第二章【25】「歳相応の矛盾」
神守姉妹の戦力評価。
大きな特色としては二つ。道具を収納し自在に手元へ取り出せるスーツと、自らの傷を肩代わりさせる神具だ。戦況によって装備を変え優位に立ち回り、下手に攻撃を通せばダメージを丸々返される。
おまけに武装や神具だけでなく、本人たちの身体能力も高い。姉の黒音を前に第一級のサリュが破られ、アヴァロンの騎士たち数名も敗北している。妹の実力も、決して引けを取っていない。
姉妹共に、決して油断のならない脅威。
そして二人には、別々に分かれた個々の戦闘スタイルが見て取れる。
「あははっ! あはははははははっ!」
狂笑が響き渡り、続けてそれを掻き消す程の爆音が轟く。
彼女の手から投げられた複数の手榴弾が、そこら中で炎を散らした。
「っ、チ!」
炎を潜り駆け抜けるが、その全てを躱し切ることは出来ない。手足や頬を焦がされ、高温に肌が爛れる。大きく太腿を焼かれた時は、流石に地面へ転がり込んだ。
だがすぐに立ち上がれる。この身はそれだけが取り柄だ。
「しぶと過ぎますよ、先輩っ!」
続けて投擲された黒の大杭。先程この胸を易々と貫いたアレだ。
強張る足を地面へ叩き下ろし、芯から震わせ強引に力を込める。そのまま勢いで土を蹴り上げ、全速力で走り出した。
自らの速度に目を細め、頬に触れた落ち葉が皮膚を浅く削る。それ程の加速で、ギリギリだった。前進する身体の後方を、間一髪で大杭が通過する。
一本、二本、三本。計六本の撃突が、森の木々を貫いた。
「とんでもねぇ、っての」
姉妹の戦い方の違いは、見るに明らかだ。
姉と違って妹には、容赦や加減といったものが一切感じられない。
高火力で一撃必殺。考えなし、そもそも下手な思考など必要すらない。
神守自身が言っていた通りだ。普段のアイツとまるで印象が変わらない。大雑把で無駄に騒がしくて豪快。ふざけやがって。
「畜生神守、お前! めちゃくちゃ戦えるじゃねぇ――かッ!」
もう一発、撃ち放たれた杭を避け、即座にステップを踏み方向転換。
神守が大振りに腕を振り抜いた、その隙へ。一気に駆け抜け、距離を詰める。
しかし、その手には瞬時に刀が握られた。大雑把に攻撃しておきながら、こっちが近付けばすぐに対応してくる。面倒極まりねぇ。
「でも、ッ!」
踏み出した身体は今更止められない。
持ち替えた刀を構える神守へ、一直線に駆けていく。ほんの僅かな所作で用意された斬撃に、一切の隙は失われた。
そして、下ろされた一閃。迫る俺の頭部へと、真っ二つに割り裂くであろう一刀が振られ。
――ガン、と。
「ッシャオラァ!」
寸前。割り入ったアッドが、左腕の盾で刀を弾いた。
「っ」
防がれ制止した刃。その反動により、神守の動きが僅かに鈍る。
今度こそ、その隙を見逃さない。
アッドの側面を潜り抜け、接近。そのまま防御の間に合わない彼女へと、右の拳を打ち抜いた。
「ラアッ!」
「――ゴ」
硬化した拳は直撃し、彼女の胸部を叩いた。鈍い響きと重い感触に、確かな手ごたえを感じる。バシャリと腕に浴びせられた吐血も、その証明だ。
完璧に入った。でも、
「ま――だ、だッ!」
神守が声を上げる。
合わせて、拳を打ち入れた彼女の胸部。黒いアンダースーツの下で、薄っすらと光が発光している。
間もなくして、突然の胸の痛みに襲われた。
「ガ、――ゴ」
肩代わりされ、返されたダメージだ。強打の鈍痛が胸を蝕み、競り上がってきた鉄の味が口内に充満する。
だが、そんなことは想定済みだ。
「ッ、グ!」
土を踏み締め、血反吐を噛み締め、拳を握り締める。
僅かに後退した神守の懐へと入り込み、もう一度、硬化した右の拳を振り抜いた。阻まれることもなく、今度は腹部へと叩き入れる。
「っガ、アアアアア」
「――ズ」
声を漏らす神守に遅れ、俺もまた奥歯を合わせる。またしても彼女へ与えた痛みが、そのまま俺へと襲い掛かって来た。
でも、痛みだけだ。
俺にも神守にも、後にはなにも残らない。
その痛みすらも、一時の苦しみでしかない。
「先輩っ、女の子の、お腹殴る、とか。鬼畜過ぎま、せん?」
「ハッ、ご存じの通り、鬼だが? なんか、文句あっか?」
「あはははっ! 愚門でした、ネッ!」
神守が右手を振るう。その手に握られたままの刀が、一閃に下ろされる。
腹部のダメージが治りきらず、まともな回避は不可能。硬化した身体で刃を迎え撃つが、白刃はまんまと体内へ斬り入ってきやがった。
一瞬、ガンと鳴った抵抗音は幻聴だったのか? 簡単に斬られやがって畜生!
