第二章 2
「何度も悪いね。もう一度だけ話を聞かせてくれないか?」タンブリンマンは言った。
「わかりました」マナさんは答えた。
「椅子に掛けて貰って結構です」彼女が座ろうとしないので、私は言った。彼女は頷いて、椅子に座った。ベルさんは、テーブルを挟んで彼女の前に、私はベルさんの右隣りに座った。タンブリンマンは、私たちの後ろに立っている。話には入って来ないということだろうか。
「マナさんですよね」私は話し始めた。彼女は頷く。思ったよりも華奢な体格だ。ハイジさんは二十二歳だときいたが、成人男性を一人で運び出せるとは思えない。玄関まで運んだ線は危ういだろうか。ただ、介護用の補助器具を使えば容易いだろう。エンプティを利用出来ない人が使うものを、このお金持ちたちが、所有しているかは不明だ。エンプティの方が、汎用性が高いだろう。
「ここでどのくらい働いているのですか?」私は質問した。
「十五年になります」マナさんは答えた。マナさんの見た目は、三十歳くらいだろうか。見た目は幾らでも変えられるから、当てにはならないけど。
「ハイジさんが十年前に亡くなる前から、一緒にいたということですね?」
「はい。ハイジ様もダイキ様も、その当時から一緒でした」彼女はテーブルに視線を落としたまま話し続けた。
「亡くなる前に、どのような説明がありましたか?」
「説明…ですか?」彼女は困った顔をしてこちらを見た。
「事前に知っていたわけではないんですか?」
「いいえ。まさか。…亡くなった時の対処方法は、事前にきいておりました。ただ、あんなにも急に亡くなるとは思ってもいませんでした。遺書というか、今後の方針を書いた指示は、直ぐ近くにありましたので、それに従ったまででございます」
「方針とは?」
「十年間保存したままで、十年後の五日前に、蘇生するようにとの指示がありました。五日前に合わせて、準備を行ったのは私です。そして、無事蘇生させることが出来ましたが、声も聴く前から、誘拐されてしまうなんて」彼女は下を向いた。泣いているわけではないが、重苦しい雰囲気になった。顔を上げた時に、彼女は前髪を整えた。
「蘇生されてからは、眠ったままだったんですよね?」
「はい」彼女は、私の目を見て頷いた。
「ハイジさんの確認に向かう時間は、どう決めたのですか?また、それを知っている人はいますか?」
「私が確認する時間は、誰にも言っていません。一日に何度も足を運んでは、警備システムの障害になると考えましたので、十二時間毎と決めました。こんなことになるのなら、もっと頻繁に確認していれば良かったです」
そういえば、彼女が歩いた時のデータは残っているのだろうか?その辺も後でタンブリンマンに確認しなくてはならない。私たちが、さっき歩いていた時のように、警備システムとは切り離して、センサだけを作動させていたのだろう。だとすれば記録は残るはずだ。
「警備システムは、かなり特殊ですが、あれを考案したのは、誰ですか?」
「…さぁ。私にはわかりません。先代、つまり、ダイキ様のお父様だと思いますが」
「いつからあのシステムはあるのですか?」
「私が来た時にはありました」
だとしたら、元々は、地下にあるスーパコンピュータを守るシステムなのだろう。カメラもその部屋にだけあるらしい。
「ハイジさんが冷凍保存された十年間は、それ以前とは、なにか変わりましたか?」
「そうですね。まず、形式上は、ダイキ様が当主になりました。生活習慣などは違うご兄弟二人ですが、変化といえば、負担が減ったということくらいです」彼女の顔が急に暗くなった。目を細めて睨んでいるみたいだ。「ただ、コイト様がここに住むようになってからは……ええ。少し変化はありました」彼女の声色が少しだけ変わった。
「それはどういう変化ですか?」
「ダイキ様は、私の仕事に一切口を出しませんでした。ただ、コイト様は、仕事の為とはいえ、私がずっとダイキ様と二人で暮らしていたのが、気に入らなかったようです。ことあるごとに、私に文句を言い、辞めさせるように、ダイキ様に進言しておりました」彼女は俯いたまま言った。
「コイトさんがここに来たのは、どれくらい前からですか?」
「もう、三年になります」
「ずっとここに住んでいるのですか?」
「はい」
「家事は全て、マナさんが行っていますよね?」
「それが仕事です」
「コイトさんは、どんな関係でここに来られたのですか?」
「ダイキ様のご友人です」
友人とは言っているが、恐らく、そういう関係なのだろう。だとするなら、コイトさんにとって、他の女性がいる事実は、好ましく思わないかもしれない。ただ、マナさんがいなくなれば、家事を自分がやらなくてはならないと、わかっているのだろうか?
それにしても、ダイキさんとコイトさんが、現時点でパートナになっていないとしても、主人の恋人を悪く言うのは、職業上良くないのではないだろうか?
