人形の島
ムソルグスキー『展覧会の絵』「こびと」より
人形というのは何故ああも不気味なのだろう。
髪ののびる日本人形というのは怪談の定番だし、西洋人形もまたホラー映画の小道具の定番だ。
大量生産の子供の玩具の着替人形さえ怖い都市伝説の主役、「今、あなたの背後にいるの」、になる。
おびただしい数の人形が描かれた絵を見て私は息を呑んだ。
題名は『人形の島』。
上東の絵は古典的とも言えるほど重厚かつ写実的なのが特徴だが、その筆致を余すところなく活かして、雨風にさらされたために薄汚れてぼろぼろになった日本人形や西洋人形、玩具の人形などがこちらを向いてずらあっと並んでいる様子が描かれいるのだ。
絵の上部にはうっそうと茂った森とおそらく閉社されて久しい古びた小さな神社。神社とわかるのはちぎれかけてだらりと垂れたしめ縄があるからだ。
その社の前の境内にあたる場所に整然と百体以上はありそうな人形が並べられて絵を見ているこちらをじっと見返している、ように見える。
だから、思うのだ。人形というのは何故ああも不気味なのだろう、と。
戸根はコンパの席での酔った勢いだったとはいえ人形島の話なんかするんじゃなかったと後悔していた。
人形島と子供の頃から呼んでいたが、確か正式な名前は疋馬島といったはずで戸根の地元の町からすぐの沖合に浮かぶ小さな無人島だ。
昔は漁をなりわいとする数家族が住んでいたが過疎の結果としてずいぶんと昔に無人島になった、と聞いている。
「無人島か、連休のキャンプにはもってこいの案件じゃないか。よくやった、戸根」
末武が短く刈り上げた頭をがりがりと掻きながらうれしそうに頷き
「ボートなら俺が出すよ。小型船舶の免許もとったし」
と釣りが趣味の辺浦がそれにのり
「昔、人の住んでいた集落跡もあるんだろ。肝試しもできそうだな」
と探検部部長の織間が締めた。探検部というが平たく言えばただのアウトドア趣味の学生が集まっただけの弱小サークルだ。
「戸根の実家は大学から車で二~三時間くらいのとこだったよな。で、その疋馬島、船でどれくらいだ。すぐの沖合とか言ってたけど」
「海水浴場じゃないし、漁船も行き交うから危ないけど、少し遠泳ができれば泳ぎ着けるくらいの距離。だから辺浦のモーターボートなら余裕。だけど、正直、あまり気は進まないんだよね。あまりいい噂を聞いたことがないから」
「噂ってどんなんだ、野犬が出るとか熊が出るとかか。病気とかも怖いな」
「辺浦の言うように危険がありそうなら早いうちに言ってくれ」
酔っ払った学生たちの喧噪の中では自分の感じた不安や心配が根拠のない馬鹿馬鹿しいものに思えてきて、戸根は軽く流すことにした。
「良くない噂っていうのはそういう話じゃないんだ。なんて言うのかな、呪われるとか、祟りがあるとか、そういう系統の噂。昼のうちなら界隈の人間も、結構、島に出入りしてるんだけど、日が暮れたら誰も近づかないんだよ」
「なんだよ、びびるような話か、それ」
末武が笑い出し、織間も辺浦も苦笑した。
「いいねいいね、雰囲気出てきた。肝試しにもってこいじゃないか」
「別に昔の集落跡だって何か事件があって無人になったってことじゃないんだろ。ほら、杉沢村みたいな。だったら、呪いも祟りもどこからくるんだよ」
「野犬とかそうした話はないんだよな」
「それほど大きな島じゃないし、聞いたことはないな。餌になるものもないだろうし」
「じゃあ決まりだ」
改めて部内で他の参加者を募ったものの、所詮リゾートでもない無人島ということで食いつきが悪く、結局、当初の四人だけの参加となった。
「観光地っぽいところより、こういう地味めだけど秘境っぽいところの方がアウトドアとしては面白いと思うんだけどな」
織間は自治体と警察署、漁協に疋馬島でのキャンプの計画書を提出し許可を得て、準備万端整えた。
