第三章【17】「再会」
二週間前、この街で引き起こされた大規模テロ事件。
多くの負傷者を出し、建物そのものも大きく壊滅した悲惨な出来事。
それは、一人の妖怪によって引き起こされたものだった。
大妖怪、がしゃどくろ。
そして彼の率いる、一夜百語と呼ばれた妖怪組織。
俺やサリュたち百鬼夜行の奮闘により、事態はなんとか収束した。
一夜百語は解体され、首領のがしゃどくろも討伐され命を落とす。少なくない組織の残党たちも、今は厳しい管理下に置かれている筈だ。
そして今日この時、不意に対面した姉妹。
神守黒音と、神守真白。
この二人もまた、テロを引き起こした敵対勢力だった。
それもいわゆる、主犯と呼んでも間違いではない程の重要な存在として。
そんな二人がまさか、こんな街中の喫茶店で、しかも真っ昼間から働いているなどと、誰が予想出来るだろうか。
喫茶店『八ツ茶屋』の店内は、全体的に落ち着いた雰囲気になっていた。
天井には色濃い白のシャンデリアが吊るされ、広いカウンターや並ぶ四角のテーブルは木色に縁取られた鮮やかな黒をしている。他にも背の低いテーブルにはこじんまりとしたソファー席まであり、近代的な喫茶店といった感じだ。
そんなお店の一番奥の席、入口から最も遠い席へと、神守黒音に案内される。他の客に見つからない様にというのは、単純な配慮だろうが。
警戒しながら件のソファーへ座る。
と、最初に。神守黒音はテーブルに立てかけられていたメニュー表を広げた。
「ちょっと、なに驚いてるのよ」
「え? いや、まさか普通に接客してくれるとは、思わなかったから」
「変な警戒しないでくれる? 仕事中なんだから、いきなり私怨で襲い掛かったりはしないわよ」
「私怨って」
「あるに決まってるでしょ。死なないのをいいことに、いつか頭に二三発はぶちこんでやるわ」
「冗談じゃねぇ」
恐ろしい企みもあったもんだ。
けれど鬼気迫るような表情って訳でもない。無表情のままに淡々と、なんでもない冗談みたいなつもりだったんだろう。
そんなだから、俺も警戒を少し緩める。とはいえ油断ならない相手ではあるので、決して気は抜けないが。
「それで? 注文もだけれど、なんの用事で来たの? 真白が店長に話をしに行ってくれたけれど」
「店長に?」
「ええ。店長に用事で来たんでしょう? 違った?」
「あー、まあ」
違ってはいないが、それだけでもないというか。実はそっちに関しては、最悪大丈夫だと言われていた訳だが。
まあ本人を前に、姉妹の様子を見に来たとも言い難い。
頷き苦笑を返して誤魔化した、が。
「変な反応。もしかして、私の様子を見に来た感じ?」
残念ながら、まんまと見抜かれてしまったようだ。
「図星ね。それに多分だけど、このタイミングで来たのも貴方の姉の指示ね。来店した時も驚いていたみたいだし、私が居るの、知らなかったんでしょう?」
「あー。まあ、遠からずだな」
馬鹿にしているわねと、睨みを利かされた。
そのまま、彼女は続ける。
「私たちが戦ったのはつい先日、ほんの二週間前よ。一カ月も経ってないのよ。なのに相手がどうなって、どこに行ったのかも知らない」
「……違いねぇ」
「呆れる。よくもそこまで無関心でいられたわね」
「無関心だった訳じゃねぇよ。ただ、なにも聞かなかっただけだ」
「じゃあ言い方を変えるわ。どうして聞かずにいられたのよ」
もう諦めたと思った?
寝首を掻かれる心配はないと安心していた?
強い彼女に身を守られて、安全だとでも慢心している?
並べられる質問に対して、返す言葉がない。
彼女の言う通りだ。
俺はつい二週間前のそれを、終わったものだと考えていた。
「まあそれを言うなら、貴方のお姉さんに対してが一番大きいんだけどね。いくら幾つかの条件があるからって、ここまで自由にするのはどうなのって話」
「姉貴?」
「それも知らないなら言うつもりはない。別段、貴方には関わりのない話よ」
「そう、か」
なら問い詰めることもないのだろう。
それとも果たして、聞かずにいるべきではないのだろうか?
