第三章【07】「未熟な強者」
まどろみの中、わたしは目を覚ます。
「……ん」
まぶたを開いても、変わらず一面は黒に包まれている。
天井が見えない程の暗闇は、未だに深い夜を思わせた。
けれど、これでも朝だ。
「……う、ん」
遅れて遠く聞こえていた金属音が、ようやく間近に頭を震わせる。枕元の目覚まし時計の、午前八時を伝える合図。
すぐに手を伸ばし、頭を小突いてやった。
ベッドの上で身体を起こし、座り込んでうんと背を伸ばす。
「ふ、ぁ……」
快眠というほどではないけれど、遅く帰って来たにしては眠気が尾を引かない。手足に残る疲労感も、それだけ頑張った証拠だと思えばむしろ心地が良かった。
暫し余韻に浸った後、真っ暗な部屋の中で、右手の人差し指をくるりと回す。魔力を込めて描く、小さく簡易な魔法式の陣。
そうすれば天井のライトが灯り、ぱっと部屋が明かりに開かれた。
その眩しさに、思わず目を細めてしまう。
「ん。……こればっかりは慣れないわね」
地下の部屋故の弊害だ。明かりを落とすと、すべての光が失われてしまう。
いずれはカーテンから漏れる朝日で目を覚ましたり、朝一番の太陽光を浴びて身体を思いっきり伸ばしてみたい。きっと、今よりずっと素敵な目覚めになるだろう。
なんて、これ以上を望むのは贅沢過ぎるだろうか?
「……まったく」
パンと両手で頬を叩いて、ベッドを飛び出した。いつまでもゆっくりしては居られないと、支度や朝食を滞りなく済ませる。
とはいっても、衣服や身体を清めるのは魔法で一瞬だし、他の準備も特にない。
残念ながら朝食も、お金がないから出来合いの物しかなくて、一斤の食パンやレンジ食品数十種類で終わりだ。
けれど昨日帰りに千雪から貰った残り物があったから、今日は少しだけ豪華だった。
「料理、とかも習った方がいいわよね」
一人呟き、げんなりする。
この数週間、果たして同じようなことを何度考え、一度も実行に移せなかった。
ユーマはそういうのは苦手だと言っていたし、チユやオトメと会えても任務関係ばかりで、そんな雑談が出来るような空気じゃなかった。昨夜の隠れ家も大忙しで、結局ゆっくり話せなかったし。
その上、本日も特級会議とやらに呼ばれてしまった。きっと今日もそういった時間は取れないだろう。
それとも特級の人たちに聞けば、実は得意な人が居たりするだろうか?
「んー。でも、料理以外にもやりたいことが沢山あるし」
隠れ家のバイトも定期的に入れて貰えるみたいだし、オトメにも頻繁に顔を見せて欲しいって頼まれてる。多分今日の会議でも色々言われたり、新しい任務を貰う可能性も高いだろう。他にも街を見て回りたいし、遊びたいし、空いた時間には読書もしたいし。
最近は、ユーマと一緒に居る時間も減ってきている気がするし。
「それで料理も習いたいなんて、とても無理じゃないかしら」
ほんとに、身体が幾つあっても足りない。
もっと時間や自由があればいいのに――と、そこまで考え、踏みとどまる。
「……とと、だめだめ」
少しだけれど、マイナスの方向に気持ちが傾いている。
無い物ねだりも憧れも、この世界には山積みだ。せっかくの未開拓を落ち込んだ気持ちで堪能するのは、あまりに勿体ない。
前途多難な料理への挑戦も、今日の会合も、楽しめる部分は存分に楽しまないと。
「――よしっ、頑張ろう!」
気合を入れて、気持ちを切り替える。
そうだ、落ち込んでなんていられない。
きっと今日は、大変な一日になるだろうから。
複数の異世界を渡り交流を行う国、アヴァロン国。
かの国の同盟国は総じて、彼らの定めた異世界法によって管理されている。
日本国でも法は適用され、転移者であるわたしも例外なく、束縛と恩恵を受けている。
その異世界法の中に、戦闘員に関する法があった。
有事の際に戦闘行為へ臨める、それだけの力や技術を有する、特別な存在の者たち。
わたしたちは戦士の称号を与えられ、立場や賃金の補助を受ける。その有事への対応や、与えられた特別な任務をこなすことを条件に。
そして称号と同時に与えられるものが、階級だ。