自前のボートで海を渡るのだし無人島でのキャンプとなれば万が一のこともある、手間を惜しんで他人に迷惑をかけるようでは真のアウトドア趣味ではない、登山家が登山計画書を事前に提出するのと同じことだ、と織間は常々主張している。
本来であれば土地の権利者にも立ち入りの許可を得なくてはならないのだが、無人になって久しく土地の権利者も錯綜して分からなくなっているらしかった。
「後で問題にならないようにしておきたかったんだけどな。まあ、仕方がない」
こうして戸根たち四人は疋馬島の見える里桜町にやってきた。
漁協の食堂で昼食をとりながら段取りを確認する。
こういう時にもまとめ役になるのは部長の織間だった。少し色の入った銀縁眼鏡を光らせながら、
「今日の午後から計画書どおりに疋馬島に入ることを漁協と町役場、警察署に届けておかないと。これは昼食の後すぐでいいな。辺浦、薬箱の中身は補充しておいてくれたか」
と確認作業を進め、辺浦が道具類を確かめた。
「大丈夫、ばっちり。季節的は少し早いかもだけど虫除けも多めに用意しといた」
「ありがとう。皆、足りないものはないか。買うなら今のうちだぞ」
「ないだろ。これで何度目のキャンプだと思ってるんだ」
刈り上げた頭をがしがしと乱暴にかきながら末武が苦笑する。
「慣れた頃が危ないからな。前々回のキャンプの時みたいに缶切りを忘れた、っていうことだってあるんだし」
「今時、プルアウトじゃない缶詰を持ってくる奴の方が悪いだろ、あれは」
「何を言ってるんだ、せっかくだから上等な缶詰を食べさせてやりたいという人の気持ちを無駄にしておいて」
「持ち運び式の太陽電池パネルも充電式バッテリーも準備できてるし、テントも寝袋も大丈夫。あと、食事中にあれだけど簡易トイレも補充済み」
「大事なことだな。皆、食事が終わったら、島に渡る前にできるだけトイレは済ませておいてくれよ」
「島だろう。いざとなりゃ海でってことだってできるだろ、神経質にならなくても」
「わかるけど駄目だ。ぼくら探検部はそこらのマナーのなってないにわかキャンパーじゃないんだ。立つ鳥跡を濁さず。来た時と同じ環境のまま帰る、がぼくらのモットーだろ」
「へいへい、部長、おおせのままに」
戸根は笑いながら三人のやりとりを眺めていた。
探検部の活動は楽しい。だが、人形島へいざ渡るとなると緊張感と後悔とが腹の下の方に重く冷たく居座るような感じがした。
小さい子供の頃から聞かされていた怪談めいた噂話が心にのしかかってくる。
戸根の通う大学は、一応、高偏差値高学費高就職率で名前の知られた私立大学だ。
漁協に勤める父親をもつ戸根は高就職率に惹かれて頑張って入学した。しかし、大学の高就職率の実態は、学校の就職課の能力によるものではなく、そもそも就職活動に懸命にならなくてもよい学生が多いことによるものだった。
例えば部長の織間は私立学校経営者一族の出身で大学を卒業したらその学校の教師になることが決まっている。
辺浦は父親が地銀の頭取で、そのコネで、銀行への就職が内定済みだ。
活動的な末武は同族経営の会社社長の長男ときている。
誰も就職活動の必要がない。
それに比べて、戸根は今回のキャンプが終わったら就職活動を始めることになる。当分、探検部の活動にも参加できなくなるだろう。
そう考えると今回のキャンプが良くない噂のある人形島というのは少し残念だ。
戸根の少し憂鬱な気分とともに、四人は疋馬島に上陸した。
確かに泳いで渡るには少し厳しいかもしれないが、海をへだててすぐそこに里桜町が見える。海岸線に沿って並ぶ建物まではっきりと見えるくらいの近さだった。
四人は波にさらわれたりしないように辺浦のボートを砂浜に上げ、拠点としてのテントを張った。趣味とはいえアウトドアになれた手際の良さだ。
「これだけ近いと、弱いけれど一応携帯電話のアンテナは立つな。よし、用意もすんだし、島のなかを歩いてみよう。戸根、案内を頼む」
