第三章【02】「ひと月後」
壊れたモノは直される。
または、新たなモノに作り替えられる。
すれば自然と人や金銭に動きがあり、普段は隠れた裏側が、薄らと見えることがある。それが金銭取引や拠点確保等、前段階の準備工作であったなら御の字。すぐさま抑えれば、事態の悪化を未然に防ぐことが出来るだろう。
だから姉貴の指示のもと、俺は行動を起こした。
日が沈んだ、夕暮れ過ぎの頃。
場所は若者の街、藤ヶ丘の西地区。ひと月前、たった一人の少女によって大きく破壊された街だ。
勿論、いつまでもその時のままではない。崩れた建物たちは随分修繕が進み、また眩しい明かりを灯している。一時は傷痕が目立ち人の足も遠退いていたようだが、今夜は初夏の頃と変わらない賑わいを見せていた。
しかし、未だ骨組みの施設や、影を落とす建物も少なくはない。
そういった光の当たらない場所にこそ、暗躍蠢くのが世の定めってヤツだ。
西地区の一角、背高いビルの六階。
鉄骨や柱が剥き出しになった、なにもない、駐車場のような階層で。
情けないことに、――俺は囚われの身となっていた。
「サテ、それじゃあ今夜も取引と行きたいところダガ」
一人の大男が、靴音を響かせ暗闇を進む。
両腕を後ろに縛られた俺は髪をわしづかみにされ、されるがままに連れられている。
ようやく慣れてきた視界には、薄っすらと複数の人影が集まっているのが分かった。取引、その為に集められた連中だ。
そしてその取引を見定める為、奴らに紛れて忍び込んだってのに。
我ながらなんてザマだ。
「ソノ前に、ドコからトモなく紛れた迷子をどうするかダ。ナァ、鬼餓鬼」
ぐわりと髪を引き上げられ、周囲へ喉を晒された。それにより、視界が男の頭部へ引き寄せられる。
頬を撫でる男の吐息は、血と肉の臭いがした。他にもやけに鼻に付くのは、泥や草の湿りけが混じった、獣臭だ。
大男の顔は、茶色の体毛に覆われていた。
太く固いその毛は、決してメイクや作り物の類ではない。頭上に伸びた三角の耳も目を惹き、高すぎる鼻立ちや鋭く細められた瞳も、狗か狼の類だろう。
正真正銘、人間ではない生物であるが故だ。
それは取り囲む連中たちもだ。人型でありながら顔面を色濃い体毛で覆い、または色とりどりの鱗を光らせる。一見するだけで、同じく狼のような者、熊や猿に近い者、蛇独特の長い舌を覗かせる者。頭をフードで隠した、純粋な人間に見える者も居た。
ただ、一様に鋭い視線が感じられる。
共通しているのは、間違いようのない敵意だ。
「……くッソ、お呼びじゃねぇって、か」
「ッタリめぇだろうガ。それともナンダ? 招待状でも持ってるってノカ?」
「……ねぇな」
「違いネェ、配ったつもりもネェしナ。当然、呼ばれてもネェよナァ? だからこうして髪を黒くまで染めて潜んでたんダロ? アァ?」
嘲笑われ、一層強くその髪を引かれる。
まったく図星だ。目立つからと半ば強引に髪色を染めさせられて、おまけに小汚いボロ切れまで着せられている。一部の連中と同じように、フードも深く被っていた。
なのに髪の色といい鬼餓鬼といい、どうやら俺個人の正体まで特定されている。
何故そこまで見抜かれた?
