第二章【24】「与えられた役目を」
降り注ぐ大木たちに身体が潰されていく。
腕を根に貫かれ、そのまま押し倒されて地面に。衝突と同時に肉が弾け、真っ赤な飛沫が視界を覆う。そして続け様に、その赤を貫く真っ黒な影が落ちてきて。
「――ガ」
それで私の意識は途切れた。
でも、それも一瞬だ。既に力は発動されて、持続されている。
まぶたを閉じるに等しい明滅。意識を取り戻し、再び動き出そうとして。
「――ウ、ゴ」
また、身体のどこかが潰された。その痛みや感触を自覚する間もなく、またしても頭部を潰され暗闇へ落ちる。
暗転が繰り返された。
誰かが私の電源スイッチをオンオフして遊んでいるかのように、カチカチカチカチと、世界へ戻されまた闇へ落とされる。
何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
「――ゴ、――ギ、ガ」
落ちる、落ちる、闇へ。
ほんの一瞬に過ぎないけれど、確かにその瞬間は、存在している。
深い深い闇の底へと沈んでいく。もう二度と光の在る場所まで戻れないかもしれないという恐怖。その絶望を、幾度となく、
■■■■■!
■■■■□■■!!
「■■■■■□■□□■■■!!!」
叫んでいるつもりだけれど、声になっているだろうか?
きっと音を出す間も与えられず、悲鳴は喉元で止まったままに潰されている。
「■■■■□■■!!! ――――ア、アアアアアアアア!!!」
ようやく空気を震わせられた時、果たしてどれだけの時間が経っていただろう?
数分だったかもしれない、数秒だったかもしれない。もしかすると数時間かもしれない。明滅を繰り返された意識では、正確な把握が不可能に思えた。
「ッッッツツツ!」
開かれた視界。
横たわった身体を飛び起こし、一帯を見渡す。
辺りは、荒れた土草に乱れていた。幾つものクレーターが出来上がり、狙いが逸れた大木たちが突き立てられている。
けれど私の手の届く範囲には、降り注いだ樹槍は存在しない。
在るのは成れの果て。粉々に砕け散った木屑が振り撒かれ、名残があるばかり。
それらは全て、私を貫いた木々だ。
「驚いた。まさか、木に対しても肩代わりが出来るとはね」
その声に目を見開く。瞬く間に思考を回転させる。
まだだ、まだ終わっていない。攻撃が止んだだけだ。
「ッ、ぐ、あ……」
両手を地面に叩き付け、四つん這いに体重を支える。それから自重を両足へ、ふらつきながらもなんとか立ち上がってみせる。
肩を上下させ、大きく呼吸をする。別段息苦しさがあった訳ではない。いってしまえば、身体にはなんの痛みも残されていない。疲労感すら失われている。全てを別のものへと、肩代わりさせている。
だけど、まともに立っていられない。
記憶にある色濃い暗闇が、いつまでも纏わりついて離れない。
「参ったね。投擲であれば簡単に終わらせられるかと思ったが、投擲した物体へも肩代わりが出来るとなっちゃあ通用しない。もしかして、接触しているモノであれば何にでも肩代わりが出来るのかい?」
森の奥から現れた、片桐乙女。その右手にはまた、次の大木が捕まれ引き摺られている。
私はその化物を、正面から睨み付けた。
「流石は神様の力だ、常軌を逸している。ねえ、神守黒音」
「……なにが、神様よ。結局、痛みも苦しみも、消えない」
「確かに顔色は良くないようだ」
「傷だけを、他へ移すことが、出来る。それだけなのよ、コイツは」
「それだけとは、私はよっぽどと思うがね。古くから伝わる神具だろう? その力が、一体どれだけの人々を救ってきたか」
「は、確かに道具としては、一流よ。だけど、神様は大仰すぎるわ」
スーツの下、胸の内にあるペンダント。肩代わりを成す、神守の神具。
けれどそれは、単なる不思議アイテムだ。神様なんて名前が付けられる程に、優れていただけの道具。
「そう、ただの道具よ」
「君がそれを言うか、神守黒音。神守神社を守って来た、巫女の娘だろう」
「潰れた神社、失われた信仰よ。……私の両親が死んで、それで終わったのよ」
いいや、正確には違う。
もっと酷い。
「いいえ、――神様なんて、居なかったのよ」
私たち神守の家は、居ないモノを守っていた。
これはそういう話だ。
「自分の家を否定する気か」
「当然でしょう。神様なんて居ない。居たならどうして、両親を助けてくれなかったの?」
こんな感情、訴えたところで仕方がない。誰にも伝えられなく、ましてや鬼を相手になど語り聞かせる意味もない。
分かっている。けれど、一度こぼれた言葉は収まってくれなかった。
「教えを紐解いてもそうだった。神守の神様が人を救ったことなんてない。神具を使い、神守家の巫女たちが人々を癒したんだ。時に肩代わりで背負い、時に肩代わりで分け合い、人が人を助けていただけに過ぎない」
それを道具に神などと名付けて、無機物を祀り上げていた。
時代が古い故の風習。そんなものに、意味はなかったんだ。
神なんて居ない! 居る筈がない!