「ぐ、オオオオ!?」
「あはははははははははは!」
叫笑と共に、左肩口から腹部まで斜めに侵食してくる斬傷。肉をブチブチと強引に引き裂き進み続け、けれど中腹辺りで、固い感触に刃が制止する。失われた勢いが、太い骨によって阻まれたようだ。
「そう簡単に、一刀両断とはいかないってよ!」
「無駄に頑丈な身体っ!」
神守は即座に諦め、刀から手を離した。
そしてそのまま、両手を振り上げ俺へとかざす。その手のひらには、新たに持ち替えられた大型の拳銃が握られていて――、
「ダ、からー、ヨオッ!」
構えた神守の身体を、側面からの鱗足が蹴り飛ばした。
視界から弾き出された少女に変わって、アッドがその場に立ち塞がる。
「二対一ダゼ! ソウ簡単ニ行くかヨッ!」
「っ、トカゲ!」
「リザードだッ!」
しかし、状況は一瞬にして覆される。
すぐに態勢を立て直す神守と、続け様の攻撃に移れないアッド。神具による肩代わりが、アッドの蹴りによるダメージを返したからだ。速度で大きく上回る筈のリザードマンが、眉を寄せ僅かな制止を余儀なくされた。
俺も同様に、紫電の光が傷口を覆うが、回復が間に合っていない。未だまともに動ける状況ではない。
それは神守に与えられた、最高の隙だ。
「あはっ♪」
神守はすぐさま一歩を踏み出し、距離を詰める。
その対象は、俺だ。
「ッ」
グワリと、神守の右手が俺の右肩へと掴みかかる。その五本の指がガッシリと、硬化した皮膚へと触れられる。
「は?」
一瞬、なにをされたのか理解出来なかった。
だが、遅れて理解させられる。
彼女がもう片方の左腕を、近くに控えるアッドの身体へと伸ばしたからだ。
――まさか?
声に出す間もない。
その指先が、緑の鱗へと触れた、瞬間。
アッドの身体から、大量の赤い飛沫が噴き出した。
「――――――――ア?」
左肩から腹部まで、斜めに引かれた真っ赤な斬線。
身に着けた鎧に傷はない。内側から開かれたかのように、鱗が裂かれ赤身が剥き出す。
「――ンダよ、コリャ、あ」
「アッド!」
間もなくアッドは態勢を崩し、その場に膝を付かされた。
何故? そんなの、考えるまでもねぇ。
その証拠に俺の傷が、綺麗さっぱり失われている。今アッドに刻まれているモノと、まったく同じ傷が在った筈なのに。
肩代わりだ。
俺の傷が、そのままアッドの身体に移された!
