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零式暫界  作者: 黒主零
1.紅蓮の煌星(フレイムスター)
6/9

第2話:飛べない百舌鳥達2

・4月末。この学校ではこの時期になると全校生徒で遠足が実施されるのだが、何故かその場所は富士の樹海である。

「……この学校の責任者は生徒達にいざという時の場所でも用意しているのですか?」

リッツがため息をつく。実際に全校生徒と言っても逢坂のように不可能な生徒も決して少なくはないため参加できる生徒はそんなに多くはない。

「でもシフル。どうして私たちも参加するつもりになったの?何か適当にこじつけて不参加すればいいのに」

「sometimes it is more convenient to be in the forest.」

「……森の中にいる時の方が都合がいい?シフル、何考えているの?」

自分と同じ顔で、しかし同じ言葉を喋れずに何かを企んでいるシフルに嫌な予感しかしなかった。

学生寮から10台以上ものバスで富士の樹海へと目指す。

「……どうもな……」

達真が青い顔をしていた。

「どうした矢尻?乗り物酔いか?」

「甲斐先輩。実は達真は地に足が着いていないとすぐに酔ってしまうのです」

近くにいていつでもエチケット袋を出せるように身構えている権現堂。

「……ちなみに甲斐先輩は今回参加するので?」

「いけるところまではいきたいと思ってる」

実際最近は正座も出来るようになったし縮地も短距離(30メートルくらい)なら問題なくできるようになったが山登りまでしていいかは不明だ。

しかし、自分のように右足だけならともかく全身が義体である赤羽は今回普通に参加するらしいのだから文句は言えないしまずはチャレンジしてみようと思うのだ。

「……」

甲斐は車内を軽く見回す。後ろの方の席では紅衣がクラスメイトと一緒に会話をしていた。

「……権現堂後輩、最近紅衣ちゃんどうだ?」

「……ああ、はい。一時よりかはマシかと」

甲斐は正直新学期を迎える前に退学すると思っていた。尤も彼女の家族のことを聞けば帰る宛もないだろうし恐らく蒼穹も在学を勧めただろう。

「……矢尻、お前紅衣ちゃんには手を出してないのか?」

「………………最近は」

「おいこら」

「やめてください先輩。今達真を揺さぶったら大変なことになります」

「ちぇっ、」

甲斐は大人しく席に座る。

「しかしお前も男の知り合いが増えたようで」

隣にいる斎藤が小さく笑う。

「昔からあまり変わらないと思うがな。……むしろ最近は女子の知り合いの方が減った」

実際はマイナス1とプラス2以上で増えているはずなのだがやはりルームメイトの死は小さくない。

「……男の知り合いと言えば最近赤羽剛人とは遭遇してないみたいだな」

「……そう言えばそうだな。1月末に雷龍寺とやり合ってた頃以来だから丸3ヶ月は姿を見てないことになる」

確かに雷龍寺との戦いでまあまあボロボロになっていたとは言え、その後にそれ以上にボロボロになった妹の方がすぐに回復したのだから剛人の傷などとっくに治っているはずだ。

とは言えその赤羽を治すために三船とも協力したのだからやはり大倉と三船、そして伏見との間で何か大人のやりとりをしたのは間違いないだろう。実際、あの総本山で剛人を捕らえるまでが赤羽を甲斐の下に預ける囮作戦だったのだ。あれから3ヶ月以降も赤羽は甲斐の下にいる。それに値するだけの条件は整っているのだろう。

「……」

甲斐は車内を見渡す。赤羽の姿はそこにはなかった。欠席というわけではなく、別の車両と言うことだろう。最首もそうだ。

「……暇だからCivでもやるか」

「え、甲斐そんなもの買ってたのかよ」

「そろそろゴールデンウィークだからな」

「……ゴールデンウィークと夏休みは別物だぞ?」

気分転換は必要だった。ちなみに富士の樹海に到着するまでの間に達真は2回程嘔吐した。

午前10時過ぎに富士の樹海に到着。樹海をそこそこ回ってから富士山を登り、ちょうど昼頃に食事をとるというスケジュールになっていた。

やはり思った以上に山道森道は厳しく、甲斐は汗を拭う。

「大丈夫ですか?」

赤羽が心配の声をかけた。

「あ、ああ。君は大丈夫なのか?」

「はい。私はまあまあ特別製ですし」

確かに赤羽は全身義体のハンデをものともせずに進んでいる。忘れがちだが右足だけでも動かすのには手こずったのに彼女の場合は全身だ。詳細にどこまでかは知らないが右足だけの甲斐とは比べものにならないハンデがあるはずだ。ちなみに最首や斎藤、達真と言った他の空手経験者達はガンガン先に進んでいる。他の生徒も多くは甲斐達より先を進んでいる。そのため今は甲斐と赤羽くらいしか周囲にはいない。

「……聞いてもいいか?」

「何ですか?」

「何で空手を始めようとしたんだ?」

「……言いませんでしたっけ?私は親に売られて三船研究所の預かりになったんです。遺伝子が珍しいからって理由で。そして当時は知りませんでしたが、三船の所長は大倉の会長や伏見の提督とは幼なじみで一緒に空手をやっていた。研究の合間などに空手の稽古をやることも少なくなかったんです。私の遺伝子を使って生み出したクローン達が何人かいますが、その運用テストに空手の稽古を用いることもあったんです。だから私にとっては物心ついた時にはもう空手があったんです」

「……君のクローンか」

そう言えば以前、火咲が殺害したあの少女……もっと以前に剛人を連れて逃げ出した少女はどこか赤羽に似ていたような気がする。それがクローンだったのだろう。作り出された命だから火咲も殺害することを厭わなかった。

「……最上火咲は何者だ?君、何か知ってるんじゃないのか?」

「…………家庭の事情です」

「家庭って……」

「あの人と私は父親が一緒なんです。私の前に父が不倫して作ったのが彼女です」

「……そんな過去が……」

言われてみればどこか雰囲気が似ていた。そしてだからこそ火咲は三船のことをそこそこに知っていたのだろう。

「と言っても情報として三船の所長から聞いただけで姉妹という感じは全くしないんですけどね」

「…………そうか。ってことはあの子も三船の実験を?」

「ええ。私は別に研究所で会ったことはないのですが、その実験の1つが原因で彼女は両手の握力を失ったそうです。そうして実験がほとんどされない頃合いを見計らって研究所から逃げ出したのでしょう」

「……じゃあ今火咲ちゃんがいないのは三船に存在がばれて連れ戻されたって事か」

「……かもしれませんね」

赤羽は顔を逸らした。本当はどこにいるのかを知っているのだが甲斐を巻き込むわけには行かない。そのために自分がこうして甲斐を足止めしているのだから。

「……私からもいいですか?」

「何だ?」

「……妹さんとの事です。以前確かにあの火事の話は聞きました。確かにあの人のいたずらが原因で起きた事故なのですから叱るべきなのでしょう。でも、あなたが身内とは言え女子をあそこまで徹底して嫌悪する理由にまでなるとは思えないのです」

「…………それこそ家庭の事情だ。まあ、その、何だ。君達姉妹の関係に近い。あの子とは父親が違うんだ」

「父親が?」

「そう。母親は同じ。俺がまだ2歳頃の時にふらっと母さんがいなくなったんだ。うちは父さんが忙しくてほとんど家に帰ってこなかった。だから一人になって……それで半年くらいしたら妹が出来てたんだ。最初は喜んだ。でも、母さんが不倫して生んだ子供だったって事で母さんはまたいなくなった。それ以来会っていない。別に血が半分しか繋がっていないことが原因なんじゃない。ただ、あの子はあの日事故だけじゃない明確な殺人も起こしてるんだ」

「……殺人を……?」

「…………これ以上はまた今度な」

「…………分かりました」

それから話という話はなく、二人はただ黙々と森の中を進むのだった。


一方。それから3キロ以上も離れた場所。

「……」

達真はトップ連中の次くらいの順位にいた。元々長距離を歩くのは得意だった。森の中も山の中もまあまあ苦手ではない。それに先ほどまでの地獄と比べれば全然問題ない。むしろ自分の足で歩いている分気が楽になる。

