第二章【17】「今はただ噛み締める」
同じ五階の五一六号室。
五階の端に位置する、半透明なバリケードで閉鎖された場所。通常立ち入ることの出来ない隔離された区画の一室だ。
そこに、リリーシャ・ユークリニドが居る。
一週間前の事件で打ち倒され、気を失った後、ここへと運び込まれていた。
単純な傷や消耗に加え、戦いの中で左腕を失っている。状態はかなり悪く、なんとか一命を取り留めたらしい。
それから今までの間、彼女は一度も目を覚ましていない。
バリケードを前に、ナースから声を掛けられる。名前を尋ねられたので応えると、身内ということで通行の許可が下りた。
「み、身内?」
「はい。片桐リリーシャさんのお部屋でお間違いありませんよね?」
「あー、はい。間違ってないっす」
色々と突っ込んで問い詰めたいところだが、病院側に罪はなかろう。通して貰えるならそれで構わない。
もう一つ、一応聞いてみれば、案の定。
「サリーユさんですか? 来ておられますよ。サリーユ・アークスフィアさん。特別面会の許可が下りている方ですね」
「やっぱりか」
ナースに頭を下げ、隔離区画の中へ。
そうして少し歩けば、すぐに目的の五一六号室だ。
番号を確認し、開かれた扉から中を覗き込む。
他と変わらない、四角い真っ白な個室。大きなベッドと、その隣に小さなタンス。あとは来客用の丸椅子が置かれているだけの、殺風景な部屋だ。
そこでベッドに横たわる少女。小さな身体を沢山の管に繋がれ、今尚静かにまぶたを閉じている。異世界から転移して来た、魔法使い。
そして少女の傍に立ち、その姿を眺めるもう一人の魔法使い。
いつもと正反対の、真っ白な白衣に身を包んだ彼女が。
「サリュ」
呼ぶと、サリュは小さく肩を震わせ、ゆっくりとこちらを向いた。
驚いたように目を丸めて、それから眉を寄せる。くしゃりと、笑ってみせる。
「……ユーマ。見つかっちゃった」
「なんだ、隠れてたのか?」
「そういうつもりはなかったけれど。ごめんなさい、探させたわよね」
「まあな。っても、ここに居るかなとは思ってた」
「そう、なんだ。ちょっとびっくり。わたし、ここへ来るのは今日が初めてだったのに」
「それも聞いてたけどさ。同じ病院で、おまけに同じ階で世話になったんだ。ここまで来ちまったら、ついでに覗いてみるだろ」
なにより、ずっと気になっていた筈だ。
ここまで近くに来て、無視できるとは思えない。
たとえ拒絶されていたとしても、今までの関係をゼロにすることなんて、簡単には出来ないだろうから。
「あー。それで、実際来てみてどうだ?」
「そうね、どうとも。予想していたより顔色が悪いこと以外は、オトメに聞いていた通りよ」
確かにと、改めてリリーシャを見る。
静かに眠る彼女の額は、真っ白で血の気が引いている。頬も少々痩せこけ、唇の色も青褪めているようだ。
サリュは小さく息を吐いた。
「起きてわたしが来ていたって知ったら、リリはどう思うかしら。やっぱり怒るかしら。馬鹿にするな、見下すな、って」
「どうだろうな」
「どう、なのかしらね。わたし、リリのことはあまり知らなかったみたいだから。本当はどんな感じで反応するのか、まったく見当が付かないわ」
ずっと騙されていた。ずっと隠されていた。
だから知らない。
サリュは真っ直ぐに、眠るリリーシャを見つめる。
「って、だめね。まだ引き摺っちゃってるみたい」
すぐにぱっと、こちらを向いてみせる。
サリュがそうするのであれば、俺も踏み込むことはしない。それはきっと、彼女が向き合うべき問題だろうから。
「そういえば、ユーマ。リリの名前、片桐リリーシャになってたわ!」
「お、おう。その件か」
