第三章【12】「魔法と剣戟」
「立ち、会い」
ヒカリがわたしにそう言った。
力を証明できるか、立ち会ってくれるか、と。
知っている。この世界の知識として与えられている。
それはつまり、
「――決闘ってこと?」
その確認に、ヒカリが首を横に振ることはなかった。
代わりに口を挟んだのは騎士だ。
「馬鹿な。どういうつもりだ、ヒカリ」
「どういうつもりって、言ったままですよ。ボクは彼女の力を試したいんです」
ヴァンへ答えるヒカリは、穏やかで落ち着いていた。
まるで不思議な提案はしていないと、当たり前のように澄ました表情を浮かべている。その静かな視線が、わたしを映し続けている。
ああ、だけど。
その瞳の奥に、力強い戦意が揺らいでいる。
「ねえ、サリーユ」
ヒカリがわたしをそう呼んだ。
サリーユ、と。
「キミは親しい間柄の友人には、サリュと呼んでもらっているらしい。悪いけれど、キミの活躍と一緒に耳に入ってきてしまってね」
「……ええ」
「そして残念ながら、ボクはキミにそれを許されていない。それも当然だろう。キミはボクを少なからず、警戒している状態だから」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はないよ。申し訳ないけれど、ボクも同じだ」
拭えない警戒心がある。
不信感がある。
「それ故に、許されてもボクはキミをサリュとは呼べない」
「……そう、なのね」
「だけどね、仲良くしたいとは思っているんだ。キミとビルの前で結んだ握手は嘘じゃない。ボクはこんなだから友達も少ないし、騎士団には同じ年頃の子どころか、同性すら希少でね。是非ともキミとは交友を深めたいと、渇望してるくらいだ」
だから、ヒカリは。
「だからキミの本当を暴きたい。実力を性質を、ボクに認めさせてほしい。不躾ながら、力づくでね」
言って、少女騎士は。
ゆっくりと、着込んだ白のスーツのボタンを外していった。そうしてジャケットを脱ぎ捨てた、その下。
顕わになったのは、黒のインナーだった。
「…………」
見覚えがある。
わたしはそれに近い物を纏った相手と、戦ったことがある。
その証拠に、
「――装着」
呟きを合図に、どこからともなく、――彼女の胸部に銀色の鎧が現れた。
続けて肩口の鉄防具や、肘当て、手先を覆う銀の籠手が出現し、ガシャリと音を立てて装備されていく。
間違いない、アレらの防具は仕舞われていた。それが取り出されたんだ。
「皇子様」
防備を整えた後、ヒカリは様子を見ていた皇子へと振り向いた。
ヴァンが肩を落とし眉を寄せる傍らで、皇子はニヤニヤと口元を緩めている。
「ははっ。やる気だねぇ、ヒカリちゃん」
「お許しを頂けるのであれば、是非ともボクの剣技をお披露目したいのですが?」
「いいね。そいつは是非、見せて貰いたい」
即答する。
けれどヴァンが、呆れた表情のまま忠告した。
「皇子。まさかとは思いますが、この場で見せろとはならないでしょうね?」
「他に適した場所があるか? ここなら外に漏れる心配はない。下手に移動して隠れてやり合うなら、このままおっぱじめるべきだ」
「……では身の安全はどうなさるおつもりですか? 広いとはいえ室内の目と鼻の先、危険過ぎると思われますが」
「そりゃあ勿論、期待してるぞ我が騎士よ」
皇子はこれまた悪びれもせず、即答した。
「……簡単に言って下さる」
「ははっ。なあに、大丈夫だろう。戦うのも実力者同士であれば、観客もまた実力者。加減も対応も、万事が保証されているに等しい。もっともこの建物の強度そのものに心配はあるが、その辺りはどうだ?」
『ッハ。それなら心配要らねェぜェ、皇子様ァ』
代わってグァーラが声高らかに答えた。
安心しろ、問題はない、と。
『地下に研究室を頂いた手前ェ、ビルそのものにも色々と手は加えてあらァ。特にこの階層は会議で特級が集まる場所だァ。剥き出しの硝子が防弾鉄壁なのはァ勿論、床も簡単に下層へ破られるこたァねェ』
