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零式暫界  作者: 黒主零
1.紅蓮の煌星(フレイムスター)
9/9

第3話:最後の夏・2

・8月。長いようで短かったがついに西武大会が近づいてきていた。やれるだけのことはやったが未だ赤羽も久遠も矢尻もどこまで勝ち進められるか分からない。

「……さて、」

私服から胴着に着替えてリビングを出る。気がかりになっているのは他にもいくつかある。

「入るぞ」

「あ、うん」

最首からの返事。ふすまを開けて和室に入る。そこでは既に胴着に着替え終わっていた赤羽、久遠、最首が待ちかまえていた。

「いよいよ今週末の土曜日と日曜日は西武だ。ここにはいないが矢尻もまた部活を通して大会に向けて腕を磨いているはずだ。赤羽や久遠も負けないように日々精進するんだ」

「……押忍」

「うん、そうだね……」

「……」

合宿の日以来どうもこの二人の様子がおかしい。何があったのか本人達に聞いても特に答えはなく、最首に聞いても心当たりはないらしい。

大会前で緊張しているというわけではないだろうがこのまま大会に臨んでいい結果が出せるとは思えない。とは言えどうしたらいいものか。

「とりあえず稽古を始めるぞ。赤羽は最首と。久遠は俺と仮組み手だ」

「はい」

「う、うん……」

ここ最近は組み手と基本稽古の時間を増やすメニューにしてある。筋トレや型の稽古ももちろん大事だが大会前に必要なのは実戦とそれに耐えうる体力づくり。そしてそれでもなお基礎を忘れないようにすること。

これは例だが、全国区の選手の中にもごく稀だが試合中に疲労して体力と精神力が欠けた結果段々と動きが単調になり、同じ攻撃しかしなくなっていく奴もいる。たまたまそいつが肉体的に非常に有利だったからそれでも押し通せる場合は多いが二度三度と通じる事はないだろう。

何が言いたいかと言えばどんな実力者でも基礎を蔑ろにして臨機応変に戦う精神力を養う必要があると言うことだ。人間はピンチになるとついつい自分が最も信頼する手段に頼りがちになってしまう生き物だ。それを可能な限り起こさぬよう基本稽古を重点的に鍛える。試合前に12を争うくらいに大事なことだ。

「……とは言ってもなぁ……」

仮組み手の段階で久遠は制空圏に頼り切っている。基本稽古も実際にやれば普通に上達しているし、制空圏頼りなのも生半可な奴には破られないから有効なんだが。

「久遠。お前の制空圏は確かにすごい。けどな、」

「あ、」

久遠が形成した制空圏を一瞬ですり抜けてその頭に軽くげんこつ。

「う、」

「格上には通用しない。そして西武大会において久遠より格下なんていないと思った方がいい。これがどう言うことか分かるな?」

「……でも久遠ちゃんにはいくつか切り札があるし」

「膝天秤でも虎徹絶刀征でも大技過ぎて通用しない相手には通用しない。どこぞの明治の新撰組じゃあるまいし必殺技を1つ持てばいいなんて世界じゃないんだぞ?」

「……それはそうかもしれないけど……」

「…………最近おかしいぞ?久遠も赤羽も。あとついでに和佐も」

視線を上にやる。今日あの愚妹は部活をやっていない。夏休みだしそう言う日があってもおかしくはないのだがしかしどうにも最近何か様子がおかしいようにも見える。みんな、あの合宿の日から何か変だ。

「なあ、久遠。あの合宿の日に何かあったのか?」

「な、何でもないよ……?」

「何でもないってリアクションかよ。あんまりわがまましてると雷龍寺呼ぶぞ?」

「それは普通に困るけど……でも死神さんには言えないことだよ」

「……なら最首に相談したらどうなんだ?だめなのか?」

「……はるちゃんは関係ないもん」

「……」

最首と目配せ。関係ないと言われたこともショックだが久遠達の力になれないことの方がショックって表情をしている。たぶん自分もそんなに変わらない表情だろう。

「……はぁ、」

あまり集中できないまま稽古が終わり、俺はまたリビングで私服に着替え直す。女子達はまだ着替えているかシャワーでも浴びているのだろう。だから俺は階段を上る。

「……くっ、」

一段一段あがること昔ならなんて事なかったが、あれから半年以上経ってもまだ少しきつい。赤羽という全身義体の前例がすぐ近くにあり、そこに可能性を抱いているとは言ったもののやはりたったこれだけのことにも痛みを感じる己の体が不甲斐ない。本当にまた畳の上に戻れるのか不安になる。

「……ふう、」

上がりきった時には少し息が切れて汗が滲んでいた。情けない。

だが、そこから先に迷いはない。気配がする部屋に向かい、ドアを開く。

「……え」

そこには下着姿の和佐がいた。

「入るぞ」

「……あの、普通に年頃の妹が着替えているんですけど」

「興味ない」

「……と言うかどうやってここまで来たんですか?」

「階段上ってきた」

「……その足でですか?」

「そうだ」

下着姿の妹を素通りして適当に椅子に座る。

「……何を当たり前のように」

「聞きたいことは一つだけだ。あの合宿の日に何があった?赤羽も久遠も様子がおかしい」

「…………あなたに言う必要はありません」

「何かあってそれを知っていると受け取っていいんだな?」

「……ご想像にお任せします」

いいながら下着姿のまま身構える和佐。自分が何を言っているかの自覚と覚悟はあるらしい。

「あなたもいくら空手のコーチをしているからと言って年頃の女の子の心に入り込みすぎるのはよくないのでは?」

「……」

確かに全寮制で学校も同じ。放課後も空手の稽古をしている。だがそれ以上ではない他人を相手に少し踏み込みすぎているんじゃないかと自分でも思う時はある。

「あなたがあの二人と離れることになった最大の理由は自分だけが絶対に正しいと思って私を殴ったことですよ。……あの火事のことは私にとっても苦い思い出です。その罪をあなた一人に背負わせるつもりはありません。けど、あなたが自分を省みない限りあなたに未来はありません」

「……」

和佐は構えをおろすと近くにあった服に着替えた。

「……尤もどんな横暴であってもあなたにはあなたのままであってほしい人もいるみたいですけどね」

「……どう言うことだ?」

「さあ?私も最近知りましたからね」

和佐はそれだけ言って部屋を出ていった。

「……」

ここにいても仕方がない。俺も部屋を出て階段を下りることにした。ここで大人しく階段を下りてしまったことを俺は後々ひどく後悔することになるのをまだ知らない。



「はあ、」

稽古も終わり、夕方。斎藤のお見舞いに行く。

「……どうした、暗い顔だな」

ベッドの上の斎藤は思ったより元気でそろそろ退院できそうだ。その姿に少し安心しながら俺はとりあえず今日起きたことを話す。

「……なるほどな。合宿で落書きが響いたか」

「いやいつものメンツだと最首相手にしかしてないぞ」

「冗談だ。……いやまあ普段は空手の稽古をしてくれる高校3年生の先輩が合宿の夜に女子部屋に入って顔に落書きしまくってるとか普通に幻滅の対象だと思うからそこは割とマジで考えた方がいいと思うがな」

「……まあそこは置いといて。最近女子達の間でもあまり仲がいいように見えないんだよな。赤羽とうちの奴も最近2ショットを全然見なくなったし、火咲ちゃんは変わらず赤羽とバチバチだし。久遠もあれだけなついていた赤羽と微妙に距離を置いているように見えるし……」

「見えるだけで錯覚なんじゃないのか?暑い時期だし単にベタベタしたくないとかかもな」

「……だといいんだが」

実際8月の猛暑の中での室内稽古はいつ熱中症で倒れてもおかしくない。だからあの和室でも扇風機を用意したり常に窓と言うか障子を開けておくことでわりかし涼しいようにはしている。それでも暑いことは暑いが。

「西武も近いし、お前が一番緊張しているのかもしれないぜ」

「……一応覚えておくよ」

それだけ言って斎藤の病室を後にした。恐らく次に会う時は退院する時だろう。



通常、高校3年生の夏休みなら推薦で既に進路が決まっている場合を除けばかなり忙しい。集中的な受験勉強が出来る最後の機会として40日弱の時間をすべて勉強で詰める事だって珍しくはないだろう。

「……ん、」

学園都市……と言っていいか微妙だが学生寮と学校の間には学生向けの様々な施設がある。その中の1つにまあまあ大きめな図書館がある。

そこに逢坂の姿が見えた。

「逢坂か」

本能が涼しさを求めていたのか冷房が効いて気持ちのいい図書館へと入る。

「あ、甲斐くん」

「勉強か?……真面目だな」

甲斐は一瞬言ってはならないことを言いそうになり慌てて息を飲む。

逢坂のような下半身丸ごと人工義体化してるようなレアケースは本来なら本人にとってもかなりハンデになっている。しかし敢えてそう言うハンデの重い生徒を招致することで周囲へのアピールに繋がる。

この学校にはそういう生徒がたくさんいるためスポンサーとなっている企業もいくつか存在する。それ自体は甲斐達のように身寄りのない子供にとっては感謝の念に耐えない。しかし哀れみまでは受けたくない。

実際に多くの企業からは通常よりも遙かに軽い条件で案件が来ている。とりわけ逢坂には既に選びたい放題と言っていいくらい企業からの招待状が届いているのだが。

「まあ僕の場合、見ての通りよりどりみどりだからね。だからこそ自分の実力で行きたいところに行かなきゃ」

「ちなみにどこに行きたいんだ?」

「宇宙」

「宇宙?NASAか?」

「いずれはね。まずは渡米してアメリカの大学に行こうと思ってるんだ」

「……アメリカか」

確かにアメリカにまでこの学校の事は伝わっていないだろうから単純に実力勝負となるだろう。それも今逢坂がやっているようにかなり勉強した上じゃないとそもそも勝負にすら挑めない。純粋にその根性は甲斐も認めてやりたいところだ。……つい身近にアメリカに強く関わりを持ってしまっている組織がいなければ。

「甲斐くんは反対?」

「いや、大賛成だ。…………で、何してるんだ?そこの」

逢坂が座る席の4つくらい向こうの席。そこにすごい見慣れた顔があった。即ち甲斐杏奈及びライル=ヴァルニッセ。

「いえいえお兄様のせっかくの休日なんですもの。どんな生活をされているのか興味があるだけですわ」

「言っておくぞ甲斐機関。逢坂に手を出すなよ。盾にするなよ。余計なことは一切するなよ」

「あら、その方がお兄様の意中の方なんですか?」

「誰がじゃ!!」

とはいえ確かに逢坂は性別不明だからおかしくはないのかもしれないが。

むしろ髭なんて生えてるところ見たことないし声も高いから割と女性である確率が高かったりするのが甲斐の分析結果だったりする。

「まあともかく最近甲斐機関は動きが変なのでわたくしとしてもあまり動けません」

「甲斐機関が?」

「はい。和佐ちゃんも赤羽さんも様子がおかしいですし」

「……具体的に言ってくれたら昼飯くらい一緒にしてもいいぞ?」

その発言に両目ともハートにした女の子が奇声を上げたのをきっかけに甲斐達は図書館を追い出された。


ラーメン屋。甲斐、杏奈、ライルはそこに来た。

「次女はともかくあんたはラーメン平気か?」

問いかけはライルに。名前も外見も日本人じゃないから一応確認。

「問題ない。社長もラーメン好きだからな。アメリカでも何軒かラーメン屋を作っていた」

「……けっ、んな血縁があったのかよ」

文句を言いながらも3人で特盛り塩とんこつラーメンを注文する。

「お嬢様、特盛りでよろしかったのですか?」

「大丈夫だよ、ライル。あたしだってお年頃なんだから」

胸を張る杏奈。確かにどう見てもその細い体に特盛りが入るとは思えない。これは甲斐かライルが腹をくくるしかなさそうだ。

「で、長女と赤羽はいったい何をしているんだ?」

「わたくしの事もそうですけど名前で呼んでください。兄妹じゃないですか」

「長女はともかく次女のことはまだその感覚には慣れないな」

「貴様、お嬢様からのご依頼だぞ?」

「関係ないな。で、あいつらはどうおかしい?」

「そうですね。今までは友達ってほどではないんですけど同じ目的のために行動を共にするビジネスパートナーみたいな感じだったんですけど最近はただの同僚みたいな感じになってます。喧嘩したというかお互い話し合ったところ微妙に目的が違ったとかそんな感じですかね」

「……目的か」

実際それが一番よくわからない。赤羽は一応同じ義体同士で空手をやっていることが理由で稽古を行う師弟関係のようなものだ。それも完璧に納得したわけではない。しかし和佐に関してはもっとよく分からない。

「大ボスの目的は分かってるんだがな」

「大ボスってお父様のことですか?」

「まあな。次の誕生日にあわせて赤羽と結婚させて会社を次がせること。そのためになんか色々とこそこそしてるんだろう。目的自体ははっきりしててわかりやすい。……従うつもりは毛頭ないけどな」

「……お兄様は恋愛に興味ないんですか?」

「ないな。好き合った相手はずっと眠ったままだ。恋愛感情とか異性への興味とかはもうあの日からずっと置き去りのままだ」

「……和佐ちゃんから聞いたことがあります。梓山美夏さんですよね?」

「ちがう」

「あら、じゃあ違う人ですか。でも話は何となく聞いていますよ。元々はアメリカの病院にいたのを甲斐機関で保護して日本に連れてきた女性だって」

「……まあ間違ってはいないな」

「恋愛はともかくとして機関はどうするつもりですか?実際こんな大企業の会長になれるなんて夢のようだと思いますけど」

「……もしあの大ボスが普通の父親やって家族離散なんてしていない普通の家族だったらもしかしたら喜んで次いだのかもしれない。けど、どうしたってそれは無理だ。あの学生寮にいる奴らは基本的に過去にどうしようもないわだかまりがある。けどその中でも俺は自分自身の過去が一番面倒くさいと勝手に思ってる。実際両親もほかの兄妹もいる。どころか増えていている。だから余計に面倒くさくて嫌なんだ」

「……寂しかったときの方がいいんですか?」

「別に孤独に浸りたかったわけじゃない。孤高と格好付けたかったでもない。それでも、他に誰もいない。ただ一人で好きなようにやる。そんな小学生時代が一番輝いていた。一番充実していたんだ。成長するにつれてあのころの自由が奪われていく。それが我慢ならないんだ」

拳を握る。

「へいおまち」

そこで3人分のラーメンがくる。一瞬杏奈の表情がバグったがライルが小皿を注文したため事なきを得た。杏奈の分のライスは甲斐が食べることにした。

「……さすがに食い過ぎたかな」

店から出てげっぷしながら腹をさする甲斐。

「すみません……」

「次女は気にしなくていい……いややっぱ気にしろ」

「だから次女はやめてくださいって。わたくしは杏奈。甲斐杏奈ですぅ!」

「はいはい」

学生寮への帰路に足を向ける。

「帰るんですか?」

「……ああ。話をしてて分かったけど周りに興味があるんじゃないんだ。……周りが面倒くさくなるのが面倒くさくて嫌なだけなんだ。ならただもう自分の役割を演じるだけでいいや」

そういって踵を返す。

「……甲斐廉。1つだけ言っておくが……」

ライルが口を開いた。

「お前が賞賛したあの少年……少女か?が口にした夢は、決して一人になりたいがためのものじゃないぞ?」

「……」

振り向き、ライルの方を睨む。しかしそれだけで今度こそ甲斐は学生寮へと歩いていった。

「……お兄様……、ねえライル。あなたにはお兄様の気持ちが分かる?」

「……同情はしませんが理解はできます。俺もあなたも元は孤児。なら分かるでしょう?」

「…………そうよね。一人になりたいよね。でも、なれないんだもの……」

二人は甲斐の背中を見送った。



「はあ、」

自室。ため息。ライルに言われた言葉と自分で言った言葉が反芻される。

「……最悪だ」

完全に自分に酔っていたことを甲斐は後悔する。ここまで自己嫌悪することは久しぶりだ。

いくら周りの雰囲気が陰鬱だからと自分までそれに便乗してしまうのはあまりに勝手が過ぎる。

おそらく赤羽や久遠、和佐も似たような何かがあったのかもしれない。自分の中の強すぎるこだわりを出してしまった事による自己嫌悪。それが尾を引いているのだ。

「ん、」

そこでやたらと低い位置からノックの音が聞こえた。

「いる?」

「その声は火咲ちゃんか?」

ドアを開ければ火咲がいた。純白のワンピースは綺麗だがその両手を指先まで全て覆い隠す袖からして手が使えない者用だろう。

「どうしたんだ?」

「話がしたいのよ」

といって堂々と部屋の中に入っていく。真っ先に和佐がいないことを確認してからそのベッドの上に座る。

「で?」

ドアを閉めて甲斐が火咲の正面に座った。

「変態師匠。あなたはずっとこのままがいい?」

「どう言うことだ?」

「変わりたくないかどうかって聞きたいのよ」

「……もしかしてまた盗聴器を?」

「つけてないわよ。何か思い当たる節でもあったの?」

「いや、別に……」

単純に間がよくないだけのようだ。と言うかいつかの盗聴器のを否定してない。

「まあ、さっきも次女関連でちょっとな」

「ああ、あれね。最初誰だか分からなかったわ」

「?会ったことあるのか?」

「……少しだけね」

「……まあいいや、」

冷蔵庫を漁る。一応蒼穹がいた頃から共用なのだが使っているのは甲斐だけだ。だからか飲みかけのものとかもある。一瞬それをくれてやろうかと思ったがやめておいた。

「これでいいか?」

出したのは紅茶のペットボトル。既に蓋は開けてある。

「……妹さんの?」

「違うけどどうして?」

「いや、あなたこんなものまで飲むの?イメージと違うというか」

「……紅茶用意してるだけでそれかよ」

しかしペットボトルをどう手渡そうかと悩む。少し前まではリッツが腕代わりになっていたのだが。

「リッツちゃんは?」

「まだよ。まあ、夏が終わる頃には戻るんじゃないかしら。それと、別に気を使わなくていいから。そんなに長居するつもりもないし」

うまくかわされたか?

