第二章 1
一言呼べば、文字通り飛んでくる専用端末だが、自分の足で取りに向かった。その方が、僅かに早く、時間の短縮になるからだ。便利さとは、このようにすべての上位互換というわけでもない。
ベルさんと二人で、ハイジが誘拐された建物に出向くことになった。現地に、エンプティが二体いるので、それにダイヴするのだ。ベルさんが確認をとると「今すぐならいい」と返信があった。ベルさんの予定も空いていたので、二人で直ぐに向かうことにしたのだ。
ケーキの甘ったるい感触が、口の中に残っている。コーヒーにミルクと砂糖を入れるんじゃなかった。
ベッドに座り、専用端末をセットした後に横になった。深い深呼吸。
自分の胃の中は、ケーキとコーヒーでぐちゃぐちゃだろう。それと同じくらい、疑問がぐちゃぐちゃだ。ベルさんは、どうして協力的になってくれたのだろう?私がハコブネに関わるのに、反対だったではないか?
イエローサブマリンが関係しているからだろうか?それくらいしか思いつかない。
それに、忙しいんじゃなかったのか?仕事よりも優先させるなんて、よっぽど興味があるのだろうか?イエローサブマリンのエース・アプリコットともう一人を知っていると言っていたので、その関係だろうか?それでも、ベルさんの年齢からして、直接会ったわけではなさそうだ。
考えても疑問の答えがわかるわけもないので、棚上げにした。
ダイヴ。
…………。
目を開けると、部屋の中にいた。
一般的な応接間のような広い部屋に、テーブルと椅子、無駄に大きい照明器具に装飾の施された棚、特に目新しいものが一切ないところだった。自分の趣味や個性を一切排除した、潔い部屋だろう。隣には、直立状態のエンプティがもう一体いる。
エンプティの瞳は綺麗なので、中に人がダイヴしていない状態でも、目を開けたまま静止している。勿論、見られているみたいで落ち着かない、という人は、設定によって目を瞑らせることも出来る。
この部屋に、他の人はいないようだ。ドアは一枚だけある。ドアの反対側の壁にはめ込み式の窓があるが、蔦が窓の外を血管のように張り巡らせていた。なので、窓から外の光は僅かしか入って来ない。この季節なら、蔦が熱を吸収して、屋敷内が涼しくなるだろう。
ベルさんから話を聴いていた通り、エンプティの機能がセーブされている。ネットへのアクセスは出来ないし、地図を開いても現在地が表示されない。これは、捜査状況を外部に漏らさない為の配慮だろう。自分のAIとの会話も出来ないようだ。これは不便な環境だな。
体を動かして、エンプティの性能を確かめた。悪くない。でも、いつもダイヴしているエンプティより動作が鈍い。部屋の壁紙の模様の一部をズームして見た。ピントが合うまで僅かなラグがある。ベルさんなら、文句を言うだろう。
隣のエンプティが動いた。私を見たが、直ぐに部屋の中を見渡した。
体を動かしている。その最中に、識別コードが送られてきた。ベルさんだと確認出来たので、私も自分のコードを送った。
ベルさんがダイヴしたエンプティも、鏡に映った私のエンプティも、黒いスーツを着ている。シャツも黒い。黒い革靴に黒いネクタイだ。黒髪はポニーテールだ。とても格好いい姿だと思った。ただ、顔のパーツは少し違っている。ベルさんのエンプティは、キリッとしているのに対して、私のエンプティは、可愛く穏やかな印象だ。どちらもとびっきり美形の日本人タイプだ。
ノックの後、部屋の中に女性が入ってきた。
「あなたから呼ばれるとは思わなかった。どういった心境の変化かな?」女性は歩きながら言った。
「我儘をきいて貰って、すみません。少し、興味が沸いたので」ベルさんが言った。女性は、ベルさんと握手をした。
「珍しい恰好ですね」ベルさんは、作った笑顔で言った。
「急な呼び出しだったからね。現場のエンプティにダイヴしたわけだ」女性は肩をすくめた。その女性が私を見た。
「助手のネオンです」ベルさんは私を紹介した。
「よろしくお願いします」私はお辞儀をした。
「ああ。タンブリンマンだ」その女性はしっかりとした握手をした後、私への興味はなくなったようで、直ぐにベルさんを見た。変な名前だし、本名でないことは確かだ。名前からして、男性と見られたいのだろうか?