「備えあれば患いなし。流石は特級随一の技術者だな」
『お褒めに預かり光栄だがァ、生憎完璧を約束は出来ねェぜ。なにせ特級だァ。半端な威力程度は耐えられるだろうがァ、壊すつもりでやられちャあな』
当然、その辺りの加減くらい簡単だろうが。
言って、睨まれてしまう。加減、配慮は全てこっちでやれということらしい。
「なら俺たちは壁際の隅で大人しく拝見させて貰おう。流れ弾が来た時は頼むぜ、ヴァン」
「まったく、勝手なことを」
して、安全面の心配は恐らくクリアされた。
ならば彼の答えは一つだ。
「いいだろう、ヒカリちゃん。抜剣の許可を与えよう」
よって、舞台は整う。
「――ありがとうございます」
一礼。
後に彼女の、その手に取り出される。
それは、左右対称。
それは、銀色の諸刃。
鋭利、長大、白刃。
かざされるは研ぎ澄まされた、――鮮やかな西洋白剣だ。
「――ッ」
たったの一振りが彼女の右手に握られる。
それだけで、背筋にビリビリと強い緊張が走った。
決して目を逸らしてはいけないと、叩き付けられる剣圧に否応なく、視線を強く縫い付けられてしまう。
きっと、避けることは許されない。
後退はすなわち、彼女との関係を断ち切ることになる。
「……わたしは」
わたし、は。
「そんなつもりで来た訳じゃなかった?」
わたしの言葉を遮り、言い伏せる。
淡々とした口調が、余計に鋭く冷たい。
「図星かな? まさか自分も特級になれるって、それだけだって舞い上がってたの? 特級会議はただのお喋りの場だって、そう思ってた? 違うよね」
「…………」
「少なくとも、この建物に入る前には覚悟を決めていた筈だよ。九尾の狐に化かされて、初めて知り合う特級のボクを見て、気を引き締めていた筈だ」
それは、違いない。
だけど、
「その上でここまで来ておいて、今更暴れようっての?」
「……それじゃあわたしの抵抗も、意見も、無意味ってこと?」
「そういう訳じゃないよ。でもその抵抗や意見が簡単に通る場所ではない」
知っている。
だから黙っていた。今までなにも口を出さなかった。
この場所は、わたしの感覚が通じない規律によって成り立っているから。
「そんなの、とっくに分かってるわ」
「じゃあその上で言ってみるといいよ。……いや失礼、聞かせてほしい。邪魔してしまった、キミの言葉を」
その中で、ようやく与えられた機会。
わたしの言葉。
――わたしは、
「――わたしは、あなたたちの判断に従うわ」
そう言って、切り出した。
「わたしは外の世界から来て、この国に受け入れて貰っている。仕事を貰って、お金を貰って、住む場所も仲間さえも、沢山のものを貰ってる。だから日本国のものは当然、この世界で与えられるルールの全てに、わたしは従う」
意見なんて、ましてや抵抗なんてする訳がない。
どんな立場を与えられても、わたしは変わらない。特級だと言われたなら謹んで頂戴するし、第一級のままならそれで、変わらず任務に力を振るう。がしゃどくろの殺害が罪に問われるなら、罰則から逃げるつもりもない。
それが、ここで暮らすわたしに課されるべき必然だ。
だから、その為に必要であるなら。
「その為にこの立ち会いが避けられないというなら、受けて立つわ」
わたしもまた、態勢を低く構える。
そして右手を彼女へ突き出し、指先それぞれへ淡い光を灯した。
「それにね、戦うことで分かり合えるってヒカリの流儀、嫌いじゃないわ。それがあなたなりの方法なら、真っ直ぐに応えたい」
「ボクの流儀、か。それほど大層なつもりもなかったけど、あながち間違いでもないのかな。そう言われて嫌な気もしないし」
ヒカリもわたしへ、ゆっくりと切っ先を合わせる。
「フム、実に楽しめそうな余興じゃ。大人しく観戦させて貰おう」
「負けんじゃないサね、サリュ!」
『ギギシ、加減だけは忘れるんじャねェぞォ!』
各々もそれだけ言って、部屋の隅へと移動していった。
部屋の中央に残されたのは、わたしたちだけ。
間もなく、火蓋は切って落とされるだろう。
