第二章【07】「事件の勃発」
藤ヶ丘市の北地区は、数多くのビル群が集まるオフィス街だ。
建ち並ぶ建物は大半が地上三十階を上回り、最長ビルは八十階にも及ぶ。交通網にも優れ、繁華街や遊技場も複数備わっており、まさに街の中核を担うと言っても過言ではない。
その北地区にて、テロ事件が引き起こされた。
「テロ事件って、なんだよそれ」
姉貴からの連絡を受け、すぐさまその旨を店内に訴える。
サリュと神守が血相を変え、ピタリと動きを止めた。千雪は瞬時に状況を理解したのだろう、カウンターテーブルの下からタブレットを取り出す。
そして軽い操作の後、画面に開かれたニュースサイト。スタンドに立てかけられ、全員に共有される映像。
煙の立ち昇る高層ビル、混乱する現場の人々、声を荒げながらも解説する男性キャスター。
画面の上部にはライブの注釈が入っていた。
「マジかよ」
「テロって、本当なの?」
「生放送ってことは、今起こってるんですかっ?」
動揺する俺たち三者とは対照的に、一人押し黙る千雪。
それから千雪は俺に目配せをし、自分の耳元を指差した。少し遅れてその意味を理解し、通話をハンズフリーに切り替える。
「乙女さん、聞こえていますか?」
『お、その声は千雪だね。ということは隠れ家か。でかした裕馬。そこにサリュも来ているだろう?』
「ええ、ここに居るわオトメ!」
「真白も居ますよっ!」
それぞれが答え、こちらの席に集まって来た。
『あー、神守真白はさておき、勢揃いで助かる。ニュースの音も聞こえてくるし、事態は概ね把握しているとみていいかな』
「いいや、今さっき見たところだ。正直突然のことで、なにがなんだか」
『よし分かった。それならそれで話そう』
姉貴はすぐに本題へ入った。
『とは言っても、見ての通りだ。北地区の商業ビルで爆破テロが起こされた。そして君たちへ連絡を取ったのは、当然私たちに関係した存在が確認されているからだ』
関係した存在。
普通の人ではない、常識から外れたモノたち。
『今のところテレビ等では報道されていないが、建物内部に妖怪や転移者が居る。しかもご丁寧に、独特の装備を整え、顔をマスクで隠してだ』
「それって、まさか」
『恐らくはこちら側の生物たちが、人間たちにテロ行為を行っている』
妖怪や転移者が、人間に対してテロを?
動揺し、続く言葉に詰まる。
代わりに姉貴へ返したのは、やはり千雪だった。
「報道されていない情報ということは、ビル内部に内通者が?」
『事前にビル内で警備していた連中がね。とはいっても、たったの四人。今は上手いこと隠れて情報を集めてくれているが、内部からの解決は難しいだろう』
「ビル一つの占拠に対しては、あまりに足りていませんね」
『そして幸か不幸か、その中にはアッド君が居る』
「ッ」
なんてこった。あいつ、とんでもない面倒ごとに巻き込まれやがって。
――いや、巻き込まれた、のか?
確かあいつ、今朝会った時に仕事がどうとかって。
『これが非常に複雑な経緯を経た事件でね。アッドたち四人が内部に侵入出来ているのも、非常事態を見越してのことだったんだが、まさかここまで大規模になるとは』
「どういうことだ」
『その辺りの状況も詳しく説明したいところだが。……駄目だな、今は行動が優先だ。すぐ準備に取り掛かる必要がある』
姉貴は言った。
『裕馬、そしてサリュ。二人には現地に急行して貰いたい』
このテロ事件に関して、直接的な力を貸してほしい。
それは紛れもなく、姉貴から俺たちへの依頼だった。
それから四十分弱。
俺とサリュは、例の商業ビル近くへ到着した。
ビル周辺はテレビ局や野次馬でごった返し、ぶつからずに歩くことすらままならない。そこら中でカメラが回り、下手な動きで掻き分けることも出来そうになかった。
そこをなんとか潜り抜け、合流地点へ。
指定された場所は、問題のビルの裏手に隠れた小さなバーガーショップだ。日の当たらない薄暗い通りに在り、お陰で人の集まりもマシになっていた。
その店の入口で、スマホをいじっていた姉貴と落ち合う。流石の非常事態だ。真面目な報告でもしているのだろう。……と、思ったが、スマホの画面は相変わらずのパズルゲームだった。
いやいやいや、もう少し状況をだな。
「遅かったな愚弟。ま、お陰で息抜きになったが」
「抜くんじゃねぇよ」
