第二章【10】「黒薔薇の仮面」
案の定。
「ユーマ! 三十七階、制圧完了よ!」
ビル内部へ踏み込んでからも、俺たち二人の立場は変わらなかった。
サリュが先導して階層へ飛び出し、廊下や部屋に隠れたテロ組織へ魔法攻撃を行う。向こうは電子機器を破壊されて未だに狼狽えており、当然第一級が攻め入っているなど知る由もない。連中はサリュの力に圧倒され、力無く意識を奪われるばかりだ。
それから自由になった人質たちへ、屋上へ逃げるよう指示を促す。これに関しては俺が率先しているが、実にスムーズだ。
というのも、サリュがあまりに圧倒的過ぎるから、助けられた人たちも言葉が出ないというか、唖然としているというか。
無理もない。突然テロリストに襲われ捕らえられたと思ったら、今度は恐怖の対象であったテロリストたちがあっという間に倒され、助けられたのだ。
それも、たった一人の少女によって。
おまけに崩れ落ちる連中も大半が異形の姿をしており、少女も少女で炎や雷や風を操る魔法使いときた。重ねて着物姿で、メイドカチューシャでエプロン装備。
意味が分からない。助けられた人たちは未だに夢心地で、安堵も出来ていないだろう。
「あー、もう一回言いますね。大丈夫なんで、屋上行って下さい」
そんな状態だから、俺たちの誘導には素直に従ってくれた。
今しがた制圧した三十七階の人たちも、ゆっくりとだが動き出した。皆一様に首を傾げたり虚空を見上げながらだが、それでも固まって上階を目指してくれる。
まあ下手に混乱されたり、説明しろだのなんだのって暴れられるよりはマシだが。
「それじゃあ次に行きましょう、ユーマ!」
「……了解だ」
先導するサリュに続いて、助けた人たちより急ぎ足で階段へ向かう。
ふと床をぶち抜いて下階に降りる方法も考えたが、あまり現実的ではないということで呑み込んだ。
下が同じ造りになっているとも限らないし、真下に人質が居る可能性も否定出来ない。今まで同様、状況を把握してから飛び込むのがベストだろう。
もっとも状況を把握するのも飛び込むのも、全部サリュ一人で行われるんだけど。
などと考え眉を寄せていると、道中、不意にヘッドセットからノイズが聞こえて来た。なんらかの通達か、悪ければ非常事態か。
思わず身構えたが、続いたのは姉貴の声ではなく、けれども覚えのある声だった。
『あ~あ~、テステス、テス! こちら超絶美少女後輩ちゃんです! 聞こえていたらお返事をお願いします! お~ば~?』
「………………………………………………………………」
いや、なに考えてるんだ?
『あれ? 聞こえてないですか? おっかし~な~。チャンネルは間違えてないみたいだし、音量が小さいとか?』
「オーケー待て、聞こえてる。むしろ音量は下げてくれ」
聞こえ過ぎて耳が痛いくらいだ。
加えて頭も痛くなってきた。
『な~んだ、聞こえてるならそう言って下さいよ、片桐先輩っ!』
「神守。状況が状況だ、元気は控えてくれないか」
『いえいえ先輩! むしろそういった状況だからこそ、明るく茶目っ気のあるオペレーターが空気を和ませるのです。心にゆとりと平穏と愛をお届けするのですっ!』
「悪い、切るわ」
『わわわわわ、それは困りますっ! 乙女さんと千雪ちゃんから、片桐先輩のサポートをよろしく頼まれていますのでっ!』
「人選ミスだ。指揮官に繋げろ」
クソ姉貴め、なにを考えてやがる。冗談じゃねぇぞ。
……と、怒鳴り散らしてやりたいところだが、呑み込んだ。姉貴も馬鹿じゃない。恐らく神守を俺に寄越したのは、神守で大丈夫な状況ってことだ。もしくは他が切羽詰まっていて、姉貴がそっちに集中しているからか。
大変迷惑極まりないが、なにかしらの状況判断はされているだろう。
まさか嫌がらせ目的ということはない、……筈だ。
『でも意外ですっ。先輩いつも通りって感じの受け答えで、もしかして落ち着いてます?』
「作戦中に落ち着くもあるか。……って言いたいところだが、拍子抜けはしてるな」
