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零式暫界  作者: 黒主零
1.紅蓮の煌星(フレイムスター)
8/9

第3話:最後の夏・1

・シフルとの戦いと言うか三船の残飯狩りから一ヶ月と少しが経過した。

「陽翼、調子はどうだ?」

病院。達真がお見舞いにやってきた。

「うん。だいぶよくなったよ」

ベッドの上で陽翼が微笑む。未だにもう手に入らないと思っていた笑顔がそこにあるとなればどうにも感動で滅多なことを口走ってしまいそうになる。

「もう、達真ってば僕と会う度にそんな顔しちゃうよね」

「仕方ないだろ。未だに陽翼が生きててこうしてまた話が出来るなんて夢にも思ってなかったんだから」

「うわーひどいんだ。こんな可愛い陽翼ちゃんの事を夢に思えないなんて」

「…………ちょっとは見たかもしれないが」

「うふふ。ありがとう。もう少し体がよくなったら達真と同じ学校に通うことになるから」

「え、本当なのか……?みょ、名字は?」

「えへへ。矢尻陽翼って書いちゃった」

「……矢尻陽翼……」

本当に突然心そのものにダイレクトにクリティカルに来るから困る。

「それとも、もう他に彼女とか出来ちゃった?」

「いや、そんなことは…………なくもないけど」

「えぇっ!?」

「……彼女とは違うんだけどその前にちゃんと会って話しておかないといけない人がいるんだ」

「そうなんだ……」

「明日、連れてくるから」

「うん。ちょっと怖いけど待ってるね」

それから面会時間ギリギリになるまで他愛ない話をして達真は病院を去る。

「……ってなわけで少し困ってる」

「……相談するところが違うんじゃないっすかね?」

別の病院。ベッドで休む里桜、面会に来ていた龍雲寺に対して相談する達真。

「僕なんてほとんど初対面なのに聞いちゃってよかったの?」

「ああ。あんたのことはまあまあ妹さんから聞いている。だから信用は出来るんだが……はぁ、」

「えっと、矢尻だっけ?僕達そんな関係になったことないからあんまりサポートとかフォローできないと思うんだけど……」

「あれれ?龍雲寺は彼女出来たんじゃなかったっけ?」

「…………今のこの生活じゃまともにデートも出来ないよ」

「…………でも彼女はいるんだよね」

「里桜、目が怖い」

ため息をつく男子3人。全員が同い年で空手関係者でしかしそれぞれある事情から空手からは離れてしまっている者同士だ。

「……燐はいつ退院できるんだ?中々ひどくボコボコにされたって聞いたが」

「まあそれはそれはもう、どうして生きてるんだってくらいボコボコにされたっすからね。一学期中は戻れなさそうっすね」

「……悪いな。シフル・クローチェに関しては俺にも責任がある」

「いいっすよ。責任追及していけばどうせ大人たちに行きつくんすから」

「里桜、最近大倉道場も何かいい噂聞かないけど……」

「そうだね。俺は直接見てないけど雷龍寺先輩が、この前大倉会長と加藤先生と岩村先輩が言い争いしてるところを見たっていってたよ」

「……確か大倉道場やこの病院を含めた組織:大倉機関の代表が大倉会長で、加藤って人と岩村って人は道場側の師範と副師範なんだったか?」

「そうっすね。全員それぞれ若い頃はまだただの道場だったから全員畳の上でハッスルしてたみたいっすよ。特に加藤先生と岩村先輩は大倉会長の直接の弟子だって聞いたことあるっす」

「……その3人が言い争いってイヤな予感しかしないよ……」

「全くだよ」

里桜と龍雲寺が同時にため息をついた。達真はただほとんど情報でしか知らないが幼い頃から教えを受けていた3人のトップが口論ともなれば面白くはないだろう。言ってみれば両親の夫婦喧嘩みたいなものだ。

「そう言えば矢尻は昔大倉道場に通ってたんすよね?その時に加藤先生とかとは会ったことないんすか?」

「多分何回かは会ったことあると思う。だがほとんど覚えはないな」

「その時は誰が指導を?」

「名前は……何て言ったかな」

「まあ、基本は指導員のことは先輩ってしか呼ばないから。名前を覚えてないってのも仕方がないかも」

言われて達真は確かに珍しいかもしれないと今更ながら思う。

今のところたまに大倉道場に顔出す時には里桜が指導をしてくれている。現在は雷龍寺が指導をしているのだが達真はまだ会ったことはない。だが実際には里桜と雷龍寺は二人一組構成で稽古を行っている。だから今回のように片方に何か問題があった場合にはもう片方がフォローに当たっている。ちなみに雷龍寺が剛人との戦いで負傷した際には逆に里桜の仕事が増えていた。最近になってこういうシステムになったのかもしれないが達真がかつて世話になったのは一人だけだった。

「矢尻のことは雷龍寺先輩に伝えてあるから稽古に問題はないっすよ。まあ、俺より数倍厳しい人っすけど」

「あ、ああ。俺も死神先輩から少しだけ聞いてる。馬場4兄妹の長男で、先輩同様に全国クラスだってな」

「っすね。もう20超えてるから先輩と同じ大会で戦うなら先輩の方が20になるまで待たないといけないっすけど」

「……どっちが強いんだ?」

「…………弟子の口からはとても。ただ先輩が半年前に引き分けた次男の早龍寺さんは雷龍寺先輩より実力は下っすね」

「…………そうか。世界は広いな」

「でもその雷龍寺先輩ですら勝てないのが加藤先生っすよ。去年のチャンピオンシップで戦ったっすけどあの雷龍寺先輩がほとんど何も出来ないまま一方的に倒されたんすから」

「……うわあ、兄さん荒れただろうな……。ギリギリでいなくてよかった……」

龍雲寺が冷や汗をかく。

「あ、龍雲寺は早龍寺先輩より全然弱いっす。俺より弱いっす」

「まあ、何となくそれは分かる」

「ふ、二人ともひどい……。事実だけどさ……」

「……龍雲寺はもう空手はやらないのか?」

「……そりゃ少しは考えてるけどしばらくはいいかなって。やっとバイトして稼げるようになったんだし」

「……そう言えば言い損なってたけど、雷龍寺先輩から龍雲寺に伝言」

「え?」

「龍雲寺が住んでるアパートの家賃、もう払ったらしいよ」

「え!?そんなこと月仁から聞いてないのに!」

「つきと?」

「あ、うん。今お世話になってるアパートの大家。同い年なんだ。……最近桃丸ちゃんが家賃急きに来ないのはそのせいだったのか」

「龍雲寺も龍雲寺で新しい生活に馴染んできてるみたいだね」

「……えっと、兄さんは何だって?」

「龍雲寺のやりたいようにやれって。最近は久遠にも空手を強いていないみたいだし何か考えが変わったのかもしれない」

「……知らない内に槍でも降ったのかな?」

龍雲寺が窓の外を見る。

「……じゃあ、そろそろバイトの時間だから僕は行くよ」

「じゃあ俺も寮に帰るかな」

「二人とも今日はサンキュっす。暇なので出来たら毎日来てほしいっすよ」

「「それは無理」」



寮。食堂。

「と言う訳なんだ」

達真が陽翼との経緯を話す。そこにいたのは権現堂、火咲、紅衣、リッツだった。

「……それで私に陽翼さんと会ってほしいの……?」

紅衣が問う。こうして会って話すのは久しぶりだ。遠くから見ている限りだと明るさを取り戻しているように見えたが、実際に話してみるとまだどこか陰を感じる。

「ああ。蒼穹さんについても陽翼には話しておかないといけない」

「達真もとんでもない発想するわよね。いくら死んだと思っていたとは言え恋人と浮気相手を会わせようとするなんて」

火咲がため息をつく。

「陽翼がいなくなって3年間。何をしていたのかと聞かれれば間違いなく穂南姉妹について話さないといけなくなる。だから先に正直に話しておこうと思うんだ」

「……達真君……」

紅衣はやはり暗い表情のままだ。

「……達真、俺も最上の意見には賛成だ。お前の清廉潔白なところは称賛に値すると思うがしかし、他人を巻き込んでまでというのは感心しない。穂南の代わりに俺が同行しよう。一度しか会ったことはないが俺も久しぶりに挨拶をしたい」

「それ自体はかまわないが……」

達真はもう一度紅衣を見る。視線に気付いたのか紅衣もまた達真の視線を見返した。

「……達真君は陽翼さんが亡くなったと思ったからお姉ちゃんを好きになったの?それで今度はお姉ちゃんがいなくなったから陽翼さんと付き合おうとしてるの?」

「……それは、」

「だったらもし、お姉ちゃんが戻ってきたら……今度は陽翼さんと別れるの?」

「…………そんなことはない……と思う」

達真の優柔不断に権現堂と火咲が同時に脛を蹴った。

「おい達真……」

権現堂が立ち上がり、達真の襟首を掴む。と、それを払って火咲が立ち上がった。

「達真。紅衣はね、穂南蒼穹や陽翼があんたにとって何なのかって聞いてるのよ。いつでも取り替えできるセフレに過ぎないのかって聞いてるのよ」

「……そんなわけがないだろう……!」

「口では何とでも言えるわ。あんた女癖が悪すぎるのよ。いや、それだけじゃない。いざって時に他人を信じようとしない」

「…………」

思ったほど心外でもない。意外かもしれないが、しかし心のどこかではそんな自分を自覚していたのかもしれない。つまり今ここにいるのは(リッツ以外)全員達真のことを達真自身以上に知っている人達だ。

「……俺はどうしたらいい?」

「あんたに一番必要なのは自分を知ることよ。そして自分を信じてくれる人を信じること」

「…………簡単に言いやがって」

達真が小さくため息をつく。

「達真、正直になれ。俺達を信じろ」

「……権現堂……」

権現堂が肩に手を置く。もどかしいような暖かいようなくすぐったい感覚が達真の中に溢れてきていた。

「……紅衣」

「何?」

「……ごめんな。俺はやっぱり陽翼の方が……」

「それを私に言うのはちょっと……」

「……そっか」

「達真はもう少しデリカシーを学ぶべきね」

「……ねー」

火咲と紅衣が顔を見合わせた。くすぐったいようなもどかしいような、どうしようもない感覚を受けて達真は権現堂と肘を突き合わせた。

食堂での会話が終わり、それぞれ部屋に戻ろうとした際。

「矢尻達真」

これまで人形のように無言に徹していたリッツが達真を呼び止めた。

「どうした?」

「これを」

リッツがスマホを見せる。そこには一文のメールが表示されていた。

「……これは、」

「シフルからのメッセージ。エキサイト翻訳だったから私が翻訳した。少し時間が掛かったけどあなたに見せたい」

「……シフル・クローチェが俺宛にメッセージを?」

予想外。自分を恨んでいたためについこの前にあれだけの騒ぎを起こしたもはやテロリストと言っていいシフルが自分に対してメールなど、それこそ夢にも思っていなかった。と言うか自分は拳銃で撃たれてもいる。正直たとえメールでの言葉とは言え真に受けるには少々気後れがする。

「……」

息をのみ、リッツのスマホをのぞき込む。

「いや、アドレスを教えてくれたらそのまま送る。そうのぞき込まれても困る」

「…………正直お前達にメアド教えるのはかなり気が引けるんだが……」

「…………まあ、無理もないか。私もシフルもあなたには謝りきれない事をしたわけだから」

「……いや、許す許さないと言うのはあまりないんだ。生きてたからよかったものの俺は陽翼を死なしてしまうかもしれなかった。それを陽翼の友人だったシフル・クローチェが恨むのは当たり前のことだ。……まあ、組織がかって俺を殺しに来るとは思わなかったが。それにお前もあいつの命令に従っただけだ。確かに多少気は引けるがお前達のことは別に恨んでいない」

「……そう流暢に弁明されると少し不気味」

「……言ってくれる」

小さく笑い、達真はスマホを出して文字を入力する。

「ほら、メアドだ。ここに送ってくれ」

「……さっき権現堂昇が言っていたようにもっと素直になればいいのに」

「……善処する」

リッツが達真のメアドを完コピしてそのアドレス宛にメールを送った。

「……」

受信したメールを見る。見つつ、また結構女子のメアドが増えたなと遠い目をした。シフルからのメッセージ内容は簡単に言えば、これまで迷惑をかけた事への謝罪と自分はイタリアに帰るから陽翼のことはよろしく頼むとのことだった。また、シフルが三船でしでかしたことは特に隠す必要はなく、そのまま話してかまわないとも。

「……実際三船機関はもう伏見機関によって完全に閉鎖。三船所長もどこかに幽閉されている噂。そして陽翼は間接的に三船や大倉と関わりのある病院に入院しているから別に何も隠す必要はないそう」

「……隠すも何も俺はそこまでお前達の事情には詳しくないんだがな。それに完全にあいつは自分を悪者に仕立て上げようとしているみたいだな。……自分の手で三船を滅ぼすことになってそこそこショックだろうに」

「……シフルに伝えておく。あなたが心配していたと」

「……どういう意図だ?」

「たぶん日本語に翻訳できない悪罵が返ってくると思う」

「……あいつは本当に反省しているのか」

「……長年シフルはあなたに恨みがあった。反省しててもそう簡単に恨みは消えないと思う」

「お前はどうなんだ?詳しくは聞いていないがあいつのクローンなんだろう?」

「……確かに私はシフルから作られたクローン。特に格闘能力を持っているわけでもないシフルの代わりにあなたを殺すためにシフルによって調整された。だから生まれながらにあなたへの殺意がある。本能に根付いているから私の場合もそう簡単に消えはしないと思う。けど恨みがあるわけでもない。あなたの味方になるわけではないけど、でも敵になることもないと思う」

「……よくわからない奴だな」

「…………シフルがいなくなった今、私の寿命はそう長くないと思うから」

「どう言うことだ?」

「私達クローンは24時間に一度カプセルでメンテナンスを受けないといけない。でも、脱走したりしないようにカプセルそのものも1年に一度メンテナンスが必要。まあ、権限を持つ者によってパスワードを変更するだけだけど。その権限はシフルくらいか知らされていない」

「……赤羽や最上でも駄目なのか?」

「どっちも私とは所属が違うからたぶん無理だと思う。私は凶器だからシフルとはもう一緒に行動できない。このまま1年間だけあなた達の傍にいる。だから私のことは気にしないで構わない」

「…………お前は生きたいとは思わないのか?」

「…………あなたと富士の樹海で戦って腰を折られた時には、シフルに見捨てられた時には一度自分の命を諦めた。でも、あのまま私が死ねばシフルが危険だと思ったから諦められなかった。その結果生き延びて今がある。でも、シフルの身の安全が確保された今、私に存在価値なんてない。あなたへの復讐もなくなったのだから」

「……存在価値なんてどんなことでもいいと思うがな。情けないことに俺は陽翼と出会ってからは陽翼と一緒にいることが存在価値だと思ってたし、陽翼が死んだと思ってた頃は蒼穹さんや紅衣にその価値を求めていた。そして今は、陽翼や仲間達と一緒にしばらく生きていこうと思ってる。お前も、しばらくはそれでいいんじゃないのか?まあ、一年以内にあいつを呼び戻してパスワードの変更をしてもらう必要はあるかもしれないが」

「…………尻軽男に慰められるなんて。もしかして私の体が望み?」

「おい」

「……冗談。さっき最上火咲も言ったようにただでさえ女癖が悪くて問題がこじれているのに今この状況で私とも関係を持ったら……嫌がらせには使えるか」

「おい」

「…………ありがとう、矢尻先輩」

「…………お、おう」

演技なのかもしれないし、見間違いかもしれないがしかしリッツは笑顔を達真に向けて女子寮へと戻っていった。



翌日。放課後。陽翼の病室に集まる達真、権現堂、紅衣、火咲、リッツ。

「わ、いっぱい。達真たくさん友達が出来たんだね」

「……まあ、本当はこんなに連れてくるつもりはなかったんだが」

「私も来るつもりなかったんだけどね」

火咲がリッツを抱きしめながらため息混じりに言う。実際火咲と陽翼に関連はほとんどないが火咲が手足として使っているリッツは別だ。

「一度あっただけだが覚えているか?」

権現堂が陽翼に一歩歩み寄る。

「権現堂君だよね?確か一度だけ会ったことあるかも」

「ああ。また会えると思ってなかった」

「……達真ひどかったんじゃないの?」

「まあな。自分から一人になろうとする難儀な奴だ」

「……余計なお世話だ」

達真が言うと、火咲が脛を蹴った。

「今はこいつのルームメイトをやらせてもらっている」

「学生寮なんだっけ?そっか。男の子同士だもんね。僕も達真と同じ部屋がいいな」

「男女共同生活で周りから奇異の目で見られるのはあの先輩だけで十分だ」

3月の騒動を思い出して忌々しげに呟く達真。

「で、あなたは……」

「あ、あの、穂南紅衣です……」

「紅衣ちゃん。僕は陽翼です。名字はなかったけど今度から矢尻陽翼って名乗る予定です」

「……矢尻陽翼……達真君と本格的に付き合うんだね」

「…………えっと、達真?もしかして……」

「……まあ、その、なんだ。俺は陽翼が死んだと思ってそれから中々荒れた。空手も辞めたし権現堂くらいしかほとんど会話しなかった。けど、そんな時に俺を慰めてくれたのがこの紅衣と姉の蒼穹さんなんだ」

「…………えっと、慰めるってどこまで?」

「……たぶん陽翼の想像通りだと思う」

「…………そ、そうなんだ。もしかして僕、おじゃまだったかな……?」

「……こんな事言うのは最低だと思うけど、正直陽翼が死んだと思ってた頃は紅衣と蒼穹さんでいいやって思った。浮気になるかもしれないけどそれでももうどうにでもなれって。陽翼も紅衣も蒼穹さんにも失礼な最低なことを俺はしていた。最低でいいやって思ったんだ。でも、3月に蒼穹さんが亡くなって……もっと最低なことに俺は後を追おうって気にはならなかった。先輩に八つ当たりして、それでも生きてたんだ。今はもう、自暴自棄に自分も誰かも傷つけようとは思わない。ずっと一人だと思ってた俺にもこんなに仲間が出来たんだ。……だから、」

