第二章【16】「危機意識が低すぎる」
お父さんは警察官。お母さんは学校の先生。
真面目で正しい、自慢の両親だった。
いつも誰かを守ろうとして、世の為人の為に自分たちの力を振るっていた。
ちょっぴり残念だったのは、その正義の多くが外側に向けられていたことだ。身内よりも、よそ様の方が気にかかる性分だったらしい。
毎日遅くまで帰って来ない日々。休日であっても電話が来ては、すぐに出て行ってしまう。映画の約束や一緒の食事も、果たせないことばかりだった。
それは私が、大切に思われていないからだ。仕事や困ってる誰かを助けることの方が、大事なんだ。なんて、子どもながらにいじけていたこともあった。
おまけに厳しいところも目立つ親だったから、尚更反発してしまうこともあった。
だけど、そんな両親が誇らしくあったのもまた事実だ。
旅行で電車やバスに乗った時は、我先にとお年寄りに席を譲ってあげたり。落とし物を見つけたら拾って声を上げたり、交番に届けてあげたり。迷子の子どもに声を掛けたり、一緒に親を探してあげたり。
何事においても、真っ先に駆け付ける両親の背中。いつだって、眩しかった。
返される笑顔やありがとうが、自分のことのように嬉しかった。
「私も大きくなったら、お父さんたちみたいに――」
父の日や母の日には、そんな手紙を沢山書いた覚えがある。
私もいつか、二人みたいに沢山の人たちを助けたい。助けられる自分になりたい。
そんな風に思いながら、二人の後ろを追い掛けて。
だけどあの日、その道筋は突如として途絶えてしまった。
私と真白、お父さんとお母さん。
四人で横断歩道を渡る。
久し振りにみんなの休日が重なって、テーマパークへ遊びに行く予定だった。
駅へ向かう道すがら、ジェットコースターに乗りたいとか、お父さんは高い所が苦手だから観覧車は遠慮したいとか、そんな他愛もない話をしていたと思う。
私も真白も浮足立ってはいたけれど、周りが見えていない訳ではなかった筈だ。横断歩道の信号は、間違いなく青色に発光していた。お父さんとお母さんも一緒だったんだから、尚更間違いない。
私たちは正しくルールを守っていた。
なのに。
「え?」
鳴り響くクラクション。
突然耳を打たれ、私と真白は立ち止まってしまった。
――今になって思えば、あそこであと数歩進んでいれば、あるいは避けられていたのかもしれない。だけど当時の私たちは、動くことなんて出来なくて。
でも、お父さんとお母さんは、すぐに私たちを突き飛ばした。
ほんの数秒しかない一瞬の中で、的確に、私たちを助けてくれた。
前のめりに倒れる身体。熱いアスファルトに膝を擦らせ、手のひらを強く叩き付ける。私と違って真白は、そのまま倒れて頬や顎を打っていたようにも思う。
ダンと、耳を通り抜けていく重たい衝撃音。遅れて遠くから聞こえてくる、もっと大きな衝突音。重なるクラクションやブレーキ音が、周囲の音を掻き消していく。
「お父さん? お母、さん?」
跪いたまま身体を起こし、後ろに振り返る。
けれどそこに、二人の姿はない。
アスファルトの地面には焼き付いたブレーキ痕があって、それから擦れた赤い線が、なにかに引き摺られたように続いていて。
その線は、追い掛けるにつれて、太く、瑞々しく、そこら中に飛沫を散らす。
辿り着いた先。転がっている、二つの塊。
私たちを助けてくれた正義の人たちは、目を覆いたくなるくらいに折れ曲がって、壊されて、色んな管がぶち撒けられて。
「いやあああああああアアアアアアアアアアアアア!」
先に叫んだのは真白だった。
「誰か、助けて! 真白のお父さんとお母さんを、助けてッ!」
訴え、叫び、響き渡る。
その声に押されて、私も喉を鳴らした。
心の底から、渇望を音にする。救いの手を喚き続ける。
もう手遅れかもしれない。なにをすることも出来ないのかもしれない。
それならそれでよかった。もう駄目だって、そう言ってくれればよかった。少なくとも私たち二人では、その答えには辿り着けないから。
道を断たれた私たちには、声を上げることしか出来なかった。
だから、誰か。誰でもいいから、助けて。
なのに、アイツらは。
「車が歩道に」「子どもの親が」「冗談だろ」
「おいおい仕事が」「誰かなんとか」「どうすれば」
「私知らない」「通りかかっただけ」「せっかくの休日だってのに」
「オイ誰か」「なにやってんだよ」「最悪だ」
「…………あ、……ああ」
誰一人として、助けてくれる人は居なかった。
お父さんたちのところへも、私たちのところへも、誰も来てくれない。なんの言葉も、道筋も示してくれない。
誰も彼もが遠巻きに、自分の都合や感想文を好き放題に捲し立てるだけ。
関わるのはごめんだと、無関係を主張するかのように。
「……あ、……あああ、……あああああアアアアアッ!」
無関係ってなんなの?