「前から思ってたが火咲ちゃんは俺のこと好きなのか?」

「はぁ?」

「いや、だってまだ会って半年くらいしか経ってないのに結構べったりだし」

「……別にそんなんじゃないわよ。もうそういうのはいいわ。私は今の私をやるだけだし」

「……またそう言う……。大体どういう話なんだよ」

仕方ないので自分で紅茶を飲みながら続ける。

「進路の話か?」

「まあそれもあるわね。あなた、ずっと赤羽美咲の師匠やっていくつもり?」

「……そうだな。少なくとも高校生の間はそれでいいと思ってる。それ以降どうなるかは全然想像もついてない」

「空手はどうするの?その足で出来るの?」

「自分でもリハビリはしているつもりだ。まあまた全国の舞台に立つのは無理だろうが生涯現役も悪くない」

「……あなた、どうして空手をやっているの?他に趣味とかないの?セクハラ以外で」

「誰もセクハラなんて趣味にした覚えはない。……こっちにゃ昔なじみがいた。ずっと目を覚まさないけど」

「キーちゃんの事ね」

「……ずっとその子の後を追いかけてた。やることも一緒。そんな中初めてあの子と違うことをしたんだ。それが空手。学校のクラスメイトが一緒だったからって理由で始めたんだ。あの子のいない世界は新鮮でそして自由だった。時間も忘れてその自由を謳歌して殴り合ってたんだ。それが楽しかった」

「……それで今ではライフワークになったってことね」

「まあな。赤羽を弟子にとったっていったらあれだけど全身義体の赤羽には感謝しているんだ。赤羽がそれまで出来なかったことを出来るようになる度に自分にもまだ可能性があるんだと思えるんだからな」

「……そう。前向きなのね」

「そう言う訳じゃないが……」

「何よ」

「……いや、何だかな。こうしてるとまるで穂南と話してるみたいで少し変な感じがする」

「…………まあ、間違ってはいないのかもしれないけど」

「へ?」

「何でもないわ。けどそれならこれからもずっとあなたは空手だけをやっていくって事でいいわね?」

「……空手だけってのは厳密に言えば違うと思うがな。やりたいことをやるだけだ」

「……その結果望んでもない結果になったとしても?」

「……確かにそれで後悔はいっぱいある。けど、どんな失敗をしても諦めない限り未来はある」

「……失われた過去を取り戻すことも?」

「過去は過去だ。未来に繋げなければどうしようもない。未来に繋がれば何とかなると信じたい。どんな失敗をしてもだ」

「……そう。まあ、あなたの話は分かったわ」

「じゃあ今度はこっちの番だな」

「何よ」

「……君はあの病院で和佐に隠れてキーちゃんをどうしようとしていたんだ?」

「……前に言ったでしょ?単に知り合いよ。あなたのことも聞いていた。そしてあなたの妹は信用できない。だから隠していたのよ。三船の情報網によりあなたの妹より先に行動できていてよかったわ」

「……」

「信じられないの?」

「いや、そう言う訳じゃないんだがどうも足りないような感じがしてな」

「足りない?」

「君の言っていることはたぶん嘘じゃない。けどまだ何か理由がありそうに見える。……まあいいや、火咲ちゃんが不思議なのは今に始まった訳じゃないしな」

「……何よそれ」

「ところで赤羽美咲。君の妹最近様子変なんだが何かあったのか?」

「……別に妹じゃないわよ」

「……その気持ちは分からなくもないが」

「あんたのところとは違うわ。……けどあの赤羽美咲が様子がおかしいの理由は知ってる」

「教えてくれ」

「嫌よ。と言うかたぶん他の誰かならともかくあなただけは絶対に話せない」

「何じゃそりゃ」

「話は終わりよ。それともまだ何か聞きたいこととかある?」

「……そうだな。一応聞いておくけど火咲ちゃんは高校卒業したらどうするんだ?」

「何よ。まだ入学したばかりなのに」

「まあ確かにそうだが」

「……知らないわよそんなの。三船も事実上解体。ここにだって後3年はいられない。ならまたふらりとどこかを彷徨うんじゃないかしら?それとも私を養ってくれるのかしら?変態師匠」

「……まあ、本当に困ってて気が向いたらな」



午後。道場。甲斐、最首、久遠がやってくる。

「お待ちしていました」

既に胴着姿の赤羽が玄関に立っていた。靴は二人分あるため和佐も上にいるのだろう。関係が複雑になっているのに逆に同じ家で生活しているのは奇妙だが夏休みの間に実家に帰ること自体何ら不思議ではない。

最首と久遠が和室で着替えている間甲斐はリビングで着替える。赤羽はと言うとなるだけ甲斐の方を見ないようにしつつ食器などを洗っていた。

「……妹と何かあったらしいのにここで暮らしているのか?」

「……何であれ私は甲斐機関の一員です。甲斐機関がなければ私は今こうしていませんから。今は少し和佐さんとは意見が違っていますがあの人にも感謝はしています。あの人と会わなければやっぱり今ここに私はいませんので」

「……そうか」

「……妹さんのことやっぱり許せませんか?」

今日何度目かの質問。質問内容も答えも違うはずなのに考えてしまうことは同じ。意図的なものではなく偶然なのだろうが、それとも今の自分の悩みは全てそこに直結すると言うことか。

「……個人的にぎくしゃくしているだけだな。恨み辛みはたぶんもうほとんどない。ただ1つ言いたいことがあるとすれば」

「すれば?」

「……家族になんてなりたくなかった……かもな」

「……それってどう言うことですか?」

「変な意味じゃない。嫌普通でもないのかもしれないが俺はずっと一人のままがよかったんだ。そっちの方が気楽で、ずっと誰かと一緒にいるって言うのがたぶん気にくわないんだと思う。たまに会うのがいいんだ。……最近の生活をしててそう思うようになった」

「……そうなんですか」

声だけ聞いてて分かる。赤羽はかなり暗い気持ちになっている。そりゃそうだろう。こんな話を聞いても反応が困って当たり前だ。それに半年と少しだけだが赤羽や久遠とはずっとこの道場で一緒だった。今の発言はそれを否定するようなものだ。

「……けど、まんざらでもない」

「え、」

「結局無い物ねだりなんだよ。それが一番面倒くさい。今を全く見ていなかったんだ。今楽しければ今はそれでいい」

「……それが現実逃避でもですか?」

「無理に考えるよりかはたぶんマシだ。そう思うことにする」

「……そうですか」

何だかさっきよりかも落ち込んだ声になった気がする。どうしていいのか分からない。

「大会前に何をネガティブ言ってるんですかあなたは」

そこで今度は和佐がやってきた。

「和佐」

「和佐さん……」

二人同時に和佐の方を向く。巫女風ミニスカファッションみたいな格好してることもあってそう言う意味でも目がいく。

「……競輪か?」

「はい」

「え、その格好で?」

「こいつ、なぜか競輪=巫女服みたいなイメージあるからな」

「いいじゃないですか。それで結構勝てるんですから」

「……私の中で和佐さんのイメージがどんどん崩れていく……」

さっきまでとは違う形で落ち込む赤羽。

「で、あなたは何をネガティブ言ってるんですか?赤羽さんが言うように現実逃避ですよそれは」

「じゃあどうしろってんだ。手の届く範囲で最大限にやる。それ以上に出来ることがあるのか?」

「それを試合前に言うなって話です。と言うか一応赤羽さんは受験生でもあるんですからね?」

「……赤羽、うち以外の高校に行くのか?」

「いえ、今のところその予定は」

「はぁ……」

和佐が大きなため息をつく。

「あれ、和ちゃんすごいかわいい服着てる」

と、今度は和室から着替え終わった久遠と最首が出てきた。

「ちょっとお出かけをしようかと」

「そうなんだ。デート……はないだろうからどこに行くの?」

「……どうして否定されたのかは知りませんが競輪ですよ。久遠さんも行きますか?」

「和佐さん。中学生をギャンブルに連れていかないでください。と言うかあなたはいつから競輪やってたんですか?」

「小学生くらいからだぞ」

帯を締めながら甲斐が答えた。

「……おほん。それでは行ってきますね」

そうして和佐は玄関の方へと消えていった。

「……まあ、うちの愚妹はいいとして」

甲斐が咳払いしながら赤羽達を見る。

「みんな、今週にはもう西武大会が待っている。散々言ってきたが西武は交流試合とは比べものにならないほどレベルが高い。それぞれ何やら悩みとかがあるのかもしれない。思春期だし人間だからない方がおかしい。けど、今は目の前の試合に集中するんだ。全力を出し尽くして後悔のないようにしなければ今までの稽古に挑んできた自分を裏切ることになる。そうしないためにも今日も集中して稽古に臨む。いいな?」

「……押忍!!」

帰ってきた声に迷いなどはなかった。




・8月最終週土曜日。二日間に渡って行われる西武大会の日がついにやってきた。遊び半分の者も本気で空手に打ち込んでいる者もここで全てが試される。西武大会の先に進めるか滞るかここで道を閉ざしてしまうか、その全てが試される場所。

参加者はもちろん今まで指導をしてきた者達にとっても緊張せざるを得ない重要な場所だ。手塩にかけた弟子がしかし本当に自分と同じ道を進めるのかここで腐ってしまうのか。

空手に関わる全ての者が緊張と期待を込めて迎えたこの日、心安らかでいられるのは何も知らない一般観客だけだろう。

「とまあ、今更脅して見せても何の意味もない」

スタッフの車。甲斐、最首、赤羽、久遠が大会会場へと向かう。

「赤羽も久遠も矢尻も自分の力を出し尽くしてこい。ただそれだけの話だ」

「……あの、その矢尻さんは?」

「ああ。うちの馬鹿弟子と一緒に向かってるらしいぞ」

「りゅーくんも一緒だって言ってたよ」

「……そうか。3人には悪いことをした」

「…………何したんですか?」

「俺でも体調悪い時には苦戦する超レベル特訓用木人くんを配置しておいた。里桜は病み上がりだし少し同情して可哀想だなぁと思ったから木人くんの数を5倍にしておいた」

「それ、下手すると参加できないよね?」

最首が割と本気でドン引きしてる。

「……それってそんなにやばいの?」

久遠からの質問に最首はやや遅れてから首肯した。

「……久遠ちゃん女の子で本当によかったよね」

「……そこはまあ、肯定せざるを得ませんね」

冷や汗をかく赤羽と久遠。しかし赤羽は続けた。

「あの、以前から思っていたのですがどうして里桜さんなどの男性に対してはそんなに厳しいんですか?」

「まあ、体力の問題もある。女子としてはトップクラスの実力者である最首でもあの木人くんはまあまあ厳しいと思うが最首に勝てないレベルの矢尻達はたぶんクリアできるだろう。……ボロボロになってると思うが。散々いじめ抜いて鍛え上げた方がいいって頃合いが成長期の男子の体にはあるんだ。男子ならそれにギリギリ耐えられる。そうしてより強くなれる。だが女子に対して同じレベルの特訓を課したら間違いなく体が壊れる。もしかしたらその場は耐えられ強くなれるかもしれない。だが、将来性は間違いなく崩れる。赤羽や久遠がもしも今そんなことをしたら間違いなく成人する前に体を壊して下手すると日常生活に支障が出るレベルのダメージを帯びるかもしれない」

「……そんなに男女で違うものなんですか?」

「違うな。一言に筋肉と言っても男女では全く違うと思っていい。ギネスに載ったりするような例外を除いて考えると女性側はどんなに鍛えてもその筋力は精々男子中学生から高校生程度のレベルまでしか行かない。当然鍛え続けていれば男子としてはどんどん成長するから筋力という区切りで言えば男女で違う生物だと思えばいい。……それに、赤羽の場合は全身がアレだからな。あまり筋肉を鍛えても意味がないだろう。それよりかは他の方法で強くなった方がいい」

「……分かりました」

「あれ、でもどうしてりゅーくんまで?」

「そんなもん野郎共をいじめ抜きたいからに決まってるじゃんか」

甲斐の答えに冷や汗はため息に変わった。



西武大会会場。普段は市民に開放されていない、スポーツの大会などのために用意された特別な大型体育館だ。流石に甲斐と赤羽が初めて会ったあの全国大会の会場には負けるがそれでも普通は縁がないレベルの大きな体育館だった。

「駐車場周囲は渋滞が予想されるため、申し訳ございませんがこの辺りで……」

「押忍。ありがとうございます」

路肩で車が止められ、4人が荷物を持って降りる。会場の出入り口そのものは歩いて数分と言ったところだ。同じ考えの者は他にもたくさんいるらしく、車から何人も降りて徒歩で会場へと向かう胴着姿がたくさん見える。

「ちなみに普通に更衣室もあるから気にしなくていいぞ」

「あ、はい。心配してません」



入場して甲斐が申請を行っている間に最首が赤羽と久遠を連れて更衣室へと向かう。

「女の子もいっぱいいるんだね」

着替えながら久遠が周囲を見る。予想していたよりかは女子が多い。しかし当然姦しい雰囲気はなく、ややピリピリしている。

「まあね」

最首は口にしない。ただでさえ狭い西武大会の門だ。そしてまた女子で大成するのも狭き門だ。少数と少数が掛け合わさって男子よりかもさらに難関な舞台に今いるのだ。女子は数が少ないためトーナメントの最初の組み合わせこそ女子同士で当たるが勝ち進めば進むほどに男子と戦うことになる可能性が高くなる。そして当然男子は強い。女子が誰も勝ち進められないことも珍しくはない。と言うより年3回開催されている西武大会は既に30年以上の歴史があり、90回以上開催されていることになるがその中で女子が優勝をしたというのは前例がない。最首でも準優勝止まりだ。それでも決勝戦まで行けば次のランクの大会に参加できる。とは言えそれでもかなり難易度は高いのだが。

「……ん、来たか」

着替え終わった赤羽達が競技場フロアに行くと甲斐が先に待っていた。

「トーナメント表出た?」

「いやまだだ。それより矢尻もさっき到着した」

「え、あれをクリアしたの!?」

「いや、どうも里桜に全部押しつけて抜けてきたらしい。まあ、里桜が苦しむならそれでいいか」

「……里桜君に何か恨みでもあるの?」

「そんなことより準備運動しておくといい。ここから先絶対に妥協はするな。そしてそれ以上に無理もするな」

「「押忍!」」

やがて胴着姿の達真、そして火咲がやってきたところでトーナメント表が大型電光掲示板に表示された。また、紙でも配られた。参加者288人の超大型トーナメントだ。知った名前を見つけるだけでも一苦労だ。

「どのコートでやるのかだけ覚えていればいい」

「甲斐さん……?」

「やることは変わらない。相手を知ることに意味はない」

「……分かりました」

甲斐達はトーナメント表を見なかった。しかし、

「……見た方がいいと思うけどね」

最首だけは既にトーナメントを確認していた。


大倉、伏見両道場の代表からそれぞれ開会の言葉が与えられ順番ごとに第一試合が開始される。全ての試合が再延長戦まで進んだと仮定した場合、今日一日ではベスト32まで行く計算だ。逆に最速だとベスト8まで行く。間をとって大体ベスト16まで行くのが妥当な予測だろう。

「赤・山中!青・衣笠!両者前へ!!」

Aコート。第一試合。この大会最初の試合が始まる。珍しいことに最初から男女混合の組み合わせとなった。山中は中学生か高校1年生くらいの男子で衣笠はそれより少しだけ年上に見える女子だ。

「衣笠愛か」

甲斐がその姿を見る。

「お知り合いですか?」

「こっちは会話したこともない。だが、」

続いて視線は最首へと移った。

「……私が3年前にこの舞台で戦った相手。そして同じ日に道場に入った子だよ」

「……はるちゃんの同期……ライバルって事?」

「けど、それって……」

赤羽の疑問。最首が続けた。

「そう。私は愛ちゃんに勝って先に進んだ。でも愛ちゃんはまだここにいる」

「3年間一度も決勝まで進めていないって事だ。決して衣笠愛が弱い訳じゃない。最初から男子の相手をさせられているってことは前回そこそこの成績を収めたって事だろう。それでも3年間先に進めていないんだ。赤羽、久遠。よく見ておけ。この試合がお前達が絶対に越えるべき試合だ」

甲斐の表情は明るくなかった。



「……」

様々な視線を受けながら衣笠は意識を集中させていた。癖で握る帯もかつては緑だったが今は黒だ。階級だけが上がってしかし自分はここより先に一度も進めない。

一回戦の相手は男子だ。けた違いのパワー相手はもう慣れた。……慣れてもしかし勝てるとは言っていない。

「……ううん、勝つんだ」

帯から手を離す。ちょうど主審が畳に足を踏み入れた。

「正面に礼!お互いに礼!構えて……はじめっ!!!」

主審の言葉に和太鼓のゴングが鳴り響く。同時に一気に距離を詰める両者。当然山中の方が速い。しかしそのスピードもパワーも折り込み済みだ。可能な限り相手の攻撃を真っ向から受けずに相手の足を狙って体力を削る。一発二発じゃ意味がない。そして相手もまたこちらの狙いにすぐ気付いて最大火力による最短距離で衣笠を叩き潰すために力を振り絞り始めた。

「まだ試合が始まってそんなに経っていないのにもうあんなに……」

「だが決してやけになったわけじゃない。決勝まで進むのに何回戦うことになるのか分からない。その最初の試合における開始数秒。しかしだからといって手を抜いていい筈がない。衣笠愛は最初から全力で飛ばしているんだ」

「……男子と正面から渡り合っているんですか……?」

「もちろん工夫の末だがな。何も考えないで正面から戦っているわけじゃない。可能な限り考えて工夫している。衣笠愛は男子と戦う女子としては理想型を越えているスペシャリストだ。……だが、」

「だが?」

「……あの戦い方はそんなに長くないだろうな」

甲斐が見る中も試合は続いている。山中の攻撃を決して正面から受けることなくしかし一歩も退くことなく休む間もなく与えずに手足をひたすら動かし続ける衣笠。その動きは2段で取得する攻勢特化の型・綺龍最破と呼ばれるものだ。甲斐のようにとにかく前に出続けながら戦う者が自然と体に染み込ませている技法。山中は茶帯だからまだその域に達していない。単純なパワーとスピードで衣笠の綺龍最破に対抗して互角に打ち合っている。

しかし互角でいられるのは状況がかみ合っているからだ。これは西武大会の一回戦に過ぎない。手加減をするわけではないがしかし今日この日だけでもあと何回戦うかも分からない。その最初の一回でスタミナ全部使い果たすような戦い方をする奴が果たしているだろうか。だから山中は衣笠のハイペースを相手に"互角"以上のペースで戦うことが出来ないのだ。そして自身にとっては未知の型。これらの条件が合わさって少しずつ山中のペースが崩されていく。そして、崩されていくほどに衣笠の勝利は薄くなっていく。

「すごい。男子相手にもしかしたら勝てるかもしれない……」

赤羽と久遠はただ目の前の衣笠の健闘を見て賞賛しているだけでこの勝負に気付いていない。

「せっ!!」

やがて衣笠の膝蹴りが山中の左足側面に打ち込まれ、山中が後ずさる。相手の足への膝蹴りは自爆する危険性があるため憚られる事が多い。しかしその分決まれば有効打として勝負を優位に進めやすくなる。

「っ!!」

が、ここで完全に山中のペースは崩され省エネからハイパワーにスイッチされた。激痛の走る左足で衣笠の右足を蹴りつけてバランスを崩す。

「う、」

「ぁぁぁぁっ!!!」

1秒。1秒間に山中の拳が4度衣笠の鳩尾に刺さる。チェストガードのおかげで直撃ではないが男子渾身の拳を4度も急所に受けて無事では済まない。下手をすればこれで勝負が決まってもおかしくはなかった。だが、