「ようし、面白そうだ、さっさと行こう」
織間の号令で四人は歩き出した。野球帽をかぶった末武がうきうきとした様子で案内の戸根をせかす。
浜辺からすぐに防風林の松の林があった。海風に吹かれ続けたせいかねじ曲がって歪んだ松の木々の間に雑草に埋もれかけた獣道のような小道が続いていて、その林のすぐむこうに民家跡の廃墟が広がっていた。
じわじわとものが腐り落ちていく不健康なにおいが彼らの鼻をつく。
もとは平屋建ての立派な和風建築だったのだろうが、今では屋根瓦が落ちたり割れたりしているせいでの雨漏りが原因なのかあちこちが腐って建物全体がわずかに歪み傾いているようだった。家のまわりも生い茂った雑草で埋まっている。
「これは危ないかもしれないな。この家が万一倒壊でもして巻き込まれたら怪我じゃすまないかも」
「近づき過ぎなきゃ大丈夫だろ、他の家も見てみようぜ」
「マスクあるよ。カビとか吸い込んだら体によくないって」
「そうだな、ひどいにおいだ」
残りの数軒も最初の民家と同じような状況だった。
一番奥まったあたりにある一軒は他の家よりも少し大きく倉らしき建物が庭にあることから、多分、網元とか村長とかいう立場の家だったのだろう。それでも朽ちて崩れかけている有様は他と何も違わなかった。
「集落跡はこんな状況なのに、獣道みたいとはいえ、よく道が残っているもんだな」
「それには理由があるんだよ。こっち。この奥に神社跡が残っているんだ」
元網元屋敷跡らしい廃墟の向こうには雑木林が広がっており、獣道はそのなかへと続いていた。
手入れのされていない木々の枝が目隠しのように張り出しているため、小道の先の見通しはとても悪かった。細い木の枝が彼らの服や帽子などに引っかかって底意地悪く先へと進ませないよう妨害されているような感じすらした。
「この雑木林が鎮守の森の跡なんだろうな。結構、大きいのか」
「いや、この島自体がたいして大きくはないからね。神社跡はすぐそこだよ」
実際、少し歩くと雑木林が切れ、足下が参詣のための石畳に変わった。まわりの森の影響かカビやコケがはえて足を滑らせてしまいそうにぬるぬるしている。頭上には塗りが完全に剥げて朽木色になった鳥居がなかば傾いて立っていた。
「……雰囲気あるな、これ」
「このあたりまで来ればそろそろ見えるだろ。この島が人形島と呼ばれる理由があれだ」
足下に気をとられたり鳥居を見上げていた彼らが、戸根の見ている方を見て小さく息をのんだ。
「なんだ、あれ」
参道の先に小さな神社があるが、その前の境内を埋め尽くすほどにずらりと人形が並んでいるのが見えた。
おそらく百はくだらない数の、おかっぱ頭に和装の日本人形は勿論、立派なドレスをまとった青い目の西洋人形、子守ごっこに使うような赤ん坊人形に大抵の女性なら子供の頃に遊んだ記憶があるだろう大量生産の着せ替え人形までが境内いっぱいに整列しているのだった。
風雨にさらされて汚れている様子からすれば、それらが捨てられた人形であることは一目瞭然だ。
その人形たちが無表情な目で彼らを見ている。
「多分、最初はこの島に住んでいた人たちが人形をここに置いていったのが始まりだったんだと思う。ほら、人形ってなんか捨てにくいだろ。だから、神社に奉納させていただく、っていう感じだったんじゃないかな。で、人形を置いていける場所がある、っていう噂が噂を呼んでこの有様。わざわざ県外から来る人もいるって噂も聞いたことがある」
「それにしても、この数はすごいな」
「なんで、わざわざ並べてあるんだ。捨てるだけなのに面倒くさいだろう」
「だから、誰も捨てていったつもりがないからだろ。きちんと並べて置かれていたら、次に来た人だって列を意識するもんじゃないかな」