個人の実力に見合った戦力評価を下され、任務や指揮系統での指針とされる。
階級は六つ。
大きな力を保有し、指揮官としての権限を与えられる『騎士級戦士』――第一級。
戦闘時に多大な貢献が期待される『上級戦士』――第二級、第三級。
特別な力を行使しあらゆる分野で活躍が可能な『協力者』――第四級、第五級。
それから、――特級。
名の通り特別な階級は、絶対戦力としての評価を意味する。
その特級たちの会合に、わたしが呼ばれている。
会議への出席。
恐らく、目的は……。
約束の三十分前、午前九時三十分の少し前に、わたしは現地へ到着していた。
部屋で待っていても気持ちは落ち着かないし、なにより指定された場所には行ったことのなかった。もしかすると迷うかもしれないって踏んで、早めに動いたのだけれど。
そんな心配はまるで不要だったみたいだ。
「は、はあ~」
思わず顎を持ち上げて、感嘆の声を上げてしまう。
見上げた目先にそびえ立つのは、天辺が遥か雲まで届く程のビルだ。
反射した外装の硝子は、銀色のヴェールに覆われたように。
地上六十二階を誇る、日本国一の超高層。
藤ヶ丘センタービルはその名の通り、この藤ヶ丘の街の丁度中心部に君臨していた。
遠く街並みを眺めていても目立つこの建物を、間違える筈もない。
「圧巻ね」
感想はその一言に尽きる。
これ程に高層な建物は、わたしたちの世界にはなかった。加えてきっと、このビルの存在を伝えたところで建設は困難だろう。
そう、たとえ魔法の力を以ってしても。
日の下に輝くこの建物は、この国が技術的に進んでいることの象徴だろう。
そんな場所へ、わたしは招集を受けているみたいだ。
率直に、場違いが過ぎる。
「……勝手に入っていいのかしら?」
見れば広い入口から館内へ進む人たちは、多くがキッチリとしたスーツ姿をしている。時折紛れるラフな格好の人たちも、首からカードのようなものを下げているし。きっと通行書? かなにかだろう。
入口付近にある案内板にも、ほとんどの階層に「株式」や「会社」という文字が記されていた。こんなに目立っていても紛れもない商業ビルで、観光地や公共の場所ではないみたいだ。
「どうしよう」
不覚にも、いつもの格好で来てしまっている。黒の帽子と黒の衣服。わたしたちの世界では魔法使いの正装としてどこでも通用したけれど、この国ではそうはいかないのを痛感している。
特級会議なんて場所だから、てっきりこの格好で来ることこそが相応しいと思っていたのに。蓋を開ければ、魔法で姿や気配を遮断して視線を逃れている現状。
このまま気付かれないのをいいことに、こっそりビルに忍び込むことも出来るだろうけれど。
「それっていいのかしら?」
果たして許されることなのだろうか?
それとももしかすると、そういった能力を試されていたりするのだろうか?
思わずその場に立ち止まり、腕を組んで考え込んでしまう。
――と、その時だった。
不意に、右肩に感じた柔らかく、温かな感触。
それは人の指先だ。
あまりに優しく触れられて、気付いて尚、わたしは即座に反応することが出来なかった。
「おはよー、サリュ」
耳をくすぐる甘い声色に、ようやく事態への理解が追い付いて。
「――ッ!?」
咄嗟に身体を振り向かせ、その手を払い除ける。
同時に爪先へ魔力を送り、光を帯びた右手を突き出して、
――けれどその挙動すらも、構えた手首を捕まれ、制されてしまった。
遅れて視界に映る、静かに揺れる金色の髪。
真っ直ぐ向かい合う、輝き開かれた瞳。
彼女は、――クノリナナオは、優しく笑みを浮かべていた。
「――ナ、ナオ?」
「うんうん、間違ってないサね。ご機嫌いかが?」
「……え、えっと」
あまりに平然と話し掛けられて、戸惑う。言葉に詰まってしまい、上手く応えることが出来ない。
それでも恐らく危険はないだろうと、捕まれた右手をゆっくりと下ろした。そうしたら、ナナオも抵抗なく手首を離してくれる。
遅れて今更鼓動が高鳴り、呼吸が大きく荒く変動した。
「――――」
――今、わたしは殺されていたかもしれない。
そんな確信が、胸の内を搔き乱した。
