9話 名づけ
「獣人の男の子ですねぇ」
ある日、いつも通りに私の診察をしていたジルイルはそんなことを言った。尻尾をビタンと床にたたきつけそうになり、持ち上がった尻尾を素早く己の手で掬いあげて押さえているので興奮はしている様子だ。
海獣系の獣人には特別な目が備わっており、胎内であっても形が見えると言う。その能力で私とお腹の子を見てきたジルイルが断言するのだから間違いないのだろう。
「……本当か?」
「ちゃんと狼の耳と尻尾がありますので、間違いありません。もちろん順調に育っておりますとも」
「……そうか」
傍でジルイルの言葉を聞いていたアルノシュトも嬉しそうに尻尾を振っていた。種族も性別もどちらでも構わないと考えていたが、種族や性別が分かるのはお腹の中の子供の成長の証なのだ。私も嬉しい気持ちで膨らみつつある自分のお腹をそっと撫でた。
「では、マグノ側への報告書をまとめますので」
「ええ、よろしくお願いします。……いつも楽しそうですね」
「いやはや、あちらの医者との意見交換があまりにもためになりまして……マグノの医者も数日中にこちらに来られるとのことですし、ご安心ください」
魔法使いと獣人はどちらも人間だが、やはり種族が違えば勝手が違う。マグノに妊娠の報告をしたところ、あちらからも医者が派遣されることになった。ただ妊婦を複数人診ているベテランの産科医は難しいということで、引退後の医師と新人の組み合わせになるという。
ジルイルはその二人の医師と手紙でやり取りをしていて、日程の調整も請け負ってくれているのだ。そして彼女自身、マグノの医者が来る日を楽しみにしている様子である。
(医療知識の交換が楽しくて仕方がないみたい。きっと、マグノ側の医師もそうなのでしょうね)
魔法使いは知識欲が強い傾向にある。まだ打ち解けたとは言えない両国でも、同一分野の者同士の交流を増やしていくのは上手くいきそうだ。皆、新しい技術や知識は好ましく思うはずだから。
ジルイルは機嫌よく今にも床を叩きそうな尾を振りながら退室していった。
「リシィ、子供の名前を一緒に考えてくれないか?」
「ふふ、はい。男の子ですから……ああ、そういえば名づけには何か文化や伝統がありますか?」
「ああ……そういえばマグノには愛称の文化がないと言っていたな。ヴァダッドでは子に名をつける時、両親で名付けと愛称付けをする」
ヴァダッドの獣人たちは二つの名前を持っている。親しくなった相手があだ名や愛称を付けるのではなく、最初から本名とその愛称が決められており、どちらで呼ぶかは本人が指定するのだ。初対面であれば本名を、親しくなりたいと思えば愛称を呼ぶように伝える文化なのである。
その二つの名は生まれた時に両親でそれぞれつけるのが慣例であるらしい。
「……フェシリアが愛称を考えてみないか? それが……俺たちの子らしいと思う」
「それは……ええ、そうですね」
愛称文化のないマグノから来たヴァダッドの花嫁が子供を授かって、その子にヴァダッドの文化で愛称をつける。それは二国が交わり、打ち解けていく姿を象徴しているようだと思った。
アルノシュトもそう考えて提案してくれたのだろう。私もその意見に賛成なので頷いた。
「男の子だからな……シュトルツと名付けようと思う」
「素敵な名前ですね。……子供の名は親の名から取るのも文化でしょうか?」
「そうだな、全く別の名前を考えることもあるが……大抵はそうしている」
これは文化というよりは一般的に多い名付け方の一つなのだろう。マグノにもこれはあるので、そのあたりは近い文化らしい。
これまで様々な人の愛称を教えてもらった。法則らしい法則といえば、名前にある文字をとることくらいだ。シュトルツという名前から、呼びかけやすい愛称を考えてみた。
「……ルツ、という愛称はどうでしょう?」
「ああ……いいな、しっくりくる。ルツ、か。……この子をそう呼べる日が楽しみだな」
柔らかく細められる目と嬉しそうに揺れる尻尾を見れば、彼がこの愛称を喜んで受け入れてくれることが伝わってくる。ヴァダッドの獣人からしても馴染み遠い名ではないということだ。私もこちらにきて、ヴァダッド特有の文化を少しずつでも理解できているという証だろう。
アルノシュトの手がそっとお腹の子を撫でた。私も彼の手に自分の手を重ねて、彼と同じ思いで微笑む。……この子の名前を呼べる日が、とても楽しみだと。
獣人の男の子と診断されました。きっとふわふわですね…。
本日はシーモア様にてコミカライズの最新話の配信があります。是非よろしくお願いします。