達真は紅衣の方を向いた。

「……ごめん。紅衣。俺は陽翼が好きだ。蒼穹さんのことも紅衣のことも好きだけど、でもこれ以上二人を言い訳に使いたくないんだ」

「……うん。お姉ちゃんも今の達真君なら大丈夫だって言うと思うんだ。お姉ちゃんすっごく達真君のこと心配してたんだから」

「…………紅衣」

「………………………………うん、そうだよね。今のはちょっと卑怯だったかも」

紅衣は一度俯きそして、達真の頬を叩いた。

「陽翼ちゃんの責任はちゃんと最後まで取ってね?」

「ああ、ありがとう。そして、ごめん」

頬を赤くした達真。目尻を赤くした紅衣は陽翼へと向き直る。

「陽翼ちゃん。達真君をよろしくね」

「…………うん。今まで達真をありがとう、紅衣ちゃん」

二人、手を握り合った。

「……あーあ、ぶたれちゃった」

火咲がからかうように言う。

「……当然のことをしたんだ。俺は紅衣や蒼穹さんの分までちゃんと幸せになるさ」

「……そうしなさい」

「で、ええっとあなたは」

陽翼が火咲の方を見る。

「私のことは別に気にしなくていいわ」

「最上火咲だ。こいつもちゃんと俺の仲間だ。そう言う関係はない」

「ちょっと、何勝手に紹介してるのよ」

「何だかんだで俺のことをこれまで何度も助けてくれたツンデレちゃんだ。まあ、頼れる友達になってやってくれ」

「ちょっと達真!」

「ふふふ。火咲ちゃん、よろしくね。それとこの前はそこのりっちゃんと一緒にシフルのところに連れていってくれてありがとうね」

「……あの場を解決するにはあなたを連れていくことが手っ取り早かっただけよ」

「……達真、いい友達を持ったんだね」

「ああ。陽翼もこの輪の中にいるんだ。……一緒に来てくれるか?」

「……うん。この矢尻陽翼ちゃんにお任せだよっ!」

笑顔の陽翼。達真もまた自然と笑顔が零れていた。そのまま周囲を見渡すと、

「!」

一瞬だけ笑顔の蒼穹が見えたような気がした。だが、

「……気のせいか」

もうその姿は見えない。それでいいんだ。






・7月。そろそろ夏休みに差し掛かる頃合い。多くの生徒は浮かれる頃だがしかし甲斐は違った。

「……はあ、」

部屋で一人、ため息をつく。その手には手紙があったがしかし、ため息の原因はそれだけではない。8月には西武大会があり、赤羽や久遠も参加を予定している。それに向けて4月から稽古を続けているのだが実のところあまり成果が出ていない。確かに交流大会から二人はかなり成長したと言っていいだろう。しかし、空手部の連中と練習試合を何度か行ってもその差が縮んでいるとは思えづらかった。まだこの道に入って1年目なのだからそこまで気にする必要もないのは分かっているのだがもし、留年組と一回戦からぶつかって徹底的に叩きのめされたあげく自分のように負傷することになったらと思うと気が滅入りそうになる。

「これが親ばかって奴なのか」

「何を言ってるんですか」

隣。テレビで競輪を見ながら和佐が声だけを飛ばす。

「あなたが戦う訳じゃないんですからもう少し気楽にしたらどうですか?教え子達に悪影響ですよ?」

「……自分で戦えるんだったらもっと気楽なものだ。殴れば済む話だからな」

「だからあなたはゴリラだの死神だの言われてるんですよ。しかも本当にそれで解決できるんですから身内からしたらホラーですよ、ホラー」

「…………ホラーね」

「そう言えば西武大会には矢尻さんも参加するみたいですよ」

「ああ、聞いている。一応どこの道場にも所属していない奴も参加できるみたいだからな。今回は大倉道場ではなくうちの空手部からの参加らしいな」

「矢尻さんも春頃には部内で気まずい雰囲気だったのに今ではまあまあ悪くなさそうですよ」

「……春頃に部内であいつが気まずい雰囲気だったのはどこかの誰かさんがお姫様やってたのが原因だったと思うんだがな」

「何か言いまして?」

「別に」

実際達真のことも気にはなっている。と言うのも先月くらいから少し表情が和らいだように見える。さらには精神的な影響もあるのか気持ちが前向きになってめきめきと成長している。

「矢尻さん、彼女が復活したそうですからね。毎日部活の後に病院に行っています。あ、怪我をしてと言う事じゃないですよ?」

「そんなことくらい分かってるわ忌々しい!お前が言うことか!」

持っていた手紙を床にたたきつける。そう、達真が空手人として成長していることは決して悪くない。嬉しさを共感してやれるほどの仲ではないから良い話よりのどうでも言い話だ。問題なのはその彼女、陽翼と言う名前の少女との経緯だ。いちいち自分で説明などしたくもないがしかしその事実に甲斐は最近心穏やかでないのだ。

「…………手紙、ちゃんと読まれたらどうです?」

「……もう読んだよ。これも全く気に入らない」

「ご家族との再会じゃないですか。どれだけ天の邪鬼なんですかあなたは」

「天の邪鬼でも天岩戸でもどっちでもないしどっちでもいい!こっちゃ空手だけをやっていたいというのに」

「……そう思っていたのがついこの前までの矢尻さんなんじゃないですか。あなたが後戻りしてどうするんですか?」

「だからお前が言うことかっての!」

ため息。ベッドに横になってため息。

「もう、そんな蒸気機関みたいにため息ばかりついてるのが部屋にいるとそこそこ迷惑なんですけど。どこかに誰かと一緒にお出かけしたらどうですか?最首さんあたりとデートでもすれば喜ぶと思いますよ?」

「最首とはそんなんじゃないし、それもお前が言うなっつうの」

完全にふてくされている甲斐。和佐はため息をついてから手紙を拾う。

「明日来るそうじゃないですか。私は行きませんけど楽しんできたらいいじゃないですか」

「絶対イヤだ。いっそのことそっちが行ってきたらどうだ?」

「いやまあ、会ったことはありますけど別に何の気概もありませんよ?ただの他人です。まあ、あなたを連れてきたなら競輪で穴馬当てられるってジンクスがあるのなら喜んで拉致監禁しますけど」

「ギャンブルのために実の兄を拉致監禁するな。ってか大金がほしいんじゃなくてそっちなのか」

「まあ、ギャンブルはそのスリルがたまらないんですけど」

「15歳女子の言う言葉じゃない」

ため息をつきながらUXをプレイする。

「おや、今更UXですか?」

「久しぶりにやりたいと思っただけだ。いちいち口出ししなくていい」

「はいはい、分かりましたよ。…………ってんん!?明日、優樹お兄さまも来るみたいですよ!?」

「はぁ!?」

あなたはそこにいますか?をBGMに甲斐は思わず叫びをあげた。



翌日。日曜日。

「よう、」

「ようじゃないわ。何考えてるんだお前は」

食堂。5月の時のように人だかりを作りながら優樹がインディアンポーカーで斎藤や最首と遊んでいた。

「え?タダ飯が食えるから来たんだぞ」

「……それ以前に誰から聞いたんだよ、この話」

「親父」

「…………はぁ、」

甲斐が激しくため息をつく。

「どうしたの?何かあった?」

額に2のカードを載せたまま最首がこちらを向いた。ちなみに相手の目の中に映る自分の姿を見たのか最首は既にこの勝負を下りていた。

「ん?ああ、うちの父方の家族が今夜ここに来るんだとさ。一緒に夕食どうかってな」

「…………え?それに優樹君が参加するの?」

最首が優樹を心底信じられないという表情で見やった。

「……えっと、」

ギャラリーにいた赤羽、達真、火咲も似たような表情だった。

「え、だってタダ飯が食えるんだぜ?今日はうちの親父仕事でいないから自分で何か買わなきゃいけないところだったんだから」

「お前には気まずいって感情がないのか」

甲斐、そして和佐がため息をつく。

「廉君は行きたくないんだよね?」

「…………まあ、小学生時代から会ったことないし。甲州院家に何の迷いもなく親権売り飛ばしてるわけだからな。おまけに再婚して新しい子供もいるわけだし」

この学校に通う生徒の大半は家族に何かしらの問題がある者が多い。故に甲斐の意見には理解が多い。

「……和佐ちゃんにとっては妹が出来たみたい……で、いいのかな?」

「よくありませんよ。同い年ですし」

「…………ん、会ったことあるのか?」

甲斐の疑問。

「ありますよ。小学校時代のクラスメイトですし」

「……それはそれでメチャクチャ複雑だな」

クラスメイトから義兄弟になった甲斐と優樹とは逆に実は義姉妹だったクラスメイトという事になる。確かに甲斐以上に行きたくないのも無理はなかった。

「最悪俺一人で行くから安心しろ」

「お前一人で行くのが一番意味が分からないんだよ!!」

甲斐のシャウト。ギャラリーすべてが頷いた。



「……で、こんな事してていいんですか?」

道場。本来今日は休みの予定だったが全員予定が空いているという事もあって急遽稽古をすることになった。

「現実逃避には大好きなことをするのが一番だ」

「死神さん、何があったの?」

「…………いろいろとな」

「でも弟さんと妹さん両方来てるよ?」

「は?」

甲斐が縁側を見れば和佐も優樹も来ていた。

「何でみんなここに来てるんだよ!ってか何でこの場所を知っている!?」

「……それはもういいじゃないですか。避難するならここが一番いいんです」

「俺は最低限お前を連れていかないといけないし。和佐ちゃんの後ついてきただけだぞ」

「…………はぁ、」

どうして3人集まるとこうやっかいなシチュエーションになるのだろうか。

「でも廉、本当に空手教えてたんだな。自分が殴ることしか興味ないと思ってたのに」

「人をなんだと思ってるんだ」

「「「「拳の死神」」」」

赤羽、和佐、久遠、最首が異口同音した。

「あはははは!!!」

「笑うな!ってか何でハモったんだ君達は」

「いや、その、割と事実ですし」

「全国区で暴れておいて何言ってるんですか

「そう君壊されたし」

「空手界で結構有名だと思うよ?」

女子達の感想は興味深かった。

それから優樹はスマホで何か遊び、和佐はどこかへ行き、甲斐達は集中して稽古を続けた。

「赤羽、久遠。実際この半年で結構強くなったと思う。だが、西武に挑むには正直まだまだ不安だ」

「……押忍!」

「久遠ちゃんなら大丈夫だよ」

「……赤羽も久遠も一回戦負けする確率は低いかもしれないが優勝する確率はそれよりも低いだろう。これまで何度空手部と稽古して負けてきたと思う?赤羽も久遠も一度でも村上に勝てたか?」

「……それは、」

「でもあの人、西武より上のクラスでしょ?あれくらいの実力者が西武に出てくるなんて滅多にないんじゃないの?」

「確かに村上は西武上位クラス。カルビにいていいレベルだ。でも、それでも西武に出て優勝できるかは時の運。5回出て2回は優勝できると思うが3回目以降は厳しいと思うし5回すべてで優勝できるとは思えない。せめてお前達が二人そろって村上から一度くらい技ありを奪える程度にまで強くなれればまだ優勝できる可能性もあるんだがな」

「……厳しい道のりですね」

「でも、死神さん。別に今度の大会で久遠ちゃん達が優勝できなくても何か困る訳じゃないよね?まだ1年目な訳だし。らい君に聞いたけど1年目で西武大会を優勝できた人間なんて1万人に一人いるかどうか位なんでしょ?」

「まあ、そうだな。俺ももちろん、雷龍寺でも確かそんなことは出来なかった。と言うか今はともかく以前は2年目以降じゃないと西武大会には参加できなかったからな。まあ、そう言う制限がなかったとしてもそうそういきなり西武に行ける奴なんていないからあまり問題なかったんだがな」

「……以前と違ってインフレしてきたという事ですか?」

「それもあるが1年目で交流大会を優勝してそれでも西武大会に出られないからって交流大会にまた参加して暴れる奴らが出てきたからな。本来そう言う強さが求められることがない交流大会を荒らすのがよくないとして制限が掛かったんだ」

「……それで西武大会が修羅場になってるんだ。間にもう1つランクを用意するとかいいんじゃないかな?」

「……まあ、そこは全国空手協会の采配次第だろう。急に新たなランクの大会を作るなんて出来るとは思えないな」

「それに西武大会って悪くいえばふるい落としの場からね。ここを勝ち残ることが出来たら見事ガチ勢の証明になるし、」

「なれずに空手部のような吹き溜まりを作ることもあり得るというわけですね」

和佐がどこかからやってきた。手にはコーラが握られていた。

「…………あー、」

それを見た甲斐は突然頭の中でスイッチが入ったようなパズルが嵌まったような感覚を得た。和佐と赤羽とで視線を交互させ、

「……どうしたの?」

最首が問い、それ以外が黙って視線だけを向ける。

「……お前達、そういう仲だったのか」

甲斐が赤羽と和佐を見て小さく呟いた。

「は?どういうことです?」

「……赤羽は寮に来るまでここに住んでたんだろう?だからここを稽古の場に選んだ。しかし同居人がいるかもしれないと最首が言っていた」

「……」

「赤羽はご両親はいないし、肉親と言えば兄くらいだろう。けどその可能性は低い。あいつは妹を捜してこっちを襲ってきたんだからな。それに最首が言うには同居しているのは女性の可能性が高いと。……優樹、1つ聞くが和佐は中学時代どこに住んでたんだ?」

「近くだってしか聞いてないな」

「……そう、そして和佐は本来知らないはずの穂南の事も事前に知っていた。和佐が初めてあの学校に姿を見せたのは穂南が死んだ日だ。あの日そのことは赤羽にしか伝えてなかった。だから面識がないはずの穂南のことをあの日に和佐が知っているとすれば赤羽から聞いたとしか考えられない。……結論を言うとお前達二人はここで同居していたんだ」

「…………え、本当なの!?」

最首が驚いて二人を見る。

「…………」

赤羽は冷や汗をかきながら和佐の方を見る。

「…………はぁ。愚兄のくせにやたらと女性関係だけは妙に勘が鋭いんですよね。そうですよ。全身義体となったばかりで碌に動けない頃の赤羽さんを引き取って面倒を見ていたんですよ、私がこの家で」

「…………春までここで稽古をしていた時も実は上の階にいたわけだ」

甲斐がひどく大きなため息をつく。

「……君、なんなわけ?どうして大倉と三船のトップシークレットである赤羽美咲の身柄を事前に確保できるんだ?」

「……それはトップシークレットです。まあ、ここまでたどり着いてしまったのなら仕方ありませんね。今夜一緒に行きましょう。そこで大体の種明かしは出来ると思いますよ。赤羽さんや最首さん、久遠ちゃんもいかが?」

「え、いいの!?」

「…………一応聞くけど俺は?」

「優樹お兄さまは本当に関係ないんでお引き取り願いたいんですけど。呼ばれているなら仕方ないですね」

「……はあ、やぶ蛇にラスボスを呼んでしまったかのようだ」

ため息。それから女子組がシャワーを浴びて、6人が寮に戻る。ちょうど一台のベンツが停まった。窓が開き風に乗ってきた匂いに甲斐が顔をしかめる。やがて、ドアが開いて長身の中年の男性が姿を見せた。

「……久しぶりだな」

「………………父さん」

甲斐親子が視線を交差させた。やがて父は甲斐、優樹、和佐の3人を見渡す。

「まさか、そっち側の3人がこうして揃うとは正夢もあるものだな。まあ、乗れ。お友達もいいぞ」

「あ、し、失礼します」

緊張したままの3兄妹を後目に最首が会釈をした。6人が車に乗って気まずい車内のままベンツが走り出す。

「優樹君もよく来てくれた」

「大丈夫っす!!いい飯食えると聞いて!」

「甲州院さんからはよく食べる子だって聞いてるよ」

「親父と知り合いなんですか?」

「たまに会って話すよ。そこの息子の生活費も払っているしね」

「…………親権売り飛ばしたんじゃなかったのか」

「まあ、その辺は後で話そう」

やがて車はとあるホテルにやってきた。

「ここのレストランを予約してある。多少数は増えたがまあ問題ないだろう」

7人が駐車場からホテル内レストランに入る。周囲は見るからに大金持ちなどばかりだ。

「……せめて制服着とけばよかったかも」

最首が赤面する。ちなみに赤羽と和佐は多少ましな服装で来ていた。事前に知っていたようだ。

「死神さんのお父さんって何やってる人?」

「……トラック野郎だって記憶しかないんだが」

「今はとある企業の会長をやっている」

「……会長……」

また何かパズルが嵌まりかけた。やがて7人が到着した予約席。

「甲斐様ですね。こちらです」

上品なウェイターに案内されたそこには、

「お待ちしていましたわ」

一人の少女と一人の青年が座っていた。

「……えっと?」

「娘の杏奈と執事のライル=ヴァルニッセだ」

「……娘……」

甲斐が少女の方を見る。

「お初にお目に掛かります。甲斐杏奈でございます、お兄さま」

杏奈と呼ばれた少女が上品に挨拶をした。それに対して和佐がむっとした表情をする。

「杏奈さん?ちょっとおいたが過ぎるんじゃないですか?」

「え?そんなことないと思いますよ、和佐ちゃん」

何とも言い難い関係のようだった。

「……で、呼んだ理由は?」

甲斐が適当に座り、言葉を投げる。

「ああ。まずは普通に一家揃わせたかっただけだ」

「一家って」

甲斐だけじゃなく久遠の方が先に苦しい声をあげた。

「えっとこれって和ちゃんと杏奈ちゃん?の関係ってどうなるの?」

「……直接的な血の繋がりはないな」

甲斐が運ばれてきたスペアリブを頬張りながら言う。そしてもっと血の繋がりがない優樹が負けじともつ鍋を注文した。

「この4人って兄妹って言えるの?」

久遠が最首に問う。

「む、難しい質問をしてくるね。廉君と和佐ちゃんはお母さんが一緒で

廉君と杏奈ちゃんはお父さんが一緒で、他は繋がってないよね?」

「死神さん、一気に妹が二人に増えたね」

「……いつかは兄や姉も出てきそうで怖いがな」

食事を続ける二人。他のメンツも席についてそれぞれ注文を始める。

「で、あんたは?」

甲斐がライルを見やる。甲斐よりもいくつか年上に見える。日系に見えるが名前からして外国人だろうか。

「杏奈様の執事をしているライル=ヴァルニッセだ。俺のことは気にしないでいい」

「……そ、そう」

「死神さん、執事まで出来たんだ」

「……飽くまでもそこの子の、だがな」

「いやですわお兄さま。妹なのですから杏奈とお呼びくださいな」

「……流石に事実でもあったばかりの子にそんな真似は出来ない」

チャーハンを食べ終わり、おかわりを要求してから甲斐が問う。

「で、赤羽のことを知っている上和佐に任せられるのだから大倉機関や三船機関と何かしらの関係があるのか?」

「何だ。もうそこまでは聞いているのか」

父が言葉の割にはあまり興味なさそうに言う。

「今度は何機関だ?」

「甲斐機関だ」

「………………はぁ、」

甲斐が今日何回目かも分からぬため息をつく。

「あれ、甲斐機関ってどっかで聞いたことあるような……」

久遠が首を傾げるのを赤羽が見る。

「そっか。何からい君や岩村さんがそんなこと言っていたような気がする」

「ほう、君は馬場家の子か。君の父君がご存命の頃はたまに一緒に騒いだりもしたよ」

「え、お父さんとも知り合いなの!?」

「……」

最首は急に居心地の悪さを感じた。

「まあ単刀直入に言うとだな。甲斐機関はこれまで海外で医療品を扱ってきたメーカーだ。大倉機関は子会社の1つに当たる。そして今回いよいよ日本に進出することになったんだ」