今目の前で、事故は起きているのに?
自分が居るその場所で、困っている人が、助けて欲しいって人が、泣き叫んでる私たちが居るのに?
それを目にしておいて、なにが、無関係だっていうのよ?
「なんで、なんで、なんでッ!」
こんなのおかしい。
こんなの歪んでる、狂ってる。
それじゃあお父さんやお母さんはどうして、今まで、なんの為にッ。
「こんなの、こんなのッ!」
こんなの、間違ってる。
なにもかもを失い、誰もなにも与えてくれなかった。
だから、その感情が柱になった。
こんなのは間違っている。
正さなければいけない。思い知らせなければいけない。
――お前たちは、無関係なんかじゃないって。
目を覚ました私は、すぐに指定の合流場所へと向かった。
西地区の外れにある廃工場だ。
賑わう若者の街から弾かれた、工業地帯だった時代の残滓。進歩に捨てられ取り残された、処理すら面倒な置き土産。
本来、明かりを振りまく夜のお店は全て、ここらで働いていた労働者へ向けて造られたものだったらしい。それがいつの間にか新しいものが増えていって、歳を取った人たちは付いていけなくなって。
気付けば街ごと、乗っ取られていた。
『……なんて、馬鹿らしい』
薄汚れた天井を見上げながら、そんな悲観に暮れていた。
余分な思考、雑過ぎる現実逃避。自分自身に呆れ、頭を振るう。
そうして視線を、目前の現実へと合わせた。
『……』
足元を覆う、無造作に捨てられた大量のケーブルたち。広々とした空間に、所狭しと置き去られた大きな機材の数々。車のエンジン部分のような機材が吹き曝しになっていたり、寂れた機械のアームが力無く下がっていたり。
明かりのない暗がりの中、正体不明の影は十数。
誰もが私の黒薔薇と同じように、仮面で額を隠している。
『どうやら逃げ残ったのは我々だけのようだな』
仮面でくぐもった男の声が、空間にこだまする。
汚い反響も重なって、もはや誰が口にしたのか判別出来ない。右で機械にもたれかかっている奴かもしれないし、地べたに座り込んでいる影かもしれない。
まあそんなの、どうでもいいのだけれど。
『最悪だな。どうしてこうなった』
続けて、誰かがそんなことを口にした。
最悪。
ああ、本当にその通りだ。
『何故通信が取れなくなった。連携もクソもなかったぞ』
『やっぱり無謀な作戦だったんだ』
『仕方ねェダロ。リーダーである、がしゃどくろからノ通達だゾ』
『そのリーダーが、最後の最後で滅茶苦茶にしたんだろうが!』
『姿も見せずに作戦だけ渡して来た。元々信用出来る相手ではなかった訳だが』
『ま、儂はがしゃどくろを見れただけでも満足じゃがな。右腕だけとはいえ、奴の姿を拝んだ者など、ここ数十年に居るか居ないかじゃ』
『ンダヨ、じじぃが居ンのカ?』
『そんなことどうでもいい。問題は、結局目的も達成出来ず、仲間にも民間人にも被害を』
『ハッ、なにが仲間だ。それに被害がどうだのお利口さんぶりやがって』
『ッ! 我々一夜百語は、古くから人間たちと手を取り合い!』
『その一夜百語の首領が、自ら甚大な被害を与えた訳だがな!』
『――――!』
『――!』
話し合い、などとは呼べない。
いつまでも平行線に、誰もが自分の考えや心情を叫ぶばかりだ。
元々一夜百語は、正体不明の首領に仕える妖怪組織。誰かも判らず、存在すら明らかでない妖怪がしゃどくろ。そんな見えないモノに付き従うという組織形態が、もう通用しないのだろう。
昔は随分名を馳せたらしいが、今はもう妖怪だけじゃなく、異世界からの来訪者まで受け入れている。名前だけでは渡っていけないのも道理だ。
むしろ招集に応じ、テロを引き起こせただけでも上出来と言えるだろう。
『……いいえ』
恐らくは、アレが最後の花火。
もうこの組織は、終わっている。
『これからどうすんだよ』
『さあな。元の妖怪らしく、どこかの山で隠居じゃねぇか?』
『オレたち転移者ハ、なんとか元ノ世界に戻る手段ヲ』
『それについていくってのもアリかもな。異世界妖怪とかよぉ』
『あそこまでしたんだ。お尋ね者だが、ある種自由の身ってな』
ああ、どいつもこいつも。
どうして次を考えている? 次の話になっている?