……いや、そこは違うか。その部分に囚われていたから、失敗したんだ。
決して見抜かれた訳では、ない。
「生憎ダガ、姿形を多少欺いた程度で簡単にはいかネェ。目が利くヤツも居れバ、鼻が利くヤツも居ル。ソチラの参謀は、ちぃと裏の世界を舐め過ぎてねェカ?」
嗅ぎ分けられた。
見た目通りの種族の特性によって、正体を看破された。
紛れ込んだ余所者であり、鬼の血を持った混ざりモノだと。
「しかもワザワザ鬼を寄越しやがるとは、分かりやすいにも程があるゼ。テメェら臭いに独特の辛みというか、熱があるのを自覚してねぇノカ?」
「……さあな」
「ヘッ」
髪を離され、そのままその場に崩れ落ちる。
膝を着くと、獣の男はますます笑った。
「オイオイ。ンだよ、弱々しく跪きやがッテ。無抵抗をアピールってカ?」
「別に、元から大した抵抗をするつもりはねぇよ」
「じゃあなんダ。ノコノコ散歩にでも来たってカ?」
「……まー実際は、そんなとこで間違ってねぇ」
「ほう」
男が息を吐く。
言葉に嘘偽りはない。言葉通り散歩に来たわけではないが、のっけから事を起こしに来てはいない。無抵抗で済めばそれでいいと、そんな見積りだった。
俺の応答に、男も気付いたのだろう。
静かに、確かめるように呟いた。
「――見学、カ」
「ああ。だから」
「だから手を出すなってカァ? 舐めんじゃねェゾ」
低い声色で、唸る。
そりゃあそういう反応にもなるだろう。
「何様のつもりだテメェ。視察にでも来てるつもりカ? 問題があったら報告して、後日対応って腹積もりカ? いやいやテメェ、馬鹿にするのも大概にしろヨ」
「……問題がなければ、それで済むと思うが」
「だからヨォ、何様のつもりなんだって聞いてんだヨ。問題? ンナもん、あるに決まってんダロ」
取引だと言った筈だが、聞いていなかったカ?
大男は続けた。
「集まった連中が持ってるのは、裏金、裏情報、裏物品。ナンだって揃ってル。テメェらが大喜びで打ちたがっている杭がズラリと勢揃いダ。危ない橋を渡ってンダよ、オレ様たちはヨォ」
「そうみてぇだな」
「ああ、そうサ。それを我が物顔で見学だノ、管理だノ。許せる筈がネェだろウ? 見過ごせる訳がネェだろうガ!」
男が、その感情をぶちまける。
轟く怒声は、足下を微かに振動させる程だ。
「……随分お喋りなんだな」
「ハッ、そりゃあ訴えたくもなるってモンダ。どうせテメェが忍び込んでる時点で、オレ様たちは詰んでイル。――勿論、抵抗はさせてもらうガナァ!」
「……そうかよ」
宣言通り、男の視線の色が変わった。取り囲んだ連中もナイフや銃を取り出し、態勢を落とす。
張り詰めた空気が充満していく。どうやら降参や話し合いの余地はないらしい。
そうなれば、こっちの応えだって一つだ。
「徹底抗戦でいいんだな?」
「オウオウ、かかってきやがレ。噂の第一級魔法使い様が隠れていやがるノカ?」
「お得意の臭いとやらでは気付けねぇようだな」
「そうだナ、仲間以外におかしな臭いは感じられネェ。建物の近くにも、人間以外の存在はないようだガ」
なるほど、そういうのも分かるのか。
嗅覚ってのも馬鹿にならないな。
「だったらわざわざ説明しなくても、分かってるだろ? 状況通りだよ」
「……オイオイまさかテメェ、人間の協力者しか用意してねぇノカ? 人間とテメェだけで、オレ様たちをなんとかしようって計画カ?」
「だから言ってるだろ。大した抵抗をするつもりはなかったって」
「オイオイオイオイ! 悪い冗談ダゼ! ほんとに見学だけで済むと思ってたのカヨ!」
勿論、それで済むに越したことはなかった。
特に問題もなく、精々金銭的な取引が行われている程度なら、それでよかった。
