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relate -異世界特区日本-  作者: アラキ雄一
第二章「黒薔薇の仮面」
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第二章【35】「汚濁した先に」


 森は再び燃え尽き、焼け果てた。

 運がよかったのは、照射された焔の方向だ。サリュの魔法は丁度隠れ家を背に、先刻開かれていたクレーターへと撃ち放たれた。

 今一度大地を剥き出しにされながらも、未だ自然の息吹は残されている。


「……は、ァ」


 呼吸は渇いた喉を擦り、身体は重く動作が鈍い。

 鬼の血によって傷を塞ごうとも、幾度と刻まれたダメージは拭えない。重ねて尋常ではない強化の継続に耐え兼ね、膨大な疲労感で意識が落ちそうになる。

 そんな状態でも、きっと俺はマシな部類だ。


「無理、すんなよ」


 呟きは、左隣に支えた彼女へ。


「ええ、ありがとう。……まだ、いけるわ」


 サリュに肩を貸しながら、ゆっくりと歩みを進める。

 応える声はか細く、あまりに弱々しい。

 治療の魔法を使っているから、大きな傷は塞がれ出血は止められている。けれど身体には幾つもの血痕や痣が目立ち、荒い呼吸の度に全身を浮き沈みさせている。

 立っているだけで痛み、苦しく、意識を留めているだけでも必死な筈だ。


 それでも、その場所へと向かう。

 確かめなければならないからだ。


 焔の大剣によって、襲い来る腕は全て消滅した。その後の追撃もなく、状況だけを見れば、恐らくは打ち倒したのだろう。

 しかし、再生能力を持つ相手だ。逃げられた可能性も、未だ息を潜めて逆転を狙っている可能性も捨てきれない。だからこの目で終わりを確かめる為に、焼けた地面を踏み締め爆心地へ向かう。

 案の定、辿り着いたその先。神守真白と姉貴が立ち会う、その場所に。

 中居暮男が身体を残し、横たわっていた。


「……ユーマ」


「……ああ、そうだな」


 驚き、けれど一目で理解した。

 全ての可能性は潰えた、と。

 彼の身体は間違いなく、終わってしまっている。


「……中居さん」


 手足は既に失われて、残った胴体も半分が砂のようにこぼれている。骨面から元に戻っていた人の顔も、幾つもヒビが入って壊れかけだ。

 止めどなく、崩壊へ向かっている。

 きっともう、誰も彼を救うことは出来ないだろう。


「……っ」


 長かった戦いが、終わったのだ。

 なのに、息を呑む。安堵をこぼすこともない。達成感もなければ、どころか未だに、現実感がないくらいだ。

 俺が戦っていたのは、本当に中居さんだったのだろうか?

 力なく横たわるあの男は、本当に俺の見知った人で合っているのか?

 俺たちは一体、誰を、――どうして。


「ユーマ?」


「……いや、なんでもない」


 サリュに声をかけられ、首を振る。

 言える筈もない。

 全てを預け、託した少女。力の及ばない俺たちに代わって、最期を下してくれた。

 そんな彼女に――こんな結末で、よかったのだろうかなどと。


「この結末が、お前の最大不幸なんだね、暮男」


 姉貴が、彼へと語りかけた。

 ほんの僅かに目尻が下がって見えるのは、気のせいではない筈だ。

 そのまま彼の傍へとしゃがみ込み、言葉を続ける。


「自分だけが死んで、姉妹が生き残る。――それがなによりも、不幸なのか」


 一連の指摘が、俺には分からなかった。

 最大不幸。それは一体、どういう意味なのか。

 けれど暮男さんは大きく息を吐いて、笑う。その言葉が図星であると、痛い所を突かれてしまったと苦笑する。


「……まったく。乙女さんには、敵わない、な」


「最期まで年下の女に『さん』なんて付けるなよ。そんなだから私も呼び捨てなんだぞ」


「……こうして君の前に、ひれ伏している。なにも間違っては、いないよ」


「ハッ、言ってくれる。それで? どんな気分だい、最悪の結末を迎えて」


 中居さんは言った。

 ――貧しい、乏しい。

 最悪以外のなんでもない、と。


「……負ける勝負は、しない。……正確には、絶対に負けるから、勝負をしない。それでも僕が矢面に立つ、その時は、負けても構わないと思える状況を、用意しておく」


 失敗することは前提に、失敗によって利益を得る。

 それが中居暮男の戦術であり、貧乏神としての立ち振る舞い。


「……特に今回は、いつも以上に、失敗を練った」


「だろうな。あの黒い力は、お前の持つ加減なしの最大だ」


「あの力を解放する、だけで、僕の周囲は、不幸の渦に呑み込まれる」


 不幸にも、立っているだけで血を流す。

 不幸にも、生きているだけで死に直面する。

 不幸にも、動きを阻害され、異界の法式すら瓦解する。


「僕は人の構造なんて、詳しくは知らない。けれど、人体が勝手に壊れる。身勝手に筋肉が千切れて、心臓が停止する。……魔法だって、同じだよ。魔法が勝手に不幸に囚われて、自壊するんだ」


「それを操るとは、神と名の付くだけのことはある。デタラメで恐ろしい力だ」


 だけどそれだけの力、代償はあるんだろう?

