第二章【27】「妖怪 がしゃどくろ」
中居暮男。
彼の登場には、少なくない動揺を受けた。神守姉妹の育て親だ。もしかすると、ということも考えてはいたが、まさかこの場に出て来るとは。
加えて、妖怪がしゃどくろの正体などと、誰が予想出来たか。
一夜百語を率いる謎多き大妖怪。
そして今朝のテロ事件でビルを破壊し、多くの人たちを傷付け、殺めた。
「中居さん、アンタが」
動揺も収まらないが、感情も昂る。
だから余計に思考が絡まった。様々な思案や感情が脳内で右往左往し、とてもすぐに呑み込み整理が出来ない。
俺と同様に、姉貴や神守もそれぞれ立ち止まっている。態勢を低く、とりあえずは出方を窺っている状態だ。
そんな中、ただ一人。
「ッ、離せ!」
神守黒音が、姉貴の腕を振り解いた。
地面へと転がり落ち、けれどもすぐに立ち上がる。
「離せとは人聞きが悪い。連れて逃げてやったし、おまけに肩代わりで傷まで受けてやったんだが」
姉貴の言葉へ返答はなかった。
「ッッッ!」
直後、ダンと。
土煙を巻き上げ、神守黒音が走り出す。
予想外にも、中居さんへと目掛けて駆け出し、飛び掛かった。
「中居暮男オオオッッツツ!!!」
距離を詰めていくと同時に、両手へ大型の拳銃が構えられる。彼女は一切の躊躇いなく、その銃口を育ての親へと向ける。
続け様、弾かれた引き金。重なる二つの発砲音は、それだけに終わらない。構えられた二丁は、繰り返し火花を散らして銃弾を撃ち放った。
「アアアアアアアアアア!」
姉が攻撃を仕掛けた。
当然遅れて、もう一人も動きを見せる。
「お姉ちゃん、近付き過ぎないでねっ!」
妹もまた右腕を大きく振り被り、お父さんと呼んだ相手へと振り抜いた。投げ放たれたのは、何度も投擲されていた黒塗りの大杭だ。
身長よりも遥かに大きな鉄杭を、こちらも容赦なく撃ち放つ。
「――やれやれ」
中居さんは、動かなかった。ただ肩を落とし、息を吐いた。
間もなく到達したそれらの攻撃を受け入れ、衝撃で巻き上げられた粉塵の中へと姿が消えていく。
尚も、姉妹は攻撃の手を緩めない。神守黒音は弾切れの度に銃を持ち替え、何度も何度も発砲を続ける。神守真白も大杭を左右の手で交互に投擲を続けた。
絶え間ない破壊の連続に、周囲の木々は折れ砕かれ、地面すらも大きく削り取られていく。次第に視界の前方すべてが土煙に覆われて、なにが起こっているのか分からない状態だった。
果たしてここまでの必要はあったのか。通常であればこれ程までの攻撃を叩き込まれて、人の形を保っているとは思えないが。
だが、姉妹らの標的は、常識の外側にある。
なにより攻撃している彼女たちこそが、誰よりも彼を知り得ている。そんな彼女らが、この破壊の連続は必要不可欠であると実行しているのだ。
つまりあの人は、それ程までに。
「――まったく、手厳しい娘たちだ」
案の定。
煙の向こうから聞こえてきた男の声は、変わらず飄々とした声色で。
「お義父さんは悲しいよ。娘たちを逃がしに来たと、そう言ったのに」
瞬間、まばたきの間もなく。
彼の周囲を取り巻いていた土煙が、ことごとく吹き飛ばされた。
突如として強風が吹き乱れ、思わず両腕で顔を覆う。地面を踏み締め堪えなければ、煽られ仰け反る勢いだった。奥歯に纏わりついた砂利の感触は、けれども構っている余裕がない。
何故なら、
「――――な」
開かれた視界の先。
再び顕わになった、中居暮男の姿。
彼は何事もなかったかのように五体満足で、無傷のまま同じ場所に立っていて。
けれどその身体を、幾つもの白い『骨手』が取り囲んでいた。
「……な、なんだよ、ソイツは」
異様な光景に声を上げる。
姉妹たちも攻撃を中断し、男へ向かう道中で足を止めていた。
姉貴は、分からない。生憎振り向かなければ確認できない位置取りだ。アレから目を逸らす余裕はなかった。
中居暮男の身体を取り囲む、無数の骨手。
ガチガチと音を立てて駆動する指骨。その手を支え腕を形成する、二本の細長い骨と肘関節、上腕の太骨。
それら全てには一切の肉が付くことはなく、血の巡りもない。温かさなどある筈もなく、まるで生気を感じられない。
恐らくソレでは、誰かを癒すことなど出来ないだろう。思い出される破壊の光景さえも、記憶違いであるように思えてしまう。