毎年地獄のバス往復を我慢してでも歩きに来ているのが理由だ。しかし黙々と歩いていると色々な事が頭の中を巡る。何より一番気に入らないのが火咲の不在だ。いつもは何だかんだでちょっかいだしに来たりしているのにここ数日は全く姿を見ない。不本意すぎて気分が悪くなるが、自分が彼女を心のどこかで心配しているのは間違いないだろう。

「……何であいつのことなんか」

そんなに関わりがあるわけでもないのに気になってしまう。別にあの巨乳が原因というわけでもない。それならそれでまだいい。いるのが当たり前でいないことがこんなに不安になってしまう。まだどこかで蒼穹の事が引っかかっているのかもしれない。良くも悪くも蒼穹の死が達真を変えたし、自分でも気付くほどには変えられない部分もまた見えてきている。

「……」

足が進む。一面の緑と茶色を一人で寡黙に進んでいく。ただ歩くだけの道のりは砂漠を連想とさせたがしかし、障害物が多すぎるため同じ感覚には襲われない。

「……そうか。それかもしれないな」

似た感覚だけど決して同じではない。つまり、蒼穹と火咲はどこかで似ている部分があるのだ。自分が火咲を気にかけているのは多分火咲に蒼穹と同じ死の匂いを感じているからだろう。出会った頃の蒼穹は確かに火咲に似ている部分があった。真っ暗闇を歩いている不安感、その先に見つけた一縷の光。暗闇から抜け出す希望の光なのにそれがどうしても受け入れられない。そんなハリネズミのような不安な雰囲気を携えた少女。

そのイメージを想像した達真がわずかに笑う。その時だ。

「……」

達真の前。木陰から姿を見せたのはリッツだった。

謀らずとも再び過去の亡霊を目に前にした達真は表情を変えて立ち止まる。その顔を達真が最初に見たのは5年前の砂漠だ。

しかし、そんな達真の追憶など露知らずなリッツは達真の風上から地を蹴ってまっすぐに達真へと迫る。

「っ!」

鋭い前蹴りを達真は受け止め、しかしその勢いを真っ向から受け止めた歳にバランスを崩す。それを見てからリッツは着地して足を捕まれたままもう片方の足で達真の鳩尾を穿つ。

「……いきなりか……」

小さく吐き捨てながら達真は坂道を転げ落ちる。足場が平地であれあたとえ船の上でも戦えるのが空手の立ち型だ。だが、逆にこのような不整地の森では極めて都合が悪い。自分への復讐のためにわざわざ今日この時を狙ってきたのだとしたら極めて的確だろう。周囲には誰もいないし、相手に言葉は通じない。そして自分は先ほど胃の中のものを全部リバースしたせいで体力を発揮できない。

……と言う達真の分析を全く知らないリッツは跳躍、木の幹を蹴ってさらに高くまであがり、大木の枝に止まっていた蛇を捕まえて達真に向けて投げ飛ばす。

「地の利を使うか」

達真はしゃがんで回避。足場の邪魔にならないように頭を踏みつぶす。だが、一瞬足下を向いたせいでリッツの姿を見失う。達真は頭上からの攻撃を警戒しつつ周囲の気配を探りつつ、状況を整理する。相手が今この時を以て確実に達真を始末するつもりなのは間違いないだろう。そしてその方法は打撃または自然物。何故ならば他殺の線を疑わせないため。だから相手は武器を使わず、今のような自然物の投擲を除けば遠距離での攻撃も出来ないだろう。そして他に誰かが来てしまえばこの暗殺は失敗する。

結論に至った達真は警戒しつつ先へと進む。

「……」

それを隠れてみていたリッツは気配を殺して追跡した。

正直意外な展開だった。自分の暗殺を阻害するために先に進んだことではない。このように突然襲いかかられても何の疑問も持たずに応戦している事に違和感を感じざるを得ない。とは言えそれが自分が手を緩める理由にはならない。

「……この先は」

リッツが見る。前方を走る達真の姿が突然消えた。何故ならそこには落とし穴を用意していたからだ。

「くっ、」

達真はギリギリで木の根っこをつかむことで落ちずに済んでいた。下を見れば底が見えない。落ちれば無事では済まないだろう。そうして落ちてしまえば後は埋めるだけで済む。死体すらそう簡単には見つからない。砂漠ではこうは行かない。はっきり言って油断した結果だろう。

「……」

這い上がり、木陰に身を隠す。呼吸を殺し、気配を探る。あれだけ深い穴だ。実際に覗いてみても死体など見えはしないだろう。つまり、覗きには来ない。だが別の方法で確認はするに違いない。そしてそれは的中した。

何か風を切る音がした。一瞬見えたそれは矢だった。そしてそれは緑の空間の中に吸い込まれていき、やがて真っ黒なそれを呼び寄せた。

「……まじかよ」

熊だった。わき腹のあたりに矢が刺さって激昂した熊が匂いを頼りに達真へとまっすぐ向かってきた。拳の死神ならまだしも自身に熊と戦うだけの能力はない。そう判断した達真がすべきは逃げること。

「……」

運がいいのか填められているのかすぐ背後には落とし穴がある。そこにうまく落とせば逃げ道はあるだろう。だが、これだけ周到な相手だ。この状況を利用してこないわけがない。矢を使うのだから落とし穴に熊をおびき寄せる際に射抜いてくるかもしれない。

「とは言え、他にない……!」

達真は全力ダッシュで落とし穴の向こう側へと走る。銃とは違い、矢ならまだ見抜けるかもしれないと言う思いで敢えて見晴らしのいい場所を選んだ。近くにバスケットボールほどの大きさの岩があった。熊が迫り来る。落とし穴を飛び越す勢いだ。迷いはない。達真は岩を持ち上げて飛びかかってくる熊に投げつける。空中で激突を果たした事で移動エネルギーが軽減し、熊は穴の中へと消えていく。同時に達真がかがむと、頭上を一本の矢が掠めた。

「……あっちか」

達真が矢の飛んできた方向へと身を低くして走る。途中で丈夫そうな木の枝を拾う。数秒後に飛来した矢を木の枝で払いのける。

「……見えた」

やがて、木陰から矢を構えていたリッツの姿を見つける。

「……!」

リッツが弓矢を捨て、何かを手に持つ。それは蜂の巣だった。

「……どこまでも手段を選ばないつもりか……!」

木の枝を槍のように投げつける。リッツは回避しつつ蜂の巣を達真に向けて投げ飛ばす。達真はスライディングして回避してリッツへと距離を縮める。

「!」

「ここまでだ!!」

身構えたリッツに超低空タックルを打ち込み、ともに坂道を転がり落ちていく。

「ぐっ!!」

大木に諸ともに叩きつけられて二人揃って動きが止まる。このまま倒れたままでは始末される。そう思っていてもどちらも腰を強打している関係で立ち上がれない。

「……陽翼はこんな事をしても喜んだりしないぞ……!!」

言葉は通じない。そう思いながらも達真は言葉をリッツにぶつける。

「……」

リッツは返さずに自身の体内から痛覚を排除することで歪ながらも立ち上がった。

「……私の目的はただあなたを始末すること」

「……!お前、日本語喋れるのか……!?」

「……やはり私をシフルだと思っていたみたいだ。私はリッツ。リッツ・黒羽・クローチェ!!」

リッツは跳躍して素早く達真の背後に回り込み、背後から達真の首を絞める。腕力のリミッターも解除したことで達真は尋常ならざる怪力で身動きと呼吸を封じられた。

「あなたに恨みはない。でも、私の存在意義のために死んでもらう」

「お前が何者なのかは知らない。だが、誰かのための人生に意味などない!」

達真は一瞬でリッツの腕の関節を決めて離脱。そのままリッツの左腕をへし折る。そのまま頭突きで押し倒し、のしかかっては何度も顔面に拳をたたき込む。

「……くっ!」

痛覚を失ったリッツでもダメージで視界が真っ赤に染まる。何とか振り払おうにもリミッターを解除したせいで腕が動かない。

「はあ……はあ……はあ……」

リッツが動かなくなったのを確認して達真が立ち上がる。手についた血が生々しく、そして在りし日のことを思い出させた。手についた血糊、倒れ伏す少女。嫌な追憶が脳を焼いた時。