「ダイキさんもコイトさんも、五日前にハイジさんが蘇生されると知っていたんですよね?」私はきいた。
「はい。ダイキ様は十年前から、コイト様には、ここに住むと決まった三年前に、地下室を説明する時に一緒に伝えました」
コイトさんがここに住み始めた三年前は、ダイキさんが二十一歳になる。二十一歳は、私より一つ年上になるが、ガールフレンドと同棲してもおかしくはないだろう。現在のダイキさんの年齢は、ベルさんよりは、一つ年下なのだろう。
「二人は、ハイジさんの蘇生には好意的でしたか?」私はきいた。もしかしたら、コイトさんは、反対なのではないだろうか。ハイジさんからすれば、目が覚めたら、異物が住んでいることになる。コイトさんが、今までマナさんに行っていたように、今度は自分が追い出されるかもしれないのだ。
「ダイキ様は、待ち望んでおりました。もっと早く蘇生させてもいいのではないか、と私に言ったことがあるほどです。コイト様は、それについて、なにかを発言することはありませんでした。恐らく、ダイキ様から、詳しい説明を受けて納得されていたのだと思います」
「そうですか。……では、確認なんですが、十年前にハイジさんから、遺書というか、指示があったと思いますが、もし、マナさんがここを辞めていた場合は、誰がそれを引き継ぐことになっていたんですか?ダイキさんは、当時十四歳だと伺っているので、難しいと思います。次の人にそれを頼むには、責任が重いと思いますが」
「いえ、私はここを辞めるつもりはありませんでした。あの遺書を読んだ時から、私の決意を決まっていました」
仕事熱心だな、と思ったが、一人の命が関わっているのだから、無関心ではいられないだろう。それに、マナさんがここに来てから、五年間もハイジさんと一緒にいることになるのだから、信頼関係も出来るだろう。
だから、ハイジさんは、マナさんに頼んだのか。
それは、素晴らしい関係ではないだろうか。
自分の命を握らせているのだから。
「ハイジさんは、どんな方でしたか?」私はきいた。
「素晴らしい方です。聡明で、周りの見える方でした。ただ、少し暗い所はあったのかもしれません。外を出歩くことも殆どありませんでした。また、頭がいい故か、悩みごとを人に話すことはありませんでした。十年前の出来事も、全く知らなかったのですから」
「ハイジさんが地下室にいる十年間は、どういう警備をしていたんですか?」
「今と同じです。地面の圧力センサが働いていました。それに、ダイキ様やコイト様、私も含めた全ての人の地下への出入りを禁止していました。それは、ハイジ様の指示です。地下室への出入りは、この十年間、全くありませんでした」
「そうですか」私は頷いた。ハイジさんが出入りを禁止する理由は、自分を脅かす者を近づけさせない為だろう。死んでいるとはいえ、蘇生出来ないようにされるのを恐れたはずだ。
「ハイジさんを最後に確認した日、マナさんは、一度、玄関のドアを開けたのですよね?それはなぜですか?」私はきいた。本人の表情を見たかったからだ。
「なぜと言われましても、私にもよくわかりません。物音がしたような気がしたのです。私も、ハイジ様が目覚めるまでは、神経質になっていたのかもしれません」
「確か、十一時だったと聞いています。結構遅い時間ですよね?いつもその時間まで起きているのですか?」
「はい。通常業務が終わるのが、午後八時です。それから、お風呂や夕食を済ませると、午後九時になります。それから二時間は、ゲームを行っています」
「えっ?ゲームですか?」私は直ぐに理解出来なかった。
「はい。毎日二時間ほど、ゲームを行うのが、私の日課となっています」
「どんなゲームですか?」
「リアリティのあるものです。時間やお金も現実世界と連動しています」
「オンラインですよね?」
「はい」
「友人と話したりするのですか?」
「オンライン上の友人はいますが、ゲーム内の名前しか知りません。勿論、私の職業や仕事内容を話したことは一度もありません」
「ゲームの名前を教えて頂いてもよろしいですか?」
「ファジィ・クラウド・メルトダウン・タウンです」
「エターナルトイの?」
「はい」
私は頷いた。エターナルトイのゲームは、少しやったことがある。個性的だけど、魅力的なゲームを創る企業なので、新作が出る度に、チェックしている。ただ、私がエターナルトイのゲームをやっているのは、あまり周りには知られたくない。一部のゲームを、不純な用途に使っているからだ。
ファジィ・クラウドは、ファンタジィ色のある、リアリティゲームだったはずだ。人生の多大な時間を消費しないと楽しめそうになかったので、やったことはない。
こういう職業の人がゲームを行うのは、珍しいのではないだろうか。なんとなく、真面目で献身的な人格ばかりだと思っていた。いや、ゲームをするだけで、不真面目な人だというわけではないけれど。それでも、意外な一面だ。ベジタリアンが猟銃を娯楽とするくらいのギャップはあるのではないだろうか。
「物音をきいたのは、ゲームの最中ですか?」私はきいた。