「ああぁぁぁぁっ!!!」

衣笠は退かず、肩と肩を激突させほぼゼロ距離で山中の下腹部に膝蹴りを連続で繰り出した。対する山中も密着した状態で衣笠の胸に膝蹴りを連続で打ち込む。やがて、

「…………くっ、」

先にバランスを崩して尻餅をついたのは山中だった。

「せっ!!」

下段払いで技ありを奪う衣笠。

「…………勝った」

赤羽がつぶやくと同時、

「そこまで!!技あり!!勝者・青、衣笠!!」

主審の采配が下され勝負が決まった。

「はあ……はあ……はあ……」

十字礼をしてから衣笠がヘッドギアを外し、コートの外に出る。観客は沸き、他の選手達はただ重い息を吐くだけ。

「……どうしてこんなに空気が重いんですか?」

赤羽が問う。

「……赤羽、久遠。今の衣笠愛の戦い方は絶対に参考にするな」

「え、」

「どうして?男の子に勝ったんだよ?」

「そう。本来パワーが違いすぎるはずの男子相手に真っ向から力勝負で勝ったんだ。体への負担が軽いわけがない。後先を一切考えていないスタイルだ。こうでもしないと勝てないと言うのなら残念だがこの業界では生き残れない」

「そんな、」

「これまでの稽古を思い出せ。決していい加減な毎日を過ごしてきたわけじゃない。だからいつも通り気を絞ってこい」

「……押忍」

それから自分の番が来るまでの間赤羽と久遠はやや納得のいかない表情だった。


Fコート。達真は次の試合のための準備運動をしていた。

「どうしてお前がいるんだ?」

声をかけた先は火咲だ。

「いちゃ悪い?」

「別に。だがお前に関係あるのか?お前の戦術はムエタイだろ?空手はあまり関係ないんじゃないのか?」

「合宿まで参加したんだし今更何言ってるのよ。一応応援してあげるんだから私の事なんて気にせず頑張りなさい。無様に一回戦負けしても知らないから」

「……やれるだけのことをやるだけだ」

少しずつ体が暖まってきた。今やっている試合が終われば次は達真の番だ。久々の公式戦。緊張していないわけはなくしかも噂に名高い西武大会だ。しかし心はどこまでも冷静に澄んでいる。

「……やってやるさ」

コートの方へと向かう。到着すると同時に1つ前の試合が終わった。

「次!赤・遠山!青・矢尻!!」

達真がヘッドギアを装着する。そして以前赤羽美咲と2度練習試合をやったとされる人物の名前を思い出した。

「……関係ない」

反対側からヘッドギアを装着した遠山が入場してきた。

「正面に礼!お互いに礼!構えて……はじめっ!!」

和太鼓のゴングが鳴ると同時、達真と遠山が駆ける。中空で激突する蹴りと蹴り。パワーもスピードも互角。しかしこんなものは指針にはならない。足を置くと同時に達真は前進、遠山は再び蹴りを繰り出す。それは達真の前進を見越して先に放ったカウンターだった。それを片手で受け流しながら達真は距離を詰めて近距離。

「せっ!」

鳩尾向けてのワンツー。肘からまっすぐ放つのではなく、やや斜めに軌道を描いて放つワンツー。通常のそれより加速度と威力が高めな技はいつも近くで見ているあの男のものが自然と身についたものだ。

「っ!」

ガード。流石に勝負はすぐにはつけさせてもらえなかった。だが達真は攻撃を続ける。決して一方的というわけではなく遠山も攻撃を行ってきていたのだがしかし達真は努めて冷静にまるでコンピュータのように正確なリズムと角度で攻撃を次々と繰り出していく。

相手の足への下段回し蹴りは先程のワンツーとは逆に足全体で放ち、相手が足をあげて備えたガードごと穿つイメージで。相手の前蹴りは勢いよく半身をそらすことで完全に回避しつつ、半身を反らした勢いに乗じた達真の帯が勢いよく遠山のわき腹にたたきつけられ、殴られたと錯覚した遠山が無意識にわき腹へのガードを固めた瞬間に相手の鳩尾に拳をたたき込む。

ワンツーは大抵左手から放つものだ。同じ場所に2発打ち込むのが基本だが左で放つ初手をフェイントにして右手の本命を急所に当てるパターンもある。だが、達真は左利きだ。当然左手で殴った方が威力が高い。左手の初手が相手の鳩尾に入った直後に相手の左わき腹に右拳を打ち込む。パワーよりもスピードを優先した。なぜなら、

「くっ!!」

左手の一撃を受けた相手が猛烈な勢いで下がり、それはちょうど右拳を放った場所にわき腹の急所が至るタイミングだったからだ。

疑似的な3発同時攻撃を受けて後ずさる遠山。逃さず一歩前進しながら前蹴りを放つ……振りをして下段への攻撃を行う達真。

試合開始して30秒は完全に達真のペースだった。しかし遠山も負けてはいない。気持ちを切り替えた遠山は達真の攻撃を受けてから確実に回避もガードも出来ないだろうポイントを瞬時に見極めてそこへの攻撃を集中。

しかも先程までの達真の冷静さとは正逆の一気に気を解き放つパワープレイで。

「ぐっ!」

想定以上のパワーが飛んできて達真は後ずさる。

「……レベルが違うわね」

火咲は客席ではなくコートのすぐ外から試合を見守っていた。

「……私の知らないレベル。どうするのかしら」

火咲がつぶやいている間も達真は徐々に追いつめられていく。努めて冷静に……それをイメージしてはいるものの現実に暴力と言っていいレベルの攻撃を受け続けては痛みとアドレナリンで冷静さは奪われていく。

「それでも……!」

やがて遠山の攻撃は少しずつ達真に防がれていく。局所的だが制空圏を築いたのだ。遠山の攻撃はそのパワーを最大限発揮するために直線的なものが多い。よって半身を切りつつガードを固めながら接近することで相手の有利を侵略していく。そしてついに密着というレベルにまで接近を果たした達真はまっすぐ視線をぶつけたまま相手の両足のふくらはぎを踏みつける形で蹴り抜いた。

「!?」

相手は正面にいるのに背後からの攻撃。ついうっかり背後を振り返って確認したくなったが理性がそれを止める。しかしその一瞬にも満たない隙に達真の鋭い前蹴りが遠山の下腹部に突き刺さる。

「くっ、」

一歩退く遠山。既に呼吸はやや乱れてきている。対して達真はいつの間にか完全に冷静なペースに戻っている。

今日この試合において一番大事なのは精神力だ。体力には限界がある。そして戦えばどうしたって体力は削り合うものだ。だからこそ精神力を保ち、可能な限り体力の消耗を減らす。逆に相手の精神力を乱すことで隙を作り出す。その隙をつけば大きく体力を減らすことが出来る。これが達真の作戦だ。

遠山も達真の作戦に薄々気付き始めている。だからこそ出来るだけ速攻で決着をつけないといけない。出来る事なら次の一撃で。

「ぁぁぁぁっ!!!」

駆ける遠山。手足全身全てに闘気を込める。フェイントではなく全身全てを使ってでも相手を次の一撃で打ち倒すという覚悟の表れ。達真にはこれを回避する術も防御する実力もない。

「……やるしかない」

対して達真が繰り出したのはやはり前蹴りの一発だった。当然ただの一撃が遠山を止められるわけはない。遠山はステップでそれを回避してその勢いを利用した攻撃を繰り出す。狙いは達真の軸足。全力で蹴りつけてそれだけでKOする。必殺の念を込めた下段が放たれて達真の軸足へと吸い込まれていく……筈だった。

「そこ!」

「!?」

達真は素早く軸足を変えて姿勢と視線を低くしていた遠山の顔面に低空飛び膝蹴りをたたき込む。

「……本当フェイント大好き人間ねあいつは。いや、ギャンブラー?」

火咲が呆れる中、漫画のような鼻血を吹き出しながら遠山は倒れた。

「遠山!立てるか!?」

主審があわてて遠山に駆け寄り、決して触れぬように声をかける。

「……た、立てます……!」

ヘッドギアからも大量の鼻血が流れ落ちていぶし銀の胴着を赤く染めていく。弁償した方がいいのかとか下段払いして技ありとるの忘れてたとか達真が肝を冷やしていく中、遠山が立ち上がり構えた。

「……よし、続行!!」

主審がコートの端へと移動すると同時に両者が再びぶつかり合う。

遠山の突進するような蹴りを達真はステップだけで横に避けて再び正面から遠山のふくらはぎを踏みつける。

「ぐっ、」

重心を崩されてよろめく遠山。その帯に向かって達真は前蹴りを仕掛けた。腰回りを絞める帯の結び目に蹴りを入れて蹴りそのものの威力よりも腰や腹部への圧迫感を増加させた一撃。踏ん張ろうにもふくらはぎを潰されたことで足が持たずに遠山は後ずさる。その遠山の両脇に達真は両腕を差し込む。

「これは……クワガタ……!?」

遠山は反応に困った。パンチというのは脇を締めて行うことで威力を増す。そのため両腕を相手の両脇に挟まれるように突き入れると脇を絞めることが出来ず、しかもパンチは相手の腕の外側からしか行えず実質封じることが出来る技だ。しかし本来ならこのような技は小学生クラスでしか扱わない。相手の動きを封じるくらいなら蹴りを入れて手足を潰した方が早いためだ。だから惑う。それに最近ではこの技もあまり教えなくなってきていた。遠山も昔兄から聞いたことがあるくらいで実際には教わっていない。

「戦い方が古すぎる……!」

「関係ない!!」

そこから達真は一歩前に踏み入れ、発勁の要領で相手の両脇から体内へと衝撃を流し込んだ。

「…………っ、」

一瞬、また鼻血がヘッドギアの隙間から飛び出て達真の襟を汚す。そして次の瞬間には達真に寄りかかる形で遠山は倒れ込んだ。

「せっ!」

それを流し、倒れた遠山の背後で達真は下段払いをとった。

「技あり2本!勝者・青・矢尻!!」

「…………まあ、あの人のカラーで負けるわけにも行かないしな」

「現担ぎのつもり?」

コートの外に戻ってきた達真に火咲がため息。

「まあ、でもあの赤羽美咲が2度も勝てなかった相手によく勝てたじゃない」

「別に。俺の方が年上だしな。不利もない」

「不利もないってあんなギャンブルみたいなことしておいてよく言うわ」

「ギャンブル?」

「制空圏を弱めてわざと隙を作って相手を引き寄せてからカウンター。闘牛士みたい」

「別にギャンブルじゃない。相手のタイプを計算してうまくやっただけだ。俺にはどっかの誰かみたいな他を圧倒するパワーなんてないからな。小細工してやるしかない」

「はいはい。試合後でアドレナリン盛ってるのね。次の試合まで時間もあるわけだしクールダウンしてきたら?」

「……分かってる」

そう言って達真は控え室へと歩いていった。

(……いつの間にか女子最強クラスになってた衣笠愛、遠山を倒した達真、最強のライバルの久遠。強敵だらけであんたはどうするのかしらね、"赤羽美咲")

火咲はトーナメント表を見てから達真の後を追いかけた。



そんな赤羽も試合直前のためコートの前に来ていた。

「対戦相手は弥生ちゃんらしいよ」

「弥生?橋本弥生ちゃんか?」

最首からの言葉に甲斐が驚いた。

「知り合いですか?」

「こっちのライバルの一人に橋本勇也ってのがいてな。そいつの妹なんだ。年齢も階級も実力もそこそこ離れてたから面識とかはほとんどないけどな。けどあの子まだ空手やってたのか」

甲斐がしみじみとしている。

「赤羽ちゃんの1つ下だったかな?空手歴はまあまあ長いと思うから油断しないで頑張って来て」

「押忍。分かりました」

最首のエール。すると1つ前の試合が終わったため赤羽がコートへと向かっていく。

「赤・赤羽!青・橋本!」

主審に呼ばれて少しの緊張を胸に抱いて赤羽がコートの中央に立つ。相手は確かに自分よりやや小柄の少女だった。

「正面に礼!お互いに礼!!構えて……はじめっ!!」

和太鼓の野太いゴングに腹筋を押され赤羽が駆ける。散々鍛えたそのスピードは弥生の想像を超えていたがしかしそこまで差はない。赤羽の放った上段前蹴りを弥生は上段回し蹴りで払いながらそのまま蹴りを変形させて赤羽の顔面を狙う上段前蹴りへと移行した。

「……!」

「へえ、兄仕込みか」

甲斐が舌を巻き、赤羽はギリギリで回避する。

「長身の兄の技を小柄な妹が使うのは違和感あるが、精度は悪くないな」

赤羽はすぐに体勢を立て直して相手の方をしっかりと見やる。制空圏の形状、濃度、角度。すべてを直感で把握してから再び行動に出る。対して弥生は怯まず赤羽を迎え撃つ。赤羽の低空飛び膝蹴り。それを弥生は中段内受けで流しつつワンツー。赤羽は直撃で受け止めつつ払われた足を使って弥生の肩にかかと落とし。

「っ!」

衝撃に弥生が怯んだ瞬間に赤羽の低空飛び膝蹴りが追撃。今度こそ弥生の下腹部に打ち込まれ、その小柄を5歩下がらせる。

このやりとりで赤羽は、周囲は両者の実力差を確信した。おそらくこの勝負は赤羽が勝利する。だが問題なのは弥生がどこまで粘るかだろう。場合によってはそれで勝負を急いだ赤羽が思わぬ反撃を受けて勝敗が狂う可能性だってあり得る。だから赤羽は努めて冷静に勝負を続けた。

弥生の技は違和感が強かった。本来弥生が使うようなものではない技ばかり使っている印象だ。故に赤羽も本能による予想を崩されて手こずる。

「妙だな。あの子、自分で技を持ってないのか?」

甲斐が口を開く。

「分からない。でも私はあの子が道場で稽古をしているのを見たことないから」

「……基本女子小中学生は最首が稽古を受け持ってるんだろう?」

「基本はね。でも平日の夕方とかには大人の人が対応してるから必ずしも私が全員見ているわけじゃないよ。話もしてないから私も弥生ちゃんに何があったのかは分からない」

「……何か不愉快がありそうだな」

甲斐が眺める。既に勝負は赤羽の方が圧倒していた。そして赤羽にも相手方の不自然に気付きつつあった。

「……間に合ったか」

「斎藤」

と、そこへ斎藤がやってきた。

「遅くなった」

「退院したのか」

「直接来た。……お、あれは弥生ちゃんだな」

「斎藤。あの子の兄貴について何か知ってるか?」

「ん?橋本勇也か?あいつなら俺より先に空手やめたぞ」

「そうなのか?」

「確かにあいつはお前とライバルで何回かカルビで戦ってるけど結局全国まで進めなかったからやめちまったんだよ」

「……もしかして弥生ちゃんが兄貴の技ばかり使うのは兄貴のためか?」

「……むしろ逆かもな」

「逆?」

「弥生ちゃんは正直中2になるまで空手が出来るほど才能はない。西武だってほぼ間違いなく勝ち進められないだろう。それでも戦いたいからカルビまで行った兄貴の技を使ってるんだろうな。……体格が違いすぎてあまり意味があるとは思えないが」

「……あまり赤羽に聞かせられない話だな」

久遠には少し怪しいが。

やがて、本戦が終わり判定が始まる。勝負はやはり赤羽の勝利だった。

赤羽側はほとんど体力を消耗していないが弥生は既に肩で呼吸をしているほどの消耗ぶりだった。

「……あの、」

「……私の試合、どうだった?」

「……」

弥生からの質問に赤羽はうまく返答できなかった。正直迷走していてあまり強いようには思えなかった。そして本当に彼女自身の戦い方なのか疑問があった。

「……そっか。やっぱ私もだめだよね。……うん。空手やめよう」

「そ、そんな……私とそんなに変わらないのに……」

「うん。それなのに全く勝ち目がなかったから。全然力を出し切れなかった。才能が全然ないんだよ」

「才能なんて……」

「名前、聞かせてくれる?」

「……赤羽美咲」

「……ああ、あの拳の死神の……納得だ。じゃあね、赤羽美咲ちゃん」

十字を切って弥生は笑顔で畳を後にした。

「……」

コートを後にする赤羽。甲斐と最首、斎藤が迎える。

「……あの、」

「何も気にするな。ああ言うことだってある。いくらでもな。次の試合に備えて休んでおけ」

「……押忍」

赤羽はやはり納得できないような表情で隅の方に向かい、その場に座り込んだ。

「……そろそろ久遠か」

別のコート。久遠は正直少し不穏だった。

「……せめて一回戦くらいはもう少し選んでほしかったな」

正面に立つのは石田と言う小学6年生だが身長180を越える茶帯だった。小学生は黒帯をとれないためその1つ前の茶帯に甘んじているのだろうが絶対実力は黒の領域に達しているだろう。戦う前からその印象を抱いているのは少しばかり恐怖している故だろうか。

「……まあ、やられる前から何考えているだろうね。久遠ちゃんが負けるはずないのに」

「赤・馬場!青・石田!」

名前を呼ばれコート中央に立つ。

「正面に礼!お互いに礼!構えて……はじめっ!!」

これまでと全く同じ流れで身長差30センチ以上の試合が始まった。久遠は正面に制空圏を構えながら前進する。対して石田は、

「ずおおおおおおおおがああああああああああぁぁぁぁ!!!!!!」

「ひっ!?」

腹に強く重く響くようなけたたましい咆哮。本当に年下なのかとしか思えない。その一瞬の躊躇の隙に石田は猛攻を仕掛けてきた。

「くっ、」

想像以上のパワーが久遠の制空圏を大きく歪める。ギリギリで今の一撃は防げたが気付けば石田の猛攻に久遠の手足は早くもダメージが貯まってきていた。むしろその制空圏がなければ最初の一撃で終わっていたかもしれない。それを耐えられている事こそ久遠が石田と戦える存在だと言うことを証明している。それに気付いた久遠は、

「この久遠ちゃんとやるには10年早いよね!」

相手の制空圏と自分の制空圏を合わせ、隙間を見つける。確かに二人の身長差は激しい。当然30センチ以上も大きい石田の方がパワーなどでは圧倒的に有利だ。だがあまりに体格に差があるからこそ付け入る隙がある。石田のパンチを久遠は横にステップするだけで回避する。

「!」

石田の肩が久遠の肩に乗っかる形になり、一歩前に出るだけでその懐に潜り込めた。

「相手が強大なら強大こそ懐に潜り込むのが正道だよね」

そこから久遠の攻撃は全て石田の鳩尾に命中し、試合開始から30秒経過した時点で既に勝負は久遠がリードしていた。

「……やるな、久遠」

甲斐が眺める。甲斐から見ても久遠の戦術は極めて正しく、そしてこの勝負は久遠に有利だろう。あの石田という小学生はその恵まれた体躯でこれまで同年代を圧倒してきたに違いない。たとえ年上と言えど自分より遙かに小柄な相手に逆に圧倒されるなど考えもしなかっただろう。