「couldn't beat it.」

「!?」

どこか懐かしい英語。それを耳にした瞬間。耳をつんざく銃声が響いた。

「……がはっ!!」

血を吐いて倒れる達真。かつて甲斐に打ちのめされた時とは違い、内臓から来る激しい血の洪水。口からだけでなく胸からも大量の出血が止まらない。

「し、シフル……」

リッツが目だけでシフルを見やる。狂喜と言う表現がふさわしい表情のシフルが硝煙を靡かせた拳銃を握っていた。

「け、拳銃まで仕入れていたなんて……」

「There is not over in the world.」

「……やりすぎだよ。もし、誰かに知られたら……」

「I need you for that want you to die because you're in love with him.」

「……矢尻達真と心中したことにして欲しい……!?」

驚くリッツにシフルは拳銃を投げ渡した。

「The last mission,Ritz.」

「……そんな……」

嘆くリッツ。その唇を己の唇で塞ぐシフル。そして彼女は笑顔で去っていった。与えられた最後の指示。リッツはへし折られた腕で拳銃を手に取る。ついで達真を見た。

「…………っ、」

激しい出血によりもうほとんど身動きがとれない状態だ。恐らく数分の命だろう。シフルに見捨てられた以上、リッツも同じ運命を辿るしかないだろう。後悔も疑問もない。恐らくシフルはこのために自分を作ったのだから。しかし、いずれ自分達の死体は警察に発見されるだろう。このまま自分が拳銃を握っていればシフルの言ったように心中した扱いになるかもしれない。だが、機関は許さないはず。拳銃まで持ち出して殺人を犯したのだ。そしてリッツが死体で発見されたとなれば当然その管理人であるシフルが疑われ、犯人として確定される。そうなればシフルの運命も変わらないだろう。

「……死にたくない……」

それは死の恐怖から逃げるための言葉ではない。生還することでシフルの罪を可能な限り減らすため。達真はともかく拳銃を持っている自分だけはこの森から生きて帰らないといけない。

その一念だけで立ち上がった時だ。

「はい、よく言えました」

「!?」

少女の声。見れば、高等部のジャージを着た少女がそこにいた。




病院。達真が見上げたそれは見知らぬ天井だった。

「……ここは……」

「目が覚めたみたいね」

声。見れば火咲がいた。

「……お前……」

「あんたはまだゆっくり寝ていなさい。生きてる方が不思議なくらいの重傷なんだから」

「…………生きてたのか」

「そうよ。あんたも私もまだまだ生きなきゃね。まだ15歳なんだから。最低でも穂南蒼穹よりかは長生きしないといけないわ」

「……そうだな」

視線を見知らぬ天井に戻す。

「……俺はもう16歳だ」

「あれ、誕生日4月だったんだ。おめでとう」

「…………」

「ってなんで泣いてるのよ!あんたもあの人も変なところにスイッチあるわね本当」

「……誕生日を誰かにお祝いされたの、久しぶりなんだ………。ちゃんと、権現堂も蒼穹さんも紅衣も陽翼も……言ってくれていたはずなのに……」

「……陽翼?」

「……大切な人だったんだ。俺は昔、両親と一緒にイタリアに住んでいたんだ。そこで出会ったんだ。名字のない、陽翼に」

「……」

火咲は無言のまま達真の話を聞く。

「でも、アレルギーなのを知らなくて……俺が蕎麦を食べさせたから……。それで俺の両親は消されて……俺だけが日本に来たんだ。権現堂や蒼穹さんは俺の日本での居場所だったんだ……でも……」

「でも?」

「…………」

言葉は続かなかった。見れば達真は再び寝息をたてていた。

「……」

火咲はスマホを取り出してある番号にかけた。

「……もしもし」

甲斐の声がする。一瞬だけ火咲もまた心が揺れたがしっかりと抑え戻す。

「達真、意識が戻ったわよ」

「この声は、火咲ちゃんか……!?どうして俺の番号を知ってる……?君は今までどうしてたんだ……!?いや、それより矢尻は無事なのか?」

「ええ。またすぐに寝ちゃったけどね」

「……病院は?」

「今日はもう遅いから明日にしたら?でも、あんたはここに来ない方がいいかもしれないけど」

「は?どうして……?」

「来てもいいけど、あんた一人で来なさい。赤羽美咲や妹は特に連れてこないで」

「……何だか分からないが、一応分かった」

「……それじゃね、変態師匠」

それだけ言って通話を切り、病院の名前をメッセージで送信した。

「……暗雲が動き過ぎよね。嵐になりそう」

火咲が達真の部屋を出る。そしてある部屋にたどり着いた。そこには二人の少女が眠っていた。


・遠足翌日。甲斐はただ病院に行くから今日の稽古は最首に頼むとだけ伝えて一人スマホに送られてきた病院へと向かった。大倉のスタッフも使えないから甲斐は久しぶりに電車を使って1時間ほど離れた駅で降りた。そこからさらにバスで30分ほど離れた先。愛甲石田森の里病院。

「……立場が逆だったら矢尻の奴はたどり着いてなかっただろうな」

小さく笑い、病院の中に入る。

「あら、もう来たの」

ロビーには火咲がいた。その手にはホットドッグが握られていた。

「火咲ちゃん、それくらいは出来るのか?と言うか何かちょっと……」

「何?女の子をじっくり見るのは父親と彼氏しか許されない行為よ」

「……わ、悪いな。で、ここに矢尻が?」

「そう」

「……と言うか君は今までどこにいたんだ?赤羽から数日帰ってきてないって聞いたぞ」

「……ちょっとね」

火咲がやや不器用ながらもホットドッグを頬張る。二人は適当にベンチに座る。

「どうしてここへ来ることを赤羽達に話すなって?」

「…………よくわからないのよ、あいつ」

「赤羽が?……あの子から君との関係を聞いた」

「何だって?」

「腹違いの姉妹だって」

「……そう。別にそんなの意識したことないけど」

「……君はあの子に不信感を抱いているとでも?」

「そうね。何もかもが不自然だわ。私達3人の中で唯一赤羽美咲だけがその遺伝子を特別視されている。私も赤羽剛人も三船にあそこまで薬漬けにされてはいないわ」

「……」

確かに剛人に関する違和感はあった。剛人は妹を探していた。だが、後の様子からして赤羽が大倉に来たのは三船も承知の上に見える。つまり剛人は無意味に妹を捜させられているまたは、組織に逆らって行動していたことになる。けど、それは剛人だけの問題だ。言ってしまえばその遺伝子の特殊性が赤羽美咲より低いから三船からはそこまで重要視されていない可能性が考えられる。しかも赤羽ほどではないとは言え火咲は両手の握力がなくなるまで何らかの実験を受けていた。だが、剛人はその形跡が一切見あたらない。下が生まれるほどに三船の実験は大規模になって行っている。普通こういう場合上の世代は使いつぶすくらいで技術を高めて下の世代は無駄なくするのではないだろうか。

「あなたが考えているのとは多分別だろうけど」

食べ終わり、手を拭く火咲。

「じゃあ、そろそろ行きますか」

「そうだな」

二人で達真の病室へと向かう。

「権現堂とか紅衣ちゃんとかには知らせたのか?」

「してないわ。まずはあんた一人の方がいいと思って」

「……そんなにひどいのか?俺達は矢尻が撃たれたとしか聞いていないが」

「撃たれたのよ。三船にね」

「何で三船が矢尻を撃つんだ?あいつは何も関係ないだろ」

「今回の件、三船の連中がやったのは事実だけど三船所長の指示の埒外よ。だから今本当に大変なことになっているのは三船の方。大倉はともかく伏見からは強烈に詰問されているに違いないわ」