「あは、ごめんネ」
黙り込むわたしへ、ナナオが苦笑した。
「ちょーっとおイタが過ぎたかネ。スキだらけだったから、ついついからかっちゃったワ」
「隙、だらけ」
「そそ。姿と気配を消してたみたいだけれど、ちょっとやり方が強引というか、粗削りサね。サリュの居る所だけポッカリなにも無くて、むしろここに居ますよーって言ってるようなもんサ。それで誰にも気付かれる心配ナシなんて、慢心ヨ」
「……そう、なのね」
「アタシじゃなくても勘が鋭かったり、嗅覚が自慢の獣の類にも気付かれるかもネ。サリュのそれじゃあ、抜け道は少なくないサ」
知らなかった。
知る由もなかった。
だってこれで、大抵の相手は欺けていた。わたしの国でもこの国でも、補足されたことはなかったから。
それがいとも簡単に。
重ねてわたしの方は、ナナオにまるで気付けなくて。
「アタシは気配を周囲に馴染ませるサね。自然に溶け込むって言ったら分かりやすいかナ? そういう方法を使っているから、サリュは余計に不自然に目立っちゃうのサ」
「自然に、溶け込む」
「そ。第二級以上を貰ってる妖怪は、この方法を多用してるからネ。この国で任務にあたるなら、知っておいて損はないヨ」
そう忠告して、ナナオはそのままビルへ歩いて行く。
昨日と同じ、豪華な赤と紫の着物姿。頭から彼女の独特の狐耳も覗いているのに、誰一人として彼女に見向きもしない。はっきり気付いているわたしすら、ナナオがそこに居ることを自然に感じさせられる。
不思議と、そこに居て然るべきだと、ありのままの風景の一部のように。
「さ、行きましょうサリュ。でないとせっかく早く来たのに、遅れちゃうサ」
「……え、ええ」
当然だけれど。
会議に出席するナナオもまた、その階級は他でもない。
「……これが」
これが特級。
これが、百鬼夜行の首領。
そしてここに集まる特級は、彼女一人じゃない。
「――いやいや、どんな格好で入ろうってのさ君たち」
後ろから響く声。
それは紛れもなく、わたしたち二人を差した言葉。
いとも簡単にわたしたちを見抜く、この場に呼ばれた者。
再び振り返れば、立って居たのは、またもや金色の髪をした人物だった。
金色の短髪に、蒼い瞳。
凛々しい顔つきは一瞬男性を思わせ、身に纏った白いスーツが、余計にそれを助長させている。
けれど鈴の音のような声色は、女性特有の澄んだ響きを震わせる。よく見れば身長もわたしより少し高いくらいで、狭い肩幅や細身な体躯も、やっぱり同性を思わせた。
ふと、その様相にわたしは。
「――ヴァン・レオンハート?」
何度か対面した彼に、重なるものを多く感じた。
わたしが口にしたその名前に、彼女がきょとんと目を見開く。と、遅れてゆっくり口元を緩めた。
「……むむむ、これは不意打ちだ。まさか初対面の貴女がボクを見て、ヴァンさんの名前を出すなんて。寄せていながら今の今まで指摘されなくて、それがここで花開くなんて」
「え、えっと?」
「ああ、ごめんごめん。別段ボクは彼と所属を同じくしているだけで、兄妹でも親族でも血の繋がりもないから安心してほしい。ただのアヴァロン国の騎士だよ」
「そう、なんだ」
別にその部分を強調して説明されなくてもよかったのだけれど。
ともあれ、どうやら彼女はアヴァロン国に所属する騎士らしい。
――加えて、ここで鉢合わせたってことは、この子も。
「あら、ヒカリじゃないサね。丁度よかったワ。エレベーターの操作とか扉の開閉とか、色々任せるヨ」
「君は九尾の狐だね。まったく、そうやって透明人間さながらで動くくらいなら、見合った格好で来なよって話だ」
「ハハハ、固いことは言いっこなしでしょ」
言い合い笑うナナオと、大きく息を吐く少女。
それから彼女は、もう一度わたしへ向いて。
「初めまして、サリーユ・アークスフィア。噂は兼ねがね聞いているよ」
にこりと微笑み、その正体を明かした。
「ボクの名前はヒカリ。一応君を招集した、特級の一人だ。今後とも、どうぞよろしくね」
差し出された右の手のひら。
わたしはゆっくりと、その手を軽く握り返した。