「……大倉機関の親会社。それだけじゃないんじゃないのか?」

「そうだな。クローチェ博士もうちの従業員だった。伏見機関が海外派遣で使う設備もうちのものが多い」

「……三大機関すべての親会社……!?」

「正確に言えば三船と伏見に関してはスポンサーだがな。明日にかけて三つの機関と会談を行う予定だ」

「……三船はもう閉鎖されたぞ」

「それもどうにかなる。まあ、もちろん人体実験などはさせないが。ただな、俺もそろそろ還暦。後継者がほしくなってきてな」

「……………………まさか」

甲斐がいつでも優樹を盾に出来るよう襟首を掴んで引き寄せる。

「そう。来期から甲斐機関の新会長をお前にやってもらいたい。ちょうど高校も卒業する年齢だろう?」

「い、いや、いきなりそんなこと言われて頷けるか!」

「しかもだ。お前にはすばらしいサプライズプレゼントがある。」

「……な、なんだよ。いやな予感しかしないぞ」

「思えばお前に誕生日プレゼントをあげたことはなかったな。18年分のプレゼントだ」

と、父が見せたのは一冊の写真のようなもの。

「…………」

滝のような汗を流しながら甲斐達が写真を見る。そこには甲斐と赤羽の姿が映っていた。

「赤羽美咲さんをお前の嫁にしようと思う」

「「「はぁぁぁぁぁぁあ!?」」」

驚愕のシャウトは数人分。

「な、な、な、そのt」

「そのために赤羽さんを私の元に預けたのですか!?」

「そんなこと私聞いてません!!お兄さまは私のものです!!」

「杏奈さんは黙っていてください!!」

「和佐ちゃんこそこれは私とお兄さまの……」

「待て待て妹たち。いや、本当に待て。な、何でこんな事になってんだ!?まさかこのためだけに赤羽を息子の元に通わせたのか!?ってか知ってたか!?」

甲斐が赤羽を見る。本人も愕然とした表情で甲斐の言葉に反応するにもラグがあった。

「………………え、いや、私も全く……」

「だから言っただろう?サプライズだと。赤羽美咲さんはまだ今度の誕生日でも15歳だから結婚は出来ないがその次の年なら問題ない。新会長就任2年目で盛大に結婚式を挙げよう。ついでに新居も購入予定だ。杏奈やライル、和佐も優樹君も一緒に住めるようにしようと思っている。家族は一緒じゃないとな」

「だ・か・ら!!!待てっての!!いきなりそんなこと言われて肯定できるか!」

「さっきから随分と反対だな。そんなに彼女のこと嫌なのか?」

「彼女が嫌とかそういうんじゃない。そもそも、」

「そもそも廉、彼女いるっすよ?」

わんこそば200杯目を食べ終えた優樹がさらなる爆弾を放り投げた。

「何!?本当か廉!?そんな情報赤羽さんからも大倉さんからも和佐からも聞いていないぞ!?」

「死神さん、彼女いるの!?そんなこと聞いたことないよ誰々!?」

「だぁぁぁぁっ!!!言う必要があるか!!」

優樹の顔面にパンチをめり込ませながら甲斐は叫んだ。完全に興奮した甲斐。期待の目で見上げる久遠。後ろめたさを帯びた表情で目をそらす赤羽、和佐、最首。驚きのままの父、杏奈。

「と、とにかくこの件はこのバカが言ったようにキャンセル!!ノーカン!!ってか現在進行形で家庭ぶっ壊しまくってるあんたが言うな!!」

期待の視線で押し寄せてくる久遠の肩を押さえながら甲斐は父に叫んだ。

「…………むう、これは予想外だ。完全に孫の顔を見るつもりで居たんだが……むう、」

「そんなのはそこの子にでも頼むんだな」

「お兄さま?杏奈は杏奈という名前ですよ?」

「……はあ、どんな種明かしが来るかと思いきやまさかこんな形で最悪な真実が待っているとは。…………いろいろと腑に落ちまくってるのが嫌すぎる。まさかと思うが穂南を見殺しにしていたりしてないだろうな?」

「するわけないじゃないですか」

甲斐の問いは和佐が答えた。

「赤羽さんからの報告で事前に穂南蒼穹さんという方がいらっしゃるのは把握済み。ですが彼女の病状などについては後から知り得たものです。まあ、甲斐機関の技術があれば救えた可能性は十分にあります。ちなみに矢尻さんの彼女さんである陽翼さんを治療したのも甲斐機関の技術なのであしからず」

「……あの病院が甲斐機関……。火咲ちゃんは三船に関係ない病院だって言ってたが……」

「知らないはずですよ。甲斐機関のことは日本ではそこまで有名じゃありませんから。三船は飽くまでもスポンサーとして関係している会社ですからね」

「……そこまで言うからには君も」

「ええ、甲斐機関の人間ですよ。生活費なども会長から出していただいていましたから」

「和佐、お父さんでいいんだぞ?」

「お断りします」

「……君は」

甲斐の視線が赤羽に戻る。

「……………………和佐さんから甲斐機関のことは聞いていましたがそれ以上のことは何も」

「……はぁ、」

席に着き、ため息。

「で、廉。どこの誰だ?お前の彼女というのは。ひょっとしてそこの子か?」

父の視線は最首に。

「い、いえ!違います!き……」

「そこまでだ最首。わざわざ教える必要はない。…………そうだろ?」

甲斐は一瞬だけ和佐を見た。

「……前に小学校くらいに時に会った時はまあまあかわいげがあったのに。父さんはがっかりだ」

「悪いが今の生活にはまあまあ愛着があるんだ。ぶっ壊すような真似はしないでもらおう」

そう言いながら結局甲斐と優樹とで2万円分以上食べてその日は寮に帰るのだった。




「…………なんてこと」

寮。部屋の中で火咲はリッツを抱きしめながら盗聴会話を聞いていた。

「……どうして赤羽美咲に盗聴なんて真似を」

「……あの人が父親と会うって聞いたからよ。それにあの赤羽美咲がついていくって……でもまさかこんな事が」

「……あなたは何に驚いてるの?確かにこの会話は中々裏に足を踏み込んだ情報だったかも知れないけどもう三船から出たあなたにあまり関係はないんじゃ……」

「…………少し整理が必要だわ。想像以上にとんでもないことになっているかも知れない」

火咲は盗聴内容を録音し、それから赤羽が帰ってくるまでの3時間何も喋らなかった。



・父親から衝撃的な事実を聞かされて数日。甲斐はどうにも落ち着かない日が続いていた。

「またとんでもないことになったな」

話を聞いた斎藤が何とも言えない表情。

「……ああ。赤羽も和佐も甲斐機関とか言う組織の一員で、父さんからの指示を受けてあの全国大会の日に赤羽と会わせた。後から聞いたけど赤羽も誕生日が1月14日らしいんだ」

「……親父さんからしたら結婚2年前に初顔合わせしておきたかったって事か。まあ、後からあんな事になったがそれでもなお合わせてきたと」

「そうだ。あの野郎の魔の手が水面下で暗躍しまくってたらしい。……結婚2年前の誕生日に初顔合わせをセッティングしたってことは来年の1月にも何か予定している可能性があるんだよな」

「……節目のタイミングに何でも合わせようとする。親子だな、本当に」

「やめろ」

用を足し、男子トイレから出てくる。

「そう言えばまた火咲ちゃんの行方が分からなくなったらしい」

「ああ、噂になってたな。けどもう三船は心配ないんだろ?ならもうどこの組織に拉致されるんだ?」

「今一番ホットなのはやっぱりうちの組織なんだろうけど、和佐が言うには火咲ちゃんは三船までしか関係がないから甲斐機関の存在は知らない筈なんだよな。それを鑑みれば赤羽が実の姉であることを話しているとも思えない」

「……今まで周囲がやけにきな臭い動きばかりしてると思ったら実は過去から来た身内がすべて暗躍していた結果だなんてノイローゼになるな」

「全くだ。…………それに実はまだ、ノイローゼの原因があってな」

甲斐がため息をついた瞬間。

「お~に~い~さ~ま~!!!!」

しあわせの4文字をこれでもかと言うほど音に乗せて走ってきたのは杏奈だった。

「は~ぐっ!!」

「しません」

「きゃぅ!」

あんなのダイビングハグを甲斐は回避。頭から床にたたきつけられそうになるもその瞬間どこかからやってきたライルがキャッチする。

「お怪我は?」

「ありがとう、ライル。で、何で避けるんですかお兄さま!」

「何であと一週間で一学期が終わるって段階でどんな権力使って転校してきたんだ君は」

「だってだってお父様がひどいんですよ。お兄さまはずっと前から私のものだったのに」

「君のものじゃない。それに、」

「それに何その人の妹というアイデンティティを背負いながら奇行をしまくってるんですかあなたは!」

超スピードで和佐が飛来して杏奈にコブラツイスト。

「だって和佐ちゃんだってひどいじゃない。この春からお兄さまと同じ高校に通ってただなんて。中学の時と志望校違うじゃん!」

「大人の事情です」

「同い年だもん!」

「…………はぁ、」

ため息で斎藤の隣に並ぶ。

「教室戻ろう」

「あれが噂の次女ちゃんか。甲斐機関の二人目のご令嬢。そして執事」

「……次女だけならともかく執事がどうして学校に来てるのか。……あと、あの執事どこかで身覚えないか?」

「ん?……確かにどっかで見たような気がするな」

二人がライルをちら見したらにらみ返された。

「俺はともかく一応お前は主人なんじゃないのか?」

「次女専用執事だそうだ。ほっとんど口なんて利いてくれないぞ」

教室にやってくる。流石にそこまでは妹たちは追ってこなかった。

「甲斐君また妹さん増えたんだ」

逢坂が教科書を引き出しに入れながら苦笑する。

「……これからどうするんだ?」

「……とりあえず来月の西武に向けて稽古を……あ~、でもまだ実力不足なんだよな。矢尻ならまだ西武でも通用しそうだが……はぁ、」

「こりゃ甲斐のリフレッシュが必要だな」

「リフレッシュって何するんだよ」

「まあ今日の放課後を楽しみにしてけって」

斎藤の発言。そして放課後。甲斐は久々に大倉道場へとやってきた。

「……久しぶりだな」

実際今年最初の方に大会に向けての調整で一度来たきりだった。今までの道場と言うか赤羽&和佐家も馴染んだがやはり昔からずっと通ってきたこの道場も、リラックスできる。今回は赤羽もいないため指導員ではなくただの空手門下生として胴着を着られるのがまたよかった。

「やっぱお前はここでその格好が似合ってるぜ」

「斎藤」

斎藤もまた胴着姿で道場にやってきていた。

「俺も久々だな」

「けどいいのか?現役じゃないのに道場に来ても」

「雷龍寺先輩から許可は取ってるぜ。里桜が入院中だしな。俺達で稽古を代わりにやる条件でな」

「……まあ、久しぶりに俺達二人でやるか」

「ああ!」

それから中学時代のように甲斐と斎藤が指導員として小学生達の稽古を見ながら夕暮れを過ごす。そして午後7時過ぎ。

「じゃあ、楽しむとするか」

「そうだな」

生徒達が帰った後二人きりでスパーリングを行うことにした。



「……って感じの時間を過ごしてるみたいだね」

和佐家道場。甲斐の代わりに最首が稽古を受け持つ。

「男同士で良さそうだね。そのかわりこっちは女の子だけだけど」

最首、赤羽、久遠が仲良く稽古をしていた。

「でも赤羽ちゃんも久遠ちゃんも西武はどうするの?」

「はるちゃんから見ても久遠ちゃん達ってまだ西武に通用しなさそうなの?」

久遠からの質問に最首は少し考える。

「運が良ければ一回か二回は勝てるかもってところかな。でもたぶん廉君は西武参加者の平均以上にはしたいんだと思う。村上君がその平均ってわけではないと思うけどでもあの村上君に勝てれば平均は間違いなく超えてるわけだし」

「ちなみにはるちゃんなら勝てる?」

「うん。勝てるよ」

最首は断言した。彼女らしくない断言に赤羽が目を点にする。

「すごい自信ですね」

「まあ、実際そこまで実力差はないと思うけど私は西武を勝ち抜いた身だから、実際に西武を勝ち抜いていない村上君に負けるわけには行かないんだよね」

「おおお、」

感心する赤羽と久遠。すると、

「流石ですね、最首さん」

2階から和佐が降りてきた。

「和佐ちゃん。本当にここに住んでたんだ」

「はい。この前あの人が言ったことは事実ですから」

和佐が縁側に座る。

「和ちゃんは空手やってないの?」

「やってますよ。甲斐機関は空手……と言うか総合格闘技道場も兼任してるんです。中学時代はまだ医療品メーカとしては上陸してませんでしたけど道場だけはやっていたので」

「……総合格闘技……、空手だけに限定してないから聞いたことないんだ」

「達真君よりかは強いんでしょ?じゃあ村上さんは?」

「どうでしょうね、実際にやってみないと何とも」

「和ちゃんとはるちゃんって知り合いなんだよね?」

「はい、そうですよ」

「私と廉君は小学校時代からの知り合いだからね。和佐ちゃんも小学生の頃に妹として知り合ったから」

「年上だとは思いませんでしたけど」

「もう、それどういう意味?」

実際最首は高2だが中学生程度にしか見えず和佐はおろか赤羽よりも年下に見える。流石にまだ久遠よりかは年上に見えるが来年くらいになったらまだ分からない。この中では一番強いであろう最首だがそこだけが悩みの種だった。

「で、昨日のあの話で死神さん悩んでるんだよね?」

シャワー上がり。全員下着姿で牛乳やらポカリやらを飲んでいる。

ちなみにシャワーに入ったのは最首&久遠ペアと赤羽&和佐ペアだ。

「和ちゃん、汗かいてないよね?」

「いいじゃないですか。女の子同士で楽しむならシャワーが一番ですよ」

「……ここで暮らしていた頃でも一緒に入った事なんてほとんどないじゃないですか」

赤羽が反論。

「本当に美咲ちゃんと一緒に暮らしてたんだね」

「久遠ちゃんもどうですか?お家のことは聞いていますよ」

「ちょっと和佐さん……!」

「いいじゃないですか、赤羽さん。女の子3人で暮らせたらたぶん楽しいですよ」

「でも、美咲ちゃんも和ちゃんも寮にいるじゃん」

「土日とかお泊まりに来たらどうです?」

「あ、それいいかも」

「ま、まあ、それくらいでしたらいいかもしれませんが」

「……で、和佐ちゃん。和佐ちゃんがまたこの街にやってきたのってお父さんに言われてなんだよね?」

「お父さんって言うと語弊がありますね。私にとっては会長です。小学校中学校とあの人の支援を受けて暮らしていましたから」

「……その時ってもう赤羽ちゃんとは知り合いだったの?」

最首からの質問を受けて和佐と赤羽が顔を見合わせた。

「そうですね。存在は聞かされていたってところですかね。三船機関で特別な遺伝子を持った少女の研究をしていると。直接会ったのは赤羽さんが全身義体になった頃なので2年くらい前ですかね」

「……あれから2年後くらいかな」

「…………そうですね」

最首と和佐が表情を暗くする。

「えっと、何の話?」

疑問の久遠。最首は説明しようとしてしかし取りやめて、

「久遠さん。うちの兄が昔起こした大失敗のことは知っていますか?」

和佐が説明を開始した。

「えっと、正直そう君ぶっ殺したってイメージしかないんだけど」

「久遠。早龍寺さんは生きていますよ」

「言葉の綾だよ美咲ちゃん」

「……うちの兄は今から4年前にあの学生寮の近くにある無人発電所で大火災を起こしてるんです」

「あ~、何かどこかで聞いたことあるかも。でもそれって確か妹さんが、つまり和ちゃんがいたずらした結果起きちゃった事故なんじゃなかったっけ?」

「ええ、そうですね。そこに関しては何も言い訳するつもりがありません。あの夜の後にお友達をなくしていると言うのも聞いています」

「そうなの?」

久遠が最首を見上げる。

「…………うん、まあね。生きてはいるけどひどい火傷をしたって聞いたよ。そのまま転校して以降全く関係が戻っていないみたいだけど」

「何をどうしたら火事が起きちゃったの?ライターでも持ってた?」

「…………いえ、信じてもらえないかもしれませんが暗闇の中、脅かす準備をして待っていたら誰かに背中を押されて制御パネルを間違って押してしまったんです。それで過剰電圧によって火災が起きてしまった……」

「誰かって……。他に誰か居たの?」

「いえ、居なかったはずです」

「聞いた話だけど、あそこにいたのは和佐ちゃん入れて5人の筈だよ。それで和佐ちゃん以外の4人は脅かされる側だったから、居ないはずだよ」

最首も補足する。

「う~ん、死神さんとお友達3人が肝試しだっけ?和ちゃんには死神さん以外気づいてなかったんだよね?」

「そうですね。しかも私以外の4人は最後までずっと一緒にいたのであの場所で私の背中を押せるのは見ず知らずの第三者って事になります」

「…………幽霊とか?」

久遠の発言に赤羽が冷や汗をかく。

「ひ、非現実的です。でも、実際その事故って警察的にはどういう扱いになったんですか?」

「その場にいたのが中学生4人と小学生一人でしたし、故意でやったわけでもないと説明したのでただの事故として扱われました。犠牲者も出ていないわけですし」

和佐の発言に最首が少し表情を変える。

「和佐ちゃん、流石に一応当事者でその発言はないと思うよ?あの一件で廉君がどれだけ傷ついたか知ってる?」

「知っていますよ。私としても悪気がないからって罪悪感もないわけではありませんからね」

「……そこです」

突然赤羽が手を挙げた。

「あの人なら和佐さんが悪気があって事故を起こしたわけではないと分かるはずです。たとえご友人を失うことになっても絶縁したりあそこまで憎悪したりは行かないと思うんです。……他に何かあったんじゃないですか?」

「…………赤羽さん、その話はもう何度もしたじゃないですか。あの夜、兄とはひどく喧嘩をしてしまって……」

「……あの人とはまだそんなに長い間一緒ではないので全部を全部知っているとは言いませんけど、でも、友人を失う原因を作ったとは言え妹であり女性であるあなたに見た瞬間全力で殴り飛ばすような憎しみを示すような人ではないと思うんです」

「…………」

和佐は何も言わない。

「そこは私も気になるな。ただ1つの失敗だけであなた達兄妹がそこまで関係悪くするなんてちょっと考えられない。……あの日、私は熱があってずっと部屋に閉じこもってたから何があったのか分からない。もしかしたら蒼穹先輩なら何か知っていたかもしれないけど」

「…………ノーコメントです」

しかし和佐は何も答えない。

「……う~ん、和ちゃんいじめてるみたいであまりこれ以上聞きたくないかな。聞きたい内容ではあるけど」

久遠の判断。最首、赤羽は顔を見合わせてからため息をつく。

「分かった。でも、いつか話せるようになったら言ってね」

最首の発言でその場はお開きになった。


夜。寮に戻ってきた赤羽達と甲斐達が食堂で合流した。

「……どうしたんですか?やけにボロボロですけど」

赤羽達がいつも通りなのに対して甲斐と斎藤は全身ボロボロだった。と言うか甲斐に至っては松葉杖をついていた。

「……ちょっと全力でやりすぎた」

「……そ、その相手が出来た俺もまだまだ捨てたもんじゃないな……」

斎藤はもっとボロボロだった。

「……お二人でスパーリングでもしてたんですか?」

「ああ、気が済むまでな。久々に思う存分体を動かしたから疲れたがまあまあ満足だ」

「お、俺の方は明日は動けないかもな」

二人が席について猛烈に食事を始めた。

「…………そうだ、久々に道場行って思い出したが」

「はい?」

ゆっくりと食事しながら赤羽が甲斐の方に顔を向けた。

「今年の夏も合宿があるみたいだ。出てみるか?」

「……合宿ですか」

修学旅行の類にも出たことがない赤羽はあまりイメージが出来ない。

「一泊二日で二日間の合計稽古時間は3、4時間くらいだからいつもやってるものと大して変わらないよ。でもいろんな年齢の人が来るからいい経験にはなると思うよ。100人組み手もあるし」