ベルさんの話では、わけありの警察官、だそうだ。
「それで、捜査に協力したいとは、どういった風の吹き回しかな?」タンブリンマンは言った。
「別に、大した理由はありません」ベルさんは答えた。
タンブリンマンは、ねっとりとした視線をベルさんに向けた後に頷いた。粘着質な視線は、警察特融のものだ。わけありだが、本物の刑事のようだ。
「これが、この屋敷の間取りだ」タンブリンマンが言った。私にも、データが送られてきたので、それを開いた。視界に半透明の間取りが展開された。勿論、他の人には見えない。私が右を向けば、表示させて映像も移動する。同じ機能を生身の時に使うなら、ゴーグルか眼鏡が必要になる。
かなり広い屋敷で、三階建てに地下室まであった。ただ、データを持ち出せないようにロックされていた。当然の配慮だろう。エンプティなら、視覚情報でシャッタをきることは出来るが、警察が所有するエンプティで、それをする勇気はない。現行犯逮捕になってしまうだろう。
「ここは一階にある応接間だ」彼は言った。私は地図で確認した。玄関を入ってすぐ右の部屋だった。
「本題の、被害者が眠っていた部屋は、地下室になる。その手前の広間が、この前、あなたに実演して貰った部屋だ。もう一度、現場を見せようか?」彼は言った。
「是非」ベルさんは頷いた。
タンブリンマンは頷いて、ドアに向かった。私はベルさんの後について行った。扉を抜けると、吹き抜けになっていた。三階建ての天井まで見えるので、広い空間だ。この吹き抜けのコの字の部分にドアが並んでいる。曲線の階段も、何十人と一斉に避難しても、スムーズに移動が可能なほど、広々としている。曲線の階段の奥、玄関からは見えない位置に、地下へと下りる階段があった。タンブリンマンに続いて、私たちは下りた。
ハイジが相当な資産家だったことは間違いない。当然だ。屋敷を所有していることもそうだが、十年間も冷凍保存されていたのだから。ただ、そのお金を稼いだのは、彼の父親にあたるが。
「被害者は、どういう状態で十年間も眠っていたのですか?」私は歩きながら、タンブリンマンにきいた。そういえば、冷凍保存だと決まったわけではない。私たちが勝手に言っただけだ。
「うん」彼は、振り返って私たち二人を見た。「まず、なにから話そうか。…誘拐されたのは、ニュースでも話題となったハイジさんだ。それは間違いない」彼は、暗いコンクリートの階段を下りながら言った。「ニュースになっていることは、おおよそ正しい。どこから漏れたのかは、捜査する必要があるが、的確な情報だ。彼は十年前に、通称ゴッドドリームの過剰摂取を行い死亡した。二十二歳の時だ。そして、直ぐに冷凍保存された。死亡から冷凍保存までの時間に僅かなラグもなく、綺麗な状態で保存されていた。死ぬ前から、冷凍保存の準備を行っていたそうだ。この屋敷に住んでいる使用人が、そう証言している。そして、自分が死んだら直ぐに冷凍保存するようにと、言いつけていたようだ。彼が死亡した場所は、冷凍保存のカプセルの中だった。だから、僅かなラグもなかった。疑問があるとすれば、死因が睡眠薬の過剰摂取じゃなく、凍死の可能性もあるくらいだろう」彼はそこでフッと吹き出すように笑った。彼なりのジョークだったようだ。「そして、五日前に蘇生された。これも、使用人が証言している。蘇生の準備を行ったのが、同じ使用人というわけだ」
「蘇生には、専用の機械や専門分野の人員が必要だと思いますが、病院に出向いたのですか?」私はきいた。
「いや。医者も機械も、エンプティドールでここに運び、行ったと言っていた。重い機械も軽々運んでいた。その様子も衛星カメラや周囲の防犯カメラで確認されている」
なるほど。エンプティ、本来の用途だ。世界中にステーションを建築して、エンプティを常備させる大義名分に、医療分野は欠かせないテーマだ。大勢の人が、自分が最先端で凄腕の医師から治療を受けられると、夢に思ったのだ。これは、半分は叶い、半分は実現していない。結局、最先端技術を持った名医から治療を受けられるのは、地位や財産を持っているお金持ちが優先される。考えればわかりそうなものだが、大衆は宣伝に乗せられるのが好きなのだろう。ただそれでも、世界中の医療水準が上がったのは、間違いない。名医と呼ばれる人の神がかり的な手術じゃなくて、一般的でありきたりな治療を必要としている人が大多数だからだ。
