彫像庭園
ムソルグスキー『展覧会の絵』「テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか」より
世界は神の造りし庭園であるという考え方が流行した時代があった。
世界は庭園であり、神は庭師であり園丁であるということらしい。
確かに庭園にはそれぞれの文化の特徴が出るものだ。
日本式庭園などは人為を極力打ち消し自然のままに見えるようにするために呆れるほどの人手と作意を凝らす。
一方、西洋式庭園は自然を人為によって征服するという思想のまま人工の美を作り上げることに力が入る。噴水や幾何学模様の花壇や植え込み、並べられた彫像、バラの生け垣の迷路などがそうだ。
三枚目の絵『彫像庭園』は西洋式庭園の絵だ。
丘の上からでも描いたのだろうか、やや見下ろす形で描かれているのは大きな生け垣の迷路と幾何学模様に配置された花壇、そして三十体余りの数の彫像たちだった。画面奥は英国のマナーハウス風の建物。これはどこかの美術館なのだろうか、それとも芸術作品展示をセールスポイントとするホテルなのだろうか。
「ようこそいらっしゃいました。草槻様でいらっしゃいますね」
到着した高原彫像の庭ホテルのチェックイン・カウンターでスーツ姿の男性が頭を下げた。落ち着いた雰囲気と物腰、まっすぐに伸びた姿勢、うっすらと浮かべた微笑のせいもあってそれなりの年齢だろうと草槻は思ったが、では四十代なのか五十代なのかあるいはそれ以上なのか判断はつかなかった。
「ツインルームを一室と承っておりますが、それでお間違いないでしょうか」
「ああ」
高原彫像の庭ホテルの予約をおさえることができたのは幸運だった、おかげで恥をかかずにすんだ、と思うのはやや後ろに立っている女性の存在があるからだ。法山百合、草槻の大学の二年後輩にあたる。
高原彫像の庭ホテルは明治の末に欧米人用の避暑休暇のため造られた格式と伝統のあるホテルなのだそうだ。
草槻としては歴史とか格式とか伝統よりも最新型で設備の整った安価なホテルの方が好みなのだが、こういう状況では風情とか雰囲気のためにこそ高級感が大事なことくらいは分かる。
「ありがとうございます。それではお手数をおかけし申し訳ございませんが、お名前とご住所、ご連絡先をこちらにご記入いただけますか」
草槻は宿泊者カードに「草槻聡」「草槻百合」と名前を記入し、ちらりと百合の方を横目で見ると彼女は小さく頷いた。住所も連絡先の電話番号も伯父の不動産鑑定事務所のものを使った。いくら虚偽を書こうと、今後、このホテルを利用することもないだろうから何の問題もない。
「草槻様、ありがとうございます。それではお部屋は五○四号室となりますので、どうぞごゆっくりおくつろぎください。なお、当ホテルにはボイオッティア宮殿の庭園を模した洋式庭園と三十四体の彫像がございます。よろしければそちらの方もご散策がてらご利用いただければと思います」
チェックイン・カウンターの男性の言葉に百合は目を輝かせたが、芸術方面に興味のない草槻としてはあまりピンとはこなかった。それでも「百合が喜んでいるのならまあいいか」と思い直した。芸術に興味がなくともあるふりをした方が格好はつく。
「ホテルの名前の由来となっている庭園ですものね。楽しみだわ」
「百合がそう言うならさぞ素晴らしいんだろうね」
「ご期待に沿えるかと思います。当ホテルをご利用のお客様方からは幸いご好評をいただいておりますので」
男性はうすく微笑んだ。
「ただし、晩の二十時から翌朝の四時までの間は危険ですので、お庭には出られないようお願い申し上げます。この間に庭園の手入れが行われますので」
草槻と百合の交際は百合の親族たちから反対されていた。
法山百合が国内流通業最大手のピリオッド・グループのご令嬢──百合の曾祖父が戦後一代で築き上げたスーパーマーケット『エイジ』を中核にコンビニエンスストア、エンタメ業界、金融業界、運送業などへと業態を展開している大企業グループであり、株式は公開されてはいるものの、事実上、法山一族の同族企業で、グループ会長は百合の祖父であり百合の父や叔父たちはグループ内それぞれの会社の代表取締役を務めている──であるのに対し、草槻が伯父の不動産鑑定士事務所の事務員でしかないことが原因だった。