「……」

三船も一枚岩ではないと言うことだろうか。それとも剛人を勝手にさせていたのと同じように最優先事項以外の管理は甘いとかそう言うことなのだろうか。実際に隣を歩く火咲も三船から逃げてきたようだがしかし、追っ手が来ているとかそう言う様子は見あたらない。嫌むしろ逆に、今回達真が樹海で撃たれるという三船にとって絶好の機会、その間に火咲が行方不明になっていたのは不自然と見るべきか。明らかにそれまでの放置主義ではない、邪魔になりそうな存在を排除した上での犯行だ。尤も、犯行が終わった後にこうして火咲が解放されているのを見るに犯人は火咲をも排除するということは出来ない可能性があるが……。

「ん、待てよ。1つ気になったがここって三船に知られているのか?」

「…………知られていない可能性が高いわ。私にこの場所を教えたのは三船の人間よ。でも、今回の件には直接関わっていない」

「……三船はどれだけ仲間割れが好きなんだ」

統率がとれてなさすぎるというか、所属している人間が全員好きなようにやっているようにしか見えない。どんな事情があるのかは知らないが普通誰かを襲撃して病院送りにしたらその事実は伏せるものだろう。なのにどうして情報を知らない火咲にその情報を伝え、そしてその火咲も自分に情報を伝達するのか。

「……火咲ちゃんはまだ三船なのか?」

「私は自分が三船だと思ったことは一度もないわ。確かに三船に体を結構弄られたし、最初のクローンは私から作られたわ。でも、三船に何か恩があるわけでも目的を同じにしているわけではない。でも、向こうはそうは思っていないのかもしれないわね」

「……火咲ちゃんは、誰が矢尻をやったのか知っているのか?……いや、ちょっと待て。三船は矢尻が生きていることを知らないのか?」

「今回の主犯に関しては知らないんじゃない?周りはあくまでお芝居につきあって上げただけ。そして、その主犯の名前はシフル=クローチェ。三船で遺伝子学を担当していたクローチェ博士の娘……表向きにはそう言う立ち位置にいるわ」

「表向きにはって……」

「さっき言ったでしょ。最初のクローンは私から作られたって」

「……まさかそのシフルって子は君のクローンなのか……!?」

「そう。試験運用的に最初に作られたクローン。だから零号機シフルって名付けられたわけ。まだ赤羽美咲の遺伝子が特殊だと認められる前の存在だからクローン体としては特に変わったところはない。だからクローチェ博士の亡くなった実の娘の代理品としてその後暮らすことになった。三船の研究には関係せずにクローチェ博士の実家であるイタリアで暮らしていたはずなんだけどね」

「……」

甲斐は唾を飲み込んだ。三船関係はおおよそファンタジーとしか思えないことを実際にやっている。そう言う認識はあったが急に現実味を帯びてきたというか、現実だと分かっていても中々脳が理解してくれそうにない感覚だ。

「けど、そのクローチェ博士が病気で亡くなって、シフル=クローチェは来日。赤羽美咲から作られたクローンを使って今回の行動を起こしたってわけ」

「……そこにどうして矢尻が関係するんだ?まさかクローチェ博士とやらを殺害したとでも言う気か?」

「達真はそこには関係ないわ。……まあ、直接本人から聞きましょう」

会話している内に達真の病室へとやってきた。火咲が足でノックしてから返事を待たずに入室した。

「……返事くらい待てっての」

一人部屋。達真は起きあがってスマホで何かを見ていた。最初は甲斐の存在に気づいていなかったがすぐに気づいてスマホをテーブルに置いた。

「死神先輩……」

「何だよ、その呼び方。で、体の方は大丈夫か?特に土産はないぞ」

「……最首先輩から先輩が入院していた時にパイナップル食わせたら大変気に入ったって聞きましたけど」

「野郎にプレゼントを食らわせてやる趣味はない」

ドアを閉めて二人は達真の近くに歩み寄る。

「矢尻、火咲ちゃんからはどこまで聞いている?」

「……三船道場。いや、三船研究所と赤羽美咲のクローンについては」

「お前をやった犯人は?」

「……シフル……クローチェとか言ったな」

「……面識があるわけではないのか」

「……全くないわけではありません。ただ名前を知らなかった」

「……話してもらおうか。何故シフルちゃんとやらに殺されかけるような羽目になったんだ?」

「……面白くない話ですよ」

傾けたベッドに背を倒して深呼吸する達真。

「俺は両親が考古学者でして、昔はよく海外に行っていたんです。実質小学生くらいまではほとんど日本にいませんでした。たまたま4年生くらいの時にちょっと長めに日本にいた際に空手をやり始めたんですが5年生くらいの時にはまた日本を離れてイタリアに行ったんです」

「……ほう、そこでシフルちゃんに何かしたわけか」

「……あいつ本人にじゃありません。俺はイタリアでの仮住まいをしているときに一人の少女に会ったんです。その子の名前は陽翼。とある理由で名字が存在しない一族の人で、とある決して明かせない理由により日本を離れて暮らしていたんです」

「……OK。ちょっと待て。何かその話の時点でもう聞いてはいけないことを聞いた感が強いんだが」

「なので流します。俺はイタリアに住んでいた数ヶ月の間、陽翼とよく遊んでいました。向こうの家族……と言っても日本から追放された妾の人しかいませんでしたが」

「あーあー、何も聞いてない」

「とにかく家族付き合いをすることにしたんです。俺はつい調子に乗って日本の話をしたり空手を見せたりして彼女に日本に対する興味を持たせてしまった。……俺が12歳になる頃に両親に連れられて砂漠の調査に行きました。でも、陽翼はそこについて来てしまったんです。しかも、その友達までも」

「…………あー、察したわ」

「ええ。結論から言って俺は陽翼と一緒に砂漠で迷い、非常食として渡された蕎麦の缶詰を陽翼と一緒に食べたのですが陽翼は蕎麦アレルギーでして、他に誰もいない砂漠で陽翼はアナフィラキシーショックを起こしてしまい……その最後の瞬間をその友達にも見られてしまったんです」

「それがシフル=クローチェか」

「……はい。この責任をとらされて俺の両親は存在を消され、俺は一人で日本に戻ってきました。シフル=クローチェからしたら俺は彼女の友達を殺したも同然。だから今回、4年後の亡霊として俺を殺しに現れても不思議ではないんです。……まあ、一命を取り留めてしまいましたけどね」

「でも、向こうはそれを知らないらしい」

甲斐が視線を火咲に移す。

「ええ、その可能性は高いわ。あんたは三船からはもちろん大倉からも伏見からも目が届かないこんな場所にまでわざわざ運ばれたのだから」

「……俺の死を隠すため……?何故わざわざそんなことを……」

「今回の件は零号機の暴走に過ぎないからよ。拳銃まで持ち出して一般人を殺害なんてしたら三船は伏見から徹底的に追及されて、下手すると財産差し押さえで何も出来なくなるわ。所長も逮捕されかねないしね。で、もしそんなところであんたが生きていると零号機が知ったらどうするかしらね」

「……また殺しに来るか」

「三船に下のものを管理する能力はないわ。零号機はまたあんたをどんな手段を以てしても襲い、今度こそ三船は終わりよ」

「……だから矢尻の生存を隠すのか。シフルちゃんが学校を去るまでの間」

「そう。あんただけに教えたのはあんたなら三船に、零号機に接触することもないでしょうから。零号機はあんたを警戒していた。だから向こうからあんたに接触する事もないでしょう」

「……赤羽や和佐は?どうして名指しで伝えないようにしたんだ?」

「…………赤羽美咲は三船の人間よ。大倉に入ろうとも赤羽美咲には三船より前の記憶がないんだもの。あんたの妹に関しては、ただ私が知らないだけ。信用出来る出来ない以前の問題なのよ」

「……」

恐らく本来なら一発殴るべき発言なのだろうが、しかし正論でもある。火咲はおろか実兄である甲斐とて妹のことは絶対信頼とまでは行かない。赤羽に関しても物心ついたときには三船にいたという経歴。何より、久遠との試合の後に三船によって再修復を受けている事から三船との繋がりがないとは言えない。