それに、過去に災害が起こった時、被災地には医療分野だけでなく、労働力としても、エンプティによる支援が世界中から行われた。これにより、死者の数は、大幅に減少したとのデータもある。地震で崩れる建物が、途上国には存在する事実が間違っているのだが、そこには触れないようだ。自分たちの国は豊かになって助け合えるが、他の国となると、手が届かなくなる。まだ、豊かさが足りないのだろう。
「話によると、あの地下室で十年間眠ったまま、同じ部屋で蘇生されたそうだ。蘇生後は、同じ部屋にある別のカプセルに移り、目が覚めるのを待つばかりだった。それが二日前に誘拐された」
階段を一番下まで降りたので、彼は重そうなドアを開けた。
広い空間が広がっていた。無機質で、壁はコンクリート打ちっぱなしの空間だ。柱だけがある。天井は僅かに光っている。奥の壁に、ドアが二枚ある。間取り図によると左側がハイジの眠っていた部屋で、右側は狭い部屋だ。
「ここから先は、圧力感知センサがある。昆虫はおろか、ドローンが飛んでもセンサが反応する仕組みになっている」彼は言った。
昆虫の大きさも様々だが、少なくとも、昆虫が駄目なら、ドローンなど、もっての他だろう。飛行するために、下に風を送っているのだから。
タンブリンマンが「ここから」と言った境目を見た。センサは、コンクリートの下に埋まっているのだろうか?そうではなく、床がコンクリートではないのだろう。
対面のドアまでは、柱が3×3の9本並んでいる。
「ハイジさんが誘拐された日もセンサは、なんの反応も示さなかった。使用人は、ハイジさんが蘇生されてから、決まった時間に様子を伺うので、その時に、異変に気付いたそうだ」彼は言った。
「様子を伺う理由はなんですか?」私はきいた。
「ハイジさんが眠っている地下室には、カメラが一切設置されていない。地下室どころか、この屋敷のとある部屋を除けば、どこにもカメラはない。だから、ハイジさんの目が覚めている場合を考えてとのことだった。地下から知らせる設備が一切ないからだ」
十年も死んでいたなら、直ぐには動けないはずだ。でも、目が覚めて、トイレにも行けないのでは、これから生きていく自信を無くすのではないだろうか。その為にも、必要な仕事だと思う。
「使用人が最後に確認したのはいつですか?」私はきいた。
「うん。的確な質問だ」彼は笑った。そして、ベルさんを見た。なにやら目で合図を送りあっているようだ。内緒の会話をしているのかもしれない。
「午前と午後の七時に確認するよう決めていたそうだ。なので、蘇生されてから二日後の午後七時の時点では異常はなかった。三日目の午前七時に様子を伺うと、被害者は消えていたそうだ。それで、使用人が警察に連絡をした」彼は、センサがあるであろう手前で止まった。
「犯人は、玄関や窓から侵入したということですか?データを調べれば詳しい時間がわかると思いますが」私は言った。玄関のロック解除のデータが、残っていると思ったからだ。この位の屋敷なら十分にあり得る。
「それが奇妙な話なんだが」彼はそこで振り返った。「密室なんだ。蘇生されてから二日目の午後十一時に、使用人が玄関のドアを開けている。ハイジさんの姿を最後に確認した二日後の午後七時以降からは、玄関のドアの記録はそれだけだ。裏口から出入りした記録は一切ない。普段は使わないそうなので、ここ三カ月にわたって一度も裏口のドアは開いていない。窓には記録が残らないが、使用人が毎日、鍵を内側からかけている。窓の構造上、外から鍵を開けることは不可能だ。窓枠ごと外した可能性も調べたが、その形跡はない。そもそも、この屋敷は、壁に蔦が這ってあるので、窓から入るには、蔦を切断する必要がある。そのような形跡が一切ない」