『だめですよ~っ。報告を聞く限りサリュちゃんが圧倒してるみたいですけど、見落としだってあるかもしれないんですからっ』
「分かってる」
駄目な自覚はある。気をしっかり引き締めろと、さっきから何度もスイッチを切り替えようとはしている。
しかし圧倒的な光景を見せられてしまうと、どうしても力が抜けてしまうのだ。
これ、完全に要らない子だろ、みたいな。
「ったく、しっかりしろよな」
神守と連絡を交わしながら、階段を駆け下り次の階へ。
続く三十六階。踊り場の壁に身を寄せ、隠れて廊下を窺う。
左右にエレベーターの扉が並んだ無人のホール。そのまま通じた長い廊下にも、角まで誰の姿も見当たらない。響く物音も遠くから反響するものばかりだ。
奥に居るか、隠れているか。
するとサリュが、ゆっくりと左手を掲げた。
他の階と同じだ。左手の爪に刻まれた魔法を発動させて、この階の状況を調べている。
「――熱源感知。魔力反応なし。日本国の人たちと思われる反応が七つと、ちょっと違う生物の反応が三つ。一番奥にある部屋からね」
「了解した。じゃあ、今までと同じ要領で頼む」
「任せて」
頷き、再びサリュが先導して歩き出す。
いや本当に、笑っちまうくらいお役御免だ。いくらなんでも優秀過ぎるだろ、魔法。
「……馬鹿野郎」
自分への叱咤。
それでも万が一は有り得ると、なんとか緊張感を継続させる。
そうだ。今のところは上手く行っているだけ。
もしかすると、この階では人質が傷付けられているかもしれない。最悪、誰かが死んでいることだって十分に考えられる。そうなれば今までのようには行かない。
集中しろ。慢心だけはするんじゃない。
気を引き締めてサリュへ続き、歩きながら通信機へと手を当てた。
「神守、確認したい。屋上の状況って分かるか?」
『はいっ、お任せください。えっと、屋上ですね。つい先程から救助活動が始まってるみたいです。特に問題も報告されていません』
「随分早いな」
『記憶操作と言いますか、軽い催眠術みたいな処置が急を要しますので』
「なるほど」
下手なところに救助される前に、こっちで助けてそのまま隠蔽処理って話だ。褒められることかはさておき、流石は手が早いな。
その手の隠蔽方向については、正直知識がない。一応は俺たち外れた存在に関する記憶を消去しているらしいが、果たしてどんな方法を使われているのか。そういうのに精通した妖怪がいるのかもしれない。もしかすると怪しい薬とか……ってのは、考えたくないけど。
ともかく大丈夫そうだ。
引き続き、助けられた人たちには屋上へ向かって貰おう。
「了解した。じゃあまた、なにかあったら報告する」
それだけ言って、通信を終えた。
丁度、目的の部屋にも辿り着く。真っ直ぐ続く廊下を早足で進み、一番奥の扉へと迫って行き――。
と、そこで。
「っ!」
運悪く、部屋の扉が開かれた。
そして廊下へと、一つの影が姿を現す。
「サリュ」
「ええ」
残念ながら、近くに遮蔽物はない。近くの部屋に飛び込もうにも、扉が開かれた時点で向こうに目撃されている。
生憎だが、正面衝突する羽目になってしまった。
『――――』
相対したのは、見た限り人型の生物。
だが、その異様な風貌からは。
果たしてどういった種族なのかが読み取れなかった。
「黒い、薔薇?」
サリュが小さく呟く。
言葉の通り。その人型は、額を黒い薔薇の仮面で覆っていた。
それだけじゃない。
そいつは、全身を黒で覆っている。
人型に着込まれた、上下黒尽くめのライダースーツ。
丸みを帯びた胸部や細い体躯のシルエットから、女性であることは窺える。だがそれだけだ。両手も手袋で、足元もブーツで隠されて、一切の肌を晒さない。その正体が、徹底して隠蔽されている。
極め付けは、仮面だ。額の全てを覆い隠した、黒薔薇。
――重なり開かれた、無数の花弁の螺旋。
黒い薔薇の仮面が、表情どころか視線すらも読み取ることを許さない。
『――――』
声を発することもなく。
人型はただ仮面の後ろから、一本に束ねられた黒髪をなびかせるだけだ。
転移者か、妖怪か。
それとも、人間か?