まだ今日すらも、終わっていないというのに。
『……だったら、終わらせてあげるわよ』
逃げることが総意だというなら。
なにもかもから目を背け、罪に向き合う気すら起きないなら。
全員、ここで終わってしまえばいい。
ああ。
どうしてドイツもコイツも、そうまで無関心で居られるのか。
あれだけの事件を起こして、あれだけの死を見て。
――まったく、危機意識が低すぎる。
◆ ◆ ◆
頼りない足取りで、病院内を進む。
階段を上がって地下を出て、そのまま更に上階へ。タイルを踏み締める感触はしっかり感じられるし、続く足も問題なく持ち上がってくれている。
それを頼りがないと感じてしまうのは、他でもない、自分の心情だ。
どこへ向かえばいいのかが分からない。
これまで歩いてきた道すら、不安になる。
このまま立ち止まっていることも、許されないことに思える。
「……くそっ」
サリュが傷付けられて、なにも出来なかった。
相対した黒薔薇の正体は神守の双子の姉で、神守は両親を事故で失い、中居さんが育ての親だった。
そしてサリュを傷付けたあの女を、神守黒音を捕まえて欲しいと。中居さんがもう一度会える状況を作ってほしいと言われた。
「……なん、テ」
ナンテ、面倒ナ。
殺シテクレッテ話ナラ、楽ダッタノニ。
「違う」
咄嗟に右手で額を抑える。
別段痛みがあった訳でも、なにか異物感があった訳でもない。実際、触れてもそこにはなにもなかった。
だけど今、確かになにか、違うものが。
「しまったな。それについて、姉貴に聞くのを忘れた」
先週に引き続き、今回の件について。明らかに俺の鬼の側面が、良くない作用を引き起こしている。
前に聞いた時は素知らぬフリで流されたが、これで二度目だ。さすがになにか教えてくれるだろうと思っていたが、まさか一杯一杯で聞くのも忘れるなんて。
でも、それでよかったのかもしれない。
今はそれどころじゃない。
考えることが山ほどあって、とても処理しきれない。
これからどうなっていくのか。その中で、俺はこれからどうしていくのか。
進むべき道筋はどこにあり、どこへ向かっていくのか。
「でも、んなこと、考えたって」
考えたって答えは出てこない。余計に混乱していくばかりだ。
そもそも俺は、なんの為にここに居るのか。
どうして俺は、百鬼夜行として戦っているのか。
そんなのは、サリュの為に戦った時と変わらない。
俺はこの場所を――。
「あれ?」
そこまで考えたところで、ふと、立ち止まる。
気付けば目的の場所、サリュが眠っている病室まで辿り着いていた。五階の五〇六号室だ。扉の上にプラカードがあるから、間違ってはいない。
だが、部屋の扉が開け放たれていた。
どころか、開かれた部屋のベッドに、サリュの姿がない。
「サ、リュ?」
一瞬、冷たい感覚が背筋を通り抜けた。しかしそうして思考が冷やされたお陰で、極めて落ち着いたまま状況を把握する。
部屋は綺麗に落ち着いているし、窓も閉められカーテンも掛けられている。荒らされた形跡は一切なく、サリュだけがいない。
なんらかの方法で攫われた、という可能性も勿論捨てられない。弱った彼女をこの機にどうにかしてやろうと、そういう輩が現れることは十分に考えられる。
だけど俺には、もう一つ心当たりがあった。
この病院には、あの子が居た筈だから。