「安心しろ、状況は動いていない。どうやら向こうは真っ当な交渉をお望みのようでね。と、可愛らしい格好だねサリュ」
姉貴は平然と、サリュの衣裳を褒めた。もう少し驚いてもいいと思うんだが。
そう、大変場違いで申し訳ないが、サリュは隠れ家から着物姿のまま来てしまった。
なにせ緊急事態な上、南地区から反対側になる北地区だ。着替える時間も惜しみ、飛び出してしまった。
このピリピリとした空気の中に、鮮やかな紺のウェイトレス衣裳。静かな色合いでまだマシだが、それでも変に目立っている。ここまでの道のりでも、何度か声を掛けられそうになっていた。流石の報道陣も、今は奇天烈な格好よりビルを優先してくれたようだが。
かくいう俺も、休日感丸出しのシャツ一枚。姉貴も、朝に着ていたよれよれスーツのままなんだが。皆急ぎだったということで許してもらいたい。
と、気付けば、サリュが静かに右手を掲げていた。ビルの方へ、そこに群がる人たちへと、指先が向けられている。
「どうしたサリュ。テロリストでも紛れ込んでいるかい?」
「オトメ。これは提案なんだけれど、今の内に機械を壊しておいた方がいいんじゃないかしら? カメラとかって、撮られると不味いんでしょう?」
「ほう、そんな荒業が出来るのか。……大変ありがたい提案だが、少しだけ待ってくれ。タイミングが重要になる」
少なくとも、このショップ内であれば人目は気にしなくていいらしい。
だからそれは、来るべき時に。
姉貴の制止にサリュは頷き、静かに手を下ろした。
「よし、じゃあひとまず話をしよう」
言われ、先導する姉貴に続いてバーガーショップの二階へ上がった。
店内は一般的なものと変わらない。明るい配色が目立ち、壁にはポップなキャラクターが描かれている。
しかし今は非常事態。上がった二階は、異様な光景となっていた。
テーブル席に所狭しと並べられる、ノートパソコンやタブレット等、電子機器の数々。椅子に座った面々も、緑肌のオークや毛深い獣人、見覚えのあるスライムや、牛頭に蛇頭など多数の種族が勢揃い。
広々とした図書館とは違う、限られた密室空間での集合。視界内の特別な情報が多すぎて、軽く眩暈がした。
サリュも眉を寄せ、小さく息を吐いている。
だけど選り好みもしていられない。切り替えろ。
「待たせた諸君。第一級様が到着されたぞー」
姉貴の一声に、しばし周囲がザワついた。
期待や羨望。そういった熱い視線が、小さな少女へと一手に集められる。なかには「アレが噂の第一級か」と初めて見るような反応もあったが、軽んじるような言葉は聞こえなかった。
それ程までに、サリュという存在は強烈になっている。
――兵器。
ふと、そんな言葉が頭を過ぎる。
「それじゃあ役者も揃ったところで。改めて、状況を整理しようか」
姉貴は切り出し、話を始めた。
今回テロが引き起こされたビルだが、なんでも三日前、事前に爆破予告がされていたらしい。
ご丁寧に手紙で堂々と、「爆破し占拠する」と。
にも関わらず、未然に防ぐことが出来なかった。
その要因の一つに、タイミングがあった。同日、同盟国であるアヴァロン国が、とある異世界への侵攻を宣言したからだ。
姉貴が説明を続ける。
「ここ数カ月、異世界間での取引が多発していた。それも情報流出や住民の不法移動だけではなく、道具や武具等が多数。その結果、未知の力によって甚大な被害を受けた世界が後を絶たなくてね」
同盟国からの救援要請もあった。新たに発見した世界が、すでに荒野に変えられていたこともあった。
それが人為的なモノであったならば、間違いなく、原因は異世界転移を操る別の組織に違いない。
異世界を管理する以上、それを看過することは出来ない。
「アヴァロン国は現在、そちらに人員を割いている。結果、その爆破予告への対応は疎かになってしまった。だけでなく、この国の一般自警団すら、なにかのイタズラだろうと聞き流していたそうだ」
しかしその中で、万が一の可能性を考慮したのが、百鬼夜行だったというわけだ。
「まったく不幸にも、念のために四人を建物に忍ばせて正解だったな」
その四人の中に、アッドが含まれている。
人間一人と転移者三人で構成された、秘密裏に送られた侵入部隊。
「現在人間の一人は人質に紛れているようだが、残りの三人は上手く隠れて情報を集めてくれている。彼らの報告によると、向こうの数は大凡六十人から八十人が想定されるそうだ」