その異様な風貌に、思わず喉を鳴らす。低く身構え、その姿を睨み付ける。
サリュもまた、ゆっくりと右手を構えた。
「道を譲って下さるかしら?」
ただ一言、要求を投げ掛ける。
けれど当然、女が頷くことはない。
『――――』
代わりに女は、その右手で背後の扉をノックした。ドンドンと、力強く二回。
途端に、部屋の中が騒がしくなった。
「コイツっ!」
従うつもりはねぇってか。
『――――』
女がゆっくりと、扉を叩いた手をそのまま持ち上げる。
サリュのようにこちらへかざした、なにもない開かれた手のひら――の、筈だった。
「――は」
目を疑う。
何故なら、なんの前触れもなく、
向けられた右手には、いつしか黒い拳銃が握られていた。
発砲。
明滅する火花と、その奥から撃ち出された一発の弾丸。
放たれた金色の鉄塊は空を裂き、一直線に標的へと叩き付けられる。目にも止まらぬ速さで、瞬きすらする間も与えず、その対象へと空洞を開ける。
それは魔法でもなければ、別の世界のモノでもない。
この世界の凶器。
いとも容易く命を散らせる、必殺の一突を撃ち出す。
ああ、だけど。
その道理もまた、この世界においての話だ。
「…………」
サリュもまた、一声も発することはない。
ただその場に立ち、迫りくる一撃を躱すこともしない。
それだけで、死に至る必殺は拒絶される。彼女を守る壁に阻まれて、弾丸は潰され、あらぬ方向へと弾き飛ばされた。そして最後の抵抗に、残された威力で天井を焦がすばかりだ。
それでも微かに、撃ち出された衝撃が髪や着物の裾を揺らす。
サリュは目を丸くした。
「驚いたわ。銃ってこんなにも速くて、強烈なのね」
「……はは」
やっぱとんでもねぇよ、サリュ。
こんなの見せられたら、向こうもお手上げ状態だろ。
そう思ったが。
「うおっ!」
予想外にも、続く銃声が響いた。
またもやサリュへ向けられ、撃ち出された銃弾。しかし当然結果は変わらず、魔法で作られた壁によって弾かれる。三発目、四発目、五発目。何度続けても同じだ。
だが、女はなんの反応も示さない。
ただ無言に、サリュへと銃口を向けたままだ。
『――――』
それでも銃の無為は悟ったのだろう。女は右手を振り下ろし、拳銃を床へと投げ捨てた。
そして再び右手を振り上げる。同様に、サリュへとかざす。
またもや突如として、その右手には銃が握られていた。
さっきよりも一層大きな、ゴテゴテとした銀色の銃だ。
『――――ッ!』
再び繰り出される発砲。
撃ち出された銃弾は、またもや障壁に阻まれた。バチリと音を立てて、潰された弾丸が天井を掠める。
しかし、変化はあった。
「……っ」
サリュの後ろ髪が、大きく後ろへなびいた。左目も微かに閉じられ、予想外の衝撃に歯を噛み合わせている。
同様に、後ろに控えていた俺にも、伝わってくる衝撃があった。
「違う」
今の一撃は、さっきのとはまったく別物だ。
銃を取り換えたからか? それとも、もっと別の要因か?
とにかく、このまま進むのはよくない。
「サリュっ!」
「分かってる!」
すぐさまサリュが、構えた右手に光を灯した。
――今一度、戦端が開かれる。