「二階や三階の窓も調べましたか?」私はきいた。
「ああ。勿論だ」彼は直ぐに答えた。「窓からの侵入形跡は一切ないと、断言出来る」
警察も、そこまでバカじゃないようだ。
「それじゃ、その十一時に外に出たとしか、考えられないのではないですか?」私は言った。つまり、使用人が共犯者で、犯人と一緒にハイジを外に連れ出したのだ。その時の記録が残っているのだろう。それなら、誘拐犯がこの屋敷の場所を知っていたことと繋がる。情報が漏れたのも、使用人からではないだろうか?
「当然、その使用人にも質問している。本人曰く、外からおかしな音が聞こえたから、ドアを開けて確認したと言っていた。特に異変がないから、すぐにドアを閉めたそうだ。その間に人の出入りはおろか、周りに怪しい気配はないと言っていたよ」彼は言った。
「ドアが開いていたのはどれくらいの時間ですか?」私はきいた。
「記録では十五秒となっている」
長いとも短いとも言い難い時間だな。人を運び出すだけなら十分ではないだろうか?ただ、十五秒で玄関からこの地下室まで来て、更に、ハイジさんを攫って外に出るには、時間が足りないだろう。だから、使用人が玄関前まで、ハイジさんを連れ出しておいて、外にいた仲間に渡しただけなのだろう。
「この屋敷付近や道路のカメラには、怪しい人は映っていませんか?」私は言った。
「念入りに調べているが、有力なものもない。勿論、車は何台も通っている。そこに彼が乗っている可能性はあるが、犯人の車を特定する証拠は、今の所ない。人を担いで歩くエンプティも映っていない。犯人も周辺のカメラ情報は事前に調べていたのだろう」
「現在、警察はどう考えているのですか?」
「それは言えない」彼は大きく息を吐いて笑った。
「その十五秒以前の玄関の開閉履歴は?」
「蘇生された日には、何度も記録に残っている。これは、外部の人間を、正確にはエンプティを招き入れたからだろう。その次の日には、この屋敷に住んでいる人が二人開けている。一人は、宅配の荷物を取る為、もう一人は散歩の為だ。履歴はこれだけだが、その次の日にも、ハイジさんの存在は、使用人が確認している」
「あの部屋の中を見てもいいですか?」私は、ハイジさんが眠っていた部屋を指さした。彼は、ドアの方を一度だけ振り返って見て、こっちを見て頷いた。
「優秀な部下じゃないか?」タンブリンマンは、ベルさんを見た。「あなたが、人と親しくしているようで安心したよ」
「親しく見えましたか?」ベルさんは、真面目なトーンで答えた。
タンブリンマンに続いて、広い部屋を横切る。
「この床は、センサになっているのですよね?」私はきいた。
「そうだ。今も、反応しているだろう。ただ、守る対象がいないので、警備システムと連動はしていないが」
「センサが反応すると、どうなるのですか?」
「まず、地下室の扉が自動で閉まりロックされる。それは、あそこもそうだし」彼は、ハイジさんが眠っていたドアを指さした。「後ろの扉もそうだ。この場所に閉じ込められるというわけだ。ロックを解除するには、パスワードが必要だが、それを知るのは、この屋敷に住むものだけだ」
それなら…
「あなたが考えているように、一度でも警備システムが作動すれば、その履歴は残る。履歴を消したとしても、その痕跡が残る。そんなものはどこにもなかった」彼は言った。
どうやら、見透かされていたようだ。
「では、ハイジさんは部屋から抜け出していない、ということですか?」
「その推理を頼んだんだ」彼は、ベルさんを横目で見た。「行きは解決してくれた。だが、帰りだけはまだ不完全だ」
「行き?……この屋敷には、エンプティがいますか?」
「いない。過去に購入履歴もない。蘇生の時に、大勢でやってきただけだ」
……。
でも、エンプティの調達なら、どうとでも出来るだろう。プロを雇ってもいいし、ステーションから車で送って来てもいい。
センサのある床は、四十メートルはある。生身では不可能だ。だとすれば、エンプティでの犯行だろう。エンプティでどうやったのだろうか?