最首が追加。

「二日目には川でハイキングもある。魚の掴み取りとか外での稽古とかがある。いつもとが違う雰囲気で稽古が楽しめる。あとは、普段道場でしか会わない連中と一泊二日とは言え一緒に過ごせる新鮮さがあるな」

「そんなに多くはないけど伏見や三船の門下生も来ることがあるんだよ」

「……三船もですか?聞いたことない……」

「まあ、たぶん後ろ暗くない表向きのメンバーだけが参加してるんだな。実際今まで合宿で会った連中はいずれもまともに空手だけやってる雰囲気だったしな」

「……私も行って平気なんですか?」

「問題ないだろう。そうだな、矢尻も連れて行くか」

「でも廉君の方は平気なの?非整地が多いけど」

「そうだな。山道とか川とかは厳しいかもしれないな。とは言え連れて行くだけ連れて行って張本人がサボりも意味が分からないだろう。……それに、合宿には大倉会長も来る。滅多に話す機会もないから少し話がしたいものだな」

去年まで合宿でここまで息が詰まるなど予想もしていなかった。いつも通りの日々に少し変化を加えながらアウトドアを楽しむ程度のイベントだった。右足を壊したこともそうだが、間接的に自分の父親のせいで今年1年は凄まじい変化が起きている。それに多少申し訳なさを感じないでもないが何より放っておいてほしいと言うのが本音だ。

が、腐っても親子なのだから予想は出来る。あの父親がこれで終わりな筈がない。最悪今度の合宿でも何か仕掛けてくるかもしれない。

「誰か呼んだか?」

そこへ達真がやってきた。どうやら風呂上がりらしい。

「よう、矢尻。今度合宿行くぞ」

「合宿ですか?ひょっとして大倉の?」

「ああ。バカ弟子から聞いたのか?」

「それと龍雲寺ですね。最近よく一緒にいるんで」

「ああ、3人同い年だったな。龍雲寺も馬場家の問題が解決しそうらしいし、今度の合宿は馬場家も揃い踏みになりそうだな」

「俺、次男のことはよく知らないっすけどね」

達真の発言に視線が甲斐に集まる。

「……まあ、早龍寺は来れないだろうから除外だな。逆に久遠ははじめての合宿だろう。龍雲寺も2、3年ぶりくらいになるか」

「まだ龍雲寺君は来るか分からないけどね」

達真が牛乳を片手に席に着く。

「赤羽は行くのか?」

「はい。甲斐さんに誘われて……。興味もありますし」

「……ちなみに費用は?」

「ああ、それは、」

甲斐がずっと無言もままだった和佐に視線を向ける。

「融通しろ」

「……ひどい言いぐさですね。どんな兄妹の会話ですか」

「せめてそれくらい役に立て。どうせまた合宿で何かたくらんでるんだろう」

「……そこは企業秘密です」

「……と言う感じだ。矢尻も赤羽も費用は気にしなくていいぞ」

「……鬼畜だな」

「和佐さんに請求するってことはつまり私も機関に請求しないといけないのであまり関係はないと思いますが」

「……ってことは俺だけ自費か」

「い、一応掛け合ってみます」

「……」

「廉君。和佐ちゃんへの嫌がらせのつもりが一人だけ悪者になっちゃったね」

「……何の事かな?」

冷や汗かきながら醤油ラーメンとカツ丼をむさぼる。

「そんなのメニューにありませんよ」

赤羽のツッコミ。

「まあともあれ西武前に普段会うことのないいろいろな奴らと会ってスパーリングが出来るのは大きいだろう。特に大きいのは普段は指導員として稽古を教える立場の人間と組み手が出来ることだな。赤羽の場合は俺や最首が実戦に近い形で毎回教えているから実感沸かないかもしれないが、普通の門下生からしたらわくわくと萎縮とが合わさった特別な機会になるんだ」

「さっき言っていた100人組み手と言うものですか?」

「ああ。参加者が100人とは限らないから他の参加者全員と組み手が出来る訳じゃないが基本的に合宿参加者は全員参加する。組み手一回は大体30秒くらいしかないがきっちり100回行うから50分くらいはずっと動きっぱなしになるわけだな。相手もスパーリングだからまあ、多少手加減はするだろうが本気で倒しに来るわけではないから安心はしていい」

「あ、でもどこかの誰かさんはその30秒で相手をボコボコにしてくるから注意してね。拳の死神って呼ばれている人なんだけど」

「……何となくそんな気はしてました」

「まあ、女の子相手には優しいと思うから赤羽ちゃんは気にしなくて良いよ。矢尻君は死んじゃわないように気をつけてね」

「……3月に自分を圧倒した女子が居ましてね?まだまだ自分の未熟を恨んでいたんですよ。そしたら突然部室の障子をぶち破って目の前にいた女子を正拳突き一発で中庭までぶっ飛ばした先輩が居ましてね。奇遇ですけど、その人も確か拳の死神って呼ばれてる人でした」

「……矢尻、合宿に行く前にどこがいいかか決めておくと良いぞ」

甲斐から達真のスマホに何かのURLが送られてきた。開くと近所のメモリアルパークの検索結果が表示された。

「…………」

風呂上がりなのに悪寒を感じる達真だった。

「……火咲ちゃんも連れて行きたかったんだがな」

「さっき少し部屋を見ましたがまだ帰ってきていないようでした。黒も姿を見ないので一緒に行動して居るものと思われます」

「……三船という奴らじゃないんですよね?」

達真が冷や汗かいたまま甲斐を見つめる。

「ああ。その可能性は低いだろう。赤羽やあのクローンの子ならともかく火咲ちゃんが三船に拉致される理由が見あたらない。何より三船は既に閉鎖されていて活動はほとんど何も出来ないはずだ」

「……そうですか」

言いながら甲斐は黙っていた情報もある。昨日寮に帰ってきてから上着に発信器のようなものが付けられているのに気付いた。いつ付けられたのかは分からないが父に付けられたものだと思う。しかしもしも火咲に付けられたものだとしたら……。そして何か昨日の会話で彼女がここを離れる理由が生まれたとしたら。

(しかし、何が火咲ちゃんに関係していた?あの子に関係するものと言えば精々三船の上位組織である甲斐機関の存在だけだ。それがあの子の何を急がせた?)

「……どうしたんですか?」

「いや、何でもない。火咲ちゃんのことはひとまずおいておこう。警察に言っても良いか分からないが寮長には不在のことだけは伝えておこう。そこから警察に行くかもしれないが……ん、」

「どうしました?」

「……いや、あの子、生活費とか学費とかどこから出してるんだ?三船か?」

「いえ、あの人は三船から脱走した人なのでその線はないかと」

「……あの子も両親は居ないはずだから…………いや、けど可能性が一人いたな」



・甲斐機関。病院。

「で、俺のところに来たのか」

剛人の病室。そこに甲斐は来た。

「ああ。正直まだあんたのことは怖い。けど気になったんでな」

「……ふん、急に妹が二人になった事で親近感でも出てきたか?」

「……あんた、その話をどこで……」

「三船の情報網はまだ生きている。むしろ所長が捕まったことでパイプが増えたと言うべきか。今日は三大機関と打ち合わせをしているようだしな」

「……」

「まあ、上がどうなろうと知った事じゃない。俺としてはまた妹と暮らせればいい。……2、3人増えてしまっては居るがな」

「そのうちの一人に用があるんだ。火咲ちゃんどこにいるか知らないか?」

「さあな。どこにいるかは知らない。ただ、今月分は家賃を支払わなくていいって言ってたな。代わりに少し金をよこせって」

「……やっぱり火咲ちゃんの生活費を払っていたのはあんたか」

「所長が結構懐広い人でな。必要だと言えば目的を話さずともいくらでも資金を出してくれた。そもそも火咲が脱走するのを手伝ったのは俺だ。元々は大倉に回収された美咲を探すためだったがそれが方便で三船から脱出したかっただけなのは俺も気付いていた。それでもよかった。あいつも簡単に大倉に捕まるほどバカじゃない」

「……彼女の行きそうな場所は?」

「さあな。三船でないことは確かだ。それに今朝ここに来たぜ」

「…………今朝か」

やはり彼女が昨日の話を聞いていた可能性が高い。だがそれでも理由は不明瞭だ。

「聞きたいが、甲斐機関の存在を火咲ちゃんが知ったとして何か不利になるようなことはないか?」

「何?…………火咲に盗聴でもされてたのか?ともかく、何も関係はないと思うが?」

「……そうか」

「なるほど、お前の話を聞かれてそれの何かが理由で火咲がお前の元を離れた……そう考えているわけか。それは少し突飛だな」

「……だとしたらどうして……」

「いくら三船が崩壊したとは言え単純にまた一人になりたかったんじゃないのか?お前達に見つかって周りに人間が増えて、それが鬱陶しかったんじゃないのか?……それか、あの陽翼って子が関係しているのかもな」

「陽翼ちゃんが?……いや待て。火咲ちゃん妙に矢尻と仲良かったしそう言う可能性もあるのか……?」

「矢尻達真か。穂南蒼穹と言い矢尻陽翼と言い、不律儀な男に引っかかってしまったようだな」

「……その可能性はなくはないだろうがタイミングがおかしい。どうして昨日の今日で姿を消すんだ?矢尻を忘れたいって言うならもっと早く姿を消せばよかったはずだ。……なぜ今日に……」

「死神。火咲には100万くらい使えるカードを渡した。黒も一緒だが基本あいつは両手が使えない。いくらか握力は回復したかもしれないがそれでもあいつには自由がない」

「だから自由にしてやれって?」

「ああ。俺に対して別に何も言って来ていないからまだ俺と縁を切るつもりはないだろう。たった100万ならそんなに長い間離れることもない。お前は少し構い過ぎじゃないのか?他人の妹に」

「…………悪い。俺が関係してるんじゃないかって……」

「……何でもかんでも誰かが変化する理由を自分に探すのは傲慢な話だぜ。神様じゃあるまいし」

「……そんなもの、宛にしたことはないさ。じゃあな、怪我治っても脱走するなよ。赤羽美咲の方にはいつでも会わせてやるから」

「……ふん、」

甲斐は退室した。

「……ここ、矢尻が入院していたところだよな。ってことは火咲ちゃんもこの病院は以前から知っていたことになる。けど、ここの病院は甲斐機関のもので……火咲ちゃんはここに何か隠していたのか?三船はもちろん他の機関にも知られたくない何かを」

甲斐は廊下を歩く。ここには陽翼も入院している。さすがにほとんど面識がないし、夜も遅いから顔を出すわけには行かない。

「……けど明日じゃ遅すぎる気がする」

夜の病院の廊下を歩いていると関係者以外立ち入り禁止の看板を見つけた。

「……」

甲斐は周囲を見渡してその先へ進んだ。照明もついていない真っ暗闇の廊下を進む自分の足音だけが聞こえる時間。

やがてわずかな照明が見えてきた。何かの部屋だろう。物音もするため誰か居るのだろう。

「……」

ドアに向かって手を伸ばす。直後、

「させない!」

「!」

その手がたたき落とされた。

「火咲ちゃん!?」

流血した腕を庇いながら後ずさると、正面に火咲の姿が見えた。

「いきなり何をする……!?」

「ここは関係者以外立ち入り禁止よ。それにここから先あんたは絶対に通すわけには行かないわ、変態師匠」

「……無理に聞き出したりはしないつもりだった。だが、何か企んでいるなら悪いが力ずくで聞き出させてもらう」

流血した右腕と共に左腕も構える。対して火咲は空手ではない、ムエタイの構えを取った。

日本刀や槍、弓矢などの日本の武器に対してたとえ船上であっても安定して戦うために作られた空手に対して古代のタイにて武器を使わずともその手足だけで相手を仕留めるために作られたムエタイ。かみ合いそうでかみ合わない異色の組み合わせ。

「……悪いけどまだあなたには知られるわけには行かないのよ!」

床が爆発した。そう思わせるほどの踏み込みで火咲は彼我の距離を縮めた。距離も速度も足りないが理屈としては縮地に近い。この爆発的踏み込みをダイレクトにパワーに利用する飛び膝蹴りがムエタイの最大の武器と言っていいだろう。

「初見ならまだしも!」

甲斐は左手でそれを受け流す。同時に右手で攻撃しようとするが流血による痛みから数テンポ遅れる。

「儲けもの!」

火咲は制空圏でそれをギリギリで受け止めると甲斐の右膝に向けて自身の膝をたたきつける。

「ぐっ!?」

「…………っ!!!」

膝と膝の激突。この界隈ではよく自爆と表現される事故。最悪互いの両膝が破壊されるため最大限注意される行為だ。しかし火咲は今自らの意志で自爆した。しかも半年前に早龍寺との戦いで負傷した部分を正確に。

「くっ……ううう!」

無意識にトラウマになっていたのか甲斐が痛み以上に興奮し、後ずさる。

「……武闘家としては最低だけれどもあなたを止めるにはこれしかない……」

「……これも三船の情報網か……?この足の正確な怪我まで把握して攻撃できるなんて……」

「……三船は関係ない。これは、私だけの問題よ……」

火咲も左膝が妙な方向に曲がっている。ダメージだけで言えば火咲の方が上かもしれない。

「……ここは、病院だぜ?」

「え?」

甲斐は手すりに捕まって立ち上がる。

「……そんなの、」

火咲もまた手すりに捕まって立ち上がるが、

「…………くっ、」

「その足では彼我の距離を詰めるのは不可能。よしんば詰められても膝蹴りは繰り出せないだろう」

「……ムエタイは膝だけじゃない!」

手すりに捕まりながら少しずつ距離を詰めて甲斐に向かって肘を放つ。

が、

「遅い!」

甲斐の手刀が火咲のこめかみを穿つ。

「っ!!」

「手刀横顔面打ち!!」

その打撃が火咲の体を床にたたきつける。

「……そんな、パンチですらない手刀で……くっ、まだこんなに差が……」

「諦めろ火咲ちゃん。山羊座は好奇心が強いのさ」

「……そんなことは知っているわ。けど、だからこそ……」

「だからこそチェックメイトなのです」

新たな声。見れば和佐と赤羽がいた。

「どうしてここに……」

「尾行したに決まってるじゃないですか。ついでに時間外に赤羽剛人への見舞い客が現れたとも連絡が入りましたからね。それはあなただけでなく、今朝の最上火咲さんについても」

「…………くっ!」

火咲はまだ揺れる視界のまま立ち上がった。

「……その足ではもう悪足掻きも出来ませんよ。何をしたかったのかは分かりませんがもう諦めてください」

和佐が静かに構える。一方、赤羽は電気のついた部屋のドアを開ける。

「…………!!!」

「赤羽さん?どうしたんですか?」

和佐もまた開かれたドアの先を見た。

「……最上さん、あなたどうしてこれを……」

「……くっ!」

火咲が無理矢理床を蹴って距離を詰める。しかし、全く速度が出ていなかったため和佐に片手で止められる。

「……どうしてあなたがこれを知っているのですか……!?」

ねじ伏せ、右腕の関節を完全に決める。肘も肩も10秒と待たずに折れるだろう。しかし、

「はいそこまで!」

甲斐が一瞬で和佐を殴り倒す。

「ぐっ!!」

「……さて、」

床にうずくまる和佐を見てから甲斐が動けずにいる赤羽の方へ向かう。

「いったい何が隠され……て……」

開かれたドア。そこは病室。一人の少女がベッドの上で眠っていた。

「……………………キーちゃん?」



・夜が明けた。

「……さて、そろそろ話してもらおうか」

自室。指をバキバキ鳴らす甲斐。正面には顔も首から下も血痣だらけで倒れる和佐。

「あの火事のせいで一酸化炭素中毒になりアメリカの病院に入院中のあの子がどうして日本の、甲斐機関の病院にいるんだ?あぁん!?」

「………………答えられません」

「ホァタァァッ!!!」

勢いよく和佐の頬をたたき、妹の体が宙を舞い、部屋のドアを突き破る。

「あ、」

ドアの向こうには赤羽と最首がいた。

「……何だいたのか」

二人を見て呼吸を整える甲斐。

「……廉君、少しやりすぎだよ。流石にこれ以上和ちゃん殴るなら私が相手になるよ?」

「…………まあいい」

血塗られた手をシャツで拭う。

「…………でも和ちゃん、私も同意見だよ。いったい何がどうなっているの?赤羽ちゃんからもほとんど話が聞けなかったし」

「…………それは、」

「赤羽、君はどうなんだ?」

甲斐の視線が赤羽を刺す。それに怯みながらも赤羽は答えた。

「…………いえ、全く知りません」

「そうか。まあいい。そろそろ朝か。悪いけど今日は休ませてもらう」

「え、皆勤賞狙ってなかった?」

「……流石に入院して修学旅行不参加だしもう無理だろう。……そいつのことは任せた。好きにしてくれて構わない」

ぶっきらぼうに、しかしなるだけ冷静なそぶりで甲斐はベッドに潜った。

「……流石に和ちゃんもその顔じゃ学校いけないよね」

「……すみません。でも機関に行けば治ると思いますので」

「……甲斐機関って医療品メーカーだったっけ?それでもそんなすぐ治るものなの?」

「……あの火事の時、私もあの人も火傷を負いました。それでも甲斐機関の力で人工皮膚などを使うことで元通りの外見に戻れました。今では肉体のほとんどを人工物で補うことも可能なんです。赤羽さんのように」

「…………」

赤羽は答えない。最首は二人の顔を交互に見るだけだ。やがて和佐は重い体を引きずってどこかへ去っていった。赤羽も無言のままそんな彼女の背中を追いかけた。



「……はあ、」

一人きりの登校中。最首は大きなため息をついた。

「よう、最首。珍しいな、一人か」

斎藤と途中で合流。

「いろいろあってね……」

「また甲斐が何かやらかしたのか?昨日の今日でそんなに時間なかったろうに相変わらず巻き込まれ体質だな」

「……斎藤君も相当だと思うけどね」

学校に行くまでのわずかな間に設置されたベンチ。そこら中に湿布や包帯を巻いた状態で黄昏ている姿は変に味がある。

「……キーちゃんが日本にいたの」

「……え、もう目が覚めたのか!?」

「ううん。私も直接見たわけじゃないんだけど昨日、廉君が和ちゃん達の病院で目撃したんだって」

「……どういうことだ?あれ、でも甲斐機関って元々アメリカの企業だよな?で、キーちゃんも確かアメリカの大きな病院に入院してたから何かしらの関係があったってことか。…………あ~、で、甲斐の奴が和佐ちゃんに詰め寄ったわけか」

