第二章【06】「最高にいたたまれない時間」
神守真白は、常識の外の事情を知る人間だ。
俺のような妖怪との混じりモノとも違う。
正真正銘、純粋な人間。
しかし関わるようになった経緯事態は、俺と変わりない。彼女たち神守家が、古くから妖怪たちと関わって来た家系だったからだ。
曰く、昔は神守神社っていう神社があり、神守の人たちは神様に仕えていたらしい。文字通り、神様を守る存在として。
その過程で、彼女の家系は妖怪たちとも接してきた。時に討伐するべきモノノ怪として、時に共同して生きる隣人として。やがて異世界からの使者がやってきた際にも、神守の人たちは百鬼夜行の一員として対応していたとか。
とはいっても、本人の大雑把な性格もあり、あまり深くそういう話をしたことはないんだが。……神守神社に関しても、俺が中学の頃に取り壊されてしまったらしいし。
つまり今の彼女には、神様を守る使命も失われている。
ただ俺たちのことを知っているだけの、なんら当たり前の人間だった。
◇ ◇ ◇
「それで、神守はシフトか?」
サリュたちがバックルームに入って数分。
カウンターの向こうで鼻歌を奏でる神守に、適当な話題を振ってみた。
というか随分くつろいでいるみたいだが、お前は準備とかしなくていいのか。
怪訝に窺うと、神守は眉を寄せた。
「そんなの見たままですよっ。着物着てエプロン着けてるんですから、どこからどう見ても立派なウェイトレスでしょう」
「にしては、ご機嫌に楽しんでるみたいだが」
「そ、それはほら、ワザとですよワザと! 真白が全部やっちゃったら、サリュちゃんに教えられなくなっちゃうじゃないですかぁ」
「だったら目を逸らさずに言ってもらえるか」
「そこは大目に見て下さい。真白、本当は今日休みだったところを飛んで来たんですよっ」
「そうだったのか」
「新人の面倒を見てほしいって、千雪ちゃんから頼まれたんです。適材適所ですね!」
「……千雪、悪いもんでも食ったのか」
「失敬ですっ! 辛辣すぎますっ!」
ビシリと指をさされる。
ええい、いちいち大騒ぎしやがって。
「それで、実際のところはどうなんだ?」
「新人に教えて始めて半人前ということで、無理矢理シフトをねじ込まれました」
「案の定じゃねぇか」
こいつはこいつで新人初指導なのかよ。
ますます大丈夫な気がしねぇぞ。
「そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫ですよっ。朝はお客さんも少ないですし、今日は特に仕入れや在庫チェックもありません。超イージーモードです」
「それは職場として大丈夫なのか」
「でも改めてビックリです。サリュちゃんが片桐先輩のお相手さんなんですね」
「んだよ。なんか文句でもあんのか」
「いえいえいえ。でも正直な話、片桐先輩はお付き合い等に興味がないと思っていました。孤独を愛するクールな印象といいますか、孤高な一匹狼といいますか」
「勝手にボッチ扱いするんじゃねぇ。ただ単に、人付き合いは疲れるから避けてるだけだ」
「そんな片桐先輩が、まさか自分から告白なさったとか。しかも公開プロポーズだったんですよねっ。そんなに好きになったんですか! そこまで強烈な一目惚れだったんですか!」
「……ノーコメントで」
「え~、なんでですか~。教えて下さいよ惚気て下さいよ~」
「惚気る訳ねぇだろ」
一体俺をなんだと思ってやがる。
