第三章【06】「夜更けの邂逅」
隠れ家を後にしたのは、日付を跨いでからだった。
あれからサリュの件や七尾さんの放浪話で盛り上がり続け、抜け出せずに閉店まで居てしまった。もっとも居座ってみんなで七尾さんを問い詰めたところで、結局サリュの特級会議に関する詳細は聞けなかった訳だが。
「畜生。あの人、アレで結構口が固いからな」
この件は、完全に傍観しかない。万事がサリュ次第ってことか。
まあ七尾さんが同行するらしいから、最悪の事態ってのはないだろうけど。
などと考えながら帰路を進む。家に着く間際、スマホで確認した時刻は、午前二時をも回っていた。
車も通らない静寂の中、誰かとすれ違うこともなく、マンション「中居ハウス」の七階へ。姉貴もとっくに帰って寝ているだろうと、ゆっくりと玄関の鍵を回す。
けれどドアを開くと予想外にも、廊下の向こう、リビングに明かりが点いていた。
どころか俺が帰ったと気付くと、奥から姉貴が歩いて迎えに来た。
「お帰りー、裕馬」
「姉貴?」
見慣れたしわだらけのシャツと、ぼさぼさの髪の毛。眼鏡の奥の瞳も、眠たげに細められている。多分、軽く落ちていたとは思うが。
それこそ俺が帰って目を覚ましても、わざわざ迎えにまで来てくれるか?
「……どうか、したのか?」
「ふぁ……。いや、ね。明日朝一で頼みたいことがあったから、それでね」
「それならスマホにメッセージ送っといてくれればいいだろ」
「……あー、その手があったね」
「おいおい」
ぼりぼりと頭を掻き、再度大きな欠伸を繰り返す姉貴。気だるげなのは睡魔だけでなく、どうやら疲れからも来ているみたいだな。
あの姉貴がそんな失念するなんて。
しかも、いつも手放さないスマホに関することで
「――姉貴、なんかあったのか? 結局最期まで隠れ家にも来なかったし」
「いんや。ただ疲れてるだけだよ。お前と千雪が達成してくれた任務の引継ぎもこなしたし、別件の仕事も片付けてた」
「まあ、無事片付いたならよかったが」
「任務と仕事は、ね。予想外だったのは、千雪から届いたメッセージだよ。七尾が帰って来たんだってね。その所為で隠れ家に顔を出しにも行けなくなって、参ったもんだ」
「なんだ、千雪に聞いてたか。流石は手が早いな」
「お陰であの人に関する案件も、色々と整理する羽目になった」
珍しく残業も残業、働き者だよ。
それだけ言って自嘲気味に笑うと、姉貴はリビングへと振り返って。
「待て待て! それで、俺に頼みたいことってなんだよ!」
「……あー、そうだそうだ」
「ったく」
こりゃあ大丈夫じゃなさそうだな。
「明日の十時過ぎくらいに、東地区にある喫茶店に行ってほしいんだよ。……場所とかはまた朝になったら送っておくから、そのつもりで起きて準備してくれればいい」
「了解だ」
「ちなみに表向きはごくごく一般的な喫茶店だ。くれぐれも気を付けて、髪も黒いままで行けよ」
「まだ落としちゃ駄目なのかよ」
さては姉貴め、染めさせたのはそっちが本題だな。
問い詰めたいところだったが、しかし向こうが限界みたいだ。姉貴はふらふらとリビングの方へ戻っていき、バタンと倒れる音が聞こえた。またそのままソファーでダウンか。
まあ時間も時間だ。風呂だの着替えだのうるさく言われるのも厳しいだろうし、俺もなかなかに気だるい。
色々と詰め込まれた夜だったから、もう一杯一杯だ。
「七尾さんの件も、サリュの件も、後は千雪との恋バナもか」
ああ、そういえば千雪に相談するつもりだったのに、それどころじゃなくなったな。
サリュとの関係、進展、特別なデート作戦。
