第二章【21】「神守姉妹」
中居暮男。
私たちを引き取ってくれた彼は、お父さんの友人だった。
私も真白も、何度も会ってお世話になっている。
特に真白は幼少期に人形を買って貰ったのが好印象で、「リコちゃん人形のおじさん」と呼んで随分慕っていた。私も髪飾りや衣類を買って貰って、嬉しかったのを覚えている。
今思えば羽振りの良いおじさんではなく、彼の体質的なものも関係していたのだろう。ある程度お金を失わなければ、貧乏神としての側面が弱まってしまう。そう聞いている。
そんな、特異な体質を持った人が、私たちの新しい父親になってしまった。
「ほとほと運がないね、君たち双子は」
暮男さんに引き合わされた際、彼は私たちにそう言った。
運がない。まったくその通りだ。
けれど何故か、――申し訳ないと、彼は続けた。
「申し訳、ない?」
「もしかすると、君たちの不運は僕が招いたモノかもしれない」
彼は全てを話してくれた。
引き取り手になった以上、隠し事はしない。全てを知った上で、自分が相応しいのかどうかを決めて欲しい。
それが、暮男さんの意志だった。
「僕は貧乏神だが、それはなにも金銭的な話だけではない。心の貧化、人の欠乏も司っている。不運神や不幸神、疫病神と言えば伝わりやすいだろうか」
つまり、彼はあらゆる不運を引き寄せる。
そしてそれは、時として他者を傷付けることで降りかかる。
「友人を失ったばかりか、可愛がっていた君たち双子が身寄りを奪われた。目を背けがたい現実だ。――どころか、運命に導かれたように、君たちは僕の元へと来てしまった」
彼が私と真白を見る。
思えば、酷くやつれているようだ。目の下にも色濃いくまが出来ているし、髪も髭もまるで整えられていない。
まるで生きていただけのよう。
清潔感ではなく、生活感がない。あらゆる部分に手が及んでいない。
「…………」
ああ。
でもそれは、私たちも似たようなものか。
「出来れば逃げ出したいモノと向き合わされている。君たちの悲痛な姿から、目を背けることが許されない。一緒に暮らすとなれば、お酒で薄めることすら認められなくなる」
――それは間違いなく、僕の不幸だ。
――僕が君たちの両親を奪ったと、そう考えられてしまう。
暮男さんは、そんなことを言ってのけた。
「……そんなこと、ない、筈です」
応えられたのは、真白だった。
「中居さんは、悪くない、です。そんなの、違うと思います」
真白は言葉に詰まりながらも、優しい言葉をかけられていた。笑ってさえみせ、彼を受け入れようとしていた。
けれど私は。
「……っ」
私は、歯噛みした。
彼の言葉が事実であるなら、その可能性は否定出来るものではない。
彼が望んでいなかったとしても、その体質が不幸を引き寄せたのだというなら、それは紛れもなく彼によるものだ。
彼と父が出会って居なければ。
私が彼を拒絶して、早いうちに縁を断っていれば。
彼が不幸を感じることすらない、他人として居られれば。
そんなことを、考えてしまう。
「……私、は」
だから、言ってしまった。
感情を、吐き出す。
「私は、貴方を許せません」
「……黒音ちゃん」
「貴方が居なければよかった。知り合わなければよかった。貴方が死ねばよかったと、そんなことさえ思ってしまいます」
許せない。
そんな話を聞かされて、許せるわけがない。
だけど。
「でも、貴方も悲しんでいる。それは、分かるから」
分かってしまうから。
もう、そうするしかないよね。
「許せないけど、許しますから」
「それで、いいのかい?」
「貴方が引き取ってくれないと、私たちは施設に入れられるんじゃないですか。親戚も居ないし、他に身寄りなんてないんです」
「……そうなるだろうね」
「それは嫌です。だから、苦しんでください。責任を感じているなら、自分が悪いと思うなら、不幸になってください」
でも、それだけじゃなくて。
「でも、お酒を飲んでもいい。遅くまで帰って来なくていいし、なんなら一緒に暮らさなくたっていい。逃げたっていい。貴方が悲しむことを、許すから」
だから、貴方も。
「ごめんなさい。私が貴方を恨むことを、許してください」
こんな私を、許してください。
それは生きて行く為に。
これからも、前に進む為に。
抱え続けなければいけない、必要な苦しみだと思うから。
――それに。
「それに、たとえ貴方による事故だったとしても、お父さんたちは助かった筈よ」
「……お姉ちゃん」
私の言葉に、真白が小さく声を挟んだ。
まるで縋るような、行かないでって訴えるような、そんな声で。
だけど、私は。
「お父さんたちを本当に殺したのは、あの場に居た人たちでしょう?」
「黒音、ちゃん?」
暮男さんすら、首を傾げている。
私にはむしろ、真白たちこそ不思議だった。
悪いのは、アイツらでしょう?