「……最上、俺はいつ退院できる?」

達真が尋ねた。

「怪我そのものが決して軽くはないから一ヶ月は入院して置いた方がいいわね。まあ、その一ヶ月もあれば零号機はとっくにあの学校を去っているでしょうから」

「権現堂や紅衣には伝えちゃいけないのか?」

「あのデカ物はともかく紅衣はやめておきなさい。一般人よ。手段を選ばない零号機の手に掛かれば大変なことになる」

「いや、火咲ちゃん。紅衣ちゃんには伝えたい。先月、姉を失ったばかりなんだ。立て続けに身の回りの奴が死んだらあの子は耐えられないかもしれない」

「……一週間後ならいいわ。どうせその頃には零号機もいなくなっているでしょう」

「……最上、ここに運ばれたのは俺だけか?」

「そうだけど?」

「シフル=クローチェと同じ顔をしたあいつはどうした?」

「りっちゃんの事?」

「りっちゃん?」

「零号機から作られたクローンよ。クローチェ博士が病死する直前に作られたクローチェ博士製最後のクローン。今回零号機のお目付役に選ばれて一緒に行動しているはずよ」

「……俺はそいつと戦って戦闘不能にした。一緒に病院に送られてもおかしくないはずだ」

「なら安心よ。零号機と一緒に三船に回収されてるでしょう。まあ、戦闘不能って言うなら赤羽美咲同様に大倉か伏見の手に渡っているかもしれないけど」

「……シフル=クローチェはあいつに俺と心中したように見せろと言って去っていった。死ぬことはないだろうが……」

「……気になるの?」

「シフル=クローチェの関係者と言っても陽翼の関係者じゃない。俺はあいつをシフル=クローチェだと思って仕方なくタコ殴りにした。巻き込んでしまったんだ」

「矢尻、相手は無抵抗だったのか?」

「いや、毒蛇投げてきたり弓矢使ったり落とし穴使ったり熊を寄越したり本気で殺す気でした」

「……予想以上にアグレッシブだな」

「三船のクローンは全員なにがしかの戦闘技術を仕込まれているわ。りっちゃんも必要最低限の体術は出来るけどそれ以上に周囲のものを利用するとか目標を達成することを最優先にするとかそう言うプログラムが仕込まれていたかもしれないわね」

「……矢尻、空手は守りの体術だ。誰かを守るためでもあるが自分の身を守るための力でもある。たとえお前が相手を勘違いしていたとしてもその相手がお前を殺しに掛かってきていたならばそれは正当防衛だ。別に自分の命を最優先にしてもいいんだぞ」

「……押忍」

「……さて、一週間くらい赤羽に嘘つかなきゃいけないのか。そこはちと頑張らなきゃな」

甲斐が息を吐いて椅子に座り、見舞い品のバナナを手に取った時。スマホがバイブした。

「最首か。どうかしたか?」

「あ、廉君?久遠ちゃんと赤羽ちゃん知らない?道場に来ないんだけど」

「……は?いや、見てないけど」

「スマホにも繋がらないの」

「……嫌な予感がするなぁ……。大倉のスタッフは?」

「状況を確認中だって……あ、ちょっと外すね」

「最首?」

通話が切れた。

「どうしたの?」

火咲が尋ねる。

「赤羽と久遠が稽古に来ていないらしい。連絡も繋がらない」

「……確かに嫌な予感がするわね」

「ん、メール?」

電話ではなく、最首からのメール。そこには交流大会でよく使われる会場の名前だけが記載されていた。

「……ここに来いって事か。火咲ちゃんここにいてくれ」

「……分かったわ。くれぐれも達真のことは口外しないでね」

「……ああ」

甲斐は病院を後にし、大倉のスタッフに電話をするのだが繋がらない。仕方がないので一度寮に戻り、誰かに車を出してもらう事にした。

「……一応あいつにも声をかけておくか」


交流大会会場。最首は大倉のスタッフに案内されてそこへやってきた。

そこにはシフルがいた。

「誰?……ちょっと赤羽ちゃんに似てる……」

「私の目的は、大倉が捕まえたまだ生きているリッツを私に寄越しなさい」

シフルが翻訳ソフトを用いて最首やスタッフ達に告げる。

「……どう言うことですか?」

「……先日、大倉機関は負傷した三船のクローンを一人回収しました。彼女はその回収に来たのでしょう」

「……赤羽ちゃんのクローン……三船案件じゃない……。どうして私がそれに……?」

「……これはゲーム。人質を増やすためのゲーム。面白いゲーム」

シフルが指を鳴らすと、奥の部屋から同じ顔の少女が3人歩いてきた。

「……赤羽ちゃん……」

「…………」

全員同じ顔だし年格好も近い。だが、最首にはその中に赤羽がいることを瞬時に見抜いた。

「赤羽ちゃん!どう言うことなの!?」

「……久遠が人質にされているのです。そちら、シフルの目的は大倉機関が捕らえている黒い羽の個体……リッツ=黒羽=クローチェを引き渡すこと。もしくはそれが出来ない場合には始末することです」

「……そんな、」

最首はスタッフ達を見る。そのサングラスの面々でも明らかに驚愕や焦燥の様子が見て取れる。狂言ではないのだろう。しかしいきなりこのような状況になって最首もまた自分が冷静でないことに気づくのに時間がかかる。やがて、

「赤羽美咲、その女と戦いなさい」

「……え?」

シフルの声を聞いて赤羽が振り向く。

「あなた達は全て私のクローン。全て私がマスター。マスターの指示を聞いていればいい。早くなさい」

シフルがスマホを見せる。その画面にはどこかの部屋に幽閉された久遠の姿が映っていた。

「…………くっ!」

表情を険しく、赤羽は一歩前に出た。

「……赤羽ちゃん……」

「私達が傷つけ合うことでシフルの注意を引きましょう」

「……こんなことで……」

「スマホを出しなさい。胴着に着替えるだけの時間と場所は用意して上げるわ」

シフルが手を前に出す。仕方がなく最首は自分のスマホをシフルに渡し、胴着を持って更衣室へと向かう。着替えながら最首は何とか冷静さを取り戻そうと考えをまとめる。

大倉のスタッフは何人かいるのに何かをしているような動きは見られない。明らか警察を呼ぶような事態だというのに。とは言えスマホを奪われてしまった以上、自分が警察を呼ぶことは出来ない。自分に出来ることはシフルを刺激して久遠を傷つけないように、彼女の言うことに従って赤羽と戦うしかない。

「……こうなったら廉君が気付いてくれるのを待つしかないか」

着替え終わり、最首がコートに戻る。

「……ちゃんと来たようね。では、サイシュハルカ。赤羽美咲にボコボコにされましょう」

「……シフル、日本語がおかしいです」

「……Why can't I understand English to become this country.」

残念ながら最首には聞き取れなかった。


「……あーあ」

久遠は幽閉されていた。それは今から2時間ほど前。学校の帰りに赤羽と同じ顔をした、日本語が通じない同い年くらいの少女と遭遇したのがいけなかった。赤羽と同じ顔って時点で三船関連の怪しい事案だと疑っていたのだがしかし、明らか誰かの命令で動いているようなそんな様子ではなかった。道に迷っているようなそんな様子だった。だから声をかけてしまったのだ。

日本語が通じないからとりあえず名前だけ名乗っておいたら様子がまた変わってどこかに連れて行かれて……気が付いたらここ、三船研究所が管理している施設のとある一室に幽閉されていた。

「……嫌な匂いまだ残ってる」

口元からは薬品の匂いが漂っている。多分それで気絶させられたのだろう。感覚的に痛みはないから体に怪我はないと思う。しかし両手足は縛られているし、何故か下着は脱がされているしで非常にアレな感じがする。

「……久遠ちゃんもしかして大人の階段上っちゃった?」

なんて現実逃避していると、突然目の前のドアが揺れた。

「え?」

「……そこか」

声。次の瞬間、ドアが打ち破られて一人の青年が姿を見せた。

「……だ、誰……?」

「妙なプレイが気に入っていたらすまないが、ここから脱出させてもらうぞ」

青年が久遠へと近づき、手足を縛るロープをほどいた。

「……あの、誰?大倉道場の人?」

「……違う。俺は、赤羽剛人だ」

「……赤羽剛人って……美咲ちゃんのお兄さん……!?」






・交流大会会場。コート。時間制限なしのコートの上で最首はひたすら赤羽の攻撃を回避していった。互いに冷静でないのは確かだがそれにしても赤羽の動きはいつもより数段質の低いものだった。よってただでさえ格上の最首にはその攻撃は一切届かない。

「……Why doesn't her attack reach?」

「……相手の方が遥かに格上」

白羽睦月が小さく返答する。青羽識は無言のまま。

「……」

どうやってあの3人は英語と日本語で会話が出来ているのだろう?

