第一章【06】「いっぱい食べる女の子」
地下を出て大広間へ。
すると予想外にも人が溢れていた。もう閉館後の筈だが。
不思議に思い見渡すと、ガテン系の強そうなおじさんや巨体の獣人が多い。
どうやらサリュが暴れた後の補修作業を続けているようだ。
ふと。
後ろを窺えば、サリュが俯いている。
「あー、まあ、なんだ。落ち込んでも仕方ないだろ」
「ええ、だけど」
気にするなというのも、また無理な話か。
そうやって歩く俺たちに、正面から向かってくる影。
緑の肌をした、筋骨隆々のオークだ。
身長二メートルはあろうかという巨体が、進行方向に立ち塞がった。
思わず身構えてしまうが、見上げれば、俺たちを映す瞳は優しいものだった。
「オウ、アンタが例のお嬢ちゃんか! 話には聞いていたガ、小せぇなァ!」
「え? その、えと」
呼ばれ、サリュが口ごもる。
けれど最後には、しっかりと。
「ごめんなさい。ご迷惑おかけします」
そう言って頭を下げた。
オークはにこりと深い笑みを浮かべ、気にするなと応じる。
時折あることだから慣れている、と。
「ワイも大工の仕事を貰ったんだがナ、最初は力加減が難しくて、直すどころか壊してばっかりよォ。でも今じゃあその力も頼りにしてもらえる」
「そう、なのね」
「だからクヨクヨすんナ。むしろここまで派手に暴れられるんだ。国の一大事には、頼りにさせてもらうゼ!」
最後にはガハハと大口を開けて、愉快そうに歩き去っていった。
そして、彼だけではなかった。
行く道行く道で、誰かしらが声をかけてくれる。
中には当然苦い顔をする者や、怒声罵声を浴びせてくる者も居た。
けれど最後には分かったと、全員が頷き見送ってくれる。
それでも、サリュの表情は晴れない。
むしろ余計に複雑そうだ。
「……どう、して」
「サリュ?」
「……わたし、腑に落ちないわ」
「まあ、だろうな」
「ここまでやったわたしを、どうしてみんな、受け入れようとしてくれるのかしら。この世界はそういった、手を差し伸べることに特化した世界なのかしら」
「そうだな」
俺には他の世界の事情は分からない。
ただまあ日本国の人間は寛容だとか、転移者たちもその空気感に馴染んでいくとか。
そういう話が、あるにはあったりする。
もっとも全員がそうじゃない。
きっと、……ここが、そういう場所だから。
「ここは異世界転移者の受け入れ先だからな。多分色々慣れてるんだろ」
小さなことから大きなことまで、知らないだけで日々様々な問題が起きている。
だからサリュのことも受け入れようとしてくれている。
そうだ。この世界がじゃない。
ここが、他より優しい場所だから。
「ま、許してくれたんだ。オークのおっさんも言ってたけど、クヨクヨすんな」
「そうなんでしょうけれど」
ぶつぶつと続ける。簡単には納得いかないらしい。
案外引きずるタイプなんだろうか。
まあ、とにかく今はご飯だ。
「腹減ったし、行くぞ」
言って先導する。
サリュも頷き、後ろに続いた。
◇ ◇ ◇
図書館には一階二階にフードコートがあり、職員はそこをよく利用している。
落ち着いた施設ながら名店揃いで、一階は静かでお洒落なカフェの目白押しだ。
が、その反面。
二階は、物凄いことになっていたりする。
案の定。
その光景に、サリュは大口を開いて固まった。
呆気に取られて見上げる視線の先。
そこにあるのは赤で塗られた、金の竜飾りが輝く門。
向こうに広がるのは豪勢な店舗の数々と騒がしい人混み。
図書館名物――というよりは迷物。
南図書館中華街だ。
「……………意味が分からないのだけれど」
「俺も最初はそう思った」
創設者はなにを血迷ったんだろう。
しかしこの中華街めちゃくちゃな人気で、特に異世界転移者には大受けしている。濃い味や脂っこいものが舌に合うのだろうか、毎日大賑わいだ。
今も閉館後でありながら、大きく盛り上がっている。
いや、閉館後だからか。
昼間は一般客から距離を置いている面々が、肩で風を切り堂々と闊歩している。裏手や隅に控えていることも、フードで顔を隠す必要もない。
なんでもかんでも、有象無象のお祭り騒ぎ。サリュの魔女っ子衣装なんて、むしろ大人しいくらいだな。
「さあどうする? ラーメン炒飯餃子天津飯。肉まんとか焼売みたいな手軽なお店もあるが、ここはさっきまで話してたラーメンでどうだ」
提案してみる。が、どうやら耳に入っていないみたいだ。
小さな少女は今尚固まったまま、キラキラと瞳を輝かせていた。
「ユーマ、ユーマ!」
「おうおう。わかってるから裾を引っ張るな」
「素晴らしいわ。沢山のお店に沢山の種族が集まってる! さっき大広間で見たオークやトカゲみたいなの以外にも、大男や毛むくじゃらの人、あとは……傘?」
「異世界人だけじゃなくて、日本には元々妖怪ってのが居るんだよ」
「ようかい、妖怪ね。知識にあるわ。日本の伝承生物みたいなものよね」
「間違ってはないが」
その辺りの詳しい知識はまた後程にしよう。
色々と紹介したい相手も居る。
「ま、とりあえず食べようぜ。ラーメン行くぞ!」
言って、ふと気付く。
果たしてサリュはいきなりラーメンで大丈夫だろうか?