百合にしてみれば、生まれた時からついて回るピリオッド・グループ創業者一族の直系という立場は、重荷であり劣等感の源ですらあった。ただそのような立場に生まれたというだけで特別視されるのは差別だ、とさえ百合は感じていた。草槻は百合をそういう意味では差別しなかった。彼女にとって草槻だけがピリオッド・グループのことを意識せずに会話できる唯一の相手だったのだ。
たとえ百合が草槻のことをどう思っているにしても、当然、法山一族は草槻を不安視した。彼女の両親も祖父母も百合にはピリオッド・グループの一員としてふさわしい相手を見繕うつもりだったし、仮にそうでなくともピリオッド・グループの名に傷がつかないような相手であることが最低の条件だったからだ。
草槻は不動産鑑定士事務所の事務員をしていたが、それは親代わりの伯父に養って貰っているというより他ない状況だった。草槻の両親は彼が幼いころに二人とも亡くなっていたし、草槻自身は何の資格も持っていないので、万が一その伯父に何かあった場合、事務所ともども草槻は収入の口を断たれることになる。大切な娘を嫁がせるには経済上の不安が大きすぎた。
そこで、百合の両親が草槻に「ピリオッド・グループのどこか一社に入社して経済基盤を整えないか」と打診してみたところ、草槻は「皆が就職活動で苦労しているというのに、自分は自分の利益のためにお嬢さんとお付き合いをしているわけではありませんので」と全くかみ合わない答えを返し、両親を困惑させることになった。
結局、「安定した収入の道がない状態で娘と結婚はさせられない」と法山一族は結論をだし、百合と草槻に告げた。「せめて不動産鑑定士資格を取って、親戚の事務所の跡継ぎになれるくらいにはならなければ」と。
草槻は一方的に法山家側から試されるような状況に腹立たしさを感じていたし、百合はどうしても自分の気持ちを理解してくれない一族に強い不満を感じていた。
今回の旅行の背景にはそういう事情があった。
草槻と百合は、このホテルで一泊した後、大学の後輩であるアウトドア・サークルの人間から教えられた、ここからもう少し山の上の大滝を見に行く予定にしていた。
ホテルの洋式庭園は芸術に素養のない草槻にも感じ取れるほど見事なものだった。
ホテルの客室はすべてガーデンビューとなるように設置されていたが、その部屋の窓から見下ろしても息を呑むほど美しかった。
満開の花がきれいにグラデーションするように植えられた幾何学状の花壇、磨き上げられて真っ白な大理石の階段状水路と噴水、色とりどりのバラが咲く生け垣でできた迷路、庭園のあちこちに配置された彫像、それらが山の中腹にあるとは思えないほど広い敷地に展開されていた。
「すごいわね」
「確かに。なんでもこの庭だけで六万平米ほどの広さがあるらしいな。見に行こうか」
庭園には一階ラウンジから出入りすることができるようになっていた。ラウンジの一角はカフェになっていて、草槻と百合が通りがかった時には二人の子供を連れた四人家族が軽食を食べていた。
「何か食べるかい」
「ううん、大丈夫。今、食べちゃうと晩ご飯が入らなくなっちゃうから」
山の中にある高原彫像の庭ホテルの近くには他に食事のできる店がほとんどないため、ホテルの宿泊予約の際、食事つきで申し込まざるを得なかった。とはいえ、どのウェブサイト上での評価を見ても高原彫像の庭ホテルの食事は五つ星か四つ星で大絶賛か絶賛のいずれかしかなかったので、実は草槻もホテルでの食事を楽しみにしていたのだった。
ラウンジの端にあるドアを押し開けると、ふわりと庭園の花々の香りが漂ってきた。
「いい香りだな」
「高原の空気のおかげかしら」
二人は庭へと足を踏み出し次々と花壇を見て回った。
そうして歩くうち、所々で彫像が花壇を眺めるのに邪魔になることに気がついた。
