第三章【03】「近況報告」
それから南地区へ移動すること半間弱。九月末日の涼しい夜風に身を震わせながらも、指示通りの場所へと無事到着する。
準備や手伝いをと言われていたが、首を挟む余地などなかった。隙なく手早く完璧に、従業員たちの手によって万全の状態へ作られていく。
紙や花の飾りや、新品の純透明なグラス類。貴重そうな古びたランタンやら、お洒落なキャンドルまで、綺麗な装飾が施されていく。
果たして暴れてめちゃくちゃになる未来が見えているのに、そこまで凝る必要があるのか。などと考えながらも、違った雰囲気に盛り上がる自分も居て。それはきっと、集まった誰もが抱える高揚感だろう。
そして迎えた、午後二十一時。
薄明るい木色の店内に、重なる声が響き渡った。
「隠れ家復活を祝って~!」
『乾ぱ~い!!!』
藤ヶ丘の南地区。その最端の森の傍に、ひっそりと建つ小さな喫茶店。
この夜、狐の隠れ家には、大勢の人々が集まっていた。
多分、ぱっと見渡しただけでも五十人近くが詰め込まれているだろうか。店内は立ち呑み騒ぐ連中でぎゅうぎゅうになり、店の外にも大勢がひしめいていた。
それだけこの日を待ち侘びていた人たちが、沢山居たってことだ。
先の戦いで壊され、店を閉めて二週間程。
今日はめでたく修繕を終え、その再開日だった。
誰も彼もが笑顔を浮かべ、グラスやジョッキを片手に大口を開ける。
新品になった椅子に腰かける者。さっそく机に立ち乗り声を上げる者。ガヤを飛ばしてお酒を煽る者も、みんなが一様に盛り上がっている。やはり気合の入った飾り付けは、三十分と持たなかったみたいだ。
当然、盛り上がるのは人間だけじゃない。独特な色合いの鱗を纏った転移者や、人型ながら特異な部位を持つ妖怪、衣装が独特な関係者などなど。
久々の隠れ家は前と変わりなく、有象無象のお祭り騒ぎだ。
「なんつーか、嬉しいな」
そんなみんなを横目に、カウンター席でグラスを煽る。いつものコーラの炭酸がスッと沁みて、遅れた甘味が次を急かした。
自分自身で、なにを浮かれたことをと、呆れて息を吐く。
案の定、カウンターの向こう側に控えた千雪が、口元を抑えて大きく笑った。
「あははっ、面白い。ゆーくんがそんなこと言うなんて。お仕事終わりでお疲れかな?」
「うるせぇ。自覚はある」
「そんなに隠れ家が恋しかったんだね」
言って、ニヤニヤと笑う。
楽しげな表情を見るに、どうやら無事片付いたらしい。
「さっきのボロボロの衣装はどうしたんだ? ツナギみたいなの来てなかったか?」
「ばか言わないの。あんな格好でお店に出られる訳ないでしょ」
「そりゃそうだ」
千雪は見慣れた水色の着物にカチューシャとエプロンを着けて、ばっちり給仕の態勢だ。相手をしてくれている合間にも、手元では注文のジュースやカクテルをテキパキ用意している。
ちなみに俺も急いで着替えて来たから、普通の黒シャツだ。
……まー問題は服じゃなくて、時間がなかった髪色の方で。
「ふふっ。黒髪のゆーくんなんて久し振りに見たかも」
「ったく、水で落ちる程度でよかっただろうが。本格的に染めやがって」
大体、蓋を開ければ変装の意味があったかすらどうか。バレる前提だってんなら、潜むのは千雪だけで、俺は近くに隠れて見つけられるくらいでよかったんじゃないのか。
いや、失敗ならいざ知らず、成功した作戦をクドクド考えても仕方ないんだが。
「姉貴の奴、絶対面白がって染めさせただろ」
「そう? 赤い髪の方が面白いと思うけど?」
「言ってくれるぜ」
「いっそこの機会に似合わない不良なんかやめて、そのまま黒で居たらどう? その方が格好いいよ」
「んな簡単には乗せられねぇっての」
言い合い、笑い合う。
俺も浮かれているが、千雪も相当上機嫌みたいだ。
後ろの棚へと振り向く際に、軽いステップを踏んでいたり、時折鼻歌をこぼしていたり。そういった小さな所作もだし、なにより笑顔が楽しげだ。
そんなことをいってしまえば、俺たちだけでなく、店全体が浮かれ気分なわけだが。
「大盛り上がりだな」
