第二章【23】「お行儀の良い台本」
喫茶店、狐の隠れ家は満身創痍だ。
入口は壊され大きく空洞を開き、テーブルや椅子は悉く倒されている。床板も割れて剥がされ、壁にも大きな鉄杭が突き刺さる有様。
従業員や作戦サポートを任された百鬼夜行の面々も、睡眠薬で眠らされた上、血を抜かれて意識不明の重体。そもそも彼らが目覚めていたとて、戦闘員としてまともに抗えるのは俺しかいない。
だからどの道、二対一。
双子の姉妹に対抗できるのは、この場に俺一人だけだった。
――だが、状況は一変する。
「いつまでも手の上で転がされていると思ったら、大間違いだよ」
立ち塞がり、宣言する姉貴。
この場に居合わせる筈のない、別作戦を任されている指揮官。
その登場に、神守黒音は歯噛みし眉を寄せた。
「……なんで、貴女がっ」
恐らく、まったく想定されていなかったであろう事態だ。睨みを利かせてはいるが、態勢を低く及び腰になっている。先程までの堂々とした立ち振る舞いとは、まるで違う。
それでも彼女の両手には、今一度拳銃が握られていた。
どれだけ予想外であろうとも、彼女の応対は変わらない。
その大振りの銃身を持ち上げ、正面へと標準を合わせる。
姉貴へと、狙いを定める。
「答えて。なんで貴女が、ここに居るの!」
銃を構えたまま、神守黒音は姉貴に尋ねた。
それはある種の脅迫に等しい。抗えば、すぐさま引き金が弾かれることになるだろう。
だが、
「――え?」
「――は?」
俺と神守黒音は、同時に声を上げた。
何故なら姉貴の姿が、既にその場から失われていたからだ。
直後、響く声。
「――悪いね」
声は遠く。
気付けば姉貴は、神守黒音の背後へ姿を現した。
まさに一瞬。俺たちはその移動の初動すら、目撃することが出来なかった。
現れた姉貴の瞳が、赤く染まる。そして、振り上げた右腕もまた、黒い泥に覆われた。
神守黒音がすぐさま振り返り、視線を合わせる。遅れて両腕を突き出し、銃口の標準を定め直すが、――瞬間。
「――お前たちとべらべら話すつもりは、ないよ」
鬼血に覆われた右腕が、斜めに振り下ろされた。
その一閃が、突き出された少女の両腕を、銃を握ったそのままに千切り飛ばす。
「――――!!!」
ブチリと鈍い音が届き、細腕の肘より下の部位が宙へ浮かぶ。
神守黒音は、声にならない叫びを上げた。
けれど、辺りへ真っ赤な血が散らされる、その寸前で。
「……へえ、これが」
何故か、黒塗りの両腕が宙へと切り飛ばされた。
浮かんでいた筈の少女の腕は、入れ替わるように忽然と消え去る。まるで何事もなかったかのように、あるべき姿へと戻され。
「ヅヅヅ!!!」
叫びの後。
元の位置で構え直された二丁の銃が、甲高い発砲音を響かせた。
「姉貴ッ!」
咄嗟に呼ぶが、遅い。
両腕を千切り飛ばされた姉貴は、続け様に銃弾を受けた。
それも、ただの銃弾じゃない。
頭部を貫き体内へと入り込んだ弾丸。開かれた空洞から鮮やかな血が零れ、まぶたへと伝わる。でも、それだけに終わらない。
遅れて、側頭部からも噴き出す血流。まるで内側で爆発でも起こされたかのように、頭皮が幾つも割れて、飛沫を噴き上げる。
後方の壁を、床板を塗り潰す赤赤赤。見るからに常人の許容を越えた出血は、間違いなく必殺だ。痛みを感じる機能すらも諸共に、絶命させられている。
だが、姉貴は常人ではない。
グルリと回転した眼球の黒目が、再び標的を睨み付ける。
「やってくれるね」
間もなくして、千切れた両腕と頭部を紫電の輝きが包み込む。
骨が形成され、肉が伸ばされ張り付けられ、全ての傷口が塞がれる。
「ったく、聞いてはいたけどこれ程とは。デタラメな力だねぇ、神具ってのは」
「……化、物」
「ハッ」
呟く神守黒音へ、姉貴は口元を歪めた。
なにを今更と、侮蔑するように。
「ほら、ぼさっとしてんじゃないよ――ッ!」
姉貴は再生した右腕を、神守黒音へと突き出した。
後退し距離を取ろうとするが、間に合わない。黒い泥に覆われた五本の指が、少女の頭部へと掴みかかる。
その腕に捉えられてしまっては、もう逃げられない。
