第三章【18】「理解の外側を」
東雲八代子。
車椅子に乗って現れた白肌の少女。
髪を長く伸ばし、黒塗りの着物に身を包んだ彼女は、曰く、彼女がこの喫茶店『八ツ茶屋』の店長であり、更には特級の階級を与えられているのだという。
にわかには信じ難く、同時に状況としても噛み合っていない。
今現在、この街では特級会議が行われている。アヴァロン国が主催し、その称号を与えられた戦士は、半ば強制的に招集を受けている筈だ。
それがどうして、ここに居るのか。
「……」
「では黒音、ソファーをどけてくれ。後は妾一人で良いから、仕事に戻るがいい」
訝しむ俺を気に掛けることなく、彼女は傍に立つ神守姉妹にそれぞれ指示を送る。神守黒音は言われたままに、俺の正面のソファーを移動させた。
そして開かれた低いテーブルの向こう側に、車椅子の彼女が位置取る。
その少女と改めて、正面から向き合わされる。
「……東雲、八代子」
「如何にも。お主の姉――確か乙女と言ったか。あやつに聞いておったか?」
「いや、聞いてない」
「ほう? もしやお主、妾が目当てで訪れた訳ではなかったか? 勝手に早とちりをして場所まで用意させたが、ただの休憩が目的であったなら謝罪しよう」
「あー、その、大丈夫だ。一応、店長にも会って来いと言われてる。不在ならいいとも言われていたが」
「言いおるのう。まさか妾が本当に特級会議へ参加して、店を留守にしておるなどとは思っておらぬだろうに」
驚きだ。
その言い分を真に受けるなら、この人は正真正銘の特級で、会議への招集を蹴っているということになる。
実は名ばかりで、あまり有用な会議ではないのか?
けれど、そんなほのかな疑問以上に、
「……」
「なんじゃ? 妾の顔になにか付いておるか? それともまさか、お綺麗ですねなどと世辞でも言うつもりか」
「別に、そういうつもりはないが」
「面白味のない。そこは冗談でも乗るべきじゃろうが。つまらん男に育ったのう、片桐裕馬よ」
「あー。えっと、それなんだが」
そう、その部分だ。
久し振りと、そう呼ばれた。それに今の言い方も、明らかに俺を知っている。
けれど申し訳ない話、俺はまったく覚えていないのだ。
「気を悪くしたらアレなんだが、俺たち、面識あったのか?」
「ははっ。俯いておると思ったら、なんじゃそんなことか」
尋ねると、東雲八代子は大口を開けて笑った。
「まったく。つまらんというか、小心者というか。余計な事柄に引っ掛かりおって」
聞けば怖がることもなく、単純な話だった。
東雲八代子と俺が知り合ったのは、十年近く前になるのだという。
「正確には記憶しておらぬが、お主が今よりずっと小さかったことは明白じゃのう。それも知り合ったというよりは、ほんのひと時、同じ場所に立ち会ったと言う程度が相応なくらい。むしろ覚えていたと聞かされる方が驚きだ」
「なんだ、そういう」
それなら確かに、覚えていない方が自然だ。
しかし、彼女程の白い肌や独特の雰囲気、なにより特級という階級。そんな相手と居合わせたことを、こうもしっかり忘れられるものだろうか?
まあ十年近くも前だってんなら、姿も全然違うのだろう。その辺りは、後で軽く姉貴に聞いてみれば分かるかもしれない。
で、今はそれより。
「それで? 不在であれば構わぬ程度の用事とはなんじゃ」
「……だよなあ」
当然、そうなる。
しかし参ったことに、会う以上のことも言われていない。居たら顔を見せとけって、本当にそのくらいにしか話されていなかったのだ。
その旨を伝えると、東雲八代子はますます怪訝そうに眉を寄せた。
「なんじゃ。先程の考えとは逆で、お主の姉は、妾が特級会議へ出席しておると思っておったのか? だとしても、簡単な用事くらい持たせておくのが道理であろうに。引き受ける引き受けないはさておき、頼みたいことなど幾らでもある筈じゃ」
「どうなんだろうな。……朝一番で寝起きだったから、思い付かなかったとかは」
「ほうほう。ああ見えて存外、隙の多い人間であったか。であれば、あやつを攻める時は早朝じゃな」
「……はは」
よくないことを話してしまっただろうか?
冗談だと思いたい。
「それとも、もしや妾が会議にも行かず店にも居ない可能性を考えておったか? ――いや、そもそも用事などなく、妾がこの時間に店に居たかどうか、それを聞きたかったのかもしれんな」
「そう、か?」
「有り得ぬ話ではなかろう。特級会議には件の魔法使いや女狐めが参加しておるようだし、店にもお主が来た。双方共に妾の姿がなければ、即ち妾はまったく違った場所に居ることになる。この時点での妾の所在を知り得ておきたかったと、それなら納得も出来よう」
「はあ。なる、ほど?」
分からなくはない、か?
もっともそれが本当だとしても、ますます目的が分からない訳だが。果たして姉貴は俺になにをさせたいのやら。
そんな首を傾げる俺に、彼女は。
「まあ魔法使いの方からも情報は行くであろうが、お主からも姉に伝えよ。妾は喫茶店にも居るし、特級会議の方へも出席していた、とな」
「――は?」
余計に頭がこんがらがるようなことを言うのだった。
至極真面目に、真っ当な口調で。
喫茶店に居て、特級会議にも出席している?
「どういう、ことだ」
「そのまま、言葉の通りよ。妾は特級会議に参加している。先程言った通り、まともには出る気がない故、適当な形ではあるがな」
「……言葉遊びか?」
「先程から疑問ばかりじゃのう。ちっとは自分で考えてみてはどうだ。少なくとも、お主の姉であれば即座に理解するであろうよ」
「姉貴なら」
「そうとも。なにかしたんだろう、とな」
言うと、彼女はニヤリと口元を緩めた。いたずらっぽく歯を見せ、実に楽しげだ。
やはりからかわれているのかと思ったが、そうではない。
東雲八代子は笑顔のままに、「しかし的を射ている」と言うのだ。
「現状、妾はお主と共にこの場所に在る。だが後に魔法使いに聞いてみるがいい。そちらもこう言うであろうな。東雲八代子は車椅子に座り、特級会議に参加していた、と」
「それは、おかしいだろ」
「如何にも。故に、なにかをしておるのだ」
普通ではない不可解が引き起こされている。
おかしい。辻褄が合わない。納得できない。
つまりそれは、そういうモノだ。――そう、理解しなければならない。
そういうナニカだと。
「思慮が浅いというべきか、まだまだ若いというべきか。図書館で働いていると聞いているが、まだまだ深みにはハマっておらぬようじゃな」
深み。
知り得るだけではまったく足りず、関わり合ってもまだ浅い。
東雲八代子は静かに俯いた後、思い付いたように話題を変えた。
「時に、お主は異世界に行ったことがあるか?」
「え?」
思えば、その問いを投げ掛けられたのは初めてだった。
我が物顔で当たり前のように受け入れながら、ごく自然な現象として接しながら。
「もう一度聞こう。言葉にし、応えるのじゃ」
それをこの身で体感したことは、なかったのだ。
「片桐裕馬。――お主に異世界転移の経験は、あるか?」