「初体験に久遠は相手が悪かったな」

甲斐がコートを背にして去ってから20秒と経たずに石田は畳の上に倒れた。

「天才少女、久遠ちゃんの大勝利!」

「……礼を尽くせ。反則にするぞ」

主審をやっていた雷龍寺が久遠にげんこつした。



・それぞれ一回戦を経た赤羽達。当然だが一番試合回数の多い一回戦が一番長く時間がかかる。午前8時30分から開始して2時間以上経過してもまだ2回戦開始の案内が来ない。とは言え勝ち進んでいれば2回戦の相手などトーナメントを見れば分かるのでただただもやもやしているだけの待ち時間が続く。

「交流試合の時も思ったけどこの時間が一番嫌なんだよね」

すっかり緊張が解けてスマホをいじっている久遠。

「久遠。流石にリラックスしすぎです。畳の上でスマホはしないと甲斐さんから言われているでしょう」

「だって暇なんだもん」

「赤羽の言うとおりだぞ、久遠」

久遠にげんこつの甲斐。

「またげんこつぅ~!?」

「また?」

「さっきらいくんにもされたんだもん」

「……雷龍寺にされたのなら文句はないだろうな」

「あるもん」

頬を膨らませる久遠。とてもさっき身長180を越える巨漢小学生を秒殺した相手には見えない。

「でも公式もひどいよね。あんなでっかいのと久遠ちゃんを一回戦から戦わせるなんて」

「……分かってるだろ?それなのにお前は勝てた。加藤先生も雷龍寺もこの結果を知っていただろうな。この大会の台風の目になる存在だってな」

「……もう死神さんてばやっぱりかわいい久遠ちゃんを攻略しようとしているんだ。へへ、ハッピーエンドにしようね」

「はいはい」

久遠の頭をなでてやる。

「……」

「赤羽、お前はそんな久遠に勝ってるんだ。自信を持て」

「……はい。でも、」

「弥生ちゃんの事なら気にするな。勝ち進むということは誰かの希望を挫くと言うこと。そしてそうしない限り先に進めないんだ。相手もな」

「相手も……ですがあの人はもう空手をやめてしまうと言った……」

「……だが空手だけが全てじゃない。弥生ちゃんにとってはきっともう空手は過去にしたかったんだ。最後に破れかぶれで自分の可能性を試したかったんだろう。お前はあの子の背中を押したんだ」

「……最後のとどめを刺す役割でもですか?」

「人間は自分でも負けたと思うまで負けない。前を見ている限り心は死んじゃいないさ」

「……分かりました」

「……あ、廉君。そろそろ2回戦始まるみたいだよ」

最首に呼ばれて巨大な電光掲示板を見る。情報が更新されていて2回戦の組み合わせが表示されていた。ついでに紙の方でも2回戦からのトーナメント表が希望者にのみ配布され始めた。今更確認するまでもないため甲斐達は受け取らない。とは言え使用コートが変更されている可能性はあるため一応電光掲示板の方を確認しておく。

なお、詳しく見たわけではないため正確ではないが赤羽、久遠、達真はベスト8くらいまでは恐らく互いにぶつかることはない。本来なら一緒に頑張ってきた仲間達同士は年格好も性別も近いことが多いためこういうトーナメントでは早い段階でぶつかることが多いし、早い内にそう言う経験はしておいた方がいい。実際甲斐も最首もどこかで1回戦か2回戦くらいで赤羽と久遠は当たると思っていた。この二人は3月の交流大会で戦っているから敢えて今回は遠ざけたのだろうか?

「まあいい、最後まで勝てばいいだけだ」

甲斐はそれぞれの2回戦の様子を見に行くために会場内を歩いていると、

「あ、お兄様!」

杏奈とライルと出くわした。

「次女と執事か。珍しいな。空手関係のイベントに来ているとは」

「杏奈ですぅ!和佐ちゃんの代わりに視察に来たんですよ」

「長女はどうした?甲斐機関のイベントなら真っ先にあいつが来るはずだろ」

「それが、なんか最近様子がおかしくて。あまり甲斐機関のお仕事しなくなっちゃったんですよ」

「……生理か」

「何言ってるんですか……?」

「冗談だ。本当は合宿の時に何かしそうだったんだが結局何もなかった。次のイベントを探しているのかもな」

「イベント?」

「そちらの社長さんは何か記念を見つけるとすぐにイベントを開催する性質があってだな」

「……まあ確かに私や和佐ちゃんの誕生日に併せて新規プロジェクト発表とかよくしてましたね」

そう言うところは遺伝なのだろうか。

「あ、杏奈ちゃんだ」

「あ、最首さん」

甲斐の後からやってきた最首と杏奈が手を振る。

「どうしたの?珍しいね」

「はい。和佐ちゃんの代わりに視察を。まあ、空手なんて全然分からないんですけどね」

「へえ、ほうほう。じゃあ杏奈ちゃんも空手やってみる?女の子でも歓迎だよ?」

「う~ん、確かに身近な女の子は何か格闘技をやっている印象ですけど私は大丈夫です。ライルがいますので」

「……」

ライルは静かに頭を下げた。

「ライルさんか。……どっかで見覚えあるような気がするんだけど」

「そうだと思いますよ?だって……」

「お嬢様」

「……もう、ライルってば。ごめんなさい、最首さん、お兄様。そろそろ時間のようです」

「あ、うん。そうなんだ」

「おい次女。くれぐれも大ボスや長女におかしなことをするなと伝えろ」

「あ・ん・な・で・すぅ!!」

ちょっと不機嫌になりながらも杏奈とライルは去っていった。

「……廉君どうして杏奈ちゃん名前で呼んであげないの?」

「家族なんてそんなもんだろう。だからそれでいい」

「……欲張りだよ廉君は」

「だから面倒なんだよ。……次の試合に行くぞ」

「うん……」



「もう、別にいいじゃない」

杏奈はぷんぷんしながらコートの外側を歩く。

「お嬢様。今の私はあなたの執事です。それ以前のことなど必要ありません」

「けど……」

「ほう、珍しい顔があるな」

「……」

二人の前。雷龍寺が現れた。先程までは主審の一人としてコートの上に立っていたが今は休憩時間のようだ。そんな雷龍寺の視線はライルへと注がれていた。

「……馬場雷龍寺」

「死神のところで雇われたそうだな」

「……甲斐廉は関係ない」

「そうなのか?で、どうしてまた日本へ?故郷のアメリカの中学に行ったんじゃなかったのか?」

「何年前の話だ」

「8年前」

「聞いていない。……仕事だ」

「そうか。……まだ体を鍛えてそうで何よりだ。少しスパーリングやっていくか?」

「殺す気か。元未成年最強空手戦士」

「元……ですか?」

初めて杏奈が割り込んできた。

「はい。20歳になったのでその枠からは外れています」

そこで急に雷龍寺が壊れたように笑い出した。

「……どうした」

「いや、お前がそんな子に対して敬語とはな。執事か?借金してどこかのお嬢様の脅迫でもしたのか?」

「人をハヤテにするな。……お嬢様、もう行きましょう。この空手馬鹿はあの死神よりも手に負えない」

「おい、それは心外だぞ。拳の死神みたいなトラブルメーカーと一緒にするな。今年に入ってどれだけあいつ絡みの問題が起きてると思ってる」

「正確に言えば赤羽美咲含めた三船機関の問題だろ。……今からその話もあるんだ。……行きましょう、お嬢様」

「……その話ね」

つぶやく雷龍寺を背に二人は歩き出す。そして、

「……来たか」

主催席。大倉、加藤、伏見提督の前に杏奈とライルがやってきた。



2回戦。久遠の相手は伏見道場所属の女子高校生だった。

「わお。現役JKと戦うことになるとは」

「赤・馬場!青・佐伯!」

「……じゃあいっちょやってみるかな」

「はじめっ!!」

号令と同時に両者が相手に向かって走り出す。体格の問題から佐伯の方が先に接近を果たして蹴りを繰り出す。

「折り込み済み!」

それを完璧なタイミングで防ぎ、相手の軸足に下段を打ち込む。

「んで、足孔雀!!」

そこから久遠はコサックダンスを踊るかのように佐伯の臑に連続低空飛び蹴りをたたき込む。

「し、私語っ!!」

「まじめちゃんだね!」

佐伯がバックステップで下がると久遠も追随してひたすら臑を蹴りまくる。ただでさえ久遠は背が低いのにさらに低姿勢になっているため佐伯はどう攻撃したらいいか分からない。長年西武で戦ってきた佐伯でもこんな戦い方をする相手見たことがない。

「くっ、」

足腰がダメージに歪み、後ろに下がることも出来なくなる。下段への攻撃を仕掛けようにもパンチが顔面に当たってしまうと反則になる。かといって足で攻撃するにはダメージを受けすぎている。

「……何なのこいつ!」

無理に距離を離れようとしたら全く同じ速度で久遠が追随して死ぬほど佐伯の足を蹴りまくる。

そして試合開始から1分が過ぎた頃。ついに佐伯は足から崩れ落ちてしまい、立つことさえままならなくなった。

「せっ!」

立ち上がった久遠が下段払い。そしてついに佐伯は立ち上がることが出来なかった。

「そこまで!勝者・赤!!」

「ぶい!」

「……ボディに一発も当てないまま勝ちやがった……」

流石に甲斐もドン引きしてた。当たり前だがどんなに基本に則ったところでどんなに足技に自信があったところでボディへのパンチなしで勝負が決まることはほとんどあり得ない。それをまだ空手始めて1年も経っていないような久遠が年上相手に成功させるのは正直異常としか言いようがない。

「……馬場家の血筋ハンパないな」

「た、確かに……」

「ん、龍雲寺か。木人くんはどうした?」

「里桜に全部任せてきました」

「そうか。ならよし。で、何でお前まで驚いてるんだ?」

「いや、パンチ一切なし下段だけで年上倒すなんて雷龍寺兄さんでもやれませんよあんなの。年下とか相手でも僕なら出来ません……」

「まあ、将来が怖いな。こりゃ3年もすれば全国デビューしてるかもしれない」

「拳の死神の弟子の天才少女って感じですか」

「……弟子ってわけではないと思うんだがな。ともかく龍雲寺。あれには嫉妬するだけ無駄だぞ」

「……流石の僕ももうそこまで烏滸がましくないですよ。自分にやれる範囲のことをやっていきます。……また空手をやるかどうかは分かりませんが」

「……そうだな」

こちらには気付いていないのか久遠はコートを離れると甲斐達とは逆の方向へと歩いていった。一方、すぐ隣のコートでは達真が2戦目を行っていた。

「くっ!」

相手は女子だが格上。そして中々に手強い。それもその筈対戦相手は都築麻衣だった。

いつもは伏見機関の軍人として行動し、雅劉の部下として振る舞っているが伏見道場のエースとしての務めも果たすためこうして大会に参加したのだ。

女子と言えど軍人。常日頃から鍛えた足腰は尋常ではなく、達真より先に前蹴りを炸裂させては怯ませて接近。下腹部の丹田へと的確に膝蹴りをたたき込む。

「ぐっ!!……はあ、はあ……」

試合開始して1分が経過した今、既に達真は息が切れていた。どうやら一回戦の相手と引き続き西武大会常連の猛者とぶつかってしまったらしい。

麻衣の方はそこまでダメージを負っていない。既にこの勝負は達真が圧倒的劣勢だった。周囲の目もそれを物語っている。

(……確かにここで俺は負けるかもしれない。けど、諦めていい理由にはならない。俺はそこまで不遜じゃない……!!)

麻衣の接近。タイミングを合わせてクワガタを差し込む。位置的には麻衣の脇に両手を挟んだことで若干乳房に触れてはいるが互いにそんなことを気にする余裕はない。見慣れぬ動きに逡巡する麻衣。しかしすぐに下段への攻撃を開始する。

(なら!)

クワガタへの一番簡単な対処法は足技で相手を突き放すことだ。それも下段への攻撃がベスト。しかしそれは達真も折り込み済みだ。麻衣の蹴りに合わせて膝の角度を変えることで麻衣の放った蹴りは出し切る前にその臑に達真の膝が当たることで防がれる。

「くっ、」

それも勢いよく当たったことで臑にダメージがいく。そうして怯んだ矢先に達真は麻衣の鳩尾に飛び膝蹴りをたたき込む。チェストガードがあったがその上から相手の急所を踏み抜く勢いで足を放つ。

「……ふう、」

クワガタから抜けて麻衣が2歩下がって呼吸を整える。対して達真も隙を見せない程度に呼吸を整えた。思考するという程ではないがどちらも闇雲にぶつかっていくタイプではない。冷静に試合を有利へと運んでいくタイプだ。思わぬ反撃こそあったがまだ勝負は麻衣に有利は変わらない。それは互いに共通している。問題なのはどうここから逆転するかとこのまま征するか。思考と言うほどではない。直感的に直観的に試合運びを頭の中で構築していく。そして手足が動き出す。

「……」

「……」

互いに既にコンピュータのようにただ手足を繰り出す機械になっていた。痛みももちろんあるがまるで囲碁や将棋のように矢継ぎ早に最善の行動を放っていく。直接急所はねらえない。しかし、それを守る部分を少しずつ攻略していく。胸を守る腕を、足腰を守る臑や太股を、少しずつしかし可能な限り削っていく。

「そこまで!」

120秒が経過してインターバルが入る。そして延長戦が開始された。その延長戦でもお互いに全く衰えないまま打撃を繰り返していく。一撃必殺の技などない。ただただお互いを削りあうだけの120秒が再び経過して勝負は再延長戦にもつれ込んだ。互いに肩で呼吸しあう程の疲弊。しかし脳はどんどんクリアになっていく。その中でわずかな焦燥もあった。

(このまま行けば前半不利だった俺は判定に持ち込まれると負ける)

(軍人として鍛えてるけど体力は向こうの方が上。押し切られる……!)

「再延長戦、はじめっ!!」

主審の号令。三度コート中央で接近を果たす両者。そんな矢先、達真は両手を十字に合わせた形の構えをとった。

「上段十字受け……?」

龍雲寺が疑問する。対して甲斐は口を開いた。

「……まるでスペシウム光線だな」

「は?」

「クワガタといい、あいつはブランクある関係でまあまあ古い、しかも指導者の個人的な戦術をとりたがる。……そうだ、思い出した。昔ほんのわずかな間だったがそんなに年の離れていない、しかし腕の立つ指導員がいたな。日本人じゃないから目立った。……そいつの名前はライル=ヴァルニッセ……!!」

甲斐が主賓席の方を見る。大倉達と何かの話をしているライルを視界に入れた。

「そう、あいつだ。あいつが当時矢尻の指導員だった奴だ……!」

試合は動く。突然妙な構えをとった達真に対して麻衣の脳内コンピュータは躊躇した。見た目的には上段十字受けに見える。しかしまだこちらは攻撃をしていない。なのにどうして……?

「……っ!」

迷っている暇はない。麻衣は仕掛けた。防御を構えている場所に堂々と正面から殴り込むのは非効率的だ。だから麻衣の狙いは下段だ。そして麻衣の意識が一瞬でも下に移った瞬間に達真の組んだ十字は弾かれたように解かれ、次の瞬間には左拳が麻衣の胸に打ち込まれていた。

「デコピンの要領だな」

「デコピン?」

「右手首に左手を押しつけ、デコピンみたいに溜めて放つ。脇を締めていない状態でのパンチは大して威力が乗らない。しかしそれを補う方法があのデコピンパンチだ。そして最初のあのスペシウム光線の構えは相手の注意を逸らす役割もあるわけだ。普通ああやって顔の正面に構えられたら下段を狙いに行くからな。麻衣ちゃんは正しかったからこそこうしてカウンターを受けた。……クワガタといい、相手がいないと成立しない技ばかり使うな、あいつは」

確かな感触があった。目の前で胸を押さえてうずくまる麻衣の姿もそうだが今の一撃、複数のものを一気に打ち砕いた感触が達真にはあった。つまり、最低でもチェストガードは砕いた。そして場合によっては肋骨すらもへし折った可能性がある。自分にそれだけのパワーがあるとは信じられなかったが結果は結果だ。

「……」

再び達真はコンピュータモードに入った。致命的なダメージを負った麻衣はまともに構えるだけで手一杯だ。しかし手抜かりはしない。腰への回し蹴り=ミドルを叩き込み、麻衣の軸を痛めつける。達真の足に硬い感触があった。恐らくチェストガードの破片だろう。

「待った!」

「!」

突然麻衣が制する。そして帯を解き、胴着の上を開いてシャツをめくる。シャツの中からは破壊されたチェストガードがボロボロと落ちていく。ついでに破れたブラジャーも麻衣の足下に落ちた。それらを全て足で払って麻衣は構える。

「……来なさい!!」

「……いいだろう」

再び達真は腕を十字に組む。と、麻衣はその腕に向かって飛び蹴りを放つ。

「!」

勢いよく両手に蹴りが加わり、大きな負荷が掛かった達真の両腕が折れかかる。技を正面から潰す最善の一手だ。しかし、まるで鏡合わせのように達真も蹴りを放っていて麻衣の胸に打ち込まれる。

チェストガードもブラジャーすらない生の感触が足の裏に広がる。しかしそれ故か先程までとは正逆の柔らかい乳房によって達真の蹴りは横にずれてしまった。

結果として防御を崩されただけの達真が後ろに下がり、麻衣が前進する。試合時間は残り40秒ほど。麻衣の作戦としてはこのまま蹴って蹴って蹴り進む事。達真がこの試合で見せた特異な技はいずれも蹴りで打開できる。駆け引きなんてない、ただ得意技で相手を潰すだけの作業。そして、それを潰す技法。

「!」

麻衣が放った蹴りに対して達真もまた蹴りを放った。それも麻衣の蹴りと激突させるように。

「……終わったな」

甲斐が静かにつぶやき、同時麻衣の右足から鈍い音が轟いた。

「な、何があったんですか?」

龍雲寺はブラジャーを拾おうとする甲斐を止めながら質問する。甲斐はそんな龍雲寺を力ずくで振り払い、ブラジャーを懐に入れながら続けた。

「蹴りが蹴りとして完成する前に足裏に対して蹴りを入れたんだ。ジャンプして着地する時に膝か足首の角度がずれていたせいで着地に失敗して転んで足を痛めるみたいにな。……恐らく矢尻は最初からこれを狙っていたんだ。クワガタとスペシウム光線と言う、足技が苦手な独特な技を2度も出して前蹴りを誘ったんだ。……その足を破壊することで確実な勝利を得るために」

