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第1プロムナード

 イラストレーターの上東杭雄が死んだ。


 ぼくはその知らせを朝早くに自宅に訪ねてきた刑事たちから聞かされた。


 驚きはしたが、どこか冷めている自分がいることの方がショックだった。


 上東の死はいわゆる不審死だったようだ。


 「それで、一体、何故、私のところに」


 「先生と上東氏とは親しい間柄だったとうかがいましたものですから」


 頭髪に白いものが混じったベテラン風の刑事が意味ありげな笑みを浮かべた。


 親しい、と周囲に言われるほどぼくと上東は仲が良かっただろうか。上東はぼくの小説にはイラストを描いてくれたこともなかったのだが。


「いや、そうではなくて。私のところに刑事さんたちが訪ねて来るような死に方を上東はしたんですか」


「いえいえ、単に型どおりの確認ですよ」


 刑事たちはちらっとアイコンタクトを交わした後、上東が死んだ日のぼくの行動を確認して帰って行った。




 本当にぼくと上東とは親しい間柄だったと言えるのだろうか。


 上東杭雄はぼくとほぼ同世代だが、美大の学生時代からアルバイト感覚でイラスト仕事を請け負っていたのでキャリアについては上東の方がずっとベテランだった。


 上東とは確かに一時期顔を合わせる機会が多かった。


 ぼくが仕事欲しさの御用聞きに編集部に顔を出す一方で、彼が作品の引き渡しや編集部での打合せのために頻繁に出版社に訪ねてきていたからだ。イラストの仕事を引き受けると、彼は小説家本人や編集者とイメージのすり合わせを細かく行っていたらしい。


 顔を合わせるたびに年齢が近いせいもあって、よく一緒にコーヒーを飲んだり食事をしたり雑談をかわしたものだった。ぼくと上東の仲が良いというのはそういう状況を目撃した誰かがそう受け止めたからなのだろう。


「小説家ってのは楽でいいよなあ」


「いきなり何を言い出すんだ」


 上東の持ち出す話題は画家と小説家との間の認識の不一致についてが多かった。


「いいか、俺たちイラストレーターってのは基本全部はっきり具体的な形に仕上げないと仕事にならない。適当に言葉だけで『不気味な』とか『いわく言いがたい』とか書いてりゃいい小説家とは違うんだ」


「おいおい、それは言い過ぎだろう。いくら何でも、今時、そんなずさんな言葉選びで仕事している小説家なんていないぞ」


「まあな。それでも、俺からすれば所詮程度の問題なんだけどな。きちんと絵の仕事をしようとすれば省略は許されないんだよ。それがどんなもので、どのような仕掛けなのか、全部理解できていないと説得力のあるイラストはできあがらないのさ」


 上東はにやりと笑った。


「実例をあげてみようか。以前に、K先生の『火星GP』っていう仕事を受けた時の話だ」


 K先生といえばこれまでいくつもの賞を取っている人気のベテランSF小説家だ。


 上東のような若手イラストレーターにしてみれば抜擢ということになるだろう。


 ぼくからしても直接会話をすることも考えられないくらいの天上の人だ。


「編集者からは火星を走る格好のいい自動車の絵をお願いします、と依頼がきたはいいけどな、文章に書かれていることだけじゃ、火星レースに参加する自動車がどんな格好をしているのか、全く見当がつかないんだよ。だから打ち合せの席でその詳細についてK先生に確認するしかなかったわけだ。バッテリー式の電気自動車なのか太陽電池パネルも搭載したタイプなのか。そしたら先生、電気自動車で太陽電池パネルも積んではいるけどどう積んでいるのかは決めてない、とさ。その小説の主題はレーシングドライバー同士の駆け引きだから自動車の形はそれらしければどうでもよかったらしい。だけどな、ドライバーの絵だけじゃ本が保たない、というのが編集者の意見だった」


