第三章【15】「可能性を」
彼女の底は知れた。そう思っていた。
大きな力を有するサリーユは、存分に破壊を振り撒くだけの兵器である、と。それこそが彼女の本質である、と。
それが彼女たち魔法使いの在り方なのだろう、などと。
「――キミを見誤っていた」
違う。
それだけ、じゃない。
この子はそれだけに終わらない。
「……伸びしろ、というやつかな」
届かない声で呟く。
思えば、どうしてボクは彼女を測り兼ねていたのか。
幾つもの情報を聞いていた。こうして対面してこの目で見た。その上で、何故剣を交えようとまで思ったのか。
飄々とした態度が気に入らなかった、一つ噛み付いてやりたかった。当然それもある。
では特級に相応しいかどうかを、――相応しくないと思いながらも、何故試そうと思ったのか。
数ある疑念の正体。
それが、伸びしろだ。
「……まったく」
向き合わさる大きな瞳。焔にも負けない、苛烈な強さを灯し続ける。凛々しく研ぎ澄まされた、真っ直ぐな視線。
ここではない遠くを映している。
現在よりもずっと先を捉えている。
そんなサリーユの姿に、脳裏に浮かぶ。
幼い頃の、懐かしい情景が。
ガシャリと鳴った金属音に、ボクはゆっくりと目を覚ました。
開いた視界に映ったのは、薄暗い汚れた天井。
それから遅れて覗き込んだ、優しく微笑む彼の顔だった。
金色の髪をした、整った顔立ち。にこやかに頬を緩めているけれど、向かい合う瞳は苛烈に、力強さを灯したままだ。
ヴァン・レオンハートと、確かそう名乗っていた。
輝く大剣を持った鎧の騎士。
そこまで思い出して、ボクは慌てて横たわる身体を起こした。
「――ッ」
「おっと、すまない。様子を見に来ただけだったのだが、起こしてしまったようだ」
「……っ、え?」
動揺するボクに反して、彼の語りかけは落ち付いている。お陰で混乱しながらも警戒に捉われることはなく、周囲に気を配ることが出来た。
辺りを見渡し、状況の把握に努める。
ここは建物の中で、多分どこかの廃ビルの一層だ。広々としたコンクリートの造りで、大きな柱以外に何もない。建設途中で放り出された場所だろう。
薄暗いぽっかりと開かれた空間に、明かりは遠くで揺らめく人工の光だけ。集まる人影の彼らが持っているのは、ランタンに類似する物だろう。
こちらを窺う複数の瞳は、警戒や好奇心、それから畏怖。ボロボロの衣服を身に纏った彼らもまた、ボクと同じ、この世界で生き延びた人たちだろう。
「――――」
「さて、と」
落ち着かないボクの傍へ、鎧の騎士が腰を下ろす。
手の届く距離で、更に視線を同じ高さまで合わせてくれた。
「……ええ、と」
「体調はどうだ? よっぽど疲れていたのか、かれこれ一日中寝ていたようだが」
「一日中、も?」
信じられない。
けれど同時に、有り得なくもないとすぐに納得出来た。
ここ数日――いや、数年か。まともに眠ることなんて、ほとんどなかった。
いつも目を閉じても気を張ったままで、どうしようもない程に疲れた頃に意識が落ちて、ほんの少しの物音で覚醒してしまう。深い眠りなんて、それこそ体調を崩してしまった時くらいだ。
それ程までに疲弊していたのか。
「……そっ、か」
いいや、それだけじゃない。
ボクは自然と眠ってしまった。
安心してしまっていた。
「…………」
違う。
意識が落ちる寸前。彼が名乗ってくれた、その後。
ボクはこう考えてしまっていた。
この騎士なら大丈夫だ。
それでも大丈夫でなかったなら、もうどうなってもいい。
「……は」
全てを投げ捨てるような、自暴自棄。安心していただなんて、白々しいにも程がある。根拠のない印象で、勝手にこの身を預けてしまった。追い詰められてないと思っていたけれど、やっぱり限界だったみたいだ。
だけど結局、今の今まで眠りが妨げられることはなかった。ボクの見立ては間違っていなかった。
本当に、大丈夫だった。
「あれから少し場所を変えさせてもらった。眠りを邪魔するまいと身体の感覚を閉じていたのだが、逆に不安を与えてしまったなら謝ろう」
「……いいえ」
「では、出会った場所になにか忘れ物があったりはしないか? ここはまだ隣街にあたる、今なら取りに戻れるが」
「……そういうのは、ない、です」
「そうか。では仲間や知人を残して来たりは?」
「……そういうのも、ない、です」
「そうか」
彼は頷くだけで、掘り下げることはしなかった。
