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一匹狼の花嫁~結婚当日に「貴女を愛せない」と言っていた旦那さまの様子がおかしいのですが~  作者: Mikura
二章 様子のおかしい旦那さま

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書籍発売記念番外 愛称




 ヴァダッドに冬がやってきた。それによって狼族の繁殖期も終わり、アルノシュトも落ち着いたらしい。それでようやく、私たちは同室で眠ることになった。私の部屋には暖炉がないため、アルノシュトの部屋で初めての夜を過ごし、これで名実ともに夫婦となれた訳である。

 まどろみながらすぐ傍に感じる誰かの体温を心地よく感じる。もう起きる時間だろうか、と思いながらゆっくり目を開けた。



「おはよう、フェリシア」


「おはようございます、アルノー様」



 すぐにアルノシュトのワインレッドの瞳と目が合い、柔らかな声で挨拶をされる。こうして身支度もしていないうちに誰かと挨拶を交わすなんて、なんだかくすぐったい。……これは夫婦にだけ許される特権だ。改めて、その実感を得た。



「その、体は辛くないか?」


「ふふ、大丈夫ですよ。アルノー様は優しかったので」



 初夜を過ごしたことでアルノシュトは私を心配しているようだ。確かに慣れないことをして疲れは残っているけれど、どこかが痛いということもない。それくらい、昨晩のアルノシュトは私を労わってくれていたし、優しかったのだ。……思い出すと恥ずかしくなるのであまり考えないようにしようと思う。



「……ん、それならよかった」



 体を起こすと毛布の下でアルノシュトの尻尾が勢いよく動いているのが見えた。彼は表情があまり動かない代わりに、尻尾や耳が感情豊かだ。今の機嫌はかなり良いらしい。



「今日は俺も休日だから一日一緒にいよう。もし体が辛くなった時は遠慮なく言ってくれ」


「はい、ありがとうございます」

 


 どうやら事前に休みを取っていたようだ。アルノシュトはこの辺り一帯の軍をまとめる将軍であるらしく、ほとんど毎日その軍の訓練に出かける。宴の準備がある時や体を休めるためということで時々は休みを取るけれど、勤勉な彼はあまり休みを取らないので、一日一緒に居るというのは貴重である。



「私は一度部屋に戻りますね」


「……ああ。食事の支度もしておくから、またあとで」



 別れ際には耳と尻尾が項垂れて大変分かりやすいアルノシュトに笑いを零しながら彼の部屋を出た。廊下は冷たい空気に満ちていたが、魔法を使って体の回りに熱を留めれば寒くはない。

 自室に戻ってさっそく身支度を整える。着る服も冬仕様になった。獣人たちは魔法使いに比べて寒さに強いらしく、冬服は服の素材が少し分厚くなり、上にマントのようなものを羽織るだけであるらしい。

 私は中に羊毛で編まれたマグノの冬服を着ているが、それでも少し肌寒かった。襟巻と手袋は早急に手配するべきかもしれない。


(魔法を使えば温かいけれど……それでは消耗しすぎるわ)


 一日中暖を取る魔法を使い続ければ夜にはぐったりしてしまうだろうし、他の魔法は使えなくなるだろう。やはり着るものを工夫するべきだ。

 支度を済ませて再びアルノシュトの部屋を訪れる。暖炉に火がくべられた彼の部屋は私の部屋より暖かいため、これなら魔法を使う必要もないと解除する。テーブルの上にはすでに食事の用意がされており、アルノシュトは私を見て嬉しそうに尻尾を振った。



「食事にしよう。スープを飲めば体も温まるだろう?」



 魔法使いは寒さに弱いと知ったアルノシュトが色々と気遣おうとしてくれているのが分かって嬉しくなる。湯気の立つスープを飲んで温まった体以上に、心が温かい気がした。



「……フェリシア。俺たちはちゃんと夫婦になった」


「はい。……突然どうしました?」


「その、夫婦ともなればヴァダッドでは誰でも愛称で呼び合っている。俺も貴女を……愛称で呼びたい、と思っているのだが……」



 愛称はヴァダッドの文化であり、マグノにはないものだ。マグノ出身の私には、ヴァダッドであれば親が付けてくれる愛称がない。しかしアルノシュトは私を愛称で呼びたいという。



「私も考えてみたことはあるのですが、やはり馴染みのない文化なので良い名前が思い浮かばなくて……アルノー様が考えてくだされば、嬉しいです」


「…………では、リシィというのはどうだろうか」


「とてもかわいい響きで素敵です。……私にも愛称がある、と思うと嬉しくなりますね」



 ヴァダッドに嫁入りして半年、少しずつ馴染んできたとは思う。それは服を変えたり、こちらの文化に何度も触れてそれが日常になってきたからで、この愛称もまたその一つだ。

 ヴァダッドらしい愛称を貰って、また一歩この国の人間らしくなれた気がする。アルノシュトも私が喜んでいるのが分かるのか、その大きな尻尾がぶんぶんと振られていた。



「是非、リシィと呼んでください。アルノーさま」


「ああ。……リシィ。俺は夫として未熟かもしれないが……貴女だけを一生愛する。これからも、よろしく頼む」


「……はい。私も、貴方だけを一生愛すると決めています。これからもよろしくお願いしますね、アルノーさま」

 


 狼族の愛は人生で一人だけに捧げられる。アルノシュトのその告白は、決して違えることのない事実でもあるのだ。

 魔法使いは種族としてそういう縛りがある訳ではないが、私はアルノシュトだけを愛して生きていくだろう。だって、不器用だけれど真っ直ぐな彼が、こんなにも愛おしいのだから。



