第二章【18】「全部、終わらせてからだけれど」
話は少し前に遡る。
俺と姉貴と中居さん。三人病院の地下で情報を交換していた時だ。
神守黒音を無事捕まえ、もう一度会わせて欲しい。そういった中居さんに、姉貴は交換条件を出した。
姉貴曰く、必要経費。
神守黒音を出来る限り無事捕獲する為に、彼女に関して握っている情報を全て提示すること。そしてその中には、持病や傷といった弱点も含まれている。実行されれば死に繋がる内容も含めて、包み隠さず話せという条件だ。
「当然、弱点は無事捕獲する為に必須だ。例えば右目が見えて居なければ右から徹底的に攻撃し、隙を作りやすい状況に追い込む。心臓が弱いのであれば、それは極力狙わない。致命的な弱点は避ける方向でいこう」
「極力狙わない、避ける方向、ね」
中居さんが肩を落とし、眉を寄せて笑った。
姉貴が強調したその意味は、俺にも分かる。
「分かっていると思うが、彼女が想定以上の抵抗や脅威的な手段を行った場合は、諦めて貰う。私は神守黒音の弱点を共有し、即座に制圧を優先する」
「分かってるよ。僕だって巡り会えた彼女が千人の命を握っているなら、彼女を殺めて涙を流す。了承しておいてくれということなら、了承しよう」
ただし。
続けて、中居さんは姉貴を見る。いつものくたびれた表情のまま、覇気のない声で、それでもはっきりと口にした。
「悪いけど、了承していたからといって、黒音を殺した奴を許せる保証はないよ」
「っ」
姉貴の態度は変わらない。なにも応えず、真っ直ぐに見つめ返すばかりだ。
委縮したのは俺だ。
中居さんの言葉で、今一度理解してしまった。
中居さんは育ての親であっても家族であり、黒薔薇の少女はその感情を受けている。俺たちはそんな少女と戦ってきて、これからも相対する可能性があるんだ。
果たしてそれを呑み込み、戦うことが出来るだろうか。
殺めろと命じられて、それが最善だと知っても、選べるだろうか。
「まー僕もこっち側の立場だ。仕方のないことは仕方がない。了承もしたし、それじゃあ情報を共有しようかな」
後ろ頭を掻きながら、簡単に次の話へ移る。
投じられた楔が重く足に絡まるが、今は彼の話へと向いた。
「まず黒音の戦闘力だが、裕馬君は戦ったんだよね。かなり素早く洗練された動きだったと思うけれど、どうかな」
「そう、っすね」
実態に自分が戦った感触は薄いが、サリュやアッドと戦うところは見ていた。中居さんの言った通り、素早い動きが特徴的だといえるだろう。
サリュの魔法を何度も躱し、アッドに追随するスピード。正面から立ち会って戦える戦士は、そう多くはないだろう。
「速度だけなら第一級、第二級レベル。あとは戦闘方法も、かなりスピーディーで特殊だ。主に銃火器を使い回して、魔法防壁を使ったサリュを何度か退かせていた」
特殊というなら、彼女が武器を切り替える挙動。
黒薔薇はなにもない空間から、突如として銃やナイフを取り出していた。代わりに手放した武器も、どこか虚空へ消えていたように思う。
武装の瞬間移動。それこそ、炎や雷を生み出すサリュたち魔法使いのような。
「それは、初耳だね。あの子が銃やナイフといった兵装に興味があるのは覚えがあるけれど、そんな手品みたいな芸当は出来ない筈だ」
どうやらアレは、中居さんの預かり知らない手法らしい。
だがそれに関しては、姉貴が声を挟んだ。
「私は心当たりがある。聞くが暮男。黒薔薇の格好はお前のアイデアかなにかなのか?」
「いや、あの格好についても僕は知らない。多分、僕や真白の元を離れた後に手に入れたモノだろう」