「我ながら恥ずかしい」
頭を抱えながら、自室へ向かう。
千雪も言っていたが、いくらなんでも話過ぎだ。隠れ家の再会で浮足立っていたとはいえ、もう少し自重した方がいい。また噂にされて遊ばれる羽目になる。
本当に、らしくない。
「……それだけ真剣って、ことなのかねぇ」
サリュのこと。
サリュとどうなりたいか、どうするべきなのか。
こんなに考えるなら、いっそのこと、そういうことでもいいと思うが。
「……ったく」
だけどやっぱり、慎重になってしまう。
考え過ぎ、臆病者、情けない。
「しっかりしろよ」
呟きを重ね、自分に言い聞かせる。
明日の件で、恐らくサリュの環境には大きな変化が訪れるだろう。そうなれば今のように一緒に仕事をしたり、自由に動くのは難しくなるかもしれない。
いつまでも今のままではいけないと同時に、いつまでも今のままという訳でもないのだ。
だから焦らず大切に、それでも大切であるならば、決して蔑ろにすることなく。難しい現状に打開策など簡単には浮かばず、モヤモヤした感情は拭えない。
けれど一晩悩める程の体力も残っていなくて。
気付けば床に着き、眠りに落ちていた。
◆ ◆ ◆
日本国へ来たのは久し振りだった。
夜も更け、午前零時を迎える。
藤ヶ丘市の北地区に建つ、変哲もないビルの屋上。
見下ろす街並みは、眩い街灯が散りばめられている反面、歩く人影は少ない。立ち並ぶビル群もほとんどが光を落とし、思いの外静かで微かな風音を感じられた。
「……」
ボクは、あの人を待っていた。
こんな遅くに女の子を呼び出した、ちょっぴり間の抜けた困った彼を。
間もなくして、ギギギと後方の非常扉が開かれた。振り返れば彼が、予定より少し遅れて到着する。
「遅れてすまない」
そう言って一礼するのは、アヴァロン国が誇る第一級の騎士様。
聖騎士、ヴァン・レオンハート。
「ほんとですよ、ヴァンさん」
遅れた彼は見慣れた白いスーツ姿で、ぱっと見た限り武装しているようではない。なにか穏便な任務からそのまま急ぎで駆け付けてくれたのかもしれないが、こんな時間に不用心すぎる。
なんて、同じ格好で同じく武器を持たないボクが指摘するのも、おかしな話だろうけれど。
「ほんとにどうかしてます。こんな深夜に、ボクみたいな十代も半端な女の子を呼び出して、おまけに待たせるだなんて。なにかあったらどう責任を取ってくれるんですか?」
「再会早々、実に辛口だな。返す言葉もない」
両手を挙げて、降参だと肩を落とす。
けれど続けて、余計な一言を。
「しかし女の子を自称するのであれば、もう少し『らしい』格好をしてみてはどうかな? 飾りげの無い白のスーツではとても、可憐なお姫様でなく僕らと同じ騎士だ」
「放っておいて下さい。その辺り、ボクも考える年頃なんですよ」
一体、誰の影響でこうなっていると。
だけどそんなボクの成り立ちなんて、話し込むようなものでもない。
ボクは咳払いの後、改めて彼へと向き直った。
「まあいいです。ヴァンさん、お久し振りです」
「ああ、随分久し振りだ。半年振り程になるか?」
「そうなりますね。最後に会ったのは鳥族の国でしたっけ?」
「鳥族皇帝が誘拐された件だな。そうか、もう半年前の出来事だったか。あの時は村民の誘導や敵幹部の討伐等、お手柄だったな」
「当時も事あるごとに褒めてくれましたけど、アレはヴァンさんの指揮があってのことですよ。ボクは指示された場所で役目をこなしただけです」
返すと、殊勝な奴めと笑ってくれた。
でも実際、そうに違いない。あの事件はヴァンさんが指揮を執ってくれなければ、どう転んでいたか怪しい所だ。それくらい危ない橋を渡った。