「事故が起きたのは、鳥がフロントガラスにぶつかったからだって聞いたわ。偶然の所為だった、本当に不運だった。運転手の人も、一緒に死んでしまって」
それが貧乏神によって引き起こされたというのなら、余計に運転手を恨もうとは思わない。被害者だとすら考えてしまう。
事故は避けようがなかった。仕方のないことだった。
じゃあ悪い人は居ないのか?
それは違う。
あの場には、間違ったヤツらが、大勢居た。
「誰も助けに来てくれなかった。自分は関係がないと安全な外野から、ただ騒ぎ立てていた。面倒だ迷惑だなんて、そんなことをほざくヤツまで居た」
誰かがすぐに動いてくれたなら、なにかが変わったかもしれない。
一人でも助けに動いてくれたなら、誰かは助かったかもしれない。
あれだけの人が居て、誰も、なにも。
「アイツらは、無関係を装った」
僅かに残されていた可能性が、ただ見逃された。
無関係で、無関心。あまりに不条理すぎる。
許せない。
許せるわけがない。
「誰一人として助けに手を伸ばさないなんて、間違ってる」
だから、教えてやらなければならない。
無関係なことなんてない。
危険はいつだってすぐ傍に合って、運が悪いだけで降りかかるもの。助けを求める人はどこにだって居て、お前たちだって例外じゃない。
それを、解らせてやらなければいけない。
そして幸運にも、私は知っていた。
それを可能とするモノがあると。
こんな私でも抗う方法が、この世界には存在していると。
◆ ◆ ◆
現れた神守黒音と向き合う。
彼女が右手に握る銃口は、真っ直ぐ俺へと向けられたままだ。
だが、先程放たれた銃弾は、俺へと迫る鉄杭を退けた。それはまさしく、俺を攻撃から守ったかのように。
何故だ?
そしてなにが狙いで、ここへ現れやがった。
「お……マエ……ヅ」
口を開くが、血反吐が散らされ言葉が乱れる。
そんな俺に、彼女は呆れたように息を吐いた。
「まったく。しゃべる前に、まずはその胸の杭をどうにかしたら?」
「ヅヅ。どういう、つもり、だ――ッ!」
右腕を硬化させ、身体を貫く杭へと振り下ろす。それによって芯を圧し折り、短くなった刃先を力づくで引き抜いた。
開かれた空洞から再び血が巻かれるが、それも少しの間だ。痛みも傷も、紫電の光に包まれた後、元の状態へ治癒されていく。
ついにこの身体は、心臓を穿たれても死ぬことはなかった訳だ。もっとも腕や頭を吹き飛ばされておきながら、今更の感想だが。
それより、この状況。
一体どうなってやがる。
「黒音お姉ちゃ~ん」
猫撫で声で姉を呼ぶ、神守。
銀色髪の真白と、黒髪の黒音。対峙する姉妹の髪色は、真っ向から正反対だ。装いもまた、黄色い着物で派手な妹と裏腹に、姉は黒の全身スーツを身に着けている。
満面の笑顔と、静かで冷たい無表情。もはや在り方すらまるで違うように思えたが、その横顔は、確かに似通っているものがあって。
神守黒音は、ゆっくりと構えていた右手を下ろした。その手のひらからは、握られていた銃さえも消え失せる。
彼女は神守へと言った。
「ここまでする必要はないでしょう、真白」
低く、怒気を孕んだ声色。合わせて彼女の瞳が、店を左右へ見渡す。
倒され砕けた机や椅子、穴の開いた床や、鉄杭に貫かれた壁。隠れ家店内は、見るも無残な酷い有様だ。
しかし叱責された神守は、歯を見せて笑った。
「はは、お姉ちゃん。ここまでって、お店のことかな? 片桐先輩への仕打ちのことかな? それとも、別のことかな?」
「……真白」
「あはは、ごめんごめん、全部だよねっ。そっちから出て来たってことは、裏口から入って来たんでしょう? じゃあ控え室も通ってるよね」
「あれも、真白の仕業なのね」
「勿論だよ。み~んな、真白がやったんだよっ!」
言って、神守は両手を広げた。
左右へ大きく、全身を見せびらかすように開く。
そしてその着物の袖から、なにかが零れ落ちた。
彼女の銃や鉄杭と同様に、どこからともなく、バラバラと床に転がっていく。
「……なん、だ?」
それは、白色の筒状の物体だった。手のひらサイズの小さな筒で、半透明な側面から、内部の赤い色合いがにじみ出ている。
赤いなにかが、収められているのか?