ただボクの言葉を呑み込んで、「ならいい」と言ってくれた。
「そうなると、取り急ぎは食事だな。すぐに用意させよう」
「食、事?」
「ああ、そうだとも。腹が減っているだろう? そうでなくとも一日飲まず食わずだ、無理してでも沢山食べなさい」
「食べ、る。……なんで」
「何故って、必要だからだろう。悪いが、起きた以上自分の足で歩いて貰わなければならない。その為にも体力は必要だ、しっかり食べてくれ」
「…………」
「いやしかし、あまり食べ過ぎてはいかんか。予想以上の生存者が見つかっては、対応出来なくなるからな」
「……なんで?」
「それは、なんで助けてくれるのか、という意味か?」
彼の言葉に、頷く。
どうして眠ったボクを運んでくれたのか。どうして食べ物を与えてくれるのか。
なんで、助けてくれるのか。
金髪の騎士は言った。
――それもまた、必要だからだ、って。
「最初会った時に言っただろう。我々はこの土地に疎い、情報が欲しいと。言ってしまえば、協力してほしいんだ。ならば相応の物を返すのは当然だし、君たちには生きて貰わなければ困る」
「……そこまで、する程?」
「そうだな。例えば配下や奴隷のように扱う考え方もあるが、僕は好きではない。一方的な搾取というのは、返って出すことを渋らせてしまう危険も高いだろう。それではお互いに損をしてしまう、とても生産的ではない。いや、決して損得勘定で動いている訳でもないのだが、……なんと言えばいいのか」
彼は後ろ頭を掻いて、少し困った様子だ。
そんな風にぶつぶつと考えを呟きながら、なんとかボクに考えを伝えようとしてくれているらしい。
どうして、そんなことまでしてくれるのか。
やがて彼は、
「君たちの、君の力が必要なんだ」
そう言って、ボクに笑いかけてくれた。
「君は言ったな。仲間や知人はいないと」
「はい」
「それが何故なのかは聞かない。集団行動が苦手なのか、過去に裏切られた経験から距離を置いているのか。最悪、共に生きていた仲間を失ってしまったのか。色々と理由は考えられるが、こちらから尋ねる程のことでもない」
「そ、う?」
「ああ、そうとも。僕が目を見張るのは、理由はどうあれ、君が一人で生き延びたことだ」
それは決して簡単なことではない。
誰にでも出来ることではない。
「この世界はあまりに過酷な環境だ。街の建物はことごとくが崩壊し、一歩外へ出れば全てが砂に埋もれてしまっている。おまけに凶暴な獣の姿も確認されていて、僕ら歴戦の騎士ですら、手負いの者が出ている程だ」
だから、彼は言った。
――君は十分に価値のある存在だ、と。
「え?」
「生き残ることの難しい状況の中で、それでも生き延びている。それは君が他とは違うなにかを持っているからだ。君は十分な価値を持った、特別だよ」
「……そんな、ことは」
「それに、君はまだ十代にも満たないんじゃないか? その幼さでその生存力とは、恐ろしく思える程だ。これより磨けば間違いなく、君は優秀な騎士になれるだろう。ああ、間違いないとも」
彼は何度も頷いてくれていた。
言い聞かせるように、噛み砕きながらゆっくりと。
ボクが救われる、その意味を。ボクを必要とする、その理由を。
もしかすると本当は、意味や理由なんてなかったのかもしれない。それらしい言葉を並べて、取り入ろうとしていただけかもしれない。
けれどそれでもよかった。
そんな手間をかけられる存在だと、思って貰えている。
必要とされている。
「悪いが口下手でね。これ以上分かりやすく話せる自信がないのだが、納得してくれないだろうか?」
心配そうに覗き込む、向き合わさる双眸。
真っ直ぐな瞳が、目を逸らさずに見つめてくれている。
今のボクのずっと先。
見える筈のない、遠く未来の可能性を。
「君のその生きる力は、戦うことの出来る力だ」
「――は」
悔しさに苦笑する。
少女の瞳は、かつての彼と同じだ。ヴァンさんがボクの可能性を見出したのと同じように、彼女は自身の可能性を先に見出している。
サリーユ・アークスフィアは、まだ成長の過程にある。
これ程の力を有していながら、未だに完成されていない。
「なんて子だ」
恐ろしいのは、その火力に先があること。底知れない、魔法という力。
――では、ない。
躍進を続けようとする、彼女の意志。そのひたむきさこそが脅威だ。
街一つ丸ごと破壊できるような術を持ちながら、それより更に強くなろうって企んでいるんだ。これがどれだけ脅威的で、恐ろしい話か。