最首はそんな疑問を挟みながらついうっかり赤羽の足を払ってしまう。

「あ」

「くっ、」

赤羽はギリギリで受け身をとるが転倒してしまう。

「あ、ごめん」

「い、いえ」

「……Aren't they really fighting?」

「え?」

シフルの呟き。和訳は出来なかったが最首は何か嫌な予感を感じた。

「赤羽ちゃん、あの子なんだって?」

「……本気で戦っていないことを不満に思っています」

「何で英語なのに分かるの!?」

「……三船製クローン人間はイタリア人の科学者に作られています。英語とイタリア語はマスターしています」

「あ、そうなんだ……」

「とにかく最首さんも全力で戦ってください。今のこの時間は決して闇雲ではないので」

「……分かった」

赤羽が立ち上がり、最首に向かっていく。その動きに迷いはない。以前、遠山弟と戦った時以上の鋭さは赤羽の本気の証だろう。その動きにやや感嘆を覚えながら最首はその倍以上の速さで赤羽への距離を縮める。

「!?」

「私はあまり好きじゃないけど必要だからたまにはやるよ。本気の見取り稽古!」

赤羽の反応を大きく差き回る速度で最首の連続攻撃が赤羽に刺さる。赤羽よりかも一回り低い背丈で、しかしその身体能力は赤羽を完全に上回っている。速度だけじゃない、動きの質も含めて全てが赤羽の理想と言っていいものだった。

「……あれじゃ赤は長く持たない」

睦月が小さく呟く。シフルは驚き、識は無反応。その間にも赤羽は一方的に追いつめられていく。たまの反撃で赤羽が蹴りを放ってもその間に最首は最低3発は赤羽に蹴りを打ち込んでバランスを崩して蹴りを届かせない。徹底的な先読みと先制攻撃で相手の技を不発させる、能動的なカウンター。速さと早さのスピードを最大の武器として長年戦い続けてきた最首だからこそ出来る一種の極意だ。

「くっ、」

赤羽が制空圏を固めようとしても一瞬でその薄いところを見破って連続攻撃。バランスを崩せばそこからさらに一斉攻撃。怯む暇さえ与えない怒濤の連続攻撃。一発一発は決して重くはないがトータルで見れば身長150に満たない細身の女子が出すとは思えないパワーだった。本来なら試合時間が続く限り行い、徹底的に相手の体力を削りきるのがセオリーだがこの試合に時間制限は存在しない。よって最首は十分の赤羽の両足を痛めつけてから自身の右足を赤羽の右肩から首に巻き付けるように固める。

「!?」

「空手じゃないからこの技は参考にしなくていいよ」

とだけ告げてから最首はまるで蛇のように赤羽の体に巻き付き、高速で回り始め一瞬で赤羽の全身の関節を外してから背後に回り込んで着地、逆巴投げで赤羽を大倉のスタッフの方へと投げ飛ばした。

「……Isn't that afoul with karate?」

シフルがどん引きしてる。睦月もそこまでではないが衝撃を受けていた。

「空手では1秒以上相手の体を掴んではいけないってルールがある。でも、あの技はどこも掴んでない。プロレス技のローリングクレイドルに近いけどそれを空手のルールに抵触しない範囲で改造してる。小柄な女子でも人間である以上体重は存在するし、その体重を活かした技以上にパワーが出せる技もない。だから相手に巻き付いて自分の体重で相手の関節を崩して最後に相手を投げ飛ばす。最後の投げ以外に手も足も使用していないから仮に手足を破壊されていても使用可能なくせに相手の手足を破壊する自分勝手の極みみたいな技だよ。赤でも私でもあれの対処は絶対に無理」

「It seems that made a mistake in selecting the hostages.」

「けど、馬場久遠寺をこの場に用意したとしても最首遙を捕まえるのは難しいと思う。もう少し赤羽美咲の周囲を調べておくべきだった」

睦月がため息を付く。その先では赤羽が立ち上がろうとして、しかし両足の関節を外されているためその場で倒れ伏した。

「……ここまでのようね。次は誰が?」

最首が睦月達を見た。

「……」

「待って。青は最後。……私がいく」

睦月が前に出た。しかし、

「じゃあ、相手は久遠ちゃんだね!」

「え、」

そこに走ってきたのは久遠だった。

「Why!?」

疑問に叫ぶシフル。睦月や最首達も驚いている。

「久遠!?どうして……!?」

倒れたままの赤羽が久遠へと視線を向ける。

「簡単に捕まったままでいる久遠ちゃんじゃないよ?さあ、久遠ちゃんの相手は誰?」

「……どうやって抜け出したの?」

睦月が久遠の前に歩み寄る。

「お、美咲ちゃんと同じ顔なのに久遠ちゃんと同じくらいの年齢。色々あれだね」

「……いや、久遠ちゃんが人質から解放された以上、これ以上戦う必要はないよ。スタッフさん、早く!」

最首の言葉を受けてスタッフ達がやっと動き出す。が、

「……これは三船の問題だ」

そこへ剛人がやってきた。

「兄さん……!」

「赤羽剛人……!」

「Tsunehito,Akabane……!!」

それぞれ視線を集める。現れた剛人はそれらを一蹴して赤羽に歩み寄り、外された関節を全て一瞬で元に戻す。

「兄さん……」

「零号機の暴走の話は聞いている。だから三船を代表して俺が来た」

「……Prototype?」

シフルが剛人を睨む。

「自分の正体も知らない残念な操り人形が」

「I'm not a puppet,There isn't direct connection betwee Misaki Akabane and my DNA!So I'm not her clone!doesn't know anything!!」

叫ぶシフル。

「……何だって?」

最首と久遠が同時に赤羽を見た。

「……操り人形でも私のクローンでもないって言っています」

「事実は?」

「……確かに彼女は私のクローンではありません。ですが、」

「美咲もまたクローンではない。美咲がこの世に生を受けたのは確かに14年前だ。逆にあいつが生まれたのはその1年後。時系列的に合わない」

「……シフル=クローチェは私の腹違いの姉である最上火咲さんから作られた最初のクローン。言ってみれば私とは姉妹のようなもの」

「Not!!!」

叫ぶシフル。そして懐から取り出したのは拳銃だった。

「!?」

躊躇なく引き金が引かれ、銃口は赤羽を向いていた。が、

「……ぐっ!!」

放たれた銃弾を受けたのは剛人だった。

「兄さん!!」

左腕で銃弾を受け、貫通して背後の赤羽に行かないように素早く剛人は腕を振るい、銃弾を別方向へと撃ち抜かせた。

「……なら、俺はお前達全員の兄だ。妹の罪を背負う責任がある。そして止める覚悟もある!」

「You can't do anything with that wound.Die!!」

シフルが再び銃口を剛人へと向ける。

「さ、させない……!」

「……!」

シフルへと飛びかかろうとした久遠を睦月が遮り、畳の上を転がる。

「邪魔しないで!」

「たとえこちらが間違っていたとしても従うのが私の役目」

「そんなおもちゃみたいなこと!」

シフルへと向かおうとする久遠。その手を払う睦月。

「久遠ちゃん!!そのままその子を!!」

最首が身構え、シフルへと向かう。が、

「……」

「え、」

気が付いた時、目の前に識が立っていた。そしてその膝蹴りが最首の胸に打ち込まれていた。

「ぐっ!!」

胸を押さえて後ずさる最首。しかし識は逃がさず跳び蹴りで最首を弾き飛ばす。

「……動きが全然違う……!!」

「最首さん、その個体は青羽識……!戦闘用に特化した個体です!」

「……ちっ、」

剛人が最首と識の間に入ろうとすると、再びの銃声。

「がはっ!!!」

「兄さん!!」

銃弾は剛人の腹を貫いた。さらに背後にいた最首の右肩をも貫通する。

「うううっ!!」

「Everyone should die!!」

「遙ちゃん先輩!」

「あなたのあいてはこっちでしょ?」

よそ見をした久遠の鳩尾を狙う睦月。しかし久遠は制空圏でそらす。

「え、」

「悪いけど今から久遠ちゃんはスーパー最強モードで行くよ!」

直後久遠は右足を睦月の帯にひっかけてそのまま右足だけで空高く投げ飛ばす。

「……データによればこの技は膝天秤。膝にさえ注意をすれば、」

「過去のデータなんて久遠ちゃんには通じないよ!」

跳躍した久遠が空中で睦月に向かって連続で回し蹴りを打ち込み、睦月を独楽のように回転させる。そして両足の指で睦月の帯をつかみ、

「膝拉弁天落とし!!」

二人分の体重を乗せて高さ3メートルの高さから睦月は両膝から着地。

「……くっ!!」

「まだまだ!」

帯を足で掴んだ状態でバック転。その勢いで睦月を再び上空へと投げ飛ばす。続いて久遠自身も跳躍して空中で逆さまになった睦月の右腕に両足を乗せて、右手で睦月の右足をつかみ、頭から地面に叩きつける。

