7話 猫と海豚
「ミーナ、落ち着いて。彼女は私の専属医として王都からきてくれた人で……」
「え、リシィどこか悪いの!?」
王都から医者を連れてきたと聞いて、何か大きな病気になったのではないかと心配したらしい。ミランナの耳が不安そうに倒れたので、彼女を安心させるために微笑んだ。
「違うわ。私が無事に出産できるようにサポートを買って出てくれたのよ」
「……出産…………わー! おめでとー!」
予想外の言葉だったのか、一瞬ぽかんとした後に耳をピンと立てて目を輝かせながら喜んだ彼女は、再び勢いよく私に抱き着こうとしたが、ジルイルが割って入るより先にピタリと止まった。
「魔法使いは体が弱いから思いっきり抱きしめたらだめだね?」
「そういうことです。フェリシアに何かあってはいけません」
「……うん。さっき止められた理由は分かったし、止めてくれてありがとう。でももう抱き着かないからどいてくれる?」
どうやら私を守るように半歩前に立ち、いつでもミランナを止められる体勢だったジルイルの行動がお気に召さなかったようだ。誤解は解けたのにまだ縞模様の尻尾は逆立ち気味である。
ジルイルから確認するように視線を向けられたので頷いた。たしかにミランナは興奮しやすいけれど、気遣いも上手いのだ。妊娠していると分かっていたら影響が出るようなことはしない。
「リシィ、お帰り。そしておめでとう。赤ちゃんに会えるのも楽しみだなぁ」
ようやく間に立つ者がいなくなり、目の前に立ったミランナは嬉しそうに私の両肩に手をのせて、右頬にすりすりと柔らかく頬ずりをしてきた。いつもなら抱きしめてこうされているから、少し不思議な気持ちだ。これはこれでくすぐったい。
そう思って笑っていたら、何故か反対の頬にも触れるものがあって驚きながらそちらに視線を向ける。……背後に立っていたアルノシュトが左頬にぴたりと自分の頬を当てていた。
つまり右頬にミランナ、左頬にアルノシュト、という形で挟まれながら頬ずりされている状況である。ちょっとよく分からない。
「もーアルノシュトはずっと一緒だったんだから、これくらいでヤキモチ焼かないでよ。狼族ってほんとに番への執着が強いよね」
どうやらヤキモチだったようだ。アルノシュトは口下手な分、他の者が勢いよく話しているとなかなか会話に入ってこられない。ジルイルとミランナのやり取りが始まってからも無言で後ろに立ったままだった。それが寂しくて、こういう主張をすることにしたのだろう。
(甘えたがりで可愛い人なんだから……馬車の旅でゆっくり二人で過ごす時間もなかったし、今夜はたくさんお話をして過ごしたら少しは寂しさも紛れるかしら?)
そんなことを考えながらアルノシュトを見上げると、大きな尻尾が揺れる気配がした。目が合うだけで喜ぶくらい、彼は私を愛してくれている。
「いやはや、愛されていますね。フェリシアの魅力なのか、それとも魔法使いの魅力なのか。興味深いです。私も好意を露わにしていいですか?」
「空いてる場所ないからだめ。私とアルノシュトでいっぱいだもん」
前からはミランナが、後ろからはアルノシュトが、それぞれ左右の頬にぴたりと顔をくっつけてくるので、確かにどこも空いていないけれど、ミランナはジルイルに対抗心のようなものをもってしまったようだ。ある意味これもヤキモチなのだろうか。
しかしジルイルは気にした様子もなく、独特の笑い声を出している。度量が深いというか、なんというか。
「しかしいつまでも外で日差しにあたるのもよくありませんよ。フェリシアも旅の疲れがあるでしょう、まずは家でゆっくりと休まれた方がよろしいかと」
「……それはそう。じゃあリシィ、休憩のお茶にしよ! ルドーが飾り切りの果物を用意してくれてるよ!」
いつの間にかミランナがゴルドークを愛称で呼ぶようになっていることに驚きつつも、荷物を持って邸へと向かう。
重たいものは持たせられない、とミランナが私の荷物をとって歩き出した。アルノシュトも同じことをしようとしたようで、中途半端に伸ばした手が空中で固まっている。
「じゃあ帰りましょうか、アルノーさま」
「……ああ」
私はそんな行き場のないアルノシュトの手をそっと握った。手をつないで屋敷まで歩いていこうと思ったのだ。
すると途端にブンブンと空を切る音がするほど大きな尻尾が揺れだして、表情は真面目なのにとても喜んでいると分かりやすい彼がなんだかかわいらしい。
「ほう……いやはや、フェリシアの手腕には驚きますね。的確に相手のツボをついているといいますか」
「ええと、ジルイル……どういう意味ですか……?」
「おや、無自覚でいらっしゃる。カカカ、なるほど。それが貴女の性質なのだとすれば、マグノからの花嫁は本当に貴女で良かったのだと思いますよ」
彼女は時々、自分の中で深く考えた答えを口にするので、私にはよく理解できないことがある。ただ、その瞳がとても優しく、軽く地面を叩く尾ヒレも楽しそうに見えたので、褒め言葉であるということだけは理解できた。
「リシィが花嫁でよかったというのは、同感だ。……本当に貴女が来てくれてよかった」
「アルノーさま……」
一生に一度しか恋をできない狼族のアルノシュト。彼が恋をしたのは、偶然にも国境を跨いだ隣国マグノの領主の娘である私だった。そんな彼の言葉には強い実感が込められている。……婚姻がなければ、私たちは再会を果たすことなどできなかっただろう。
「ところで、そちらの空いている手は私がエスコートしてもよろしいのですかね」
二人の世界に入り込みそうな気配を察したのか、ジルイルが冗談を口にした。そういえばミランナは荷物を持って先に行ってしまったような、と前に視線を戻すと彼女はとてつもない速度で駆け戻ってきていた。その手にはすでに荷物はなく、どうやらすでに屋敷へ運んできたところのようだ。
「だめ、今埋まったから」
「カカカ。全く、賑やかでよろしい」
私の空いている方の手を握りながらジルイルを追いやるミランナは、もしかすると最初に自分が遮られたことへの仕返しをしているのかもしれない。
(とても賑やかで、そして居心地がいい。……そういえばシンシャは来ていないのかしら。もし家で待っているなら、待ちくたびれていそうね)
そうしてようやく我が家の玄関へとたどり着くと、柱に寄りかかった白猫の彼は大きな欠伸をしながら「まったく、馬車から降りてここまでくるだけなのに遅かったな。待ちくたびれた」なんて口にするものだから、おかしくなって笑った。
ヴァダッドの人々は皆、とても魅力的だ。この子もこの国で、素敵な人々に囲まれて幸せに生きていけるだろう。……会える日がとても、楽しみだった。
また一段とにぎやかになりましたね。子供が生まれたらきっともっと賑やかです。
本日シーモアさまにてコミカライズの最新話が配信されています。
フェリシアの枷がとれて、ようやく初恋の人に気づいたアルノシュト。様子がおかしくて可愛いので是非よろしくお願いします。




