第二章【26】「厄介な弟、妹」
血の気が引いていく。
昂っていた熱も、怒りも、鼓動が制止すると同時に収められていく。
無数に弾けた鉄片によってズタズタに裂かれた心臓が、紫電の光を上げて修復されていく。十数秒の時を経て再び活動を始めても、流される血流は正常に異質だ。
同じくして千切られていた胸部周辺の骨肉を復元して、それで一旦抑えられてしまう。
あれだけ熱を帯びていた感情が、強制的に冷まされてしまった。
「神、守ッ!」
だとしても、行動は変わらない。
未だ傍らで右肩に手を触れさせる少女。その身体へ、再び鬼血で硬化した左腕を振り被り。
瞬間、ズンと、足下の土が大きく沈み込んだ。それだけでなく振り被った腕が、全身が重たく感じられる。一際強烈に、重力に引かれている。
「これ、は――ッ」
下ろしそうになる腕と挫きそうになる膝。必死で抗い殴り掛かろうと構えるが、重過ぎて制止するのがやっとだ。
そんな俺へと、神守が口元を緩める。
触れさせたままの右手の指先を、トントンと叩いて遊ばせながら。
「重力の肩代わりです。真白とトカゲさん、一人と一匹の体重分ですけど、いかがでしょうか? トカゲさんはさておき真白は女の子なので、それ程の負担にもならないですよねっ」
「なに、を」
「ああでも勿論、全てではありませんのでご安心下さいっ。本当に全部あげちゃったら、真白たちの身体が浮かんじゃったり、弾けちゃったりしますので」
言って、神守は左足を振り抜いた。そして左手で触れていたアッドを、その爪先で蹴りつける。
とても大きな力が込められていたとは思えない。本当に軽く蹴りつけた程度。だけどその程度で、アッドの身体が吹き飛ばされた。
斬り裂かれ少なくない血を流す身体が、粉塵を散らして木へと叩き付けられる。
「カ、ハ――」
擦れる嗚咽を零し、黄色い瞳の細い眼がグルリと回る。アッドは意識を奪われ、その場へ力無く倒れ伏せた。
「これでまた二人っきりですね、先輩っ♪」
「ふざけんな!」
悔しいが、アッドが飛ばされたことで自重が軽くなった。神守が加えられていたところで百キロは越えない。
振り被っていた左腕を突き出し、彼女の顔面へと殴り掛かる。
だがまたしても、首を傾ける程度で簡単に躱されてしまう。
だけでは終わらない。
「酷いですよ先輩っ。今度は真白の愛らしい小顔を狙い撃ちだなんて。おこです激おこです、ぷんぷんっ」
ふざけた物言いをして頬を膨らませる神守。
しかし俺の拳を凌いだ彼女の身体は、静かにその場へと沈み込んでいた。態勢を低く身構え、両手の拳を握り締めている。
そう、今度はなにも握られていない、ただの小さな拳だ。
「真白も肉体攻撃で仕返しですっ!」
そして振り抜かれる右腕。
少女の細腕から繰り出された、あまりに愚直な右ストレート。躱すまでもないと身体を硬化し、続く返しの一撃を用意しようと、俺もまた右腕を振り被った。
――直後、腹部を貫く激痛と重たい衝撃。
気付けば足は地面を離れ、後方へと殴り飛ばされていた。
「ヅヅヅッッッツツ!!?」
理解が追い付かない。
今までの銃撃や剣戟ならば、まだ納得出来る。不可解な程に貫通される鬼血を、特殊な武器や威力によるものだと呑み込むことが出来る。
だが今のは違う、ただの拳だ。
小さな少女の細腕に殴られた程度で、鬼血が破壊され吹き飛ばされている。
「なん、でッヅ」
着地し膝を折り、跪かされる。
口元の血を拭い、傷口を癒し、再び神守を睨み付ける。
神守真白は両手を広げて見せびらかし、にっこりと満面の笑顔を振り撒いてきやがった。
どうですかどうですか? などと、おちゃらけを見透かせながら。
「不思議ですか? 理解不能ですか? 実はこれも肩代わりの神具の効果なんですよ、先輩っ。なんて、種明かしをしてあげる優しい真白でした」
「肩代わりだと? 馬鹿な、デタラメだ」
「そうでもありませんよ。今の真白パンチは、先輩の硬い防御を利用したモノなんです。反動を肩代わりしたって言えば、伝わりますか?」
「反動を肩代わり、だと」
「はいっ。人を殴ったら自分も痛いですよね。硬いものを殴ったら、それこそ先輩の鬼の身体を真白なんかが殴ったりしたら、骨がバキバキになっちゃいますよ。だから、その返ってくる威力を全て、殴りつけた部位へと肩代わりさせました」
つまり真白パンチ+反動ダメージですっ!