「なら恐らく、彼女の装備は異世界のモノ。もしくは異世界の技術が転用されている」
なるほどそれなら説明が付く。
正確には、説明が付くというか、そう言われると納得せざるを得ないというか。
「丁度技術の流用が問題になっているところだ。愚弟は今朝の作戦会議で聞いていたと思うが、現在その件でアヴァロン国の連中が血眼になっている」
「なんか言ってたな。その所為でこっちに手が回らないとか」
「結局、行き着くところは同じだった訳だ。これを出汁に応援を要請したいが、まあどの道自分たちで解決しろと跳ねられるだろうな」
大きく息を吐く。
その後、姉貴はその装備について続けた。
「愚弟やアッドの情報では、黒薔薇の仮面にライダースーツのような格好。恐らくはそのスーツが異世界のモノだ。ちょっとした流行りのモノでね。なんでも衣服が異空間と繋がっていて、そこに物を仕舞って持ち運ぶことが出来るらしい」
つまり武器は虚空から手のひらに取り出していたのではなく、スーツの機能で造られた異空間から取り寄せていたってことか。
どの道、魔法と変わらない。とんでも異世界技術だ。
「だけど私の知る情報のソレは、大きなデメリットがあってね。異空間に収納した物品の重さが、全て衣服に還元されるらしい。機能性を追求した結果、せっかく作り出した異空間が完全に衣服と密着しているとかなんとか。まったくどういう構造か意味が分からないが」
同じものを使っているなら、おかしい。
あれだけの装備を持ち替えていたのだ。相当の重量が考えられ、高速で動き回れる筈がない。
「いや、可能だ」
しかし、中居さんがそれを肯定した。
「あの子は、それを可能にする物を持っている」
中居さんは言った。
――神守黒音は、神具と呼ばれる物を保有していると。
病院を出る間際。
先導するサリュへと、一つ尋ねた。
「サリュは神様ってどう思ってる?」
「神様?」
サリュは人差し指を唇に当て、少しの間押し黙る。
白衣からいつもの黒いワンピースに着替え、魔女っ娘の帽子を被っている。
着物姿にドギマギさせられていたからか、普段の格好に少しだけほっとする。そんな俺の安堵の表情を、何故か「また胸見てる!」と指摘されたりもしたが、それは置いておこう。
やがて返って来たのは、あくまでサリュの知識による回答だ。
「この世界の宗教的なもの、よね。わたしは、存在しない人間の上位種を在ると仮定した、いわゆる偶像崇拝だって考えてるけれど」
「サリュの世界にはそういうのは居なかったのか?」
「わたしの世界だと、それはわたしたち魔法使いよ。選ばれた者にしか振るえない力を保持した、上位の存在」
俺たちが神様に願うのと同じように、ヴァルハラ国は魔法使いに頼る。そして彼女らは実在する者として、人々に応えて来たのだという。
まるで神様が隣人のように。
この世界とは違っている。
だがそれは、妖怪や転移者たちのように、公には違っているだけだ。
この世界に来た時、サリュは俺の知識を元にしている。だから当然、彼女もそれを知り得ている。
サリュは言った。
「でも、この世界だって本当はそうなんでしょう? 神様は、在る者の総称」
「ああ、そうだ」
この世界に神は在る。
神と呼ばれる存在が居る。
それは時に妖怪であり、転移者であり、まれに人であることすらある。
サリュたちと同じだ。
「通常出来ないことが出来る存在が、この世界では度々神様って呼ばれる」
すなわちサリュが公に魔法を振るえば、彼女もまた神様に成り得るだろう。俺の鬼の力でさえも、神と呼ばれるに値する可能性もある。
