第一章【08】「夜更けから」
青い長髪に水色の着物。
今は仕事中だから、その上から白いエプロンと頭にヘッドドレスを付けて。
――いわゆる着物メイドの少女。
涼山千雪。
静かで落ち着いた雰囲気と色合い、涼しげな名前も含めて。
正真正銘の、雪女だ。
この隠れ家の従業員で、つまりは。
「でもヨォ! 妖怪サマ方に百鬼夜行ッテ名前を付けたのはァア! あいつらアヴァロンだッテナァ! ソレは最高ダゼ畜生ォォォオオオ!」
今も酔っ払い叫ぶ彼らを客に働いている。
今度は何やら店全体で『中立! 中立!』とかよく分からないコールまで始まってるし。
「相変わらず、大変だろ千雪。ここで働くの」
「はは。いつもこうじゃないから。みんなお酒さえ入らなければいい人だよ」
いやいや、お酒が入ると店ごと暴走するって、相当じゃねぇか?
その辺りは流石千雪。慣れたものってことか。
「それよりゆーくん。色々聞いてるけど、手伝おうか? 持ってきたの、書類の封筒でしょ」
「おう、助かるよ」
「いいよ。ゆーくん昔からそういうの苦手だもんね。その代わり今日はたくさん飲んじゃう」
「三杯くらいで許してくれ」
言い合って、ジュースで乾杯する。
千雪との付き合いは、かれこれ幼少期からになるか。いわゆる幼馴染というやつだ。
片桐家も涼山家も、どちらも古くから妖怪と関わって来た家系。その過程で家ぐるみの付き合いがあり、気付けばこうしてつるんでいる。
勿論だが、しきたりなどの堅苦しい関係はない。爺婆や父親同士くらいはやり取りもあっただろうが、俺ら子どもは気楽なもんだ。
そもそも幼馴染ながら、恥ずかしい話、千雪が雪女だと知ったのもほんの最近だったりして。
「なんだか考え深いなー。ゆーくんが高校に上がって髪を赤くしたと思ったら、今度は結婚だもんね」
「耳が早いな。っても、こんだけネタにされりゃあな」
「結婚式には招待してよ」
「まだそこまで行ってねぇよ。てか正直未だに意味わかんねーし、実感も湧かねぇ」
「だめだよ。念願の巨乳美少女らしいじゃん。しっかり捕まえとかないと」
「へいへい」
捕まえるもなにも、まずどう付き合っていけばいいのやら。
そうこうしている間にも、千雪は封筒を開き書類を並べて見せる。
なにやら小さく呟きながら、テキパキと素早い手捌きだ。
「流石だな」
「うちの従業員、みんなこういうの苦手だから。色々任されてるうちに、ね」
そうなのかと、お店を見渡す。
千雪と同じ着物エプロンの少女と目が合い、にこりと笑って手を振られた。みんな愛想よく、なんでもこなせそうに見えるが、案外なのか。
はい終わり、と。
気付けば書類は二つの束に別けられていた。
「ゆーくんから見て右が書く書類ね。左が読んで保存する書類。って言っても多分読まないだろうから、後で大事なところだけ説明するね」
「助かる」
「で、書く方も出来れば今晩中にやっちゃいたいんだけど、相手の子の名前とか出身って分かる? あと年齢とか」
「名前はサリーユ・アークスフィアで。……出身年齢その他諸々は分かんないな」
というか、聞いてなかったと思う。
「へー。そんな相手にプロポーズしたんだ」
呆れたと溜息を吐かれる。
ほんとにな。
「じゃあとりあえず書けるところだけ書いて貰うね。一応名前だけでも仮の登録は出来るから」
「おう」
「それで、縁者はゆーくんだよね」
「縁者?」
えっと、なんだっけ。
聞き覚えはあるんだが。
「この世界と縁を繋いだ人だよ」
いわく、異世界転移を行った瞬間、その対象は一旦全ての世界から外れた孤立の存在となるらしい。その際に話す言語や聞き取る理解力なども乱れ、意思疎通が困難になる。
サリュが最初に現れた時の、あの理解出来ない言語がそれなのだろう。
「だから転移者は新しい世界の人と縁を結ばなきゃいけないんだけど。って、ゆーくんだめだよ。これ結構常識なんだから」
「大丈夫だ。言われて思い出せるくらいには覚えてる」
「頭に入ってても引き出せなきゃ意味ないよ」
「それで、確かあれだよな。その縁者ってのは、転移者が新しい世界に来て最初に触れた人物って」
「正解。ゆーくんで合ってる?」
「そうだな」
恐らく俺がサリュを助けようと足に触れた瞬間だ。あの時、彼女は俺を通してこの世界との縁を繋いだわけか。
ふと、千雪が眉を寄せている。そしてまた、大きな溜息。
「なんだよ」
「あのね。転移者が縁を繋いだ瞬間、その人の言語や知識は縁者を通して与えられるの」
「おう。それで」
「ゆーくんの知識が、そのサリーユって子の元になってるわけ」
なるほど。それで溜息と。
「おい。そこまで酷い話か?」
「まあまあねー。ゆーくんの知識量って、精々中学二年生レベルだから。でも小学生縁者とかよりはマシだったのかな」
「そこまで言うか」
これ多分冗談じゃないな。マジで怪訝な、残念そうな表情だ。
千雪の中じゃ、俺は中学二年生レベルなのか。
「ま、でも人柄は保証出来るか。異世界初心者だけど知識も人脈もあるし。総合的には当たりかもね」
