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relate -異世界特区日本-  作者: アラキ雄一
第二章「黒薔薇の仮面」
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第二章【14】「暗雲の中で」

 

 それは覚えのない情景だった。

 沢山のビルが取り囲む街道。広々と開かれた、十字の交差点。


 その真ん中で、男女が横たわっている。二人とも明るくお洒落な衣服を着ているけれど、引き摺られて千切れていたり、赤い血痕が散らされて散々になっていた。

 当然、本人たちも見るに堪えない。手足があらぬ方向に曲げられ、鮮やかな管がこぼれ出して。間違いなく、生きてはいない。

 近くのアスファルトに焦げ付いたブレーキ痕があるから、交通事故だろう。


 やがて少しずつ、周囲が騒がしくなっていく。

 動揺、悲鳴、混乱、怒声。

 様々な感情が入り乱れ、犇めき合って伝達されていく。


「車が歩道に」「アクセルとブレーキを」「車はペシャンコで」

「二人が子どもを庇った」「子どもの親が」「冗談だろ」

「おいおい仕事が」「誰かなんとか」「どうすれば」

「私知らない」「通りかかっただけ」「やべえモン見たな」

「こっちから行こう」「せっかくの休日だってのに」「うわああああああ」

「ヤバイヤバイヤバイ」「本物? 本物?」「死んでるぞ死んでる」

「カメラとか」「オイ誰か」「なにやってんだよ」「最悪だ」


 ――お父さん、お母さん。


 雑音たちに潰されてしまいそうな、ほんの小さな呟き。

 けれどそれが、はっきりと聞こえた。


 ――誰か。

 ――誰か、助けて。


 倒れた二人に歩み寄る小さな影。

 銀色の髪を結った、日本人離れした風貌の少女が、血だまりへ向かっていく。

 それを止めようと手を伸ばして、その指先が届かなくて。

 俺は、いいや、私はどうすることも……。




 ◇   ◇   ◇




「起きろ愚弟」


「っ、が」


 呼ばれて、意識が覚醒する。

 身体がビクリと震え、慌てて腰掛けたソファーに両手を着いた。合わせて上半身が仰け反り、頭を壁に力強くぶつけてしまう。

 ぐわんぐわんと浸透する頭痛で視界がぼやけるが、姉貴が呆れて溜息をこぼすのは分かった。


「まったく。疲れているなら横になったらどうだ? 休める時に休まないと損だぞ」


「そう、かもな」


 後ろ頭をさすりながら、数度まばたきを繰り返す。それでようやく、視界と意識がしっかり繋がった。

 辺りを見渡し、息を吐く。

 ここは病院の待合室だ。目前には五十席以上の椅子が並び、席に着く人たちが十人程度。更に向こうの受付カウンターには、慌ただしく動き回る看護師たちが見える。


 丁度、受付に置かれた時計で時間も確認する。

 表示された時刻は、十六時十分過ぎ。


「おいおい冗談だろ?」


 病院に来たのが十二時前で、それから四時間も経ったのか。

 ここへ来てなにをしていただろうか。一体いつから待合室に居て、眠ってしまっていたのか。思い出そうにも、記憶が曖昧だ。

 混乱し俯く。なにをやっているんだと吐き捨てる。

 すると、どういう風の吹き回しか、姉貴が右隣の席に座った。


「あ?」


「覚えていなんだろう。四苦八苦していた様子だったからな」


「お、おう。そうだけど」


「十四時くらいまでは頑張って起きてたみたいだな。サリュの病室に行ったり来たりで落ち着かない様子だったから、私がここに連れてきて座らせたわけだが。それも覚えていないか?」


「そう、なのか。――って、サリュ!」


 そうだ、サリュは?