なかなか日本国特有のものでもあるし、結構お腹に溜まる。結構食べるそうだが、それでも女の子だ。男の目線で考えると、失敗してしまうかもしれない。
確かめておくべきかと思ったが。
「ええ、もうお腹ぺっこぺこなんだから! たらふく食べるわよ!」
などと挑戦心バリバリな様子だ。
これは、お手並み拝見とさせてもらおうか。
◇ ◇ ◇
そうして色んなお店を見ながら歩き、目的地へ到着。
――名店『雷雷亭』。
こってり油が腹に溜まる、食べ応えばっちりのラーメン店だ。
カウンター席へ案内され座るや否や、サリュはさっそく「雷雷麺!」と声を上げた。
オススメポップを見ての一択だろう。いい思い切りだ。
「俺も雷雷麺と、あとライスも」
『雷雷麺二丁! ライスも一丁!』
『オス!』
注文を復唱する男気たっぷりの掛け声。
こういったお店は初めてのようで、サリュは両手をぱたぱたさせて楽しげだ。
ちなみに厨房の店員たちも、訳知りの人たちやリザードマン、大男たちが働いている。筋骨隆々の黒い肉体が汗を流し、お店の熱気に一役買っている。
と、リザードマンといえば。
「オウ弟ォ。奇遇ダナ」
「奢るよアッド」
偶然にも右隣の席にアッドが座っていた。丁度食べ始めるところで、一声掛ける。
種族特有の緑の鱗が目立つ、つい先刻の立役者。――命の大恩人だ。
さっきは結局助けてもらいながら、礼の一つも言えなかった。
改めて確認すれば、目立った怪我は見られない。無事でなによりだよ。
「オオウ。なんだァ弟ォ。気が利くじャねエカ!」
「ありがとよ。命を拾ってもらった。なんなら今晩あたり隠れ家で一本開けるか?」
「バーカ。礼ッてのァ気分の問題よォ。ソコまでしてもらッちャア申し訳ネェッて話ヨォ」
「そう言ってくれるか」
「オウヨ! マ、勿論トッピングは乗セさせてもらウゼ。ヘイ大将ォ! 煮卵クレ!」
相変わらず、調子の良い奴。
ほんと最高だよ、まったく。
「しかし弟ヨォ。出来タばかりのガールフレンドを雷雷亭にッてのァ、ちョいとムードがアレじャねェカ?」
言いながら、アッドがラーメンを口へ含む。箸から長い舌へ、ちゅるちゅると波打ちながら踊るように食べられていく。……思えばここで鉢合わせるのは初めてだが、凄ぇ食べ方だな。
とはいえじっと見ているのも失礼かと、視線を逸らす。
それにしてもムードとは。
まさかアッドからそんなことを指摘されるなんて。
「そういうのあんま考えないっつーか、得意じゃねーんだよ」
「ハハッ。そうイや隠れ家のメイドちャんと遊びニ言ッた時も、昼によく分からねェ定食屋入ッたんだッケカ?」
「その噂、お前も知ってんのかよ」
んなこと言われても、近くにあったから丁度良いと思ったんだよ。悪いか。
まあでも今回に関しては、まったく問題無いだろう。
「わあっ! 来たわ、ユーマ!」
ドカリと置かれたラーメンに高揚極まるといったご様子のサリュ。いただきますもなしに、箸を取り一気に麺を口に運ぶ。
待っている間に他の客を見ていたのか、同じようにするりと綺麗にすすってみせた。
すれば間もなく。ぴかりと瞳が大きく開かれ、両手で頬を抑えて悶えた。
勿論、お味の程は。
「最高だわ、最っ高だわ! これがラーメン!」
「美味しいだろ」
「ええ! 確か原材料は小麦粉よね。スープは豚骨っていうのかしら。メニューには、豚骨醤油って書いてあったわ。これが豚骨醤油味なのね! 滑らかで蕩けるような、それでいてずっしり重い! わたし今、食べてるって感じがするわ!」
「お、おう」
「そして葱! 知識通りのしゃきしゃき触感がたまらないわ! めんまは不思議ね。味も触感も謎だわ。詳しい知識も出てこないし、後で調べなきゃ。それとスープはこの大きなスプーンで飲むのね! いいえ、違うわレンゲよレンゲ! 知ってるわ! 何で分かるのかしら、知識だけ与えられてるってほんと不思議! 最高、最高よ! 美味しくてたまらないわ!」
大絶賛。早口で捲し立てるからよく分からないが、とにかく好評であることは明らかだ。
正直に、ちょっと引くぐらいにテンションが上がっている。隣のアッドも「こりャあヤベー女貰ッちまッタナ」と目を逸らしている程に。
まあ強弱の程はどうであれ、喜んでもらえているようでなによりか。
そして遅れて、俺の分が届いたのだが……。
「んーっ! ユーマ、おかわり! で、いいのよね?」
「ブボッ!?」
噴き出したのはアッドだ。
俺もまた、すっからかんになったサリュの器を見て、絶句する。
これは本当に、とんでもない女の子にプロポーズしてしまったのかもしれない。