すぐさま銃を構え、立て続けに発砲を重ねる。それにより姉貴の身体が幾度も撃ち抜かれ、その度に内部から血肉を飛び散らせたが、関係ない。
姉貴は掴んだ頭を力づくで引き寄せ、そして。
「お前も表へ、出ろ!」
少女の身体を、軽々と放り投げた。
まるで子どもがボール遊びでもしているかのような、加減のない豪快なフルスイング。その衝撃に旋風が巻き起こされ、散らばった机や椅子が微かに浮かび上がる。
それ程の勢い。一直線に壁へと叩き付けられた彼女の身体は、衝突した壁面を砕き割り、店外へと押し出される。
あまりに一方的。
神守黒音は成す術もなく、されるがままに退店を余儀なくされた。
だが、そのダメージはまたしても、姉貴が引き受ける形となる。
「っ、ガボ。ゲホゴブ、ゴッ。……あー。もう手元を離れてるってのに、肩代わりにされるんだねぇ。有効範囲が分からんな」
血反吐を吐き捨て、内側の骨肉を幾つも痛めつけられ。
血濡れの形相で、姉貴は俺を見た。
鋭い視線と、ようやく正面から向き合わされる。
「……姉、貴」
「いつまでボサッとしている。早くアッドの方へ行って手伝ってやれ」
「……なんで、だよ」
「何故か? 言った筈だぞ、読んでいた。廃工場はサリュと千雪に任せて、私とアッドはお前の後を追った」
「それは、どういう」
「それも言っていた筈だ。神守真白が、姉である神守黒音に協力している可能性があると。もっともお前には、低く見積もっていると伝えていたが」
本当は、ほぼ間違いなく有り得ると、そう考えていた。
だから姉貴はこっちへ来た。
「もしも姉妹が協力しているのであれば、隠れ家は占拠されているだろう。神守真白が裏切っているのであれば、愚弟は隙を突かれるだろう。丁度お前が道中連絡を取っていたところも確認したので、あえて黙って泳がせた」
「……つまり、おとりってことかよ」
「そういうことだ。悪いね」
「ッ」
咄嗟に嫌な考えが過る。
だが、それを口にするよりも早く。
「勘違いするなよ」
姉貴は真っ直ぐに俺を見て、言った。
言ってくれた。
「お前をおとりに使ったのは、お前にしかそれが出来ないからだ」
「……それ、は」
「お前は鬼で、加えてねちっこいからな。千切られても貫かれても立ち上がり続けて、最後まで足掻き噛みついてくれると思っていた。そうすれば向こうも色々と出してくれる筈だ、とね」
「……ハッ」
なんだよ、そりゃあ。
ようは不死身で諦めが悪いから、体のいいおとりだったって話かよ。
言ってくれるじゃねぇかよ、クソ姉貴。
でも、そいつは。
「納得したか?」
「そうだな」
そいつは間違いなく、俺にしか出来ないことだ。悔しいが、認めざるを得ない。
姉貴は、その役目を俺に託したんだ。
「お前は愚弟に違いないが、与えた役割はこなしてくれる。それは今朝だって証明してくれた。もっとも本人は不服なようだが」
――指揮を執る者として、これ以上にありがたいことはない。
姉貴は、そう言った。
だから、俺は今一度、応えなければならない。
「裕馬。お前は神守真白の方へ行け。アッドとお前に任せた」
「――ああ」
頷き、姉貴へ背を向ける。
これ以上、なんの言葉も要らない。必要な物は全て貰った。
自分の役目を果たす為、指示された場所へと走り出した。
◆ ◆ ◆
一夜百語という組織は、古くから存在した妖怪組織だ。
当時は名前もなく、がしゃどくろを首領として集まった烏合の衆。しかし聞く話によれば、ある時期に日本の妖怪の半分近くが所属していたこともあったという。
だが、その組織形態は整えられたものではなかった。
無秩序で無干渉。決まりもなければ禁止もない。統制など取られる訳もなく、それ故に人を集めた頃もあったという話。
そもそも首領が、正体不明なのだ。
誰も姿を見た者は居らず、いつしか存在すら語り草に落ちた者。
それが、がしゃどくろ。
かつては祀り上げられていたであろう大妖怪も、今ではただのお飾りでしかない。一夜百語の連中は、ただ自らの所属を明らかにする為だけに居る。組織の名札を貰う為に、仮初の忠誠を誓っている。
そんな連中に、仲間意識など存在している訳もない。
その結果が、あのずさんな占拠テロだ。