「いえ。ゲームが終わって、眠ろうとした時に、物音が聞こえたのです。それで、玄関まで確認しにいきました」
「マナさんの部屋はどこにありますか?」
「この部屋の二つ階の上になります」
「部屋に窓はないのですか?」
「玄関の方にはありません」
間取りでは、玄関は南側にある。ここの三階の部屋は、西側にしか窓はない。
「南側から音が聞こえたのですか?」
「いえ。方向は特定出来ませんでした。ただ、窓越しに見える範囲に異変がありませんでしたので、玄関から確認しました」
「その時、窓を開けましたか?」
「いえ。今のシーズンは、屋敷の窓の外に蔦が生えていますので、窓は開けられません」
「わざわざ、玄関まで行ったのですか?階段が大変ではありませんか?」
「はい。普段なら、気にせずに眠っていたと思います。ただ、今は、ハイジ様が生き返りました。それに、そのニュースがどこかから漏れたこともあり、気が立っていたのだと思います。確認しないと安心して眠れないと思いましたので」
「その時、玄関のドアを離れて、外に出ましたか?」
「これも何度も答えていますが、少しだけ歩きました。その時に、玄関のドアは開いたままです。ただ、ほんの数歩です。周りに異変はありませんでした。それに、私は警戒していたので、うっかり誰かの侵入を許すなんてことはあり得ません」
ただ、人は侵入しなくても、昆虫型のロボットなどは、潜り込めたのではないか?それが可能だとしても、ハイジさんを連れ出した方法は、不明なままだが。
「玄関のドアを中から開ける時に、セキュリティはどうなっていますか?」
「非接触型のセンサが、ドアのすぐ隣の内と外にあります。誰が鍵を開けたか、直ぐにわかりますし、登録されていない人は、仮登録を行うまで出入りが出来ません。勿論、履歴は残ります」
「わかりました」私は頷いた。
もし、中に昆虫型が侵入したとしても、外に連れ出せない。やはり、ハイジさんを外に連れ出すには、玄関を開けた十五秒間に限られるだろう。そうなると、犯人は、マナさんということになる。
ただ、話を聴いた限り、怪しい人物ではない。ゲームを行っていたなら、そのログがあるだろう。後で、タンブリンマンに確認しておこう。外に連れ出すなら、ゲームを行わずに、ハイジさんを連れ出す必要があるからだ。補助器具を使えば、一時間も掛からずに玄関まで運べるだろう。そして、外にいた人物にハイジさんを渡した。それか、仕事中の隙間に地下室から自室まで運び出した可能性もある。
現時点では、それ以外に考えられない。地下室の圧力感知をどう誤魔化したのかは、不明だが。
「十年前、ハイジさんが亡くなったのは、冷凍保存のカプセルの中だと伺っていますが、間違いはありませんか?」私はきいた。
「はい」
「その時に、ハイジさんは、エンプティドール用の専用端末をセットしていましたか?」
「はい。していました」彼女は頷く。
「それを外したことはありますか?」
「ありません」
「冷凍保存中も専用端末を付けたままだったのですね?」
「そうです。五日前に蘇生された日に、初めてカプセルを開けました。それ以外にカプセルを開けるのは、禁止されていましたし、命の危険があるとも思いました」
「では、顔があまり見えなかったのではないですか?」
「いいえ」彼女は、直ぐに否定した。「あっ、いえ。確かに顔の大部分は専用端末で隠れていましたが、それでも、見間違えるなんてことはありません。あれは確かに、ハイジ様です。それに、蘇生された時に、私も立ち合いました。カプセルから出てきたのは、間違いなくハイジ様本人です。肌の色などに違いはありましたが、あの当時の姿のままでした」
「例えばですけど、保存用カプセルのガラス面というか、透明になっている所から、中を覗くことが出来ます。その部分に、専用端末をセットしたハイジさんの映像を映していた、という可能性はありませんか?」
「えっ?」彼女は驚いた顔をした。
「顔を確認したのは、十年前のはずです。あの部屋への立ち入りは禁止されていたのですよね?だとするなら、当時のマナさんは、気が動転していたはずです。ハイジさんだと思い込んでいただけではありませんか?」
「えっと…」明らかに狼狽している。「確かに、そうかもしれませんが、あの当時は、何度もカプセル内のハイジ様の顔を見ました。当時の技術がどれほどのものなのか、私は詳しくありませんが、少なくとも私の目には本物に見えました。それに、五日前にカプセルから出てきたのは、ハイジ様なのです。そんなことをする理由が私には思いつきません」
「はい。私にも思いつきません。というより、ハイジさん本人がカプセル内にいたと思います。可能性の話をしているだけなので、あまり気にしないでください」私は言った。これは本心だ。急に思いついただけで、なにかを勘ぐっているわけではない。
「最後の質問は面白い」ベルさんが、私に直接言った。隣を確認したけど、ベルさんは、マナさんを見たままだった。
「僕には、思いつかない発想だ」ベルさんは続けた。「クレイジィだけど」
そういうセリフは、笑顔で口から言ってくれないと、ジョークに受け取れないよ。と心の中で呟いても、ベルさんには届かないだろう。