「冥王落とし!!」

「………………でたらめすぎる」

両足と右腕を破壊されて睦月が倒れる。それを確認してから久遠がシフルへと向かう。

「Hit and die,baby!!」

「久遠ちゃんの制空圏なめるなぁぁぁっ!!!」

三度放たれた銃弾。まっすぐ久遠へと向かっていき、そして久遠の右手によって払われた。

「!?」

「虎徹絶刀せ……」

「……」

勢いよく放つ下段蹴り。しかし、その一撃は届かなかった。

「!?」

久遠の顔面に識の足が炸裂していた。

「……う、」

「久遠!!」

鼻がへし折れたのか、大量の血を流しながら倒れる久遠。その帯を掴んで最首に向けて投げ飛ばす。

「むちゃくちゃな……!」

受け止める最首。その直後、識は跳躍して最首の肩の上に着地。その衝撃だけで最首の両肩を破壊。さらに足で頭を挟んで最首の体を両足だけで投げ飛ばす。

「最首さん!!」

赤羽が最首と久遠をまとめて受け止めるが、受け止めきれずに横転。

「こ、これが戦闘特化型……」

赤羽が目をむく。わずか数秒の間に久遠、最首、剛人を撃破して無傷で立っている。

「……美咲は逃げろ」

血だらけの剛人が立ち上がる。

「けど、兄さん!」

「いいから逃げろ!!」

剛人が識へと向かう。しかし、識は一瞬で剛人のバランスを見抜き、剛人の蹴りを最低限のダメージで受け止めながら逆に剛人の胸の傷を蹴り抜く。

「ぐううっ!!」

畳の上に剛人のもので出来た赤い血だまりが生まれる。

「……Check mate.」

シフルが銃口を剛人へ向ける。剛人は立ち上がろうとしてしかし、立ち上がれずひざまつく。シフルが指を引き金にかけた時。

「っらぁぁぁっ!!!」

雄叫び。同時に革靴が飛んできてシフルの手から拳銃を吹き飛ばす。

「What!?」

シフルと識が視線を向ける。そこにいたのは、

「……もう、見てられない」

「……里桜さん……!?」

胴着姿の里桜だった。

「……先輩に言われて一足先に来てみたらどうしてこんな事になっているのか……」

拳を握り、震える里桜。まっすぐ識が走っていく。放つは跳び蹴り。しかしその足を両手でつかみ、回転。

「玄武鉄槌!!」

「!?」

識の膝の関節を外しながらその頭から畳の上にたたき落とす。

そこから縮地でシフルの背後まで迫り、拳銃を拾い上げて中から残った銃弾を全て外す。

「!?」

「…………状況はよくわかってないけど、でも……でも!!あんた達は何をやっているんだ!?」

その怒号は大倉の黒服達に向けたものだ。その内の一人に拳銃を投げつけ、振り向いたシフルの首筋に手刀を打ち込む。

「う、」

意識を失って倒れるシフル。直前に識が駆けつけ、シフルを支える。

「……試合の上で怪我して血が流れるのは仕方がないこと……でも、こんなのは違う!!なのにどうして大人のあんた達は止めようとしない!?大人の難しい事情で、人を死なせていいのかよ!!」

怒号。その背後で識はシフルを睦月の傍らに寝かせると、里桜へと向かっていく。

「ええい!!さっきから何だってんだ!!」

振り向き、識の槍のような蹴りを払いのけて接近。その胸にパンチの連打を打ち込み、後ずさった識の帯を掴んで無理矢理引き寄せては、

「青龍邀撃!!」

発勁を込めた拳で再び識を吹っ飛ばす。

「りりゃぁぁぁっ!!!」

一撃で睦月やシフルの横まで転がる識。

「……す、すごい」

赤羽は呆気にとられていた。いつも目上が相手だから常にへりくだっていた里桜の本気の姿。あの拳の死神の弟子にふさわしい鬼神のごとく激しい戦い方。久遠や最首が歯が立たなかった識をここまで一方的にねじ伏せられるとは驚愕を通り越して目の前の景色を信じられなかった。

「……さすがはあの人の……」

「りりゃぁぁぁぁぁっ!!!」

会場全体を揺るがすような気迫。迫り来る識の攻撃も防御も全部吹き飛ばすような打撃の嵐。もし先に甲斐を知らなければ、拳の死神という二つ名だけを知っていれば今の里桜の姿をそう形容していただろう。

「……う、」

その怒号を受けてシフルが意識を取り戻す。その目で見たのは戦闘特化型である識が一方的に叩きのめされている様子だった。

「……Blue!sode:clash!!」

「!」

シフルの指示を受けて識は目の色を変えた。そしてそれまで一方的に殴られてきた里桜の両腕をつかみ、人のそれとは思えない怪力で里桜を投げ飛ばす。

「何だ……!?」

「・ぁあああああああああああああ!!!」

やはり人のそれとは思えない叫び声を上げて迫り来る識は里桜の拳を払いのけてめちゃくちゃに殴るつける。もはやその戦いは空手ではなかった。

「ぐっ、空手は……ステゴロじゃないんだぞ……!!」

里桜は制空圏でそれらを片っ端から防ぎつつ反撃の隙を探す。しかし、機械化された識の動きを里桜は見切れない。

「だったら!!!」

里桜はガードを捨ててひたすらまでに識のパンチをその身で受けまくる。一撃ごとに骨身が砕ける味がする。それでも、

「りりゃあああああああああああああああ!!!」

放った拳の一撃で識を吹っ飛ばす。

「……剛気解放……ォォォォォォォォォアアアアアアァァァ!!!!!」

一呼吸。それだけで里桜は体内の気を解放した。まるで野獣のそれは先ほどまでの識を遙かに上回る。

「うがああああああああ!!!!」

縮地で一気に10メートル離れた識の眼前まで迫り、秒速6発のペースで識をタコ殴りにする。

「……Like a beast……」

シフルがどん引きする。最強と信じて連れていた識が先ほど以上に一方的にボコボコにされていたこの景色はにわかには信じられなかった。

「っらぁぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

血だらけになった拳で勢いよく識を吹っ飛ばし、それに縮地で追いついては跳び蹴りでさらに勢いよく吹っ飛ばす。これを数回繰り返すことで一度も地に足を着けることなく識を壁から壁まで100メートル以上も吹っ飛ばす。