「驚きよね。本当にオトメと結婚したなんて」
「正式かは分からねぇぞ。言ってるだけかもしれねぇし」
てか法律的には完全にアウトだ。
だっていうのに、多分書類とか手続きがゴリ押しで改ざんされている。病院の登録やら、恐らくは住民登録なんかもだろう。
しかしこの一見笑える冗談が、今後のリリーシャの立ち回りを大きく左右する。公式的ではなくても、そういう空気や流れを作って、勢いで乗せてしまうつもりだ。
一体この子になにを求めているのか。なにを狙っているのか。
「ね、ねえ、ユーマ」
「おう、どした?」
「その、つ、つつつつまりこれって、リリもわたしのお義姉さんになったってこと、よね? 姉方のパートナーだもの、そうよね?」
「……そうなる、かな」
顔を真っ赤にたどたどしく尋ねられ、返答に詰まってしまう。
まったく。こんな状況だってのに通常運転ってのは、抜けているような、頼りになるような。
「んなことより、サリュ」
「そんなことじゃないわよ! 大切だわ! リリと親友から家族になるのよ! はっ、もしかして親友の縁を切られたのも、そういう未来を読んでのことだったのかしら?」
「あー、じゃあそうだな。大切な話だから、後でじっくり話そう。ほら、本人もまだ起きてないことだし、な?」
「そ、そそそそうよね。わたしとユーマもまだ、その、全然進んでないわけだし。ま、まずはわたしたちの関係よね」
コホンと大きく咳払い。
意外にも、サリュも関係性が進まないことを気にしていたみたいだ。それはちょっと詰めたい話だったが、呑み込み後にする。
今はとにかく、確認しなきゃいけないことが山ほどある。
「それで、サリュ。まあ今更な感じはするんだが、体調は大丈夫か?」
「そうね。そこそこ回復したわ」
「そのそこそこのラインを詳しく頼む」
「詳しく。んー、割合的に数値化するなら、六十パーセントくらいかしら?」
「本当にそこそこだな」
元気そうではあるが、万全には遠いらしい。
「傷は塞いで貰えているし、魔法による自然治癒力の向上も順調よ。抜糸、っていうのかしら。多分、明日にはそれが出来る筈よ」
「じゃあ今日はまだ安静にしておいた方がいいな」
「でも、それで大丈夫なのかしら。事件は全部解決したの?」
「……いや、まだだ」
そうだな。まずは事態について説明した方がいいのかもしれない。
「話すよ。サリュの部屋に戻ろう」
眠った病人の隣で騒がしくするのは、あまり良いことではない。
提案にサリュも頷き、俺たちはリリーシャの元を後にした。
サリュの病室にて、事のあらましを全てサリュへ伝える。
テロ事件の結末、被害状況、一夜百語、がしゃどくろ。
それから黒薔薇の正体、神守黒音。神守真白の双子の姉にして、中居さんの養子。
話を終えると、サリュは右手で左の肩を撫でた。白衣の下には、包帯で覆われ傷口が閉じられている。
その傷を刻んだ相手の正体に、なにを思っているのか。やがて彼女は、ごめんなさいとこぼした。
「なんで謝るんだよ」
「わたしの慢心が招いた結果だもの。わたしがしっかりしていれば、被害は防げたかもしれない」
「そんなこと……っ」
ない。とは、言えなかった。
サリュの魔法があれば、もう少しマシな結末は十分に有り得た。
少なくとも、目の前に居た人質たちは助けられたに違いない。最悪を引き起こしたがしゃどくろも、あの場で倒せた可能性だってある。逃げた連中も、あと何人捕まえられたことか。
サリュが居れば。……いや、サリュが居たのに。
その後悔は、どうしても拭えない。
サリュは右手で頭を抱え、唇を結ぶ。
「サリュ……」