見える限りほぼ全てが等身大の人間像で、花壇を眺めるようなポーズをとっている像や座り込んでぽかんとこちらを向いている像、散歩するように歩いている像など思い思いの格好で庭に置かれている。風雨にさらされて汚れたりもしそうなのによく手入れされているらしく真っ白だった。
「ぼくにはこういうのの良し悪しはよくわからないんだが、百合はどう思う」
「わたしも詳しいわけじゃないですけど、すごくよくできていると思いますよ。動きが自然ですし、とても写実的じゃないですか。こういう庭園に飾られている像ってわざとらしいポーズをとっているのが多いですけど、そういうのがあまりないですよね」
「そういうものか、なるほどね」
二人はぶらぶらと庭を小一時間ほど歩いたが、百合は「せっかくの記念だから」とスマートホンであちこち写真を撮り始めた。
「やっぱり、結構広いな。さて、いよいよ迷路を歩いてみようか。さっき上から見た感じじゃ、そう難しい迷路でもなかったし、バラもきれいだったしね」
「真ん中あたりに休憩できる場所もありましたよ」
「ああ、そういえばベンチとかテーブルもあったね」
草槻と百合は庭の外周をぐるりと一周した後、ラウンジから一番近い入り口から迷路に入った。
入り口のあたりのバラはピンク色だったが、途中から濃い赤や紫色の花に変わり、椅子やテーブルのあるあたりでは白バラがいっぱいに咲いていた。
迷路の中にも彫像は多く設置されていて、うっかりすると迷路を楽しんでいる他の宿泊客かと見間違えてしまいそうなほどだった。
こういう彫像って女性像が多い印象があったんだけどな、と草槻は思った。教科書とかで見た感じだと服装も裸像とか薄物とかあるいは古典的なものが多いような気がしたけれど、ここの像はほぼ男女比が半々のようだし服装も色々だ。ギリシャとかローマとかよく分からないけれどそんな感じの服装の像もあれば妙に粗末で野暮ったい格好の像もシャーロック・ホームズか何かの映画で見たような身なりの像や古いハリウッド映画にでも出てきそうな外観の像まであったような気がする。
二人は迷路の中の休憩所のベンチに腰を下ろして少し足を休めた後、そのまま先に進んで迷路を出た。見ると山の端に日が沈みかけていて空が真っ赤に染まっていた。
「迷路の中に結構いたみたいだね、もう夕方だ」
「楽しい時は時間がたつのが早いですね」
庭園を堪能して二人は部屋に戻った。
『お父様 お母様 わたしの不孝をお許しください。
わたしは名前も顔も知らない、わたしをピリオッド・グループの娘であるとしか見ないような方のもとに嫁ぐ気はありません。これまで多くの方が、わたしに気兼ねをするか、わたしを賞品扱いするかのいずれかでした。わたしをただ一人の人間であると見てくださる方はただお一方だけだったのです。
お父様 お母様 わたしはもう耐えられません。わたしは遠くへと旅立つつもりでおります。もうお目にかかることはないでしょう。これまでわたしを育ててくださってまことにありがとうございました』
草槻と法月百合の今回の旅行はただの観光旅行ではなかった。
二人の交際に対する法月家の反対を快く思わなかった草槻と百合は「狂言心中」をしてみせるつもりだったからだ。明日、二人が行く予定の大滝は観光名所であると同時に自殺の名所でもあった。勿論、本当に大滝に飛び込むつもりはない。このホテルにそれらしい書き置きを残したまま、友人の家にでも匿って貰おうという計画だった。
百合はとにかく親たちにひやりとさせたいというそれだけの目的だったし、法山家の態度に面白くないものを感じていた草槻としても特に反対する理由はなかった。
夜九時過ぎ。
ホテルのレストランでの夕食を楽しんだ後、事前に用意しておいた書き置きをベッドサイドテーブルに置き、明日チェックアウトの準備を始めたところで百合が「あ」と呟いた。
「どうした、百合。何かあったのかい」
「わたしのスマートホンが」
どうやらどこかにスマートホンを置き忘れてきたらしい、と百合が言った。二人で今日の行動を振り返ってみたところ、多分、庭の迷路の中じゃないか、という結論になった。
