第三章【21】「最後の猶予」
「片桐裕馬。貴方の力を貸して欲しい」
神守黒音は、俺に言った。
「私たちを取り囲むこの状況から、何者かの策略から、共に抜け出す為に」
何者かの策略、と。
それこそまるで見計らったかのような、ドンピシャなタイミングで。
「……なんだって、また」
昨夜までの俺だったら、まともに取り合うことはなかっただろう。相手の立場的にも、こちらの動揺や仲違いを誘うような話だって、一蹴出来ていた筈だ。
だけど生憎、今となっては考えずにはいられない。
獣人の忠告や、東雲八代子に叩き付けられた無知。なにより彼女ら姉妹の所在を、今日まで知らされていなかったという事実。
俺には想像も出来ないなんらかの策略が張り巡らされている。そう言われて、なにも否定出来る材料がない。
だから頷き、神守黒音へ話を伺う。
「まず、聞かせてくれるか」
すると彼女はまず、きょとんと目を開くのだった。
驚いた、跳ね除けられるものだと思っていた、と。
「予想外だわ。正直、なにを企んでいるのか詰められるとばかり」
「警戒はしてる。でもどっちにしたって、取り合えず聞いてみないと分からねぇって話だ。話に乗るのも否定するのも、その後でいいだろ」
「へぇ。案外理性的なのね」
「似合ってねぇ自覚はある」
それに偉そうなことを言っておきながら、まるでなにも分かっていない故の選択だ。悔しいが、理性的であったとしても能無しだよ。
「大体、俺とお前の関係でわざわざ呼び出す程の話だ。とてもただ事じゃねぇ。力を貸すって話なら、それこそ妹に頼めばいい」
なのに神守はこの場に居合わせず、むしろ退けられている。
俺が選ばれた理由がある筈だ。
「そうね。貴方にしてみれば、不思議で仕方ないでしょうね。どうして真白がこの場に居ないのか、どうして貴方なのか」
それだけじゃない。
「数週前にテロを引き起こした女が、なにを考えて喫茶店で働いて、なにを狙って貴方に声をかけたのか」
「まったくな。店での宣言通り、不意を打たれて頭をぶち抜かれても、なんらおかしくねぇと思ってるよ」
「言ってくれるじゃない。ま、でも話を円滑に進める為に、その件は今一度否定しておくわ」
彼女は口元を緩めてこそいたが、騙している雰囲気ではなかった。細められた視線からも、敵意や殺意のようなものは感じられない。
そんなつもりは一切ない、と。
「私はあの件に関して、貴方に恨みを持っていない。恨み言は、山ほどあるけどね。けれどそれを以って敵意を抱くこともないわ。……むしろ尻拭いをさせてしまって、申し訳なく思っているくらいよ」
あの件は、私の大きな汚点とすら言えるのだから。
言って、神守黒音は目を伏せる。未だ足下に纏わり付く重荷を、振り払えずにいるかのように。
「ま、貴方に掘り下げて説明するつもりはないけどね。沢山間違えて、失敗して、奪って、取り返しが付かなくなって――絶賛大反省中。八ツ茶屋で働いているのは償いの一環だって、そう思ってくれるとありがたいわ」
「……そうかよ」
別段、今の言葉に文句や意見はない。
俺がどう思うまいと、彼女には関係のない話だ。
強いて挙げるならば、反省や償いという言葉が出ていたことか。少なからず、彼女は自分が仕出かしたことへの理解が出来ている。
その辺りでどういう心境の変化があったのか、そもそも何故あんな事を引き起こしたのか。聞きたい気持ちはあるが、宣言通り、答えてはくれないだろう。
だから今は、その先だ。
あの事件を経た彼女が、再会した俺になにを話すつもりなのか。
俺は神守黒音に尋ねた。
「じゃあ聞きたいんだが、お前はなにを怪しんでるんだよ」
協力を仰ぐ程の出来事。
何者かの策略。
それは一体、なにを根拠に抱いているものなのか。
「すげぇ他人目線だけどよ。俺が思うに、お前たちの状況ってそんな悪いもんでもないだろ」