「あらら残念。バッサリいけるかと思ったんですけど、致命傷止まりですかね? 先輩の回復速度が速くてよかったですね、トカゲさんっ」
「神守ィイイ!」
「あはは、残念でしたっ。代わりに背負い、背負わせる。肩代わりの対象は自由自在なのです!」
「フザケンジャネェッッッツツツ!!!!」
瞬時に思考が沸騰する。鼓動が加速し、全身へと鬼の血流を巡らせる。
怒りを、熱を、殺意を、それら全ての破壊衝動が隅々まで行き渡り、鬼としての側面を昂らせる。
「ガ、ガガガガアアアアアアアアア■■□■アアアア!!!」
今度こそ、コイツをッ!
だが、それはまたしても。
「だめですよ、先輩」
覆い被さろうと、前のめりになった身体。
その胸元へと、大きく開かれた銃口が添えられ。
「正気を失うのは、フェアじゃないです♪」
発砲音。
胸中へ撃ち入れられた弾丸は、体内にて爆散する。
心臓を諸共に、内側をズタズタに引き裂かれる。
「――あ、ガ」
そうして荒れ狂う熱さえも、一瞬にして奪われてしまった。
◆ ◆ ◆
犯罪者。
その言葉が胸に突き刺さる。
そんなことはとっくに分かっていた筈なのに。承知の上でテロを引き起こし、この手を汚してきた筈なのに。
どうしようもなく、この胸を掻き回す。
――そんなことはない、だなんて。
「お前は歪んでいるよ、神守黒音」
対峙する片桐乙女が、私を見下ろしそう断言する。
なに、ふざけたことを。
「私は、歪んでなんていない」
「お前はテロを起こすことで注意喚起をしているつもりだろう。その為に死者は零人にしている。殺すのではなく生かすことで、恐怖を伝達させている。おぞましい手法だ」
「なにを、分かったように」
「分かるとも。それ程までに、お前の行動や言動はメッセージ性が強過ぎる。紐解くのは容易だ」
片桐乙女は続けた。
私の内側を、無作法に暴いていく。
「両親の事故、通報が随分遅れたそうだな。その反面、目撃者の数は少なくなかった。見て見ぬ振りをした連中に、分からせてやりたかったのではないか?」
「……ええ、そうよ! 自分は無関係だと野放図に生きている連中に、分からせてやるのよ教えてやるのよ! 危険は何処にだってあるモノだ! だから、助け合わなきゃいけなんだって!」
そうしなきゃ、アイツらは分からない!
なにも知ろうとしないまま目を背けて、関わらずに逃げ続けて、いつか危険に牙を剥かれて死ぬ!
だから私は、私が!
「別に危機を予測できようが、死ぬときは誰だって死ぬぞ」
「なにを!」
「今朝のビル占拠だってそうだっただろう?」
「ッ!」
「あの場に居合わせた人質たちは、全員が危機感を抱いていたのではないか? 誰もがお前たちテロリストの脅威に震えて身を寄せ合い、助け合っていたのではないか?」
でも死んだ。崩落するビルの中に潰れていった。
――呆気なく、なにも出来ずに死んでいった。
「注意喚起などしたところで、死ぬ時は死ぬものだ」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!」
「それにね、私は思うんだよ。無関係無関心を装い、見ているだけの危機管理がなっていないような人間。――そんな連中は死んでもいいんじゃないか、とね」
「は」
この女は、なにを言い出した?
死んでも、いい?
「世界では日々様々な事件が起き、テレビでもネットでも繰り返し報道されている。お前の両親の事故も然り、お前が関わってきた今日のようなテロも然り。だがどうだ? 危機管理のなっていない連中に、変化はあったか?」
「ない、筈がッ!」
「まーそうだな。一部の人間の心には確実に響いているだろう。例えばお前の両親の事故を見ていた目撃者の中には、今になっても交通事故の脅威を忘れられず、気を付け続けている奴が居るんじゃないか?」
ああ、そうだ。
だから。
「良かったなあ、神守黒音。念願叶ったりだ」
「ッッッツツツ!!!」
なにが、良いわけ!