「そうなの。一晩中すごい音ばかりしてて……。もう収まって和ちゃんは病院にいったんだけどね。あ、廉君は今日休みだって。これから寝るそうだし」

「あいつ、妹や嫁の話になると途端にバーサーカーになるからな。けど、日本にいてしかも結構大きな医療機関にお世話になってるならキーちゃんも安心なんじゃないの?」

「だといいんだけど、和ちゃんもそれに赤羽ちゃんも何も言ってくれないから」

「赤羽も何か関係してるのか?」

「同じ組織の一員だし、何か黙ってるような感じだった。でも赤羽ちゃんはあの火事のこと詳しく知らないみたいだったし。……はあ、私もよく分からないよ」

最首がまたため息。斎藤も小さく息を吐いてから立ち上がる。

「せっかく昨日少しはリフレッシュしたんだがこれじゃリバウンドかな」

「廉君のこと任せていい?私は和ちゃんや赤羽ちゃん当たってみるよ」

「ああ。俺も今日は休むわ。今日体育あるしこの体じゃ厳しいしな」

「そう……。何かあの頃のこと思い出しちゃうな。熱が上がってやっと学校通えるようになったのに廉君も和ちゃんもあの二人もいない……」

ため息。心なしか顔色もあまりよくないように見える。

「最首、大丈夫か?お前も少し休んだ方が……」

「……大丈夫。何もしないよりかは体動かした方が良いもの……」

そう言って最首は軽く手を振って学校へと向かった。

「……因果なものだな。この学校は孤児が多い。死別以外で別れた奴もいるだろうが再会できるのはかなり珍しい。……なのに、いやだからこそか。家族が再会したせいで今までの日常が狂ってしまう。……贅沢な悩みなのかな」

斎藤は頭を振るい、立ち上がり学生寮へと戻っていった。



思い出すのはいつだって炎の夜だ。軽い気持ちで足を踏み入れた無人発電所。いつも通りの仲のいいメンツだけで進んだ暗闇のワクワク。わずかとも言えない恐怖をごまかすための他愛ないおしゃべり。いつまでも続くと思ってた日常は突然の炎によって葬られてしまった。

見知った顔から延びた炎は一瞬で暗闇もワクワクも塗りつぶした。

「熱っ!!うああああああ!!」

「こ……か……じぃぃぃぁぁぁ!!!」

「お前達!!」

すぐ隣で燃える友人達。苦しみもがいている内にその手足が黒く消えていく。

「廉君!!廉君!!」

手を伸ばす。それは黒く消えていった友人達を助けるためではなかった。暗闇の中悲鳴を上げる少女達を守るために。

「くっそぉぉぉぉぉ!!」

そのまま両手で拾える命だけを連れて走り出した。炎が照らす先ではなく静かに残ったままの暗闇へと。ただひたすらに暗闇の中へと走っていく。

「待って!!廉君!二人がまだ……!」

「駄目だよ!僕達まで……!!」

「……僕が行く!」

「キーちゃん!?」

手を払い、少女は赤く燃える光へと走り出した。

「待って!!きーちゃ……」

「廉君!!」

「和佐!離せ!!キーちゃんが!!」

「でも廉君が……!!」

「……くっ!!」

甲斐はその手を払い、燃えさかる光を手で遮りながら突き進む。その後のことはよく覚えていない。ただ、気付いた時にはレスキュー隊員が来ていた。手足を失った友人達が救急車で運ばれていき、そしてその腕の中で黒ずんだ物体が息を潜めていた……。

「……どうしてこんなことになったんだ」

帰宅してから一人きりの部屋でうずくまる。わずかな光さえも断絶した真っ暗な部屋で。

「……」

少しドアが開いた。気配と匂いで分かる。和佐だ。

「……私はここにいるよ」

「……」

顔を上げる。骨折したみたいに左腕を包帯で支えていた。炭になったわけではないだろうが大きな火傷を負ったことは間違いない。

「……私ならここにいる」

寄り添うように少女は兄へと足を進め体を預けた。

「ここから二人で始めようね……?」



朝が来た。

携帯電話にいくつかのメールが届いていた。

「…………最低だ」

カーテンを開ける。窓に映った曇り空にはその評価が正しい男の顔。一人だけ大した怪我もなく生き残ってしまっただけでない。一番苦しくないくせに苦しみを晴らすことを求めてしまった。望んでしまった。傷つけてしまった。

「…………」

濁った朝の日差しからベッドに横たわり眠る和佐の裸体を見て初めて火傷の多さに気付いた。火傷だけじゃない。自分で傷つけた打撃跡、血痕。ただ助けようとして助けられなくて自分だけ助かって恐怖を忘れるために見捨てた誰かをまた傷つけて……。

「大丈夫。またいくらでも受け止めてあげるよ……」

「っ!!」

優しい闇が慈愛の声を上げる。光を寄せ付けない闇の毛布が、シルエットが自分に優しいだけの声をかけてくる。

「廉君」

「廉君」

「廉君」

「廉君」

ただ自分の名前を優しく呼んでくれる無数の声。消えない声。ずっと求め続けていたい声。消えない声。消えない声。消えてくれない声。

「廉君」

「廉君」

「廉君」

「廉君」

耳を、頭を、全身を優しく抱き留めてくれるような声。消えない声。消えない声。暗闇以外がすべて燃えさかる光になっても消えない声。優しいだけの声。すべてを受け止めてくれるだけの声。消えない、消えない消えない消えない消えない消えない……



「しっかりなさい、甲斐廉」

「!!」

目を開ける。見慣れた天井。久々に聞いた誰かの声。

「……穂南……?」

もう1つのベッドを見る。そこにいるべき少女は二人ともいない。

「……何だったんだ」

起きあがる。ペットボトルの少ない水を一気に飲み干してから時計をみた。

「……昼過ぎか。思ったよりは寝てたな」

スマホを見る。いくつかメッセージが届いていた。

「斎藤、最首、……火咲ちゃんから?」

そう言えばいつの間にか姿を消していた。自爆した膝ではそう遠くはいけないはずだが。

「……」

思い出すと自らの膝も痛んだように感じる。しかし歩いている内に慣れていく。

「……やっぱりここか」

誰もいない学生寮。女子寮へと進んだ先は赤羽と火咲の部屋だ。ドアを開けると、

「……」

上半身裸の火咲が立っていた。

「…………あー、その、なんだ」

「……………………はぁ、やっぱこうなる」

火咲がため息をつくと同時にベッドからリッツが跳び蹴りを放ってきた。

「いや、悪い。すぐ出てくから」

その跳び蹴りを片手で受け止めてから甲斐は部屋を出ていった。やがて5分ほどしてからドアが再び開く。

「相変わらずあなたは変態師匠なんだから」

私服姿の火咲だった。

「……戻ってきたんだな」

「あなたに見られちゃったしね。あなただけじゃない。あの二人にも。だとしたらもうコソコソしてたって無意味だし」

リッツが煎れた紅茶にストローをさして飲む火咲。

「……どうして君があの子のことを知っている?」

「……私にだって交友関係くらいあるわ」

「……事前にあのこと知り合いだったっていうのか……?ならどうしてあの病院にあの子が居ると」

「逆よ。私があの人をあの病院に運んだの。今の甲斐機関は胡散臭いから三船の方がまだ信用できる」

「……」

ため息をつき、床にそのまま座る甲斐。少し足にはきついが考えを乱すほどではない。

「…………じゃあ何か、君は以前からあの子と友達で、甲斐機関が信じられないから三船の息が掛かったあの病院に運んだってことか?」

「ええ、概ねその通りよ」

紅茶を飲み干すとリッツがティッシュで火咲の口元を拭う。

「ずっと三船にいた君がどうしてあの子と知り合った?」

「あなた、そんなに独占欲が強かったかしら?自分の嫁が自分の知らない交友関係を築いていたらそんなにおかしい?」

「そう言う訳じゃないが……あまりに結びつかないというか……」

「…………せっかくだからもう少し混乱させてあげる。あなたの妹と今の赤羽美咲を信じない方が良いわ」

「……どういうことだ?」

「あの二人、おかしいのよ。あなたは気にならない?いくら何でも裏の事情に関係しすぎている。それに、今の赤羽美咲。あれが三船でどんな実験を受けていたのかそれを調査したのだけど私が全く知らないものだったのよ」

「どういうことだよ」

「本来三船研究所が赤羽美咲に対して行っているものとは違う実験をしていると言うことよ。そして昨日の様子からしてあれは彼女を、ながy……甲斐三咲を知っている様子だった。おかしいと思わない?彼女がアメリカに入院していた時にはもう今の赤羽美咲は本来とは違う実験を受けていた。私以上に三船の研究所にずっといた。それなのにどうして彼女のことをしれるの?」

「……和佐から聞いたんじゃないのか?機関で一緒だったようだし」

「甲斐三咲の入院先を赤羽美咲は知らなかった。存在を隠していたのよ?甲斐三咲の情報はあなたの妹が厳重に秘匿していた。いざという時に使うために……!」

「……」

混乱している。火咲が何を話しているのかが分からない。だが、こんなに感情的になっている火咲は初めて見る。赤羽と和佐に何かがあるのは間違いない様子だ。

妹はもちろん、赤羽美咲に関しても最初の頃から違和感はあった。きっとまだ隠していることもあるのだろう。しかし火咲の言葉と昨日の出来事からどうも普通ではない、何かとんでもないことが起きている感覚がある。

「…………1つ、知ってたら教えてほしいんだけど」

「何?」

「4年前の火事で和佐は誰かに背中を押されたって言っていた。それって誰に押されたんだ?」

自分でも何でこんな質問をしたのかは分からない。普通火咲が知るわけがない。

「…………4年前。私とあの赤羽美咲は三船の実験の合間に一度だけ外に出されたことがある」

「……え?」

「辻褄が合うのよ。あの日私と別々に行動していた赤羽美咲が研究所に戻ってからいつもと違う実験が始まった。そしてそのタイミングであの人はアメリカに渡った」

「……待ってくれ。何を言ってるんだ……そんなの、あり得ないだろ……?」

「……理由がない。でも、物理的に不可能じゃないわ。どうしてあの夜だったのかは知らない。でも、あの夜。あの赤羽美咲はその無人発電所に行って、あの人を……!!」

「っ!!」

直後は一瞬だった。窓ガラスが割れ、胸から血を流したリッツが火咲を庇うように倒れた。

「……黒……!?」

「狙撃!?」

甲斐はすぐに火咲の手を取って引き寄せて窓から離れる。

「待って、黒が!」

「狙いは君だ!」

カーペットに染み渡るリッツの血だまり。しかし立ち上がったリッツが窓の外を見ると今度はその右目が撃ち抜かれた。

「黒!!」

叫ぶ火咲。胸と右目を撃ち抜かれたリッツはドアに向かって吹っ飛び、二人の足下に倒れた。

「…………貧乏くじ引いちゃったな……シフルと帰ればよかった」

感情のない声。右目と口と胸からは血が止まらない。

「リッツちゃん……!」

「死神、あなたは火咲の腕になって。そして火咲があなたの足になる」

「……黒……あなた……」

「死神、私の両目はカメラにもなってる。右目は破壊されたけど左目はまだある。これを三船の研究所に繋げれば狙撃手の解析が出来る筈だ」

「……腕ってそう言うことかよ」

甲斐は右手をリッツの左目にのばす。彼女の唯一残った光を閉ざすために。



学生寮、裏庭。斎藤と合流した甲斐と火咲は雅劉に連絡を入れることにした。事情を話したらすぐに来てくれるそうだ。

「……何か、とんでもないことになったな」

斎藤が口にする。今朝は別のことで悩んでいたのに今はそれどころじゃない。少しはとれた全身の筋肉痛も別の緊張で本調子じゃない。

「……巻き込んで悪いけどバラバラで行動している方が危険だからな。背格好も近いから間違って斎藤が襲われるかもしれないし」

「いまいち現実味がないけどな」

なるべく顔を出さないようにして雅劉の到着を待つ3人。

「……」

その中火咲は何も喋らない。

「……意外だな」

「何よ。血も涙もない女だと思った?」

「多少は。……リッツちゃん犬死ににさせたくなかったら生き延びることだ」

「……分かってる」

「……ん、誰かいるぞ」

斎藤が指を指す。学生寮の廊下を制服姿の少年が歩いていた。

「今ここは危険だって伝えないと……」

「…………いや、待て斎藤!」

甲斐は叫ぶ。しかし少年に歩み寄った斎藤が振り向いた瞬間。その少年が斎藤に飛びかかった。

「くっ!何だよ!」

正面から受け止め、少年の攻撃を防ぐ。

「あれはまさか男性型人造人間……!?」

「それって三船の……!?」

「本来三船の人造人間は赤羽美咲の特異な遺伝子を研究するのが第一目標だった。だから必然的に女性型を作る。でも、三船は一度男性型を作ったことがあるのよ」

「……待て。三船は敵に回ってるのか?いや、それより封鎖されたんじゃないのか!?」

「……今三船の施設を使えるとしたら……」

「……うちの連中か……」

甲斐が立ち上がる。が、

「来なくていい!俺一人で何とかする!」

「け、けど……!」

「俺だって戦えるんだ!」

少年の至近距離からの膝蹴りを防ぎ、逆にその膝を掴んで関節を外す。少年が怯んでいる隙にその顔面に飛び膝蹴りを打ち込む。

まだ体は鈍いがいざ戦いになれば話は別だ。確かに相手は普通じゃないが戦えないわけでも技が全く通じないわけでもない。

「斎藤、まさか囮になるつもりか!?」

「そんな殊勝なことしないっての!」

少年が膝関節を直そうとしているのを見た斎藤は飛びかかり覆い被さるようにして少年の動きを封じつつ腰関節に体重をかけてダメージを与える。

「……空手じゃないわよね?」

「まあ場面が場面だからな」

実際前屈みになった相手に対して有効な手段である。身動きを封じているのはもちろん場合によってはそのまま腰を折ることで完全に動きを封じられる。空手ではもちろん御法度だが状況が状況だ。咎めるものはいないだろう。

「ただ、室内だからまだいいが身動きがとれないのは斎藤も同じだ。狙撃されないかだけ不安だ」

「…………そうね」

「どうした?」

「昔私が聞いた男性型にしては少し外見が幼すぎるのよ。製造途中だったとは言え今のあなたくらいの年齢だったはず」

「……まさか……!」

その時。甲斐のスマホが鳴る。雅劉からだ。

「雅劉さん!?」

「生きてるか!?甲斐!」

「何とか……!」

「笑えない状況になった。伏見が攻撃を受けている。お前からの連絡を受けて一部隊連れて向かってるんだが謎の男から攻撃を受けて先に進めない状況だ」

「武器は!?」

「使ってるんだが当たらねえ!!」

武器即ち銃を使っても当たらず軍人を相手に出来る男。悪い予感しかしない。

「そんなこと出来るのは噂の奴くらいなものね」

「……三船の男性型人造人間……そしてそれを扱う甲斐機関の人間」

話が繋がりすぎて怖い。

「甲斐!出来るだけ密室に隠れているんだ!別の部隊も回させる!」

そこで雅劉からの通話が切れた。甲斐はそのままある人物のアドレスを出す。

「ちょっと、赤羽美咲に連絡するつもり!?」

「もしかしたら何か知っているかもしれない」

「あいつ、私を始末しようとしたのかもしれないのよ!?」

「そんなおかしなことになってないと信じたい。だから」

甲斐は赤羽に電話をかけた。

「はい、私です」

「今攻撃を仕掛けてきているのは君か?」

「……何の話ですか?」

「火咲ちゃんが狙撃された」

「……狙撃……?」

「何も知らないのか?三船の設備が使われているみたいだぞ……!?」

「…………調査してみます」

「なるはやでな」

通話を切る。火咲の方を向き、

「騙しているようには聞こえなかった」

「…………あなたがそう言うならそうなのかもしれないわね。けどそうなるといったいどこの組織が……」

そこでクラクションの音が聞こえた。甲斐は駐車場の方を向く。

「……伏見か?それにしては早すぎるな」

「用務員が何かに巻き込まれたのかもしれないわ」

「お、おい!お前達こいつどうしたらいいんだ!?」

そろそろ体勢がきつくなってきたのか斎藤が声を上げた。見れば両足を掴まれてものすごい握力をかけられているのか肌の色が変わってきている。

「出来れば気絶させて手足の関節を外す!順不同!!」

「よ、よし、ならまずはこのまま……!!」

斎藤はより強く少年の体を捕まえて腰骨に体重をかける。すると少年はタイミングを合わせてしゃがみ込む。

「わ、」

勢い余った斎藤は少年の背後にまで前転してしまった。しかも斎藤の両足はまだ掴まれたまま。

「こいつぁまずいか……!」

逆さになった斎藤。少年はそのまま斎藤の頭を床にたたきつけようとする。斎藤は両手を伸ばしてギリギリで防ぐと自ら両足の関節を外して強引に少年の握力から逃れる。

「……くっ!!」

激痛。耐えながら斎藤は素早く関節を入れ直す。それは少年も同じで膝の関節が正常に戻ったと同時に斎藤に襲いかかる。受け止めた斎藤。しかし少年は素早く体勢を変えて斎藤の右腕の関節を決めてそのまま一気にへし折る。

「っがああああああああ!!!!」

「斎藤!!」

鈍い音と絶叫。もだえる斎藤の背後を素早く奪った少年が懐からナイフを取り出し斎藤の背中に突き刺す。

「ぐっ……あ、あああああ……!!」

斎藤の背中からナイフが抜かれ、少年が再び斎藤の背中に突き刺そうとした時。

「やめろ!!」

甲斐が縮地で一気に距離を詰めて少年の鳩尾に拳をたたき込む。

「っ!!」

体が浮き、窓ガラスを突き破って少年が頭から裏庭のコンクリートにたたきつけられる。

「斎藤!!しっかりしろ!!」

「……だい……じょーぶだっての……」

右腕をへし折られ、背中から血を流す姿はとてもそうは見えない。どうしてもさっきのリッツの姿と被ってしまう。そして、

「変態師匠!!」

叫ぶ火咲の声。振り向けば黒服が10人ほどいた。それも味方ではない。全員が拳銃を甲斐と火咲に向けていた。やがて、

「やあやあ、ご機嫌かな?」

奥から小太りの中年が闊歩して来た。

「……あんたは?」

「わたくし、こういうものです」

にやにやした顔のまま名刺を出してくる。しかし読める距離ではあっても受け取れる距離ではない。もちろん勝手に動ける状況でもない。

「……甲斐機関の小野」

「そう。次期社長となるはずだった小野です。しかし、社長はご乱心された。息子が可愛いのは分かるが今の時代にそれだけで次期社長の座を渡そうとするのはおかしいでしょう?」

「……あんた、それだけのために火咲ちゃんや斎藤を襲ったのか?リッツちゃんを殺したのか!?」

「あなたのご友人は事故です。すぐ救急車を手配しますよ。で、私の要求分かりますね?」

「……そんなに社長の椅子がほしけりゃ好きにしろよ。心配しなくても次期社長なんてものになるつもりはない。だが、こんなことをして許されると思っているのか!?」

「甲斐機関の権力と財力の前では。まあいいでしょう。話はすぐに済みます。契約書を書いてほしいだけです。次期社長の座を私に譲りますとね。そうすれば救急車を手配しましょう」