 だが、上東は抜擢ということで萎縮するような人間ではなかった。


「仕方がないから、K先生の許可をもぎとって俺が好きにやらせてもらったさ。既存の自動車のデザインを色々調査したし、最新の電気自動車や月面車、太陽電池パネルの技術やデザインをベースに、イラストの火星用レーシング車のデザインに全部落とし込んだ。工業デザインは専門外だったから苦労したぜ」


 レオナルド・ダ・ビンチは人間の構造を知らずして人間の絵は描けないと人体解剖までおこなったんだぞ、というのが上東の平素からの主張だった。小説家は人体解剖までして人間を書いたりはしないだろう、それが小説家と画家の違いだ、と。


 本格的な絵の技術に加え、このように妥協を知らない仕事への取り組みは小説家や編集者、読者など多くの人間の支持を得ていた。自分の仕事を誇らしげに語れるのは羨ましい。しかも、確かに自他ともに認めるだけの実績を叩き出してもいるのだから非の打ち所もない。


 だが、上東はあのK先生の仕事に注文をつけたのか。


 ぼくの鬱屈をよそに上東はしゃべり続けた。


「とにかく困るのはホラー小説の仕事だ。特に、先生、あんたの作品みたいな仕事が一番困る。何というか、作品を読んでも絵が頭の中に浮かんでこない」


 それは担当編集者からもよく言われる指摘だった。


「今時、ホラーって言えば、連続殺人鬼やら何やらの血みどろの惨劇、見るも醜い怨霊や怪物、ぶちまけられる臓物と汚物、ってのが定番だろう。ハリウッド謹製のホラー映画なんて殺人鬼映画みたいなものだし、血と残酷なシーンで観客にサービスしてるようなもんだ。我らが和製ホラー映画なんて怨霊がどれくらい不気味かを競ってる感じだしな。そういうのなら、まあ、何とかなるんだ。血まみれとか臓物をぶちまけるとか不気味な怪物とかグロテスク一辺倒で攻めるか、恐怖にこわばったり悲鳴をあげている登場人物たちの表情で何とかすりゃあいい」


「それはホラー作家への皮肉かい」


 だけど、人を祟り殺す怨霊なんて、言ってしまえば『雨月物語』の『吉備津の釜』、『四谷怪談』あたりのバリエーションでしかない。あとは犠牲者がどれほどむごたらしく死ぬかで差別化だ。殺人鬼だの血みどろの惨劇だのだって現実に起きている事件の方が怖いだろう。とすれば、そんなもの、わざわざ小説にしたりする必要があるだろうか。大体、「殺人鬼」や「怨霊」は本筋ではなく道具立てでしかない。本当に怖いところはその向こう側にあるのだ。


「いいや、そういうわけじゃない。自分への戒めってやつさ。読むだけで生理的嫌悪感をかきたてられたり、痛そうだったりっていうのはやっぱりすごいものだと思うからな。でも、ホラーってのはそういう作品ばかりじゃないだろう。まあ、あんたの作品みたいなのもあるからな。だから困るんだ。どうにも絵にしにくい作品ってやつが」


 正直に言おう。ぼくにとって上東は劣等感を刺激してくるいやなやつだった。




 真夜中、秒針の刻む音だけが響くような室内で画家は一心不乱に手を動かしていた。


 誰にも邪魔されず作品制作に集中できるこの深夜が画家の作業時間だった。


 特に今は新しい境地を目指しての作品作りに取り組んでいるところだったし、そうでなくても自分の集中を乱されることを画家は嫌っていた。彼の作品に取り組む姿勢を知っている人間が「今にも人を斬り殺しそうな気迫」と評したことさえあるほどだった。


 ただ、額に油汗を浮かべながら描き続ける画家には他にも妙な雰囲気があった。何があろうと画布から目を離すまい、決して振り返るまい、と頑なになっているこわばりが。


 自分以外、他に誰もいない部屋で、画家はひたすら絵を描いていた。


 その時、画家の背後から何かが画布を覗き込んだ。


 怪を語れば、怪が現れる。さわらぬカミに祟りなし。




 警察が訪ねてきてからおよそ一ヶ月ほど後になって、上東杭雄の追悼展覧会の招待状が届けられた。上東の美大時代の友人たちが企画して市民文化会館を借りて展示会場を用意したらしい。大きな展示室を借りられれば良かったのだけど、その部屋は補修工事中ということで、やむをえず何室かの会議室を借りてそこを展示会場にしたとか。