ここには柱しかない。勢いよく柱を蹴って、跳んだのだろうか。靴と柱の摩擦が課題になりそうだ。柱の素材を予め知っていたのだろう。
使用人が怪しいと思っていたので、生身でも移動出来る手段があるのだろうと思ったが、今の所、思いつかない。警察がベルさんに協力を頼んだということは、エンプティが関わっているのだろう。そうなると、十五秒という数字が問題になってくる。その間に地下室まで走りハイジさんを連れ出すには、地下への階段の幅が狭いからだ。間取りを完璧に理解して、練習をすればギリギリ出来るかもしれない。でも、外に連れ出す時に、ハイジさんの体に負担が掛かるだろう。行きと同じように跳ぶわけにはいかない。
ああ。それで、帰りの方法がまだわかっていないのか。
捜査が行き詰っている理由が、なんとなくわかってきた。ベルさんの申し出にも応じるわけだ。六十キロや七十キロの重りを運ぶのではなく、成人男性を生きたまま運ばなければならないのだ。エンプティならどちらも楽に出来るが、怪我無くという注文があれば、話は別だ。
「さて、この部屋だ」タンブリンマンは左側のドアに右手を掛けた。「今は、捜査の為に鍵が掛かっていない」彼が扉を開けた。彼が半身になってドアを開けたままでいるので、ベルさんの後に、部屋の中に入った。
柱の部屋の六分の一位の広さの部屋だ。それでも一般的な部屋の広さはある。部屋の中央に大きな機械が二つある。カプセルだろう。一つは見たことがあるが、もう一つは初めて見るサイズだった。そっちが、冷凍保存用なのだろうか?それ以外には、テーブルに椅子。テーブルの上には端末があった。
この部屋の奥には、ドアがもう一枚あり、間取りでは、そっちはトイレと浴室となっている。壁も天井も床もコンクリートだ。照明は、病院や公的機関にありそうな、安くてシンプルなものだった。
「カプセルには触れないように」彼は言った。私は、部屋の中を歩き回った。トイレや浴室もチェックしたが、人が通れるような隙間はなかった。もちろん、カプセルの中も覗いた。ガラスの部分が多いので、中に誰もいないと、直ぐにわかる。
「隣の部屋はなんですか?」私は、壁を指さした。柱の広い部屋ではなく、右側の扉から入る部屋だ。
「そっちには、コンピュータがある」タンブリンマンは答えた。私は眉を寄せた。
「個人が所有するような端末ではなく、スーパコンピュータと呼ばれるような代物だ。ゲームを創っているそうだ。そのハードにあれだけの物量が必要らしい」
彼から動画が届いたのでそれを見た。隣の部屋と思われる映像だった。こことそっくりな壁や天井に、大きな四角い塊がある。ゲームを創るのに、そんな大層なハードは必要ないはずだ。本当にゲームなら、どんなゲームなのだろう。
映像で見た無機質な部屋は、巨大な四角の黒い箱以外になにもない。巨大な箱だけが、デジタルな光を放っている。
「隣の部屋への出入りは禁止となっている。貴重なものだから、仕方がないと言えば、そうなる」タンブリンマンは眉を寄せた。
「コンピュータの中に人が隠れるスペースを造れます」私は言った。
「一度だけ中に入れて貰った。コンピュータには近づいていないが、部屋には異常はない。ドアを開閉した履歴もない。なにより、隣の部屋だけは、内側にカメラが仕掛けられていた。その映像を確認したが、人の出入りどころか、扉も開いていないのを確認している。それに、あのコンピュータが完成したのは、二十年前だが、その当時の記事がある。製造元も割れているので、確認済みだ。あの中には、人は入っていない」