「お父さんも、お母さんも、朝早くから水替えをして、何度も何度も神社の掃除に来て、夏は熱中症で倒れたり冬は風邪をひいたこともあって、私も真白も汗水たらしながら何度もお手伝いして、神様神様神様って拝んでいたのに! ずっと信じて来たのに!」
神様は居なかった!
なにも、してくれなかった!
「……調べたよ。神守神社の取り壊しは、実にスムーズだったそうだね。跡取りが不在となり、親族もまるで反対しなかった、と」
「当たり前でしょう! 反対なんてあるわけない!」
どうするかを問われた時、私は「要らない」と即答した。真白だって、なんの文句を言うこともなかった。
反対などあるわけがない。取り壊されて当然だ。
なにもしてくれない、存在もしてくれない相手に、これ以上私たち神守がかけてやるモノなんて、ありはしない。
「ああでも、この道具だけは確かな性能ね。神様と呼ばれていただけのことはある。これだけは、価値のあった物よ」
だから私と真白、残された神守の私たちが使い潰す。
私たちの家族が全てを賭して守って来た物だ。正当な後継者として、その力を振るってやる。
「神具を自分たちのエゴに使うか。それでいいのか」
「私たちは、人々の為に力を振るっている。それなら本望でしょう?」
「笑わせるな」
そして、片桐乙女は言った。
私の胸を刺す、その言葉を。
「危機意識を高める為のテロ活動だと? そんなものはな、曲がった正義感が生み出した危険思想。――お前ら姉妹は、ただの犯罪者だよ」
◆ ◆ ◆
森へ駆け入り、走り抜ける。
遠くない向こうからは巨大な爆音が立て続けに起こり、その度に重い地響きを鳴らしている。なにかとてつもない怪物でも現れたのか、そうでなければ姉貴か。
などと考えたが、後者に違いない。
珍しく前線に出て来たと驚いたが、その上鬼の力も全開って感じか。
「アレで結構パワー系だからな、姉貴」
思えば開幕から腕を千切り飛ばしたり、頭が割れる勢いで投げ飛ばしたり。肩代わりの神具がなかったら致命傷だ。中居さんに無事なまま捕まえて欲しいって頼まれてたこと、忘れてるんじゃないよな。
ああ、でも。それを言うならあの人だって――。
「っ、と」
思考を中断する。
突如目前に現れた影。足を止め立ち会い、態勢を低く構える。
しかし木々の向こうから躍り出て来たのは、鎧をまとったリザードマンだった。
「アッド、無事か!」
「オウ弟ォ! ようヤクいつもノ熱の入ッタ目に戻りやガッタナ!」
「言ってくれるじゃねぇか」
互いに笑みを躱し、戦意を確かめ合う。だがそれもほんの数秒だ。
アッドの後を追って、暗闇の向こうからナニカが飛び出してくる。
それは、複数の小さな球体だ。
「引けッ!」
「ッ!」
アッドの呼びかけに、すぐさま後ろへ飛び下がる。
瞬間、球体が眩い光を発した後、爆発を起こした。膨れ上がる炎が円形に広がり、辺り一帯へ衝撃と高熱を撒き散らせる。
「ッ、おおお!?」
爆発から完全に逃れたものの、発生した暴風が身体を煽る。咄嗟に両腕で顔を覆い、木を背の支えにして踏み堪えた。
アッドは持ち前の速度で俺より遠くへ逃れたようだ。目の前には大きく削られたクレーターが出来上がるばかりで、倒れ伏せる誰かの姿はない。
今のは、いわゆる手榴弾ってヤツか? 実物なんて初めて見たぞ。
だが、驚き固まっている余裕はない。
「――来る!」
遅れて、爆煙の向こうから突進してくる影。
両手で大鎚を振りかざし迫るソイツは、間違いない。
「さっき振りですっ、先・輩・っ♪」
「神守ィイッ!」