……もっとも鬼の場合はそのまま妖怪とか、良くても鬼神や悪神と呼ばれそうだが。
「でも、どうしてそんな話を?」
サリュが首を傾げた。
これから戦いへ向かう彼女へ、何故こんな話をしたのか。
それは、サリュがもう一度対面するかもしれない力に、大きく関わっているからだ。
「サリュがビルで斬り裂かれたアレは、その神様の力なんだ」
神具。
中居さんから聞かされた、神守黒音が持つ力の一端。
サリュを戦闘不能に追い込む程の、常識を大きく覆すモノ。神様の持ち物と呼ばれる、あまりに強大な力。
中居さんはそれを、『肩代わりの神具』といった。
「病や傷を、触れた他者へと肩代わりさせる。痛みを移すことで癒しを与える神具だ」
曰く、古くはそれによって村の巫女が人々を病から救ったという。
時に生贄となり全てを請け負うことで。時に村人で分け合い、全員で肩代わりすることで。
人の為に振るわれ、人々に信仰を受けた、正真正銘の神具。
「それを持ってるってことは、シロの家って神様の家系ってこと?」
「まあ神守って名字なくらいだからな。文字通り、神様を守って来た巫女の家だったんだと」
「だった?」
「残念ながら、神守たちが幼少期の時に神社が取り壊されたらしい」
信仰も失われ、残された社も壊された。
残された神具だけが、彼女の手に残された。
それが黒薔薇――神守黒音の力となっている。
「伝えたいのは、そういうからくりがあるってことだ」
「なるほどね。じゃあ、今度は彼女に触れないように戦うわ」
「……お、おう」
まあそういう話ではあるんだが。
あまりにあっけらかんと応えられるものだから、少し面喰ってしまう。
視線を合わせる彼女は、澄ました表情のままだ。疲れや傷を一切感じさせない。
「大丈夫、なのか?」
けれど着替えたいつものワンピース姿には、隠せない肩口の包帯が覗いている。サリュはまだ全快じゃない。
そして今度の戦いに、俺は一緒に望めない。彼女と離れなければいけない。
ああ、だけど。
「大丈夫よ、ユーマ。わたしを信じて」
そう言って、サリュはにこりと歯を見せた。
いつもと変わらない、真っ直ぐな笑顔で。
もっと強くなると言った先程と同じ、力強い表情で。
「……ったく」
大きく息を吐く。
まったく、とんでもないヤツだ。
「……凄いバイト初日になったな」
ふと、そんな話を振る。
言われたサリュも苦笑した。
「ほんとにね。着物もズタズタで血塗れになっちゃったし、チユに謝らないと」
「まーでも、これだけの一大事だ。しっかり解決すればそれなりに貰えるだろうし、金銭的問題はなんとかなりそうか」
「そうね。それじゃあユーマ、全部終わったら焼肉に行きましょう!」
「そういう話は戦いの前にするな」
死亡フラグだ。
「しかもサリュの胃袋で焼肉なんて冗談にならない。せっかくの報酬も使い潰して、散財コースまっしぐらだぞ」
「あら、わたし知ってるのよ。この世界には食べ放題っていうシステムのお店があるんでしょう?」
「おいおい誰だ、そんなこと教えたのは」
「今朝掃除を教えて貰いながらシロに聞いたわ。食費に困ってバイトを始めたって言ったら、是非どうだーって」
「あいつめ、余計な知識を与えやがって」
それじゃあ店が潰れてお終いだ。
サリュは単なる大食いとは違うんだぞ、神守。
「あとは賞金が出る大食いチャレンジとか、あるんでしょう? ふーどふぁいたーっていうらしいじゃない」
「いやいやいや」
国を守る第一級の戦士様が、兼業でフードファイター?