 昼を過ぎて太陽が少し傾いた頃、アルノシュトの部屋の暖炉の前で過ごしていると、ミランナとシンシャが揃ってやってきた。二人が揃ってくるのは珍しい。そうして二人並んでいると、兄妹だというのがよく分かるくらいに顔立ちや雰囲気が似ているのが分かる。



「会いたかったよ、フェリシアー!」


「ふふ……こんにちは、ミーナ」



 ミランナは現れるなり私に抱き着いて、シンシャは「よう」と軽く私とアルノシュトに声を掛けると近くの長椅子にごろりと寝転がった。よく似ているけれど行動は対照的な兄妹だ。まあ、自由という意味では同じなのかもしれないけれど。

 喉を鳴らしながら頬擦りしているミランナを、アルノシュトがじっと見つめている。その尻尾は不規則に揺れているので、複雑な心境なのかもしれない。



「うん、幸せそうだね。よかった」


「ええと……ありがとう」



 獣人たちは嗅覚が鋭い者が多く、どうやら夫婦関係をにおいで把握できてしまうらしいのだ。私とアルノシュトが初夜を迎えたことはそれで察せられるらしい。そもそも昨日は「明日はゆっくりくるね!」と言われていたので、においで分からずとも察されてしまうのかもしれないが。



「そうだ、ミーナ。私の事はこれからリシィって呼んでくれないかしら」


「……それ、愛称だよね?」


「ええ、そう。アルノー様が考えてくれたの。……だからミーナにも呼んでもらえたら嬉しいわ」


「うん。じゃあ、リシィって呼ぶね!」



 私に愛称を教えてくれた獣人たちには私も是非、この名前で呼んでほしいと思う。ゴルドークは料理人として屋敷に来ているのだから次に会った時に伝えればいいけれど、ウラナンジュには中々会う機会がないかもしれない。……アルノシュトはウラナンジュを毛嫌いしているから、同じ宴に招待されたとしても遠ざけられそうな気がする。


(シンシャは……何故か少し距離を置かれているから、愛称で呼んでとは言えないのよね)


 アルノシュトの親友でミランナの兄である白猫のシンシャ。彼は今ものんびりとソファに転がってこちらを窺っている様子だ。嫌われてはいないと思うのだけれど、何故か一線を引かれているという感覚はあった。

 とても親切で気遣いが上手く、あれこれと裏で手を貸してくれているような節もあるのに、それでも彼は私に愛称を教える気はないようなのだ。私がまだ把握できていない、種族的な価値観などが関係しているのだろうか。だから私も彼には踏み込まないようにしている。



「今までも仲良しだったけど、やっぱり愛称を呼べると仲良くなれた気がして嬉しいなぁ」



 それは私もそう思う。アルノシュトと結婚したばかりの頃はまだ、私はヴァダッドの人間になったという感覚が薄かった。けれど時を重ね、友人ができて、知り合いが増えて――アルノシュトとも思いが通じ合い、こちらの文化である愛称もつけてもらった。段々と自分がヴァダッドの人間として馴染んでいく感覚があって、ミランナとの距離もずっと近くなったような気がするのだ。……それにしても段々とミランナの腕に篭る力が強くなっているような。



「……ミランナ、あまりリシィを強く抱きしめないでくれ。魔法使いは獣人より……体が丈夫じゃない」


「あ、ごめんね。つい、大好きで」



 興奮気味なのかミランナの抱きしめる力が強くなってきて少し息苦しいかもしれない、と思ったところでアルノシュトからストップがかかった。直ぐに腕の力が緩められて楽になる。

 獣人は魔法使いよりも体が大きくて頑丈で、力も強い。魔法使いである私は加減をしてもらわないといけないのだ。



「大丈夫よ、ありがとう」


「フェリシア、気をつけろよ。猫は好きなものに対して興奮しすぎるところがあるからなー。ミーナは相当お前の事好きだぞ」


「もう、兄さん! 大事なリシィを傷付けるようなことは絶対しないもん。……でも私が怖くなったらいってね……?」



 ミランナから不安げに顔を覗き込まれたので、笑って大丈夫だと答えた。



「私もミーナが大好きよ。ヴァダッドで出来た、初めてのお友達だもの。特別で、大事よ」


「……えへへ」



 猫族は笑っていなくても笑っているように見える顔をしているのだけれど、嬉しそうに目を細めたミランナの表情はどう見ても笑顔そのものだった。とても魅力的な表情だ。

 そんな彼女に私も笑い返していると、アルノシュトの尻尾がなんとも微妙な揺れ方をしているのが視界の端に入る。



「ミランナ、そろそろリシィを離さないか? ……羨ましくなる」


「ええー……アルノシュトは一晩中リシィを抱きしめてたんでしょ、もうちょっとくらいいいじゃん」



 突然のミランナの発言に、私は顔に熱が集まってしまった。そして視線を彷徨わせた先で、ソファの上で楽し気に尻尾をくねらせるシンシャと目が合う。



「ほんと、面白いなぁ」



 ……やはりシンシャには嫌われていないと思う。けれどどこかおもちゃでも見ているように思えるのは、気のせいだろうか。



 

ヴァダッドの人間になったフェリシアにも愛称は必要ですよね。ということでアルノシュトが考えてくれました。


そして本日、一匹狼の花嫁の書籍版が発売となります!

とても素敵な表紙なので、是非お手に取っていただければ幸いです…!

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