「サリュはどうなった!?」


 立ち上がろうとして、姉貴に左手で制された。

 そしてその人差し指が、ゆっくりと口元へ立てられる。


 静かにしろ、と。


「落ち着け裕馬。サリュの容体は今も変わらない。一命は取り留めたが、今もまだ眠っている状態だ」


 言われて思い出した。

 病室で白いベッドに横たわり、力無くまぶたを閉じた彼女の姿を。


「リリーシャの件があったからね。あの子たち魔法使いの身体構造が、私たちと大きく変わらないことは分かっていた。お陰で的確な治療が間に合ったようだ」


「そう、か」


「とはいえ、それもお前が神守真白に状況を伝えていたからこそだ。サリュの負傷が前もって知らされていたから、急ぎで対応できた。よくやったじゃないか」


「……は?」


 よくやった?

 その言葉に、思わず姉貴を睨んでしまう。

 姉貴は何食わぬ顔だ。脱力した気怠そうな表情で俺を窺っている。多分、今の発言は冗談でもなければ、慰めようとしたわけでもないんだろう。


 それが余計に、胸の内を焦がす。

 気付けばその熱を吐き出していた。


「オイ、本気で言ってんのか?」


 よくやった、俺が?

 しかし姉貴は、平然と頷きを返す。


「そうとも。お前のお陰でサリュが助かったと、そう言っても過言ではないと思うがね」


「冗談言ってんじゃねぇよ。それともなんだ、俺を持ち上げようってか?」


「それこそ冗談だろう。私は正当に評価しているよ」


 姉貴は言った。

 お前は十分によくやった、と。


「あの状況で的確に報告出来る奴が、果たして何人居る? 加えて、ビルが破壊されていく中、最後までサリュを守り通した。考え得る最善を尽くしたんじゃないか?」


「でも、それだけだ」


 それだけしか、出来なかった。


「それ以上は無理だ。自惚れるな」


「っ」


 言葉が突き刺さる。

 どうしようもない事実を叩き付けられる。


「まったく、困った弟だ。珍しい大活躍を褒めてやろうと来てみれば、頭に血が上ってそれどころではないな」


「……うるせぇ」


「いいか、よく聞け」


 俯く俺に、姉貴は話を始めた。


「お前とサリュをペアにしたのは、サリュが通信機器を拒否したからだ。それでは状況報告が出来ない。連携も取れなければ、緊急事態にも対応出来ない。だからお前を同行させた。そしてお前は十分に、その役目を果たしている。どうだ?」


「ただの通信機扱いってことかよ」


「だとしても、かなり高性能だと評価していたのだけれどな」


「……俺は目の前で、サリュが傷付けられるのを、黙って見てることしか出来なかった」


「まだ詳細な報告は受けていない。が、それはお前とは別の要因だろう。サリュのミスか、相手がサリュより上手だったという話だ。強いて掘り下げてしまえば、そうなってしまったのは私の采配ミスだよ」


「だったら!」


 声を上げてしまう。

 競り上がって来た感情を抑えられない。


「だったら俺は! 俺が居た意味は! 俺の失敗は! なにも、なにもッ!」


 瞬間、ぐわりと。

 胸元が力強く引かれ、態勢を崩された。

 姉貴の左手が、俺の胸元を握り締めている。衣服が捻じ曲げられ、息苦しさに咳き込み、力づくで言葉を詰まらされる。

 混じり合う視線。鋭く冷たい、凛とした瞳。


「病院では静かにしろ、裕馬」


 そう言って、姉貴は続けた。


「私の言ったことを理解出来ていないのか? それとも分かった上で、納得出来ていないのか?」


「……んなもん、当然だろ」


「もう一度言ってやろう。お前の役目は、十分に果たされていた」


「……なにを」


「お前は第四級という下位の戦士でありながら、瀕死の第一級の命を救った。それも第一級が敗れた相手を目の前にして、だ」


「それは、アッドだ」


「アッドの助けもあった。だが彼が駆け付けるまでの時間を稼いだのはお前だろう? それで十分じゃないのか?」


「十分な訳、ねぇだろ!」


 なにも! なにも出来なかった!