「落とし物として届けられていないかフロントに確認してみよう。それにしてもまずいな」
明日にも自殺しようという女性がうきうきと庭園散策を楽しみ写真にまで撮っていたということになると、書き置きの説得力が全くなくなってしまうだろう。
このホテルのチェックアウト前に何としても取り戻しておきたい。探すとしたら明日の早朝か、それとも今か。
二人は一階に下りてフロントに落とし物の確認をしたが、スマートホンは届けられていなかった。
「見つかりましたら改めてご連絡差し上げます。明日以降になりましたら、頂戴いたしましたご住所に必ずお送りさせていただきますのでご安心ください」
「ああ、頼むよ。ありがとう」
草槻はそう答えはしたものの虚偽の記載がここにきて裏目に出たことに困惑していた。
「まずいな。こうなったらさっさと自分たちで見つけないと」
「でも、夜の間はお庭の手入れがあるんでしょ」
「だからさ。誰かが庭で作業しているのなら出入りもできるはずだろ。作業スタッフに見つかる前に、さっと行ってさっと見つけてくればいいさ。まずラウンジから庭に出られるか行ってみよう」
草槻は百合の右手をつかんで歩き出した。一階のラウンジはフロントからは見えにくい場所にある上、たまたまスタッフも客もいない無人の状態だった。しかも、庭園へとつながるドアは開け放されたままになっている。
「これはラッキーだ。さあ、さっさと見つけてこよう」
「そうね」
二人はそっと夜の庭園へと足を踏み出した。
庭園は暗闇の中にあった。
昼間に歩いた時には気づかなかったが、この庭園には照明や灯りのたぐいが全くなかったからだ。
夜空には星があるものの、雨でも近いのか、厚い雲が月を隠していた。草槻と百合は手をつないだままそろそろと足下を確認しながら庭園の生け垣迷路の入り口へと向かった。
「聡さん、懐中電灯は」
「ぼくのスマートホンがあるからね、懐中電灯の代わりにはなるよ。だけど、ここでつけるとラウンジからもフロントからも見えてしまう。迷路に入るまで我慢してくれ。もう少ししたら目も暗いところに慣れるだろうし」
星空を背景に庭園の全てがぼんやりと真っ黒なシルエットの塊のようにしか見えない。
それにしても何の照明器具もないのに、この夜闇の中、本当に庭の手入れなんか行われているのだろうか。庭の手入れ自体が行き届いていることは間違いない。だけど、広さだけで考えても簡単に済ませられることではないだろう。とすれば、今も手入れ作業は行われていると考えた方がよさそうだ。とはいえ、この暗闇の中、一体、どうやって。
「正方形の花壇を二つ、円形の花壇を一つ、階段状水路の上を渡した橋を越えたところに迷路の入り口があったはずだ。百合、足下に気をつけて」
あまり話をするのもまずい、声を聞かれたら見つかってしまう、と思いながら草槻はそれでも百合に注意をうながさないわけにはいかなかった。ここで怪我でもされたら今の苦労も何の意味もなくなってしまう。
それにしても、と草槻は思った、昼間にも感じたが歩くのに本当に邪魔なところに彫像が立っている、見通しの悪いなか歩いていると人間と間違えて心臓に悪いし、百合がぶつかって壊しでもしたらと思うとひやひやする。
「多分、今が二つ目の花壇のところかしら」
暗闇に不安と緊張を感じているのか、いつもより彼女も饒舌だった。少し黙った方がいい、見つかったらどうするんだ、と言いかけて草槻はやめた。そんなことより彼女が失敗しないように気をつけた方がいい。
「そうだと思う。おっと、百合、少し右だ。彫像にぶつかるぞ」
「こんなところに像なんてあったかしら」
言いかけて百合は何かにつまずき……つながれていた二人の手が離れた。
「百合」
言わないことじゃない。草槻は振り返ると慌てて手を伸ばした。座り込んでいた人影が草槻の伸ばした手をつかんだのでそのまま引き起こす。
「大丈夫、怪我はないかい」
転んだショックがあったのだろう、声もなくこくりとうなずく気配がした。
「怪我がないなら良かった。危ないからね、本当に足下には気をつけて」