その後、最首と火咲からブラジャーがひったくられた頃には試合の決着が付いていた。

「勝者・赤・矢尻!!」

判定が下ると達真は倒れたままの麻衣に近づき手をさしのべた。

「……あなた、強いのね」

「まだまだだ」

肩を貸して麻衣を起きあがらせるとそのままコートの外へ向かう。

「あ、来た」

「……何してるんですか?」

コートの外。甲斐が最首にキャメルクラッチを受けていた。

「麻衣ちゃん、これ」

火咲が甲斐を踏みつけている間に最首がこっそりとブラジャーを麻衣に渡す。

「……あ、ありがとうございます……」

「破れちゃってるから使えないと思うけど……」

「……今日はもう負けたので帰ります。ありがとうございます」

麻衣はブラジャーを懐に入れる。そこで伏見道場から何人かやってきて達真からバトンを受け取る形で会場を後にした。

「矢尻、悪くない戦いだったぞ」

「……ど、どうも」

いつの間にか久遠まで加わり、甲斐は3人に踏みつけられていた。達真に出来ることは言及しないまま次の試合に備えて控え室に戻ることだけだった。



2回戦を終えた赤羽は女子更衣室へと向かった。先程の麻衣の試合を少し見ていたことで下着とかチェストガードとかが問題ないかのチェックをしたかったからだ。

麻衣は試合直後のアドレナリンもあってそこまで慌ててなかったがしかしもし自分がああなったらと思うと集中が途切れそうで怖い。本当は最首辺りにでも相談したかったが胸のサイズを考えるとあまり意味がない質問かもしれない。

「……」

女子更衣室。男子からしたら一種の楽園かもしれないがしかし今そこは奈落の底のようだった。この大会、当たり前だが女子の方が数が少ない。そして男子と女子が戦えば高確率で男子が勝つ。と言うわけで現在そこには負けたことで暗く沈む女子ばかりだった。実際今女子の中で勝ち上がっているのはただでさえ少ない女子の中でもさらにごくわずかだった。

「……どうかしたの?」

「あ、」

後ろから声。振り向けば衣笠がいた。

「あ、いえ、」

「あなた……拳の死神のところの……」

「あ、赤羽美咲です」

「そう。遙は元気?」

「最首さんならお元気です」

「そう」

衣笠は目当てのロッカーまで来ると鍵を開けて中からタオルを出して汗を拭く。顔を拭いたら胴着を脱いで体を拭き始める。

「……あの、衣笠さんですよね?少しだけ話を聞きました」

「遙から?」

「えっと、甲斐さんからもです」

「へえ、同い年とは言えあの拳の死神に知ってもらえてるなんてね」

「あの、どうして18歳になってまで空手を続けているんですか?」

「好きだからに決まってるじゃない。いくつになっても空手が好きなのよ私は。あなたは違うの?」

「私は……」

「……かもしれないわね。あなたの師匠も何となく違うんじゃないかなって思ってるから」

「甲斐さんが?」

「そうは見えない?」

「はい」

「そう。でもあの人、私も一度だけ戦ったことあるけどとてもつまらなそうにしてたわ。私の実力が全然物足りないんでしょうね」

「……」

「つまらない話をしたわ。あなたも何か用があるんじゃないの?」

「あ、はい。その……」

赤羽はさっきの試合の話をした。

「……確かに男子と戦う以上はそう言うハプニングも覚悟すべきね。小学生時代だけど完全に胴着が脱げて胸丸出しで戦ったこともあったわ。帯が切れてズボン落ちてパンツ丸出しもある」

「……男子側はそう言うのないですよね」

「そもそも空手胴着って男性用だからね。女子じゃ激しい動きするとすぐにずれちゃうから。胸が大きいと特に。男子の攻撃だとチェストガードも壊れたりは滅多にないけどずれたりとかは結構あるわ。そのままブラずれたりとかね」

「そう言う時は?」

「試合中は仕方がないけどブラジャーはしないで試合前とかにしっかりさらしとかで胸を固定しておくといいわよ。ズボンに関しては下着が見えないように短パン下に履いておくとか」

「なるほど……」

いつの間にか赤羽はすごい勢いでメモをしていた。

「……死神はもちろんだけど遙も幼児体型だからあまりこう言うこと教えてくれそうにないのかもね。まあ何かあったら聞いて。連絡先は遙にでも聞いて」

「ありがとうございます」

それから他愛のない話をしてから二人は更衣室を後にした。



3回戦、4回戦を経て既に時刻は17時を回る。流石に一日中戦い通しな事もあって選手達は表情から消耗を隠せない。そして今5回戦を終えて一日目のスケジュールが終わった。

「お疲れさまだ」

明日のトーナメントが発表されるまでの間、甲斐はポカリとタオルを赤羽、久遠に配った。達真の分はなかったが火咲が用意していた。

「すまない」

「いいのよ。けどまさか全員一日目を勝ち残るとは思わなかったわ」

「ああ。それは俺も驚いている」

火咲、甲斐、最首はいずれも意外そうな表情だった。

「久遠ちゃん達いっぱいお稽古頑張ったもん」

胸を張る久遠。とは言え彼女も疲弊は隠し切れていない。だが無理もないだろう。例年では最速ベスト8までと言ったが今日はなんとベスト4まで進んだのだ。そのベスト4進出したのは赤羽、久遠、達真、そして衣笠の4人だ。

「……正直複雑かも」

最首がため息。

「はるちゃんからしたら全員知り合いだもんね」

「そうなんだよね。みんな応援したいけど」

「それは私のことも?」

「!」

声。見れば衣笠が歩いてきた。

「愛ちゃん……」

「久しぶりね、遙」

視線を交わす二人。

「衣笠さん……」

「赤羽さん。まさか同じベスト4まで進むとは思わなかったわ。正々堂々ベストを尽くしましょう」

「……押忍」

「美咲ちゃん、この人のこと知ってるの?」

「さっき更衣室で」

「へえ、」

久遠がじーっと衣笠のことを見ていると衣笠は溜め息してからその頭をなでてやった。

「えへへ」

「今日は手で優しくなでたけど」

「へ?」

「明日もし当たることになったら足で全力でなでることになるから」

「久遠ちゃんの頭を?お姉さんに出来るかな?」

「あら、自信満々ね。流石はあの拳の死神の弟子ってところかしら?」

衣笠の視線が今度は甲斐に。

「はじめましてって言っていいものか?」

「こうして話すのは初めてね。同い年でお互い存在自体は何年も前から知っていたけど」

「昔西武でもやったよな」

「ええ。あの頃から私は前に進めていない。でも明日こそは進む。一度勝てばそれだけでカルビにも行けるけど2回勝ってカルビに進んでやるんだから」

「……すごい自信だな」

と、今度は達真と火咲が来た。

「あなたは確か、ベスト4唯一の男子……」

「矢尻達真だ。本来敬語を使う相手だけど明日まではタメ口で行かせてもらう」

「ええ、いいわよ」

赤羽、久遠、達真、衣笠がそれぞれ視線を交わす。

「……にしても矢尻以外の男子全員脱落とは少し稽古が優しすぎるんじゃないのか?」

後かたづけをしている雷龍寺向けて甲斐が言う。

「確かにな。上から言っていい言葉じゃないが正直不作が過ぎる」

割と忌々しそうに雷龍寺は吐き捨てる。達真は無所属からのエントリーだ。そのため実際大倉、伏見、三船の男子出場者は全員ベスト4まで勝ち残れなかったという事だ。指導員である雷龍寺が嘆くのも無理はないだろう。実際はベスト4どころか優勝候補の男子が全員達真と当たることになって達真が全員破ったのだが。

「……まあいい、そろそろベスト4のトーナメントが発表される」

「……思うがどうやって組み合わせ決めてるんだ?」

「一回戦とベスト4に関しては三道場の代表が話し合って決める」

「……つまり大倉会長と伏見提督と……後は?」

「今回三船の所長はいない。だが、お前のところのが加わってるぞ」

「は?」

「……杏奈さんですよ」

赤羽が静かにつぶやく。

「……次女が!?って珍しく来てると思ったら三船所長の代理かよ」

身内の参入に頭を抱える。すると、その次女の声がマイクで会場中に響いた。

「みなさん、甲斐機関の甲斐杏奈です。明日のベスト4トーナメント表を発表しま~す」

「……身内の恥だ」

ため息を付きながら甲斐が視線を電光掲示板へと向ける。甲斐だけじゃない。片付けの手を止めて雷龍寺や他のスタッフ達が、この会場にいる誰もが視線を集中させた。該当の4名は緊張と、それを和らげる現実逃避故かやや他人事のようにして電光掲示板をにらみつける。

そして表示されたのは、

赤羽美咲VS衣笠愛、馬場久遠寺VS矢尻達真の文字だった。

「……邪推だな」

甲斐は誰にも聞こえないよう口に中でつぶやいた。甲斐にはこの組み合わせが女子3人掛かりで達真を倒そうとしているように見えた。もちろんただの直感だ。該当四名を見ると、静かに互いに視線を交わしていた。

「衣笠さん……」

「何も言う必要はないわ。でも、負けるつもりはないから」

「あらら。達真君が相手か。まあいいや、美咲ちゃん決勝で会おうね!」

「余裕だなちびっ子。俺だって負けるつもりはない」

4人がそれぞれ会話を交わし、衣笠だけがその場から去っていった。

「……まあ、身内同士で勝ち進めばこうなるわな」

甲斐がため息着いて頭をかく。本来ならもっと早い段階でこうなるはずだったが、つくづく運命には嫌われているようだと甲斐は再びため息をついた。

「……ん、」

そこで火咲のスマホが着信音を鳴らした。

「着信だね」

最首が火咲の指を掴んで指紋認証してあげる。

「ありがと。……へえ、」

「どうしたんだ?」

「りっちゃんが戻ってくるそうよ。赤羽美咲、まさか明日の大会辞退しないわよね?」

「どうして私が黒のために大会を辞退しないと行けないんですか?」

「別に」

「はいはい。二人とも畳の上で喧嘩しない」

珍しく甲斐が宥める。

「……それで、0号機も来るみたいだけど、達真どうする?」

「……0号機、シフル=クローチェか」

正直まだまだ全然得意な相手ではない。陽翼が生きていて間に入ってくれているからまだしも一対一ならどう相手したらいいか分からない。

「もちろん私も行くわ。それなら緊張とかしなくていいでしょ?」

「……緊張なんてしていない。だがまあいいか。いつだ?」

「今夜よ」

「……急だな」

「矢尻、行くのか?」

「押忍」

「そうか。先にシャワー浴びておくといいぞ。龍雲寺、案内してやれ」

「あ、はい」

「?」

龍雲寺に連れられて男子更衣室のシャワーまで行く達真。ついでにその間に女子達もシャワーを浴びて私服に着替える。1時間ほど経過して再びその場に全員が集まる。

「それで甲斐先輩、何を……」

「きぜつぱーんち!」

「!?」

直後甲斐の拳が真っ正面から達真の後頭部に叩き込まれ、達真は倒れて気絶した。

「い、いきなり何を……!?」

当然ドン引きになる周囲。

「だってこいつ乗り物酔いすごからな。どうせ移動ったら電車だろ?権現堂後輩がいるならともかくいないならエチケット袋要員用意したくないし。先に気絶させたわけだ。じゃあ行くとしよう」

「ちょっと待って。変態師匠、あんた達も来るの?」

「そうだ。リッツちゃんが気になるしな。……三船関係だから上の連中も動くかもしれない」

「……達真と私だけじゃ心配なんだ」

「そう言う訳じゃないが三船関係と縁を作っておくのも悪くない」

「そう言うことなら俺も行こう」

と、そこで姿を見せたのは雷龍寺だった。

「に、兄さん……!」

倒れたままの達真に隠れようとする龍雲寺。

「……そこまで警戒するか普通」

「雷龍寺、どういうつもりだ?」

「お前と同意見だ。それに、三船と言えばあの男がいるかもしれない」

「……赤羽剛人か」

その名を口にすると赤羽と火咲が少しだけ表情を変える。

「なら俺も一緒に行くぜ」

今度は雅劉が姿を見せた。それも麻衣も一緒だった。

「あれ、矢尻さんどうしたんですか?」

「これから移動するから気絶させたんだ」

「……はい?」

「そんなことより伏見のあんた達までどうして……?」

「親父の目を潜って三船の情報収集って行ったところか」

「伏見提督は?」

「甲斐機関とやらと会議だ。大倉会長も一緒だ。だからその間に俺達だけで集められる情報を集めておこうと思う。どうだ?車なら出すぜ」

「……この人数いけるか?」

甲斐、赤羽、久遠、最首、達真、火咲、龍雲寺、雷龍寺、麻衣、雅劉。10人である。

「……少し厳しいかもな」

「廉君。私は赤羽ちゃん、久遠ちゃんと一緒に帰るよ」

「え、どうして久遠ちゃんまで!?」

「難しい話かもしれないからね。正直まだ三船はちょっと……」

「いや、赤羽は一緒に来てもらう」

「え、」

甲斐からの言葉に赤羽が驚く。

「ちょっといいの?そいつ甲斐機関よ?」

火咲から否定の言葉。

「赤羽を信じない訳じゃないからこそ一緒に連れて行くんだ。確かに今回俺達がやろうとしていることは大人達、甲斐機関への反逆だ。だからこそ赤羽も連れていく。……赤羽も俺達のこと信じてくれるよな?」

「…………はい」

「目が泳いでるわよ」

「龍雲寺。お前も帰っておけ。邪魔になる」

「あーうんうん。そうだと思ったよ」

「……で、これで何人よ?」

「7人だな。いけるか?」

「2台に分ければいけるか。誰か伏見の奴呼ぶわ」

雅劉が軍用スマホを取り出した。



2時間後。陽翼が入院している病院。待ち合わせの場所に甲斐達が到着した。同時に達真は甲斐にたたき起こされる。

「……ずいぶん大所帯になってる」

陽翼の病室。出迎えたリッツが早速火咲に抱きしめられながら人数に驚く。

「……」

達真がベッドの上の陽翼とその隣にいるシフルに視線を向けた。

「やっほ。達真。ほら、シフルも」

「やっほ」

「いやいや、意味分かって日本語使ってないだろ」

ため息をついて達真が二人に歩み寄る。

「達真。大会今日じゃなかったっけ?どう?」

「ああ。明日ベスト4だよ。勝ち進んでる」

「そうなんだ。すごいね、流石僕の達真」

「Johanes is mine」

「シフル、英語で独占欲発揮したって意味ないよ」

火咲にだっこされながらリッツも寄ってくる。

「で、どうして死神や伏見の人間まで?」

リッツの視線は甲斐や雅劉に。

「単刀直入に聞くぜ。シフルちゃん。甲斐機関について何か知っていることはあるか?」

「chain kikan?Is your family?」

「違う。いやまあ、恥ずかしながら身内がやっているのは合ってるんだが」

「最近大人どもの動きがきな臭いんでね。同盟でも組んでみないか?」

雅劉が続けた。シフルはいまいちしっくりきていないようだ。

「シフル、私が修理される羽目になったのも甲斐機関の仕業だよ」

「If they are committing a criminal act,why not defeat them?」

シフルが何かを言った。

「えっと?」

甲斐はリッツや雅劉を見る。

「……三船と同じように打ち倒せばいいんじゃないかって言ってる」

「恨み節かな?」

甲斐が目を細める。と、シフルはスマホを取り出して和訳アプリを起動した。そして何か早口で英語を喋ると、

「三船の戦力は今ほとんど甲斐機関に取り込まれてて身動きとれないから私達には何も出来ないの!」

日本語で再生された。

「こんなアプリがあるのか……」

「と言うか、」

達真がシフルを見る。

「お前、日本語喋れない癖に俺達の言葉は理解できるんだな」

「陽翼のおかげで日本語の理解は出来る。ただ日本語を話せないだけ」

再びアプリから声。正直達真もシフルもこうして互いに会話をしていることに違和感しかなかった。それを鑑みた陽翼が二人の手を取って握らせる。

「達真もシフルもこれで仲良しだね」

「陽翼……」

陽翼を中心に達真、火咲、リッツ、陽翼、シフルに笑みが零れる。

その光景から目を逸らしながら甲斐は続ける。

「そろそろいいか?とりあえず俺達が聞きたいことは以上だ。矢尻だけ置いて今日のところはもう帰るぞ」

「甲斐さん?」

様子がおかしい甲斐。逸らした目線がちょうど赤羽と合った。

「どうかしたんですか?」

「……何でもない」

「…………」

火咲は何も言わなかった。

それから達真、火咲を置いて病室を後にする甲斐達。

「無駄足だったな」

「そうでもない。あそこの連中は特に今回の件には関係してないってことは分かったからな」

雅劉がスマホを操作しながら廊下を歩く。

「……」

甲斐は少しだけ進路を変えた。

「甲斐さん?」

「おいそっちは出入り口じゃないぞ?」

「少しだけ寄り道。先に駐車場に行ってていい」

ポケットに手を突っ込んだまま甲斐は関係者以外立ち入り禁止のエリアに入っていく。その先にあるのは例の病室だけ。

「…………」

ベッドで眠り続ける少女。以前来た時はゆっくりその顔を見れなかった。甲斐は念のためにスマホで写真を撮る。

「……奇跡って来る奴とそうじゃない奴っているんだな」

頬に伸ばす手。しかしその手は届かなかった。

「…………」

甲斐は手を引っ込めた。そして病室を後にした。



・8月30日。8月最後の日曜日。西武大会の準決勝。

「……」

朝起きた赤羽は窓を開けて朝焼けの空を見やる。冷房で冷やされた部屋に生ぬるい風が加わる。

「……ん、どうかした?」

わずかな空気の変化を感じたのかリッツが目を覚ます。

「いえ、私はそろそろ起きようと思います」

「……まだ6時じゃない。10時からでしょ?移動含めても後1時間は寝ていていいんじゃないの?」

「……いいんです」

「……そ」

リッツはそのまま火咲に抱かれたまま目を閉じた。

「…………今日ですか」

赤羽は小さくつぶやいた。


「ん、」

同じ頃。達真もまた目を覚ました。見慣れない天井が目に飛び込んできた。

「……すー……すー……」

「陽翼……」

隣を見れば陽翼が眠っていた。そこで思い出す。昨日は甲斐が自分を置いて帰って行ってしまったことで気絶も出来ずかといって無理に車で帰れば準決勝以降に響くからと病院に泊まっていったのだ。

