第二章【20】「笑えるから」
夢を見た。
真っ暗なところで、まどろみに落ちていた。
上下も左右も分からなくて、クラクラ酔って平衡感覚もない。
それも当然、地に足がつかず、ずっと浮遊した状態で揺蕩っている。
なにがなんだか、どうしてどうだか。まったくもって、状況不明。
不意に、ふと。
ジャリと、口内に嫌な歯触りを覚え。それから塩っ辛い味わいまでもが、じりじりと広がり舌を滑って。
それをきっかけに、ようやく手足に始まり身体の感覚が戻って来た。
そうしてまぶたを開けば、人里離れた僻地特有の綺麗な星空が。視界一杯に広がる輝きの粒に、思わず感嘆の息をこぼして。
生憎、すぐさま割り入った少女の顔がそれを遮ってしまった。
「起きた?」
大きな瞳に長い睫毛。黒い髪を頬に伝わせ、首を傾げる可愛らしい少女。
彼女は視線が合わさるや否や、にこりと、いたずらっぽい笑顔を浮かべ。
「■■、起きたわ! ■■の家に匿いましょう!」
そんな風に声を上げたのだった。
その夢は、果たしてなんだったんだろうか。
手繰り寄せようにも、思い当たるものはなにもなく。
意識が浮上していく最中、夢の記憶さえ、取りこぼしてしまった。
「か……ア」
夢の余韻へ浸る間もなく、現実へと引き戻された。
耳を叩いたのは、聞き慣れた騒がしい声だ。
「ひえ~。ほんとに頭を吹き飛ばしても再生するんですねっ。半分人間で半分鬼っていいますけど、こんなの人間じゃないですよ。化物そのものですよ~っ」
「ア……ガっ」
まぶたを開く。
視界に入る、明かりの灯っていない電球。見慣れた木造りの天井。
隠れ家の室内、か。
合わせて背面の硬い感触に、自分が横たわっていることに気付く。
どうして?
思い返すも、記憶が定かでない。一瞬で視界が真っ暗になって、気付いたら倒されていた。なにが起こったのか、まるで分からない。
両手を床に付き、重たい身体を座り起こす。
「……お前、っ」
再び対面した少女、神守真白。
神守は隠れ家の外に立ったままだ。大きく破壊され穴を開かれた入口の向こうで、俺を見下ろし笑っている。
いつもと変わらない笑顔を、飄々と浮かべている。
「……神、守ッ。……ガ、ゴ」
突如、膨れ上がった嘔吐感。
思わず喉を開けば、真っ赤な血反吐が撒き散らされた。
けれど痛みも傷も、すぐさま修復される。吐血する程の異常は、その要因を明らかにしないままに消え失せる。
鬼の血が回復力を向上させている。
しかし、それだけでは終わらなかった。
「あ?」
胸の奥、心臓の鼓動が高鳴る。
加速する拍数に血の巡りが勢いを増し、血流に含まれた力が活性化される。
気付けば手足の指先から、黒い泥が溢れ出していた。そこから徐々に腕が、半身が、鬼血によって覆われていく。
「なんで、勝手、に?」
「おお~、それが噂に聞く鬼血ってヤツですねっ。直接見るのは初めてですけど、気持ち悪いですね~」
「なに、を」
神守の表情は変わらない。
彼女は笑顔を崩さない。
「ん~。先輩は状況把握が遅いですねぇ~。お姉ちゃんの時もですけど、動揺すると動きも思考もストップしちゃうみたい。だめだめですね~」
「なにを、言ってやがる」
どういうつもりだ。
「こんなに隙だらけで殺し放題な先輩を相手に、お姉ちゃんはちょっと加減が過ぎますよね。ま~真白も殺しておきながら殺せていないので、同じなんですけどっ!」
「……神守」
「頭がダメなら次は心臓がベターでしょうか。鬼の血ってことは、血を流す臓器を狙って間違いないですよね? あ~でもでもっ、間違いもなにも正常じゃない相手に正解なんて用意されているかどうかも怪しい話で」
「神守ッ!」
叫ぶ。
平然と話を続ける彼女を、呼び止める。
それ以上話すな、進めるなと。
「なにを笑ってんだよ、神守!」
頼むから、そこで止まってくれ。
やめてくれ、と。
――神守は。
「そんなの、決まってるじゃないですか」
神守は笑顔のまま、ゆっくりと右手を突き出して。
一瞬にして。
その右の手のひらに、大きく無骨な黒塗りの銃器が握られた。
なにもない場所から、凶器が取り出された。
「――あ」
知っている。
その芸当は、彼女の姉の。
敵対する、神守黒音の――。
「なんで笑うかって、笑えるからですよ」
彼女は、言った。
「片桐先輩があまりに間抜けで、滑稽だからですよっ!」
「ッ!」
同時に、開かれた銃口が火花を散らす。
撃ち放たれたのは、小さな鉄球だ。鉄砲玉より遥かにサイズのある、大振りの弾丸。
「ふざけ――ッ!」
咄嗟に右手を突き出し、硬化した拳を打ち合わせた。
サリュたち魔法使いの一撃や、アヴァロン騎士たちの大剣とは違う。ただの弾丸であるなら、鬼血は易々と弾くことが出来る。
だが、ただの弾丸ではなかったとすれば。
「ドっカ~ン!」
神守のふざけた擬音が耳を掠める。
そして鉄球が拳の甲へと触れた、次の瞬間。
「――――!?」
甲高い炸裂音が鼓膜を破り、真っ赤な爆発が開かれた。
右腕を呑み込む火炎と硝煙の渦。痛みなど伝わる間もなく、激熱が溢れ骨肉が弾ける。
痛覚、視覚、聴覚。全てが大きく震わされ、世界が真っ白に潰された。
「――ッッッツツツ!!?」
声にならない叫び。
ようやく取り戻した感覚が訴えて来たのは、熱さだけだった。
ただひたすらに熱い。
熱い熱い熱い、熱イ熱イ熱イ!!!