がしゃどくろ直々の指令。ここ数十年、下手をすれば百年近く一度もなかった、組織としての行動。私としては、あれだけの人数が集まったのが不思議でならない。
だが蓋を開いてみれば、結局連中は自分本位な者ばかり。がしゃどくろへの興味が大半と、残りも命令にこぎつけて騒ぎたいだけ。
だから失敗した。元より成功するはずなど、なかった。
そして廃工場へ逃げ延びた彼らを、私は終わらせた。
一夜百語という組織を、滅ぼした。
自分本位な連中を焚きつけるのに、下手な策略なんていらない。たった一発の銃弾を放つだけで、私は最後の戦いの火蓋を切ってみせた。
薄暗い敷地の中、誰が攻撃したのか、なにが目的なのかなんて分からない。そんなことを気にしている余裕も、もしかすると気にしてすらいないのかもしれない。
ただ、この中に敵がいる。
その可能性を植え付けるだけで、彼らは自壊する。
「誰が撃ちやがった! テメェか!」
「ふざけんじゃねぇぞ!」
「殺してやる!」
自分以外は信じられない。
この場に居合わせた全てが敵だと認識し、殺し合いが始まる。
誰かが続けて発砲すると、続けて誰かが炎を振りまいた。ある者は近くの者に殴りかかり、返す刃がその首を跳ねる。あっという間に血飛沫が上がり、気付けば爆発まで起こされる程に激化していく。
陽動にはもってこいの大騒ぎだ。じきに百鬼夜行の連中も、事態に気付き動き出すだろう。これで身勝手な組織も制圧される。
そうやって対応している内に、私たちは逃げ延びる。南地区の喫茶店で真白と合流して、この街を出れば終わりだ。この街程異世界との交流がなければ、簡単には見つからない。
それで長い一日も終わる。
私たちはまた、次の一歩へと踏み出せる。
その筈だった。
なのに。
「……っ」
全てが計画通りに進むなんて、そんな甘い考えは抱いていない。予想外のアクシデントや想定以上の反撃は、こと戦いにおいては過剰に付きまとう。
それでも目的を達成する為に、その度軌道を修正出来るよう、幾つもの策を立てている。なんとしてもやり遂げる為に、幾つも、幾つもの準備を。
なのにどうして、こう上手くいかないのか。
どうしてこんなにも、想定の許容範囲を軽々と超えられるのか。
「ッ、なんで!」
吐き捨て、木々の合間を駆け抜ける。
隠れ家から力付くで追い出され、私はすぐさま森へと逃げ込んだ。合流の際に予想外の反撃があったらと、考えていた逃走経路の一つだ。
誘導に成功していても、何人かの人員は隠れ家に配備される。それを真白が内側から瓦解させ、無事合流に持って行けるのが最善。けれど万が一、戦闘に陥ることがあったなら、森へ。
私たちの考えでは、最も脅威となり得るのは雪女だった。彼女が隠れ家に居る可能性は高く、それを真白が対処出来るか。そこが合流の分かれ目とすらいえる。
そして好ましくも、雪女は持ち場を離れた。代わりの要因も非戦闘員ばかりで、後に駆け付ける戦闘員も、片桐裕馬ただ一人。彼一人であれば、十分に対応出来る。
私たちは作戦通り、逃げ延びられる筈だ。
つい先程まで、そう確信すらしていた。
でもこの状況は、どうして。
「神守黒音、神守真白。お前たちの見通しは甘すぎるよ」
「く、そッ!」
声が迫って来る。
どれだけ走り向きを変え、木々の影に隠れようとも、追ってくる足音が遠ざかることがない。
それも当然、相手はあの片桐乙女。森で撒けるような脅威ではない。
「今回の件もだが、朝のビルもだ。お前たちは人命に重きを置いている」
「……っ」
「それがお前たち個人によるものなのか、それとも一夜百語の方針なのか。人質たちは傷付けずに捕獲して、最初の内は負傷者もゼロだったみたいじゃないか」
「…………」
「しかし組織としての方針というなら、最後の最後でがしゃどくろが全てを瓦解させている。奴の命令によってテロが起こされ人質を傷付けないという決まりがあったのなら、自らの手で壊すのはおかしな話だ。そうだろう?」
ああ、わざとらしい。
確信している。全てが紐解かれている。
これはただの、答え合わせだ。
「隠れ家の状況と裕馬とのやり取りで確証に変わったよ」