悪い冗談にしか聞こえない。
「でも、やっぱりわたし、まだまだ知らないことばかりよね。戦いだけじゃない、もっと沢山学ばなきゃいけないわ」
――全部、終わらせてからだけれど。
そう言い終えるや否や、病院の玄関を潜り抜ける。
外では妖怪たちが慌ただしく動き、何人かは向こうへと駆け出して行った。ふと見えたリザードマンの背中も、ビル群の合間へと走り去り隠れてしまう。
時間だ。役目を果たさなければいけない。
「……じゃあ、行くか」
「ええ。気を付けてね、ユーマ」
「こっちは後方支援だっての。サリュの方こそ、気を付けろよ」
「ええ、任せて」
話はそれで、一旦終わりだ。
後はサリュの言っていた通り、全部終わらせてから。
「風よ!」
「っ!」
サリュが魔法へ宙へと浮かび上がる。
合わせて俺も、彼女に背を向け隠れ家へ走り出す。
互いに求められ、与えられた戦場へ。
俺たちは真っ直ぐに向かった。
そうしてサリュと別れ、一人隠れ家へ向かう。
身体強化。鬼の血を活性化させ、能力の向上した身体で街を走る。
あらかじめ姉貴に教えられていた、人通りの少ない裏路地のルート。建物と建物の間、狭く暗い通りを潜り抜けていく。
誰の目にも止まらず、悟らせることもしない。
「――――」
ふと、路地の隙間から、広い通りが視界を過ぎった。
行き交う賑やかな人の群れは、すぐ間近を通り抜ける俺に見向きもしない。鬼という異常が潜むこの現状を、まるで感知出来ていない。
俺にはそれが、少し恐ろしい様に思えた。
今朝この北地区に在るビルで、あれだけのテロが起こされたっていうのに。情報操作がされているとはいえ、爆発のことも、何十人もの死傷者も報道されている筈だ。
なのに当たり前のように、いつもと変わらない日常の中を歩いている。
すぐ傍の異変にさえも、こんなにも無知で。
「……っ」
言いようのない感覚に、胸の内がモヤモヤする。
けれど、そんな気付きを上書きするように、ポケットのスマホが着信音を鳴らした。
「姉貴か?」
一旦足を止め、スマホを確認する。
すると意外にも、通知相手は神守だった。
「……いや」
意外なんてことはないか。
通話ボタンに触れ、スピーカーを右耳へかざす。
「もしもし、どうした?」
『あ、先輩っ! よかったです~っ! ヘッドセットの方に繋げたら違う人が出たので、もしかしたらって! 本当によかったですっ!』
「あー、そうか」
そういえば知らぬ間に手元を離れていた。
まったく覚えがないが、多分病院に着いた辺りで姉貴に渡したんだろう。それから向こうの作戦に参加する誰かに渡ったみたいだ。
『お怪我はありませんか? ニュースも凄いことになってますし、真白自身、先輩から色々聞いてますし』
「まあ無事だよ。丁度今そっちに手伝いで向かってる最中なんだ」
『隠れ家にですか?』
「ああ。人手、足りてないだろ?」
『そう、ですね。つい先程増員の方々が到着されましたけど、十分とは言い難いです』
「雑用程度にしかならないだろうが、使ってくれるとありがたい」
『そ、そんなそんなっ! 男手がまったくないので、凄く助かりますっ! 色々運んで下さいっ!』
「お、おう」
本当に雑用を頼まれるようだ。
まあその為に行くんだから、文句はないが。
「色々募る話も、その時にするよ」
こっちも色々と聞きたいことがある。
そう思っていると、神守の方から提案された。
『でしたら、隠れ家に着く前に連絡を貰っていいですか? お店に入る前に、出来れば外でお話がしたいな、と』
「……二人で、ってことだよな」
『はい。だめでしょうか?』
「いや、そっちの状況が大丈夫ならいいけど」
むしろ好都合なくらいだ。
大勢の前では話しにくいこともある。
それは恐らく、神守も同じ筈だ。
『分かりました、抜けれるかどうか聞いておきます! それじゃあまた、お電話お願いしますねっ!』
通話を終え、再び走り出す。
神守の姉、神守黒音について。どう切り出すべきかと迷っていたが、案外スムーズに話せそうだ。
育て親の中居さんじゃない。双子の姉妹だからこそ、知っていることもある筈だ。
俺は一層足を速め、隠れ家へと向かった。