小野が口元をゆるめる。甲斐の足下で斎藤はついに吐血を始めた。黒服の銃口が火咲に向けられ引き金に指が掛かる。

「私は平和主義でね。なるべく犠牲は出したくないのですよ」

「……くそが」

甲斐はそれでも両手をあげて小野へと向かっていく。当然いくら甲斐でもこの状況を力でどうにかできるとは思っていない。大人しく言うことを従うしかない。ついに小野と手が触れ合うまでの距離に近付いた時だ。

突然、周囲にいた黒服達が一斉に倒れた。

「な、何だ!?」

「…………」

振り向いた小野。様子を見る甲斐。その姿を見て唾を飲む火咲。

それは十代後半くらいの青年だった。無表情に慣れきった無機質な青年。

「…………最強の白帯マスター・オブ・ホワイト

「え?」

「三船が作り上げた最強の男性型人造人間……」

甲斐がわずかに視線をそらした瞬間、青年の拳が小野の顔面を貫いた。

「……!?」

小野の後頭部から出てきた青年の右手は全く傷を負っていない。

「…………」

青年が腕を引き抜くと、顔面を失った小野は血を吹き上げながら倒れてそのまま動かない。

「……間に合いました」

やがて赤羽がやってきた。

「赤羽、どういうことなんだこれは……」

「小野が甲斐機関に押収された三船の施設を勝手に使って起こしたものです。彼、白夜一馬もまた所有者が小野に変更されていました。ですが甲斐機関となった私にはより上位の権限が与えられていたため白夜一馬の制御を取り戻したわけです」

「…………今回の件は全部こいつの根回しだったのか……?」

甲斐は見下ろすがしかし小野はもう何も言えない。

「……」

火咲が立ち上がり、赤羽へと詰め寄る。ほとんど握力の機能しない右手で赤羽の襟を掴んだ。

「あんた、何を企んでいるのよ」

「……最上さん、学生寮に戻っていたんですね」

「とっくに気付いてたんじゃないの?さっきのそこの男に私を狙撃する理由はない。そこだけはあんたがやったんじゃないの?」

「ちょ、火咲ちゃん……」

甲斐を無視して火咲は続ける。

「あんたがあの日、甲斐和佐を突き飛ばして発電所の事故を起こしたんじゃないのかって話よ!」

「……弱々しいですね」

「何よ」

「名前とちゃん付けで呼ばれるのは羨ましいですがこんな手にはなりたくないものです」

「…………あんたやっぱりカラクリに気付いて……!?」

「あなたが何を言っているのか分かりません。私に和佐さんを害する理由なんてありませんから。……甲斐さん、今回の件申し訳ございません。社長にも報告しておきますので今日はこのままお休みください。斎藤先輩もすぐ救急車を手配します。また、黒に関しても直るかどうか分かりませんが回収して三船の技術で出来るだけのことはやりたいと思います」

「あ、ああ……」

それから、伏見機関がやってくる頃には甲斐機関のスタッフにより斎藤やリッツが運ばれていき、雅劉達は事後処理だけをやらされたのだった。




・高3の一学期が終わり、生徒達は夏休みに突入した。最後の一学期が終わり、最後の夏休みが始まる。甲斐達は宿題よりも最初に合宿に備えた準備を始める。

「……」

その間、甲斐は久しぶりに自分一人だけの部屋で夏日を過ごすことになった。赤羽も稽古ではこれまで通り毎日で顔を合わせているが寮の中では会う機会が減っていた。そして和佐に関しては全く姿を見かけなくなった。

火咲に関してはこれまで通り赤羽と同じ部屋で過ごしているようだがあまりいい関係には見えない。

「……はあ、どうしたものか」

「ん?このマンガの最新刊ならまだ3ヶ月くらいは先だと思うけど」

「そんな話はしてない。そして何でまたお前が来てるんだよ」

ベッドの上に寝転がってマンガを読む優樹の姿があった。

「だってまた夏休みなのにお前家に帰ってこなさそうだし」

「……お前なぁ」

「それに斎藤からなんかお前がとんでもないことになってるって聞いたしな。甲斐機関、俺が継ごうか?」

「……お前、赤羽に気があったのか?」

「何でそうなるんだ?」

「だって父さんは赤羽の結婚相手を次の社長にしたがってるんだぞ。正確に言えば順序は逆だけど」

「う~ん、嫌いじゃないけど好きなタイプでもないな。とは言え大学に行ってもしばらくはサッカーと弓道剣道ばかりやってそうだし」

「……まあ、面倒を引き受けてくれるのはありがたいが余計面倒なことになりそうだからな、お前の場合。……まあいいや、明日から合宿だからその間ここの部屋使ってて良いぞ」

「俺も合宿に行くという可能性は?」

「どんだけ暇人なんだよ。流石に空手に関係ない奴が参加するのは無理だろ……」

「……あれ?お前小学生時代にキーちゃん連れて行かなかったっけ?」

「ノーコメントだ」



合宿当日。まだ朝日が昇ったばかりの頃。

「……じゃあ行くか」

寮から甲斐、赤羽、最首、達真、火咲が荷物を持って歩き始める。優樹は本格的についてきそうだったため起こさずに置いてきた。

「……斎藤君はやっぱり来られなかったか」

「まあ、刺されてるしな。リッツちゃんも無理なんだろ?」

「……はい。一命はとりとめていますが両目の修復にまだ時間が掛かりそうです」

「…………」

赤羽の発言に火咲がわずかに反応を示す。それに気付いたのは達真だけだ。

「……どうした?少し前から変だお前」

「……別に何でもないわ」

「……と言うかお前も合宿に行くのか。遠足の時みたいに山道とかあるらしいが大丈夫なのか?」

「そう言うのは参加しないからいいわよ。川で少し遊ぶくらいでいいわ」

「川?」

「へえ、火咲ちゃんよく知ってるな。合宿二日目に山の麓にある小川でバーベキューやるんだ」

「……そうなんですか?」

「ああ。そこでは空手とかそう言うのは一切関係ない。ただ楽しむだけでいいんだ。……まあ、前夜があれだしな」

「?」

赤羽が疑問。それに対して火咲もまた難しい表情になる。

「……何で合宿の情報がないのよ」

「赤羽は合宿初めてなんだから仕方ないだろ。と言うかお前の方こそどうして初めてなのに合宿のことを知ってるんだ?」

「…………別に」

再び無言に戻る火咲。

「…………あなた、だから水着を用意してたんですか?」

しかし赤羽からの追撃。

「え、水着?」

甲斐が食らいつく。

「……別にそんな本格的な奴じゃないわ。濡れないようにするだけよ」

「一日使ってお買い物してたのにですか?」

「……赤羽美咲。あんた私に恨みでもあるの?」

「ただの疑問です」

「ま、まあまあ二人とも。女の子なんだから水着選びに時間掛かるのは仕方がないことだよ」

「……最首がそれをいうのか。小学生時代からほとんどサイズ変わってないのに」

「廉君何かいいました!?」

「……いってません」

萎縮する甲斐。対して赤羽は火咲のすぐ隣にまで歩幅を合わせ、

「……あまり事前準備してると怪しまれますよ?」

「……私としてはあんたの方が怪しくて仕方ないんだけど」

やがて5人は久遠との待ち合わせ場所に到着し、久遠と龍雲寺と合流した。

「雷龍寺は?」

「スタッフ側なので先に行ってるそうです」

「馬鹿弟子は?」

「逃げました」

龍雲寺の発言を受けて0.1秒。甲斐は速攻スマホで呼び出しを行った。冷や汗をかく龍雲寺と達真を尻目に久遠が赤羽と最首に抱きつく。

「今日はいっぱい楽しもうね!美咲ちゃん!はるちゃん!」

「そうですね、久遠」

「一応いっておくけど飽くまでも合宿だからね?」

そう言いながらもやっと笑顔になった最首だった。


朝8時。道場の駐車場にやってきた2台の貸し切り大型バスに80人が乗り込んでいく。

「意外といっぱい居ますね」

「まあ、いつもの稽古は年齢や性別で分かれてるから10人前後くらいしか見知った顔がいないだろうけど小中学生とかだけでも実際は200人以上はいる。夏休み最初の土日だから大抵は家族で旅行にでも出かけてるんだろ」

「……なるほど」

感心の赤羽。一方で中々バスに乗ろうとしない達真。

「……どうかしたの?」

龍雲寺が訪ねる。達真は中々返答しない。そこで火咲が口を開いた。

「そいつ、極度の乗り物酔い体質なのよ。隣に座るのなら覚悟しておいた方が良いわよ」

「そ、そうなんだ」

「……エチケット袋はたくさん用意してあるから問題ない」

「乗り込む前に気絶でもさせておいた方がいいんじゃない?」

火咲が少し構える。

「……相手になるぞ」

達真も構えるが、

「そう言うのは後にしろ」

そこへ雷龍寺がやってきた。

「げ、兄さん……」

「げ、らいくん」

「おい弟妹ども。げとは何だげとは」

二人にげんこつの雷龍寺は、甲斐と赤羽を見やる。

「二人とも来たんだな」

「ああ。山道とかはきついからそんなにつき合えないが赤羽のためでもあるしな」

「すみません……」

「……赤羽はそっち側でいいのか?」

「?どういうことですか?」

「甲斐機関は別口でどこかで集合していると聞いたが」

「……私、聞いてないです」

「……なら和佐か」

甲斐がため息をつく。

「和ちゃん来れるんだ。最近見てないから心配してたんだ」

久遠の笑顔が眩しくて再度ため息。

「……久遠ちゃんと同じ部屋だったら廉君ももう少し紳士的になるかもね」

「え、死神さんと同じ部屋で暮らすの?おもしろそう」

「死神、手出ししたら試合を組むぞ」

「試合自体は別にいいけど手出すつもりなんてないっての」

「妹に魅力がないとでも?」

「いや久遠は後輩だし弟子みたいなものだしそう言う対象じゃないっていうか」

「甲斐さん、彼女居ますからね」

それだけ言って赤羽はバスに乗り込んだ。

「……ほう、死神。色恋にうつつを抜かす暇があるとは余裕じゃないか」

「あんたの弟もうつつを抜かしてると聞いたが?」

甲斐はそれだけ言ってバスに乗り込んだ。

「……ほう?」

そして雷龍寺の目が龍雲寺へと向かった。

「……本当に男に対して手加減しなさすぎるわね」

窓から火咲が小さく笑みをこぼした。


バスに揺られること2時間。その間の記憶は達真にはないがどうやらなのはリフレクションが放送されていたらしい。とは言え娯楽として見るより何かしらの戦術的な情報教育として放送したていらしく割とみんな真面目に見ていた。

「……空中戦とかどうしろと?」

達真の感想だった。

そして到着した合宿会場。あらかじめ予約しておいたホテルだった。2階と3階が丸々貸しきりになっていて当然食事も出る。温泉も自由時間に入っていいことになってる。

そこまではいつも通りなのだが。

「来たか」

ロビー。そこには松葉杖をついた剛人がいた。

「兄さん……」

「あんたも来てたのか」

甲斐と赤羽と久遠、そして雷龍寺が剛人に歩み寄る。

「しばらくだな」

「馬場雷龍寺か。この怪我が治ったら一番に相手してやる。精々この合宿で鍛え直すんだな」

「以前に負けたのはお前の方だったと思うんだが?」

「……」

にらみ合う両者。流石に割って入れるものはいない。

「……ん、」

代わりに甲斐は奥の方で見覚えのある顔を見つけた。

「あれって遠山じゃないか?」

「え?…………あ、本当ですね」

伏見道場の遠山弟が他の門下生と一緒に歩いていた。

「……本当に伏見も三船も来てるんですね」

「……剛人がいるところが少し気になるが。今まで来てなかったろあんた」

やっと甲斐が剛人に声を振るう。

「……一応10年ほど前までは何回か来てたがな。改造されて以降は参加していない。する意味もなかったからな。けど今回は別だ。もう三船はないし、どこかの誰かさんの妹が余計な気遣いしてくれたんでな」

「……まさか、」

「はい、私です」

声。冷や汗かきながら甲斐が振り向くと2階に続く階段の上から和佐が降りてきた。

「和佐……!」

「そんな怖い顔なさらないで。ほら、」

和佐は赤羽と久遠の手をつないで甲斐達の前に移動する。

「妹たちが揃っているんですから」

「わ、そう言えばそうだね」

「…………」

和佐、久遠、赤羽の姿を見て甲斐、雷龍寺、剛人が閉口。

「火咲ちゃんとりゅーくんもいるんだしこれでゆーきくんまでいたらある意味完璧だったかもね」

「やめろ。この状況をさらなる地獄に変えるな」

それから男子は3階に女子は4階に案内された。それぞれ班編成されて班ごとに部屋が割り当てられている。しかしゆっくりもしていられない。案内された部屋に到着したら胴着に着替えて近くの体育館で100人以上の大規模な稽古が行われる。

「そこでやるのが100人組み手だ」

「100人組み手ですか?」

ホテルから体育館に行くまでの間、徒歩で移動しながら甲斐は赤羽と久遠に説明を始める。

「100人とスパーリングするってこと?メチャクチャ疲れそう」

「まあ確かに普通の稽古の倍どころじゃないくらい疲れるんだが、一回20秒程度だから実際には33分しかやらない。まあ、インターバルもあるから実際にはもう少しかかる。そしてこの100人組み手だと老若男女関わらずに誰とでも100回戦うことになるんだ」

「それは……厳しいかもしれませんね。場合によっては兄や雷龍寺さんとも戦うことになると言うことでしょうか?」

「げ、そんなの久遠ちゃんイヤだよ!絶対絞られるじゃん!」

「まあ流石にレベルが違ければ手加減くらいはしてくれるだろうしたった20秒しかないからな。怪我したりはしないだろう。それでも20秒間本来なら全く戦うことのない奴らと戦うことになる。大変勉強になるから誰とでも胸を借りるといい」

「お、押忍」

「久遠ちゃん汗くさいの嫌いなんだけどなぁ……」

やがて15分程度歩いた先の体育館に到着。

「じゃあ全員ヘッドギアとサポーターを付けろ」

加藤がとりまとめをやっている。ちなみに大倉会長も合宿自体には参加するが業務もあるため全く付きっきりというわけではない。伏見提督はもっと忙しいため全く参加できないし、自衛隊の施設に幽閉中の三船所長に関しても同じだ。

「付けたな?じゃあ全員8列くらいになって正面に会った奴と20秒だけスパーリングをする。終わったら5秒で場所を移動。歯車みたいに前後して対戦相手を変えていく。いいな?」

加藤の説明。しかし、

「……あの、あの人大倉道場の師範ですよね?」

「ああ、そうだな」

「…………私達と同じように並んでいるような気がするんですけど」

「………………ああ、そうだな。あの人はああいう人だ」

「……………………そうですか」

「え!?加藤先生とも戦うの!?い、いや、でも100人の中に入らなければ……」

「確かに参加者は100人超えてるから当たらない可能性はあるが雷龍寺や他にも黒帯段位持ちの人が何人か入ってるからほぼほぼ確実に場違いなくらい格上と当たると思うぞ」

「えぇ~!!そんなぁ~!!」

「グズグズするな。始まるぞ!」

甲斐が構えると同時、馬鹿でかいストップウォッチが大きな音を立てた。



「……くっ!」

既に10戦。赤羽は息を切らしていた。確かに1試合たったの20秒だが大会ですら遙か格上とぶつかることはない世界なのにここではそれがある。普通女子中学生の選手なら男子と当たることなどまずない。精々男子小学生低学年くらいなものだ。それが既に大学生くらいの男子と2度当たっている。当然いずれも格上でかなり手加減された上での20秒間であっても結構体力を消耗する。もし手加減されていない本物の試合ならば20秒もあれば間違いなく倒されているだろう。それに100戦やれば30分程度とは言うがまず普通30分以上もスパーリングなどしない。成人男性を含む一般クラスとされる稽古は2時間行われるがその内連続してスパーリングをやるのは2、30分程度だ。実際には大会が近ければ練習試合に時間を割くのだが全員が全員一度に戦うわけではなく、場合によっては15分以上インターバルが空くこともある。普段からそれくらい稽古を積んでいる甲斐や最首達ならともかくほぼほぼ素人に等しい赤羽達からすればまさに合宿のふさわしいハードメニューだった。

「……これが合宿……しかもその最初の30分……!」

息を整えるまもなく矢継ぎ早に次々と相手が決まり、その度に全く違う対戦相手とのスパーリングが始まる。

「……赤羽ちゃん結構きつそうだね」

「ああ。だからこそ練習になる」

甲斐と最首はさして息も切らせていない。甲斐は久々と言うこともあり、例年と比べれば余裕はない方だがそれでも赤羽と久遠よりかは遙かにマシだ。よくみれば達真もまあまあついて来れている。龍雲寺はややきつそうだ。里桜は余裕じゃなかったら殺す。

「弟子の成長がうれしいか?甲斐」

「ええ、もちろんです」

そして甲斐は改めて正面に立った次の相手を見る。

「20秒間付き合ってもらおうか」

「押忍!加藤先生!」

大倉道場師範と拳の死神の組み合わせはわずかだがざわつきを作った。皆その20秒間は自分の戦いをしながらもどこか尻目でその戦いを意識していた。

「…………ふう、」

たった20秒をこれほど長いと感じることはそうそうない。20秒を知らせるアラーム音を甲斐は意識を半分失いながら聞き届けた。

「押忍!またな!」

「お、押忍!」

わずかな時間の握手をして二人はそれぞれ次の対戦相手を目指す。

「…………う、」

「さあ、やろうか」

「うそでしょ……」

「本気でぶつかってこい」

そして赤羽の前に加藤が、久遠の前に雷龍寺が立ちはだかった。

「……大変そうだな」

「あんたもよそ見してていいわけ?」

「……お前と畳の上で戦うことになるとはな」

踊るように殺し合う達真と火咲。

「お前、空手も出来たのか……」

「私を誰だと思っているのかしら」

「……ふん、知るか。俺にとっては最上火咲。それ以上でもそれ以下でもない」

「それでいいわ」

20秒のダンスを終えて二人は何も言わないまま次の相手へと向かう。

「矢尻っすか」

「燐か」

達真と里桜、雷龍寺と加藤、甲斐と火咲、最首と久遠が激突を果たす。

「ん、」

「またあったね」

「遠山弟さん」

「直太朗なんだけど……」

そして赤羽と遠山も畳の上で再会する。

「……面白い催しですね」

壇上。和佐と剛人が組み手の様子を眺めていた。

「やってる側はまあまあきついがな。何せ全国区の奴も遊び半分この100人組み手半分を期待して合宿に参加するくらいだ。お前も参加してみたらどうだ?」

「……そうですね。矢尻さんや赤羽さんとお遊びするのはいいのですがうちの兄に当たったら本気で殺されそうですからね。最上火咲さんも少し危ういかも」

「……お前、何を企んでいる?うちの妹たちとどんな関係なんだ?」

「長女の方は特に関係ありませんよ?次女の方はまあ、そこそこ付き合いあるので」

「……甲斐機関か。美咲はついこの前まで三船の所属だったはずだ。いつそっちに移ったんだ?」

「2年前ですよ。まあ、あまり深くは言わないでおきますけれど」

「……」

剛人は笑顔のままの和佐を睨むだけだった。


30分が過ぎて長い長い100人組み手が終わった。加藤や雷龍寺などの一部のトップ選手以外は全員立つのがやっとなほど疲れ切っていた。

「……お、思ったよりかなりきついですね……」

赤羽も膝を折り、ペットボトルにかみつくようにして水分を補給する。

「まあな。ただ最初に言っておくとここまできついのは他にそうそうないから安心しろ。……次のに選ばれなければな」

「……次?」

赤羽が疑問していると、

「次は指名試合を開始する。1試合2分の試合形式で行われるものでこの場にいる者なら誰を指名してもいい。くじ引きで最初の一名を決めてから対戦相手を指名。試合を行い、試合後に指名された者が次の対戦相手を指名する」

