第三章 3
コーヒーカップを持って、テーブルに置いた。
テーブルにはケーキと毒々しい色の果実がある。イチゴという名前だが、見た目がサイアクだ。幼虫を赤く染めて、三角錐の容器に押し込めて、ストレスからか、ブツブツした病気に罹ったみたいな見た目をしている。ただ、味は美味しい。見た目を変えれば、もっと人気が出ると思う残念な果実だ。
ベルさんもテーブルについている。私は、向かい側に座って、コーヒーの香りを楽しんだ。
「誘拐犯は、ハイジさんから情報をききだせたんですかね?」私はきいた。ベルさんは、ケーキを一口食べた。
「どうだろう。考えてもわからないと思うけど」ベルさんは答えた。やっぱり、この声の方が落ち着く。
「でも、ききだせたから、殺したんだと思います」
「そう思うなら、僕にきく必要がないよ」
「まぁ、そうですけど…」少しくらい同意してくれても良さそうなものだ。
ケーキを食べる。程よい甘さだ。コーヒーを一口飲んで、頭の中を整理した。
「私の推理を言いますね」私は言った。ベルさんは頷く。
「まず、犯人というか、黒幕はコイトさんです」ベルさんの表情は変わらない。私は続ける。「コイトさんは、ハイジさんのことを知っていました。恐らく、十年前に漏れた情報を、どこかで聞いたんだと思います。そして、ハコブネについて調べる為に、弟であるダイキさんに接触した。コイトさんの作戦は成功して、ダイキさんの屋敷に侵入出来ました。でも、地下室で眠っているハイジさんは、厳重に警備されている為、近づけません。それに、無理に動かせば、蘇生が出来なくなると考えました。だから、ハイジさんが蘇生されるまで待ったんです。そして、六日前に蘇生された後すぐに、その情報を漏らしました。それで、外部の犯行に見せかけたんです。本当は三年前にやりたかったのだと思いますが、警備システムの為、そうなりました。コイトさんは、外部の人間に依頼して、ハイジさんの誘拐を企てました。見事に成功して、蘇生から三日後にハイジさんは誘拐されて、そして、昨日の時点でハイジさんは目を覚ました。それを聴いたコイトさんは、用意してあった経路で海外に逃走して、ハイジさんも排除しました。これが今回の事件です。………どうですか?」ベルさんが無表情なので、沈黙に堪えられずにきいた。
ベルさんは、コーヒーに唇を付けた。香りを楽しんだだけかもしれない。
「ハイジの誘拐方法がわからないよ」ベルさんは私を見た。
「殺してしまう計画だったので、エンプティが背負って運んだんだと思います」
「マナさんがハイジを最後に見てから、外への出入りは、マナさんが開けた玄関のみだけど、それはどうしたの?」
「まず、コイトさんが散歩に出かけて、帰る時に、エンプティと一緒に屋敷の中に入ります。そして、エンプティは、コイトさんの部屋で待機して、マナさんが確認した二日目の午後七時以降に、地下室に忍び込みます。ハイジさんを背負って、また、コイトさんの部屋に、エンプティとハイジさんを匿います。後は、次の日の朝に、マナさんが異変に気付いて警察に連絡して、その騒動の最中、玄関から外に連れ去ったんです」
「……。なるほどね」ベルさんはケーキを食べた。
「どうですか?」
ベルさんはコーヒーを飲んだ。
「ねぇ、どうですか?」早くベルさんの意見がききたかった。
「コイトさんの目的は、ハイジから情報をききだすこと、なんだよね?」ベルさんは言った。
「はい。そうだと思います」
「だったら、蘇生された後に、本人からききだせばいい。それが出来る関係性を築いたんだから、それを有効活用すればいい。なにも、誘拐犯に大金を支払って、ハイジさんを殺して、自分も逃亡生活を送る必要はない」
「…。うーん。それだけの価値があったんじゃないですか?それに、その情報は外部には漏らしたくなかったんですよ。…あっ。そうです。コイトさんは、ハコブネの関係者なんです。だから、ハイジさんから、それが漏れるのを防いだんです。その為には、自分の人生を犠牲にしてもいいと思ったのか、もしくは、組織が匿ってくれるのか、どちらかです」私はベルさんをジッと見る。「どうですか?」
「ハコブネ関係者なら、情報をききださなくても、蘇生出来ないようにするだけで良かったと思う。これだけ大掛かりにする必要はないはずだよ。誘拐犯は安全な逃走経路も知っていたようだけど、不意に誰かに出くわすリスクだってあるわけだから」
「んー。確かに、なにか弱いような気もしますけど、まるっきしハズレというわけでもない気がします。特に大きな矛盾がないと思いますけど、どうですか?」
「そうだね。話が飛躍したり、推測の域をでないけど、でも、妥当な考えだと思う」
「そうですよねっ。そうですよねっ」私は嬉しくなった。ケーキを食べたら、幸せの味がした。
「コイトさんの年齢は二十歳だったはずだけど、十年前のハコブネに関心があるんだ?」
「…そうなんです」そこが少しだけ引っ掛かる。コイトさんの顔は、ちゃんとまじまじと見た。整形をしたり、年齢を偽る人に現れる形跡はなかった。女性に限ってだが、そういうのを見破るのは、得意だ。私の目立てでは、コイトさんは、ナチュラルな顔だ。マナさんも同じだろう。
目の前のベルさんやラムネさんも綺麗な顔なのに、ナチュラルな顔だ。外したことがないから、矛盾することになる。だから、もしかしたら、十歳の時からハコブネに関わっていた可能性もある。
この仮説が正しければ、あとはコイトさんを見つければ、ハコブネに近づける。手掛かりの無い十年間よりも、確実に進歩している。
ジンノさんに会って、この組織を知り、そして接近して、所属出来た。その苦労があったから、得られたチャンスだ。これで、後は時間を掛ければ、真実に辿り着く。
ベルさんを見た。黙々とケーキを食べている。唇の横にクリームが付いている。ベルさんは、それを左手の中指で拭った。左手で指パッチンするように親指と中指を擦っている。ああすると、なぜか消えてしまうのだ。まるで、ハンドクリームみたいに。蒸発しているわけでもないのに。
……。
なにかが水面に浮かんだような気がした。水中を見ると、水深二メートル位を、なにかが泳いでいるような。でも、直ぐに見えなくなってしまった。
なんだったんだろう?