「ッッッッッツツツツツアアアアアア!!」
堪らず左手で熱源を抑え込んだ。
右腕は肘から上が消失して煙を上げている。焼け爛れた肉の奥から血の塊がドロリと溢れて、俺はただ必死に、その流出を手のひらで抑えた。
遅れて、傷口に紫電が迸る。
骨が、筋肉が、皮膚が、重なり合わさって再生されていく。
人間を越えた治癒能力が、散り散りにされた細胞までもを修復していく。
だが、それを最後まで見過ごす相手ではなかった。
「それじゃあ次ですっ。もう一発ドカンと行きましょうっ!」
「ッ!!!」
一切の容赦はなく、再び打ち出された鉄球。
未だに白んだ視界で距離感は掴めず、避けることなど到底不可能。ただ咄嗟に、残った左腕を突き出すことしか出来なかった。
打ち合わせた手のひら。
硬化した筈の左腕は、けれどまたもや、肘から上を吹き飛ばされるに終わった。
「ガ、アアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
今度こそ、喉を晒して痛みを叫ぶ。
堪え切れず、近くにあったテーブルへ倒れ込んだ。
当然配慮など出来る筈もない。机上に置かれていたタブレットや通信端末諸共、乱暴に床板へと転がり込む。
朦朧とする意識の中、神守が余計に笑い声を上げるのが聞こえた。
「アアアアア、ァァァ……っ」
そして気付く。
店内に、誰の姿もない。
テーブルやカウンターに様々な機材を残しておきながら、誰一人として居ない。ここでサポートしている筈の、百鬼夜行の人たちが、誰も、誰もッ。
なんで、なんでッ!
「なんでだッ! なんでだァァァアアアアア!」
なんで誰も居ないんだ!
なんで鬼血で防げないんだ!
なんで、なんで神守が、俺に銃を向けるんだ!
「う、ウアアアアアア、オオオオオオオアアアアアアアアアアア!!!」
額を貫く痛み。
沸騰する血流を抑えられないッ。
「アアアアアアア■■□■アアア■アア!!!」
疑念を、動揺を、全てを怒りが潰していく。
なんで、なんでなんでなんでナンデナンデッ!
何故だ何故だ何故だ何故ダ何故ダ!
知ラネェヨ! ナニモ、分カラネェ!
ダカラ全部壊シテヤル!
全部メチャクチャニ潰シテヤル!
「ッッッソレデ、イインダロウガアアアアアアアアアアアア!!!」
ソウスレバ、全部綺麗ニ解決ダロウ――。
「――――ガ?」
だが、その時だった。
昂る心音が、突如として静止する。
「――――――――ア?」
痛み。
見下ろせば、胸元に長大な杭が。
黒い鉄杭が、身体を貫いていた。
それも丁度、胸の中央やや左。
まんまと、心臓の位置を、貫通して。
「軍用ピストルグレネード、それから大鉄杭。入手するの結構大変だったんですからねっ。お姉ちゃんはチマチマした豆鉄砲で加減するのが主義みたいだけれど、真白は問答無用です。頭や心臓を一発でドカンっ、と。その方が簡単じゃないですかっ!」
「ガ、ア……」
神守の右手に握られている獲物が、彼女の言った通り、巨大な黒塗りの杭へと変わっている。彼女の身の丈程はあろうかって凶器が、俺に突き立てられてるのか。
そりゃあ心臓も一発だ。グレネードやらってのと同じで、鬼血も軽々凌ぐときた。
「……クソ、が」
クソっ。
クソクソクソクソクソクソクソッ!
「う~ん。鬼の血ってだけあって、やっぱり心臓への一撃は有効みたいですね。だけど、死にはしないっと。こうなると次は一緒に脳も潰すくらいしか思いつかないんですけど、それでもやっぱりだめなんですかねぇ~?」
もう一投の鉄杭が、腕を引いて構えられる。
宣言通り頭部へと、標準が絞られる。
避けれるか? 駄目だ、手足が震えて力が入らない。血の勢いもまるで収まって、硬化さえまともに出来ない。
成す術が、ねぇ。
「神守ッ、神守神守神守ッツツツ! テメェェェエエエエエエエエエエエ!!!」
叫んだ。
喉が痛み裂ける程に、絶叫した。
だが、届けたところで意味がない。
神守は、口元を歪める。
「それじゃあ、試してみますね――っ♪」
今一度、振り投げられた大杭。
指を離れ、直進し、頭部へと一気に迫り。
「ッ!」
けれど、衝突の直前。
――甲高い発砲音が響き渡った。
――合わせて杭の先端に、小さな火花が散らされる。
「な――ッ」
咄嗟に、僅かに顔を左へと背けた。
すると、ほんの少し軌道の逸らされた切っ先が、右頬を削るに終わる。
そして空を穿った鉄杭は、背後の壁へ深々と突き立てられた。
「……なに、が」
今のは、一体?
その疑念に応えるように、神守が俺から視線を外した。
方向は同じで、しかし、俺の後方へと。
「ん~。遅刻な上に、どういうつもりなのかな~」
神守は、笑った。
猫撫で声のままに、想定外を楽しむかのように。
満面の笑顔を浮かべたまま、現れた彼女を呼んだ。
「こうして直接会うのは半年振りだね、――黒音お姉ちゃ~ん♪」
振り返れば、虚実ではなく。
黒いスーツを纏った少女が、右手の銃を構えて立っていた。