 俺には、なにも!




「――だったら、お前は何様なんだ、裕馬」




 ――――あ。


「…………ッ」


 俺は。

 俺は、でも、畜生、分かって、十分な、なにも。

 納得なんて、出来る訳が。


「……クソッ」


 分かんねぇよ。

 でも、姉貴の言ってることが否定の出来ないことだってのは。


「いや、悪い。私も言い過ぎたか。元はと言えば、私の不出来な策が招いた失敗だ」


 呟いて、それで姉貴は俺から手を離した。

 行儀よく座り直して、大きく息を吐く。


「まったく、イライラして困るね。病院内はスマートフォン禁止とか、時代錯誤も甚だしい規則だと思わないか?」


「……我慢しろ」


 簡単にいつもの調子に戻りやがって。

 この状況でゲームなんて許されねぇだろうが。


「それで、なんだよ。まさか俺を褒めに来ただけだってのか?」


「姉として愚弟の様子を心配して来たとは思わんのかね?」


「気味が悪いこと言うんじゃねぇよ」


「ま、実際は他にも用件がある訳だが」


「だろうな」


「今回の件について聞き取り中でね。一人一人回っていて、お前の番が来た訳だ」


「そういうことかよ」


「特にお前は色々とあるからな、随分後ろに回してしまった。詳しく聞きたいんだが、場所を変えても大丈夫かね」


「……そう、だな」


 改めて周囲を見回す。

 少々騒がしくしてしまった所為で、ソワソワと気にされている。居心地も悪いし、別の場所がいいだろう。


「それじゃあ移動しようか。地下の会議室を借りてある。愚弟ともう一人の為に、ね」


「もう一人?」


 含みのある言い方だ。

 思い当たる節は、あるが。


 先導する姉貴に続き、俺は待合室を後にした。




 ◆   ◆   ◆




 シャワーで汗を流し、スーツを洗った。

 脱衣所のタイルには、有象無象が転がり回っている。小型の拳銃五十丁以上、大型の銃が四十丁程。ナイフ、刀剣、槍や大鎌。クナイや手裏剣なんて、使った試しのないモノも在る。

 他にもワイヤーショットやジェットシューズといった移動補助の機器や、手榴弾や地雷といった爆発物多数。加えてフライパンや鍋や包丁のような生活器具から、着替えの私服まで多種多様だ。