「うん。みんな手伝ってくれたし、待っててくれたしね。ゲン担ぎの応援だーって、今日まで禁酒してた人も居るらしいよ」
「たかが二週間ちょっとだろ」
「それでも嬉しい話だよ。ほんと、毎日頑張って修繕した甲斐があった」
言っても私は裏方なんだけどねと、控えめに遠慮してみせる。
しかしそれが謙遜であることは、誰もが知っていることだ。千雪の言う裏方というのは、資材の発注や差し入れといったレベルじゃない。もっと広く手を伸ばしている。
修繕に参加した人員たちの時間管理は勿論、修繕外の予定管理。それによって発生した人員不足や作業効率も計算し、状況に合わせて応援を要請。人の動きを完全に統制していたと聞いた。
だけでなく、普段隠れ家で行っていた特異情報の整理。今晩のような開店直前の、小さな事件にまで対応してくれていた。
知っていることも知らないことも、あらゆる方面で動き回っていたことだろう。
痒い所に手が届くどころか、痒い所を出さないように。
そんな千雪の裏方を、みんなが分かっている。だから俺もわざわざ、特別掘り下げるつもりはない。
別段本人に自覚がなくたって、俺たちが支えて返せるなら構わないんだから。
「じゃあお疲れ様ってことで、一杯奢らせてくれよ」
「なによ、改まっちゃって。別に変な気は遣わなくていいよ」
「友人としての気持ちだ。あと、これからも色々と世話になるだろうからよ」
「なるほど前払いってことね。それじゃあありがたく頂戴するけど、でもやだよー。とてつもなく面倒な案件とか、気軽に持ってこられてもさ」
「んなこと俺に言われたって困る。事件は向こうから来るもんだろ」
「言ったね。だったら、下手なことに首を突っ込んじゃだめだよ」
「覚えとく」
「覚えとくだけじゃなくて、努めてほしいんだけど」
それは難しいだろう。
なにしろすぐ近くに、面倒ごとに巻き込まれる人物たちが集まっているのだから。百鬼夜行に慕われる参謀ポジションの姉とか、第一級戦力のとんでも魔法使いとか。
加えて最近は、問題だらけの双子が姉貴の管轄に入ったようだし。
千雪もそこに思い至ったのだろう。小さく息を吐いて肩を落とした。
「悪いな。多分、色々世話になる」
「だろうね。後でデザート食べて帰るから、付けといていい?」
「バーカ。それくらい好きに付けとけ」
「へー、ほー、ふーん。そっかそっかー」
「んだよ」
「いえいえ。流石は彼女持ち、甲斐性見せるね、って。お財布に余裕あるんだ?」
「……いや」
目を逸らす。痛い所を突かれた。
悲しいかな金銭的余裕など、まったくもってありはしない。
そんな俺を面白がってか、千雪がカウンターに乗り出して来やがった。ニヤニヤと口元を緩めやがって、まさか事情を察した上でたかるつもりか?
思わず身構えたが、そうではなかったらしい。
代わりに尋ねられたのは、サリュのことだ。
「ねね、話は変わるけど、サリュちゃんとはどうなの?」
「はあ?」
「どんな感じなのかって聞いてるの。距離とか雰囲気とか、関係性とか」
「あー」
勿論、単なる人間関係についてではないだろう。
それはいわゆる、恋バナというヤツだった。
「いやね、ゆーくん。お金がないってことは、なにかしてあげたのかなーって思ったのよ。デートで遠出とか、プレゼントとか。そういう話を聞かせてほしい訳」
目をキラキラと輝かせながら、ぐいぐいと迫られる。
これは多分、簡単には逃がして貰えないヤツだ。
「いや、あのなぁ」
んなこと聞かれても返答に困る。
というか仕事しろ仕事――と指摘したいところなのだが、運の悪いことに注文がストップしていた。カウンター周辺の連中が、こぞってチビチビ飲む量を調節してやがる。毛むくじゃらのオッサンも、白い半透明なスライムも、素知らぬ顔で耳だけこっち向きだ。
どいつもこいつも酒の肴にしやがって、畜生が。
「それで、実際はどうなの? どんな感じなの?」
「あー、いや、千雪」
「もう手は繋いだの? でも戦いの中で自然と身を寄せ合ったりしてるんだから、その辺りは手早く進んでるのかな?」
「さ、サリュに聞いてねぇのかよ」
「最近までずっと忙しかったんだから、会っても任務の話だけよ。勿論、後で聞こうとは思ってるけど、それはそれとしてゆーくんの話も聞きたいじゃない」