こいつには俺が恋バナを楽しむようなタイプに見えるのか。
「も~っ、じゃあいいですよ! この後サリュちゃんと働くんですから、サリュちゃんに全部聞きます! それで先輩のイメージを決定しちゃいます」
「勝手にしてく――いや、待て」
サリュに話を聞くのは構わないが、それで俺のイメージが決定されるのは大いに困る。何故なら俺とサリュで、大きく認識が異なる事象が考えられるからだ。……主に今朝の件とか、神守にも言われていた巨乳がどうこうの件とか。
しかしそんな話、俺の口から説明出来るわけもなく。
「なんですか先輩?」
「……あー、なんかサリュが変なこと言ってたら、俺本人に確認してくれな」
「むむむ。なにやら秘密の香りがしますよっ。話せないことがあるんですねっ!」
「そう思うなら聞くんじゃねぇよ」
だったら応える訳ねぇだろうが。
その後も、何度も恋愛トークに持って行こうとする神守を交わすこと五分程度。
「お待ちどうさまー!」
やがて、店の奥から千雪の楽しげな声がこだました。
合わせて、パタパタと足音が近づいて来る。「小走り厳禁だよ」と注意の声もあったが、どうやら聞こえてはいないようだ。
「ユーマ!」
そうして、満面の笑顔で現れたサリュ。
カウンターテーブルの横を通り抜け、真っ直ぐ目前へと駆け付けてくれる。
狐の隠れ家従業員専用の、着物エプロン。
「――あ」
見惚れる。
サリュのその姿に、思わず言葉を失った。
「えへへ、どうかしら?」
言って、その場でくるりと回転してみせる。
その着物は、予想外にも鮮やかな紺色だった。
ぱっと浮かんだのは、海だ。浅瀬じゃなくて、もっと沖の方。波も静かで落ち着いた、より深く濃い紺の色合い。
そしてその表面に、白と桃色の小さな花弁が幾つも散りばめ彩られている。薄っすらと、それでもしっかりと花を開いて。
きっちり巻かれた赤帯も力強く、目を惹かれる。正面が上からのエプロンで隠れてしまい、思わず勿体ないと思ってしまった。
一見、サリュのイメージとは反対に感じる、静かで落ち着いた色の組み合わせ。しかし不思議とどういう訳か、にこりと開かれた明るい笑顔に似合っている。
浮かんだ疑問に、満足げな千雪の声が聞こえてきた。
「いやー、サリュちゃん見た目は完全に日本人だからね。やっぱり黒髪には、落ち着いた紺色でしょ」
「ふああ! 真白、感動ですっ! 流石です千雪ちゃんっ!」
「ありがと真白。我ながらいい仕事したわ」
本当にその通りだ。
そう心の中で称賛を送っていると、いつの間にかサリュが動きを止め、首を傾げていた。少々不安げな表情で、こちらを見上げて窺っている。
そんな怯えた子どもみたいな仕草が、エプロンやらカチューシャの愛らしい装飾と噛み合ってしまい。
……なるほど、こいつはとんでもない破壊力だ。
だから、思わず目を逸らしてしまった。
しかし、
「照れてるね」
「あ~、照れてますねぇ」
視線を逃がした先で、笑い者にされる始末。
存分に楽しみやがって畜生め!
悔しいので、すぐさま視線を戻せば、サリュも。
「……照れてるわね」
頬を真っ赤にしながら、満足そうにはにかんでいた。
「っ、っっ、……お、お前らァ」
「ゆーくんのそんな表情、初めて見たかも」
「片桐先輩タジタジですねっ」
「ゆ、ユーマってやっぱり、可愛い系のところがあるわよね」
「んなとこねぇよ!」
畜生! どいつもこいつも玩具にしやがって!