「……陽翼」

隣で眠る陽翼を見ればかつての頃の思い出が蘇ってくる。

「昨夜はお楽しみだったようね」

そこへシフルが姿を見せた。手慣れた様子でスマホの和訳アプリを操る。

「……お前もここに残ってたのか」

「そんなことよりあなた、浮気してたの?」

「は?」

「昨日、妙に手慣れてた。陽翼と一緒に夜を過ごすのは4年以上前の話なのに。当時のあなたはまだ小学生だったはずよ」

「…………ここでその話をするのか」

バツが悪い。流石に陽翼の隣で語るには勇気が必要だ。と言うか陽翼も気付いていそうなものだったが。

「と言うかどうしてお前が知ってる?」

「盗撮してたからに決まってるじゃない。イギリスに帰ってからも使うのよ」

「……お前、俺でもいいのか?」

「冗談でしょ?陽翼の艶姿に決まってるじゃない」

「…………あー、」

考えをまとめる達真。脳裏を焼いたのは常日頃から奇声を上げてリッツを抱きしめる火咲の姿。

「……そう言えばお前最上のクローンだったな」

「不遜だわ。あの女とは何も関係ないわよ。それより服くらい着たら?私、男には興味ないけど見せびらかされるのは目に毒」

「……はいはい」

適当に脱ぎ散らかしたままの服を手に取り着替える。

「……陽翼の家のこと、知ってるわよね?」

「…………まあな」

「あなた、責任とれるの?」

「俺の両親も、この子の世話をしていた人も消されたのにか?」

「…………陣崎さんなら生きているわよ」

「何だって……!?」

「イギリスにいるわ。三船から離れた私の世話をしてくれているの」

「……生きていたのか」

「でも陽翼にはまだ伝えないでって」

「……そうか」

達真は陽翼の方を向き、優しく頭を撫でてやった。

「…………ちなみに私戦闘タイプじゃないから生殖能力があるわ」

「………………だから?」

「陽翼と芋姉妹になってもいいかなって」



朝9時30分。西武大会会場に再び集まる出場選手達。既に胴着を着込んでいつでも戦えるよう準備を整えた4人の選手。赤羽、衣笠、久遠、達真。

昨日までは複数の試合を同時に行っていたが今日は1試合ずつ行う。昨日に関しては参加者が多く観戦者も参加者の親御さんなどが多かった。しかし今日は敗退した200人以上の選手やその親御さんなどは来ないだろう。その代わりに狭き門であるこの西武大会の覇者を見たいという根っからの空手ファンや関係者が1試合ずつじっくり見る事が出来るというのがポイントだ。

実際、昨日までは主婦や小中学生などが多かった客席も明らか同業者ばかりで埋まっている。

「……と言うか客席がほぼ道場関係者だけで埋まってないか?」

甲斐が後ろを見上げる。セコンドとしてコートの近くにいるのも大半が胴着姿かスーツを着たスタッフだけだ。

「まあ、今回はベスト4の選手が選手だからね」

最首は答える。今日は胴着姿であり、まるでこれから自分がコートの上で死闘を演じるかのような格好だ。

「……まあそうだな。赤羽と矢尻は家族がいないし、久遠の場合は家族が空手関係者か。……衣笠愛は?」

「健在だと思うよ。ただ、この試合には来てないみたい」

「どうしてだ?家族の晴れ舞台だろ?」

「廉君。私達には分からない問題だけど家族がいるからって必ず支えてくれるわけじゃないんだよ。愛ちゃんの場合、中学まではご両親も見に来てたみたいなんだけど、もうこの大会で5年以上足を止めている。そうしていくにいつしか来なくなったみたい」

「……本当に分からない問題だな。家族なら見に来てやればいいものを」

「来たら来たらでプレッシャーだと思いますけどね」

そこへ龍雲寺が来た。こちらは流石に私服だった。

「どうして?」

「うちの場合試合内容次第じゃその日の夕食は家族会議になりますから。……今日も両親来てるみたいですし、久遠も昨日よりプレッシャーなんじゃないでしょうか?」

「……ふん、贅沢な」

「廉君……?」

最首が疑問の声を上げると、

「では、これより準決勝戦第一試合を開始する!!」

加藤の声が響いた。マイクなど使っていない地声なのに決して狭くはない会場全体に声がしっかりと通る。

「では、両者前へ!!」

加藤の声に合わせて赤羽と衣笠が一歩前に出て、逆に久遠と達真がコートの外に出る。

「赤……赤羽美咲!青……衣笠愛!!正面に礼!!お互いに礼!構えて……始めっ!!!」

加藤の号令、その直後に赤羽と衣笠が前に出る。歩行と全身と飛び前蹴りをほぼ同時に繰り出し、互いの視線の宙空にて蹴りと蹴りが激突を果たす。

「……どうしたんだ」

直後、甲斐は疑問の声を出した。

「どうしたの?」

「……赤羽、全力を出せていないぞ……!?」

甲斐の言うとおりだった。試合が続くほどに最首の目にも分かるほどに赤羽は昨日までのような動きが出せていなかった。制空圏も練りが甘く、ただでさえ格上の衣笠の動きには全くと言っていいほどついて行けていない。

「赤羽ちゃん、どこかけがでもしているのかな?それとも緊張?」

「……緊張かどうかは分からない。ただ、肉体的な問題ではなさそうだ」

「……じゃあ……?」

「……分からない。……そう言えば昨日衣笠愛と仲良しそうにしていたな。まさか遠慮しているのか?」

「そんなまさか……」

二人は否定していた。だが、赤羽は否定できずにいた。

(……こんなんじゃいけない)

そう思っているのだが赤羽は試合に集中できていない。無意識に攻撃と防御を繰り出さなきゃいけない制空圏や他の技も体が反応してから頭で考えそれから行動に移している。だからテンポが遅れる。

対して衣笠は赤羽の動きの微妙な鈍さに気付きながらも攻撃の最善手を止めない。相手が自分に遠慮しているなんて1ミリも思っちゃいない。そんなものに期待などしているようではそれこそ1ミリも前に進めやしない。それを他の誰よりも衣笠本人が一番よく知っている。

人間が最も得意とするのは躊躇することだ。どんな行動でも何かしらの理由を付けて躊躇したがる。それでは駄目だと考えれば考えるほど人間の手足は止まし、思考は否定的に単純化していく。

「くっ!」

衣笠の前蹴りを受けて赤羽は後ずさる。まだ試合が始まって30秒ほどでありながら既に息が上がっている状態だ。単純なダメージもそうだが迷いが赤羽の体力を奪ってしまっているのだ。

「……ここまでだな」

「え……」

甲斐の断念の声を最首や久遠、そして赤羽が聞いた。

「もう赤羽は戦える状況じゃない。たとえ無心になって巻き返せても相手は格上だ。絶好調のさらに絶好調でもない限りは元々勝てる相手じゃない」

(……どうしてそんなことを言うの……?)

「空手だけやっていれば空手が強くなる訳じゃない。空手だけしかさせなかったのが敗因だな」

(……どうしてそんなもう負けてしまったようなことを言うの……?)

「2回目の試合で西武大会準決勝まで言っただけでも既に十分すぎる」

(……私はまだ始まってもいない……!!)

甲斐が目を伏せそして再び上げた時だ。

「……これは、」

甲斐の目から見て衣笠の前に立つ赤羽の動きが明らかに変わっていた。先程までとはまるで別人。

「……?」

衣笠が一瞬の思考の後、赤羽に向けて前蹴りを繰り出す。スピードもパワーもタイミングもばっちりだった。しかし赤羽はそれを片手で受け流した。

「!?」

「……」

しかもそのまま前に出て衣笠の下腹部に膝蹴りを打ち込み、彼女を後ずらせた。ここまでの動きが1秒且つ一拍子。

一拍子。あらゆる動作は段階ごとに分けられる。相手の下腹部への膝蹴りなら1に相手への接近、2に膝を上げる。3に相手の下腹部へと上げた膝を叩き込む。この3つの動作があり、慣れていないものならこれらをスムーズに行えず動きが3段階に分かれてしまう。しかし、慣れているものが行えば3つの動作を滞りなくまるで1つの動作のように行える。

今の膝蹴りのような単体技ならある程度経験を積んだ選手なら出来て当然の動きであり、何ら感嘆には当たらない。しかし問題なのは1つ前の防御と合わせた一連の流れだ。

先程まで赤羽は躊躇が原因で衣笠の攻撃を対処できなかった。

1に衣笠の蹴りを見て、2に対処法を思考し、3で考えたとおりの対処行う。そして赤羽の判断速度ではこれに間に合わずに防御すら出来ずに直撃を受けて後ずさる。

しかし今赤羽は片手を前に出すと言うだけで完璧な対処を施した。力を抜いた片手を前につきだし、手首の動きだけで相手のつま先を横に逸らす。ただそれだけの動き。言葉で言うのは簡単だがあらかじめ申し合わせていたとしても実際に行うのは難しい。これを赤羽は一発で格上相手に成功させたのだ。そして膝蹴りまで行う。この2つの攻防の動きをまとめて1拍子で成功させた。

当たり前だが多くの動作を1拍子に収めるのは難しい。動作が多ければ多いほど至難の業となる。赤羽のような経験年数1年未満の初心者なら先程の膝蹴りだけでも1拍子に収めるのは難しいだろう。

「……」

赤羽は無心。対して衣笠は恐怖ともいえる理不尽さに一瞬心を奪われた。だがすぐにそれを振り払って攻撃を続ける。

女子は筋力の都合あまりパンチを攻撃の主力に使わない。しかし相手も女子、それも自分より体格に劣る相手なら話は別だ。よって衣笠は赤羽に対してパンチの応酬を仕掛けることにした。

「……勝負に出たの……?愛ちゃんが?」

最首が疑問を投げるのも無理はない。本来格上である衣笠はたった一度の失敗を恐れずにこれまで通り攻めて攻めて攻めまくれば問題なく赤羽を制することが出来たはずだ。だが衣笠は臆した。それまで通りの経験値と実力差から単純な体格差で攻める戦術に切り替えたのだ。

実際一発一発が強力な反面体重を支える2本の足の片方を使用する蹴りと比べてパンチは隙が少ない。一発一発の威力は劣るものの連発で補える。殴り合いをあまりしない女子同士の試合でしかし、殴り合いを仕掛けた衣笠は間違いなく勝負に出たと言っていいだろう。

対して赤羽は拳を握り、脇を締めたまま両手を前に出して振り回すという一見すると間抜けに見えるような動きをとった。だが、振り回された拳が相手の拳や手首に側面から命中することで直線が崩されパンチはパンチじゃなくなる。これは主にボクサーが相手のパンチを防ぐためによくやる手段に似ている。かつて赤羽は里桜が甲斐にしばかれている時に似たような対処法をしていることをとっさに思い出したのだ。

「……何だ、覚醒でもしたってのか?」

甲斐は先程までの諦念など微塵もない視線で赤羽を見た。衣笠のパンチに反応してその手首を正確に殴り打つ。殴ってるのは衣笠の方なのにどんどん衣笠の方が傷ついていく。

(……何なの?動き変わりすぎでしょ……!?)

衣笠は手を止めて一歩後ろに下がった。それまで間違いなく通用していた蹴りは一拍子でカウンターされ、パンチによる力押しに出たら攻撃的防御の謎な技で届かない。

自分はこの西武大会だけでも3年以上参加し続けている。対して拳の死神の弟子の噂はここ最近、およそ年内でやっと聞いた程度だ。帯を見ても相手の空手歴は自分がこの大会で躓いている期間にすら遠く及ばないだろう。そんな初心者が圧倒的とも言える対処をどうやって出来るのか。

「のっ!!」

パンチと蹴りとフェイントを混ぜて繰り出す衣笠。長く戦っていると時折複数の攻撃がデタラメに混ざる時がある。対処のしづらい攻撃であり、そして衣笠はそれを半ば意図的に繰り出した。

対して赤羽は守りの制空圏を正面に展開、集中してその雑多でしかし正確な攻撃を回避あるいは防御してみせる。

「……玄武か」

甲斐はつぶやく。自身が教えた四神闘技の1つ。守りに徹した玄武。しかし決して守るためだけの技ではない。

高度な技ほど試合が長引くほどに劣化して行くものだ。衣笠の攻撃も見る見る内に見慣れたものへと変わっていく。そして赤羽は少しずつだが衣笠の呼吸と自分のそれをシンクロさせていく。

守りを固めながら相手の攻め手から相手の呼吸を完コピするその技の名前は

「玄武共振……!そんな技はまだ教えてないぞ……!?」

甲斐は戦慄した。どんな業界でも基本技さえ教えれば才能のある人物ならその先の応用に自ら足を踏み入れてものにする事は決して不可能ではない。だが、やはりそれは空手を始めてそんなに歴が長くない赤羽が出来ていい領域ではなかった。

「この勝負……もしも玄武共振を使いこなせたなら前言撤回だ。衣笠愛の方が詰むぞ……!」

「え……?」

驚く最首の前で試合は途端に終焉へと迫る。衣笠が戸惑いか休息か攻撃の手を止めた瞬間から赤羽の反撃は始まった。

衣笠から目を離さないまま赤羽はパンチをフェイントに正確に蹴りを衣笠の急所へと連続で当てていく。蹴りというのは威力が多い分隙が多い。よって必ず当てなければならない。それも可能なら急所にだ。それに対して防ぐ側は自身の腕を使って可能な限り防がなければならない。しかし対戦相手である衣笠の呼吸を完全に把握した赤羽はどうすれば衣笠が一瞬でも無防備をさらすかを理解しているためパンチをフェイントに衣笠の反応を確実に誘い、一瞬出来た間隙に素早く力強い蹴りを確実に叩き込む。

「ぐっ!」

一切防御も回避も出来ない攻撃の連続が衣笠を下がらせる。その荒れた呼吸さえも既に赤羽の掌の上だ。衣笠が下がるほどに赤羽は前に出て対応できない攻撃を続けていく。

ここまで連続で急所への攻撃を成功させていながらしかし勝利できない事には理由がある。それが経験の差だ。技術とか知識ではない。積み重ねてきた稽古による筋力の差である。空手を始めて1年経たず通常の女子中学生と大差ない筋力の赤羽だからこそそこそこ鍛え上げている衣笠を倒すのに時間が掛かってしまっているのだ。

「……」

コートの外から達真が観察していた。

(こいつ……どこまで強く……!)

衣笠はついにコートの端まで追いつめられた。遅巻きながら自身の呼吸が既に赤羽に完全に読まれ、支配すらされていることを理解する。にわかには信じがたいが自身の経験がそれは確実だと教えてくれている。そしてその対処法でさえも。

「……」

衣笠は先程の赤羽同様に左手のみを前に出した。まるで握手を求めるような変哲のない動きだ。それを握手だ赤羽の真似だなどと思うものはこの場にはほとんどいない。

綺龍最破。衣笠が最も信頼する攻撃のための上級技術。その極意は絶対なるただ一打の正拳突きに過ぎない。

「……切り札を切ってきたか」

甲斐が唾を飲む。この技は仮に甲斐が使用して成功した場合、雷龍寺や剛人だって重傷は免れないだろう。だが、当たる保証はない。逆に雷龍寺や剛人と言った格上から仕掛けられた場合、甲斐が受けきれる保証はない。

つまりは知識、経験、技術と言った全てを一撃に込めて仕掛ける最強最速最適の技。制空圏よりも先の領域と言っていい。だから綺龍最破は黒帯を締めた先の昇段試験で対象となっている奥義となっているのだ。

黒帯を越えたその先で修得しなくてはならない綺龍最破。

全国級の猛者である拳の死神が会得した攻防一体の玄武共振。

基礎を極めたものが勝つ世界に於いて勝利するのはどちらか。

(もう何も迷わない。怯まない。これまでと同じように私は私の前に立ちふさがる壁を全て壊してみせる)

視線を合わせ、呼吸を合わせ、気を拳に練り上げる。次の瞬間に勝利を勝ち取るために。

「「せっ!!」」

そして両者同時に動き出す。衣笠の全身全霊を込めた最強最速最適の正拳突き。そのタイミングに合わせて赤羽は最速の膝蹴りを放つ。相手の拳に最適のタイミングで膝蹴りを合わせれば相手の拳が砕けるだろう。しかし、逆に拳の方が速ければ……。

(……!だからあの時……!!)

刹那。衣笠の拳は赤羽の膝と腿のラインをすり抜け、まるで居合い術の際に鞘を走らせてその摩擦を威力に加えるように赤羽の左足の生地を切り裂き、頑丈な胴回りの生地をきっちり拳の形にぶち抜く。

「!!」

「綺龍最破!!!」

技が完成した時、最初に周囲の感情を動かしたのはその銃声のような轟く、しかしけたたましくない鋭い音だった。

「…………かはっ!!」

乾いた音が赤羽の口から漏れる。衣笠の拳が正確に赤羽の胸を穿った証だ。

衣笠が拳を収めると同時、赤羽は体を揺らし、そしてうつ伏せに倒れた。

「せっ!」

赤羽の背に向けて下段払いの衣笠。これでポイント上は衣笠の圧倒的有利となったがたとえなかったとしても結果は変わらないだろう。誰もがそう思っていた。

「…………」

赤羽が立ち上がったのだ。

「……まずい。この試合、止めるぞ!!」

甲斐がコートへと向かう。同じ事を思ったのか別の場所から雷龍寺をはじめとしたスタッフが何人かコートに向かう。

「…………」

それに気付く素振りも見せず赤羽は衣笠へと歩み寄り、倒れる……ように見せて次の瞬間には飛び後ろ回し蹴りを衣笠の右肩に命中させていた。

「くっ!!」

当然衣笠も無防備じゃなかった。だが今の一撃は威力を逃そうとした時に最もダメージが行くようになっていた。衣笠の右肩が一瞬外れかける。

「朱雀と白虎を混ぜた……!?無我の境地ならぬ混濁の境地に陥ったのか……!!」

それは先程衣笠が行った意図的な乱打とは正逆の境地。自分で何をやっているのか分からない混迷の意識の中で起きてしまった化学反応。疲れ果てて意識が朦朧としている時に自分でも何をしているか分からない事があるがそれと同じ状態だ。衣笠の技で打ち砕かれた戦意と肉体を誰にも分からない何かが無理矢理動かし、戦わせているのだ。