「オトメは言っていたわ。容赦するな、人質を優先しろって。なのにわたしは、立ちはだかる彼らにも手心を加えていた。馬鹿みたいに加減を調整して、モタモタ時間を掛けて」
「でも、とどめを刺さないに越したことはない筈だ」
「その結果が今の被害よ。わたしの遅れで救えなかった命があった。どころか、自傷した敵に手を差し伸べて、斬り付けられて倒れた。なにも出来なかった」
だめすぎる。
後悔を吐露し、息を吐く。
けれど、不思議だった。
彼女の瞳は、未だに光を失っていない。
「ねえ、ユーマ」
真っ直ぐ俺を映す視線。凛とした瞳は、頼りのない俺を決して離さない。
何故、そんな目が出来るのか。
何故、俺に向き合うのか。
サリュは言った。
――わたしは、強くなる、と。
「強、く?」
「ええ。わたし、もっと強くなる。諦めないわ」
あれだけの力を持っていながら、第一級の戦士でありながら。
もっと強く、って。
「わたし、今までずっと、壊すことばかりだった。わたしたちの国はほとんどが侵攻する側で、適地を攻めることはあっても、守ることは少なかったの」
特にサリュ程の魔法使いともなれば、攻めも守りも最前線。敵対勢力を無力化することが、もっとも求められていたに違いない。
攻撃こそが、彼女にとっての魔法。
だからサリュは、そんな自分に余地を見出した。
「もっと色んな魔法の使い方を覚えるわ。加減も状況判断も、もっと早くもっと的確に出来るように。今度は間違えないように」
「……出来るのか」
「簡単じゃないでしょうね。でも、諦めないわ。ただ破壊するだけの兵器で居るのは、もう嫌だもの」
新しい世界に来た。転移者として、新たなスタートを切った。
同じでは居たくない。変わりたい。
簡単じゃないと、サリュ自信自覚している。どれ程険しい道のりで、困難な望みなのか。
理解した上で、それでも彼女は立ち向かう覚悟を燃やしている。
「加減はする、でも慢心はしない。もう絶対に、わたしが倒れて被害を増やすことなんて、許さないわ」
茨の道を選び、進む。
挑戦するだけの力を、彼女は持ち合わせている。
それは他でもない、サリュだからだ。
なのに。
「ね、ユーマ」
どうしてなのか。
見上げる瞳が、未だに俺を離さない。
「一緒に戦って。わたしと、一緒に」
「……っ」
言われて、たじろぐ。
そんなことを言われたって、俺には。
「……俺、は」
彼女の期待に、応えられない。
奥歯を噛み締め、目を逸らしてしまいそうになる。
と、その時だった。
「ユーマ、ここに居るか」
病室の扉が開く。
振り返れば、姉貴が立っていた。
急いで来たのか肩を上下させ、息を乱している。
「姉貴?」
「オトメ、どうかしたの?」
「っ、サリュも目を覚ましていたか。なら好都合だ。無茶を承知で頼むが、今一度力を貸して欲しい」
姉貴は言った。
「西地区の廃工場で、複数の爆発があった。恐らく、テロの残存勢力だ」
取り返しの付かないことは、終わった。
後悔も反省もままならない。
けれど事件は、容赦なく畳み掛けてくる。
西地区外れの廃工場で確認された、複数の爆発。
現場付近にカメラ等の設置はなく、立ち昇る煙から事態は発覚した。
すでに百鬼夜行の精鋭が到着しており、廃工場内部で暴れる転移者や妖怪の姿を確認している。十中八九、テロを起こした連中の残存勢力だ。
当然、それを見過ごす手はない。
病室を出て、一階の待合室へ向かう。すると誰も居なかった先程とは違い、十数人の戦闘員が立ち並んでいた。
アッドやオークたち転移者の面々も、俺たちの到着を堂々と迎え入れる。
「姉貴、いいのかよ。こんな公の場所に集めて」
「余計な心配はするな。すでにテロの被害者たちを受け入れる時点で、ここは百鬼夜行の貸し切りだ」