「測り損なったな」
「え?」
きょとんと首を傾げる少女。
ああ、にわかに信じ難い。
つまり彼女がずっと眉を寄せていたのも、思考し悩み続けていたのも、余計な加減や躊躇だけじゃなかった訳だ。状況を正しく把握した上で、現在の制限された力で不利を打破しようとしていた。八方塞がりの中で暴れていたのではなく、可能性を捨てずに抗い続けていたんだ。
ボクを傷付けて止めるでも、自分が斬り伏せられる終わりでもない。
犠牲のない百点の正解を探し続けて。
その結果がコレか。
サリーユは口から血を流し、苦痛に苛まれながらも立ち続けている。
ボクは剣を構えたまま、次の行動を躊躇わされている。
満点ではなくとも、想定される流血を遥かに下回る最低限の犠牲。八十点の上は確実であろう高得点。
彼女は自分の望んだその結末へと、まんまと辿り着いてみせたんだ。
「やってくれる」
彼女が身体に纏う焔。堅牢な魔法の盾を、ボクは一振りに突破出来ない。恐らく最低でも十数は斬撃を重ねて、それでようやく突破出来るだろう。
けれど一斬が衝突した直後、彼女の身体は大きく後退してしまう。他ならぬ、ボクの剣戟による衝撃で。果たしてなんて厄介な魔法を使っているのか。
ともあれ、ボクがサリーユの身体を斬り伏せることは、現状不可能だ。
そして彼女が血を吐くことも、きっとなくなるだろう。次の攻撃こそは、完全にいなされてしまう筈だ。
同じ手が通用する相手じゃない。
今のままでは、成長した彼女によって無傷で受け止められる。
「――いいね」
けれどそれは、あくまで同じ手であった場合だ。
今のままのボクであった場合、だ。
「サリーユ・アークスフィア!」
ボクの声に、彼女が低く構える。
身体に焔を纏わせたまま、光の灯された右手をかざす。これっぽっちも警戒を解こうとはしてくれない。
ああ、最高だ。
その程度で攻略されたと思われるのも、上回ったと慢心されるのも違う。そんな体のいい勘違いをする程、彼女は弱くない。
その上で、この立ち合いもまだ終わらないと分かっている。続けるのであれば迎え撃つとばかりに、決して退くことをしない。
本当は戦うことなど望んでいないのかもしれないけれど。
それでも必要ならば逃げることはしない。
曰く、ボクの流儀へ合わせてくれている。
「まだまだ行くよ! もっとボクに見せてくれ!」
だからボクも、キミに敬意と謝罪を込めて。
本気だ。
今度こそ測り違えない。
全てを見抜いて、見定める。
「さあ、どこまで追い付いて来れる? 追い抜いて見せられる?」
ボクは再び身を低く構え、焔の揺らめきを睨んだ。
――まずはその焔を、斬り裂き剥いでみせよう。
そう意気込んで、一気に走り出そうと床板を踏み締めて――、
直後。
あまりに空気を読めない警鐘が、集まった一同の耳へ響いた。
◆ ◆ ◆
けたたましく響き渡る、特大のサイレン音。
否応なしに空気を叩く警鐘に、わたしは咄嗟に両手で耳を覆った。同時に継続していた魔法もぷっつりと途切れてしまい、長く張り詰めていた緊張の糸まで解けてしまった。
それは対面のヒカリも同じようだ。向こうで大きく肩を落とした後に、ゆっくりと構えを解いて立ち直った。それから空いた左手で耳を抑えて、警鐘へと反抗した。
「ッ、なんなんだい! この不躾な煩いサイレンは! せっかく盛り上がって来たところだったのに、水を差さないで貰いたいんだけど!」
眉を寄せ、声高らかに愚痴を怒鳴る。
すると彼女へ言葉を返したのは、壁際で事態を見ていたグァーラだった。
『馬鹿がァ! テメェ、警鐘の意味が分かッてんのかァ!? 非常事態だァ!!』
ガラガラと混じる機械音と共に、彼が叫んだ事柄。
非常事態。
それを耳にして、もう一度身体に緊張が走った。居合わせる他のみんなも、固い面持ちで身構え事態に備える。
やがてサイレンに重ねて響いた女性声のアナウンスが、その詳細を告げるのだった。
『同時多発転移を確認。同時多発転移を確認。――総数、四十六。組織的な意図を持った転移の可能性があります』
「四十、六?」
思わず反復して呟いてしまう。
そして、続けて。
『転移先、照合、不明。情報にない世界からの転移の可能性があります。直ちにアヴァロン国への報告を行い、高いレベルでの警戒を推奨します』
その警告に、息を呑み。
遅れて幾つもの機械的な通知音が、部屋中で響き、混じり合った。