「なんだそりゃ。褒めても何も出ねぇぞ」
「照れてる?」
面白おかしそうに頬を緩める。いたずら好きな子どもみたいな笑顔だ。
小さい頃から変わらない。馬鹿にされたり笑われたり、だけどあくまで対等に。
お互い自然体で居られる、悪友みたいなヤツだ。
「うっせえ」
「はいはい。ほら、早く書かなきゃ」
「へーい」
そうだ。まだまだ長い夜になる。
急いで取り掛からないと。
◇ ◇ ◇
結局日付を回り、閉店の一時まで居座ることになってしまった。
とはいえ書類はギリギリ終了。最後に千雪が全部持って行ってくれた。
ひとまずこれで登録は出来たらしい。
飲んだくれ連中が意気込んでいたが、平日は一時閉めが決まりだ。みんな明日も仕事だから帰りなさいと、従業員たちに背中を押されている。
帰る際、再度アッドを見かけるも声をかけるのはやめておいた。なにやら二次会がどうのという雰囲気だったので、巻き込まれるのはご免だ。俺もこれ以上遅くなると明日に響く。
「じゃあな千雪」
「うん。またね」
挨拶を済ませ、森に沿った帰路に着いた。
少ない明かりの中、土を踏み締める音が響く。物寂しい中、河原や田畑から蛙の鳴き声。あとは森の中から草木の擦れ合う音と、梟だかミミズクだかが音を奏でている。
いつの間にか後ろに続いていたやつらも、それぞれの別々に。いよいよ一人になってしまった。
帰り慣れた道だ。怖くもなければ、これといった感慨もない。
けれど今日は、色々と思い起こすことがあって。
「…………」
ゆっくりと歩きながら、件の少女が頭を過ぎる。
まだ名前しか聞いていない、サリュという女の子。
恥じらう真っ赤な表情や、怒ったり慌てる姿。
めちゃくちゃ食べて、色んなことに興味津々で。
――そして、熱くなりながらも真っ直ぐで。
俺を離すことのなかった、冷たい瞳。
「――――」
俺はあの子に殺されかかっていた。
だってのに、遅くまで彼女がこの世界で暮らせるようにと書類を書かされて。
それにプロポーズもだ。上手くいったからよかったものの、名前も知らなかった相手に責任を取るだの。
本当におかしな話ばかりだ。思い返せばそう感じる。
なにをやっているんだろう、俺は?
俺は、ただただ必死で。
その場その場でそうする以外に思いつかなくて。
「そうか」
一番腑に落ちてないのは、きっとその部分なんだ。
結局俺は、今日もその時々で必死になって、なにも見えなくなっていた。
それで今になって、遅れて後悔と反省ばかり。
あの頃となにも変わらない。
それが自分で気に入らないんだ。
などと、考え込んでいると。
「ん?」
気付く。
前方から歩いてくる影。
まだ遠くてよく見えないが……。
こんな時間から隠れ家の方向になんの用事だ?
なにか内密の打ち合わせで、みんなが帰ったタイミングを見計らったり?
業者ならトラックとかだろうし、まさか姉貴が迎えに来てくれたのではあるまい。
まあ別段、なんにしろ。俺には関係のない相手だろうが。
――と、そう思っていたのだが。
特に挨拶もなく、お互いに歩みを進める。
やがて同時に、それぞれ離れた電柱の下に立った。
そして、その影の様相が明らかになる。
金髪で、白い礼服に身を包んだ男だった。
一見は、ただの人間。
整えられた衣服からは、格式高い貴族のような雰囲気が漂っている。
到底、普通の私服といった格好ではない。普通ではない。
加えて、遅れて気付く。
男の様相には、明らかな異物がある。
――その男が腰元に携えているのは、大振りの大剣だった。
「……おいおい」
なんだ、こいつは。
「初めまして、アヴァロン騎士団に所属する者だ」
「アヴァロン、騎士」
なるほど。
それなら納得の格好だ。
「君はカタギリユウマに違いないな」
響く声は重く、無機質。感情の抑揚が欠片も感じられない。
事務的な、そうだ単なる仕事をこなすだけのような。
……それより、アヴァロンの騎士が俺に用事ときたか。
男は続ける。
「答える必要は無い。君の素性は知れている。ボクもよく図書館を利用するからね」
「そう、ですか」
「そう眉を寄せて警戒するな。話は簡単だ。件の異世界転移を行った、少女に関してさ」
このタイミングだ、やっぱりサリュの話か。
だけど、どうしてその話を俺に?
一応縁者ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない。千雪が書類を通したから、それで話を聞きにきたのだろうか。
……それとも図書館での騒ぎの関係者としてマークされているのかもしれない。
だとすれば、またこれからひと作業ということか。
ある程度覚悟はしていたが、転移者を受け入れるってのは色々と面倒みたいだ。
「了解です。付き合います」
「ああ、それほど時間は取らないよ。ただ、重大な話でね」
「はい」
男は――。
「――君、死んで貰えないかな」
――そう、言って。
「え――」
応える、間もなく。
瞬間。
視界を、眩い輝きが覆い尽くした。