思わず押し黙ってしまうと、神守黒音は大きく息を吐いた後、「ご注文は」とメニューへ誘った。
特に空腹な訳でもないので、コーヒーを一杯。そんな適当なオーダーにも特に文句はなく、神守黒音は 一旦そのまま店の中へと下がっていった。
その姿が見えなくなって、ようやく一息を吐く。
「……ったく」
振り返り、もう一度店内を見回す。
一応、他の客も四、五人席に着いている。見たところスーツを着た一般の社会人っぽいし、関係者ではないだろう。硝子窓の外にも人通りはあるから、大雑把に騒ぎを起こすようなことはない筈だ。
姉貴直々の頼まれごとだ。簡単に終わることもないだろうとは思っていたが、こりゃあ予想以上に面倒かもしれないぞ。
「……いや」
姉貴というなら、不可解なことがある。
幾つかの条件。神守黒音はそう言っていた。どうやら彼女がここで働いていることには姉貴が関係しているらしい。つまり姉妹が働いているのを知っていただけでなく、そもそもにおいて姉貴の計らいだったということだ。
「……」
どうしてそれを言ってくれなかったのか?
なんて、そんな腑抜けたことをいうつもりはない。それこそ神守黒音の言葉通り、どうして聞かずにいたのかと返されるだけだ。
だから考えるのであれば。
――何故、姉貴はそれを俺に言わなかったのか?
更に考えるなら、今日までの二週間伝えず、どうしてこのタイミングになって直接店に行かせてまで知らせてきたのか。
「……なんでだ」
まったく困ったことに、あの姉故に単純に忘れていた可能性もある。説明が面倒だからという理由で黙っていたことも考えられてしまう。
けれどこの件は、そんなおふざけで済まされていい事柄だろうか?
「――――」
不意に、昨晩の出来事が頭を過ぎる。
獣の男に言われた、その忠告を。
タイミング。
正義の味方気取り。
曲解した解釈。
明るい部分しか、知らされていない。
――精々考えろヨォ、餓鬼。
特にテメェに関しては、順風満帆な将来が待ってるって訳じゃあネェだろうからナァ。
「……っ」
あんなのは負け惜しみだ。それっぽいことを言って俺を惑わそうとしているだけだ。変な解釈を与えて少しでも悩みを、苦しみを与えてやりたいだけだ。
だが、どうしても考えてしまう。今この店に訪れている意味を。
まさか本来であれば知らせるつもりでなかった姉妹の存在を、知らせざるを得ない状況になっているのではないか?
そんな、邪推をしてしまう。
と、不意に。
「お待たせ致しました」
頭を抱えていると、間もなくして注文のコーヒーが届けられた。
神守黒音が一礼した後、テーブルへと静かにティーカップやミルクを並べる。
のだが、それに終わらない。
あいにくと、突然の再会や邪推に頭を悩ませる余裕は、失われることとなった。
「まったく、ふざけておる」
遠くから聞こえてくる、聞き覚えのない声。
高く細いながら、強く響き渡る女性の声色だ。
「信じ難い。今日この時間に人を寄越すとは。一体どこの情報ナシじゃと思うたら、訳知りの大馬鹿野郎とはな」
やがて店の奥から現れたのは、一人の女の子だった。
長い髪に白い肌、黒塗りの着物。車椅子に腰掛けた、小さく細い少女。
いや、正確には。
――少女に見える、ナニかだ。
「女狐か、それともお主の姉の仕業か? どちらにしろ、妾がまともに特級会議へ出る気がないと見込みおったな。甚だ失礼極まるが、悔しくも的を射ておる」
神守真白に車椅子を押されて、ゆっくりと現れた彼女。
彼女は俺を一瞥すると、口元を緩め。
「久し振りじゃのう、片桐裕馬」
そんな、大凡初対面には相応しくない挨拶をした後に。
堂々と、自らを名乗った。
「妾は東雲八代子。この店『八ツ茶屋』の店長にして、特級の階級を持つ者じゃ」