だがコイツらは駄目だ。残念ながらアウトラインに引っ掛かっているし、なにより好戦的過ぎる。
問題が見られたのなら、即時制圧せよ。
それが姉貴からの指示、俺たちの策だ。
「鬼血ッ」
呟き、心臓の鼓動を昂らせる。
両手の爪先から赤黒い泥を纏い、硬化を。手首に巻き付いたロープは、力を込めれば簡単に引き千切れるだろう。
そうしたらすぐにコイツに飛び掛かって、他の連中はあいつに任せれば――。
だが、そんな計算は不要だった。
「ふざけやがッテ!!! 殺してやるヨォ!!!」
男が声を上げ両腕を振り上げる。
周囲の連中も号令に合わせ、一斉にそれぞれの武装を構えた。
開戦。――しかし、瞬間。
ひやりと、空気が冷たく寒気を帯びる。
その変化に気付いた頃には、もう手遅れだ。
パキリと、一帯は固く閉ざされた。
「強気で好戦的な割には、ワキが甘すぎるんじゃない?」
静かに響いた少女の声。
遅れて彼女はゆっくりと、取引に集まった面々の中で一人、頭を覆っていたフードを下ろした。
彼女だけが、そうして動くことが許されていた。
「テメ、ェ!!!」
雄叫ぶ獣の男だが、それ以上はない。
他の連中も動揺をこぼすが、行動を起こすことはなかった。
何故なら誰もが、その身体を制されている。
首元までを包み覆う、半透明な氷塊。男たちは額を除いた爪先に至るまでを、冷たい檻に囚われている。
暗躍する正体不明の一団が、瞬きの間もなく、たった一人の少女に圧倒された。
文字通り、手も足も出ない程に。
「馬鹿なッ! 人間、ガ!」
「人間の香りしかないからといって、人間しか居ないとは限らないでしょう? 誤魔化しや造りものの臭いなら、敏感に気付ける自信があった?」
だけど残念。――私は純粋な混ざりモノ。
そう言って、少女は淡い蒼の髪をたなびかせる。
氷や雪の香りは薄く、違和感として感じられることはない。
故に、嗅覚による判断を指針に置いてしまっては、見つけ難く暴き難い。
それが彼女、人間と雪女の混血として生まれた、――涼山千雪の特質だった。
思わず、吐息を深くこぼす。
氷点下の光景に、白いモヤがゆっくりと紛れていった。
「……ったく、姉貴め」
ここまでくれば、俺でも分かる。この潜入作戦は、俺が発見されることを前提に組まれたモノだと。
本筋の手綱は俺ではなく、同行者と言われていた千雪にこそ握らせていたんだと。
「俺の潜入に気付いた上で見過ごすなら、その程度の取引なら、それはそれで良し。俺に突っかかってくるようであれば、危険な対象として判断を下す」
情けなく潜入を発見されて、後ろ手を縛られ囚われの身となって。目を惹き、臭いすらをも集中させる。
それこそが俺の役割だった、と。
「完全に囮役だな」
まんまと気付かず乗せられた。
そして大変不服だが、無事作戦成功という訳だ。
「そう露骨に嫌そうにしないの。丸く収まったんだから、上出来じゃないの」
すぐさま千雪に指摘され、肩を落とす。
確かにその通りなのだろう。被害者もなく、建物にも傷一つ付いていない。氷漬けにされた男たちの絵面を穏便と解釈すれば、これ以上はない程に丸く収まっている。
などと一人余計な引っ掛かりを考えていると、千雪から小さな機材を手渡された。黒い四角の、いつかに使ったヘッドセットだ。
装着すれば、スピーカーから聞こえる声。
『任務遂行ご苦労様、誇らしき我が自慢の弟よ』
「うるせぇ。わざとらしく持ち上げるな」
最後まで気に食わない姉貴だ。
『おやおや、任務達成でご機嫌斜めとは。いつから仕事に文句を言える程、大きくなったんだか』
「文句くらい言わせろ。分かってて命令してるだろうが」
『まあね。だから身内に任せたのさ。理解ある弟を持てて、お姉ちゃんは幸せだよ』
「ふざけんな」