「なに、を」
「神守黒音。今回のテロの台本は、お前が作ったモノだ」
「――――」
私は、走り続けた。
土を跳ね上げ汚れながらも、ただひたすらに逃げ続けた。
けれど彼女は決して私を逃がさない。
追い詰めてくる。
「目的と発端はどちらが握っていたのか。恐らく根幹はがしゃどくろである可能性が高いが、大まかな作戦は全てお前に任されていたんだろう。無法者集団のテロ行為にしては、お行儀が良すぎる」
「……それが、どうして私だと」
「自傷してサリュへ肩代わりさせておきながら、しっかり助かるように加減がされていた。何人かのアヴァロン騎士や妖怪と交戦したようだが、誰しも戦闘不能で命に別状はなかった。お前の価値観が見え透いている」
だがその考えは、あまりに稚拙。
現実的ではない、子どもじみた理想。
片桐乙女はそう言った。
「がしゃどくろは随分お前に肩入れしているようだ。作戦の失敗を全て被り、罪すら背負ってくれた。お前はあのビルの崩落を嘆いているようだが、アレがなければお前たちは悉く制圧されていただろう」
「……うるさい」
「その点、神守真白はまだ現実が見えているな。隠れ家の控え室は彼女の仕業だろう? 睡眠薬で意識を奪うばかりか、貧血状態にまで念入りに追い込んでいる。お前の方針がなければ、全員の首を掻き斬っているんじゃないか?」
「……うる、さい」
「過去にお前が関わった事件も調べてみれば、まあ、死者ゼロ人負傷者少数。輝かしい功績じゃないか。今回はお互い災難だったね、黒薔薇」
「うるさい! 黙れ!」
思わず声を上げた。
そして私はその場に足を止める。
挑発に乗せられたわけじゃない。これ以上進めば、森が終わってしまう。先日の戦いで森の半分が焼け落ちているから、行き過ぎてしまえばクレーターへと辿り着いてしまう。
そうなれば逃げも隠れも出来ない。真っ向勝負になれば明らかに不利だ。
だから私は立ち止まり、後方へと振り返った。
迫りくる彼女へと、両手を突き出し銃口を構える。姿が見えたら引き金を弾き、一気に攻撃を畳み掛ける。
そのつもりだった。
「――え?」
だが、視界に映ったのは、追って来ている筈の彼女ではなく。
あまりに巨大な影。
私の身体を軽々と圧し潰す程の、巨大な物体。
「――な、っ」
その正体は大木だった。
びっしりと張り巡らされた網根を広げて、一直線に突進してくる。
「ッ!」
予想外の光景に、それでも身体が動いてくれた。
左方へ転がり込み、間一髪で直撃を躱すことに成功する。
大木はそのまま地面へと突き立てられ、土草を大きく削り取り煙を上げた。その衝撃は、周囲の地面が大きく競り上がる程。まともに受けていたらと、考えるだけでゾッとする。
「くそっ!」
巻き上がる土煙の中、私はすぐに立ち上がり、再び走り出した。
ひとまず反撃は考えるな。これ程の攻撃、まともにやり合ったら勝ち目はない。視界も悪いし、今はとにかく距離を取って。
けれどそれを言うなら、そもそも私たちに、勝ち目はあるのか?
この状況からまだ、逃げることは叶うのか?
疑念がまとわりつき、思考に影を落とす。考えられる策全てが無意味なものではないかと、焦燥感に呑まれていく。
重ねて容赦なく、絶望が手を伸ばしてくる。
「――!」
去来する風切り音に、足を止めることなく振り向く。
後方確認。危険があれば、すぐにまた回避行動を。
けれど。
「……あ」
後方上空に見えたのは、先程同様の迫りくる大木だ。
だが、その数。ぱっと見えただけで十を越えている。
その全てが、空を裂き私のもとへと降り注いでくる。
「冗談じゃない」
片桐乙女は、物を浮遊させる念動力でも使えたのか。
そんな訳もない。彼女は鬼だ。彼女は鬼の力を存分に発揮し、その大木たちを投げ放っているんだ。
私を一撃で圧し潰す、必殺の投擲。
同じ鬼である弟の彼とは、まるでスケールが違う。
「……は」
私は両手の銃を更に威力のある物へと持ち替えたが、もはやコレでも抵抗できる物量ではないか。
接近する十の奥に、続けて打ち上げられた十数。それら全てがとめどなく降り注ぎ。
その巨大な連撃を、私は成す術なく受け入れた。