第三章【13】「特級の力」
防壁を斬り裂かれ、暴かれた身体。
迫り来る研ぎ澄まされた白刃に、決死を覚悟する。
わたしは。
「――焔よ!!!」
わたしは咄嗟に、自らの身体へ命じた。
なにも考えることなく、ただ生存の為に。迫る脅威を迎え撃つ為に、ただ一言、この身をそれだけの機能に切り替える。
果たしてそれが功を奏したのか、それともやっぱり失敗だったのか。
瞬間、わたしの周囲一帯は、灼熱の渦に包まれることとなった。
「うわわっ! わわわわわッ!」
頓狂な声を上げて、剣を振り乱してヒカリが大きく後退する。一見慌てて適当に振り回しているような剣戟だったが、けれど追い縋る焔が彼女の肌を焦がすことはなかった。
彼女は見事に灼熱をいなし、無傷で後退してみせたのだ。
そうしてヒカリとの距離が開いて、ようやく。
「――っ、はァ」
わたしは、胸の奥から思い切り空気を吐き出した。
遅れて未だに渦を巻く紅い奔流に、右手を突き出し意識を集中させる。焔の制御と、強過ぎる威力の減衰を。
このままでは、ヒカリを殺してしまいかねない。
「ふぅ」
けれど決して、魔法を解くことはしない。
徐々に弱まっていく炎の向こう側。燃え盛る範囲の外側で、少女騎士は変わらず、わたしに剣を向けているのだから。
きっとこの間も、隙あらば噛み付こうと機会を窺ってる。
「まったく。加減するなって言ったのはボクだけれど、ここまでするかな? とんでもないったらありゃしない」
「ごめんなさい、制御を誤ったわ。怪我はない?」
「そういうレベルじゃないと思うんだけど。五体満足とか指とか耳とか、パーツ的な部位の損失を心配する威力だったよ」
なんていうけれど、飄々とした顔色は変わらない。身構える五体も無事健在で、怯えや恐れといった尻込みもなさそうだ。
「……す、ぅ」
今一度、深く呼吸を。
酸素を取り入れ頭を回転させる。
状況は芳しくない。
わたしの魔法防壁は、彼女の剣によって斬り伏せられた。再展開も可能だが有効とは言い難い。一振り二振りではないのが救いだけれど、軽度の時間稼ぎしか期待出来ないだろう。
それと、雷撃の魔法も消失している。不発ではなく、処理されたと考えられる。
「……」
どちらもそう簡単に対応出来るモノではない筈だ。
果たして銀剣による連続剣戟の効果か、ヒカリ自身が持ち得るなんらかの能力が作用しているのか。
確かめる為にも再度攻撃を仕掛けたいが。
「この位置取りは……っ」
距離を置き離れたヒカリの、丁度背面。
そこには抜身の聖剣を構えたヴァンと、後ろに空手の皇子が控えている。
下手に強力な魔法を使えば、巻き添えになってしまうかもしれない。
卑怯、とは思わなかった。
なにしろ、わたしは試されているのだから。
強さも加減も、恐らくは状況における思考や行動も。あらゆる場面において、わたしはどこまで出来るのか。
これはその対応を、わたしを問う立ち会いだ。
「――――」
出来ることなら、この方向への攻撃は避けたい。
けれどそうなれば、ヒカリはこの位置を有効に活用するだろう。攻める際も逃げる際も、彼女は彼らの安全を盾に優位を取り続ける。
加えて彼女の素早さは、先手を取らせるだけで大きな不利だ。攻めの一手は、わたしの攻撃から展開するのが好ましい。
だったら答えは簡単だ、これ以上考えるまでもない。
完璧に魔法を制御して、先手必勝を仕掛けるしかない!
「――炎よ!」
右手を突き出し、再度声を上げて命ずる。
合わせて周囲を渦巻いていた炎が激しく躍動し、すぐさま一線にヒカリへと進攻した。
さながら、炎の大蛇を思わせる挙動。低い唸りと共に地表の土草を焦がし、少女の身体を呑み込まんと、大口を開けて真正面から距離を詰めていく。
ヒカリは――、
「あー。避けても大丈夫そうだけど、流石にヴァンさんの視線が痛いなぁ。追い詰めたつもりが、逆に追い詰められてたか」
騎士としての立場故か、ヒカリは躱すことはしなかった。
だから炎が衝突する、その寸前。
「それじゃあ、――上げていくよ、サリーユ!」
彼女が宣言し、歯を見せる。
次の瞬間。
パアン、と。
炎の渦が形を崩され、霧散した。
「――ッ」
まるで炎が自ら破裂したかのように、内側から弾けて粉々になってしまった。周囲を彩る火色の粉塵が、最後の瞬きをか細く発している。
信じられない。またしても、魔法が彼女へ届くことはなかった。
だけど同時に、わたしはその光景を確かに見逃さなかった。
「――斬った」
ヒカリは炎を自らの剣で迎え撃ち、斬り裂いたんだ。
その高速の剣戟によって、いとも簡単に、
「わたしの魔法を、斬った!」
「ご名答、ッ!」
含んだ笑みが、一瞬でブレ動く。
舞い散る火の粉が消えるよりも早く、彼女は身を沈めてその中へと飛び込んで来た。
「っ、雷よ!」
再び距離を詰める彼女へ、一息に十数の雷撃を撃ち放つ。
それから一手遅らせてもう一つ。重ねて発動させたのは光の魔法だ。
「光の柱よ、降り注げ!」