一体ソレは、なんなんだ?
「大丈夫だよ、お姉ちゃん」
神守は笑顔のまま、言った。
「倒れてるけど、眠ってるだけ。顔色が悪いのも、み~んな、ただの貧血だから」
「……貧、血?」
おい、それは、どういう?
みんなって、まさか。
「真白、貴女っ!」
声を上げる姉へ、彼女は飄々と説明した。
「ジュースに睡眠薬を潜ませて配ったんだけど、それだけじゃあ不安でしょ? 一応強力なのを使ってるけど、人それぞれ耐性は違うだろうし。なにより妖怪や転移者たちは、効果が十分とは言えないよね。だから、念には念を入れて、ね」
「待て、神守。お前、なに言ってんだ」
睡眠薬? 貧血? 念には念を?
一体、お前は、なにを?
混乱する俺に、神守は――。
「分かりませんか? 先輩」
――心底不思議そうに、首を傾げた。
そんなの当然でしょう、と。
簡単に理解出来る、当たり前のことでしょう、と。
そう言うかのように。
「ッッッツツツ! 神守テメェ!」
冗談じゃねぇぞ!
神守、お前はッ!
「ここに居たみんなを眠らせた挙句、血を奪ったって言うのか!」
その転がる赤い筒は、みんなの!
それを、お前が、全部ッ!
「全部お前がやったのかよ! 神守ィィィイイイ!!!」
神守真白は、ただ。
「――ふふふっ♪」
変わらず笑顔で、楽しそうにしていた。
それを、許容出来る筈もない。
だが。
「動かないで」
後頭部に突き付けられた、固い感触。
先程の拳銃とは思えない、大きな接触面。恐らくは俺の頭など悠々と吹き飛ばし、鬼血での硬化も通用しないのだろう。
「神守、黒音。なんで、お前がここに居る」
「やっぱり知ったみたいね。私たちのこと、色々と」
「答えろ! なんでここに居るって聞いてんだよ!」
爆発が起こされた西地区の廃工場。そこにテロ組織の連中が逃げ込んだって話の筈だ。
それがなんで、黒薔薇のコイツがここに居る。
「私がここに居ると困る? 例えば包囲作戦とか、そういう予定だった?」
「お前、知ってやがったのか」
「知るもなにも、全て私が仕組んだものよ」
「は?」
「西地区の廃工場で起こった爆発は、私が起こした」
「……馬鹿な」
「あら、少しでもおかしいとは思わなかったの? 逃げ集まったテロリストがわざわざ爆発で騒ぎ立てるだなんて、出来過ぎてるでしょ」
だとしたら、あの爆発の意味は。
「……誘導、か」
「正解。でも安心して。貴方たちの目論見通り、私以外のテロリストは大方捕まえられる筈よ」
「どういう、ことだ」
「後で分かるわ」
「ハッ、ふざけやがって」
なにが後で、だ。
こいつがなにを狙っているのかは分からない。だが爆発による誘導が行われ、結果としてこの女が包囲を逃れ、ここに居る。その時点で俺たちは、こいつの手のひらの上で躍らされている。
いや、正確にはこいつら、だ。
神守真白が、知らなかった訳がない。
「お姉ちゃ~ん。合流も出来たし、とっとと離れようよ。そろそろ気付かれちゃう頃だよ」
「大丈夫よ。気付いたところで、西地区からここまで三十分はかかる。それに、私が居なくたって向こうは大盛り上がりに違いないわ」
「だけど急ぐに越したことはないよ~。先輩なんてちゃっちゃと片付けちゃお~」
「もう少し待って」
ガチリと、銃口が強く押し付けられる。
振り向いて即座に反応、ってのは間に合わなさそうだ。その前に頭を吹き飛ばされて、今度こそ逃げられるだろう。