「……にしても、さ、これはどうも不気味だな。なんか、戸根が呪いだ祟りだ言ってたのもわかる気がする」
「馬鹿言ってんなよ」
辺浦の言葉を末武が鼻で笑った。
「あれはゴミだろ」
「ゴミ、かなあ」
「ゴミだよ。捨てられたゴミだ。ゴミにびびってどうすんだよ。言ってしまえば産廃処理場と一緒だぞ。むしろ、油やら化学薬品やらで産廃処理場の方がよっぽど怖いわ」
末武はそのままずかずかと人形たちの前まで進んでじろりと見回した。
「な、よく見ろよ。こいつらはただのゴミだ」
「そうかもしれないけど荒らすなよ。この島に来る前にも言ったろう。来た時と同じ環境のまま帰る。マナーのなってない連中と同じような真似はしない。まあ、アウトドア趣味の基本だけどな。だからこそ、だ」
織間は神社跡や廃墟跡の写真を何枚か撮り、夕暮れも近づいてきていることから、一旦、浜辺のテントまで戻ることにした。
「暗くなる前に夕飯にして仮眠をとろう。で、夜中になったら肝試しだ」
「単独行動はまずいんじゃないか、廃墟とか雑木林とか」
「そのとおりだ、辺浦、だから全員でさっき行ってきた神社の参道まで行ってみる、ということで」
日が沈んでいくのを見ながら戸根たちは携帯燃料で湯を沸かしパックのライスとレトルトのカレーで夕食にした。
少しずつ暗くなっていくなか海の向こうでは町の灯りが一つ一つ光りだしていく。
「あれくらい近いんだし、あっちの町の飯屋で夕飯にしても良かったかもな」
「いや、お前、アウトドアってそういうものじゃないだろ。飯屋で飯食って宿屋に泊まるアウトドアって、それ、ただのアウトだからな」
身も蓋もないことを言う辺浦に末武がしょうもないツッコミを入れ皆が笑った。
日が暮れて風が出てきたのか、防風林の松林ががさがさざわざわと音を立てて揺れた。
仮眠をとっている間、戸根は奇妙な夢を見た。
暗闇の中、戸根はボートに乗っていた。ボートの中には戸根の他にも真っ黒な影法師が二人乗っていて、懸命にボートを対岸の町に向かって走らせているのだが、悪夢の中ではよくあるように高い波に阻まれてボートはなかなか先に進まないのだった。
「ちょっと待てよ」
戸根は影法師たちに叫んだ。
「おかしくないか、一人足りないぞ。誰か置き去りにしたのか」
「そんなこと言ってる場合か」
影法師の一人が叫び返した。確かに聞き覚えのある声なのだが、これも悪夢の中ではよくあるように誰の声なのかはわからなかった。
「置いてくるのはもともと決まっていた話だろう。今更何を言うんだ。それとも、お前が残りたかったのか。今からでもあいつとかわるか」
──それは嫌だ。絶対に嫌だ。
背後を振り返ると黒々とした島の影が波の彼方に横たわっているのが見えた。
──あんなところにたった一人で置いていかないでくれ。
戸根はぞっとなって目を覚ました。
夢から覚めたことにほっとしたのは子供の頃以来のことだった。
テントの中で仮眠をとっていたのでまわりは闇の中だったが、誰かがすぐにランプのスイッチを入れた。織間だった。
天井から吊された電気ランプがかすかに揺れる光の下で、戸根がまわりを見回すと辺浦も末武も目を覚ましていて白茶けた顔色になっていた。
織間の表情も妙に固い。
「……なあ、お前ら、お前らも、もしかして」
俺と同じように恐ろしい夢を見たんじゃないのか、と戸根が言いかけた、その時。
──げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら
──ぎゃはははははははははははははははははははははははははははははははははは
ごおう、とテントが揺れた。楽しそうな、しかし、嘲笑うような笑い声だった。
「なんだよ、どういうことだよ」
あまりのやかましさに耳を押さえて辺浦が声を上げた。戸根が織間に振り返った。
「おかしいぞ、これ。一体、今、何時だ」
「一時五十五分。肝試しに行こうって決めてた時間の少し前だ」
