第二章【15】「育て親/貧乏神 中居暮男」
階段を下りて病院の地下へ。
また地下室かと思うところがあったが、そこは流石病院だ。図書館とは違い、随分綺麗に清掃されている。真っ白で清潔感があって、正直気後れする。
今は特に気が立っているから、その整備された道が嫌だ。
道中、先導する姉貴が事件についての話を聞かせた。
「今回の件だが、世間的には爆破テロとして処理されている。先週に続いて二件連続、ということだな」
「そいつはまた、色々と憶測が立てられそうだな」
「それくらいでいいさ。結局テロを起こした連中も全員捕まえられていない。逃げた奴らが同じような事件を再度、という可能性も捨てきれないからね」
もっとも、捕まることも逃げることも出来なかった連中も多い現状だが。
姉貴が加えたその言葉に、寒気を覚える。
「姉貴。その、被害状況は」
「一般人の死者が二十一人。負傷者四十人以上。そして公になっていない百鬼夜行の人員に、死者七人。所属不明の妖怪や転移者たちは、確認出来ただけで二十人強の死亡」
そして今尚、瓦礫に埋もれた行方不明者が複数人居るとされている。
「最悪だ」
「まったくだよ」
くしゃりと、姉貴が前髪をかきあげた。
眼鏡の奥。眉を寄せ、歯噛みする横顔。
姉貴のそんな表情を見たのは初めてかもしれない。
「――――」
いや、初めてではない、か?
いつだったか、そんな顔を見た覚えが。
「なんだ愚弟。面白い顔でもしているか、私は」
「んな不謹慎なこと思わねぇよ。珍しいなと思っただけだ」
「ハッ、こんな顔にもなる。出しゃばって作戦指揮を執ってみれば、このザマときた。大失態だよ、まったく。世間様になんて言えばいいのか」
「世間に伝えないようにするのが俺たちの仕事だろ」
「冷静な指摘をありがとう。どうやら落ち着いてきたみたいだな」
「落ち着いてねぇよ」
強引に熱を呑み込むので精一杯だ。今も腹の中は、ずっと煮えたぎっている。
だけど今は、それを吐き出せる状況でもねぇ。
だから姉貴に尋ねた。
「それで。まさか被害状況だけで、それ以外なにも分かってない、なんてことはないんだろ」
「勿論だとも。敵の正体は一夜百語だよ」
「イチヤ、ヒャクガタリ?」
「一夜に紡ぐ百物語。アヴァロン国の騎士様方は、随分凝ったネーミングを付けたものだ」
一夜百語。
つまり、それって。
「向こうも私ら百鬼夜行と同じ、日本国発祥の妖怪組織ってことよ」
「んな、馬鹿な」
「統率が取れていたかはさておき、ビル一つの集団占拠だ。組織的な一団でなきゃあ不可能。それに、最後に現れたアレがなによりもの証拠だ。お前も目にしているだろう?」
最後に現れた。
建物を突き破って現れた、あの白い腕か。
「骨の腕。下の階から貫いてきた、巨大な右腕」
「アレは間違いなく、一夜百語に所属する妖怪のモノだ。いいや、所属という言い方は違うな。率いる、だ。彼らを率いる、とんでもない大物妖怪様」
姉貴は言った。
「妖怪、がしゃどくろ。日本古来から伝わる大妖怪にして、一夜百語を取り纏める首領さ」
◇ ◇ ◇
がしゃどくろ。それなりにメジャーな妖怪といってもいいだろう。
全身を骨身で組まれた、巨大な髑髏の化物。古くより物語や絵巻に描かれ、多くは敵役として扱われているイメージだ。
朽ち果てた屍の集合体。おぞましき悪霊。
そいつが、今回テロを引き起こした組織『一夜百語』の首領。
――最後にあのビルを大きく破壊し、甚大な被害を与えた張本人。
詳しく掘り下げたい話だったが、残念なことに、タイミング悪く目的地へと到着してしまった。地下の会議室、扉を前に姉貴が足を止める。
ノックを三回。
すると、どうしてか。
「はいはい、どうぞー」
「え?」
部屋の中から返って来たのは、予想外にも男の声だった。
「待たせた、入るよ」
前置きをして、姉貴が扉を開く。
部屋の中。パイプ椅子に腰かけ、長机に頬杖を付き待っていた人物。
彼は、俺が思っていたもう一人とは違う人で。
「やあ、片桐姉弟のお二人さん。揃って見るのは随分久し振りだね」
「中居さん?」
中居暮男。
もじゃもじゃ髪で顎鬚の目立つ男が、いつもの作業着でそこに居た。
他でもない、俺たちが世話になっている中居ハウスの管理人、その人だ。
「なんで中居さんがここに?」
思わず固まる俺に、中居さんは「あれれ」と頬を掻いた。
どこか気まずそうに視線を逸らし、言い淀む。
「参ったな。乙女さんから聞いてない、かな?」
「まだそこまで説明していなくてね」
意地悪そうな笑みを浮かべて、姉貴は中居さんの隣に立った。
「どうだい暮男。自分の口から、改めて自己紹介っていうのは?」
「はは、まったく。乙女ちゃんは容赦がないなあ。こんな状況で話すくらいなら、あらかじめ伝えておくべきだったよ」
けれど話さない訳にもいかないよね。後悔先に立たず、だ。
言って、中居さんも苦い笑みを浮かべる。
「いやいや」
正直、付いていけない。
姉貴は言っていた。今回の件について話すのに、もう一人居ると。その為に地下室まで移動して来た。
黒薔薇の関係者。俺はてっきり、神守が待っているのだと思っていた。
だけど実際は中居さんが居る。
どうしてだ?