そう言って、満足そうな表情で両手にピースを作る。
冗談じゃない。自らの傷を返すだけでなく、触れた他者の傷や重力を移すことも出来る。その上、そんなものまで肩代わりさせることが出来るってのか。
ほとほとおかしいだろ。なんだよ、それ。
「それが真白たちの、神守の神具です。古くより神様のモノだと伝えられてきただけはあります。凄まじい力ですねっ」
そうして、神守は胸元から取り出して見せた。
アンダースーツの下に隠れていたペンダント。吊り下げられたその神具を、右手のひらに乗せて掲げる。
それは青白い石だった。淡く光を発する、半月型の石。
片方の側面が綺麗な半円に整えられていながら、もう一方はギザギザと不格好な凹凸が並んでいる。
姉と妹。半分に別たれた石を、双子がそれぞれ持ち合わせているのだろう。
「……ハッ。割れた神具とか、一見縁起が悪そうだけどな」
「割れたというか、割ったんですよね。お姉ちゃんが」
「は、いやいや。余計に駄目だろ、それ」
「真白もそう思って止めたんですけどね、お姉ちゃんが聞いてくれないんですよ。『これは道具だから神罰なんて有り得ない』って。それに割ったら壊れちゃうかもとも忠告したんですけど、『私たちは二人の姉妹なのだから、受け継がれた力も別たれるべきだ』なんて強硬されちゃって。結果的にそうなってるんですから、面白いですけどっ」
「どんな姉だよ、ったく」
うちの姉貴といい、目上の家族ってのは強引過ぎるもんなのか。
「畜生が」
結局、神守の神具を拝めようが、それが割れていようが関係ない。その力は十分に発揮され、肩代わりは絶対的な異能として立ち塞がっている。
アッドは破れ、俺も圧倒され続けている。いつの間にか遠くから聞こえていた破壊音が止んでいるが、それも姉貴が勝ったからだとは手放しで考えづらい。
現状、これ以上の善戦は困難。追い詰めるどころか、恐らくこの先も追い詰められ続ける。
でもそれで構わない。足掻き続ければ、彼女らを逃がしさえしなければ、最終的には俺たちが勝ち得る筈だ。
西地区での戦いを終わらせたサリュたちが、駆け付けてくれる筈だ。
そうすれば数でも力でも、俺たちが圧勝出来る。
「はー。もうもう、もうっ。旨いこと先輩たちに遊ばれちゃってますよね、真白たち」
こちらの思惑など分かり切っている。
神守は息を吐き、大きく肩を落とした。
「あ~あっ。合流して逃げるだけで終わりだと思ってたのに、その為の準備も色々動いてたのに、結構順調だったのに。やっぱり上手くいかないものですね」
「……なに腑抜けたこと言ってやがる。まだ終わってねぇぞ」
「それもどうなんでしょう。片桐先輩のお姉さんたちが来た時点で、真白たちは積んでいるのかもしれません。もしかすると今朝テロを実行した時、既に終わっていたのかもしれません」
「やる気がねぇなら降参するか」
「有り得ませんよ。お姉ちゃんが諦めない限り、真白も止めませんから」
即答する。言い切る。
それは、つまり。
「神守。お前は、姉の黒音に従っているだけなのか?」
「愚問では? 先輩だってお姉さんの命令に従ってるじゃないですか」
「……言いなりって訳じゃねぇよ」
「真白だってそうです。やり過ぎだってうるさく注意されますし、ふざけるな態度を改めろって口を酸っぱくされてます。でも真白は真白のスタイルを変えるつもりはありません」
でも姉の方針に背くことはしない。
不殺を誓い、加減を守り、作戦に従う。
それは先輩も同じでしょうと、神守は俺に問うた。
「先輩だってお姉さんに口答えをしながら、作戦に抗ったことはない筈です。作戦を前に、自分の感情をぶつけたことはない筈です。そうでしょう?」
「そんなことはない!」
「ありますよ」
神守は並べ立てた。
先輩は痛みを訴えたことがありますか?
先輩は戦いを拒否したことがありますか?
――先輩は、お姉さんを拒絶したことがありますか?