加藤から説明が入った。

「つまり、どこかで一度でも指名されたら2連続で試合をしないといけないと言うわけですか」

「そうだ。と言っても通常の試合と違って延長戦の類はない。2分だけ戦えばいい。ただしさっきまでの100人組み手と違ってレベルに差がない限りは互いに全力で戦うことになる」

「……い、今から全力での試合ですか」

「赤羽は遠山弟だったり空手部だったりと別門下とやることが多かったが普通は大会の時かこの合宿の時でもない限りは戦う機会はない。だから意外と人気のコーナーでもあるんだ」

「……戦闘狂しかいないの?」

戦慄する赤羽と久遠。それを尻目に和佐が超スピードでくじを配る。くじには番号だけ書いてある。

「ランダム抽選システムを使って最初の一名を決めます。じゃがじゃがじゃがじゃじゃがじゃがじゃが……じゃじゃ~ん!!66番の方!」

モニターに映し出された66の数字。

「……俺だ」

66番を持っていたのは達真だった。

「矢尻さん、誰を指名しますか?」

「え、いや、急に言われてもな」

周囲を見渡す達真。明らか期待の色が目に浮かんでいる。需要は高いらしい。しかし名前を知っている者はそんなに多くない。そして知っている名前はいずれも格上か格下のみ。

「……じゃああんたで」

達真が指さしたのは甲斐だった。

「は?俺?」

周囲から驚きと期待の声が挙がる。

「いいのか?まだレベルが違うと思うが」

「あなたとは一度ちゃんとした場所で戦ってみたかった。……以前戦ったのはあの春の夜。今の俺がどこまで胸を張れるか確かめてみたいんです」

「……いいぜ、矢尻後輩。この胸貸してやる」

「では、両者中央のコートへ!」

和佐のアナウンスを受けて二人が中央コートへと移動する。

「全力で来い」

「押忍!!」

「では、開始!」

和佐がアラームを開始すると同時、達真が距離を詰める。当然甲斐には余裕で目で追えるスピードだ。それでも赤羽や久遠に比べれば断然速い。距離を詰め切った達真がその勢いのままに跳び蹴りを繰り出した。

「……ふっ、」

甲斐は片手で受け流しつつ相手の腰を軽く小突く。加減こそしているがそれでも冗談ではない打撃だ。着地したばかりの達真のバランスを大きく崩し、あわや転倒寸前まで追い込む。しかし、ギリギリで持ち直す。

「くっ!」

すぐさまギリギリ足の届く範囲内で可能な限り速度を上げた蹴りを放つ。相手の対応速度を上回ろうとする手段だ。しかし当然甲斐はこれをすぐ後ろに下がるだけで回避。

「……あの人らしくない防御と回避ばかりですね」

赤羽が目を丸くする。

「そりゃ廉君でも手加減は出来るし格上としての戦い方もするよ」

最首が答える。

「正直男子相手だから瞬殺して終わりだと思ってた」

火咲が袖で汗を拭いながら言う。

「確かにそっちの方が死神さんらしいかも」

久遠が苦笑。

4人以外のギャラリーも拳の死神の二つ名を持つ男にしては珍しいスタイルに驚きと期待の声を作る。

(流石だな……こんな上等なテクニックも持っているとは)

達真は自分が掌で踊っている自覚はあった。火咲が言っているように素早く処理されて終わりだと思っていたがこんなあしらい方をされるとは。

「けど、負けない!!」

「いいぜ」

一歩踏み出した達真は拳を繰り出す。拳の死神を相手に愚策だが足では届かないと思い知らされた後だ。精々胸を借り続けることにしよう。

「せっ!!」

繰り出したワンツー。甲斐はまるで最初からそこに来ることが分かっていたかのように完璧に受け流す。達真も制空圏を練っている。そして逆に甲斐は制空圏を使っていないように見える。だが実際は違うのだろう。レベルが違う相手の制空圏は見えないのだ。

囲碁や将棋には空中戦という言葉がある。正面から相手にせず一見真面目に取り合っていないかのように振る舞いながらしかし、気付いた時には既にあらゆる手段が上から押しつぶされて意味のないものと化しているのだ。

「なら!」

達真が繰り出したのは単純な力勝負だ。何の策もない真っ正面から立ち向かう愚直な攻撃の連続。真っ向から相手にされないのなら肉薄し続ければいい。取り合ってくれないなら振り向かせればいい。

「へえ、」

甲斐は小さく笑う。達真の密着からの単純な攻撃は決して悪いものではない。少なくともそれまでのような守ってすらいない圧倒は出来なくなる。しかしそうなれば困るのはどちらか。向こうだ。

「!?」

達真は見た。甲斐の拳から見えた制空圏はまるでドリルのように螺旋を築いていた。

「せっ!!」

そして放たれた拳は達真の築き上げた制空圏を攻めも守りもひっくるめてぐちゃぐちゃにかき乱しながら破壊してそのボディに6割くらいのパワーでたたき込まれる。

「ぐっ!!」

2歩下がる。流石にあの時のように倒れはしなかった。それなり以上に手加減されている。その上で今のすべてが指導であると分からされた。空中戦は囮なんかじゃない。二者択一で二種類の地獄が選べるだけの嫌らしい罠だった。空中戦のままならいずれ体力を減らされ、最初の小突きのように隙を見いだされては割と無視できない攻撃を被り、単純な攻撃で無理矢理打ち破ろうとすれば今みたいなひたすら重いカウンターが待っている。

おそらく本物の試合ならこんな風に格下相手に気付かされないほどうまくやるだろう。

(……やはりこの人は本物だ。本物の実力者だ……。けど俺だって蒼穹さんの傍にいたんだ。もう二度と誰も失わない強さを……!!)

達真は跳躍した。いつもよりもやや高めの跳躍。

「……」

甲斐は守りの制空圏を達真には見えないほど幾重にも形成していく。

「……っ!!」

その制空圏が完成したと同時に達真の右の跳び蹴りが甲斐の額の前で受け止められた。

「があああああぁぁっ!!!」

が、落ちきる前に達真の左足が回し蹴りを繰り出す。

「一度のジャンプで2発の跳び蹴りを!?」

驚く赤羽。驚いたのは赤羽だけじゃない。観客の多くが達真の技を見て声を上げる。

「……どちらかと言えばカウンターのための守りを優先するあいつらしくない攻撃の一手ね」

火咲も感心するが、

「けど、足りない」

火咲の前。達真の両足はどちらも甲斐の右腕によって止められていた。

「!?」

「よかったぜ」

そして左腕からの打撃が空中で無防備をさらす達真の鳩尾……の数センチ下にぶち込まれた。

「ぐっ!」

体育館の床に背中から打ちひしがれる達真。

「ここまでだな」

甲斐が構えをとくと同時にアラームが鳴る。

「……す、すげぇ。拳の死神が瞬殺していないのに一回も直撃をもらわずに完封勝利した……」

ざわめくギャラリー。どこからか拍手すら鳴り響く。

「……確かにすごいな」

雷龍寺がつぶやく。しかしその視線は達真の方に向いていた。実際に戦ったことはないが甲斐レベルならあの程度のことは出来て当然。そのことに何の感慨もない。むしろ甲斐を相手にとことん粘った達真の方こそ感嘆するにふさわしい。それに昔どこかで見たような気がする。

「……後で龍雲寺に聞いてみるか」

スパーリングが終わり、握手を交わす甲斐と達真。

「流石です。全然届きませんでした」

「いやいや、想像以上だったと思うぞ。くじで最初に選ばれたのが不運だったくらいに」

「へ?」

「次は誰を選ぶかだな。……雷龍寺、気配をぶつけてきたところで流石にあんたとはやれんぞ。よし、赤羽やってみるか」

「私ですか……!?……わ、分かりました!」

達真の代わりに赤羽が甲斐の前に立つ。

「いつもの稽古と同じ風にやればいい。ギャラリーは少し多いが試合だと思えばいい。さあ、来い」

「押忍!」



それから赤羽や達真を中心に何度か練習試合が行われ、たっぷり3時間以上も白熱が続いた。途中少しの休みを挟んだことで気付けば夕暮れになっていた。みんなくたびれた状態でドッジボールをやってから体育館の掃除を行い、旅館へ着く頃には17時を過ぎていた。

女子達は汗だくなのを嫌ってすぐに温泉に向かった。男子達は着替えただけでそれぞれ夕食まで団らんを楽しむことにした。

「じゃあのぞきに行くか」

何人かの男子達が女湯に向かっていくのが見えた。

「里桜、片づけられないなら同席してこい」

「いや、意味不明なクエストを突然出さないでくださいっす。と言うかさっきの練習試合でもうくたくたっす」

「もう一回やってもいいんだぞ?」

「……む、無理っす……」

仕方なく里桜が男子達について行った。何だかんだで数分後には連れ戻してきていた。しかもなんか里桜に対して同情的だった。

「……なんだありゃ」

「……道場内でもしっかりと恐怖が作用しているということですよ」

達真が陽翼相手にメールをしながらつぶやいた。

一方。女湯。

「あの人がのぞきに来ないか心配で仕方がありません」

シャワーを浴びながら赤羽が壁やら出入り口やらを気にしている。

「いやいや、いくら廉君でもここには来れないでしょ」

隣で最首が笑う。その最首は久遠の頭を洗ってやっている。

「どういうこと?」

「流石に廉君ほど強い女子はいないけどそれでも今ここには女子が30人以上いるわけだし。大人の人もいる。何より普段の道場……赤羽ちゃんと和佐ちゃんの家ならともかくここ旅館の温泉だからね。小学生とかならともかく高校3年生が突入したら間違いなく警察沙汰だよ。……小学生の頃はさも当然のように入ろうとしてたけど」

「…………そのころあの人彼女いましたよね?」

「まあね。あの頃の廉君もえっちな感覚でやろうとしたわけじゃなくてたぶん単純に男女の分け隔てなく友達と一緒にお風呂に入るっていう本人にとって当たり前の気分だったんだと思う。当時はまだ学生寮じゃなかったしね。今となっては廉君と面識がある同年代の女子って私達くらいしかいないけど当時はもっといたんだよ」

「そうなんですか?」

「どれくらいいたの?」

「同い年なら20人くらいいたんだ。ほとんどが中学にあがった頃にやめちゃったんだ」

「まあ、ふつうそうだよね」

頭をふるって水分をとばす久遠。

「そう言う意味では蒼穹先輩の存在はやっぱり大きかったんじゃないかな?4年間ずっと一緒に暮らしていたわけだし」

「…………かもしれませんね」

別に禁句というわけではなく、紅衣もいない。しかしそれでもしばらく聞かなかった故人の名前に気持ちが動かないわけではない。

「穂南蒼穹だってそう変わらないわよ」

そこへ火咲がきた。当然全裸でその肢体はこの場の女子の中では間違いなくもっとも扇情的だろう。同性である3人でも思わず火咲の体には注目してしまう。

「どういうことですか?」

「詳しく聞いた訳じゃないけど穂南蒼穹だってどこにも居場所がなかったんだからあの変態師匠の存在は決して邪魔じゃなかったってことよ」

「……何で火咲ちゃんって死神さんのこと変態師匠って呼ぶの?弟子入りしてたっけ?」

無垢な久遠の質問。

「…………別に。それ以外の呼び方なんて知らないだけよ」

「……変に呼び方変えたら大事件ですからね」

「何よ赤羽美咲。まるで直接見たことあるかのような言いぐさね」

「……別にそんなこと言っていませんよ」

「あ~はいはい。姉妹同士喧嘩しちゃ駄目だよ~」

最首が割って入った。すると、

「きょうだいってそう言うんじゃないと思いますけど」

そこへ和佐がやってきた。その姿を見て赤羽と火咲はわずかに身構える。

「どういうこと?」

「きょうだいって一番近くにいる他人なんですから喧嘩だってしますよ。まあ、あの人が絡むとふつうの喧嘩じゃないことも多々あるかもしれませんが」

「まるでふつうの兄妹をやっているかのような言いぐさね」

火咲が睨む。

「最上火咲さん。あなたと同じように私もあなたのことはよく知りません。赤羽さんと本当はどんな関係なのかも興味ありません。だからそう喧嘩腰にされても正直困るのですが……」

「…………」

沈黙する火咲。赤羽も何も言わない。和佐だけが本当に少しだけ迷惑そうにしていた。

「はいはい。せっかくの温泉なんだから険悪しないの!」

最首が手をたたく。その音で少しだけ目立ってしまったが。

「3人がどんな関係なのか、そう言うのは今はいいじゃない。温泉なんだからさ。どうしても嫌だって言うなら出て行けばいいんだよ」

最首の口調もどこか強めだ。睨んでいるわけではないが目の色も違うように見える。

「……すみません」

「……ふん、」

赤羽と和佐が謝ると火咲は脱衣所の方へと向かっていった。

「……あれ?火咲ちゃんって自分で体拭けるの?ちょっと見てくるね」

久遠がその後を追いかける。

「……赤羽ちゃんも和佐ちゃんもどうしたの?」

残った3人。

「赤羽ちゃんも最上さんと一緒だとどこかおかしいよ?」

「……そんなつもりではないのですが」

「和佐ちゃんも不穏な動きが多いって廉君だけじゃない、私だってそう感じることがあるよ?確かに私は一人っ子だからきょうだいの事情はよくわからないけどもうちょっと何かあるんじゃない?」

「……善処します」

赤羽も和佐もそれ以上何も言わなかった。




・夕食が終わり、皆それぞれ就寝時間までの間を過ごすことになった。男子は基本的にこの時間にそれぞれ適当に風呂をすませる。

「……なんかちょっとつまらないな」

久遠は部屋を抜け出してロビーあたりを散歩していた。さっきまでは女将の娘らしき小学校低学年くらいの女の子が自慢げに男女問わず門下生相手にみゅーくるどりーみーの録画ビデオを見せていたがそれももうない。ちなみに一番熱中して見ていたのは雷龍寺と剛人だったのは久遠と赤羽の脳内からは既に消えている情報だ。

ともあれ結局合宿でもそんなに年の近い女子は多くない。何より自分にはあの迷惑すぎる兄の存在故にあまり話しかけられたりはしない。結局ここでもそこまで環境的に変化がない。

「……はあ、久遠ちゃん孤独少女だなぁ」

「……何を言ってるんだおまえは」

「あ、死神さん」

1階縁側。夜空をバックに甲斐が座っていた。

「どうしたの?」

「お前こそそろそろ消灯時間だぞ?」

「羽伸ばしてるの。流石に女子部屋にはらいくんも来れないから自由になったのはいいんだけど同じ部屋の子って小学生低学年ばかりだからつまらないんだよね」

「なるほど。で、女子部屋にいるていで散歩か」

「みたいなものかな。死神さんは?」

「里桜と同じ部屋だからな。流石に休ませてやろうかと」

「死神さん、里桜先輩に対して厳しすぎだと思うんだよね」

「男同士ならまあこんなもんだろ」

「……確かにらいくんとそーくん、りゅーくんも似たようなものだったかも」

「まあ、そんなことはどうでもいい。あまり遅くならないようにしろよ」

「……うん。でももう少しいていい?」

「いいけど、さっき俺と雷龍寺が似たようなものって言ってたな。なら俺のことも苦手なんじゃないのか?」

「だって死神さんは女の子に優しいじゃん。和ちゃんは別として。あ、もしかして久遠ちゃんに気があるとか?らいくん達からのバリアになってくれるなら考えてもいいよ?」

「そんな気はない。まあ、仲間としては好きだと思うがな」

「仲間か。久遠ちゃんは死神さんに別に弟子入りしてないから師弟関係じゃないし、友達って感じでもないから先輩後輩になるのかな?」

「さあな。久遠のことは妹みたいなものだと思ってるぞ」

「ええ~?和ちゃんに怒られるよ。…………ねえ、どうして和ちゃんと仲悪いの?あの事故ってだけじゃないよね?」

「……またその話か」

「さっきお風呂で少し話題になったんだ。きょうだいって仲悪いんじゃないかって。久遠ちゃんのこと妹みたいって思ってるならどうして本当の妹の和ちゃんにはあんなに厳しいの?」

「……間違えたんだよ。兄妹としての関係を」

「どういうこと?」

「久遠がもう少し大人になってから話してやるよ、その内に」

「……ぶぅ~!」

「……久遠、空手は楽しいか?」

「うん?う~ん、そうだね。ちょっと前よりかは楽しいかもしれない。でも本当に久遠ちゃんがやりたいことなのかは分からないかも。久遠ちゃん天才だから美咲ちゃん以外に負けないし。ちょっと女の子に空手は退屈なんだよね」

「なるほど。貴重な意見だな」

「怒らないの?死神さん空手大好きなのに」

「そりゃ怒らないよ。趣味は人それぞれだからな。それに女子空手の事情は少しくらいは知っている。きっと3年以内には久遠が満足する相手は見つからないだろう。精々赤羽がどこまで食らいついていけるかって感じか」

「……ふ~ん」

悪い気はしなかった。

「じゃあもうそろそろ寝とけ。それともこの後来るのか?」

「この後?パジャマパーティでもやるの?」

「似たようなものだ」

それから2時間後。深夜12時を待ったところで甲斐の部屋に何人かの男女が集まった。

「……何やるの?えっちなこと?」

久遠が甲斐に訪ねる。

「それを厳禁としたパジャマパーティみたいなものだな」

手荷物検査でゴムなどないかを確認。当然男女で二人だけにしない。その条件で深夜に年頃の男女が同じ部屋に集まったのだ。

「で、実際どういう場なの?」

「日中は基本的に監視の目が行き届いていて男女同じ部屋に入ることが出来ないからな。いろいろな道場が集まっているこの場を利用して合コンみたいなのをやるのが目的だな」

「何で死神さん参加してるの?」

「監視役みたいなものだ」

「……ってことはこれ先生とか知ってるんだ?」

「ああ。昔は怪談とかをやってたんだが流行らなかったんでな。で、今度はただ夜中の部屋に集まるだけってやったら一度だけ大変なことになって……」

「大変なこと?」

「……まあ、その、なんだ。子供が出来るようなことをする奴が何人かな」

「セックスしちゃったの!?」

「こら久遠。年頃の女の子がそんなことを言うんじゃない。雷龍寺に殺されるぞ」

「いや、久遠ちゃんももう中学生なんだしそう言うことちゃんと習ってるよ」

「ま、まあ、注意するのはいいことなんだ。うん」

久遠との会話を聞いて若干冷や汗をかき始める周囲。実際そう言うことに興味津々な男女中高生がこうして集まっているのだから無理もない。

「……空手の合宿の夜に中高生で合コンってらいくんが聞いたら乗り込んで来そうなんだけど」

「実際そう言うやばい奴らには聞かされていないからな。……こういうことを言うのは何だが空手に人生かけてたらあまりそう言う経験できないからな。まあまあ貴重な場なんだよ、うん」