その前に、一つ。これだけは確認しておかないと。
約束しておかないと。
「それじゃあ、ヒカリ。立ち会いが終わったら、改めてお友達になりましょう」
「勿論だとも。その為の立ち会いだって言葉に、嘘はないよ」
「ありがと。それと、その時は是非、わたしのことはサリュって呼んでね」
「はは、どうかなぁ。そこまで親しみを持てるかどうかは、キミの力次第になる」
「あら。――だったら、しっかり見て貰わないといけないわ」
頷き、不敵に笑い合う。
同時に、わたしは体内の魔力を活性化させた。溢れ出す力の奔流をコントロールし、発現させる式を構築していく。
あくまで立ち会い。お互いの力を見せ合い、測り合うもの。
けれど油断は許されない。下手を打てば大きな負傷に繋がり、最悪死に繋がる可能性だって十分に有り得る。わたしの力は、そして彼女の力はそれ程のモノだ。
相手は特級。異界を管轄する国に認められた戦士、その頂点。
少女の身でありながら、紛れもなく、あのがしゃどくろと同格とされているのだから。
そして暫し、音が失われた世界。
呼吸音、内側の心拍だけが耳に残る静寂の中で。
――遂に、開戦は告げられた。
「じゃあボクか、――らッ!」
口火を切ったのはヒカリだ。
上体が大きく前傾に垂れたと、視界が捉えた――次の瞬間。
まばたきの間もなく、わたしの目前へと、白い刃が突き立てられていた。
それを、――バチリ、と。
既に展開していた防壁が、刺突を阻み退ける。
「っ!?」
「ッ、と――」
放電し、微かに色付く半透明の魔法壁。
わたしを取り囲む丸い盾に阻まれ、彼女の白刃は上方へと弾かれ退けられた。
直後、数秒の制止。当然、剣を握り迫っていたヒカリの身体も、防御の衝撃によって態勢を崩される。両足でその場に強く踏み止まり、結果として自らの身体を縫い付けてしまう。
その隙へ、わたしはかざした右手から雷撃を撃ち放つ。数は五つ。
わたしの腕の大きさに等しい雷撃魔法が、すかさず彼女を標的に定め、
発動と、同時。
わたしの視界に映ったのは、数え切れない幾つもの斬線。
それから遅れて巻き起こされた、荒れ狂う旋風だった。
「――ッ!?」
あまりの強風に煽られ、僅かに後退する。
一体なにが起こったのか?
だけど疑問を確認する間は与えられない。
直後、断続的な衝撃が、目前の盾へと叩き込まれる。
「な――ぐ!?」
光景に目を見張る。
少女騎士は変わらず、近距離で刃を振るっていた。
突き刺し、引き戻し、振り下ろし、振り上げ、また突きを繰り返す。何度も防壁へ斬撃を叩き込み、絶え間のない衝撃が周囲に暴風を巻き起こしている。
驚くべきは、その執念だけでない。
恐らくわたしがこの目で捉えている数倍、積み重なって数十倍の斬撃が切り込まれている。
「ぐ、ぐぎ……!」
身体が強張り、突き出した右手の甲を汗が伝う。
目測出来た一斬、突き出された切っ先が魔法壁へと衝突した。けれど瞬間、わたしの身体を叩く衝撃は一つじゃない。三つ四つ、目にも止まらぬ速さで重ねられていた複数の連撃が、仰け反らせる程の威力を叩き込んでくる。
とてつもない速度の剣戟。
加えて、何故か。
「どうして、ッ!」
放った筈の雷撃魔法が掻き消されている。
音もなく、なんの爪痕も残さずに失せている。
まさかヒカリの剣によって斬り裂かれたのか。それとも先刻の戦い同様に、なんらかの異能によって無効化されたのか。なんの問題もなく、確かに発動された手応えは残っているのに……。
などと、思案する余裕すら与えられない。
何故なら、
「――え?」
ゾクリと、背筋を走り抜ける寒さがあった。
その正体を理解するよりも早く、両足が石畳を蹴り付け、咄嗟に身体を後退させた。
そして、
「――貰った」
バキリ!
白刃の先端が、ノイズの乱れる防壁を突破した。
続け様、横薙ぎに振り抜かれた斬線に、綻んだ盾はいとも簡単に両断され。
守られていたわたしの身体が、彼女の剣先へと暴け出される。
「――――――――」
わたしは――。