「先輩自身のことだと分かりにくいですかね。じゃあサリュちゃんについてはどうでしょうか。先輩はサリュちゃんが戦うことに賛成ですか?」
「……それは」
「サリュちゃんには力があります。作戦を左右する程の強大な力が。だけど戦いに必要であることと、参戦を望むか望まないかは別の話です。戦ってほしくないんじゃないですか?」
それこそ愚問だろう。
戦ってほしい訳がない。
「それじゃあ先輩は、その意志をお姉さんに訴えたことがありますか? サリュちゃんを戦わせないでほしいって、言ったことはありますか?」
「……ねぇよ。それが、なんだよ」
「別になんでもありません。ただ、真白のことを理解してほしかっただけです。真白もそうなんだって、伝えたかっただけです♪」
そう言って、神守真白は笑った。
笑顔のままに、両手へ銃を取り出す。
それが当然の帰結であると、再び対峙の意志を示す。
「長々と語っちゃいましたけど、結論、お互い厄介な姉を持って大変ですねって、それだけです」
「神守、お前は」
「もう喋らないで下さい。真白も余計なことを喋り過ぎちゃいました」
そして向けられる二丁の銃口。
会話は終わった。ならば後は、選ぶだけだ。
引き金を弾くか、それとも離すか。
その弾丸を受け入れるか、拒絶するか。
「ハッ」
どうするかなんて、互いに考えるまでもない。
ああ。確かに俺たちは、似た者同士かもしれないな。
「……アッド」
未だに横たわるアッドを窺う。酷い傷だが胸部はリズムよく上下し、急いてはいるが呼吸も続けられている。
悪いがもう少しだけ堪えてくれ。
今はコイツを逃がさないことが、戦い続けることが役目だ。
「神守。俺はお前が諦めるまで、喰らいついて離さねぇからな」
「どちらが先に音を上げるか、根競べですねっ」
身体を硬化し、向けられた銃口へと意識を集中させる。
さあ、戦いだ。殴り合い、削り合い、痛めつけ合う。
交差する視線が火花を散らし、やがて。
「じゃあ、――いきますねっ♪」
「来いよ、――絶対に倒れねぇからな!」
宣告し、互いに一歩を踏み出す。
再び戦いの幕が開かれる。
だが、踏み鳴らした足音は、続く轟音に掻き消されてしまった。
「ッ」
地響きが大地を揺らす。
俺も神守も踏み止まり、重い振動へとその身を委ねた。
「これは、一体ッ」
「なん、ですかっ」
答えは間もなくして、明らかになる。
「――あ」
視界に映った、白く巨大な五つの柱。
それらは突如として神守の背後、森の奥から突き出された。三十メートルはあろうかという建造物が、天へと向かい聳え立つ。
「なんだよ、アレは」
間もなくして、根元の木々へと振り下ろされ、叩き付けられる。
巻き上がる土煙や、無惨に散らされる木片や草花たち。その威力、光景を、立ち尽くし眺めることしか出来ない。
あれだけ笑顔を絶やさなかった神守すら、振り返ったきり物音一つ立てない。破壊の影響を、ただ目で追うばかりだ。
遅れて、思い出す。
俺はそれを知っている。見たことがある。
「今のは、まさか」
今日、件のビルで、あの惨状の中で目撃している。
建物を貫き、足下を突き抜けてきたアレを。人々を持ち上げ、天井諸共に潰し砕き、無惨に血肉を散らかしたアレを。
白塗りの骨腕を、俺は知っている。
「がしゃどくろ、か」
そして木々の向こうから、影が躍り出て来た。
初見一つに見えたそれは、重なり合った二人のモノだ。一方がもう片方に腕を回し、身体を抱え上げている。
その二人は、
「姉貴!」
「黒音お姉ちゃん!」
俺たち二人の姉だ。
姉貴が神守黒音を抱えて、森の奥から飛び出してきた。
一見、傷だらけの姉貴が目立つ。少女を抱えた右腕とは反対側、左腕が血濡れになり、肩が大きく手前へ落とされている。額や頬にも血痕が付着し、全身隈なく紫電の光が発せられていた。
対して、神守黒音は無傷。それだけ見れば、肩代わりによって姉貴がダメージを与えられていると、そう判断してしまいかねない。
だが、少女の瞳。鋭く細められた色濃い瞳が、現れた森の奥をずっと睨み続けている。
真に敵対しているのは俺たちなどではない。もっと深く感情を顕わにしている相手が、その先に居るかのように。
「……そっか。来たんだ、お父さん」
神守が、小さく呟いた。
お父さん。そう呼ばれる相手は、一人しか思い当たらない。
「お、真白に裕馬君も発見だ。近くに倒れているのはアッド君かな」
この場にあまりにも似つかわしくない、飄々とした男の声。
木々の合間、暗闇の奥から姿を現す。今朝も顔を合わせ、つい数時間前にも話したばかりの、馴染みの深い顔見知り。
随分世話になった気がする。
気の合うおじさんだなんて、そんな風に思っていた。
「これで役者は勢揃い、か。魔法使いのお嬢さんが居ないのは大助かりだ。彼女が居たなら、僕もただでは済まないだろうからね」
現れた、くたびれた風貌の男。
マンションの管理人、貧乏神、神守姉妹の育て親。
そして明らかになったもう一つの正体。
――妖怪、がしゃどくろ。
「……どんだけ顔があるんだよ、中居さん」
中居暮男。
男は口元を不器用に吊り上げ、乾いた声で言った。
「さて。それじゃあ娘たちを逃がして貰おうか」