「……やっぱり久遠ちゃん空手辞めようかな?」

遠い目をする久遠。しかし意外と周囲は悪くないように見える。普段は厳格な空手道場にいるからかそう言う縛りが一切ないこの時間は本当に貴重なんだろう。

「ここでカップルって出来たりするの?」

「さあな。ここは飽くまでも出会いしか提供しないからそれ以降のことはそいつら次第だ」

「……そうなんだ」

正直少しどきどきしていた。まだ中学1年生だから少し早いとは思うがここで恋人が出来るかもしれないなどさっきまでは夢にも思っていなかった。

「……でも死神さん、結構厳しいのにこういうの許していいの?らいくんも死神さんも怒りそうだけど」

「確かに畳の上では何より礼儀を尽くすべきだ。けど、俺達は人間だからな。空手だけに生きていけなんて誰も言えないさ。まあ、雷龍寺とか空手星人だから空手だけに生きていると思うが」

「……死神さんは彼女がいたから空手星人だけど少しなんか違うよね」

「別にそれが原因ってわけじゃない。ただ例の火事の後に俺はほぼすべてを失った。一時期空手もやらなくなった。その時にいろいろあったんだ」

「……死神さんはどうやって空手に戻って来れたの?死神さんのような人ってたぶん最初からずっと空手大好きだったよね?らいくんもそーくんも暇さえあればずっと空手の稽古ばかりしてるもん。きっと死神さんだって……そんな死神さんがしばらくの間空手から離れるってすごいことだと思うし」

「……確かにあの頃は地獄だった。ずっと一緒だった仲間達も失い、空手からも離れた。その間も斎藤や最首、穂南は居てくれてたんだけど当時の俺にとってはすべて失われたものだと思ってたんだ」

忌々しい記憶。どうしてもその始まりはあの炎の夜からしか想起できない。

「でもお友達も軽傷で済んだんだよね?誰から聞いたの?」

「小学校時代の担任だった近藤先生って人から聞いたんだ。空手に行かない代わりに俺は気晴らしにいろんなところを歩いて回ったんだ。変な奴らに絡まれることもあったけど当然ぶっ飛ばした」

「相手に南無阿弥陀仏だね」

「殺してない。……で、そうしていろんなところを回ってたら偶然再会したんだ。そこであいつらの無事を知った」

「それで空手に?」

「そんな優しい奴じゃない。むしろだからこそ離れようって思ったくらいだ」

「え、無事だったのに?」

「なんか昔見たアニメでそう言うのがあってだな。とらわれていた最愛の人を助けて無事を確かめたら何も告げずに離れていく。まあ当時は中学生だったからな。そう言うのに憧れもする年頃なんだよな」

「……よくわからないけど」

「まあそれで変に納得してたんだよ。まだ中学2年生だったのに自分がすべてを諦めることでパズルのピースが嵌まって完成する……これしかハッピーエンドはないんだってな」

「何でそんな理不尽なことを……」

「そう言う年頃だったんだよ。今も心のどこかでそれしかないならそうするまでだと思ってる。誰もそんなこと望んでないってのにな」

「本当だよ。でもそんな死神さんを誰が畳の上に戻したの?はるちゃん?和ちゃん?ゆーきくん?」

「いや、名前は分からないけど一人の女の子だったよ。一度だけ夜に帰らずに知らないところを夜通し歩いたことがあった。その時に会ったんだ。真夜中だったし顔も覚えてないけどな。好き勝手にやるのが正しいと思ってるならまたマイナスをかければいいって。×ゼロをするよりかはマシだってな」

「え?ひょっとして勝手に辞めたから今度は勝手に戻ったの!?」

「流石に何もしない日々に罪悪感あったしな。学校には行っていたけど誰とも何も話さない生活してて、まるで他の誰もが全く別の人間に見えたんだ。……全く別の奴になったのは他でもない自分だってのに」

「……本当よく分からない話。今の久遠ちゃんと1つしか年が離れてなかったのに」

「……まあ、年は同じでもいや同じだからこそ思春期の男女じゃ全然考えること、感じることも違うだろうな。まあ、こんなくだらない話はおしまいにしよう」

そう言って甲斐はポケットから何かを取り出した。それは油性マジックだった。

「……え、マジック?そんなの何に使うの?」

「合宿の夜の恒例行事その2だ」



深夜1時半。小学校低学年男子の部屋。そこに甲斐と久遠が潜り込み、寝ている少年達の顔にひたすら落書きを加えていく。

「……何でこんな事してるのか分からないけど楽しいからいいよね」

「やっぱり久遠は止めないよな。赤羽や最首だったらアウトだったけど」

「毎年やってるの?」

「ああ。元は別の人が始めたんだけどな。たまにはこういうのもいいだろう」

ひたすらまでに落書きをしたらノーフラッシュで写真を撮る。寝ている男子全員に落書きしたら次の部屋へと向かう。

「……このホテル、セキュリティどうしてるのかな?」

「さあな。許可取ってるわけはないが向こう10年くらいは続いてて何も言われないからレクリエーションの一巻として見逃されてるんじゃないのか?」

こそこそ話をしながら次の部屋へ。これを可及的速やかに繰り返していく。

「……で、死神さん。この隣の部屋ってらいくんとかいる部屋だけどどうするの?」

「無視するに決まってるだろ。まだ寝てるライオンから肉奪う方が命に優しい」

「で、もっと大きな問題だけど」

「何だ?」

「女子部屋は?まさか……」

「決まってるだろ」

上の階にあがる階段に足をかけて、

「やる」

「だよね!」

実際ここからは緊張のレベルが違う。今まではいたずらレベルで済む話だが今からするのは一歩間違えれば犯罪だ。

「死神さん」

「どうした?」

「真夏のサンタクロースだね」

「……いい着眼点だ」

「それに一応久遠ちゃんもいるからね」

「ナイス!」

「……っていうか去年までもやってたんだよね?」

「……まあな」

「えっちなことした?」

「…………ノーコメント」

「…………死神さん確か学生寮で唯一女の子と一緒の部屋になることを認められたんだよね?」

「笑えるだろ?」

「うん、どきどきしちゃう」

最初に入るのは女子小学生の部屋だ。男子に比べれば人数は少ないが不確かな希望を抱きたくなるくらいには人数が揃っている。そんな少女達の顔にひたすらマジックペンで黒を入れていく。

「……思ったんだけど」

「何だ?」

「朝起きて顔に落書きされてない人が犯人だよねこれ」

「ああ。同じ部屋の奴にもやったし即バレだろうな」

「……男子達だけならそれでもいいかもしれないけど女子まで対象にしてよくやれるよね」

「流石に大人達は相手にしないから罪をかぶせてる」

「……最低な事してる」

「逆よりマシ」

写メ撮ってから次の部屋へ。次は中高生の部屋だ。本来なら久遠もこの部屋で寝ているはずだが今は隣にいる。

「……ん、赤羽がいない」

当然赤羽もこの部屋で寝ているはずだがその姿が見えない。周囲を見れば久遠が小さく鼻歌しながら最首の顔に落書きをしている。

「……火咲ちゃんもいないな」

正直あの二人の組み合わせには不安しかない。まだ一度も戦いにはなってないがいざ戦ったら甲斐兄妹レベルにはなりそうだ。

「美咲ちゃんと火咲ちゃんがいないね。トイレかな?」

「……深夜に二人でか?」

「変な想像しちゃう?」

「絶対久遠とは違う意味でな」

その辺の女子の胸を揉みながら二人の動向を予想する。もし本当にトイレだったらすぐに戻ってきてしまう。しかし、廊下に人の気配はない。

「あの二人だから他に誰も邪魔が入らないところで何かしてそうなんだよな」

「和ちゃんのところかもしれないよ?美咲ちゃんのお兄ちゃんのところかもしれないし」

「胡散臭いな、それ」

とは言え和佐や剛人がどこで休んでいるかは分からない。こんな真夜中にフロントに聞くわけにも行かない。

「とりあえずお風呂行ってみる?」

「……風呂か」

こんな真夜中に風呂に入れば確かに邪魔は早々入らないだろう。しかし、貸し切りになっている女子部屋ならともかく風呂は一般の客もいるかもしれない。もし覗きに行って誰かいたら即一発アウトだ。

「まあ、今もアウトかセーフかっていったらアウトだと思うけどね」

「期待してるよ、久遠」

ひととおりいたずらを終えて二人が部屋を出る。ちなみに成人男子の部屋と成人女性の部屋、スタッフ達の部屋は流石にスルー。貸し切りエリア内を見て回ったが甲斐機関のメンツは見あたらなかった。

「で、お風呂行くの?」

「頼む、久遠」

「まあ、一回真夜中に温泉を独り占めとかやってみたかったし。いいかな」

手荷物を持った久遠が部屋から出てきて甲斐と共に女湯へと向かう。

「え、一緒に入るの?」

「いや、ここで待ってる」

男湯と女湯。それぞれの出入り口前に自販機とベンチがある。そのベンチに甲斐が座った。

「赤羽達がいないか見てきてくれ」

「入っちゃ駄目?」

「後でな。報告してくれたらそのまま入っていいぞ。ついでにそのまま帰って寝た方がいい」

時刻は深夜2時半過ぎ。いつもなら久遠はおろか甲斐だって余裕で眠っている時間だ。

「……そうなんだ。じゃあ行ってくるね」

「ああ」

ベンチに座ってスマホを見る。その間に久遠は女湯へと消えていく。とりあえず1分は待とう。そう思って5分。

「……これは風呂入ってるなあいつ」

ため息。特に物音や声の類もない。あの二人と会って話をしているというわけでもないようだ。

「……俺も風呂入るか」

荷物を取りに部屋に戻ることにした。

結局赤羽と火咲がいない理由は不明だった。トイレという事もないだろうが風呂でもない。いくら夜中でも風呂とかが自由に利用できる旅館だからと行って外には出られないようになっている。だから外にいると行うことはないだろう。ならやはり二人揃って甲斐機関……つまり和佐のところにいるというのが自然。赤羽はともかく火咲はいったいどんな理由で和佐のところにいるのか。

「……秘密を探りに入れて見つかって始末されている……なんてアニメの見過ぎか」

一応和佐に連絡を入れてみるが反応はなかった。

「何か見落としている事がある?」

部屋に入る。まだ誰も起きていないいびきだらけの暗い部屋。既に下手な教科書よりかも凄まじく書き潰されている里桜の寝顔が見えた。あまりにもかわいそうなのでベランダに移動しておいた。

「さて、」

荷物を持ち、またさっきの場所へと戻る。途中、スタッフの一人がトイレに入っていくのが見えた。特に変わった様子はなかった。

「……ふう、」

湯船につかる。学生寮でも男湯は同じくらいの大きさなのだが足を怪我して以来は部屋のシャワーで済ませることが多かったため意外と久しぶりに風呂でくつろげる。元々風呂は一人で入ることが多い。夕方のように他の連中と一緒に入るのもたまにはいいがやはり一人が一番だ。

「一人は落ち着くな」

「でも邪魔するよ?」

「は!?」

声に振り向けば全裸の久遠がやってきた。

「く、久遠!?どうしてここに……!?」

「お風呂入るの」

「い、いやお前さっき入ったんじゃなかったのか!?ってかここ男湯……」

「気にしない気にしない」

本当に気にしてない素振りで久遠は体を洗ってから甲斐の隣に来る。

「どう?死神さん。久遠ちゃんの裸に釘付け?」

「いや、そこまででもないが……。お前の場合何かしたら雷龍寺が黙ってないのが怖すぎるからな」

今この場を抑えられただけでも命はなさそうだ。

「で、どうしたんだよ」

「うん。最初に言っておくとさっき女湯に美咲ちゃん達いたんだよ」

「ん、そうなのか?」

意外だった。人の気配は分からないが話し声などは聞こえなかった。

「それが美咲ちゃん達死神さんがやっていること知ってたみたいで何かされるの面倒だからお風呂に避難してたんだって」

「……マジか」

知られていたのは想定外だった。しかし誰から聞いたのか。最首だとしたらその最首が寝ているとは思えない。

「まあついさっき部屋に戻ったから久遠ちゃん達があがる頃には寝てるんじゃないかな?」

「そうか」

「もしかしてまたやっちゃう?」

「いや、今日はもうあがったら俺も寝る。さっき夕方くらいに少し寝たとは言えまあまあクタクタだからな」

「だね。100人組み手とか意味分からなかったし」

「……久遠、空手続けるか?」

「急にどうしたの?とりあえず美咲ちゃんがいる間は続けようと思ってるよ。交流試合でのリベンジを果たしたいからね。でもまだ中学にあがったばかりだけどもし高校に上がってもリベンジできなかったらもしかしたら辞めるかもしれない」

「……そうか」

深夜。疲れも十分たまっている。温泉で暖まっている事もあり段々頭が働かなくなってきた。

「そろそろあがるか」

「え、まだ5分も経ってないよ!?」

「久遠は眠くないのか?明日も明日でやることあるぞ?」

「う~、そうかもしれないけど……」

「ほら。先に上がれよ。服着たら呼びに来てくれたらいいからさ」

「いやそこまで紳士ぶらなくていいよ?変な死神さん」

「……お前見られてもいいの?」

視線を振る。確かに全く隠す素振りはない。中1の7月ということもあってその裸体はそんなに小学生のそれと変わらない。下の毛だってまだ生えていない。正直情欲の類はそこまで沸いてこない。

「そうだね」

久遠は何かを考えるように天井を見上げた。

「久遠ちゃんは別にいいよ?死神さんのこと好きだもん」

「いやいや、そういうことじゃなくてだな」

「確かにそーくんを壊されたって事はあるけどでも私にとって死神さんは4人目のお兄ちゃんみたいなものだもん。空手しか頭にないらいくんやそーくん、逆に少し頼りないりゅーくんとも違う。空手も教えてくれるし逆に空手を押しつけたりもしない。家が家だからこんなふつうの兄妹みたいなの初めてなんだよね。だから死神さんにはいっぱい甘えようと思うの。死神さんも和ちゃんや杏奈ちゃんとは違った3人目の妹みたいに久遠ちゃんに甘えていいんだよ?」

「……久遠……」

思わず頭を撫でた。もしあの夜、道を誤ることがなければふつうの兄妹でいられたのかもしれない。そんな気がした。

「……背中洗ってやるよ」

「うん!」




それから4時間ほど。

「起きろ!!」

各部屋を回りながら声を上げていくスタッフ。

「……ん、」

それに気付いて甲斐が目を覚ます。正直全然眠い。実際に寝たのは3時間程度だ。

「……すー……すー……」

風呂から上がってすぐに眠ってしまった久遠を仕方なく同じ部屋に運んで他のメンツを全員押入の中に放り込んだ状態で久遠と一緒に眠っていたのだ。運良くスタッフには見つからずに済んだ。

「……あー……」

眠気が残る頭で甲斐は状況を整理しながらとりあえずスマホを出す。新規着信は特にない。代わりに赤羽に久遠を預かってるから引き取るようメールを出す。

「久遠。起きろ、朝だぞ」

「う~~~」

無理もない。事前に備えていた甲斐と違って久遠はほとんど寝ていないのだから。

とりあえずトイレを済ませてから久遠を背負って廊下に出る。赤羽からの返信はまだない。が、

「お楽しみだったようですね」

廊下を出てすぐ。和佐がいた。

「何の話だ。言っておくが疚しいことは何もしていないぞ」

「でしょうね。私と違ってよその子にしたら大問題ですものね」

「……言っておくが余計なことは言うなよ」

「ご安心を。私としても流布してメリットなんてありませんもの。……久遠さん引き取りましょうか?」

「結構だ。赤羽を呼んである」

「……そうですか」

和佐が踵を返そうとした時だ。

「……死神さん」

後ろから声がした。

「久遠……」

「久遠ちゃんは自分で帰るよ。ごめんね、ありがとう。で、ありがとうついでなんだけど和ちゃんとお話ししてあげて」

「……」

「同じ妹だから分かるもん。死神さんも和ちゃんも本当はそんなにお互いのこと嫌いじゃないって」

久遠が甲斐の背中から降りて半分寝てるような足取りで歩き始めた。

「またあとで」

そのまま甲斐兄妹を背に久遠はその場を去っていく。

「………………そう言うことだったんだ」

小さな言葉だけを残して。



朝マラソンから朝食。そして帰り支度が始まる。短いようで長い一泊二日の合宿は既に半分どころかほとんど終わっていたようなものだった。

10時に旅館をチェックアウトしてバスに乗り、11時半頃に到着したのが渓谷だった。小さな川があり、放流された魚が一気に川の中を暴れ回る。

「合宿最後はここでバーベキューだ。魚は掴み取りで、西瓜は拳でかち割った奴から持ってこい!」

加藤が言い、小学生達が着替えないまま川に飛び込んでいく。

「……ふっ、」

そんな中大胆な水着姿を見せたのが火咲だった。

「……それがこの前言ってた奴か」

達真がやや呆れて感想。

「何かしら?あなたもやっぱり性欲で私を見ていたの?」

「いや、何でこんなところで本気を出すのかと」

「別にいいじゃない。学校のプール以外で水着を着てみたかったのよ。文句ある?」

「いや、別に……」

本当にただ呆れたような表情のまま達真はゆっくり川へと向かっていく。

その様子を見てから火咲は頬を膨らませながら後ろから達真の背中を蹴りつけたのだった。

「本当に川で遊ぶんですね」

西瓜割を見学しながら赤羽が言う。

「一日目は100人組み手をしたかと思えば二日目はふつうにレジャーですね」

「まあ小学生多いからな」

あくびをしながら甲斐が答える。ちなみに久遠は赤羽の隣で寝ている。

「……一応聞いておきますが久遠には何もしていませんよね?」

「するわけないだろ。一緒に遊んでただけだ」

「……一応信じておきますけど」

「それより昨日……一応時間的には今日か。どうして風呂に避難してたんだ?誰から聞いたんだ?」

「企業秘密です」

「……そりゃ貸し切りにしてるんだし分かるか」

つまり、甲斐機関経由で甲斐と久遠が夜な夜な出入りしているのをホテルのスタッフから聞いたという事だろう。

「まさか本当に女子部屋までやるとは思いませんでした」

「昔は女子側からの参加者も何人か居たんだけどな」

「……あなた一人になった時点でやめればよかったのに」

「……それが一番なんだろうけど、あんな下らないことでも昔から変わらず続けてきたことなんだ。願わくばずっと変わらないものには残っていてほしいよ」

「……」

赤羽は答えず久遠の前髪を撫でてやるだけだった。

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