その顔は
家に入ると台所に妻がいた。恐る恐る声をかけてみる。
「ただいま」
無事、自分の口であいさつが出来た。たったそれだけのことが無性に嬉しかった。
「お帰りなさい」
そう言って妻はこちらに振り向いた。けれどその妻の顔はのっぺらぼうだった。
「――!」
声にならない叫びをあげ、部屋から飛び出す。子供の頃、初めてのっぺらぼうの話を聞いた時はほとんど笑い話のようにしか感じなかったが、実際に会ってみると思った以上に恐ろしいのだな、などと悠長なことを考えながら寝室に逃げ込んだ。
床に力無く座り込む。さっき見た妻の顔が目の錯覚であって欲しいが……、今までの経験から考えると恐らく、本当にのっぺらぼうだったのだろう。
私は部屋の窓に近寄り、恐る恐る外の道路を見た。人通りはまばらだ。道路を右から左へ歩いていくサラリーマンがいる。
顔は、なかった。
そのサラリーマンと逆方向からランドセルを背負った子供が二人。その子たちものっぺらぼうだった。目がなくて何も見えないはずなのに、道をまっすぐ駆けていく。
窓枠に手を置いたまま膝を着く。ここも、私のいた世界ではないんだ。どうしてこんなことになってしまったんだ。早く、元の世界に戻りたい。
ああ……、まただ。視界がぼやけてくる……。