「ぐっ!!」

「はあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」

壁に叩きつけた識の帯を掴んで逆方向に投げ飛ばし、ターン。再び地獄の100メートル走が開始された。

「Blue!!clash!!code:clash!!!」

シフルの叫ぶ声。それを受けて識は里桜の地獄のラッシュをくぐり抜けてその顎に膝蹴りをたたき込み、

「!?」

首を中心に里桜を一回転させてうつ伏せに倒す。その背に飛び乗ってチキンウィングに里桜の両腕を決めて引きちぎらんばかりに左右に引き延ばす。

「Yes!!clash!!classsssssssssssssshhhhhhh!!!!!!!!!!」

シフルの叫びにあわせて識の腕力が膨れ上がり、里桜の両腕の筋細胞が悲鳴を上げる。

「くっ、うううう……ううう……うおあああああああ!!」

里桜は再び剛の気を解放させて無理矢理識をふりほどき、拳の一撃で識を殴り伏せる。

「……駄目」

最首がぽつりと呟く。

「え、」

「……里桜君が死んじゃう……あんなに力を使ったら、脳がオーバーヒートして早龍寺君みたいになっちゃう!」

「そんな……」

「……くっ、」

剛人が立ち上がろうとするがやはり血の海からは出られない。剛人の頭の中では1分もあれば戦っている二人がどちらも死ぬ未来が計算できていた。

「がああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

雄叫びを上げて里桜が立ち上がったばかりの識にひたすら殴り込む。もう識の専用胴着はボロボロになっている。血だらけの肌も見えている。それでも識が倒れて動かなくなるまで里桜の闘争本能は止まらない。対する識も脳内CPUが熱暴走していて空手という枠を越えた動きで目の前の標的を滅ぼす事だけしか考えられなくなっていた。

殴り合う両者の足下に大量の血だまり。両手の拳は既に骨まで見えている。それでも殴る手は止まらずアドレナリンのままに相手の骨身の全てを打ち砕かんとしている。

「うがああああああああっらぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁっ!!!!」

里桜が骨の見えた拳で識の見えているわき腹を何度も殴りつける。そしてその骨を殴り砕くと、その先で守られていた内臓へと手を伸ばして指を突き刺す。

「っっっっ!!!」

「うがああああああああああ!!!」

4本の指の第二関節まで内臓を貫き、今度は一気に内臓を引きはがさんと腕を引く。先ほどまで以上の大量の血が足下の畳を濡らす。その惨劇に言葉を出せるものはない。先ほどまで殺意の呪詛を唱えていたシフルでさえももはや絶望だけを表情に見せている。

「らああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

里桜の右手はついに手首まで識の内臓に入り込み、そのまま掴んだ内臓ごと引き抜こうとする。その時。

「……誰がここまでやれと言った?里桜!!」

「!」

声。同時に里桜がぶっ飛ばされる。

「……本当に遅いんだから」

最首が呟き、意識を失う。薄れゆく視界に残ったのは甲斐の姿だった。

「……はああ……はあ……ああああああああっっ!!!」

甲斐の姿を見ても荒れる気が収まらずに甲斐に向かっていく里桜。

「……完全に剛の気を解放してるな。ミイラ取りがミイラにならないようにしないと」

制服の上を脱いだ甲斐が里桜の拳を掴んで止め、一気に肘と肩の関節を外す。

「少し早めの夏休みをくれてやる。……秋までには戻って来いよ」

「っらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」

里桜は左拳で甲斐の胸を穿つ。甲斐はそれを受け止め、吐血しながら息吹を放つ。

「コォォォォォォォォォォ……」

そして超高速で回し蹴りと貫手を放ち、里桜の手足の関節を外し、肩と脛を貫く。四肢を失い、それでも倒れようとしない里桜の胸ぐらをつかみ、

「青龍倒天!!」

わき腹にアッパーを打ち込んで里桜の体を空高く舞上げた。5メートル以上もある天井に頭からつっこみ、上半身が天井を貫き、そこで止まった。

「……手足全部破壊してから腕力だけで天井まで叩きつけて串刺しにすることで動きを止めるとはな、拳の死神と呼ばれるわけだぜ」

剛人が戦慄の笑みを浮かべてその場で意識を失った。

「……で、どういうことなんだ?」

甲斐が周囲を見渡す。血だらけで倒れて意識を失っている最首と剛人。意識は失っていないが血の海に倒れている赤羽と久遠。わき腹から致死量の血を流している識。明らか事件性が高い現場だった。

「Tanathos of fist.」

「……ん、今の英語……?」

「そいつが零号機よ」

新たな声。ドアから姿を見せたのは火咲だった。しかも車椅子で達真を押している。

「……Hisaki,Mogami!?Tatsuma Yajiri!?」

「おい火咲ちゃん。矢尻は見せちゃいけないんじゃなかったのか?」

「こうなることを避けるために見せちゃいけなかったんだけど思ったよりも零号機の暴走が早かったから結果オーライよ」

「……」

火咲と達真が甲斐の隣にまで来る。視線の先にはシフル。

「零号機。あんた自分が何をしでかしたか分かってる?こうなった以上、事は三船と大倉だけで収まる話じゃない」

「I'm not prototype!!」

「現実逃避に意味なんてないわ。あんたが今回しでかしたことで三船研究所は間違いなく閉鎖。所長も幹部達も全員お縄よ」

「……but,Johane is ……」

「……シフル、もういいの……」

新たな声。ドアが開かれて入ってきたのはリッツだった。さらに、

「……Johane……!?」

「……陽翼!?」

リッツと和佐が押す車椅子。そこには陽翼が座っていた。

「はーい。達真、シフル。久しぶり……かな?」

「どうして陽翼が……!?死んだはずじゃ……」

「陽翼さんは植物人間状態で大倉機関の特別病院で保護されていたんです。それも先日、リッツさんが運び込まれた際に連動するように目を覚ましたんです」

「……和佐、どうしてお前が」

「お前?」

「……どうして和佐が大倉機関のことを知っている?どうしてその子の事を知っている?」

「質問の多い兄ですね。そんなことはどうでもいいでしょう。今は感動の名シーンなのですから」

和佐がリッツと陽翼をシフルと達真の傍まで運ぶ。

「……シフル、敵なんてもういない。陽翼さんはこうして生きている」

「……シフル。事情はよく分からないけど、もう苦しまないでいいんだよ?」

「……but,but,I……」

「……俺からは何も言えない。だが、陽翼の気持ちを無駄にするな」

達真の言葉を受けてシフルが震え、何かを言おうとして言葉の代わりに涙を叫んでうずくまった。

それから数分で伏見機関のスタッフがやってきてシフル達は連行されていった。また、里桜、剛人、久遠、最首は病院に搬送された。その日の夜に三船所長が伏見機関に確保され、三船機関はその全てが閉鎖されたことが関係者各位に知らされた。また、識は三船の研究所が閉鎖されたことで修理が出来ずにその日の内に死亡が確認された。

拳銃の持ち出しや殺人未遂などでシフルは重罪にかけられる筈だったが未成年と言うこともありその罪の全てを三船所長が肩代わりすることになった。政府経由で三船所長への判決が言い渡され、執行猶予抜きの無期懲役及び2億3000万円もの罰金が下された。

「……これで本当に三船とは決着が付いたって感じだな」

後日。全部を聞いた斎藤が甲斐に言う。

「そうだな。どうしてそれまで三船が伏見や政府から許されていたのかは知らないが流石に犠牲者まで出ればもうおしまいだわな」

「クローン達はどうなったんだ?」

「青羽と呼ばれていた個体は修理が出来ずに死亡。白羽、黒羽は保護された。シフルちゃんと赤羽、赤羽剛人と火咲ちゃんも似たようなものだな。本当に罪の全ては三船所長が背負ったから監視こそされどシフルちゃんはもう一般人と何も変わらない。本来ならイタリアに強制送還だろうが身よりもないみたいだし、しばらくは大倉機関が預かるんじゃないのか?」

「俺は直接関わってないからアレだけど、シフルって子これから大変だろうな。自分こそが全クローンのマスターだと思ってたら自分もまたクローンに過ぎないって判明したりなにやら……」

「戦闘用ではないから寿命も短いわけではないらしい。これから矢尻や陽翼ちゃんと一緒に何とかしていくだろうさ」

「……お前としてはもっと問題なのは身内の方かな?」

「……まあな。結局どうして和佐が大倉機関のことを知っていたのか。しかもどうして陽翼ちゃんのことまで知っていたのか。本人に聞いてもはぐらかされるし、こちらとしては全くもどかしいったらありゃしないぜ」

「……まあ、そんなもんだろう。しばらくは気楽に行こうぜ」

「全くだ」

スマホのカレンダーを見る。もう間もなくゴールデンウィークだ。

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