個人的にだが、彼女ら双子はあまりに好待遇を受けている。
テロの主犯でありながら公には明らかにされることなく、日の下で働ける場所を与えられ。強い罰則を与えられてもいなければ、自由を奪われている訳でもない。
「確かに神守は百鬼夜行を除名されたし、お前も姉貴やあの店主の監視下にはあるんだろうが。それくらいの束縛で済むってのは、割と良い方なんじゃねぇのか?」
良い方、どころか恵まれ過ぎている。
彼女らの敵対行動は、まるで最初から無かったかのように容認されている。許され過ぎていると言える程の特別扱いだ。
――と。
そこまで考えて、思い至る。
ああ、なるほど。
だからこそ、なのか。
「……状況が、良すぎる?」
「気付くでしょう。当人からしてみれば、不思議過ぎるくらいよ」
神守黒音は言った。
「私の疑念はこの現状、この扱い。監視と言いながら自由気ままを許された、居心地の悪くない毎日」
それを彼女は、放し飼いのようだ、と。
口元を強く結び、眉を寄せて呟いた。
「私たちはなにかの為に生かされ、残されている。その為に立場も自由も与えられ、優遇という措置を受けている。分かる?」
言い換えるのであれば、鳥籠の中。
いつでも手の届く空間の中で飼われている。
「別にね、扱いそのものは仕方がないと思っているわ。私はそれだけのことを仕出かしている。……こうして表面上だけでも当たり前のように生きていられるだけで、とても幸福なことだって、感謝すらしているわ」
それでも、呑み込めないものがある。
受け入れ難い不明瞭なモノが、喉につかえてしまっている。
「私は自分がなにに利用されているのか分からない。それだけが、途轍もなく嫌なのよ」
「……それすらも自由の代償だってことはないか」
「意地悪な発想。勿論、そう考えたら受け入れるしかないのかもね。このモヤモヤを拭うことは出来ないって諦めて、知らないフリをするしか」
でも、彼女にはそれが出来なかった。
他でもない、罪を償う為に囚われている神守黒音には。
「もしも私が関わったことで誰かに不利益があるなら、見知らぬ誰かが傷付き命を落とす危険があるなら、なんとしても止めなければいけないわ」
その為にも、気付いておきたい。
自身が一体、なにに加担させられているのか。
「なに、に」
誰かの不利益。
それ以上の、見知らぬ誰かの死。
それが姉貴の策略であるならば、少なくとも後者が引き起こされることはないだろうが。
「――いや」
鵜呑みにしてしまうことも、危ぶむべきなのだろう。
なにせ俺には、姉貴が本当はなにを考えているのか、まるで分からないのだから。
――姉貴を庇い否定することの出来る材料すら、まるで持ち合わせていないのだから。
「まあだけれど、簡単な想像くらいはしているのだけれどね。現状を鑑みるに、恐らくは戦力の増強か似たようなもの。私や真白に戦力的な価値を見出しているんじゃないか、って」
「戦力的な価値って」
また滅茶苦茶な――とは思ったが、ふと気付く。
頭を過ぎったのは、戦争だ。
世界間を越えた、まったく違う異世界との戦争。かなり大袈裟な話でありながら、決して否定の出来ない現実的な脅威。
その為にと、神守姉妹は手元に置かれている?
私兵。確か、神守もそんなことを言っていた筈だ。俺もあいつも、同じ姉貴の私兵だって。
「……考えたくはないが」
だけどその線でいくと、幾つか説明が出来てしまう。
昨日のビルの確保もその一端とは考えられないか? いつか来る戦争の為の戦闘拠点確保や、準備の一環だと。
今日のこともそうだ。八ツ茶屋の東雲八代子たちは、俺たち百鬼夜行とは違った組織だろう。そこに俺を行かせることで、神守姉妹の様子を確認すると同時に、組織としての顔見せを狙っていた? だから店主が居たら顔を合わせて来いって話だったんじゃないか?