でも、それで気付いてしまった。
「――――あ」
気付かされてしまった。
それこそが、私の胸の内を乱していたモノだと。
「いや悪い。良いわけがないな。巻き込まれた被害者からしてみれば、教訓になっただなどと、そんな言葉で納得出来る訳がない」
当然だ。私たちは両親を失ったんだ。
そして今日、ビルで傷付いた人たちにも、死んだ人たちにも家族や友人が居て。
「死という重さに比べれば軽視されがちだが、被害者や負傷者にも人生がある。小さな傷であっても襲われたという記憶はトラウマを植え付ける。本人にも、近親者たちにも。それがお前が与えて来た、『関係者たち』への危機感だ」
「……あ」
「お前は無関係を装った連中に教えてやるといっておきながら、その実、事件の被害にあった関係者を増やしているだけに過ぎない」
違う。
そんな筈、ない。
「お前は連中に、恐怖や悲しみを背負って危機感を抱けと言っている。そこから発生した救助活動や危機の伝達が素晴らしいモノだと。そしてそれが正しい生き方であると。歪み過ぎてはいないか?」
私は。
私は、ッ!
「事故を見過ごした連中を許せない、連中に恐怖を植え付けてやる、こんな世界破壊してやる。それならまあ、納得出来るんだがね。実に人間らしい行動原理だ。なんなら知人の娘ということで、ある程度は見過ごしてやってもいい」
だがお前は違う。違い過ぎる。
片桐乙女は、今一度、宣告した。
「お前の思想は歪んでいるよ。狂っているよ」
「……だったら」
「お前は頭のイカれた犯罪者だよ、神守黒音」
「だったら、私は!」
私がこれまで続けて来たことは!
私が立ち上がり続けた意味はッ!
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!」
納得するな! そんなの一方から見ただけの一論だ! 特定の側面を切り取っただけの詭弁だ! 違う聞くな取り入れるな!
私を否定するな! この思想を潰すな!
私は両親が、見て見ぬ振りを、テロ活動で危機意識を、でもそうじゃなくて恐怖の伝達が、被害者加害者負傷者死者関係者無関係者が、誰がどの立場で私は何処に居て。
違う! 私は違う! いいえ、違ってない!
私は、私の意志は!
「あ、ああ、あああああ」
「まいったね。これなら会話を選んだ方が楽だったか。話すつもりなどないと強硬手段に出て、我ながら手が早い。やはり後方支援が性に合っているか」
「あああ、……あああああ」
「ま、いい。これで無事確保になる」
滲む視界の向こうから、ゆっくりと彼女が近付いて来る。伸ばされる手のひらを、躱すこともままならない。
動けない。行動原理が定まらない。
躱してそれからどうするの? 私はこの女になにをすればいいの?
私はこれから、どうすることが正しいの?
「ああああああああああああああああ」
ただただ混乱する。
両手で頭を振るって、力無くその場に立ち尽くす。
零れ落ちる雫を、ただ無為に振り撒く。
「……あ、あは、あはは」
私にはもう。
私には、私には、私には。
けれど、その混乱を。
「まったく、酷いなあ乙女さんは」
その混乱を、上書きする声。
「相手は十六歳の女の子だよ? 歳相応の矛盾を、そう頭から否定するモノじゃない」
聞き慣れた男の声色が、耳に入り込み感情を震わせる。
瞬間、カッと熱くなる意識の芯が、ただ一つの感情に火を灯す。
「あ、あああアアアアアアアアアアア!!!」
どうして貴方がここへ来た!
どんな顔で、どんな気持ちで私の前に現れた!
貴方が全てを狂わせた癖にッッッツツツ!
「……おいおい。ここでお前が出て来るのか」
後方へ振り向き、森の奥へと視線を移す片桐乙女。
木々が重なる暗闇から、あの男が姿を現す。
「それはこちらの台詞だよ乙女さん。まさか君が直々に娘を潰そうとするだなんて」
手入れのされていない髪と、色濃い顎鬚。死んだ魚のような目と薄汚れた灰色の作業着。
くたびれた、あまりに幸の薄い男。
全ての元凶が、この場に現れた!
「中居暮男! ――妖怪、がしゃどくろッ!!!」
私たち姉妹だけが知らされていた、奴の正体。
それを叫んだ、瞬間。
――目の前が、大きな黒い影に覆われる。
突如開かれた巨大な五本の指。
視界の全てが、その白い骨手によって潰された。