草槻はそう注意をうながすとゆっくり慎重な足取りで歩き始めた。ようやく暗闇に目が慣れてきたのかシルエットの一つ一つの濃淡がおぼろげにも感じ取れるような気がする。草槻は握った手を離さないようしっかりと握ったまま前へと進んだ。さらさらと水の流れる音のする方へと歩き、小さな橋を渡る。
「少し滑るからね、足を踏み外さないようよく気をつけて」
まったく君は鈍くさいから、と声には出さずに草槻は振り返った。
その時、雲の間から月が顔を出し、周囲が少し明るくなった。
真っ暗闇の中に法山百合は座り込んでいた。つまずいた時にひねったのか左の足首が鈍く痛んだ。
もしかして草槻は百合をおいて先に歩いていってしまったのだろうか、そう思うと不安で胸が苦しくなった。大丈夫、そんなはずはない。あまりに暗くて草槻は百合を見失っただけなのだ。すぐに草槻は百合を見つけるだろう。
ほら。百合の前に人影が立ち、百合の方に右手を差し出している。
百合は差し出された手をつかんで立ち上がろうとした。
その時、雲の間から月が顔を出し、周囲が少し明るくなった。
「ただし、晩の二十時から翌朝の四時までの間は危険ですので、お庭には出られないようお願い申し上げます。この間に庭園の手入れが行われますので」
草槻が手を引いて歩いていた相手は法山百合ではなかった。
百合の前に立って手をさしのべていたのは草槻ではなかった。
目の前の存在を見ながら、本当に驚いた時には声も出なくなるものだ、と二人は生まれて初めて知った。
──これは一体何だ。
翌日、高原彫像の庭ホテルでは、五○四号室の宿泊客が朝食の時間を過ぎてもチェックアウトの時間を過ぎても起きてこない、と小さな騒ぎがあった。
フロントから五○四号室に内線電話をかけても誰も出ない。もしかすると室内で問題が起きているのかも、とスタッフがマスターキーで五○四号室のドアを開けてみたところ、室内には誰もおらず、ただ書き置きだけが残されていると知らされて、ホテルの支配人は警察への通報を決断した。
「とすると、この宿泊者カードの内容もでたらめなんですな」
捜査責任者という警部補が無精ひげののびたあごをなでながら言った。
「ええ、そちらに通報させていただいた後、この連絡先に電話をかけてみたところ、ある不動産鑑定士事務所につながりました。こちらの『草槻聡』という名前だけは本当だったようです」
「ふうむ。ですが、ここまで乗ってきた自動車はそのまま駐車場に残されていますな」
「もしかしたら当ホテル内のどこかにおられるのかも、とも思いスタッフ総出で探してはおりますが、まだ見つかってはおりません。もし、よろしければ警察の方にお手伝いいただければ助かります」
「いや、なに、後で事情を聞かせていただきます。ベッドも使われた様子はなかったということですし、昨夜からホテルを出ていれば大滝には夜明け前には到着できたでしょう。今は、まず、そちらを捜索させることにしますよ」
それにしても若い何不自由ない身空で何を好きこのんで自殺なんか、と警部補は口をへの字に曲げた。
「こんな立派なホテルに泊まれる身の上でねえ。お高いんでしょ、知ってますよ」
「ええ、まあ。ただ、そう思われるほど高くはありませんよ。当ホテルは庭園が自慢で、できるだけ多くの方にそちらを楽しんでいただきたいと思っておりますから」
「庭園ね。なるほど見事なものですなあ。『彫像の庭』でしたっけ。ここから眺めても結構な数ですが何体ほど飾られているんですかな」
「そうですね。三十六体になります」
スーツ姿の支配人は薄く微笑みを浮かべながら言った。
このような庭園の場合、洒落たデザインの外灯やライトアップ用の照明器具などが設置されているものではないだろうか。美術館ならともかくホテルだとしたら宿泊客を夜間も楽しませるための照明があってしかるべきだろう。
それがないとしたら、やはり、美術館なのだろうか。
それにしてもやけに彫像の数が多すぎるような気がする。
特に橋の上の像なんてバランスも悪いし、歩く時の邪魔にもなりそうだ。