ケーキを見る。
その隣の気持ち悪い見た目の果実が視界に入った。その模様を眺めている内に、もうすっかり消えてしまった。
…。
目を瞑って手繰り寄せる。
もしかしたら、ハイジさんは誘拐なんてされていないのだろうか?あの地下室で蘇生されて、そして、あの地下室で殺された。死体はバラバラにされて、排水溝やトイレに流したのだ。
それなら、手掛かりの見つからない誘拐犯と辻褄が合う。初めから、誘拐などされていない。誘拐されたと言ったのは、マナさんだし、地下室に通っていたのもマナさんだ。不自然に玄関を開けた十五秒間は、外部に人を、逃がしたり招き入れたりというカモフラージュなのではないだろうか?
ハイジさんが目を覚ましたのは、予想よりもずっと早かったのだ。それで情報を聴き終えたので、不要となった。それで殺した。
………。
でも、警察が気づかないだろうか?
排水溝を調べれば、それらしい形跡が見つかるだろう。
タンブリンマンたち警察は、屋敷の中よりも外に注目していた。つまり、内部にそれらしい形跡はないのだろう。
一応、今思いついたことをベルさんに話してみた。ベルさんは、口を挟むことなく、最後まで聞いた。コーヒーを飲んだ後、ベルさんは言った。
「一番の疑問点に自分でも気づいている。その仮説は、まさにその部分に、科学的証拠の有無がある。でも、僕たちは鑑識結果を知らないから、その答えはわからない。だから、現時点では可能性のある仮設だと思う」
「…そうですよね。でも、やっぱり排水溝を調べてそれらしい証拠が見つかれば、こんなに騒ぐことはありませんよね」
「そうだろうね」ベルさんはあっさりと同意した。
「うーーん。やっぱ、ちょっと難しいですね。眉間に皺が寄っちゃいます」私はコーヒーを飲んでリフレッシュした。
「ベルさんはどうですか?」
「なにが?」ベルさんはこっちを見る。もうケーキは食べ終えている。
「今回の事件をどう考えていますか?」
「今はなにも考えていないよ」
「考えることがありすぎて、パンクしちゃいそうですよね」
「いや、考えていない」
「んー。ちょっとは考えてくださいよ」
「ちょっとは、考えた。それで大体わかった」
「なにがですか?」
「大きな矛盾のない自分なりの仮説がある。だから、今は特に考える必要がない」
「えっ?それって、事件の真相がわかったってことですか?」私は驚いた。自分の瞼が上に上がっていることを自覚する。
「真相かどうかはわからない。自分が納得できる筋道がある、というだけ」
それはもう、真相なんじゃないだろうか?
「いつ、その考えを思いついたんですか?」
「さっき、タンブリンマンと話した時に。何度も会うだけで、極秘情報も漏らすようになるのは、人間の欠陥だろう。大多数の人間がこの欠陥を備えているように思える。その理由を考えるのは、少しだけ面白いかもしれない」ベルさんは淡々と話す。
「犯人がわかったんですか?」そんな予感など、どうでもいい。
それは、親しくなったと錯覚しているからだろう。仲間を増やして強くなりたい、人間の本能だ。秘密の共有は、その結束に便利なだけだ。
「犯人?まぁ、そうかな。ただ、僕の考えだと大きな矛盾がないというだけだし、この仮定は、僕が知っている情報だけで組み立てたものだから、真実とは程遠い可能性はある。ただ、この事件に関して、もう考えることはないかな」
「それで、犯人は誰なんですか?」私は、殆ど同じ質問をした。
ベルさんは、少し上を向いた。
「そうだね。折角だし、ちょっと出かけようか。…もし、ネオンの時間が空いていたらだけど」ベルさんは、頭をほんの僅かに傾げた。デートの誘いみたいだな、と思った。
「はい。からっぽです。どこにでもどうぞ」