俺はそのままの勢いでなんとか笑顔を振り切り、カウンターから後退した。そうして壁際の離れたテーブルへと移動し、椅子を引いて席に着く。
それから咳払いをして、一喝だ。
「ほら、客だぞ客! 手伝ってやるって言ってんだから、ちゃきちゃき用意しろっ!」
我ながら、恥ずかしい程に見え透いた照れ隠し。顔が熱くて仕方がなかった。
その後も、三人からの生温い視線は続き、散々からかわれることになった。
心底恥ずかしくて、最高に居たたまれない時間だった。
◆ ◆ ◆
現在地点は、藤ヶ丘北地区の背高いビル。総じて四十階となるこの建物の、地上三十四階で待機している。
使用されていない会議室は電気が落ち、扉から漏れる廊下のライトだけが唯一の光源となっていた。早朝から少しずつ増していく足音だが、誰も彼も、この場所を気にすることもなく通り過ぎていく。
ただ立っているだけでいい。隠れる必要すらない。
せめて誰か一人でも扉を開けて居れば、私に気付くことが出来ただろうに。
やがて、その時は来る。
『……時間ね』
定刻。
私は静かに、その時に身を委ねる。
『――――』
そして始まった。
合図となったのは、巨大な爆音。
弾けた破壊の轟音が大気を震わせ、その衝撃に足元が揺らいだ。予想以上の勢いに多少の不安を覚えるが、通信機が伝達を知らせることはない。なら問題はないのだろう。
計画通りに進んでいる。
ならばもう、後戻りは出来ない。
爆発が引き起こされた時点で、私には前進以外の道が断たれている。
『――ッ』
私は部屋の扉を蹴破り、続く廊下へと飛び出した。
直後、対面する。
「ひっ!?」
「こ、今度はなに!?」
廊下に居た、このビルで働く社員たち。突然の揺れに立ち尽くすスーツの男や、散らされた書類の上に膝を着く女。廊下の角まで一本道に、十数人程度がたじろいでいる。
その中で、視線が合うのはまだ数人だ。現れた私に唖然とする人と、未だ気付かない感度の低い人たち。
それら全員に、私は声を上げて警告した。
『聞け。貴様らは人質となった。これはテロ行為である』
沈黙、混乱。
その場に居合わせた全員が言葉を失い、行動を抑制され、思考を奪われる。
いや、放棄している。
『……やっぱり』
やっぱり、この程度。
長い長い虚無の後に、大凡全員が辿り着くのは、次の疑念だろう。
――何故?
――何故自分が?
『馬鹿らしい』
だからお前らが選ばれたんだ。
「っ! 逃げっ!」
しかし中には、稀に動き出せる人が居る。
一番遠くの角際で立ち尽くしていた男が、声を上げ、慌てた様子で私に背を向けた。そのまま逃げ出そうと、前のめりに身体を傾ける。
だけど、無駄だ。
もう遅い。
『逃げられねぇゼ』
向こうから現れたのは、異質な巨体だ。
岩のように膨れ上がった手足を持つ、三メートル越えの人型。肌の色も真っ赤に染まり、誰が見ても明らかに人間ではない。私同様、額を隠すガスマスクを着用しているが、果たしてその下にはどのようなパーツがあるのか。
私は知らない。
この生物がなんであろうと、目的が同じであるなら、それでいい。
『ハハハ、諦めるんだナ』
逃げようとした男は、異形の出現に崩れ落ちた。恐らくはもう、立ち上がることが出来ないだろう。周囲の人たちも、それぞれ恐怖に顔を引きつらせている。
じきに誰かが叫び出し、負の感情に圧し潰されてしまうだろう。そうなったらもう、どうしようもなくなってしまう。
だから一つの救いを。
思考の指針を、私が与える。
『貴様らは人質となった』
私は再度、彼らへ告げた。
『――これは、テロ行為である』
◆ ◆ ◆
ふと、ポケットのスマートフォンが震えだす。
手に取り画面を確認すれば、それは姉貴からだった。まだ八時前だが、起きられたのだろうか。それで新聞の催促か、今更サリュのバイトの話か?
……いや。
「……なんだ」
なにか、嫌な予感がある。
顔を上げ、店内を見回す。
サリュは神守に教えられながら、モップで床の清掃中。千雪はカウンターで、お皿やティーカップの準備を進めている。
そんな中、サリュと目が合った。
恥ずかしそうに、にこりと笑顔を返される。
「……ああ、くそっ」
思わず吐き捨てた。
感情を振り切り、覚悟を決めて通話の表示に触れた。
そして、
『遅いぞ愚弟』
「悪い。取り込み中だった」
挨拶もない。
姉貴はすぐさま、話を切り出した。
『問題が発生した。テロ事件だ』
――と。