それは叫びこそないがキレている時と変わらない。

ヘッドギア越でも赤羽の目がまともな視点を映しているようには見えなかった。

「……っ、」

衣笠は視界の全てを銃のスコープに変えた。今まで自分が培ってきた全てが一瞬で打つべき場所へと自然に照準を合わせる。その瞬間だ。

「!?」

今度こそ赤羽美咲は倒れた。演技でも何でもない。その体はぴくりとも動かなかった。

急な展開に下段払いも忘れて衣笠が呆けているところで本戦終了のゴングが鳴った。



コートの外。赤羽が目を覚ました時、ひんやりした感触と熱気が感じ取れた。

「……私は……」

「あんたは負けたのよ。赤羽美咲」

すぐ近く。火咲がいた。赤羽の方を見ないまま続ける。

「今はもう次の準決勝が始まるわ。あなたの久遠が最上火咲の矢尻達真と戦う」

「…………そうですか」

「勝負を急ぎすぎたようね。赤羽美咲、あんたは空手を楽しいと思ったことがあるのかしら?」

「……空手が楽しい……?」

「あんたの世界に興味はない。でも、この世界の最低条件はそこにあるわよ」

「…………」

赤羽が身を起こすと、火咲はコートの方へと歩いていった。



コート。

「赤・馬場!青・矢尻!!」

主審に呼ばれ、久遠と達真がコート中央に来る。

「それじゃ、やろうか達真君」

「俺は年上だぞ?と言うか試合前のこのタイミングで私語するな」

「久遠ちゃんは自由でおしゃべりが大好きな女の子だもん」

「……そこ!私語をしないように!!」

「ちぇっ、」

主審に起こられた久遠が表情を一転させる。

「正面に礼!お互いに礼!!構えて……始めっ!!」

号令が下された。両者同時に前に繰り出す。体格の都合か、達真の方が先に間合いを完成させて久遠に前蹴りを放つ。身長の差もあって苦労せず達真の足は久遠の額に届く。が、

「そんなの当たらないよ?」

久遠はそれをたやすく弾いた。しかもただ弾くだけでなく手首のスナップを利かせることで達真の足首の間接を外しにかかる。

「くっ!」

ギリギリで踏みとどまった達真はワンツーを繰り出すがそれもまた久遠には片手で弾かれてしまう。

(制空圏……戦いの中でどんどん進化して行っている。厄介極まりない)

高校に進学してから何度か久遠とも手合わせをしているが日に日にその制空圏の制度は増しているように思えた。そして今日この場に於いて言えば最後に戦ったその時よりかも比べものにならないほど精度が上がっている。

達真が膝蹴りを放てば手首のスナップだけで流されて思い切り横へと体ごとずらされてしまう。その瞬間、久遠の右足が達真の帯を捕まえた。

「!」

「せ~のっ!!」

直後、達真の体が地上から大きく真上に飛ばされる。久遠の尋常ではない脚力と足の握力だからこそ可能とする乱暴な一手。そこから続く技は、

「膝天秤!!」

「知ってた!!」

落下するだけの達真の鳩尾に膝を打ち込もうとする久遠だが、達真はそれを受け止め、自分自身の体を独楽のように回すことで両足を久遠の顔面にたたきつける。

「!」

空中での攻防を経て久遠が背中から地面に落下する。その後達真が着地して下段払いをす……

「させない!」

勢いよく立ち上がった久遠が達真の下段払いをする腕に前蹴りを打ち込み、技ありをキャンセルさせるばかりか達真を後方へと吹っ飛ばす。

「……馬鹿力め……!!」

数秒ほど達真は自分の腕の感覚を失った。

「もう、こんなかわいい久遠ちゃん相手に馬鹿力なんてひどいんだ、達真君てば」

「だから試合中に私語をするなと」

「これが久遠ちゃんスタイ……」

そこで久遠は見た。達真の後ろ。そこに鬼のような形相をしている雷龍寺の姿があった。

馬場の恥をさらすな

と眼光が告げていた。

「……はいはい。真面目にやりますよーだ。ぷんすか」

ため息。それから久遠は徒歩と表現できるような動きで達真へと接近を果たすと、

「時間落とし!!」

「!?」

一瞬の下段回し蹴りで達真の体を時計回りに回転させる。

「このまま……6時間落とし!!」

「まさか……!」

達真が一回転する寸前に久遠は下段を放ち、さらに達真を回転させる。自分より体格で勝る年上の男子を足一本だけで手玉に取っている。達真は抵抗しようと手を伸ばすのだが回転速度で肘の間接が大きな負担に襲われる。

(これは……無理に逆立ちで止まろうとしたら両腕が折れるな……!!)

やがて6回転を終えた達真が体の側面から床にたたきつけられる。

「ふぃにっしゅ」

「いや、まだだ」

下段払いをしようとする久遠。その前で達真が立ち上がり、前蹴りを放つ。

「へえ、受け身をとったんだ」

「それしか対策が出来なかった」

達真の連続蹴り。それを久遠は全て手首のスナップだけで受け流し、再び接近を果たす。体格で劣る久遠はこうして相手の懐に潜り込むと相手としては対処に困る。槍や銃のように強力な威力を遠くまで届かせられる武器ほど接近されたら弱い。それと同じで達真より頭一つ分よりも小さい久遠が構えた両腕よりも内側に接近してくると達真としては対策は膝蹴りだけとなってしまう。

(バックステップは最悪手だ……!)

一瞬だけ出現した選択肢を振り切って達真はその正逆のフロントステップを繰り出す。

「え、」

足でも手でもない。腰そのものを久遠に衝突させ、久遠の小柄を突き飛ばしたのだ。

「この距離ならバリアは張れないな!」

もはや空手でも何でもない体術を受けた久遠は受け身もとれずに突き飛ばされて畳の上を側面で滑る。

「せっ!!」

距離はあったものの達真は下段払い。それを見た主審は達真と久遠の距離と様子を見てから、

「有効!!」

技ありの1ランク下の判定を下した。

「……」

雷龍寺は珍しさを感じていた。パンチやキックが無防備に敵に命中すると得られる判定が"有効"だ。しかし試合をしていれば攻撃が相手に命中することなど珍しいわけがない。そのため普段有効と言う判定が下されることはない。強いて言うなら事故で反則行為をとってしまった場合に相手に有効が与えられる事がごくまれにあるかどうかと言ったところだ。

今回有効が判定されたのはパンチでもキックでもないただの当て身と言う形で久遠を床に伏せさせたのが大きいだろう。本来空手で当て身は反則ではないが有効範囲外の攻撃だからだ。

有効は二回で技ありとなり、技ありは二回で一本となる。そして一本が二回とられればその時点で試合は終了となる。その最初の一歩となるのだが有効という名前ながら試合ではそんなに有効ではない。再延長戦での判定勝負ならともかくそこまでに行く勝負では影響はほとんどないだろう。

(つまるところ、試合には大して影響ないってところか)

実際仮にこのまま再延長戦まで行けばわずかなポイント差で達真が勝つだろうが相手がそんなことを許すとは思えない。

「……やるね、達真君。小さな一歩でもやり返さない道理はないよね?」

久遠は立ち上がり、右足を半歩後ろに下げた。それは久遠の切り札である虎徹絶刀征の構えだ。しかし達真からは5メートル以上も距離が離れている。超スピード且つ超威力の下段回し蹴りである虎徹絶刀征をこの距離で当てられるとは思えない。しかし、相手は天才少女。常識では計り知れない何かを使う可能性はいつも捨てない方がいい。

「……」

達真は身構えた。相手が基本から正反対なほどに離れた相手だからかなりやりづらいがしかし気を抜くわけには行かない。

「さあ、行くよ。虎徹絶刀征!!」

その瞬間、達真だけでなく周囲のギャラリーも皆一様に感じたことがある。

「あ、これ駄目な奴だ」

久遠は左足だけの縮地を使い一瞬で達真の眼前まで迫り、必殺の一撃を達真の腰に向けて叩き込む。その速度は雷龍寺で何とか反応できるほど。その雷龍寺が危険を感じて制止の手をさしのべた瞬間に達真の体が真横に吹っ飛んでいった。

「………………へえ、」

久遠が足をおろすと同時、20メートル以上も離れた隣のコートで達真は立ち上がった。

「達真君、やるじゃん」

(……危なかった。来ると分かった瞬間に無気力でジャンプ、自ら吹っ飛ばされることで威力を軽減できていなかったら腰も背骨も一気にへし折れていたかもしれない……!)

戦慄しながら達真は冷や汗を感じる。ヘッドギアがあるため拭うことは出来ないがその汗の冷たさは感じてとれた。

(ともあれ、あいつの脚力は漫画だ。真っ向からやり合って勝てると思う方がおかしい。もしかしたら一撃の重さだけなら拳の死神が放つパンチよりも上かもしれない)

達真は頭の中でパズルを組み立てる。この試合に勝つための計算だ。

「美咲ちゃん負けちゃってリベンジの相手がいなくなっちゃって退屈だと思ったんだけど達真君と愛ちゃんとで我慢して上げるから楽しませてよね」

そして久遠が再び走り出す。達真がコートに戻ってくるのを待たずに自ら隣のコートへ向かった。徒歩、ダッシュ。そして縮地。

「!」

20メートルの距離を2秒で詰めた久遠は素早い前蹴りを放った。達真はそれを前に出ることで打点をずらし、両手同時にパンチを繰り出した。

「!」

咄嗟に久遠もまた両手を振るうことで達真の両手を払うが、払われた直後にまた達真は両手を同時に突き出す。

「……クワガタか」

ライルがつぶやいた。

パンチと同じ速度で何度も達真は両手を前に突き出す。それを久遠は毎回弾くのだが通常のパンチと違って両手同時というのが厄介だ。単純に手数が2倍と言う意味もあるがそれ以上に通常のパンチは一発ずつ最大の威力をぶつけるために半身を切る必要がある。故にタイミングが合えば手首をスナップさせる程度でずらすことも不可能ではない。しかし両手同時のパンチはどうかと言えば半身を切らすことが出来ないためパワーもスピードも通常より落ちているだろう。しかし手首のスナップだけで横にずらすことは出来なくなっている。

そしてついに達真の両拳が久遠の両肩に到達した。

「っ!」

(やはりそうか。天才的な制空圏の技術。そして理不尽なまでの脚力。これらをこの小柄が使うのは驚きを通り越して呆れるレベルだ。だが、その小柄がどこまでも弱点になる。つまりは力押しこそがこいつの弱点!)

一歩退いた久遠に続けて達真が再び両手同時の攻撃を繰り出す。対して久遠はまた同じように防御でこれに対処しなくてはならない。

(……美咲ちゃんとの戦いと一緒だ……!正面から力ずくで押し切られるのがまだまだ弱いんだ……!あの試合を達真君は見てないはずなのに……すごいな)

「でも!!」

「!」

達真は驚きのあまりつい手を止めてしまった。何故なら久遠が防御を捨てて達真の両手をそのまま両肩で受け止めたからだ。

これまで下手すれば一切ノータッチで勝負を決めたことすらあった防御重視の久遠が防御を捨てたのだ。そしてそこから来るとすれば……

「くっ!!」

「のっ!!」

久遠の右足が達真の帯を掴んでそのまま真上に投げ飛ばす。

「膝天秤か!」

「違うよ!!今ここで作る新技!その名も……」

落下してくる達真にあわせて久遠も跳躍し、サマーソルトキックの要領で達真の腹這いに蹴りを重ねていく。

「ぐっ……!!」

「燃焼系鳳凰ザキ!!」

久遠の体が一回転し、着地した頃には達真は久遠の背後遠くへと蹴り飛ばされていた。

「…………ぐっ!!」

首からコートに叩きつけられたことで達真は一瞬首が折れたものだと錯覚した。

(落下の勢いを真上へのドロップキック連打で倍増、そのままサマーソルトキックというかは巴投げの要領で投げるように蹴り飛ばす。……こんなプロレスでもない漫画技、対応できるわけがない……!!)

立ち上がる達真。しかし首と両膝へのダメージが予想以上だ。

「さあ、そろそろフィニッシュかな?」

久遠が構える。それは再びあの技がくる合図でもあった。

「虎徹絶刀征……!」

最初から縮地全開で一気に達真との距離を詰む久遠。そこから必殺の技を放った瞬間に。

「来るのが分かっていれば!」

「!?」

クロスカウンターのように達真が回し蹴りを放ち、久遠の顔面をひっぱたいた。久遠の右足は届かず、その小柄は宙を舞う。

「せっ!!」

久遠の小柄が床にたたきつけられると同時に達真は下段払いをとった。

「技あり!!」

主審からの宣言。沸く観客。それを一身に浴びながら久遠は立ち上がり、そして

「あれ……?」

そのまま仰向けに倒れた。

「縮地のスピードをそのまま逆利用された回し蹴りをカウンターで顔面に食らったんだ。その小さな体で立てる訳ないだろ」

「……そ、そんな……」

「そのまま寝とけ。もうお前は立てない」

「……美咲ちゃんだけじゃなくなっちゃったじゃんか……」

久遠は脱力。10秒後のゴングを待たずに勝負は終わった。

「勝者……青・矢尻!!」

再び観客全員がわき上がり、熱気が達真に注がれる。

「……久遠ちゃん、大丈夫?」

最首が歩み寄り、久遠を抱き上げる。

「うう、絶対勝てると思ったのに……」

「そんなの勝負の世界にあるか……くっ、」

久遠に毒突きながら歩み寄った達真が膝を折った。

「あんたもかなり限界じゃないの」

火咲が歩み寄る。

「……そりゃあんな漫画技いくつも食らって無事な訳ないだろうが」

「はいはい。決勝まで休んでなさい」

「……決勝……そうだな」

達真は一気に意識を朦朧とさせて倒れる……寸前で甲斐に受け止められた。

「廉君……」

「……悪い。頭冷やしてきた」

甲斐は達真を担ぎ上げ、久遠も小脇に抱える。

「わお、力持ちだね」

「拳の死神が腕力貧弱な訳ないだろ?」

そのままコートの外。先程まで赤羽が眠っていたところへと移動する。

と、赤羽は起きていた。

「ん、起きたか」

「あ、はい。お二人の試合も見てました」

「……赤羽も久遠もよくやった。準決勝で負けたがお前達は誇りだ。ありがとう」

「……甲斐さん……」

「もう、死神さんてば久遠ちゃん達にめろめろだね?」

「……そこまでは言ってない」

二人を赤羽の近くにおろすと、甲斐はモニターを見た。

決勝戦。衣笠愛VS矢尻達真は今から2時間後。昼食後に行われるようだった。



・正午。女子更衣室。ベスト4に選ばれた選手の内3人が女子という西武大会としては異例を極めた今回。しかしベスト4の内二人が準決勝で脱落し、午後にここを使うのはただ一人だけとなった。

「……」

衣笠は胴着姿で椅子に座っていた。食事は10秒チャージのみ。水分も確かに熱気はすごいが必要最低限の摂取に限る。

「……」

耳を澄ませば会場の外からは蝉の鳴き声が響いてくる。

既に決勝進出を決めた以上自分は来年の夏……早ければ今年の12月からはカルビ大会へと出場が可能となった。念願は既に叶っている。目的だけを考えれば決勝戦で全力を尽くす必要はない。しかし、そんなものはただの理屈だ。歴代で女子の優勝者は一人もいない。あの最首遙でさえも準決勝止まりだった。それを目指したい気持ちもあるがそれが第一でもない。

自分は準決勝で赤羽美咲という格下の相手に臆した部分があった。綺龍最破で粉砕できたはずの彼女は、しかしそれでも自分に襲いかかってきた。

理屈でも感覚でも彼女の復活はあり得ないと確信していたのにそれが覆された。もしも彼女が必殺の一撃を有していたのなら?あそこでただの回し蹴りではなく、綺龍最破クラスの切り札を使われていたら?

自分より遙か格下だからそれはあり得ない。しかし、格下相手にすらとっておきの切り札が通用しなかった事実は変わらない。

「……」

決勝の相手は矢尻達真。数々の優勝候補を撃破して決勝までやってきた男。その中にはこれまで自分が戦って勝てなかった相手もいる。今日のように息巻いて、しかし一回戦で負けた相手だっている。決して油断は出来ない相手だ。そして、今日打ち破らなければならない相手だ。

「……」

目を開けて時計を見る。いつしか決勝開始15分前まで時は経ていた。

「……行こう」

荷物をロッカーにしまってから衣笠は決勝の舞台へと臨んだ。



旧い夢を見ていた。愛した人と一緒にいてしかし自分が生きるために危うくその人を死なせてしまいかねない状況に陥った。

とても悲しかった。とても悔しかった。

空しさがくすぶり続ける中、自分一人だけで己を戒め続けそして鍛えてきた。

やがて彼女は帰ってきた。もう空虚を戦う理由にしてはいけない。彼女に勝利の笑顔を届けるために、もっと彼女にふさわしい己を見せるために自分はただ生き続ける理由を燃やすだけ。

「矢尻、そろそろだぞ」

「押忍」

軽い昼食を終えて一休みしていた達真を甲斐が起こす。

そこは男子更衣室だ。女子更衣室と違って今日ここを使うのは達真だけ。例年ではあり得ないが、今日に限って言えば最も集中できる静かな場所はこの男子更衣室ということになる。

「……先輩」

「何だ?トイレならすぐそこだぞ」

「違います。俺は勝てるでしょうか?」

「さあな。こっちゃお前の師匠じゃない。そりゃ何回か交流稽古しているがそれでもお前の底力がどこまでのものかを知っているのはお前だけだ。だからただ誰も知らないお前の限界をぶつけてくればいい。可能ならそれすら越えてくればいい。だが、何も今日あの舞台が全てじゃない。無理はしても無茶なことはするな。無茶しでかしても無理はするな。いいな?」

「……最後の方よく分からない理屈でしたが、何となく分かりました」

「……それと、過去に囚われるな。誇れるように前を向け。いいな?」

「押忍」

「じゃ、行くぞ」

荷物をしまい、達真と甲斐が男子更衣室を後にする。と、

「あ、」

ちょうど女子更衣室から衣笠が出てくるところに鉢合った。

「……」

「……」

達真と衣笠は視線を交差し、そしてそのまま会場へと向かっていく。

甲斐はそれを声の出ないように小さく笑ってから少し遅れて追いかけようとしたが、

「ん?」

ポケットの中のスマホがバイブした。


「では、これより決勝戦を開始する!」

中央コート。これまでと違って大倉道場師範である加藤が直接主審を、そして大倉と伏見、そして岩村の3人が判定を務める。

「……」

達真は主賓席を見る。先程まで大倉達各機関の長が座っていたそこにはライルと杏奈のみが残っていた。そしてライルと視線を交差させる。

一方、衣笠は客席の中から一瞬で赤羽、久遠、最首の顔を見つけた。

涼しい表情の赤羽、楽観的な表情の久遠、より一層真剣な表情の最首。

衣笠と最首の視線が交差したのはわずか一瞬。直後には正面の達真と向き合う。

ヘッドギアを装着し、帯とサポーターの具合をしっかりと確かめてからコート中央に立つ。

「赤・衣笠!青・矢尻!!」

「「押忍!!」」

己を呼ぶ声に応対する。

「正面に礼!お互いに礼!!構えて……始めっ!!」

最後のゴングが響いた。同時に距離を詰める両者。

速度はわずかに達真が上。その勢いを捨てぬまま衣笠向けて飛び蹴りを放つ。対する衣笠もコンマミリ秒遅れてから飛び蹴りを放ち、両者の右足が空中で激突を果たす。体重と脚力の大きい方が打ち勝つ最初の勝負。結果としては衣笠がやや後ろに押し戻された。直後に衣笠は最強技の構えに出た。

(もう綺龍最破を!?)