成す術なし、か。
「……くそ、嘘ばっかり吐きやがって。どこが不仲なんだよ」
「あら、それは違わないわよ。嫌いって訳じゃないけれど、仲がいいとは思っていないわ」
「え~っ! 酷い~っ!」
神守黒音の言葉に、神守が声を上げる。
冗談みたいに頬を膨らませて、わざとらしい不満顔だ。
もっともその右手に、今度は巨大な大斧が握られているわけだが。
「また物騒なモノを取り出したわね真白。仕舞いなさい」
「お姉ちゃんこそ、早く引き金を弾いてよ。頭吹き飛ばして退散しよっ。でなきゃ真白が先輩を叩き斬って真っ二つだよっ」
「そういうところよ。私が仲良くなれないの」
「なんで~っ。その方が絶対効率いいのに~っ」
言いながら、神守が歩み寄る。
にこにこと笑顔を崩さないまま、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「それにしても、先輩っ。真白とお姉ちゃんが不仲って話、ほんとに信じちゃうなんて。目論見通りの家族観でした」
「……んだと」
「いや~、片桐先輩には通用すると思ったんですよねっ。お姉さんと不仲そうだったし、実際仕事の関係だなんて、悲しいことまで言っちゃって」
「っ」
俺も姉貴も、互いを気にしていない。
必要以上に干渉しない。
別段嫌いな訳でも、嫌われているとも思わない。
それが、俺たちで。
「普通に考えて下さいよ。たとえ仲が悪かったって、家族をそう簡単に売る訳ないじゃないですか」
「……クソ、が」
だから気付けなかった。
神守の嘘をまるで見抜けなかった。
俺も姉貴も、上手い様に躍らされた。
「ふざけ、やがって」
馬鹿言い合ってた後輩は嘘ばっか。俺も姉貴も揃いも揃って、年下の双子姉妹に上手いことやられて。全部知らされても尚、まるで歯が立たずズタズタにされて。
鬼の力をもった第四級の戦士が、妖怪の血を持つ化物が、こんなにも無力だ。
ふざけている。
笑えない冗談にも、程がある。
だってのに、なんで。
「お姉ちゃ~ん。さ、早く始末しちゃおっ!」
なんでコイツは、ずっと笑顔のままで、楽しそうなままで。
こんなのおかしいだろ。
こんなの、間違ってるだろ。
「……………………」
「――落ちぶれたわね、片桐裕馬」
「…………は」
押し黙る俺へ、神守黒音がそう言った。
なんだよ、そりゃあ。
「……そういえばお前、俺のこと知っていたような素振りだったな」
「ええ、知っていたわ。……知っていた、忘れもしない」
「それが、すぐに俺を殺さないことと、関係あんのか」
「殺さないのは、私が殺したくないからよ」
「なんの冗談だよ。あれだけの人を殺しておきながら」
「――――」
答えはない。
ただ、少しの間をおいてから、彼女は。
神守黒音は、俺に言った。
「――私が貴方を知ったのは、中学の時よ」
「…………は?」
「後に知ったわ。その日が貴方の運命を、大きく変えた日だったって」
中学の、時。
なんだって、そんな言葉が出て来る。
それに。
「運命を、大きく変えた、日」
コイツは、一体、なにを。
彼女は続けた。
容赦なく。妹と同じく、この身を突き刺し抉るように。
「私は貴方が、貴方の同級生を殴り付けるところを、目撃している」
どうして今更、こんな状況で、そんなモノと向き合わされるのか。
俺にはなに一つとして、理解出来るものがなかった。