「真夜中だよな。じゃあ、あれ、誰が笑ってるんだ」
──わあはははははははははははははわははははははははははわははははははははは
──ああっははははははははああははははははははははははははははあはははははは
戸根の言葉に「やめろよ、やめろよう」と辺浦が体を丸め、こわばった表情で織間と戸根が顔を見合わせていると
「ふざけるな、くだらないイタズラをしやがって、くそやかましい」
憤然と末武が立ち上がった。顔が紅潮し目が据わっていた。
「どうせ、スピーカーか何かを使って俺たちをびびらそうとしてるんだろ。誰がびびるか、こんなもん」
「おい、末武」
「俺たち以外にもこの島に入り込んでる連中がいるに決まってるんだ。何を考えてるのか知らんが、くそ、なめやがって。ぶん殴ってやる、こん畜生」
「おい、待て、末武、落ち着け」
織間が止めるのも聞かずに怒りにまかせて末武が懐中電灯を片手にテントを飛び出した。
──ぎゃはははははははははははははははははははははははははははははははははは
──ああっはははははああははあははははははははははははははははあはははははは
「駄目だ、危険すぎる、こうなったら放っておけない」
織間が嫌そうに立ち上がった。
「何もなくたって真夜中の廃墟や雑木林だ。それにたちの悪いイタズラ者たちがいるならもっとまずい。下手に喧嘩沙汰になれば結構な怪我をすることだってありうる」
だよな、と戸根も織間に同意した。辺浦は小さくうずくまったままだ。
「辺浦、ぼくと戸根は末武を追って出てくるけど、お前、どうする。ここに一人で残るか」
「……無理だ、俺。俺はここに残る」
「わかった。辺浦、スマホでこの笑い声を録音しろ。誰かが何かやらかしている証拠になる。戸根は録画だ。ぼくと一緒に末武を追っかけるぞ。急ごう。事故が起こる前になんとか末武に追いつかないと」
戸根は織間と懐中電灯で先を照らしながらテントを出た。砂浜を蹴散らすように末武の足跡が防風林の方へと続いている。耳が痛くなるほどの笑い声が響いてくる方だ。
──わあはははははははははははははわははははははははははわははははははははは
──げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら
浜辺の砂地に足を取られながら、戸根と織間はできるだけ足早に防風林へと向かった。
この防風林を抜けると荒れ果てた廃墟があり、そしてその向こうには、あの神社跡があるのかと思うと利根の気分は重くなった。
「おおい、末武え」
「末武え、危ないぞお、戻って来おい」
できるだけ神社跡の方まで行きたくない、そう思いながら戸根は声を張り上げた。
二人で末武のことを気にしすぎて焦っていたせいだろう。先を歩く織間が防風林の松の根っこにつまづいた。転びそうになる織間を戸根が支えた。
「大丈夫か、織間」
「いや、すまん、ありがとう」
それにしても、この防風林の間の道はこんなに歩きづらかっただろうか。
勿論、昼間と今では明るさが違うし視界も違う。昼間なにごともなく歩けたからといって夜中も同じように歩けるはずがない。としても何らかの悪意めいたものを戸根は感じざるをえなかった。何の根拠もない。仮眠の時に見た夢とこの笑い声のせいで神経過敏になりすぎた妄想のようなものだ。
防風林を抜けて民家の廃墟のあたりまで来ると、響き渡る笑い声ははっきりと嘲笑であることが感じ取れた。その嘲笑に負けないよう戸根と織間は大声を出して末武を探した。
この笑い声は本当に誰かのイタズラだと思うか、と戸根は織間にたずねかけ、その質問を呑み込んだ。
イタズラのはずだ、もしイタズラじゃないとしたら……。
「くそっ、あいつ、どこまで行ったんだ」
「多分、まっしぐらに走ったんだろうな、この暗い中。怪我してなきゃいいんだが」