着地した達真。その瞬間に衣笠の最速の一撃が迫る。

警戒した達真は打点を予測して制空圏を固め、最大限の防御を構える。

一方で衣笠もまた制空圏を見ることで可能な限り達真の動きを予測し、最も防御の薄い場所を相手の反応できない速度で貫く。

「せっ!!」

「っ!!」

衣笠の右拳は達真の左わき腹に命中した。拳の多くは達真に当たっていなかった。しかし、曲げた親指の関節が確かに威力を伝えていた。

(これが最適……)

衣笠は確信する。が、

「うぁっ!!」

「!」

達真は怯まずその場で飛び蹴りを繰り出し、衣笠の胸を抉る。

チェストガードにより威力は大きく減衰したがそれでも十分な痛みが衣笠の胸部を貫いた。

(……油断した。相手はカウンターファイターだ。準決勝も相手は敵の攻撃に自分の攻撃を合わせる事が得意なんだ……!)

一歩退いた衣笠。それにやや遅れて達真が前進して次の技を繰り出した。それは左の手刀だ。手刀とは確かに空手の技だが使用頻度はかなり低い。よく言われる瓦割りも含めて手刀を使った多くの技はパフォーマンスに過ぎない。しかし断じて使えない技ではない。パンチと違って直線的ではないためあまり威力は乗らないがその分防御も回避も難しい。

「……クイックスタッフか」

「?ライル、今何か言いました?」

「いえ、何でも」

杏奈は疑問のまま。ライルは達真の動きを追っていた。

その視線の先で達真の手刀は確かに衣笠の右上腕に命中し、しかし大きく吹っ飛んだのは達真の方だった。

「!?」

一番驚いたのは衣笠だ。攻撃的な防御を仕掛けたわけでもないのに攻撃した方が大きく移動すると言うのは本来あり得ない。だが、実際に達真は大きく側面側に吹っ飛び、

「っ!!」

衣笠が正面に達真を捉えるように体の向きを変えると同時、その右足に素早く重い一撃が迫った。

(嫌な相手だ……。決してメジャーとは言えない。しかし空手としては正道に当たる効果的な動きばかりをする。それに、受けてみて初めてわかったけど相手は、右利きの構えしてるのに左利きだ……!)

衣笠は痛みに耐えながら呼吸と構えを整える。対して達真は左手を手刀にしたまま軽快なステップをとった。これまでカウンタースタイルが多かった達真にしては珍しい切り替え(スイッチ)だった。

(……奇襲なら畳みかけるべきだ)

達真は動く。放つのは相手の右肩を狙った左の手刀。

その動きを視覚の埒外で捉えながら衣笠は右手でパンチを繰り出す。

(確かに手刀は防ぎにくいしかわしにくい。でも、狙っている場所はわかりやすい)

(だから腕を伸ばして打点をずらす算段か……!)

達真の手刀は衣笠の右肘辺りに命中し、衣笠の右拳が命中する寸前に達真の体が弾かれたように高速で離れていく。そして空振りに終わった衣笠の右腕……その手首辺りに逆手刀を打ち込む。

「くっ、」

通常の手刀が小指側を使うため掌を上に向けるのに対して、逆手刀はその逆。親指側……と言うより人差し指の側面を当てるため掌は下に向ける。

そこに違いがあるのかと言われればもちろん違いはある。

通常の手刀が肘関節に負担が掛かるように繰り出してしまう代わりに威力が乗る。対して逆手刀は肘に負担が掛からないように使われる。威力はそんなに乗らず人体構造上、通常の手刀に比べて射程は狭いが安定した威力で連射が可能だ。そして通常の手刀で直接打った相手の右肩を、今度はパンチを横にずらす事で間接的にダメージを与えている。その上で相手の右腕を無意味な内側へと曲げたのだ。つまり、

「せっ!!」

相手の右腰に素早い回し蹴りを打ち込む。逆手刀で無理矢理ずらされた右腕ではこれに対応できない。

衣笠としては正直カウンターを得意としているという達真の戦い方は不安定なギャンブラーのようだと感じていた。だが結果は正逆。一秒一秒相手の一挙手一投足を見て最善を判断して動くとても現実的な人物だった。

対する達真の方もこれまでの優勝候補との戦いと比べれば楽に済むだろうと思っていたが過小評価していたと反省せざるを得ない。クワガタ程度でも多少の攻撃になった久遠とは比べものにならないほど相手はタフだ。何せ本来ならこのスイッチヒットは最後まで出すつもりがなかった。これまで通り正面からの勝負で通用すると予想していたのだが綺龍最破の威力に素早くスイッチする事を決意した。

(このまま相手の右手足を潰さないといけない)

(私の綺龍最破はなるだけ正面から……。でも出し惜しみは出来ない……!)

先に動いたのは衣笠だ。まるで右腕をかばうように左腕だけでの攻撃を開始する。普通なら右腕を庇っているのだろうと見るだろう。実際赤羽や久遠はそう見ていた。だが、達真はフェイントだと思った。衣笠の右腕に注意しながら左腕からの攻撃を防御。再び右腕に向かって逆手刀を繰り出す。

「っ!」

威力はそこまで高くはない。だが、高速で連続で繰り出される攻撃に庇った振りに過ぎなかった右腕を本気で庇いたくなる。

(けど、目的は果たしている)

「!」

達真の左逆手刀が衣笠の右上腕をひっぱたいた瞬間に衣笠の右下段が達真の左足にねじ込まれた。

手刀は射程が短いため前足を軸足とする。その軸足を大きく揺るがす一撃は衣笠が経験から用意した一撃だ。言ってみればこれもまた綺龍最破の一種と言っていいだろう。

(……必殺の威力はないから認めたくはないけど)

とは言え、軸足を大きく打たれた達真はバランスを大きく崩し、体勢を立て直すのに時間が掛かる。そしてつい転倒してしまいかけた瞬間、

「時間です!」

本戦終了のゴングが響いた。

「……ふう、」

ギリギリで持ちこたえた達真。緊張のまま判定を見れば引き分けだった。つまり、延長戦が開始される。

呼吸を整えて次のゴングを待っていると、

「達真!」

「!?」

思わぬ声に振り返った。客席を見れば赤羽と火咲に支えられながら陽翼が自分を応援していた。

「陽翼……!?」

驚く達真。その視線の中で甲斐が親指を上げた。

先程甲斐に誰かから連絡があったようだがどうやら陽翼の来客だったらしい。

「……」

インターバルとは言え戦意を全く途絶えさせた達真を衣笠は見た。そしてその視線の先の病衣姿の少女の姿も。

(……彼女?決勝の舞台なのにそんな……ううん。これは嫉妬だ。友達も家族もみんないらない、私には空手だけあればいいとそんな言い訳を立てた私の下らない嫉妬。帰りを待っている誰かの存在が人を強くするなんて遠い昔に私にも感じていたじゃない。それに私にだって……)

衣笠は再び視線を最首の方へとやった。最首は最初から衣笠だけを見ていた。小学校時代から一緒だった幼なじみ。しかし実力では大きく差が付いてしまったライバル。また隣でそして正面から戦い合うために。

「……」

衣笠と達真は呼吸を整えて再び戦意の引き金を引く。

「これより延長戦を開始する!」

加藤の声に両者が拳を握る。

「構えて……始めっ!!」

ゴングが鳴る。両者が前に出る。最初に攻めたのは衣笠だ。達真の顔面めがけての飛び蹴り。対して達真は斜め前へのステップでこれを回避しつつ距離を縮める。手刀はないがやっていることは同じ素早く相手の側面に回り込むこと。だからその動きは衣笠にも読めた。

(右足で蹴ればそれを利用して右側に回り込んでくるんでしょ?)

(……これは……!!)

空中で衣笠が体勢を変えた。左側に体を倒し、カウンターで達真が放った回し蹴りが右肩の上数ミリをすり抜けていく。そして空中で両足裏を達真に向ける形となった衣笠は膝を曲げて溜めた状態だった左足を解き放つ。

「っ!!」

完全に無防備だった達真の腹部に衣笠の左足が突き刺さり、その体を後方へと押し倒す。

「せっ!!」

着地と同時に180度回転しながら衣笠は下段払いをとった。

目に入ってきた景色では少し離れたところで達真が腹部を押さえて倒れていた。

「技あり!!」

加藤の宣言に会場全体が熱く揺れる。

「変化球……しかしアドリブじゃないな」

甲斐が冷静につぶやく。

「うん。完全に前もって予想してたと思う」

最首が答える。

「あれもまた綺龍最破と言っていいのかもしれないな」

「綺龍最破って私を倒したあの技ですか?」

赤羽が問う。

「そうだ。黒帯の先の段位に上がるために必要な型の1つだ。一切の予想外なく自分が戦ってきた経験すべてを完璧に自分のものにした奴だけが身につける奥義と言っていい。制空圏の先にある概念であり奥義」

「制空圏の先……」

久遠が表情を変える。

「ある程度極まった奴には、たとえ初めて戦う相手との試合だろうとある程度戦いの道筋というのは戦う前か戦っている最中にはもう頭の中で組み上がっている。その時点で頭の中で決着が付くんだ。それで自分が負けるとわかった場合、当然逆転の一手を考える。野球じゃないんだ。さよなら満塁ホームランなんてロマンは考えない。なら逆転の一手とは自分が劣勢になるより前に打たなければならない。自分自身の戦い方はもちろんこれまで戦ってきた相手の中から最も今自分と戦ってる相手に近い相手を思いだし、それを使って脳内シミュレーションし、何が最善の一手かを判断。相手の意表を突き、確実に一撃で相手の地盤を打ち砕く。

まぐれで逆転をすることもあるだろうがこいつは違う。綺龍最破は戦いの中で己を知り尽くした奴だけが使える必然の一撃だ。万に一つも抜かりはない」

「……じゃあ矢尻さんは……」

「ああ。奴自身の限界を超えない限り立ってくることはないだろう。これが矢尻の越えるべき壁だ」

甲斐は厳しい表情で倒れたままの達真を見た。先程赤羽に解説したように衣笠愛が綺龍最破と認めた技ならば起きあがってくる可能性は万に一つもないだろう。

(……これはまずいな)

達真はまるで銃に撃たれたように仰向けに倒れまま動けずにいる。

(……痛みを通り越して意識が遠ざかっている。まるで毒キノコを食べた時みたいだ)

手足の感覚が鈍り、打点にだけ意識が逃げていく。耳にはたくさんの声が聞こえているが、脳内で反響しているのは己の逃げの声だけ。

(……陽翼、やっとまた試合を見せられるというのに……)

視界には虚ろで逆さまの陽翼の姿がある。

(……こんなんじゃ蒼穹さんにも怒られる。俺のすべてを受け止めてくれた人……。陽翼を失ったと思っていた俺に生きる希望をくれた人……)

「……!?」

衣笠が表情を変えた。続くカウントダウンの中、達真がゆっくりと立ち上がった。

(蒼穹さんを失い、また俺のところに戻ってくれた陽翼が俺を見ている。あの頃とは違う俺を、あの頃よりかも強くなった俺を……陽翼も蒼穹さんも俺自身もまだ知らない俺を……ここで見せなくてどうするんだ!!)

「た、立ちやがった……!!」

驚く甲斐。同時に沸き上がる歓声。

「やっちゃえ!!達真!!」

混じる陽翼の声を聞いた達真はまっすぐに衣笠を見た。

「蒼穹さんが許してくれた、陽翼が支えてくれた、最上に憧れた、俺が俺を越えなきゃいけないんだ……!!」

構えた達真。血の気の引いた顔、しかし既に闘志は満ち足りている。

「……それでこそ……!!」

衣笠が構える。

「続行!!」

加藤の宣言により、走る達真。先程まで倒れていたにも関わらずその速度は今まで以上。衣笠の埒外の速度だった。

「!?」

「せっ!!」

衣笠が反応した瞬間にその胸に飛び蹴りを打ち込み、彼女を大きく吹っ飛ばす。

「くっ、」

倒れるのを寸前でとどまった衣笠に達真が迫る。先程のダメージ故かやや低い姿勢であるが故に衣笠の膝を踏みつけるように蹴り込み、その威力で達真が飛び上がる。

「せっ!!」

2段階の跳び蹴りが衣笠の右肩を強く貫き、肩関節も鎖骨も一気に引きちぎる。

「うううっ!!」

「せっ!!」

着地と同時に右足に全体重をかけた下段を叩き込む。バランスを崩していた衣笠が転がるように宙を舞い、達真の背後に倒れる。

「う、ううう……!」

右半身を庇いながら立ち上がった衣笠の腹を踏みつけるばかりの達真の左足。腹に穴が開いたんじゃないかという衝撃。それは先程と鏡写しのよう。

「…………」

仰向けに倒れた衣笠はやはり視線の先に逆さまの最首と赤羽の姿を見た。

(……わたしだって)

「私だって負けない!!」

カウントダウンを待たずに立ち上がった衣笠が迫り来る達真を正面から打って出る。互いに最適化された蹴りがボクシングのパンチがごとく高速で応酬を開始する。一撃でもまともに受ければ致命傷。二度と立ち上がっては来れないだろう攻撃を互いにギリギリで受けては最速で蹴り返す。

胴着は腹周りを中心に破け、帯は解け互いの足下にほどけ落ちる。しかし両者一歩も退かず一秒たりとも止まらない。

互いに限界を超え、綺龍最破どころか技ですらない力と力、意地と意地のぶつかり合い。いつ果てるともしれない両者の死闘はしかし永遠とは続かなかった。

「これで!!」

衣笠が最後の最後、情熱よりも理性を取り戻し限界まで集中して放つ前蹴り。綺龍最破とまでは行かないものの理性の一撃だ。しかしそれは届かなかった。

「!?」

見れば足下に落ちた帯が足に絡んでいた。

「そ……」

「せぇぇぇぇいやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」」

直後、達真の蹴りが衣笠の鳩尾にぶち込まれた。

チェストガードを粉砕し、胴着の上を吹っ飛ばし、衣笠の全力を打ち砕いた威力が衣笠を吹っ飛ばす。

「…………う、」

「せっ!!」

達真が下段払い。同時に延長戦終了のゴングが鳴り響いた。

「……これは難しいな」

甲斐がつぶやく。

「どう言うこと?」

「判定だよ。どっちが勝ってもおかしくない。故に引き分けになると思うんだが、もう二人とも体力が限界をとっくに超えてる。再延長戦はどのみちないんじゃないか?」

「……でも、愛ちゃん楽しそうだよ」

「……そうだな」

二人の視線の先。衣笠は立ち上がった。熾烈を極めた戦いの果てとは思えない満ち足りた、しかし貪欲な猛獣のような笑顔。それに返す達真の顔もまた同じような表情だった。そして加藤が再び判定を下す。

「判定は……引き分け!!よって再延長戦を開始する!!構えて……はじめっ!!」

最後のゴングが轟く。既に上半身はインター姿の両者がコート中央で最後の激突を果たす。既に足は限界を超えて感覚がほとんどない。ならば残るは両腕での殴り合いのみ。もうここに至っては駆け引きなど何もない。ただただ自分のすべてを出し尽くし相手のすべてを押しつぶすだけの真っ向勝負。

「このっ!!このっ!!!!ごのおおおおぉぉぉぉぉっ!!!!!」

「うおおおおおおおおおおおああああああああああああ!!!!!」

熱気と魂のすべてを拳に乗せた殴り合いは二人だけの永遠を終え、ついにその時を迎えた。

「…………よくやった」

甲斐がつぶやいた。その視線の先。立ち尽くす達真の前で衣笠が膝を折った。そして、達真は仰向けに倒れた。

「これは……」

緊張に静まる熱気の中、衣笠が握った拳を地に打ち付けその衝撃で立ち上がる。直立できずに揺れ動く中、足に絡んだ帯が今度は彼女の動きを止めた。そして、

「せっ!!!」

衣笠愛の下段払いが決まった時、再び会場は熱気の渦を巻き起こした。

「そこまで!!勝者・赤!!よって今大会優勝は衣笠愛!!!!!」

加藤の叫びが会場全体に響く。今、長い歴史の中初めて女子の優勝者がここに誕生したのだ。

「…………負けたか」

熱気の中、達真が目を開けた。視界の中に入ってきたのは誰かの手。

「……ありがとう」

衣笠愛だった。

「……こちらこそ」

その手を取って達真が立ち上がる。二人とも全身激痛に襲われ、しかしアドレナリンのおかげか笑顔のまま大倉からトロフィーを戴くのだった。

「……達真」

表彰を終えて戻ってきた達真を迎えたのは陽翼だった。

「悪い、陽翼。負けた」

「でも満足でしょ?」

「いや、もっともっと強くなりたい。そう思ったよ」

「……うん。それでこそ僕の達真だよ?」

陽翼は病衣のまま達真を優しく抱きしめた。

「……優しい子ね」

少し離れたところ。衣笠と最首が並んでいた。

「うん。矢尻君が選んで、そして選んだ子だから」

「……遙、」

「何?」

「ごめんね。ずっと待たせちゃって」

「……私、すごくうれしいんだ。で、ちょっと悔しい」

「どうして?」

「矢尻君じゃなくて私だったらよかったって」

「……いいじゃん。遙との思い出はカルビで!ううん、その先で!」

「全国だね」

「そう。だから遙、私以外の誰かに負けないでよ!」

「愛ちゃんこそ、愛ちゃんを倒すのはこの私なんだから……!」

衣笠と最首。拳と拳を合わせ、そしてかつてのように無邪気に笑いあうのだった。





















「以上が今回の試合結果となります」

甲斐機関・本社会議室。和佐がモニターの電源を切る。同時に杏奈がフロア内の照明をつけた。

「……いいものだな。若い子達が全力でぶつかり合い、そして認め合う。これぞ青春だ」

甲斐機関社長・甲斐修治は笑みを浮かべながら小さく手をたたく。

合わせて手をたたいたのは杏奈だけ。和佐とライルは冷ややかなままだ。

「さて、ライル。今回の試合、もし廉があの足のまま行った場合の負傷予想はどうなっている?」

「はい。相手をご子息と互角の相手……たとえば今年1月に行われた全国大会における準決勝で戦った馬場早龍寺と想定した場合、次は確実に右足を失うでしょう」

「ふむ。そもそも大倉の技術がなければ1月の時点で息子は右足を失っていた。……そして対戦相手である馬場君も意識不明の植物人間となってしまっていた」

修治は腕を組み、目を閉じる。そして、

「では、君の言うとおりにしよう。息子には元気でいてほしいからな」

修治が和佐でも杏奈でもライルでもない者に視線を向けた。

「では……?」

「ああ。君の願い通り、来年1月……廉の右足を完治する前に3つの機関から空手道場を廃止しよう。赤羽さん」

修治の視線の先、赤羽美咲が小さく頭を下げた。

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