流石は手回しが早い。それなら姿を潜める必要もないわけだ。
姉貴は集まった面々を見回し、声を上げた。
「さて。まずは皆、よく集まってくれた。手負いの者も多い中、これだけの戦力を整えられたのは大きい。なにより、参謀は先程大ポカをやらかしたばかりの頼りない女だ。感謝する」
裏を返せば、それ以外に動ける戦力がないことを意味する。
「生憎だが、アヴァロン国の連中は未だこの件に非干渉だ。どころか貸し与えた騎士が全員戦闘不能とあって、お冠状態。それ程の状況だと推し量ってほしいところだが、ないモノは仕方ない。継ぎ接ぎだらけではあるが、動いて貰うぞ」
一同が頷きで応える。
誰も口を挟む者は居ない。ここに集まった時点で、俺たちは全てを呑み込む覚悟がある。その程度の困難など、弱気にもならない。
姉貴は続ける。現状の伝達と、打開の策を。
「これより五班に別れてもらい、五つの方向から現場へ接近する。道中、敵が移動を始めた場合に対応できるようにだ。向こうの行動に合わせ、その都度包囲を変更して展開する」
臨機応変に一網打尽。
今度こそ、誰一人として逃がさないように。
「取り戻せるモノはない。だが、終わらせることは出来る。それが私たちの責務だ。いくぞ」
頷き、一同が動き出す。
目指すは廃工場。今日を終わらせる為に、もう一度戦いの場へ。
当然、俺もそれに続くつもりだった。
しかし、話を終えた姉貴に肩を掴まれる。
「裕馬、少しいいか?」
「お、おう」
「お前には別行動を頼みたい」
「別?」
そいつは一体、どうしてまた。
「今から隠れ家へ向かってくれ。そこで作戦補佐を行って貰う」
「作戦補佐っていうと、千雪や神守がやってるみたいな感じか」
「慣れない愚弟にマイクは任せられんよ。彼女らへの繋ぎ、いわゆる雑用係だな」
「完全に下っ端じゃねぇか」
仕方がないとは思うが、悔しさに胸が焼ける。
これは遠回しな――いや、割と直接的な戦力外通告ってやつだ。
そう思ったのだが、しかし。
「まあそれはあくまで表向きだ。お前には、神守真白の傍に控えてもらう」
「神守の?」
何故。とは、聞くまでもない。
彼女もまた、今回の件に大きく関係している。
「神守黒音がテロ組織に所属している以上、神守真白が協力者である可能性もある。極小の可能性でも、それは危険因子だ。手を打っておきたい」
「中居さんの話では、連絡を取ってないって」
「いくらでも隠れてやりようはある。まあ、あの男も馬鹿ではない。簡単に出し抜かれているとも思われないが、念の為だ」
「念の為、ね」
「それに話が本当であっても、これからなんらかの接触があることも考えられる。一年近くまともに連絡を取っていないテロ組織の姉だ。なにをされるか分かったものではないだろう」
ようはどちらに対しても、いざという時の保険が欲しい。
神守が姉に協力しているなら、露見次第無力化を。姉から交渉や攻撃があった際には、防衛を。なにもなければ言われた通り、下っ端として働けばいい。
「実は千雪にも現場に向かって貰っている。代わりの妖怪や従業員が隠れ家に入っているが、千雪ほどの動きは期待出来ないだろう。単純に人手不足でもあるんだよ」
「そのフォローと見張りってことだな」
「頼めるか」
「それが俺に出来ることなんだろ」
別段戦線に拘っている訳でもない。
サリュのことは心配だが、先程話した感じなら大丈夫だろう。疲労こそあれ、二度と不意を打たれることはない筈だ。
だったら俺は俺の役目を、だ。
「…………」
一緒に戦ってほしい。
そう言われておきながら、俺は彼女の隣に立てない。
姉貴の指示に逆らう気にも、なれなかった。