 それらが文字通り、山のように積み上げられている。


「は」


 我ながら雑で適当。一歩でも間違えれば、この部屋が丸ごと吹き飛ぶようなモノも含まれているのに。

 今はそれも悪くはないかって、そんな自暴自棄になってる。


「死んだらなにも考えなくていいもんね」


 馬鹿らしい。無責任極まりない。

 私は適当なパーカーとジーンズに袖を通し、脱衣所を後にした。

 積み上げられた山の隅で、ひっそりとこちらを睨む黒薔薇の仮面から、目を背けて。




 リビングへ移動して、ソファーに腰を下ろす。

 ふわりと柔らかな感触に気が緩み、微かな浮遊感にまぶたが落ちる。入浴後の脱力感もあって、このままなんの抵抗もしなければ、簡単に眠ってしまうだろう。


「……いいえ」


 目をこすり、霞んだ意識を繋ぎとめる。

 逃げるな。

 休息は必要だ。けれど、ソレを確認せずして眠りに落ちるなど許されない。


「……ええ、そうよ」


 カチカチと時計の秒針が耳を叩く。流し台から微かな水滴の音と、冷蔵庫の駆動音。入浴前に付けておいたクーラーの風音や、室外機のプロペラ音まで。

 それらを遮り阻むものは、ここには私しかいない。

 私だけが、ここに居る。


「……」


 テレビのリモコンを手に、電源のボタンを押した。

 そして、存在していた全ての感覚が、灯された映像に呑まれていく。

 与えられた情報によって、上書きされていく。


『本日午前に引き起こされた、北地区商業ビルの大規模爆破テロの情報です。

 地上四十階の建物が一時的に占拠され、数度の爆発の後、大きな爆発が発生。地上十六階から上階が半壊し、内部が開かれた状態になりました。

 建物を含め周辺一帯の被害は甚大で、今尚救助活動が続けられており――。


 ――この爆発による死者は、現在判明しているだけで二十一人。負傷者も、四十人を越えており――』


「――――」


『――テロを引き起こした団体の正体は未だ判明しておらず、残念ながら事件時の映像も残されておりません。現場ではカメラ等、電子機器の破壊工作が行われていたようです。

 無事救助された方々も、恐怖の為か記憶が曖昧だと訴える方々ばかりで、未だ事態の全容は明らかになっておりません。

 専門家はなんらかの催眠ガスが使用された可能性を挙げており、現場付近は立ち入りを禁止されています。続報が入り次第――』


「……ああ」


 それが表向きの顛末か。

 いいえ。結局のところ、事実と然程変わらない。

 私たちテロ集団の要求が通されることはなく、外れた存在が世間に知らしめられることもなかった。


 ただ無為に人が死んだ。それが事実だ。

 報道されている内容と、なにも変わらない。


「死んだ。……いえ、殺した」


 私たちの所為だ。


 ――私の所為だ。


 私が居たその場所で、目の前で殺されたんだ。

 他でもない私の前、私の選択で。


「……ッ」


『――先週も西地区で起こされた爆破テロに続く、本日の北地区でのテロ事件です。

 住民の皆様には、無関係ではないという危機意識を持っていただきたいと思います』


 テレビの向こうで、アナウンサーがそんな忠告をこぼした。




 無関係ではない。

 危機意識を持って。




 そう言って、ある種視聴者の不安を煽るような。


「……はは、ははは」


 思わず、口元が引きつる。

 笑いがこぼれる。


「はは、そうよ、それなのよ」


 ああ、よかった。

 それなら、彼らの死にも、意味はあった。


「それで?」


 それで、意味があったから、なに?

 死んでも仕方なかったと言うつもり?




 ――私は、なんの為に。




「ふざけ、るな。ふざけるなッ!」


 ふざけるなふざけるなふざけるな!

 途中まで上手く行っていたのに! 誰も傷付くことなく事件が起こせていたのに!

 人質には一切傷を付けるなって指示で、全員がそれを順守しようとしていた!

 最初の爆発だって死者はゼロ! 計算されていた! 全部全部、作戦が立てられていた!

 多少の恐怖はあっても、混乱が起きても!

 誰も死ぬことはなかった筈なのにッ!


「ああ、あああ、あああああああッ!」


 頭を抑える。

 思い起こされる血塗れの情景。潰される人たち、バラバラにされた手足、最後まで苦痛と恐怖で歪んだ顔が、跡形もなく原型を失う様。

 ぐじゃりって瑞々しい飛沫の音が。パンって風船が弾けるみたいな音が。


「死んだ! 死んだっ! 死んだッ!」


 人が死んだ。

 私は、なにも出来なかった。

 騎士を打ち倒して、第一級の魔法使いを突破して、有頂天になって!

 そんなの目的の為の手段でしかなかったのに!

 彼らを絶対に死なせないことこそが、私がやらなきゃいけなかったことなのに!


 なのに戦った。戦って戦って戦って。

 だから、殺した。

 私が殺した。


「――私が、っ」


 それで遂に、限界が来た。

 有無を言わせず、視界がブラックアウトする。倒れた身体がソファーに横たわり、やがては点けっぱなしのテレビの音も遠くなっていって。


「私は、なんで?」


 私は、なにを?

 かすれた疑念は誰にも届かない。

 ゆっくりと意識が閉じられる。




 今はただ、どうか休ませてほしいと願って。




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