『まーそういう苦情はまた後日、時間がある時にまとめてしてくれ。今から私がその場に向かうから、裕馬は先に隠れ家へ行きなさい』
「おう?」
それはつまり、先に上がれということだろうか。
姉貴らしくない。
「待ってろとか手伝えとか言わないんだな」
『どうせ後は簡単な事情聴取だけだ、お前の役目は十分に果たされたよ。千雪も解放してあげたいところだが、あの子には氷漬けにしてもらっているからね』
強いて言うなら、先に行って向こうの準備を手伝ってあげなさい。
それだけ言うと、向こうから一方的に通信を切られてしまった。
珍しく、本当に解放されたみたいだ。
「乙女さん、なんて?」
「俺だけ先に隠れ家行ってろってよ」
「そっか。じゃあお店の手伝い、お願いするね」
千雪もまたすんなりと頷き、とんとん拍子に話は進んだ。
この場はこれにて終わり。立ち去ってもいい、とのことだが。
「……この状況を置いて帰れってのもまた、なあ」
氷漬けにされた連中が額だけをもがかせ、呻き声を上げている。
一応無力化には成功しているし、大丈夫なのは大丈夫なんだろうけど。こう、倒し切ったって感覚が薄い。
なにより俺、なにもしてないし。
けれど残ったところで、それこそなにもない訳で。やっぱり言われた通り、先に行くかと思い直す。
と、不意に。
「……ハッ、作戦大成功、ってナ」
暫し黙っていた獣の男が、小さくこぼした。
振り向き確認するが、抵抗の意志や戦意といったものは感じられなかった。変わらず全身を凍結されたまま、力無く立ち尽くし、笑っている。
「なんだ、祝ってくれるのか? そういう擦り寄りとか弁明みたいなのは、後から来る奴にしてくれ」
「馬鹿ガ。皮肉に決まってんダロ」
「言ってくれるじゃねぇか」
反射的に右手の拳を作ったが、すぐに解いた。身動きの取れない相手を殴り付けたところで、気分が悪くなるだけだ。それに下手な衝撃で氷にダメージを与えるのも好ましくない。
見え透いた挑発には乗らない。
「まー大人しく待ってろ。俺は先に帰らせてもらうよ」
「ハッ。囮役でお役御免タァ、ボロい商売だナァ」
「……その囮にまんまと引っ掛かっておいて、よく言えるな」
「ハハハハッ! 情けねぇがその通りダ、鬼餓鬼!」
重ねて、男が言った。
ボロい商売。随分気分が良いだろう。
――正義の味方気取りが、と。
「正義の味方、気取り?」
「違いねぇダロ! テメェは不満なつもりだろうが、良い仕事したって顔してやがるゼ!」
とんだ勘違いだと、男はますます笑ってみせた。
「オレ様たちの取引を妨害して、慈善活動やってやったぜってカ? オイオイなんつー曲解した解釈ダァ? それとも囮役クンには、明るい部分しか知らされてねぇノカ?」
「……どういう意味だ」
「ハッ、ちょっと考えりゃあ分かんダロ。なんでテメェらがこのタイミングで仕掛けて来たか、考えてみやガレ」
「タイミング?」
「アァ、そうダ。オレ様たちが裏金使ってビルを修繕して、サアこれから倍の儲けで稼いでやろうぜって、このタイミングでダ」
「…………」
「残念だナァ。これからが稼ぎ時だってのにヨォ。ここを使えば、一儲け出来るのにヨォ」
「……なにが」
「ま、オレ様も言えた義理じゃあねぇガナ。見過ごされてるモンだと思い違いをして、トンカントンカン造らせちまッタ。まんまと嵌められたヨ、馬鹿丸出しダゼ」
「……なにが、言いたい」
その問いに、男は。
「ハッ、分かってんダロ?」
それは恐らく、負け惜しみでも、撹乱でもない。
ある種の、忠告だ。
「精々考えろヨォ、餓鬼。特にテメェに関しては、順風満帆な将来が待ってるって訳じゃあネェだろうからナァ」
思えば、その時には既に、事は始まっていたのだろう。
気付けば街の向こう、山の奥から、悪雲が迫っていた。