それなら大した指示がなかったことにも、納得出来る。
強引にではあるが、繋げることが出来てしまう。
その答えを、けれど。
自ら示唆した神守黒音が、首を振るって否定した。
それはあくまで、表向きの理由ではないだろうか、と。
「それくらい、少し考えれば誰にでも辿り着ける。現に私も貴方も、こうして一説として思い付いてる。だったらその程度の事、隠さずに伝えてくれるんじゃない? 少なくとも、弟である貴方になら」
「それは……」
「敢えて簡単な回答を用意して、違和感を納得させようとしている。浅いところで疑念を解いて、奥底の本質を煙に巻こうとしている。そんな風には、考えられない?」
俺一人であったなら、到底思い至れないだろう。
けれど聞いてしまえば、取り返しは付かない。
情報も、証拠も、俺個人の能力も。なにもかもが足りていないにも関わらず、彼女の推測を叩き付けられてしまった。
あるいは。
こうして不完全なままに処理出来ない疑念を与えられることすら、誰かの策略だとしたら。
「私にはこれ以上が分からない。推測も出来ない」
混乱する俺へ、けれども彼女は手を伸ばす。
動揺を知らずか、それとも知った上で、そうするしかないからか。
ただ、切実に、協力を仰ぐ。
「だから力を貸して欲しい。貴方の見解を、聞かせてほしい」
「俺の?」
「ええ。貴方にも現状への疑念があるなら、私の話を聞いてくれるだけの違和感があるなら、話して欲しい」
違う立場、違う視点で、それでもそれぞれが感じている得体の知れないナニか。それを共有すれば、自分とは違う誰かが見れば、まったく新しいものが見えてくるかもしれない。
「お願いよ、片桐裕馬」
一人では無理でも。
同じ場所に閉じ込められた姉妹では辿り着けなくても。
「私たちなら、なにかが!」
「――――」
ようやく、今更になって理解した。
テロを引き起こした彼女も、それを止めようと奔走した俺も。
俺たちは互いに、なにも分からず、なにも見えない未熟な存在なんだ。
だから彼女は足掻く。
その場で止まろうとせず、事態の中で必死に前のめりになる。
「――ああ」
彼女は、神守黒音は他ならない、利用される者同士であり。
仲間でなくとも、限りなく対等であれる相手に成り得るのかもしれない。
この暗雲立ち込める中で、力を合わせることで、なんとか道を切り開ける可能性なのかもしれない。
けれど、やっぱり。
――俺たちには、全てが遅かった。
彼女への返答に喉を震わせる、その時だった。
「――――」
不意に、言葉を失う。
――それは、悪寒だった。
背筋を走り抜ける怖気に、一瞬にして全身の熱が奪われる。震える筈の喉は緊張に強張り、重苦しく息を呑む。どっと溢れ出す冷や汗は止めどなく、続けて手先や足先が暫し感覚を失ってしまった。
加えて、頭上から肩に圧し掛かる重圧に、身体をその場へ縫い付けられる。逃げることも、隠れることも許されず、ただその緊張に晒され続ける。
「――が、――あ」
なんだ?
分からない、分からない。
だけど、ナニかが。
――ナニかが、来る。
「ッ!?」
気付けば喉を晒し、視線は空を仰いでいた。
雲一つ見当たらず、なんの変哲もある筈がない。どこまでも澄んだ淀みのない、ただ当たり前に広がり続ける青。
そんな不変の日常風景が、――けれど、間もなくして。
それは一切の音も前触れもなく。
晴天へと割り込み現れた、数十の白塗りの影たち。
予期せぬ来訪者が、突如として到来した。