6話 バルトシークへの帰路
王へ献上する刺繍の糸や布を選んだあとはミランナへの土産を買った。王都ではやりの刺繍が施されているという髪留めだ。
その後はジルイルから「しばらく安静に過ごすように」と言われて、王へ献上する刺繍の図案を考えながら宿で数日を過ごした。そうしているうちに私の妊娠の話がどうやらヴァダッドの王の耳にも届いたらしい。刺繍を献上する件については急いで仕上げる必要も、身重や産後の体で無理に謁見する必要もないため、バルトシークに戻り出産に集中してほしいとの言伝を貰った。
「二国の架け橋となってほしいと婚姻を望んだのも王ですから、それはもうお喜びだったようで。子供が生まれ落ち着いた頃に是非顔を見せてほしい、とおっしゃっていたらしいですよ」
この話を教えてくれたのは出産まで専属で診てくれる医者となったジルイルだった。彼女の夫は鯱族のウィルドルンで、彼は王の側近の一人であるという。猿の獣人の側近からは睨まれたが、ウィルドルンは好意的な態度を見せてくれていた。
魔法使い否定派と肯定派、どちらも王の側近にいるのならば意見が偏りすぎることはないだろう。それは非常にありがたい。
「そういえば……ウィルドルンは貴女が王都を離れることについて、何か言っていましたか?」
アルノシュトであれば私と何カ月も離れるなどという事態は許容できないはずだ。種族が違うので単純には比べられないだろうが、獣人たちは誰も彼も愛情深い者が多い印象であり、ウィルドルンも妻がそばを離れるとなると不安に思うこともあるのではないかと心配したのだけれど。
「カカカ。私を止められる者などいません。夫もよく理解しています。吉報を楽しみに待っている、と笑っておりましたゆえお気になさらず」
私の脳内には先日会ったばかりの穏やかな彼が、少し困ったように笑っている姿が浮かんだ。何となく、この渦潮のような勢いのジルイルには国の重役を担う重鎮ですら太刀打ちできないような気がする。
「フェリシア。貴女たちの子の誕生を、私はもちろん夫や、王も楽しみにしております。ですからどうぞ、本当にお気になさらず。私が全力で貴女をサポートすることを、夫も心から望んでいますよ」
「……ありがとうございます。どうぞよろしくお願いしますね」
ジルイルの言葉はとても心強かった。バルトシークの領地までついてきてもらうのは申し訳ないという気持ちも、その言葉で払拭されたように思う。
こうして頼りになる医者を伴い、私たちは帰路につくこととなった。アルノシュトは私に負担を与えぬようにと馬車の中にクッションを敷き詰めても「心配だ」と私を抱きかかえて席に座ろうとして、非常に過保護だ。
(……これは……なかなか恥ずかしいのだけど……)
二人きりならともかく、それを相席しているジルイルにも見られる状況であるのはなかなかに恥ずかしい。
「あの、アルノー様……ジルイルもいますから、私もちゃんと座ります」
「……しかし、リシィの体への負担が心配だ。俺が緩衝材になる」
「私のことはお気になさらず。番に対する愛情が深い種族も多いですし、見慣れています。それよりも魔法についてお教え願えますか? もちろん話すのが負担にならない範囲で構いませんので、ぜひに」
見慣れているという言葉通り、ジルイルは本当に全くこの光景を気にしていないようで、むしろ馬車の内部を涼しくしている魔法の方に興味があるようだった。あまりにも彼女が自然体でいるため、獣人の中では本当に珍しくないことのようだ。
アルノシュトの不安を軽減するためにも、私は大人しくされるがまま抱きかかえられることになった。
「空気の温度を変える魔法で、涼しくすることも、暖かくすることもできます」
「ほうほう。……非常に興味深いですね。魔法使いなら誰でも使えるのでしょうか?」
「ええ、ある程度魔力のある者なら……広い空間は疲れるけれど、小さな部屋くらいなら」
「ああ、良いですね。非常に良い。ふむ、是非雇入れたいところです。種族によっては気温に敏感な者もいますからね……こっちに就職してくれる魔法使いはいないものでしょうか。ああ、そういえばそちらの治療はどのように?」
「ええと、治癒魔法というものがありまして……」
好奇心旺盛、知識欲旺盛。ジルイルが魔法使いや、マグノの医療、魔法について根掘り葉掘りと訊いてくる。そして話し疲れて眠気がやってくると、彼女も察して口を閉じるので自然と眠りにつけた。休みを挟みつつ、目が覚めている間はジルイルと話が弾むので、全く退屈しなかった。
しかしあまり話すのが得意でないアルノシュトは、口を挟めずにだんまりとしている。その大きな尻尾の先が私の頬を撫でたことでふと、自分を抱きしめたままである彼を見上げた。
(……あ、耳が少ししおれて……寂しい想いをさせてしまったかしら)
私と目が合うとしおれ気味だった耳もピンと立ち上がった。やはり会話に入れなかったことが寂しかったようだ。
「番を独占してしまい申し訳ありませんね、非常に興味深くて」
「……いや。獣人が魔法使いに興味を持つのはいいことだ。リシィは結婚という形でこの国に来たが……ジルイルの言うように、お互いの国で仕事に就くことができれば、文化や知識を交換できるかもしれない」
「それは素晴らしい。あちらに行くにせよ、あちらから呼ぶにせよ、是非私を関わらせていただきたく。いえむしろまずは医者にしましょう、異国の医学研修です、医療の役に立ちますよ。ええ、是非に」
「……近いうちに王に話をしてみよう」
ジルイルの勢いにアルノシュトは少し引いてしまったようだが、話自体はとても魅力的に思えた。同種の職業の者同士で交流を図り、技術や知識をお互いに交換する。文化が融和し、新しいものが生まれるかもしれない。仕事に熱意を持つ職人同士なら、人種よりも仕事に利用できる新しい知識が気になるものではないだろうか。
そうしてジルイルを伴った馬車の旅は、なんだかんだと賑やかに過ごせた。私の体調を細かく見て、適切に休憩を入れるよう助言もしてくれるし、非常に心強い味方だ。
そんな彼女を伴ってバルトシークの邸へと帰りつき、馬車を降りたところで「リシィ!」と聞きなれた声に呼ばれた。
「会いたかったよー!」
「ミーナ、ただい、ま……」
久々に会ったミランナが、いつものように私を抱きしめようと勢いよく駆けてきたのだが、そんな彼女を阻む様にジルイルが立ちはだかった。
「いけません。大事なお身体なのですよ」
「……何この海豚族」
尻尾の毛を逆立てるミランナと、そんな彼女を通さぬよう腕で進行を妨げながら見下ろすジルイル。……まずは説明をして、この険悪な空気をどうにかしないと帰還の挨拶もできそうにない。
猫は毛を逆立てていても可愛いですよね。
本日はコミカライズ配信日です。コミックシーモア様にて、最新話が配信されます。
ついに枷を外したフェリシアに、アルノシュトの様子が…。な回。よろしくお願いします!