手のひらを空へとかざし、号令を上げると共に振り下ろす。そうして発動された魔法によって、天から無数の光の柱が放たれた。
正面から雷を、上空からの光を。総数にして三十を上回る乱れ撃ちが、わたしの視界を埋め尽くす。
完全な安全圏など、それこそ、目標から外したヴァンや皇子に触れられる距離に接近する以外ないだろう。
それを、ヒカリは。
「いいねいいね! 盛り上がってきた――ッ!」
向かい来る雷撃を、左から右へと一閃、銀剣にて容易く斬り払う。
直後、その場に彼女の姿はなく、大きな後退と同時に到来した柱が石畳へ突き刺さった。更に降り注ぐ光の束も、その大半を刃でいなし、左右へ躱し退けていく。遅れて追い縋る先発の雷撃たちさえも、瞬く斬線に入り込まれ、ことごとくを両断された。
「まだ、ッ!」
攻撃の手を緩めてはならない。
更なる追撃に、再度炎を、雷撃を、氷塊や黒矢を立て続けに撃ち放つ。
けれどそのいずれもが、彼女をかすめることすらなかった。
並みの攻撃は飄々と避けられ、連撃を重ね隙を生み出しても、すれば刃が直撃を阻む。傷一つ付けることは敵わない。
「フ――ッ!」
同時に迫る五つの雷撃へ対しても、ヒカリは身体を大きく回転させることで全てを斬り伏せてみせた。直後に上空から突き立てられた炎槍の魔法も、見事にひらりと躱されすぐに態勢を立て直される。
寸前まで肉薄しようとも、絶対に対応されてしまう。
この程度の魔法をどれだけ乱れ撃ちしても、きっと彼女を倒すことは出来ない。
「っ、この子は――」
歯噛みし、それでも攻撃を続けながら思考を回す。
刃で対応されること事態は初めてではない。
例えば今この場で戦いを見守っているヴァン。彼は聖剣によって魔法を受け止め、斬り裂き弾くなどを行っていた。わたしも初対面で戦った際、その黄金の刃で幾つもの魔法攻撃を退けられている。
けれどそれは、聖剣の輝きによって引き起こされている、半ば力押しの様な対応だ。
ヴァンはわたしたちの魔法に匹敵する強大な『力の刃』によって『魔法の力』を迎え撃っているに過ぎない。
状況でいうならば、ユーマが魔法壁に対して強化した拳を振るうのと同じだ。他にもこの国で対峙した竜族の炎や妖怪たちの攻撃も、それに相応する。
彼らとの戦闘で行われるのは、力と力のぶつけ合い。より上回った力が相手を押し潰し、時に無力化する。ある種、単純なやり取りともいえるだろう。
だけど、ヒカリはそうじゃない。
彼女の剣戟は、明らかに違っている。
それは先刻、ビル占拠のテロにて対峙した黒薔薇の、神様のお守りのような。
相対し殺めてしまった、がしゃどくろが持つもう一つの黒い力のような。
純粋な力とは違う、まったく別の領域だ。
「なるほどね」
そしてそれは当然、彼女も分かっている。
「どうやらキミの魔法は――いや、キミの特質は、単純な火力の豊富さらしい」
「ッ」
「単純とは言っても、恐ろしい程の火力だけれどね。キミが本気を出せば、物の数分でこの街を丸ごと火の海にすることが出来るんじゃないかな?」
「どうかしら、ねッ!」
やり取りの合間、すかさず撃ち放った炎弾はまたしても、全てが無力化されてしまう。
ヒカリは足を止めることなく、話を続けた。
「生憎、そんなことが出来る力がボクには備わっていない。他の特級にとっても、物の数分ってのは難しい筈だ。大掛かりな準備や協力者を集めてようやく、時間を掛けて現実にするんじゃないかな。そう考えれば、瞬間火力は特級を遥かに上回っているとさえ言えるだろうね」
けれどそれは、他でもない。
火力だけは、だ。
「だけどボクら特級は、総合的な戦力の評価によって選ばれている。火力で劣ろうとも、戦闘で遅れをとることは有り得ない」
「……みたいね」
「それに厳しいことを言えば、火力くらいは兵器で事足りる。この国には核と呼ばれる化物兵器があるし、他所の国にも類するモノは沢山あるんだ」
つまるところ、ナンバーワンであっても、オンリーワンではない。
殊更彼女らが求めるオンリーとは成果、結果だ。
「もっともその瞬間的な火力が必要とされているから、ヴァンさんの評価が高まっているんだろうね。聞けば近くに戦争が起こるとも言われているし、キミの制圧力は確かな需要だ。否定しておいてなんだけれど、その即効性はオンリーワンであるとも言える」
「それで、決め兼ねているの?」
「いいや、違うね」
だから考えている。
そういう側面があるから考え、こうして実力を測っている。
つまり、それは。
「ボクは思うんだよね。――ただの兵器は要らない」
重ねて、言う。
「あらゆる破壊を引き起こす魔法よりも、その魔法を無効に出来る力の方が必要だろう。特級を殺す力よりも、特級を生かす力の方が不可欠だろう」
それ故に、ヒカリはただの力を欲してはいない。
ただの力を、認めてはいない。
「その上で、改めて問わせて貰おう。キミはこの戦いの中で、力以上のモノを示すことが出来るか?」
――キミは本当に、特級に相応しい者か?