もう少し先まで行ってみよう、と織間が言い、戸根はうなずいた。行きたくない、とは言えなかった。
まさか、俺たちの声が聞こえないような、俺たちの声が聞こえていても返事ができないような状況になってなきゃいいんだが、と戸根は考え、あわててそれを打ち消した。
あの夢のせいで縁起でもない考えが浮かんでくる。
──げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら
──ぎゃはははははははははははははははははははははははははははははははははは
「とりあえず、あの神社跡まで行ってみよう。それで末武が見つからないようなら、夜明けを待って明るくなってからもう一度だ。こう暗いとぼくたちまで迷子になりそうだ」
織間が眉間にしわを寄せて言った時、急に木々を揺らすほどに響き渡っていた笑い声が止まった。
暗闇の中、つんのめってしまいそうなほどの静寂に戸根と織間は顔を見合わせた。なにかまずいことが起きた気がする。
末武は神社の境内跡で見つかった。
仰向けに倒れているのを見た織間は迷わず携帯電話で救急を呼び出した。呼吸もしているし心臓も規則正しく動いているにも関わらず、末武は織間と戸根の声に何の反応もしない。頭を打っているのかもしれない、と織間は言った。
末武はすぐにやって来た救急隊に病院へと搬送され、戸根と織間、辺浦の三人も事情を聞きたいからとそのまま警察署へと連れて行かれた。
戸根たち三人はその夜に起きたことを懸命に説明したが、夜間のパトロールをしていた警察官も宿直だった刑事も誰一人あの笑い声を聞いた者がいなかった、ということに驚くことになった。深夜にあれほど響く笑い声なら里桜町でも聞こえなかったはずはない。
翌朝、三人は警察官たちをつれて疋馬島へと戻った。警察の現場検証に立ち会わなくてはならなかったし、テントも撤収しなくてはいけなかったからだ。
警察の捜査によれば、昨日、利根たち四人以外の人間が疋馬島に上陸した痕跡は見られない、ということだった。
深夜の笑い声のこととあわせて警察はなかなか戸根たちの言うことを信用しようとはしなかった。まあ、当たり前のことだろう、と戸根自身もあきらめ半分で考えた。自分だって自分たちの経験を信じられなくなってきているのだから。
戸根たちが警察に拘束されている間に末武の家族が飛んできた。末武の両親から一体何があったのかを問われても、戸根も織間も辺浦ももはや何も語ることはできなかった。途方に暮れたような表情をした三人を見て、末武の両親は激昂したが、それでも答えようがないものは答えようがない。
末武の意識は結局戻らなかった。
どこにも怪我や損傷は見られなかったということなのだが、まるで人形のように全くの無反応のままなのだという。医者の話では「よほど強いショックを受けたのかもしれません」と、精神科に入院することになったらしい。
薬物でも暴力沙汰でもないということで戸根たちはようやく警察から解放された。
もしかすると、あの晩に見た夢のとおり末武はまだ疋馬島に取り残されているのかもしれない、と戸根は思うことがある。
一体、何があったのかはわからないし、わかりたくもない。だけど、あの人形島の夜の闇のなかにまだ末武は閉じ込められていて、ただ抜け殻だけが帰ってきたのかもしれない、と。
探検部は解散になった。戸根たちはもう二度と疋馬島に渡ることはないだろう。
日本人形にしても西洋人形にしても着替人形でさえ大抵の人形というのは少女の姿をしている。多分、人形というものが女の子の玩具でもあることと無関係ではないのだろう。
しかし、この絵を眺めているうち奇妙なことに気がついた。
この絵を埋め尽くしている人形たちも全て少女像のはずなのだが、よく見ると、居並ぶ人形たちの片隅に見慣れない人形が混じっている。
刈り上げ頭の少年のような人形が。