第一章 10
ベルさんの予定が空いていた。
なので、ケーキを持ってベルさんの部屋に訪ねた。コーヒーを二人分淹れて、テーブルに運んだ。ベルさんは、いつもの場所に座り、私はその対面に座った。ケーキの種類は、チョコレートだ。
「ハイジさんが眠っていた建物に訪れたそうですね」私はベルさんにきいた。コーヒーカップを持って、何気ないように装ったが、表情だけは見逃さないようにジッと見た。
ベルさんは天井を見て、ゆっくりと大きく息を吐いた。ケーキを一口食べて、カップを口に運んだ。だが、唇で温度を確かめただけみたいで、液体が喉を通過してはいない。
「どうなんだろう。僕もよくわからない」ベルさんは、困った顔をした。
「なにがですか?」
「いや、それらしい建物を訪れたことはあるけど、それがハイジのいた建物かどうかは知らないんだ。あれは、ハイジが眠っていた建物なの?」
ベルさんに質問されてしまった。
「そうみたいです」私は答える。
「どうやって、それを知ったの?」
「それは言えません」正確には知らない。ジンノさんからの情報だ。
「僕がダイヴしていたのは?」
「それも……。私が調べたわけではないので、ホントに知らないんです」
「ふーん。そう」ベルさんは、カップに視線が向いた。
「建物の中を見ましたよね?」私はきいた。
「そうだね」
「どんな様子でしたか?」
「どんな?……さぁ、僕が見たのは、一部屋だけだったし、ハイジがいたらしい部屋は、見ていない。その部屋は、コンクリートむき出しの広い部屋だった。部屋というか、立体駐車場みたいな雰囲気だったかな」
「なんで、ベルさんが呼ばれたんですか?」
「そういう人間関係のしがらみがあるからだね」
「イエローサブマリンが関係していたからですか?」
「いや、エンプティ関係の捜査協力だったよ」
「ああ。そっちですか」プロのエンプティパイロットは、捜査協力もすることがあるらしい。
「ハイジさんについてですけど、このまま居場所がわからないと、どうなると考えていますか?」
「ハイジ?」ベルさんは眉を寄せた。瞳が右方向を向いた。部屋の中央側だ。「さぁ、よく知らないし」
「恐らく、殺されます」私は直ぐに言った。「誘拐されたのは、ハイジさんの持つ情報が目当てですし、それを広く伝えたくないと思っているからです」
ベルさんは頷いた。ベルさんの頷きは、納得した時ではなく、話を理解した時に使われる。だから、頷いた後に、私の意見を指摘する時もあるし、全く逆の持論を持ち出す時もある。つまり、あまり当てにしてはいけない。あなたの話は聴いています、くらいの捉え方をしないと、調子に乗ってベラベラ喋ると痛い目に合う。
「ハイジさんの目が覚めると言われている時間まで、あと二日しかありません。この期間内にハイジさんを見つけないと、命が危ないです」
「それで?」ベルさんはケーキを食べた。
「私は、ハイジさんを見つける為に動きたいです。その協力をベルさんにもお願いしたいです」私は、ベルさんを真っすぐに見た。ベルさんは、コーヒーを一口飲んだ。
「動くってのは、具体的には?」ベルさんがきいた。
あれっ?意外とあっさり受け入れてくれるのだろうか?
「潜入捜査になると思います。警官にすり替わるか、探偵として売り込むか」
「探偵なんて、職業としてまだあるんだ?」
「ありますよ。私の前のバイトは、探偵の助手でしたから。殆ど、ネットでの活動ですけど」
「それより、もっといい方法がある」
「なんですか?」随分と勿体つけるんだな、と思った。
「二人で一緒に捜査に協力する」ベルさんは、ニッと笑って白い歯を見せた。
「えっ?それって」
「まだ、居場所がわかっていないなら、こっちから言えばなんとかなるだろう。人間関係のしがらみは、双方に働くというやつだね」ベルさんは、声に出して笑った。上機嫌なようだ。
「どうしてですか?」私は思わずきいてしまった。
「なにが?」ベルさんは首を傾げる。
「どうして、協力してくれるんですか?」
「理由が必要?」
「はい」どう考えても不自然だ。この事件に関して、今まで協力的じゃなかったんだから。
「……じゃ、仕事の依頼にしよう。一日十万円でいいよ。それで僕が雇われる。あっ、でも、ネオンの指示では動かない。僕は自由に動くし、ネオンも自由にすればいい」
「えっと。あまり、理由になっていませんが」
「……。そうだね。知りたくなったとか」ベルさんは笑窪をつくった。
「なにがですか?」
「最後の晩餐は美味しかったかどうか?」