ね! と、肩までがっしり掴まれてしまう。
……参ったな。
質問攻めにされるのも苦手だが、それ以上に。
「ね、ね、ゆーくん。話して話して」
「……観念するが」
「うんうん」
「……残念ながら、金欠は別の理由だ」
本当に残念ながら、金欠の要因は依然として変わらない。
贈り物であることは確かだろうが、それは食べ物であり、簡素に言ってしまえば食費だ。
テロの件で多少の報酬はあったらしいが、彼女にとっては雀の涙。バイト先にと考えていた隠れ家も閉まっていたから、結局は今月も俺が支える羽目になったのだ。
あの膨大な胃袋を、一カ月近くも、貯金を切り崩してまで、だ。
「え、ええー。私もサリュちゃんの胃袋は何度か目にしてるから、色々と考慮して任務を斡旋してたつもりだったんだけど」
「普通にフルタイムの勤務くらい入れても、多分カツカツだぞ」
「それはその、ご愁傷様です」
「まったくな」
ちらりと店の方を窺えば、当のサリュ本人は大忙し。
念願の初バイトを迎え、懸命に給仕中だ。
「――と、――と、――ね! 分かったわ、待ってて! 追加注文! えっとー!」
紺色の着物に白のエプロンで。隠れ家の給仕スタイルに身を包み、人の波間を右へ左へ駆け回っている。
呼ばれて急行し、また呼ばれて反対側へ走って。忙しそうに髪を振り乱す様子は、見ているだけで辟易してしまう。なんだかんだこれが初めての正式なシフトとなった訳で、それもまた随分難儀な事態だ。
にも関わらず、サリュの表情は満面の笑顔を振り撒いていた。
しっかりオーダーも取れているようだし、言葉遣いも敬語こそ扱えていないが、持ち前の明るさで上手いこと溶け込んでいる。疑問点等も従業員に尋ね、その都度解決しているように見える。コミュニケーションもバッチリだ。
物怖じせず、どんどん積極的に。
快活な姿には、安心感すら覚える程だった。
「凄ぇな、あいつ」
「ほんとに大助かりだよ。まだ掃除とオーダーしか教えられてないから、注文任せっきりになっちゃって。後で休憩長めに調整しないと」
「そういうのは大丈夫じゃないか? まあ疲れてそうなら助けてやってほしいけど」
見た感じ、存分に楽しんでるみたいだ。むしろ水を差さない方がいいかもしれない。
そもそも、再開祝いで大盛況になるからと声をかけられ、二つ返事でノリノリだったらしい。お金の件もだろうが、よっぽど楽しみにしいてたんだろう。
「そうなのかなあ。私ならもうクタクタで嫌になっちゃうけど」
「まあそこは、異世界人だからな」
彼女にとっては初めての、たまらない時間なんだろう。
「――お」
ふと、ちらりと目が合う。
すると変わらずぱっと開いた笑顔のまま、ぶんぶんと右手を振られた。
あいにく応える間もなく、すぐに向こうへ行ってしまったけれど。
「甲斐甲斐しいね」
「……うるせぇ」
「それで? お金は食費に消えたとしても、色々出来ることはあるよね? 図書館地下のサリュちゃんの部屋にも頻繁に出入りしてたみたいだし、いくところまでいっちゃってたりとか?」
「あーもー掘り返すな。仕事しろ仕事、大繁盛だろ」
「偶然にも、カウンター周りは注文がないみたいだからねー。それに一応、任務明けすぐだから休憩も兼ねてるの。ほらほら、離れたらなかなか戻って来れなくなるんだから、焦らさないでほしいんだけどー」
「……いや、あのな」
「うんうん」
「焦らすとかそういう話じゃなくてだな」
「なになに、まさか話すことがないとか言わないでしょ?」
「んー、いや、……んー、その」
言い淀む。
焦らしている訳ではなく、言いにくい話がある訳でもない。
これはまさしく、千雪の言う通りで。
「……え、まさか」
実はその、まさかなのだ。
あの事件から二週間弱。
サリュと出会った日から数えれば、もう一カ月が過ぎた。
図書館の仕事で一日一緒なこともザラだし、部屋で二人きりも日常茶飯事。何度もご飯を食べに行ったし、一応デートという名目で遊びに行ったりもした。
にも関わらず、俺たちの関係には、なんの進展もなかった。