ソレは、なにも成すことが出来ない。ただ存在し、動作を行うだけ。
だってその手は、もうすでに手遅れだ。
「う、あ……」
不快感に口元を手のひらで覆う。
それでも、その光景から目を逸らすことはしない。
十数のソレラは全て背後から出現し、その死に体を幾つも重ね合って蠢いている。時に接触してカチカチと無機質な音を鳴らして、ガチガチと関節を鳴らして空気を震えさせている。
そして、そのおぞましい集合体を、見知った男が従えている。
いつもと変わらないくたびれた格好で、力無い表情のままで。
「……っ」
そのズレが、余計に気持ち悪い。
「右腕と左腕がそれぞれ七本。計十四本の腕が、がしゃどくろとしての力の一端だ。僕の知る先代や先々代は本体も無骨な死に体だったが、僕はまだ生者なのでね。古くからの絵巻に出てくるような完全体は、死んでからのお楽しみだ」
聞いてもいないことを、飄々と話す。
言葉を返せたのは、今度は姉貴だけだった。
「……驚いたよ、暮男」
表情は窺えない。だがその声色は、いつもより力のないものに思える。
恐らく姉貴でさえも、この光景に圧倒されている。
「まったく。今日は随分、大盤振る舞いじゃないか」
「驚いた、という割には落ち着いているように見えるが。それとも案外余裕がないのかな、乙女さん」
「弟たちに比べれば幾つか大人なのでね。騒がないのは年の功さ。正直、悪い夢なら覚めて欲しいくらいには思っているよ」
「それはそれは、僕の方こそ驚きだ。百鬼夜行を任されている君は、既に知り得ていると思っていたよ」
「まったく同感だね」
姉貴の大きな息遣い。
微かな震えを感じるのは、気の所為だと思いたいが。
「私自身、知らされていなかったことが不服だ。ライバル組織のボスが正体を隠して、百鬼夜行の貧乏神とか。こんな重要なことを伝えていかないとは、いよいよ手におえない」
「あの人らしいな」
「らしいと言うなら、もしかすると知らなかった可能性もあるぞ? お前、あの人に直談判されたことはあるのか?」
「思えば、がしゃどくろとして話したことはないね。冗談のような話だが、有り得ないとも言えないか」
クツクツと歯を鳴らす。
ああ、その笑い方だけは、俺が知るその人のものではなかった。
「ではこの展開は、乙女さんにも想定外だったということかな。それはそれは、なにより嬉しい誤算だ」
「生憎ね。お前が介入して姉妹の味方をする可能性は考慮していたが、戦力の計算が完全に狂わされた。がしゃどくろが居るとしても、向こうの廃工場だと思っていたんだがね」
まったく今日は失敗してばかりだなと、姉貴は吐き捨てた。
だけど、それで吹っ切れたのだろうか。姉貴の声に、熱がこもった。
――これで全てが繋がった、と。
「ビルを破壊したがしゃどくろの真意は、神守黒音を逃がすことだな」
姉貴の言葉に、立ち尽くす少女が僅かに肩を震わせる。
中居さんは自身の手を左右へ広げ、「その通りだ」と小さく息を吐いた。
「せっかく僕が混乱を作って逃がしてあげたというのに、いきなり攻撃されるだなんて。慣れない家族サービスはするものではないね」
「まさかテロに参加していたとも思えないが、人質にでも紛れていたか」
「ご名答。一応は僕の指示で集まった一夜百語の作戦だからね。見届ける責任や、尻拭いはしてやらなければと控えていた」
結果はご存じの通り。
言って、今度は大袈裟に溜息を零した。その感情へ呼応するように、背後の骨手たちも左右へ手のひらを広げる。
やれやれ、と。アレだけの被害を起こしておきながら、そんな態度で話を続ける。
「久々の娘のおねだりだったから全身全霊で応えてあげたというのに、同行させた組織は腐っていた。やはり勝手に集まった有象無象。期待したのが間違いだった」
「だから使い捨てたっていうのか? 一夜百語にも何人の被害が出たか、分かっているのか?」
「元々面倒なしがらみだったからね、丁度いい機会だと一掃したまでさ。父にも祖父にも、お前の代で滅ぼしても構わないと言って貰っている」
「とんだ首領の一族だな、がしゃどくろ」
「そんな首領に付き従った連中の失敗さ」
もっとも、百鬼夜行に言われる筋合いもないと思うが。
その指摘に、姉貴が押し黙る。