なのにヴァンさんは自分のことなんて取り立てず、小さく拍手を送ってくれる。
「それに聞いたぞ。つい先日は本国でも戦ってくれたそうじゃないか。異界からの軍勢を相手に、よく活躍してくれた」
「いうほど大した相手じゃなかったですよ。寄せ集めもいいところ、多分、戦力偵察程度だったかと」
「それでもだ。ああ口惜しい、こんな真夜中でなければ、お茶に誘ってゆっくり話を伺いたいところだが」
「デートのお誘いでしたら喜んで。お洒落な場所は閉まってますけど、ラーメンの屋台とか、おでんの屋台はどうです? 西地区なんで賑やかですけど、美味しいお店知ってますよ?」
「魅力的な甘言だが、今晩はよしておこう。お互い明日の会議を控える身だ、せめてそれを片付けてからにしよう、――ヒカリ」
ヒカリ。
別に、焦らしていた訳ではないだろうけれど。
ようやく呼んでくれたその呟きが、胸の内を温めてくれる。
「――そう、ですね。なにせこれまた久し振りの特級会議です。この時間からひと騒ぎして、睡眠不足で臨むのは得策じゃない」
とても残念だけれど、こうして話していることすら早く切り上げるべきだ。
明日に控えた、特級会議。
一筋縄でいく筈もなく、予期しない『もしも』が十二分に起こり得る。
ボクもヴァンさんも、万全の状態で臨むべき案件だ。
にも拘らず、こんな時間にボクを呼び出したのは。
「そういう訳だ、急ぎ本題に入ろう」
「名残惜しいですけれど、了解です。それで、用件は」
「当然、その会議に関することだ」
「ですよね」
「会議で取り上げられるであろう議題。それに関して、予備知識として僕の考えを聞いて欲しい。――重ねてその案件について、君の力が必要だ」
「うへー」
再会した傍から言ってくれるよ。
「ヴァンさんも意地悪ですね。ボクがあんまりその言葉好きじゃなの、知ってる癖に」
必ず要する。
そしてそれは紛れもなく、ボクに要求されていることだ。ボクはそれに応えることを命令され、義務とされ、期待される。相手がヴァンさんであっても、むしろヴァンさんであるからこそ、その重みは受け入れ難い。
せめてもの抵抗をとげんなり肩を落として見せるが、ヴァンさんの表情は変わらなかった。真剣なままに不動。決して揺るがない。
相変わらず、だ。
「君が責任や役割に囚われたがらないというのは承知の上だ。だが頼れる仲間である以上、託さざるを得ない」
「嬉しいこと言ってくれますね」
「本心だとも。君に頼めることは、君にしか頼めない」
彼は再度言った。
君の力が必要だ。――ヒカリ、と。
「……フー」
まったく。本当に、この人は。
「殺し文句ですね。真顔でそんな恥ずかしいこと言わないで下さいよ」
「ははっ、自覚はある。少し臭い言い方になってしまったな」
「でもまあ、そこまで言われたら、やるしかないですよね」
なんて面倒そうに言ってみるけれど。
ボクがヴァンさん直々の話を蹴り飛ばすなんて、よっぽどでなければ有り得ない。
この人にはそれくらいお世話に――いや、従順程度では足りないくらいの恩がある。
断ろうなどとは、到底思えない。
それにヴァンさんも、無茶こそ言うけど無理は言わない。ボクにしか頼めないというなら、それはボクには出来ることだろう。
だから詳細を聞くまでもない。押し問答は、ほんの遊び心。
その依頼がどんな内容であっても、ボクは二つ返事で頷くつもりだ。
――けれど。
「ヒカリ、君には――」
その内容は、
「――え?」
一瞬耳を疑い、放心してしまう程に、予想外のものだった。