 招待状に同封されていた立派な図録を見て驚いた。


 どうやら上東は恐怖というものに対する取材と勉強のためにあちこちへ歩き回り、仕事とは別に習作としての作品を幾つも遺したらしい。上東の友人たちから来た案内によれば、追悼展覧会では彼が亡くなる寸前まで描き続けていたという習作を中心とした未公開の作品が展示されている、との話だった。


 思い返して見れば、たまに彼からそうした取材旅行や習作についての話を聞かされることもあった。そのつど、「ほどほどにしておいた方がいい」「危ないからやめておけ」と彼には忠告したつもりだったけれど、結局、それも無駄に終わったことになる。上東の亡くなる半年前くらいから顔をあわせることもなくなっていたのだが、共通の知り合いの編集者の話によると、その頃の上東はかなりおかしくなっていたようだ。


 知人の怪異譚収集家との話を思い出す。


「表現する、ということに固執する人間は大体危ないですね。特に画家ですかね。人間は視覚に依存している生物ですから、見る、という行為には色々危ないものがひっかかってくることが多いんですよ。そのせいか呪われた画家と呼ばれてしまう人も芸術史上割といますしね」


「へえ、例えばどんな人がいるんだい」


「そうですね。社会や人間の昏い側面を題材に作品を描き続けたせいで自分の精神のバランスまでおかしくなって自殺してしまった方がいますし、もっぱら屍食鬼などの怪物や墓場を題材に生理的嫌悪感を催させる作品ばかりを描いているうちに失踪してしまった人もいます。有名なところでは地獄めいたビジョンを主題に作品を描き続け最期にはわずかな金銭を巡って不幸な殺され方をしたポーランドの画家もいますね。数え上げ始めたらきりがありません。人によっては他にも何人かそうした画家に心当たりがあるんじゃないですか」


「なるほどね、ありがとう、勉強になるよ」


「宇摩屋先生も気をつけてくださいよ。ものを書くってのも危ないことが多いんですから」


「別にぼくはノンフィクションを書いてるわけじゃないからね。反社会勢力の構成員に襲撃されたり、おかしな人たちに狙われたりするってことはないさ」


「危ない、ってのはそういうことだけじゃないんですよ。そうですね、実話怪談系の書き手の方なら大なり小なり心当たりがあると思うんですが、例えば『かたくなに記録されることを拒む話』とか『書こうとすると次々と障害が起きてしまう話』とか、恐怖や怪奇との付き合い方は意外と結構難しいものなんです。ただのお話だと甘く見てたら書き手や語り手の精神状態や生活に牙をむくことだってありますからね。ある怪奇現象を調べていたライターが消息不明になってしまったことだってあるんですし」


「ふうん、まあ気をつけるよ。でも、取材対象との距離感に気をつけるのはライターの基本だしね。それに、ぼくはフィクション一辺倒だから」


 残念なことに上東も呪われた画家たちの仲間入りを果たしたことになるのかもしれない。


 「宇摩屋先生、あんたの作品を読んでも絵が頭の中に浮かんでこない」


 上東の言葉が頭の中によみがえってくる。確かにそれはぼくの小説家としての限界だ。


 ならば、上東杭雄の追悼も兼ねて、彼の展覧会の絵を題材に小説を書けばいいのではないだろうか。「絵が頭の中に浮かぶ」作品が書けるかもしれない。上東にも担当編集者にも一矢報いる良い機会になるだろう。



 

 そうして、ぼくは追悼展覧会へと足を運んだ。


 受付で記帳を済ませ最初の展示室に入る。


 そこには大人の身長ほどの大きさの油彩画が一枚展示されていた。

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