振り下ろされる大鎚。俺は正面から、硬化した右腕で迎え撃つ。
打ち合わせた拳と鉄鎚。衝撃が大気を震わせ、彼女の銀髪が激しく乱れた。
衝突の結果は、鉄鎚が砕かれ崩れ落ちる。俺の腕も黒肌に亀裂が入っているが、すぐに再生を始める。
武具を失った神守は、すぐさま後ろへ飛び退いた。
そしてその後退の隙へと、側面からアッドが飛び掛かる。
「ラアッ!」
「――ふんっ、ぬ!」
距離を詰め、アッドは右手の短刀を振りかざす。だが咄嗟の攻撃を神守は、瞬時に取り出した日本刀で受け止める。
重なる刃が火花を散らし、双方刹那の静止に身を委ねた。
「ッチィ!」
「ははは」
歯を剥き出しに眉を寄せるアッドと、口元を歪ませる神守。
互いの勢いが相殺された後、身を引いたのはアッドだった。飛び下がるとそのまま後方の木へ足をつけ、蹴りつけ宙へと飛び上がる。
そうしてアッドは、俺の隣へと着地した。
二対一。先程までとは逆転した数的状況で、改めて向き合う。
神守真白は、未だに笑みを崩さないままだ。
「先輩もご到着で二人がかり、ですか。真白のような女の子に対して、随分ですねぇ」
言って、彼女は両手を左右へ広げた。
その手のひらにはそれぞれまた別の、今度は大型の拳銃が握られている。
今更気付いた、彼女の様相。激しい動きではだけた、隠れ家支給の黄色い着物。神守はその着物の下に、真っ黒なアンダーを着込んでいる。丁度彼女の姉が身に着けている、黒いスーツと同じような。
「ッタくヨォ。姐サンに聞いてタガ、便利な服ダゼ。オマケに面倒ナ能力までヨォ」
アッドが小さく吐き捨てる。
よく見れば息も荒く、肩を上下に揺らしている。果たして神守は、それ程の相手だっていうのか。
やがてそんなアッドへ、神守が笑う。
「ハハハッ。トカゲさん、流石にちょちょっと加減が過ぎるんじゃない? せっかくの速度も軽い攻撃じゃあ台無しだよ」
「ふざけンナ! 下手ニ傷付けリャア返さレルだろウガ!」
そしてリザードマンだ!
声を荒げて返す。
予想は付いていたが、姉だけでなく妹の方も神具持ちか。どうりでアッドが攻めあぐねているわけか。
なるほど、そうなると。
「アッド。俺が攻撃の軸になる」
「アン?」
「鬼の体質なら、あいつの肩代わりと互角にやりあえる。ひとまずそれで向こうにも負荷をかけられる筈だ」
「だがアイツの武具、ナカナカに威力のデケェモンが揃ッテやがルゼ」
「そこはお前の出番だろ」
キョトンと、目をぱっちり開かれる。
しかしすぐに、アッドは大きな口をぱっくり開けた。
「ハハハハハッ! 言ッテくれるジャネーの! カーッ、オレにサポート専門で動けッテカ! 言うヨウになッタなァ、弟ォ!」
「不服か?」
「ンナ訳ネーダロ! オーケー了解ダ!」
アッドは豪快に声を上げると、右手に持っていた短刀を後方へ放り投げた。
そして左腕の盾を前に突き出し、構え直す。
「オレがチョロチョロ妨害してヤル。存分ニやりナァ!」
「おう、頼りにしてるぜ」
「ソイツはオレの台詞だッテノォ!」
言われ、頷く。
ようやく姉貴の言っていたことが分かってきた。俺にしか出来ないことを。確かにコイツは、鬼の力を持った俺でなければ困難な相手だ。
役目を果たす。
その為にも、今一度全身を鬼血で包み込んだ。
「へぇ、やる気ですねっ。選手交代っと」
それで察したんだろう。
神守は二丁の銃口を、それぞれ俺へと向けた。
「それじゃあ楽しみましょうね、片桐先輩っ♪」
「悪いが俺は容赦しねぇぞ、神守ィ!」
そして開戦だ。
土を蹴り上げ、一気に飛び出し襲い掛かった。