「百鬼夜行の首領は果たして何処へ行ったのか。自分の部下たちがテロリストと戦い、あまつさえ他の組織とぶつかっているというのに」
「そちら程、混沌とはしていないつもりだが。組織としての体裁はしっかりしている」
「それも君たち一部の妖怪が取り纏めている状態だろう。等の本人は何処で遊んでいることやら」
生憎それに関しては図星だった。姉貴だけでなく俺や千雪も、百鬼夜行の面々のほとんどが承知している。
コイツの言う通り、それが無責任であろうということも、考えない訳ではない。
と、しかし。
「――くだらない話はやめろ」
ふざけるな、と。
ようやく発せられた少女の声が、問答を打ち切らせた。
「中居暮男。がしゃどくろ」
神守黒音が、再び男へと歩き始める。
一歩一歩、距離を詰めていく。
「組織だとか首領だとか、そんなのどうでもいいでしょう」
「そうだね、黒音の言う通りだ。早く逃げようか」
「……それも家族サービスとかいうやつのつもり?」
「不服かな?」
「なにがおねだりだ、家族サービスだ。責任? 尻拭い? ふざけるな」
声を上げる。
肩を震わせ、拳を握り締め、叫ぶ。
「ふざけるな! 誰が人を殺していいって言った! 誰が殺してほしいってねだった!」
その絶叫には覚えがあった。
殺すつもりなんてなかったと、そう叫んでいた彼女。悲痛な訴えが、彼女が芯としていた一つの意志に重なる。
「私は誰も殺さないでって、そう言った筈よ!」
「ああ、そうだね。僕も組織の連中にはそう通達した。正体がバレない様に連絡を送るのは骨が折れたよ。でもお陰で、彼らは集まり、一人として殺していなかっただろう? 傷付けることすらなかったんじゃないかな?」
「そうだ! 全部上手くいっていた! なのにッ!」
「そうだね、上手くいっていた。――それは僕のお陰だ」
笑った。
中居暮男は、歯を見せた。
「だから僕に滅茶苦茶にされた。そうだろう? 作戦立案者の、神守黒音ちゃん」
「……は?」
「君は僕に立案しただけだ。そして僕はそれに賛同し、娘の頼みだからということで実行した。僕の号令があったからこそ、作戦は始められた」
「……それ、は」
「もう一度言おう、君は立案した。素晴らしい作戦だ。人を傷付けることなく、我々の要求を百鬼夜行へ送る。人員配置も手際も良く、被害も最小限だからアヴァロン国も動かない。我が娘ながら誇らしい、まったく有能な参謀だ」
「――――あ」
「だけど立案後は、僕が実行した策の中で動いていただけだ」
「――――」
神守黒音が押し黙る。
なにも言えなくなっている。
それでも男は、畳み掛けることをやめない。
「一夜百語は僕の組織、僕の手足たちだ。作戦の主導権は僕にある。なら引き際を見極めるのも、想定通りに進められないと判断するのも、僕の権限だ」
「……だから、殺した?」
「そうだ。そうしなければ制圧されてしまっていただろう。下手なところから情報が漏れるのも困りものだし、敵対組織を活気付けさせるのも腑に落ちない。僕は僕の益の為に、そう判断して実行した」
――僕にはそれだけの立場があった。
――僕にはそれだけの能力があった。
それから、中居暮男は言った。
「黒音はなにもしていないし、なにも出来なかったんだよ」
「ッ!」
「悲しいけれど、この失敗を糧に次は頑張ろう。被害も犠牲も、次へのステップだ」
「ッッッツツツ!」
「それじゃあさっそく協力して、この状況を乗り切ろう。なあに、家族三人の力を合わせれば、この街から逃げ出すなんて簡単に――」
「黙れええええええええええええええええ!!!」
神守黒音が飛び掛かる。
叫び声を轟かせ、両手へ今までとは比べ物にならない程の銃装を構え、駆け出す。
その銃身に銃口はない。代わりに先端へ、突出した鉄鋼弾が剥き出しに取り付けられている。恐らくは、一撃で周囲を火の海へ包み込む程の代物。
彼女のスタイルとはまるで違う、強大な破壊力を内蔵した兵器。
だが、
果たして彼女の視界には、標的以外は映っていなかったのだろう。
上空から振り下ろされる、五つの白い右腕たち。
その全てが一直線に、注ぎ落され。
「賢い子だ黒音。そのまま決して、神具の力を解くんじゃないよ」
少女の身体は、大地へと潰された。