なにか関係があるのだろうが、まるで思い当たる節がない。
首を傾げる俺へ、中居さんは言った。
「混乱させてしまって申し訳ないね、裕馬くん。早いとこ種明かしをしようか」
「は、はあ」
「では改めて。いつもお世話になっております、中居ハウス管理者の中居暮男です。知っての通り、妖怪貧乏神であり」
至極真面目な表情で、冗談だとは思えない口調で。
中居さんは、告白した。
「神守真白、そして神守黒音の育て親をやらせて貰っています」
「え?」
育て、親?
神守真白と、神守黒音?
「だからね、詳しく話して欲しいんだ。君が相対したという黒薔薇、神守黒音について」
「黒薔薇、神守黒音についてって、言われても」
「理解が遅いぞ愚弟。そういうことだろう」
「いや、いやいやいや。簡単に言うけどよ」
ふざけんな姉貴。簡単に言いやがるが、すぐに抵抗なく呑み込める話じゃねぇよ。
唐突なカミングアウトに、思考回路が混線する。それを一つずつ声に出しながら、ゆっくりと整理し理解していく。
「黒薔薇の正体は、神守黒音。神守の家族、なんだよな」
「正確には、真白の双子の姉にあたるね」
「双子で、姉」
そんな話、聞いたこともない。
いや、それを言うなら、神守の家族構成なんて気にしたこともなかったか。聞いたことがない以前に、彼女のことなんてなにも知らないじゃないか。
双子の姉妹、神守黒音と神守真白。
ああくそっ、道理で仮面の下の面影が被っていた。髪色も目付きも雰囲気も違っていたのに、重なって見える訳だ。
ようやく点と点が繋がり、納得する。
「それと、中居さんが育ての親」
「ああ。神守姉妹は、僕の養子の子だ」
後ろ頭を掻きながら、難しそうに眉を寄せる。
中居さんは言いにくそうにしながらも、説明を加えた。
「彼女らの両親と僕は、古い付き合いがあってね。それなりに仲が良かったんだ。けれど三年前に、交通事故で亡くなってしまって。その折に僕が引き取ったんだ」
とはいっても、ほとんどが書類上の関係だったらしい。
「僕は貧乏神だからね。同じ屋根の下ってのは、あまり良くない。だから二人には別に家を借りて貰って、金銭的な援助をしていただけさ」
仮にも親権を貰っておきながら、父親らしいことはなにも出来なかった。
言って、自嘲気味に笑う。
「僕がそんなだからだろうね。真白は明るく元気に育ってくれたんだけれど、黒音は次第に離れていった。一年前程からは、行方までくらませてね」
借り家に帰ることもなく、妹の真白とすら連絡を取らない。
そして丁度その一年前、同時期に現れたのだという。
黒薔薇の仮面を被った、女性のテロリストが。
「表向きも裏向きも、正体不明の存在だ。調べたってなんの情報も出てこないし、足取りを追うことも出来ない。だからもしかすると、程度にしか考えられなかった」
だけど今日、姉貴から連絡が渡った。
俺がその黒薔薇の顔を見た、と。
その顔から神守真白を想起した、と。
「あの子は、黒音はまだ街に居るかもしれない」
今一度、中居さんと視線がかち合う。
信じられないような話だけれど、間違いなく、冗談の類ではない。
それが黒薔薇の正体。
神守という後輩の、知る由もなかった真実。
「勿論、もう遠くへ逃げてしまった可能性もある。だから、君たちがこれから追うであろう残存勢力を発見した中に、黒音が居たならでいい。もう一度、彼女に会ったなら」
中居さんは、頭を下げた。
「頼む。黒音を無事、捕えて欲しい。もう一度、僕と彼女を会わせて欲しい」
それがどういうことなのか、分からない人ではない。理解した上で、俺たちに頼んでいるんだ。
どんな状況であろうとも、生きて捕縛を。
他でもない自分と、彼女の為に。
「どうか、お願いだ」
俺には応えられなかった。
なにも知らなかった俺は、とても選択出来る状況にない。なにを選ぶべきなのか、その為になにを考える必要があるのか。まるで手が付けられない。
俺は俯き、押し黙るだけだ。
答えを持つのは、俺じゃない。
姉貴は――。