当然、向こうも人間ではない。妖怪、転移者たちの集団。
姉貴は断言した。これは組織的な犯行であると。
「丁度先程、狐の隠れ家に連絡があったみたいでね。テロ集団はどうにも、私たち百鬼夜行を要求相手として選んだらしい。わざわざ私たちをご指名下さったのは、その方が話が早いからだろうね」
それは、つまり。
「恐らく奴らは私たちと百鬼夜行と同じ。妖怪を主軸とした、日本国の異世界組織だ」
微かな動揺。けれど、声を上げる者は居なかった。
姉貴が言うまでもなく、みんな察していた。
建物一つの占拠など、外から来た転移者には困難だ。それこそ先週のような、無差別な破壊攻撃が手っ取り早い。それをこうも念密に、手際よく進めているのだ。恐らく組織の中核は、日本国の出身者が関わっている。
じゃあ、何故。
「そして件の要求だが、大きく二つあってね。一つが、アヴァロン国への所属義務の撤廃。それからもう一つが、居住の自由化だそうだ。どうやらテロ組織の連中は、どこぞの騎士様方に管理されていることが余程腹立たしかったらしい」
「だったらなんで百鬼夜行に言ってくるんだよ」
思わず口に出してしまう。
それをまんまと、姉貴に拾われてしまった。
「愚弟の疑問も当然だが、理由は単純だ。この程度のテロ活動を行ったところで、騎士様方には相手にしてもらえないからさ」
「は?」
だったら、どうして。
「察しが悪いなー。言ってしまえば、奴らはアヴァロン国と話し合いをしたい訳でも、善処を求めている訳でもない。要求を通せと言っているのさ。他でもない、私たちにね」
言って、姉貴は二階の窓からビルを窺った。
煙が立ち昇り、今も混乱を極めているその建物を。
――いや、違う。なにか、変だ。
「なん、だ?」
「分からないか? 見たところ、廊下に誰も居ない。窓硝子は爆発地点以外に一つも割れておらず、壁や床にも破壊の後は見当たらない。叫び声や救援の信号も出ていないな」
脅しているにしては、武力が振るわれた形跡がなさすぎる。
人質が管理されているにしても、一切の主張がされていない。
「どころかカメラだの野次馬だのが押し寄せているのに、なに一つとして向こうの情報がないのは何故だ? 決まっている。それらが全て、普通ではない方法によって制限されているからだ。向こうが意図的にね」
「……そういうことかよ」
ようやく理解した。
連中がアヴァロン国ではなく、俺たちに要求を行っている。
その意味が、分かった。
姉貴は言った。
「これは他でもない、この世界への配慮だ。そして私たちへの脅しだよ。――色々と隠してやっている内に、向こうと話をつけろってね」
対応しろ、要求を通せ。
でなければ集まった人々やカメラを通し、世界中に知らしめることとなる。公に周知されることとなる。
自分たち妖怪や、転移者の存在が。
「まったく、好き勝手にやってくれやがるよ。この世界の命運を、よりにもよって私ら百鬼夜行に要求するなんて。面倒ったらありゃしない」
「姉貴。アヴァロン国側は、協力してくれないのか?」
「自国の問題故、自国で対処しろとさ。よーするに、この世界が私たちを知ろうが知るまいが、アヴァロン国には関係ないってこと。変化に応じて管理するとさ」
「んだよそりゃ。ふざけやがって」
「まーそれでも、騎士団員を十数人は派遣してくれてるみたいだけどね。無関心な割には、手厚いフォローですこと」
ひょうひょうと言い捨てるが、それでいいのかよ。
どう考えたって、半端じゃない事態だろ。
「まーた悪い顔してんじゃないわよ。他のみんなも、露骨にしかめっ面しないの」
それでも、姉貴の様子は変わらない。
いつもの通り、砕けた口調だ。
「難しい御託を並べた後にこう言うのもなんだけどさ。別に、簡単な話でしょう?」
そしてニヤリと口元を緩め、姉貴は言った。
「全部ここだけの話にして、事件を解決すればいいじゃない」
……いや。
「いやいやいや」
唖然とする。
見渡せば、誰もが口を開いて思考を停止させていた。
しかし、思えば姉貴の言葉は、別段不思議な物言いでもなかった。
何故なら。
「さあそれじゃあ、作戦会議といきましょうか」
その言葉に、俺たち全員がはっとなる。
そうだった。
これまでの話は、あくまで状況の整理だ。
本題は、これからなんだ。