第三章 5
「えっ?どういう意味ですか?」私は驚いてベルさんの顔を見た。
「わかったんじゃないの?」ベルさんは、こっちを見た。
「いえ。ダイキさんが、ハイジさんを殺した、というか、誘拐と殺人を依頼した犯人なのですよね?」
「違う」ベルさんは否定した。
「えっと。なんですか?彼がハイジ?」私はベルさんとダイキさんの顔を交互に見た。チキンとあだ名を付けられても、文句は言えないだろう。
「そう」ベルさんは呟いた。
「ちょっと待ってください」私は右手を出して、ストップのジェスチャをした。頭がなにも考えていない。
築き上げた城を、狼の息で吹き飛ばされた気分だ。なにもなくなった更地に、狼の息の化身であるベルさんの言葉だけが刻まれている。
彼がハイジだ。
彼とは、ダイキさんのことだろう。それ以外に、ここに男性はいない。
「えっと、どういうことですか?」私はベルさんにきいた。
「簡単だよ。これは十年以上前から計画されていたことなんだ」ベルさんは私に言った。「十年前から、死ぬことも蘇生することも決めていた。そして、蘇生した時に、自分に干渉してくる存在も考慮していたのだろう。だから、その干渉が及ばないように計画した。それが、今回の誘拐殺人事件だったんだ。だから、蘇生した情報を流したのも、誘拐されたとの狂言も、殺された映像も全て、フェイクだった」ベルさんは、ダイキさんを見た。否、ハイジさんらしき人物を見た。
その人物は、ほんの僅かに口角が上がっていた。ただ、唇は閉じたままなにもしゃべろうとしない。
「まず、蘇生されたと情報を流した理由だけど、これは、これから行われる誘拐が外部の犯行だと思わせる為だろう。それにより、世界中の誰もが、誘拐する動機を持っていた。そして、誘拐された、と嘘の情報を警察に伝えた。これにより、警察は屋敷の内外を調べることになるけど、当然、ハイジという人物は見つからない。ただ、それらしい痕跡は幾つもある。完全な密室ではない。マナさんがドアを開けたのも、外部との出入りがあったとカモフラージュする為だろう。そういう隙をわざと作ることで、捜査の目を集めさせたんだろう。そして、ハイジさんを殺した動画がアップされる。場所はわからないから、当然、死体もない。この屋敷で殺さずに、誘拐した理由がそれだね。死体を解剖されたくなかった。これにより、ハイジから得られる情報は消え去った、ように偽装することに成功した。そういう計画だったのですね?」最後の部分は目の前の人物に向けられたが、その人は答えなかった。
「待ってください」私は頭の中を整理した。「幾つも疑問があります。まず、顔です。警察の一部は、ハイジさんの顔を知っていました。このダイキさんとは、顔が違います。マスクを被っているようには見えませんけど、整形ですか?」
「そうだろうね」ベルさんは答えた。
「でも、手術痕が一切ありません。メイクで誤魔化すレベルではないです」私は、目の前の人物の顔を、ジッと見た。綺麗な皮膚だ。
「手術をしたとしても、十年以上前だから、当然だろう」
「十年前?」
「これはそれほど前から計画されていたことだから、それ位の準備はしているだろう」
「それで、ダイキさんの顔にすり替わったのですか?」
「うん」
「ダイキさんがどんな顔に成長するのか、わからないはずです」
「そういうシミュレータは、十年以上前からあるよ」
「それじゃ、ダイキさんはどこに行ったのですか?」
「さぁ。それは知らない。どこかで隠居生活を送っているか、既に死んでいるか、どちらかだろうね。少なくとも、ハイジさんの目の前に現れることはないだろう」
「コイトさんはどうなりますか?三年間もここでダイキさんと暮らしていたんです」
「それが最初の違和感だった」ベルさんはこっちを見る。「コイトさんの部屋を見た時に、彼女の物がどこにもなかった。初めからこの屋敷にあったものしかない。生活感はあったけど、彼女の好みの食器や家具が一つもない。働かなくてもそれなりのお金が得られる時代に、ましてや、三年も暮らしている友人なら、多少は裕福な生活が送れる位の支援を送るはずだ。それなのに、あの部屋はまるで、一泊する為に利用したホテルの部屋みたいだ。実際に三年間も暮らしていたのかもしれないけど、あれは、いつ立ち去ってもいいように、寝泊りだけする部屋だ。ただ、彼女が物に執着しない人格だという可能性はあった。また、彼女の好みの品を持ち入れるのを禁止している可能性もある。でも、彼女の失踪により理由が明白になった。あれは、計画の信憑性を高める為に集められた役者の一人だ。彼女がここで暮らすことになったきっかけは、ダイキさんと親しい間柄だからだ。だから、彼女が暮らしていたことにより、ダイキさんも暮らしていたと錯覚させる効果があった。実際には、ダイキさんは存在しなかった。ハイジさんが誘拐されたという証言も、弟であるダイキさんと使用人の二人ではなく、友人もいることで、多少は信憑性を増すだろう」
