような話があっても、回避出来るように備えようとした。だから、あんなにも探したんだろう。でも、それは間違っていたと思う。自分を守る為の行為だとしても、すべきじゃない。それは、人の立ち位置みたいなものかなと思う。だから、僕は、関わらないことにした。真相はわからない。不思議だ。でも、そんなもの世の中には溢れている。自殺は、犯罪じゃない。どんな理由があろうと、その自由は尊重すべきだろう」ベルさんは、静かにゆっくり、冷静に言った。
まるで、私を諭しているみたいだ。ベルさんがこんなにも話すなんて珍しい。私の過去を知っているから、話してくれたのだろう。その気持ちはわかる。それがベルさんなりの優しさなのだろう。
「私も、そうやって無関係でいたかったです」私は勝手に喋っていた。「でも、もう後戻りは出来ません。それに、私は遊びでやっているわけでも、好奇心で動いているわけでも、自分を守る為に調べているわけでもありません」
また、ベルさんと目が合った。
今度は私が、なにか意志のようなものをテレパシィで発信した。ただ、ベルさんには伝わらないだろう。
沈黙。
「そう。それも自由だった。ただ、ハコブネに出されている箝口令は、調べ回るのも犯罪になっている。ネットへの書き込みも詮索も、自殺を扇動しているという認識になっている」ベルさんは言った。
「知ってます」
「どうするつもりなの?」
「本来は、ハイジさんの言葉を待つつもりでした。それだけで十分でしたし」
ベルさんは頷いた。
「ただ、誘拐された以上、見つけるしかありません」
「それは、警察の仕事だよ」
「見つけられるなら待ちます。でも、その保証がないなら、自分で動くしかありません」
「うーん」ベルさんは、眉を寄せた。「僕はそもそも、ハイジという人が、それほどハコブネに関わっていない気がする。ただ、時期が重なっただけかもしれない」
「それはありません。ゴッドドリームで死んだんですから。偶然とは言えないと思います」
「そうだとしても、ハコブネについてあまり知らないかもしれない。二十万人の死者を出したハコブネだけど、最初に死んだ十二万人と、それ以外じゃ大きな違いがある」
私は頷いた。全く同じ意見だ。
「後の八万人は、多分、流された、という表現に近い。そういう流行だった。最初の事件で、社会全体が不安定だったし、オカルト的な噂も錯綜していた。皆の不安が増幅されていた。その結果かもしれない。だからこそ、死に方が統一されていない。それこそ不自然だ。十二万人がピッタリと一致したのに、後の人たちは、時間も方法も違っている。声明こそだしていないハコブネだけど、そこを揃えないと同一のものかどうかも、わからなくなる。意味が薄れてしまう。ネオンも、さっき十二万人と表現していたけど、その最初の人たちこそが、なにかしらの共通思想を持っていたはずだ」
「はい。私もそう考えてます」
「そのハイジは、どっちなの?」
「まだ、わかりません」
「生き返るというのが、不自然だ。死という不可逆な行為だからこそ、大きな意味と力を持っていたのに、生き返りました、じゃそれが薄れる。恐らく、後の八万人の方だと思う」
「そうかもしれません」私は否定出来なかった。同じことを考えていたからだ。「でも、なにか知っていた可能性もあります」
「そうだね。可能性はある。例えば、ハイジは、十年前にハコブネについてなにか知っていたかもしれない。でも、十年前に死んだんだ。記憶が元通り、人格が同じ、という保証はない。むしろ、全く別の人格という可能性もある」
「その辺りは、どうなってるんですか?私は専門外なので、あまり知りません」
「僕も専門外だ」ベルさんは、コーヒーを飲んだ。
私もカップを口に付けた。もう、温くなっていた。このテーブルには、温め直す機能も、保温する機能も備わっていないからだ。
「例えば、生きたまま冷凍保存された場合は、記憶は維持されますか?」私はきいた。
「されるだろうね。そうじゃないと意味がない。ただ、どこかに障害が残るリスクは十分にあるはず。絶対に安全な方法とはいえないと思う」
「では、死後、直ぐに冷凍保存した場合はどうでしょうか?」
「死因によるんじゃない?」
「ゴッドドリームの場合はどうですか?」
「さぁ。その睡眠薬について詳しくはないし。ただ、冷凍保存以前に、その場ですぐに、蘇生措置を行った時に、記憶が残る死に方かどうか、というのが関係するだろうね。少なくとも、脳の一部を破損した場合は、全く同じ人物というわけにはいかないだろう。死んでから蘇生までに掛かった時間も重要だと思う。冷凍保存の場合は、どれだけ早く、冷却されるかが鍵になると思う。ただ、これは僕の想像だ。現代の最先端の医療を知ってるわけじゃない。僕はただのエンプティパイロットだから、正しくないと思うよ」
「はい。でも、私が調べた知識と同じです。ですから、ハイジさんが、死後、直ぐに冷凍保存されたなら、記憶を引き継いでいる可能性はあります」
「冷凍保存されたという情報は確実ではないんじゃなかったっけ?」
「そうですけど、でも、蘇生するつもりなら、記憶を引き継ぐはずです。そうじゃなきゃ、意味がないじゃないですか?」
「子どもをつくるより、自分に遺伝子情報が近い。というより、全く同じだ。記憶がなく人格が違っているだけ」
「そんなの意味がありません。自分と別人格で、記憶もないなら、生き返りたいと思わないんじゃないですか?」
「一般的にはそうだろうね」
「ハイジさんは一般的ではないと?」
「生き返りたいなんて、一般的じゃない」
「うーん。そうですね」私は同意した。「ですが、ハイジさんは誘拐されました」これは考えていたことだ。
「記憶が無いなら、生まれたての大きな赤ちゃんを誘拐したことになります。これほど注目を浴びている人物を、誘拐するメリットがありません。本当の赤ちゃんを誘拐した方が、利用価値がありそうです。でも、リスクを冒してでも、ハイジさんを誘拐したんです。それは、ハイジさんの持っている記憶に関係すると断じても、おかしくないんじゃないですか?」私は言った。
ベルさんは、カップに視線を落とした。
「確かにそうだね」ベルさんは頷いた。
「誘拐されたことにより、記憶を持っている信憑性が増したんです」
「もしくは、現在は忘れているかもしれないけど、十年前には、重要な情報を知っていた」ベルさんは補足した。
「どちらにしても、調べる価値があると思います。むしろ誘拐されたことにより、ハイジさんの持っている記憶の価値が上がりました。そして、恐らく誘拐犯は、十年前のハイジさんを知る人物か、ハコブネに関わっていた人物だと思います。もし、ハイジさんの記憶が失われていたとしても、誘拐犯を見つけられれば、そこから、ハコブネに関する情報が得られるかもしれません」
「なるほどね」ベルさんはコーヒーを飲んだ。首を曲げてカップを持ち上げたので、最後の一口だったようだ。
「それで、ハイジがいた所、誘拐された所、そして誘拐犯についての情報はあるの?」ベルさんは、カップをテーブルに置いて言った。
「今は捜索中です。でも、逃しません」
「慎重に動かないと犯罪者になっちゃうよ」
「はい。大丈夫です」
「もういいかな?最近、忙しいんだ」ベルさんは、立ち上がろうとした。デスクに戻るつもりなのだろう。
「最後に一つだけ。なんで、ハイジさんは、生き返ろうと思ったんでしょうか?」私はきいた。
「さぁ、死すらも、やり直したかったんじゃない?」