「偽物とすり替えたのかもしれません。そうすれば、物凄く狭い部屋として隠れられるのではないですか?」
タンブリンマンは、瞼を大きく開いて、私の顔を見た。ズームにしているのだとしたら、笑えるだろう。
「優秀な頭脳をお持ちのようだ」彼は優しく笑った。「その可能性はあり得なくはないだろう」
優秀な頭脳を持っていなくても、思いつきそうなものだ。ただ、あまり現実的ではないと思っているのだろう。
確かにそうだ。ハイジさんを隣の部屋に隠す理由がない。それに、あのコンピュータのすり替えが可能な人物は限られる。ここの住人か、とても親しい間柄のどちらかだ。ただ、どちらの人物も、ハイジさんの目が覚めるのを待てばいい。それだけで、ハイジさんから情報を得られる。
ハイジさんの人格が、目立ちたがりだった場合は、重要な情報をネットに公開するかもしれない。記者会見を開く可能性もある。その場合は、誘拐を企てる可能性もある。それでも、使用人なら、隙を見て別の場所に移動させることも出来るだろう。ハイジさんがまだ、隣の部屋にいることがバレれば、犯人を特定したも同然だからだ。かなりリスクが高い。
でも、隣の部屋を、厳重に警備するというのが、少し怪しい。例えば、似たような別の部屋の映像を渡せば、誤魔化すことも出来るかもしれない。ただ、警察はそれ位のことは、調べているだろう。もう、誘拐から二日も経っているのだから。恐らく、コンピュータの中もスキャンしただろう。
それに大きな疑問が残る。ここの住人の犯行なら、警察に知らせる必要がないだろう。誘拐をして情報を引き出した後に、警察に連絡をすればいいのだから。
「現場検証は済んだかな?」タンブリンマンは言った。
ベルさんも私も頷いた。
「他に必要なことは?」
「使用人は今もいますか?」私はきいた。
「勿論だ」
「この屋敷には、何人が住んでいるのですか?」
「ハイジさんを除けば、三人だ。ハイジさんの弟にあたるダイキさん。その友人のコイトさん。使用人のマナさん。話をきくかな?」
「お願いします」
彼は頷いた。
「弟がいるんですね」私は言った。知らなかったからだ。部屋の外に出て、ゆっくりと柱の部屋を歩いている。
「ハイジさんとは、歳が八も離れている」彼は歩きながら言った。「さっき言った、宅配を受け取ったのが、マナさん。散歩に出歩いたのがコイトさんだ」
ハイジさんは、十年前に二十二歳で自殺した。だとすれば、弟のダイキさんは、その当時十四歳だ。現在は二十四歳になる。ハイジさんの細胞は代謝が行われていないので、肉体的にも精神的にも、ダイキさんの方が年上ということになるのだろうか。八歳も離れていた兄よりも、自分の方が大きくなっていたら、どんな会話になるのだろうか。それに、ハイジさんにとっても、自分よりも年上の弟というのは、話しにくいのではないか。
「連絡が取れたよ。使用人のマナさんからになるが、いいそうだ。ただ、あまり時間が取れないので手短に頼むよ」彼はこっちを見て言った。会話の途中に、住人にメッセージを送っていたのだろう。
「ありがとうございます」
階段を上り、玄関が見える位置まで来た。初めにいた応接間の向かい側の部屋に入っていったので、それに続いた。部屋に入ると、シンプルで地味な恰好をした女性がいた。長い髪を肩の位置で縛っている。眼鏡をかけていた。
この人が、マナさんだろう。
現時点では最も怪しい人物である。話の流れを頭の中で組み立てながら、笑顔をつくって挨拶をした。