「コイトさんは、ダイキさんの恋人じゃなかったんですか?」
「初めから恋人だとは、誰も言っていない。ネオンがそう思い込んだだけだ。ただ、他の人もそう考えただろう。だから、コイトさんの存在に意味があった」
「実際に三年も暮らしていたんですか?」
「それはわからない。屋敷の中にいれば、衛星にも映らないし、食料品や生活必需品も三人分を購入していれば、履歴を誤魔化せる。ただ、捨てるのが勿体ないから、実際に住まわせても、よかっただろう。それに、警察が屋敷中を調べた時に、それらしい所に指紋があって欲しいはずだから、生活していた可能性は高い」
「それじゃ、コイトさんは誰なんですか?」
「さぁ、それもわからない」
「失踪した理由は、必要なくなったからですか?」
「それは、そうだと思う」
自分の頭がまた纏まっていない。
「えっと、ハイジさんが蘇生されたのは、六日前のはずです。そして、三日前に誘拐されて警察がこの屋敷に来ています。その時には、ダイキさんとして、対応していたんですよね?それじゃ、目を覚ますのが早すぎませんか?」
「簡単だよ。もっと前に蘇生していた。蘇生したと情報を流したのは、自分たちなんだから、準備が整ってから流せばいい」
「専門家たちの証言はどうなりますか?」
「当然、嘘だろう」
なんというか、強引ではないか?都合の悪い部分を勝手に改ざんしている気がする。
でも、タンブリンマンが、彼らの仕草が少したどたどしいと、言っていたのを思い出す。嘘の証言を言わされたからなのか?彼の刑事の勘は、冴えていたことになる。
「それじゃ、地下の密室の謎はどうなりますか?誰も出入りしていないはずです」
「地下の警備システムは、床に備えられた荷重センサがメインだ。それに反応させずに、冷凍保存されていた部屋まで移動するのは、エンプティを使えば容易い。密室の謎は、あくまで、生身の人間を運ぶ時に、その方法がわからない、というもので、エンプティが移動出来るのは、最初からわかっていた。だから、エンプティで地下室に移動して、こっそりと蘇生を行ったのだろう。地下室にエンプティを三体くらい移動させておいて、そこに、専門家たちをダイヴさせればいい。後は、蘇生するだけだ。蘇生に必要な専用の設備は、十年前から地下室に用意してあったのだろう」
「その専用の設備は、どう処分したのですか?それだと、まだ、地下室に残っているはずですけど。それに、密室の謎はまだ解けていません。蘇生されたハイジさんは、どうやって地下室から抜け出したんですか?」
「六日前に、ハイジさんを蘇生させる名目で、三体のエンプティと、一人の人間が地下室を出入りしている。この時は、既にハイジさんの蘇生が済んでいるので、実際に必要なのは、偽装だけだった。だから、水を用意したんだろう。トラックで屋敷の中まで機材を運ぶ。でも、それは使わずに、水を入れた容器を地下室に運んで、中身だけ浴室にでも流したのだろう。エンプティが重い物を運んだ履歴は残っている。専用器具と同じ重さの水でセンサを誤魔化したんだ。それで、地下室からは十年前から用意していた専用器具を運びだした。その時に、ハイジさんも運び出された。本物の機材を運ぶ時に、エンプティにおんぶして貰えば、簡単に外に出られる。後は、十年間この部屋に住んでいたように装えばいいだけだ」
……。
確かに、それなら可能だろう。それどころか、幾つもあった疑問を払拭してくれる答えだ。
荷重センサがあるのに、カメラを設置しない警備システムや、誘拐と殺人の関係も納得出来る。
ハイジさんは、六日よりずっと前に蘇生された。冷凍保存とは別のカプセルで、一週間ほど眠っていたかもしれない。その後は、元々用意してあった食料を食べて生活していればいい。エンプティで新鮮な料理を運んだ可能性だってある。
「それじゃ、あの殺人の映像はどうしたのですか?自分の自由の為に、人を一人殺したのですか?殺された人の顔は、ずっと前から整形していたんですか?」私は映像を思い出した。確かに、頭を吹き飛ばしていた。
「これは想像だけど、あれは死体だったんじゃないかな。ただ、死体を整形しても傷跡が消えることはないし、メイクでは誤魔化せないだろうから、生きている人間を整形しておいた。そして、死んだ後に、銃で打ち抜いたことになる」
「それって、結局殺していますよね?」
「元々、死ぬ予定がある人に協力したのかもね。たぶん、コイトさんも同じだと考えている」ベルさんは、目の前に座っている人を見た。相手は、なにも話さない。
「でも、銃で打ち抜く寸前まで、肺が動いていました。眠っている状態でした」
「銃で殺されることを了承していたのか。それか、仰向けになっている死体の背中に穴をあけて、肺の位置に風船のような物を敷き詰めて、空気を送り込めば、誤魔化せる。死んだ人が望んだ方にしたんじゃないかな?」
「でも、たとえ死体でも、銃で頭を吹き飛ばしています」
「それ位なら、別にいいと思うけど」ベルさんは淡々と答えた。