 姉貴の問いに、男は忌々しげに吐き捨てた。


「……当然。だから、こうなっている」


 発動された不幸は、自身を含めた周囲の全てに降りかかる。独りでに自壊させる程の負の力が、自らの身体を中心に発せられるのだ。

 その影響を最も受けるのは、最大の不幸を与えられるのは、他でもない。


「……不幸を振り撒きながら、その実、最も不幸なのは自身となる。使い手諸共、全てを貶める最悪の力」


 それが、中居暮男。

 貧乏神、疫病神、――不幸神の力。


「お前が途中で神守の神具を奪ったのは、自壊を肩代わりさせるだけでなく、その不幸すらをも他へ移すつもりだったな」


「勿論、だとも。そうしたら、どうだ、神具を破壊されてしまった」


 他の神に頼ってみても、肩代わりさせても、結局は最期まで逃げられなかった。

 その力を使った時点で、男はこうなるしかなかったのだろう。


「……やっぱり神なんてものは、人の手には、余る」


「そういうことらしい」


「……あー、最悪だ。最悪だよ、――不幸過ぎる」


 男はクツクツと歯を鳴らす。

 後に続いたのは、最低な独白だ。


「僕だけが、死んで終わる、なんて。これ以上の不幸は、ないよ」


 息を呑む。

 それはつまり、姉貴が指摘した通り、神守姉妹の生き残りすらも。


「呆れたよ、暮男。お前は双子の死や私たちの死も、不幸に感じてくれるような人間だと思っていたんだが」


 姉貴に、中居さんはますます笑った。

 それは買い被り過ぎだ、僕はもっと自分主義だ、と。


「なにより、友人家族の死を見届けるなんて、いつものことだよ」


 生まれたその時、母親は死に絶え。物心付く前に、父親は事故で奪われ。育ての親も幼少期に他界し、その先の施設は移転の度に潰れ続けた。近しい友人となった人物も、ほとんどが失われている。

 彼は言った。そんなものは日常茶飯事で、慣れてしまったと。


 ――最悪なのは、その逆だ。


「僕だけが死んで、みんなが生き残る。黒音や真白が、君たちが、これからも生きていくのに、その傍に居られない」


 続く未来に、自分だけが居ない。

 ――それ以上の不幸があるか?

 それは独白でありながら、彼の問いだった。


「どうして、僕だけ未来が閉ざされる。どうして、僕だけここで終わる。嫌だ、嫌だ」


「……彼女ら双子を送り出してやろうとか、そんな気の利いたことは思えないのか」


「勿論思っている。勘違いするな。その為に僕は、この道を選んだんだ」


「……暮男」


「今回の件を、僕の死を踏み台に、黒音も真白も強くなる。君たちも今日の事件を、よりよい未来の為に、活かすことが出来るだろう。そうだ、その輝かしい未来の為に、僕は力を振るったんだ」


 男は続けた。


 何故それだけのことをして、命すら賭けて、その先を見守ることが許されないのか。

 手を貸し切り開かれた未来に、どうして自分が居られないのか。

 ふざけている、馬鹿げている。


「……ま、仕方ないんだろうね。今日だけで、多くの人たちを殺した。生きて来ただけで、数え切れない人たちに不幸を振り撒いた」


 嫌だ嫌だと死にゆくのが、相応しい末路だ。

 こうしてひと時、最期の時間が与えられただけで、十分過ぎる程の幸福だ。


「皆に見送られ、孤独でない死の、なんて恵まれたことだろう」


 でもこれはこれで、余計に寂しさが募るだろうか。尚更生きていたくなってしまうじゃないか。

 やっぱり不幸だと、中居さんは笑った。


「……もう、いい。幸福も、不幸も、どうでも」


 ――ただ、疲れた。


 やがて、その時が来る。

 男の額に、頬に、大きな亀裂が走る。深く深く内側まで開かれ、虚ろな空洞を覗かせる。端から少しずつ割れて、砂へと解けていく。

 彼の人生が幕を閉じる。


「散々引っ掻き回しておいて、どうでもいいとは勝手な」


 崩壊する彼へ、姉貴が言った。

 最期の手向けだ、安心して逝け、と。


「神守姉妹は、一連の事件の実行犯だ。ただ協力し合うということは出来ない。事態が収拾された後には、当然その罪を償って貰うことになる」


「…………」


「だが、テロリスト黒薔薇の正体は少数にしか知らせていない。隠れ家の昏睡状態についても、神守真白の仕業であることは私たちが知るのみだ。私が取り持てば、彼女らの立場を守ることは出来るだろう」


「……は、は」


「双子には、私の下で働いて貰おう。それで満足か?」


「……ありが、たい。なにより、だ」


 そうして、最期まで笑って。

 中居暮男はその形を、大地へ崩した。


「――馬鹿な奴め」


 私なんかに任せて、なにがありがたいのか。


 ――無責任な男だ。


 姉貴はそうこぼして、暫し彼の痕を見下ろしていた。






 一人の終わりを見送った。

 彼は多くの人々の命を奪った脅威であり、立ち塞がる敵対者であった。

 けれどその正体は、親しい間柄の知人であり、紛れもない一つの――。


「――ああ」


 それでようやく気付いた。

 煮え切らないのは、中居さんだからってだけじゃない。


 今日初めて、自分たち百鬼夜行が命を奪った瞬間に、立ち会ったからだ。

 俺たちが、この人を死に追いやった。


 この感情は、その事実に対するものだ。

 これでよかったのか、他に方法はなかったのか、と。渦巻く後悔に苛まれる。


「…………」


 だけど、正体さえ分かってしまえばそれだけだ。

 息を呑む。喉が焼けるような熱さに、歯噛みする。

 汗ばみ土に汚れた手のひらを、固く握りしめる。


 ――それだけだ。



 夜が、更けていく。


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